ムソルグスキーについて語ろうそのA
歌手さえいればまた上演できるよ
問題はいつ終息するかという事と、それまでにムソルグスキーが地位を保っていられるかだ
ようやく最近ホヴァンシチナもオペラハウスのレパートリーとして定着し始めた頃だったのに クーベリックにはボリスの演奏歴があるわけで、
グラモフォンあたりが、スタジオ録音してくれてたらなー、
と残念に思う DGGはスラヴオペラに関心が低い印象 海賊盤を堂々と貼らないで
5ちゃんで言っても仕方のない事だけれど フリッチャイのボリスって存在しているのだろうか?
音楽性が似ているヨッフムやクーベリックはあるよね
後何でもやるヤルヴィ父やハイティンクが実は手をつけていない 未完 「サランボー」の巫女たちの合唱って名曲じゃない?
アバドの録音聴いて結構感動した。 >>43
良い曲だよね
彼の合唱と管弦楽のための作品なら自分は「イェホーシュア(ヨシュア)」が一番すこ
単独ではアバドは録音していないけれど、
ボリスやホヴァンシチナに含まれる男声や女声合唱も狂おしい程愛している >>44
ムソルグスキーに関しては展覧会の絵と、禿山の一夜くらいしか知らんにわかなもんでして。貴方は中々の通っぽいですね。
彼の和声様式が私が1番好きなスクリャービンに通じる所があるので、聴き込んでみようと思いました。 >>45
自分はただモデストを愛するだけの者ですよ
スレにおいでくださってありがとうございます
どんどんムソルグスキーの沼にはまってくだしゃれ……
https://www.youtube.com/watch?v=P5ROs6YRbGw ボリスより「さて門閥貴族の皆さま、投票と参りましょう」
https://www.youtube.com/watch?v=FXq06hStRUo ホヴァンシチナより「川のほとりの草原で、私は夜を過ごした」
ボリスとホヴァンシチナより
男声合唱と女声合唱の名シーン置いておきますね >>45
それぞれラヴェルがオーケストラにしたバージョンとリムスキー=コルサコフが編曲したバージョンでムソルグスキーのオリジナルは聴いたことなかったりする人? >>47
流石にそれは聴いてますよ。禿山の一夜に関しては原典版の方が優れていると思います。 今日も仕事から帰ってきてご飯を食べたらムソルグスキーを聴く日々 このスレ展覧会の絵スレと違って初心者お断り感があるな 絵スレは作品については全く語れずどの指揮者がいいだのオケがいいだのしか語ってない印象 オケ版はラヴェルの編曲だから、どのオケがとかいうのは本筋じゃないよな、ここでは。 ホヴァンシチナって真夏のお話なんだよね
勝手に冬のイメージを抱いていたけれど ゴリーツィン公の夏の離宮に住みたい
迷路みたいな御殿とか面白そう イヴァン公の
「我が御殿で何の危険があるというのだ?」というセリフ妙に好き ホヴァンシチナの話ばかりしていると単曲スレ立てるぞ 過疎スレをさらに分けて過疎スレ作っても
ゴキブリの餌になるだけ このスレの話題がなくなるよ
禿山とホヴァンシチナと歌曲しか残っていないよ >>78
何という事だ……
老衰ではなくコロナによる死なのが悲C オペラボックス出るのに話題になってないね
このスレの人たちなら全員全部持っているか https://www.youtube.com/watch?v=4kEzapUpsE8
マルガリトフのショスタコーヴィチ版ホヴァンシチナ
上演されたのはブルガリアのソフィアかな? オボーリンの日本録音の展覧会の絵がCD化されたので聴いてみた。 ムソルグスキーが台本を書いている事もあるけれど
ホヴァンシチナのテクストってボリスよりずっと率直で素直だよね ボリスやホヴァンシチナをいつになったら聴けるのかな >>98
ラザレフのホヴァンシチナをお聴きになった方かな
正教徒の魂を知りやがって、許さんぞ!(羨ましいぞ) ラザレフと言えばショスタコーヴィチの「ステパン・ラージンの処刑」流れちゃったね
ホヴァンシチナやボリスからの影響が明瞭なショスタコーヴィチの傑作の一つなのに 猫(オス)飼うことになったんだけど、「ボリス」って名前は不吉かな?「ヴァクラ」も候補なんだけど。 第一幕のイヴァン大公「ご機嫌麗しゅう、マルファよ」
第二幕のマルファ「まるで迷宮のような御殿ですのね、大公様」
〃イヴァン大公「取次もなしに失礼いたしますぞ、大公よ!」
第四幕のゴリーツィン公の使者「ゴリーツィン公より遣わされました、
ホヴァンスキー大公よ、御身に危機が迫っておりまする!」
・イヴァン大公は息子を通じてマルファと旧知で
彼女に向かって丁寧な言葉遣いをしているのでマルファは身分の高い女性
・ゴリーツィン大公とマルファは面識の有無は定かではないが、
少なくとも彼がそれまでにマルファを屋敷まで招いた事はなかった
・G公の迷宮のような屋敷で迷わないので、
H公は以前からG公の屋敷に頻繁に出入りしていた事が窺える
・取次無しに他人の屋敷に入ってくるH公と違って
G公は窮地の時でも使者を立てているので貴族の礼儀は心得ている
こういうちょっとしたセリフにも人間関係が窺えるのがホヴァンシチナの醍醐味 ドビュッシーの聖セバスティアヌスの殉教に展覧会の絵そっくりのフレーズが出てきて草生える 今月のレコ芸記事で推されてた
ムソルグスキーのオペラもの全集
立ち読みだったんでうろ覚えだが
Profilだが多分これです
https://tower.jp/article/feature_item/2021/06/02/1104
Profil『ムソルグスキー:歌劇全集』(17枚組)
〜ゴロワノフをはじめ大半がメロディア音源による1946-1963年のボリショイ劇場黄金期の名演が収録!
https://cdfront.tower.jp/~/media/Images/Tol/pc/article/feature_item/Classical/2021/06/02_1104_01.jpg プーシキンの原作とボリスの台本
この違いをつまびらかにできたら論文が書けそうだなあ マリーナは「美しいが冷ややかで人形のような人」と称される美人だから
お世辞にも美人とは言えない歌手が彼女を演じているのを見ると生暖かい気分になる もうヨーロッパでは彼女が登場する1872年版or折衷版は殆どしないけどね。 愛しのサヴィシナ
聴いていると悲しくなってくる曲だ ○ちゃんと作曲家が完成させていれば立派な作品になっただろうに https://www.youtube.com/watch?v=YK1AS6aY4nw
何故アバドがパラノイアと揶揄されるほどムソルグスキーにこだわったのか考えてみた
フェニーチェのショスタコーヴィチ版ボリスもそうだけど
イタリア人は母国の作曲家の作品以外では何故かムソルグスキーのオペラを異常に好む
彼の作品にドン・カルロの匂いがするのと
赤い国だったからよく考えてみると当然なんだけど 禿山の一夜
単独だと名曲だけどオペラの中に唐突にぶち込まれているのを見ると
明らかに没ネタ救済である事が分かってくるしくなる ホヴァンシチナはいいオペラだけど
ムソルグスキーのオリキャラ(メアリー・スー)が一番活躍するのがなあ
史劇のお約束だけど ゴリーツィン公が一番情けない役になっている
メタ的に読めば彼はドイツで教育を受けたドイツかぶれなので
ドイツ楽壇に浮かれていた当時のロシア楽壇を批判する構図になっているのだけれど 君の鬱陶しい独り言のおかげで、ムソルグスキーを嫌いになりそう。 過疎スレで話題を提供してくれているだけに思うが
>鬱陶しい独り言
ってもっと長文を何連投もするような奴だろ 126(125?)が有難いっていうより
ただでさえ過疎板、過疎スレなのに普通の書き込みに変な言いがかりをつけて雰囲気悪くする奴の方が鬱陶しいし迷惑なんだよ ゴリツィン公は第4幕にアリアでもあればもっといい役になれたのにね