ブルーノ・ワルターPart8
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モーツァルトのレクイエムはステレオで残さなかったのが残念
1956年、NYPOとの録音が素晴らしかったためによけい惜しまれる なんでバイロイトに戦後はともかく、戦前に登場しなかったの >>692
モーツァルトイヤーだった1956年には
デッカならすでにステレオ移行してたからね
俺も惜しいと思ってるよ デッカじゃなくとも、RCAもキャピトルも1956にはステレオ録音をしていた
コロムビアが遅かっただけ 1956年からバーンスタイン/ニューヨークでメサイアをステレオで録ってたろ デッカもRCAも54年のアイテム無かったか
55年なら普通にステレオで録ってるだろ
56にあったよな では遅いだろ >>698
あれステレオだったな
ワルターが春で、メサイアが秋だから、夏にステレオを開始ってことか
>699
1954年にステレオ始めたレーベルは多い
DGは1957年開始のはず マウント取られたのが悔しくて得意の草生やしをしてみたんだね コロムビア響とはコンサートをやらなかったのかな
あくまでスタジオ録音用のみのオケだったのか 一旦引退したところに「あなた専用のオケ用意するから全レパートリーをステレオで録りましょう」って口説かれて引っ張り出されたんでしょ?
この辺トスカニーニ&NBC響と似た話だけど当初は録音&放送専門ではあっても常設ではあったNBC響と違ってコロンビア響は中心メンバーはある程度固定されてたようだけど皆他にお仕事持ってた臨時編成のオケだし
結局コンサートもバリバリやりだして20年以上現役生活が伸びたトスカニーニと違ってワルターは10年持たなかったし
基本地元(カリフォルニア)ではコンサートはしないで体調がいいときに何度か東海岸orヨーロッパに遠征して(その地の常設オケで)コンサートもやったってことだったんじゃないの? 現役を引退して悠々自適な隠居生活を望んでいたけど
ステレオという文明を目のあたりにして考えが変わったということか ニューヨークの冬は寒いと聞くし、
大地の歌がNYPだったのもソリストを西海岸まで呼ぶ金がなかったからか。
そう考えるとフランチェスカッティ、フルニエはよく来てくれた 初のステレオがNYPOとの復活、2月の寒い時期に録音されて
翌年にロスでベト全を一気に完成させたんだよな
その頃はまだ体力があった >>703
ロスフィルのコンサートが実質上それに当たる
>>705
娘に遺産をできるだけ多く残してやるため
ステレオに興味は全くなかった
しかし始めると強いやりがいを持った
>>706
関係ない
NYPの定期で演奏したついでの録音だ 娘は亭主に殺されたんだろ、うそをつくなよバカ野郎
ショックのあまり
その日予定されてたコンサートを指揮することができなくなってしまったんだ
それをみかねたトスカニーニが代役をかって出て事無きで済んだんだ
少しは勉強しろよ、知ったかぶりのうぬぼれ野郎! >>709
また凄まじいバカが出てきたな
それは長女のグレーテル
次女のロッテは1970年まで生きたんだよ ロスへ移住したのに未完成と大地の歌のときにはNYに戻って録音してる
その意味が分からん いわゆるコロンビア響は東海岸の臨時編成オケで西海岸録音でコロンビア響の表示がある録音はニューヨークフィルの変名って話じゃなかった?
テクニックうんぬんとかもあるだろうけど東海岸のコロンビア響とニューヨークフィルの違いとしては編成の大きさが大きかったんじゃないかな東海岸のは50人くらい? >>709
またお前か トスカニーニ・スレのフェイク野郎 ID:3b0IE1S8
人の悪口しか書き込めない低能ヤロー
トスカニーニスレでも発狂していやがるキチガイw >>695
ワグナー家は反ユダヤだからでしょ
ヴィニフレートなんて外国人なのに
ナチそのものでヒットラー万歳 フィデリオ全曲録音も予定に入っていた
歌手たちはどうするつもりだったのか バンスタの60年のミサソレムニスは本当はワルターで録音する予定だったのだろうか コーホーの名著「ブルーノ・ワルター レコードによる演奏の歩み」
じつに内容の充実した書籍だ 感激して何度もくりかえし読んだ 日本コロムビアからCBSソニーになってからのレコード盤は質が落ちたね >>722
両者の音質の違いは?
できれば米CBS盤との違いも知りたい >>724
テンポが遅すぎることがなぜ『時代遅れ』なのかロジカルに説明してくれるかな。『遅すぎる』は何と比べてどのくらい遅いのか教えてくれるかな。あなた自身の主観的すなわち客観的根拠の薄い暴言なら返事がなくてもよくあることだですませることが出来るが、ロジカルな説明が出来るのなら是非聞いてみたい。 わかりました、ご指導多謝。
>>724
またおまえか。 このスレにはシナ畜もいるのか
チョンコだけでうんざりしてるのに >>730
永遠にうんざりし続ける運命なんだよお前は。そう言う病を得たことから逃れようとしても無駄。どこに行こうが誰に会おうが、うんざりする以外の道がない、うんざりしてないときのお前はお前ではない。他の霊が一時的にお前に憑依しただけ、かなり怖い。 >724
クレンペラーの運命が大好きな俺としては、
ワルターの運命はそこまで遅く感じないのだが…。
むしろもっと遅く演奏してくれたほうが良い。 >>732
クラシック音楽の理解とは、お前が思っているのとは全く別のものだから安心しな、一生話が噛み合わないのはお前の理解のほうだ。ほらほら、永遠のうんざりサイクルの中でおとなしく眠りなさい、他人から見たら病気なんだから。 コーホーはワルターのワーグナーをまったく評価しなかった コロムビア響とのワーグナーを初めて聞いた時
なんて明るい音だと感じた
いかにもアメリカ的なワーグナーだった またお前か
シベリウスは冷たいと言いながら沈んでいったコテハンくん >>741
アメリカ的 どういう意味 よく使われているけど だいたい 根拠無し 空虚 個人の思い込み ブラインドテストで当てられない程度 いやはや アメリカのしかも少人数のオケにドイツ的な音は出せない >>746
アメリカのしかも少人数のオケの演奏で、ドイツ的な音が出ていない = アメリカ的なワーグナー この等式が成り立つめでたさに感服いたします やっぱクラシック音楽評論家、雑誌、ライナーノーツ、罪深いよ そもそも、ドイツ的ってなんなのさ
その決定因子は、オケよりも、むしろ指揮者だと、
経験上、確信を持って言えるけどな
オケにあらず、指揮者だよ ワルターもよくCSOのような貧弱なオケで我慢したよな
NYPOのようなオケならもっと素晴らしい結果が残せたのに
3曲しか残せなかったのがじつに惜しい >>752
なら聴かなければよい。ただのうすっぺらな評論家の口まねか? コロムビア響は室内オケみたいなもんだった
大オーケストラ独特の迫力がまったくない >>756
録音での感想ですか。オケの性能を録音で決めつけてもねぇ。あ、宣伝売文評論家の口まねか。 少人数のオケだったから各楽器の分離もはっきりと聞き取れたメリットはある >>760
ブラームス全集が音楽的に成功しているのはそれだな
作曲当時の編成に近い >>756
>コロムビア響は室内オケみたいなもん
一周回って、再評価だぬ >762
今となってはむしろ、
あの時代なのに最小編なのが1番の売りになっているからなあ。
あの時代なら他に似たのが無いぞ。 マーラー9番はNYPOと録音すべきだった
復活、大地の歌をやったんだから
小オーケストラのコロムビア響では物足りない >>765
タイムマシン作って、ワルターとプロデューサーに直接交渉してこいや。ここで愚痴っててもしょうがないだろ。そんなことも解らないのか❗ それは尻ませんでした
ここは役に立つインターネッツですね 確かに
俺もワルターがSP時代にモツレクの録音残しててエリザベート・シューマンがソプラノ歌ってるなんて全然知らなかったぜ マーラー生誕100年祭でウイーンへ戻ったときの録音が残っているんだね
しかし残念ながらモノラル音源のみ マーラー生誕100年祭、1960年のライヴはコーホーが「枯れた演奏」だと低評価した 37年のレクイエムはワルターが販売を許可しなかった。
NYPとのドイツレクイエムも販売を許可しなかった ワルキューレを第1幕しか残さなかった原因はなんだ? 知らんけど、もう亡命が見えてた時期の録音だよねえ。
それこそ下さい軍靴の音画がしてる時期だから、
ドイツのユダヤ人指揮者が録音続けるの難しかったんじゃないの? >それこそ下さい軍靴の音画がしてる
意味がわからん。 幻想交響曲はワルターが唯一のフランス音楽を指揮した貴重な音源だ >>782
ドビュッシー :「海」、ラヴェル : 左手のためのピアノ協奏曲 などのライブ録音も残ってるんだけど、、、。
もっとよく調べてから書き込んでくれよな。 コーホーはSP時代の田園、ブラ3、アイネクライネ、軍隊を高評価している。 >>785
で、君はどう思うの?コーホーの言いなり? コーホーはブラームス交響曲はNYフィルとのものを絶賛している
ステレオの録音があまりにも不出来だったせいもあるが 功芳の権威に依拠しないと何一つ自分の意見は言えない
かわいそうな人と思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています