【クラシックの迷宮】 片山杜秀 7 【パンドラの箱】
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>>469
グールドを自宅に呼べた金持ちなんて実在するの? >>470
王侯貴族持ち出したのそっちやろ?
王侯貴族みたいに音楽家を自宅に侍らせられない時点で
お前の論だとお前はダメだね
なんでCDで王様気取りなんだよw >>471
もちろんダメダメだよ、CDなんかじゃ
でもコンサートで学生みたいに座って横に香水臭い婆や、せき込む爺の間で身を縮めて聞くよりはマシってだけだよ
日本のホールのチャチで狭い椅子に身長189の俺が座るだけで体痛くなるんだから
こんなんだったら家のオーディオでCD聞いたほうが100倍マシ なんだ、身長高い自慢したいだけかw
海外にでも引っ越せよw 総身に知恵が回りかねた腰痛大男のひねり出した屁理屈かw
家でちまちまCD聞いててなーにが王侯貴族じゃいw 日本人男性の平均身長は170.7cm。
男性の平均身長が世界で最も高い国はボスニア・ヘルツェゴビナで、183.9cm。
http://www.averageheight.co/average-male-height-by-country
自称身長189cmのID:nADaAvCaは、たとえボスニア・ヘルツェゴビナに引っ越しても、
椅子の小ささに文句を言うんだろうな…。 自分が生の演奏会に合わないからって、
演奏会に行く人を「理由が分からん、なにか間違ってる」と思うのがおかしい
周りの客やイスのことより、生の音楽で得られるものがずっと大きいと思う人がいっぱいいて、
そういう人が演奏会を楽しんでると思えばいいだけのこと
それぞれ感覚も体の大きさも違うのに、自分の基準をすべての人に当てはめてどうする >>475
たとえば小学生用の椅子で数時間座ってること考えてみろよ
海外はどこも中学生用の椅子くらいのイメージ、これなら我慢できるよ
座面が低すぎるから高さだけ合わせようとクッション持ち込むと、座高がさらに増えるからできないし
こっちはできるだけ猫背にしてても後ろの客から見えないとクレームがきたり >>478
だってイメージでしか説明しようがないだろ、座面の高さだけの問題じゃないから、ひじ掛けの位置が低いやつ変に痛かったりする イスが窮屈なのは背が高いせいじゃなくてデブだからだろw >>476と>>480に対しては、ID:nADaAvCaは何も反論できないようなので、
今日はこのお二人が優勝となります。
デブは今頃、自宅でこの画面を見ながら涙を流しているんだろうなあ。
お気に入りのCDをかけていても耳に入らないくらいに…。 >>476の意見はわかるけど
デブではないぞ、90キロ超えたこと人生で一度もないし今も82キロとか内臓脂肪は高いけど
大学のころラフマニノフ聴きに行ったときも後ろの婆さん連中が見えないとか陰口あえて聞こえるようにいわれたことあるわ
ラフマニノフは199センチあったって知らないのかね それがどうして、他の人が演奏会を楽しむことが「なにか間違ってる」ことにつながるのか
自分が楽しめないから他の人も楽しむなというなら、それは単なるわがままな言いがかりだ >>483
なにか間違ってるっていったのはバッハについてだけだぞ
バッハをモダンピアノで弾くっていうのもバッハの想定を超えすぎてるのに、それを巨大なホールで縮こまって聞くっていうのがおかしいって話だよ
流石にピリオド楽器を用意しろとは言わないけどバッハって教会で聞くか逆にもっと小規模で聞くもんだろうっていうのは心から思う
教会音楽はともかく19世紀前半かそれ以前の作曲家をホールで聴くっていうのはなにか違う気がする 作品は発表された瞬間に作曲家の手を離れているんですよ >>484
CDで聞かれることを想定してたのCDが出て以降の作曲家だけやろw >>486
録音装置は演奏自体に直接介入しないじゃん
そもそも論だけど、弦楽器や管楽器に書かれた譜面を打楽器で弾いてるほうが変な話だろ
ハープの曲を木琴で弾いてるようなもんだよ ハープの曲を木琴で弾いたって別に良いだろ
むしろ面白そうだ
「編曲」とか「アレンジ」ってものを一切認められないなんて可哀想だな そもそも論だとそもそも楽器指定されてない曲とか
通奏低音とか昔の楽譜はかなりアバウトやぞ
それになんで「録音再生は別」扱いしてんだ?
なんやねんその勝手設定はw >>488
そのあたらしい楽器に合わせてアレンジ編曲すればいいけど、そのまま弾いてるからいってるんだよ
>>489
指定もなにも未来の楽器を想定してバッハが譜面かけるわけないだろ
というかいまはいろんな古楽器も性能の良いレプリカができてきてるんだからまずはそれがベースになるべきじゃないの? 自宅謹慎だからね、みんな心が荒んじゃうよね…
片山さんの動画でもみよ?
https://youtu.be/rZp85EYKN5g その“性能の良いレプリカ”とやらの音も、
作曲家が当時意図したどおりの音を出せてるとは限らんよなw そもそも作曲家が意図したのは「生演奏を聞くこと」だろw
作曲家の意図ガーと言いながら生演奏聞く意味ねーよとか
もう言うことがメッチャクチャw
なんで腰痛で演奏会行けないことを
そこまで全く筋の通らない矛盾だらけの屁理屈で
正当化したいわけ?
演奏云々より自分の精神状態を見直しなよ
なんでそんなに精神的勝利したいのかじっくり考えな >>494
>そもそも作曲家が意図したのは「生演奏を聞くこと」だろw
そうか?
まずは「どんな形でもいいから聞いてほしい」だろ?
そっから先は気にしちゃいまい >>494
せめてチェンバロならチェンバロの生演奏っていう理屈ならわかるけど、モダンピアノの生演奏なんてバッハが夢にも考えてなかっただろ
だったらもう極端な話モダンピアノの音よりそのへんのチェンバロ音源のMIDIのほうがまだバッハの想定には近いんじゃないか?
俺が言いたいのはホールにいってモダンピアノ聞いてもいいけど、行ってみればバッハの時代からみれば邪道も邪道なんだから
ホールのスタインウェイを聴くっていうのも邪道だし、CDで聴くっていうのも邪道なんだから
同じ邪道ならまだラクに聞ける邪道のほうが良い邪道だろって話だよ そう考えるとヴァイオリンてすごいよな古楽器が現役なんだから
チェンバロやオルガンと今のピアノが違うのは音の強弱はそうだけどダンパーと3本のペダルじゃないかね
あれのおかげでレガートが自由自在になって倍音の少ないきれいな音だけのこして複雑な和音が濁らず聞こえるようになった
でもペダルも踏み方次第でそれこそグールドみたいにペダルを最小限にしたり、アシュケナージみたいに踏み方工夫してポロポロ歯切れよく引いてくってこともできる グールドは作品によってはものすごい複雑なペダリングをするぞ、ノンレガートといってもレガートペダルを踏まないわけでもないし、作品による
レガートの有無やペダリングに異常な拘りがあったのは確かだと思うけど
まあ天才って言われてるピアニストのペダリングはたいてい皆複雑でしょ、逆に言えばピアノは馬鹿が押してもいい音が出るからペダル以外でそこまで差がつけられない 今週の週刊新潮でコロナで収入激減した演奏家への対策として、
例えば国策で山田耕筰全曲録音せよなどと書いている。
要するに自分の主務なんじゃないか、というより復興利権に1枚噛むつもりなのだろうかピアニカ野郎。 国策で音楽やって日本でいい方向に転がったことなんかあるか??
管楽器を使うときの飛沫やエアロゾルすごそうだし、音楽家補助ならせめて給付金形式にすべきだろ >>502
ドイツだかオーストリアだか忘れたが
管楽器の飛ばすエアロゾルの実験やってた
ほとんど飛び散らなかった模様 >>505
バンベルク交響楽がやった実験。
ダブルロードの木管も金管も、気流の動きはほとんど見えず。
Bamberger Symphoniker: Wissenschaftler messen Aerosolausstoß
6.05.2020, 00:51 Uhr
https://www.br.de/nachrichten/bayern/bamberger-symphoniker-wissenschaftler-messen-aerosolausstoss,Ry6T6OU?UTM_Name=Web-Share&UTM_Source=Link&UTM_Medium=Link 戦争責任云々はおいておくとして、仮に山田耕筰全曲録音やったとして演奏家の何割に仕事与えられるのかね 特番といっても2017 2018 2019 収録の音の悪い東京ジャズの再放送 片山先生の知識はすごいとおもうけど、片山先生がいうほど日本人作曲家ってすごいものなのかね?
伊福部はさすがにすごいとおもうけど、ほかは何度きいてもあんまりいいと思える日本人作曲家っていないだよな
『鬼子の歌』とか読んでいろいろ聞いてみてもやっぱりわからない
俺の耳が馬鹿だからなのかな 6/6 男声四重唱の楽しみ
6/13ベートーヴェンの「悲愴」
6/20わたしの試聴室
6/27中山悌一の「ドン・ジョヴァンニ」&木下保の「タンホイザー」 >>515
>>405にある5月の放送予定分はすっ飛ばされるのか、
それとも>>515は5月がこのようなことになる前の予定なのか https://youtu.be/uJZ8mm0T_8c
後半あがった
>>514
確かに、片山さんは誇張的に(それこそ鬼子の歌とかで)述べてるところは多くあると思う。で、実際たいしたことない作品も多いと思う。
芥川や伊福部にしても映画音楽なんかは、そんな何回も聴くもんじゃないな、と思うものも多いし、
菅原明朗の明石海峡とか、金井喜久子の琉球舞踊組曲とか、スリーシェルズの細々した作品集とか、私も良さがよくわからん。
ただ、じゃあ良くないなら無視していいかっていうのは違くて、
例えばコルンゴルトとかシュルホフとかウルマンとか、ナチスが退廃音楽とした作曲家や、
ポポフとかモソロフとかルーリエとか、ロシアンアヴァンギャルドの作曲家って、
良い悪いは別として意図的に歴史から削除された音楽だと思う。
日本人の戦前の作曲家はまさにそういう人たちだし、地方にも省みられない人たちはいるかもしれないし、そういう人たちを「聞くほどのものじゃないから残らない」といって片付けるのは、嘘の歴史を伝えてることになる。
良い悪いか別として、まず評価の対象に上げることが大事なのだと、片山さんは思ってるのではないか、と思う。
だから逆に、514みたいに「ある程度聞いたけど、やっぱそんなに好きじゃない」という人が出てきたのは、ある種幸せなことなのかもしれない。 オーケストラのレパートリーを増やすためにも日本人作曲家の作品を蘇演したり再評価するのは意義あることだと思うけどね >>517-518
「ムーブメント」な人たちが「非モダーン」「非シーリアス」と決めつけて抹殺しまくったからな・・ NHKの収録した古関 裕而のオペラ発掘してくれないものか >>517
ロシアアヴァンギャルドとかは歴史的に常に参照され続けてるじゃん
新しいCD無くても常に歴史とともに忘れられない位置にいる
けど、日本の作曲家はそういう歴史に対する理念と特異性みたいなものがよくわからないんだよな
伊福部はアイヌ民族の影響と敗戦と放射線障害からの半世紀遅れの原始主義みたいな点で後世も語られるだろうけど
あるいは金井喜久子は琉球民族の音楽とかそういう重要性はわかるけど
他の作曲家はそれこそ片山先生がいうような歴史を知るための道具としてのクラシックとしても価値がよくわからない作曲家が多い気がする 確かにクラシック音楽全体の歴史とクオリティを考えれば、明治以降西洋音楽のまねごとから始まった、
極東の日本のクラシック畑の作曲家たちの作品は、それは虚心坦懐に聴いてみるとレベル的にどーなのよ、
と思う作品が多いのは事実だと思う。
山田耕筰の初期のピアノ作品なんか、それはもう稚拙というかなんというか。
でも、イギリスの人たちが異様に英国人作曲家達に愛着を覚えるように、自分もこれらの稚拙な
作品に何故か愛着を覚える。
そういうレベルから抜け出ている作品と言えば、戦前ではやはり伊福部のオーケストラ作品、橋本国彦の歌曲ぐらいかな
これが戦後世代になると、武満、間宮、湯浅など、俄然西洋作曲家に引けをとらない作品書く人が出てくる感じになる。 >>514
鬼子の歌読んでというが、たとえば三善晃は物凄いレベルの作曲家だと思う
何故か国際的な評価はいまいちかもしれないのが気にかかるが、彼のシャープな感性と完璧な技術は武満にも引けを取らない >522
>でも、イギリスの人たちが異様に英国人作曲家達に愛着を覚えるように
英国だけでなくかつてのフランスやドイツも自国の作曲家を育ててきたんだよ。 >>514
>片山先生がいうほど日本人作曲家ってすごいものなのかね?
これは直球の質問。片山さんも喜ぶんではないかな。
世界音楽史上で発想や技術が評価される人はいると思うけど
日本的な素材をうまく導入して、時代にあった作風で成功された人や
ケージ以来の前衛運動に乗っかって有名になった人、
映画の音楽でこそ真価を発揮する人とか(早坂、佐藤勝とか)もいる。
>>523
対位法などの技術はないけど、発想というか個性で評価されたのが武満でしょ。
あとプロモーション。オーケストレーションの職人芸はあるけど。
三善はパリ仕込みの技術と感性はすばらしいけど、海外へのインパクトがイマイチだった?
間宮さんとかなら、日本のバルトークみたいなアピールがしやすいから残るかも。
三木稔のオペラとかも、海外では評価というか注目されたりする。
伊福部もだけど、日本民族楽派のような作風では、国内ではずっと評価されなかったよね。
片山さんは再評価の功労者。 日本人作曲家といや
2006年に東京文化会館で「日本オペラ絵巻」というのがあって
片山せんせも企画で参加してた >>523
三善晃の響紋とか、こんなこといったら悪いかもしれないけど凄いダサいとおもうんだよな
作曲技術はすごくても戦争で死んだ子供がわらべ歌をうたってるっていうありきたりなロマンティックに耐えられなかった
それにやっぱり日本だけじゃなくてロシアアヴァンギャルドもそこまで凄いことはやってないとおもうんだよな
モソロフの鉄工所なんかもテーマがありきたりすぎるし、ストラヴィンスキー以後のいかにもな前衛風の音楽って感じで
ロシアアヴァンギャルドなんて絵画なんかだともっと顕著だけど実際にはブルジョア芸術のアヴァンギャルドを再包装しただけってかんじで
ナチス関係の作曲家については全然聞いたことないからなんとも言えないけど
やっぱり歴史に残らない音楽っていうのは主題がダサいんだとおもんだよな >>525
なんか輸入品舶来品って感じがどこまで行っても抜けないんだよな
伊福部とかは主題が歴史の芯をとらえてるし、本人の人生にも沿ってるからすごいと思うけど
そもそも日本はお寺の読経もそうだけどモノフォニーの国なんだよ、そこに対位法や和声を導入するには理論が必要なんだと思う
伊福部の場合、仏教以前の古代日本とアイヌ民族や騎馬民族だとかのイメージを重ねてってポリフォニーを導入する意味が出てきたんじゃないかと、いい加減な推測だけど、思うんだよな
日本民族ってやった場合能や狂言に勝てるわけがないんだから、異民族を導入しないといけないのにみんな先祖返りみたいな日本主義に戻ってっちゃって、
なんで日本で多声、和声のクラシックをやるのかっていう必然性というかレゾンデートルが無いきがするんだよな 伊福部はやはり戦前からの日本では特別な存在なんだろうね
全くの独学で、あれだけ独自の技術と感性でオーケストラを操ってるってのはね
彼の技術は三善の技術とは全く異なっていて、音響に対する科学的アプローチからきてる とりあえずここらへんにいる人たちが伊福部に関しては熱くなるのは分かったwww 静かで流動的な武満は苦手だけど
激しく律動的な三善は結構好きだな >>531
三善はヨーロッパ的な音楽を作る分にはすごいけど
ひとたび日本的なものを作ろうとするとものすごくダサいと思う
『縄文土偶』なんかもそうだけど、アイヌや中国や朝鮮みたいなものと縄文とを無媒介に日本語で歌えるっていうセンスが信じられない
伊福部は現代日本語の形成が縄文語とはえんもゆかりもないっていう事実をふまえつつ、モスラの歌なんかも徹底的に意味不明だったわけじゃん
三善の曲で日本語の歌詞が出てくるともうおれは聞いてられなくなる モスラの歌じゃなくて『聖なる泉──モスラの旅立ち』か
あと意味不明歌詞といえば『キングコング対ゴジラのテーマ』かな >>532
三善の男声合唱曲「王孫不帰」ってのを知ってる?
あれは謡の要素を取り入れてるけど、刀でぶった切られるようなシャープな魅力があるよ。
あれをダサいとはとても言えない。 >>530
確かに、これだけ色々と日本の作曲家に異なる意見があるのに、伊福部だけはみんな高評価でぶれないね ところで>>522にも少し書いたけど、戦前では橋本国彦はちょっと抜けた存在だったと思う
彼の昭和初期の歌曲はフランス的ではあるが、表現主義的なところもあったりして、しかも
日本語の特徴をよくクラシックの技法とマッチさせてるように思う。
ピアノのパートもとても饒舌だし、かっこいい。
戦後まもなく亡くなってしまったのは惜しい。 >>534
漢詩がベースになると異民族とのポリフォニーの必然性が出てくるのはわかる
俺が聞いてられないのは純日本的なわらべ歌とか祭りとか縄文とかをモチーフにした曲なんだ
日本の古代や特に縄文を現代日本語が無媒介につながってるっていう感覚が絶対に受け入れられない
さっきも書いたように日本語の形成には朝鮮半島にあった複数の民族やアイヌの媒介があって話し言葉ができて、さ
らに書き言葉ができたのは朝鮮から漢文学が伝わって以降だから
漢文をベースに中性以降のことを描く分のは受け入れられる >>537
表現主義はそのままロシアアヴァンギャルドにつながるからすごい革命前夜の風が吹いてる感じがする
戦後にすごかったのは伊福部は別として早坂文雄だと思う
日本的なものとヨーロッパ的なものがけんかせずあいまいに同居してる感じとかほかの作曲家には無いと思う
結局戦後日本のトップの作曲家は映画音楽に飲み込まれちゃったって感じがあるな
まあ金になるのはそれだからしょうがないんだろうけど >>538
それはちょっとストイックな聴き方かなあ
たとえば間宮のコンポジションみたいなのはどうなの? ロシアンアヴァンギャルドだと、ロスラヴェツはいいなあ
スクリャービンのさらに先に行っちゃった音楽というか >>540
あれはバルトークがやってた民謡の採集みたいなもんじゃいのかな、全部を聞いたことが無いからわからないけど
でも日本の民謡って胡風なものが好まれたから決して純日本的でもないと思う
すくなくとも現代に採集できる民謡はここ数百年の新しいものだし、中国から十二律が入ってきて初めて成立するのものだから
十二律が入ってくる前の日本人の音階がどうなってたのかは誰もわからないし、
識字階級が10%超えた中世以前はほとんど現代日本語とは無縁の言葉を日本ではしゃべられてたかわからない
民謡がちゃんと十二律に乗ってるって時点で民衆が楽器に触れる機会が増えた中性以降のメロディだろうし縄文にいきなり飛躍するのとは違うと思う >>542
間宮さんはNHKの民謡録音を採譜したり、自分で旅行したりして
まさにバルトークがやったことをなぞってるけど、
素材をうまくポリフォニックに処理したのが並の作曲家と異なる。
>>534
三善さんの「王孫不帰」は声のオブジェみたいな異色作だけど
たくさん合唱曲のほとんどはアマチュアを意識した様式で、ちょっと違うかな。
片山氏がブレイクするまえ『赤毛のアン』のテーマの魅力を力説するのを聞いたことあるw
あれは現代合唱曲の手法でアニメソングを書いてしまった稀有な例。
片山センセのすごいのは、ほかの評論家がスルーしていた合唱や映画音楽や放送音楽も
もれなくカヴァーして、しかるべき文脈で整理して見せたところ。 >>543
ああいうポリフォニーが可能なのはいろんな地域の民謡を徹底的に勉強したからかもね
三善みたいに標準語を使って日本人の文化をひとくくりにするようなことをしないで徹底的に国民国家成立以前の諸地域の音色を研究したからこそあれができるんじゃないかな >>536
伊福部は、いきなりチェレプニン賞もらってからも
生涯を通じてほんとブレなかったし、作曲界の日本代表にはふさわしいわな。
武満は、自分でもフーガなんて書けないって言ってるように
作曲家の基本であるポリフォニーの訓練を放棄して
ソナタ形式とか興味ないのか、まーた三部形式ですかって曲ばっか書いて
アレグロとも無縁で、保守派に「音楽以前」とか評される作風を曲げず
「弱み」を極めて、世界のどこにもないような音楽を書いてしまった感じ?
あと黛かな、世界のなかでもオリジナルだってのは。
近藤譲もか。細川より評価低いとしたら不可解。
プロモーションとか人脈とか政治力の問題なんだろな。 >>544
間宮さんは芸大入るまで独学だったそうだから
伊福部、武満とおなじくアカデミズムに染まらずにすんだのでは。
ポリフォニーといっても、なんというか奇想天外な展開なんだよね。
1950年代末に掛け声とか使っちゃう曲ってあんまりなかったろうし
『合唱のためのインヴェンション』は端正だったけど。
三善の日本民謡はアカデミズムのなせるわざ。
黛の曲は基本お経のまんま、武満の『風の馬』は国籍不明。
合唱でほんとうにオリジナルなのは林光かもですが。 >>545
三声以上の対位法を身に着けるにはも結局教会の少年合唱団みたいなのにいないと難しいのかね
日本にはパレストリーナもモンテベルディもいないんだから日本人作曲家がポリフォニーに弱いのはしょうがない気がする
対位法だけじゃなくて3拍子も日本人は苦手な気がする
結局クラシックの基礎はルネサンスの教会音楽なんだなとおもって超えられない壁を感じる
まあ伊福部とかなんなくその壁をこえる天才もいるんだけど >>546
ピアノかヴァイオリンの訓練しかしないとポリフォニーが苦手になるんじゃないかな
ポリフォニーって結局人間の声を楽器がやってるようなもんでパレストリーナとモンテベルディで頂点を極める教会音楽の手法だもん
それが美しく聞こえるだめにはやっぱり石造りの天井の高いカテドラルの中で自分が歌うから身につくんだと思うな
日本人の作曲家っていったらピアノかヴァイオリンを狭い部屋で稽古して、ピアノの音を聞いてソルフェージュやってるんだから、アカデミックにやってポリフォニーが身につくと思えない
むしろ、少年時代楽器なんかやらずに子供同士で歌ってたほうがよほどポリフォニーの感覚が身につくような気がする >>537
もし可能であれば橋本が、フランス的である証左の作品とか教えていただきたいです。 >>545
>近藤譲もか。細川より評価低いとしたら不可解。
細川を高く評価するのが半可通みたいな風潮なんなん >>542
コンポジションその他間宮の合唱曲にはわらべ歌からとられたものもあるので>>540を問うてみたんです >>547
対位法は和声以上に独学が難しくて、間宮さんみたいのは例外なんでは。
上達するには、ふつういい先生に添削してもらわないといけないし
禁則はあるけど「正解」の範囲は広いし、経験とセンスが出ちゃう。
合唱の経験は、歌いやすい、歌って映える書きかたには有用でしょうね。
東京芸大では、フランス派の池内門下も、ドイツ派の諸井門下も、
日本民謡みたいな素材を扱いあぐねていたというか、使うと破門される感じ?
なので、伊福部がいなかったらほんとにアカデミズムの牙城で終わってたかも。 >>553
池内門下で思い出したが、矢代秋雄も忘れてはならないな
あの人こそ三善以上にアカデミズムを極めた人だけど、作品も好きだな
あとかなり違う意味で天才だと思うのは八村義夫かな
皆さん早くして亡くなられたが >>549
>>537じゃなないけど
まあ影響受けた範囲で言えば表現主義ならドイツというかウィーンが中心だけど、橋本がフランスっぽいっていうのは分かる
象徴主義って神智学とかと密接に結びついたドイツ的な神秘主義と関係があるけど、橋本はもっとのどかだからフランス的っていう気持ちは少しわかる >>554
そう、矢代秋雄の和声や対位法の答案もすごい美しいんだそうで
一般の鑑賞できるかたちにアレンジしてくれないかなぁ。
ただ、こういうタイプは「日本の」作曲家としては、やはりアピールしにくいのかも。
>>550
近藤譲は、細川と同等には評価されるべきなんではってこと。
片山センセはなんと言ってるのかな、このふたりについて? 藤倉大は、海外にいるので成功したのか
最初から海外に出るような人だから成功したのか
日本にずっといたならどうだったのか >>552
わらべ歌っていってもあれは電車だなんだってもう完全に西欧化された子供のうたを綺麗なポリフォニーのなかに保存しただけでしょ
純日本的な方向とはまったく違う
こどもの歌なんて最先端の事件とかなんでもうたにしてはやし立てるものなのに
響紋なんて『かごめかごめ』だもん。文部省唱歌じゃないんだから >>553
これは全く俺の偏見で根拠はないんだけど、よくできたポリフォニーってどんな楽器つかっても人間の歌声叫び声に聞こえるんだよな
モンテヴェルディからヴィヴァルディへの飛躍って鍵盤楽器と弦楽器をメインで協奏曲をつくるってとこだろうけど、ヴィヴァルディくらいまではやっぱりヴァイオリンは人間の声の替わりだったきがするんだよな
フーガが人間の声の域から脱するのってバッハからのような気がするんだよな、結局あれはパイプオルガンの普及のためだと思うんだよな
ストラヴィンスキーがパイプオルガンを「呼吸をしない怪物」っていったけど
逆に言えばストラヴィンスキーからみればそれ以前の楽器はヴァイオリンでさえ呼吸に相当するようなものがあるとおもってたからだと思うんだよな
やっぱりそれを体感するには自分でいい声出して歌うことと、合唱でみんなで声だすことでしか体得できない気がするんだよ >>560
おれは純粋すぎるから嫌い
こどもってそんな純粋なもんじゃないとおもう >>562
では、その前のレクイエムはどう?
関係ないけどあの曲の全音のヴォーカルスコアのピアノ編曲って、新垣隆なんだよね >>557
>近藤譲は、細川と同等には評価されるべきなんではってこと。
なるほど。そういう方向ですね。
>>558
細川もだけど、欧米語のいずれかが達者で、嫌らしい意味で自己宣伝というのではなく
自分はこういう人ですというアピールが出来るというのは、あちらで認められ活躍するのには非常に大きなファクターになっている
器楽奏者でももちろんそう >>555
そうだ、諸井三郎は芸大では教えてなかった、というか音楽で教鞭をとってないか?
矢代秋雄や團伊玖磨も師事してるんで錯覚してもうた。
本人も弟子の柴田南雄、入野義朗、戸田邦雄もみんな東大なんだな。 >>563
レクイエムって題名で思い出せなくて焦ったけどyoutubeで探したら聞いたことはあった
そんくらいこの曲はいい加減にしか聞いてないというか歌詞もまともにみたことないからなんともいえない
けど、どうしてもこのこの曲調に標準語で歌詞を付けられるとアレルギー反応みたいなのがでるんだよな
たぶん東京の人間だから普段つかってる言葉で絶対しゃべらないような芝居がかった台詞をいうからだと思う
とはいえこの曲は歌詞もまともにみたこともないからなんともいえない >>566
響紋はあれだけ詳しそうなのに、レクイエムほとんど知らないとはとても意外でした >>565
諸井三郎さんのもう亡くなってしまった息子さんと少し知り合いだったけど、あそこはお金持ちだからわざわざ教鞭をとる必然性もなかったのかもね
息子さんが亡くなられる前にお父さんのこと失礼は承知でもきいておけばよかったな。とても温和で、休日には自分で家の草むしりをされてるような方だった >>564
>自分はこういう人ですというアピールが出来る
たしかに。日本人はこれが苦手。
いまでは藤倉大がすごくうまくやってる。
細川さんは、おなじベルリン留学の石井眞木とイメージが重なるかも。
興業主、いやプロモーター的な素質というか。
近藤さんは哲学者、修行僧みたいな印象で、そっちのほうが好きなもんで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています