50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上のオッサン限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います 86年ミュンヘンフィル
大阪人なので、シューマン4番と展覧会一択だった。
チェリが出てきた時から異様な雰囲気で、
オケってこんな音がするんや!
と驚いた。 リヒター追悼となった演奏会で、
楽団員入場の終わりかけに、フルート奏者が自分の楽器を隣の人にあずけ、
客席に向かってストロボを炊いた(つまり、客席の写真を撮った)。
撮り終わると、カメラを椅子の下に置き、普通の行動に戻った。
なお、その奏者は、リヒターのいないミュンヘンバッハより、ソロ演奏会にしたほうがずっと客を呼べる人でもある。 そうです。
つまり、ニコレの持つ写真に私が写っていると。 >>744
まぁニコレは亡くなってるけど
その写真、どこかで公表してほしいね 中岡俊也
宜保愛子
宗川圓学
辻本源治郎
新倉イワオ ホロヴィッツの2回目の来日公演。 わざわざ関西から昭和女子大 のホールまで
行った甲斐のある素晴らしい演奏会でした。 >>750
>>751
吉田秀和の2度目の演奏会評が素晴らしい ニコレで武満の「VOICE」を日生劇場で聴いた時はPA(A7)を
使っていたが石橋メモリアルで聴いた時はPA無しで、木製の
フルートでも演奏できると言っていたけど楽譜の指定はどう
なっているのか 知っている方居ませんか >>747-748
ガラガラでした。
ニコレのソロコンサートは、大抵満席ですけど。 有難う 本当にありがとう
こんなに早く 何十年も疑問に思ってた事が...
5ちゃんねるも捨てたもんじゃ無いね
今日はグッスリ眠れそう
有難う そよ風のようにサラッとレスしちゃうところが凄いな
自慢半分の恩着せがましいか、イヤミっぽいレスしか書かない糖質スコア自慢君とは大違いだな >>757
こちらこそ、こんなところで武満のVoiceを語る人に出会えたことが嬉しかったです >>758
初老カスのチンカスをきれいにしてほしいのか?
カス(チンカス)は自分が潰されたら糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞などの架空人物を盾にして vsチンカスの構想にしてしまい、チンカス自らは傍観者のフリをしてその架空人物を攻撃する。
時には チンカス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者のふりして、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「everyone」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
しばらく相手にされないと
空想人物 糖質スコア自慢君が他スレに出現していると嘘をつき、関心を引き寄せる60歳が間近な チンカスおっさん >>758
だまってりゃいいものを
あなた大人でしょ? >>760
前にも連投荒らししていただろ
スレ荒らして楽しいか?いいかげんにしろよ人間のクズ! >>758 イエローカード
863 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 10:14:15.00 ID:/sz76Zma
これとこれは注意喚起レスとしてセットでしょう
855 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/03(日) 22:09:26.67 ID:Q8Lh+er5
害が無きゃそっとしておけばいい
糖質スコア自慢君乙なんて書いた日には大ファビョりするからw
この前もDLスレでマウントする糖質スコア自慢君を嗜めたら荒らし化したしね
DLの新スレで最初にしっかりと諭したら我慢しておとなしく書き込むようになったしw
糖質スコア自慢君は子供部屋で一日中鬱屈しているので
人に認めてもらいたいという思いのレスはちゃんと書かせてあげればいい
この隔離スレで彼が本性をあらわしてのびのびと病身舞を踊れるようにしているのは板の優しさですなw
860 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 02:06:25.97 ID:HYGlp187
初心者向けに書いておくぞ
2ちゃんのときからそうだが、どうでもいい誤字脱字への突っ込みやらレスした人への人格批判し出したら「僕基地外です」だからなw >>763
これは、>>758と同一人物
カス(チンカス)は自分が潰されたら糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞などの架空人物を盾にして vsチンカスの構想にしてしまい、チンカス自らは傍観者のフリをしてその架空人物を攻撃する。
時には チンカス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者のふりして、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、みんな を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
しばらく相手にされないと
空想人物 糖質スコア自慢君が他スレに出現していると嘘をつき、関心を引き寄せる60歳が間近な チンカスおっさん
更に隔離スレで完敗したら他のスレで挑発する
世にも不気味で迷惑な老人 ギレリス最期の来日、チケットあったに
新入社員の僕は先輩に強く誘われて飲み会に。
翌年だったがギレリス急逝でナマで聞けず仕舞い。
風の便りで、その時の先輩も鬼籍に入られたとか 1993年3月 ウィーンで ”ジークフリート”新演出 クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮で出かけたら アントニオ・パッパーノがウィーン・デビューして大喝采だった。 未だに、アルゲリッチとクレーメルが25年前に日本で行ったコンサートの
アンコールの曲目がわからないでいる。
来年、日本では久しぶりの同じ組み合わせでその曲は判明するのであろうか? C・デイヴィス/SKDのブラームスに酔いしれたのは確か92年だったか…。 >>768
ありがとうございます。ルクーではなかったです。
10分程度のアップテンポの曲。www やっぱりフェドセーエフ/モスクワのチャイ5の後にアンコールで演奏された「レスギンカ」でしょ。
信じられないテンポで、それもチャイ5という大曲の後に…
言い古された喩えだけど「やっぱり食っている物が違うのかなぁ…」と後で思った。
あの時のサモイロフさん、後々まで「スネアのおじさん」って呼ばれるわけだからさ。 ローマ教皇が来日したが、
前回来日したとき、同じ日に教皇の来た教会でオルガンコンサートがあった。(世界的に名の通った人)
飾りつけがそのままにされていて、雰囲気が伝わってきた。
教会関係者に聞いた話では、コンサートをやるとき、オルガンの調整や演奏者の準備が大仕事とのこと。
よくまあ、教皇の来た日にコンサートが出来たもんだ、と、今になって思う。
なお、当日はその年の最低気温を記録した。
コンサート中も、ものすごく寒かったのを覚えている。 14-15才の頃
千葉のプロの小オーケストラが生まれて初めて聴いた
生オーケストラだった。(名前失念)
家族の影響でクラシック好きな変な子供だったが、
会場に入ったら、まだ聴衆もほぼ居ないところで「ティンパニ」が調音してたけど
その響きを聴いて「お〜〜〜〜〜っ」っと感動したのを
もの凄く覚えている。 横浜にチェリ読響を聴きに行った。
前半にロニー・ロゴフというベルク専門みたいな人が
そのコンチェルトを弾いた。確かに驚く程透明な音で
流石にチェリが連れて来るだけのことはあると思った。
後半はブラ4だったか。 学生の頃、この前亡くなったヤンソンス指揮レニングラード・フィルを
サントリーホールで聞いた。
ショスタコーヴィチ5番がメインの日。
名演だった。 俺が最初に聴いたヤンソンスはムラがドタキャンでその
ピンチヒッターの時 入場と同時に数千円の払戻があった
会場は三軒茶屋でプロはタコ6チャイ5だったか 77年6月21日 新宿の厚生年金会館でのシフラの演奏会
ショパン 即興曲 Op39, Op36, Op51, Op66(幻想即興曲)
ワルツ Op34-2, Op42, Op64-1(子犬), Op64-2
スケルツォ2番
ソナタ2番
休憩
リスト エステ荘の噴水
愛の夢3番
ハンガリア狂詩曲2番
最初は例によってチンタラ弾いてる感じだったが、だんだん興が乗ってきた感じ。
スケルツォ、ソナタではかなり濃い表現。そして休憩後の十八番のリストはすばらしかった!
というか、すごかった!
エステ荘の噴水のキラキラとして音色の美しさ。愛の夢の情感纏綿たる歌いまわし、
ハンガリア狂詩曲第2番は、白熱の火の玉のぶっ飛び演奏!ピアノを聴いてあれほど
興奮したことは空前にして絶後。カデンツァの直前、右手が2秒位の間に3オクターヴ
駆け上がる部分では、身体が意識しないのに前後に激しく動いてしまった。
聴衆の反応も凄まじかった。自分の教養を誇りとする人は顔をしかめるのだろうが、
俺にとっては生涯忘れられない演奏会のひとつ。
シフラ、ピアノ好きにはたまらないよ! 私もそれ聴きました
確かチケットは4000円だったと記憶している >>780
この時の来日の別の演奏会の模様は民放FMで流されたが、ショパンのワルツばかり延々とチンタラ弾いてたので、
これがあの爆演で有名なシフラなのかとガッカリしたのを記憶してる
なんでこんな曲を選ぶんだろう、それとももはやこの人は過去の人でこんな曲しか弾けないのかと思ってたら、
アンコールのエステ荘の噴水で度肝を抜かれた エステ荘の噴水はアンコールではありません
>>780に曲目を書いておきましたよ・笑 77年当時、クラシックのコンサートとでそれなりのホールと言えば東京では文化会館と日比谷公会堂くらいしかなく
新宿文化センターはその2年後、サントリーは9年待たなければならなかった
内田光子でさえ70年代は丸の内の科学技術館でリサイタルや公開レッスンをやっていた時代 >>783
だからさ、別の日の演奏会だと書いてるでしょ? >>784
77年頃と言えば我が国最高のクラシック対応ホールは大阪フェスティバルホールだった。
なんせ58年に我が国唯一の国際音楽祭(大阪国際フェスティバルを開催する為に造られた=ザルツブルク音楽祭と同格の国際フェスティバル協会参加)を開催する為だけのホールだったからね。 >>785
日付、分かりますか?ぜひ知りたいので。お願いします。 >>788
この時(77年)のシフラの来日プログラムは独奏が2種類。協奏曲が1種類。招聘は神原音楽事務所。
協奏曲はグリーグとリスト2番。
独奏会のプロBは>>780に書いたとおり。プロAは以下のとおり:
ショパン 幻想曲Op49, 練習曲「牧童」、Op10-10、「別れの曲」、「革命」、「黒鍵」、Op10-4
幻想ポロネーズ、ポロネーズ「英雄」 休憩
リスト 即興円舞曲
ラヴェル 水の戯れ
リスト スペイン狂詩曲
日程と場所とプログラムは
6/21東京:B 24名古屋:B 27札幌:A 30東京:A 7/4水戸:A
8大阪:協奏曲 11金沢:B 14宮崎:B 18松山:B 22浜松:A 25東京:協奏曲
これ以外に演奏会があったのでしょうか?
前半がショパンのワルツで、アンコールがエステ荘の噴水?
>>782の「この時の来日の別の演奏会」ってよく分かりません。
>>780で書いた演奏会はFMで放送されたました(放送でも聴きました。自分の拍手が入っているんだなぁと思いながら)。 90年頃、東京文化会館できいたフランス•クリダのリサイタル
当時女リスト弾きと言われた彼女、演奏中に熱演のあまり(?)意識を失って椅子から転げ落ちた
当然、場内はざわついてすぐにスタッフに運ばれ退場…
このまま中止になるのかと思いきや、暫くするとクリダにこやかに登場、演奏を再開して全ブログラムを弾ききった
そのプロ根性にあっぱれ >>790
恥ずかしながら俺もそうなったことある
調子よくてもっとイケると調子こいて飛ばしすぎたんだな
休憩前の曲だったから何とかバレず(たぶん)にフラつきながら袖まで戻ったけど休憩時間中
ずっとひっくり返ってたわw
クリダさんもその日はたぶんノッたんじゃないかな 良い日のを聴けてうらやましいな 790ですが
倒れたあと招聘元の社長さんがステージに出てきてその説明によると
(クリダは)こういうことが時々あるのであまり驚かれませんように、とのことでしたが
そりゃこちらは驚きますよね
物凄い勢いで椅子から転げ落ちたのですから。
会場がざわついてスタッフが駆け寄る中、「動かさないで!」という声が客席から上がったのを覚えています。
その時に弾いていたのはリストのハンガリア狂詩曲(何番か忘れましたが)で後半のフリスカに入って盛り上がりそろそろエンディングというときでした。 いったん倒れて再登場
ジェームズ・ブラウンみたいな芸だな ウィッグ(カツラ)を被っていて演奏中その中の方まで
ハンカチで汗を拭っていた記憶が 妻と行った古澤巌かな。
だいぶ前で、ベルリンとの共演だった。
演奏は素晴らしかったけど、ご高齢のマダムの圧が凄かった。
ご自分でダンティーとうたってるからなぁ。 1980年のベームのフィガロですね ベームの指揮もさることながらホップやヤノビッツ、バルツァなどそうそうたるキャストでしたし、とても感激しました >>799
あれは私もエアチェックして愛聴した。
まだ中学生だったかな。懐かしいわ。 >>795
招聘元の社長は、たしかハゲモトでしたかしら? >>800
エア・チェックか懐かしいな。あのフィガロは確かFMで生中継されたと思う。学校から帰って待ち構えて録音した。 このスレには人見キモオタの成れの果てが4匹ほどいそうですねwww >>802
甲子園目指して野球漬けの高校生だったオレ
貯めた小遣いで売れ残っていたサロメを伊勢丹のプレイガイドで買った
学ラン着た坊主頭のオレは3階席で観た
あの巨大なNホールが割れんばかりの音響で満たされたのに驚いた
これもFM放送された記憶があるが >>10
終演後沈黙が数十秒続いたやつだな
あれほどに印象に残ったものはない
途中寝てたが アルバンベルクの、曲はなんだったかなあ
空中に周波数が見えた気がした >>807
今から40年以上も前の演奏会の曲目知ってるからとマウント取る爺 >>810
老化防止に使うのは悪くないんじゃない? >>799
この来日公演が放送されるということで当時高価だったビデオデッキを買った
人が続出したといわれるくらい話題になりましたな。DVD化されてその感動を
今でも味わえるのはありがたい。 バブルを経験したのは幸せな事だったよね
居ながらにして世界中の巨匠達が目の前で・・・・
聴きに行くというよりカリスマを観に行くという感じが強かったな
本当に幸せな時代だった チョット遅れて産まれてきた人はバブルの
恩恵も被らず 就職もままならず 気の毒としか言いようが無い 俺もライヴで観たけどNHKで放送された物はDVDに焼いて今だに時々観る
あれは本当に楽しかったし俺の音楽生活に大きな影響を与えた >>810
記憶が不確かなのは仕方がない
が、それにしては態度がデケェンだよな
>>789 のように証拠を示されたんだから謙虚に発言したらどうなんだ
そういうところに人間性が表れるってもんだ >>3
第九はFMで生中継したのを覚えてる
アンコールがハレルヤコーラスだった
ご質、教育テレビでやってたけど時間が合わなくて見れなかった
まだ録画機器が高価な時代 1986年10月17日
サントリーホールオープニングシリーズ
マーラー交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
指揮:若杉弘
ソプラノ:ルチア・ポップ
ソプラノ:豊田喜代美
ソプラノ:佐藤しのぶ
アルト:白井光子
アルト:伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
合唱:東京芸術大学音楽学部
合唱:東京放送児童合唱団
オーケストラ:東京都交響楽団
首都東京に初めて誕生したクラシック専用ホールに
鳴り響く宇宙規模のスペクタクルに大感激した良き思ひ出 >>823
その直前、サントリーホールのオープン前のまだ音響テストの段階で、山田一雄指揮の新交響楽団がマーラー8番のゲネプロにサントリーホールを使った
声楽陣は豊田喜代美のみが共通してる
オレはその時コーラスで参加し、なんてホールなんだと感激したものです
なんといってもこのホールが完成して最初にまともな音楽を奏でる場に参加できたのですから
ちなみに本番は東京文化会館でした いつだったか、某地方都市でベルリン弦楽合奏団の演奏を聴いた。
アンコール1曲目が確かモーツァルトのK.138の第三楽章、2曲目が第二楽章。
当然第一楽章も聴けると期待したが、そこで拍手が止んでしまった。
楽員もがっかりしたことだろう。
その某地方都市とは、鈴木某がバイオリン教室を開き、
小澤某が音楽祭を挙行している音楽文化都市なのだが。 何でわざわざ某都市ってぼかすんだ?
意味ねぇーじゃん ザイフェルトとルチアポップは夫婦だったな
懐かしい! 中学の頃バッハのパルティータ第1番を初めて聴いたのは
兄貴が友達から借りてきたジャック ルーシェの演奏だった
第2番はスイングルシンガース 平均律一巻の変ホ長調は
スイッチト オン バッハだった どれもとても聴き易くて
素晴らしかったが原曲がどうしても聴きたいと思ったのが
入り口だったんだな 今から思えば、昭和女子大人見記念講堂に、ベーム/ウィーンフィルや、
クライバー/バイエルンとか、ホロヴィッツとか海外の名だたる名手が演奏会を
頻繁にやっていたことを考えると当時、東京にはホールが無かったんだなぁ、
としみじみ考えてしまう。よく人見記念講堂に聴きにいったけれど。 スイトナー/SKBの人見公園に行ったら
なんと
ベト7
未完成
ウィリアム・テル序曲の順番でやってました。
楽器編成の逆行 >>830
カラヤンベルリンフィルは人見を使わなかったの? >>830
あっちこっち消防法の検査で、使えない時期が重なった
>>834
普門館は五千人入るが音響がとても良いからカラヤンが好んだんだ。 NHKが意地悪してNHKホールをつかわせなかったから普門館になった >>838
カラヤン ベルリンフィルは
NHKホール使ってたけど! 普門館は豊かな響きの出るホールじゃない、ブラバン甲子園やってたときは爆音演奏が幅をきかせてた
でも録音には向いてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています