細川さんあたりが「異化」(たしかロシアの演劇論から出た術語)とかいう言葉を口にしていかにもまあたらしい音楽が生み出されつつあるとバブル崩壊前みんな思ってたけど,結局は聴衆に意外性でインパクトを与えようとしただけだった。
ラッヘンマンとかファニホーリスペクトの若手が同じことやっちまったらちっとも新しくもなんともない。
細川氏自信近作では当然技術は手馴れた感じになっているが,駒の向こうや微分音の衝撃音が同時に鳴ったり,線的な流れが上下に音色の変化を追うみたいな過去作でやったことの繰り返しにしか聴こえない。
優等な作品だけど「もういいよ」な感じがする。
西村さんあたりもそろそろ同じことの繰り返しになりつつあって,ご自身脱却したいようなことを時々口にされてるけど本質的には同じだと思う。
武満は一貫して自分のサウンドを持ってたけどなくなるまで「同じじゃん」って文句言いたくなることはなかった。
オケのアルペッジョでまたかというような部分はあるにせよ。
スペクトル楽派がいまいちワカラナイ。
というかある音響の倍音を分析することとゴンドワナ海峡が割れること(ミュライユ「ゴンドワナ」)が繋がるのか。
何か怪しい。
ある評論家はスペクトル楽派は科学的だから良いと言ったそうだ。
が,マッキントッシュ上の暗い遊びが果たして科学なのか,ましてや音楽なのかすら疑わしい。