1985年をもって,日本の通信市場は、自由競争の時代に突入した。

それまでは国内通信は、日本電信電話公社によって,
国際通信は、KDDによって独占されていたが,
新規事業者による通信事業への参入が可能になったのだ。

電電公社は、民営化され,4月1日に株式会社となった。これが日本電信電話(NTT)である。
NTTの初代社長には、電電公社の総裁を務めていた真藤恒氏が就任した。

民営化時点のNTTは,31万3600人もの従業員を抱える “マンモス企業” だった。
初年度の売り上げは、5兆1340億円だったという。

三つの法案が、通信自由化を主導。この年の6月には、NTTの独占体制に風穴を開けるべく,
新興の通信事業者が相次いで産声を上げている。第二電電(DDI)や日本高速通信(テレウェイ),
日本テレコムなど,異業種を母体あるいはバックに持つ事業者が,
第一種通信事業者として免許を獲得したのだ。

彼らは、新規通信事業者(NCC:new common carrier)と呼ばれ,
以後NTTとの間で通信サービスの料金競争を繰り広げていく。

こうした通信自由化を主導した法案は三つあった。

(1)NTTの企業活動を規定した「日本電信電話株式会社法」(NTT法),
(2)電気通信事業の枠組みを定めた「電気通信事業法」(事業法),
(3)「関係法律の整備等に関する整備法」である。

これらはまとめて「電気通信改革3法」と呼ばれ,1984年12月に可決・成立した。
この法律が施行された4月に,通信自由化が、スタートし,NTTが発足したのである。

(1)のNTT法は施行から5年以内の見直しを,(2)の事業法は3年以内に見直しを,
それぞれ盛り込んだ上で成立した。特にNTT法は,NTTの分割問題について
90年3月までに、結論を出すという内容を,成立当初から織り込んだものとなっていた。