【訃報】作曲家の冨田勲さん死去 [無断転載禁止]©2ch.net
シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者、作曲家の冨田勲(とみた・いさお)さんが5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。
1932年東京生まれ。慶応大在学中、朝日新聞社主催の合唱コンクール課題曲に応募し、1位となったことがきっかけで作曲の道へ。
NHK大河ドラマの第1回「花の生涯」のほか、「新日本紀行」「きょうの料理」のテーマなどを作曲。
漫画家の手塚治虫からの信頼が厚く、「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などのアニメ主題歌も担当した。山田洋次監督「武士の一分」「母べえ」など映画音楽にも貢献した。
71年、米国でモーグ・シンセサイザーを購入。74年、全パートの演奏と録音を1人で手がけたアルバム「月の光」を発表し、米音楽チャート誌のクラシック部門で1位に輝いた。
その後も「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」といったクラシックの名曲を現代的な響きで「再創造」。
たびたび米グラミー賞にノミネートされ、世界的な電子音楽制作者の地位を確立した。12年には宮沢賢治に想を得た「イーハトーヴ交響曲」を発表、ボーカロイドの初音ミクとオーケストラを共演させ、話題を集めた。
03年に映画「たそがれ清兵衛」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞。07年には電子音楽への長年の功績を評価され、第1回エレクトロニクス・アーツ浜松賞が贈られた。
11年度朝日賞、15年度の国際交流基金賞受賞。
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160508000800_comm.jpg
http://www.asahi.com/articles/ASJ58019HJ57UCLV00T.html
2016年5月8日13時08分 ああ、このままだと天守物語を見ずに一生が終わってしまうな。 天守物語の時間が夜遅くだったので、見に行ったら戻ってこれないからあきらめた。
都内などでやってほしいな。 冨田勲『惑星』180g 半透明ピンク・カラーLP シリアル・ナンバー入り500枚限定盤
https://tower.jp/article/feature_item/2023/06/02/1111
どうやらCD-4(4chサウンド)ではないらしい。 CD-4対応のアナログオーディオシステムの完動品って今世の中に何セットくらい残ってるのかしら。 CD-4は特許切れているだろうから、チャイナあたりでコピー品を作らないかな。
だけれどもいまは5.1chのデジタルとかあるから、CD4の円盤を再生しなきゃ
ならない場合にしか用がないだろうね。 NHK Eテレ 『古典芸能への招待』 2023年6月25日(日) 21:00〜23:30 「天守物語」
https://www.isaotomita.jp/information/66 うたのおねえさん編:眞理ヨシコさん
初代・うたのおねえさん、眞理ヨシコさんが語る! 『おかあさんといっしょ』秘話
NHKアーカイブス
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010377 機体に穴があき、酸素不足で地球へ必死に戻ろうとする感じが描かれています。
イヤフォンで聴くと切羽詰まった感じと迫力がわかると思います。
//youtu.be/oWs3yvVADVg 冨田勲、『源氏物語幻想交響絵巻(Orchestra recording version)』
ステレオ&Dolby Atmos版配信開始
2023.6.21 270はほんとはURLがあるのだけれども、それをここに書き込もうとしても
システムがはじいてしまって不可能なのだ。訳のわからないことだ。
3回程度書き込みを繰り返そうとすると、しばらく何も書き込むことが
できないモードに送られてしまうのだ。なぜだめなのかを理由を告げないから
わけがわからないのだ。 Wikipediaには莫大な作品、仕事量の記述があるけれども、実に驚くべきことだな。
出自が放送作家だったこともあって時間との闘いを続けてたんだろうか。
モノフォニックのシンセサイザーを音作りから初めてマルチトラックテープに
1小節分ずつ音を重ねていくような気の遠くなるような作業は普通の人間には
耐えられないものだったはず。アナログ時代の巨人。 お酒をたくさん飲まなければもっと長生きできたかもしれない。惜しいことだ。
酒は百害あって一利なし。 YOASOBI「アイドル」世界1位 YouTube楽曲ランキング
https://www.asahi.com/articles/ASR7D6KB7R7DUCVL03P.html
時代はもはやレコードやCDの売り上げ枚数を握手券で稼ぐ時代では
なくなった。RCAも死んだし、レコード芸術も滅びた。
今のメインストリームはストリーミング再生によるネット音楽だ。 「上を向いて歩こう」全米トップから60年 ヒットのきっかけ…リスナーがラジオ局に持ち込んで
2023/07/22
https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230721-OYT8T50044/
| 坂本九の代表曲「上を向いて歩こう」が1963年に
| 全米シングルチャート1位を獲得してから60年を迎えた。
| 節目の年を記念し、ボックスセットが発売されている。
| 今も日本人音楽家では唯一という快挙を改めて検証する。
|(編集委員 西田浩)
今もスキヤキが唯一なのかは?だけれども、
かつては日本人の音楽が欧米でヒットするのは極めて稀だった。
このスキヤキの
|一方、米国での成功は偶発的な要素が強い。
|カリフォルニアのラジオ局が、リスナーから
|持ち込まれた「上を向いて――」を63年春先
|にかけたところリクエストがうなぎ登りに増えた
|という。
というのは、一般リスナーからのリクエストに見せかけて、
販売工作としての仕掛けだったのだろうと思う。たしか
そんな噂話を何かで読んだ記憶があるが、真相は如何に? いくら力技に持ち込もうが
駄作なら当たらない
仮に一時は当たっても残らない >>277-278
とはいえ、「上を向いて歩こう」はたしかに名曲だけど、1960年前後の日本の流行歌には他にも名曲は数あるよねえ。
六八コンビの曲だけで見ても「黒い花びら」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」など。
そこで「上を向て歩こう」だけがSukiyakiとして世界でヒットした理由は何だろう。
……ところで、なんで冨田勲スレでこの話を? 記事は、今も日本人音楽家では唯一、といっているけれども、
冨田勲だってグラミー賞のクラシック部門で1位とってたりするんだよ。 フルート奏者峰岸壮一さん死去 国際コンクール審査やテレビでも活躍
2023年7月28日
https://www.asahi.com/articles/ASR7X5JM7R7XULZU001.html
同じクラスの人も亡くなられてしまう。 >>281
ただ、グラミーでは最優秀アルバム、最優秀シングル、最優秀作詞作曲、最優秀新人の主要4部門がやはり別格で、
その他の分野・部門ごとに細かく用意されている各賞とは大きく差がある。
で、日本人音楽家がこの主要4部門を受章したことは未だない。
というか、冨田勲はグラミーのさまざまな部門で複数ノミネートされてるけど、結局一位受賞したことはなかったような。 このアルバムの発売の翌年('75)日本人として初めて"Album of the Year"他、グラミー賞の4部門にノミネートされた事で話題を集めたが、アメリカにおけるレコード・セールス上、もっとも実質的な意味を持つNARM(National Association Of RecordMerchandiserers 全米レコード販売者協会)の'74年度最優秀クラシカル・レコードに選ばれるという栄誉にも輝いた。
その後「展覧会の絵」('75年度NARM同部門最優秀レコード2年連続受賞、'75年度日本レコード大賞・企画賞受賞ビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第一位を獲得)、「火の鳥」と、立て続けにヒットをとばし世界に於けるトミタの名前を不動のものとした。彼の音楽は、クラシック・ファンのみならず、幅広い層から支持されロック・ミュージシャンの間でも彼の名は神格化されるようになった。
「惑星」以後、「宇宙幻想」「バミューダ・トライアングル」と、2作のスペース・ミュージックが発表されたが、「惑星」と合わせて、宇宙を素材とするスペース・サウンドの3部作を構成している。中でも「バミューダ・トライアングル」は、今まで以上にオリジナル性を持たせている事もさることながら、左右の広がりのみならず、音の上下への方向も意識してミキシングされた画期的なアルバムになり、翌年のグラミー賞 "Best Engineered Recording"に2度目のノミネートとなった。
これらの宇宙3部作の後、'79年に「ダフニスとクロエ」を発表したが、これは第1作のドピッシーに見られた幻想的で煌めくような色彩美に、より一層磨きをかけたもので、聴き手をファンタスティックな幻想の世界へ導いてくれた。この年、彼は今までの全ての功績に対して米コンテンポラリー・キーボード誌の読者投票により“ベスト・スタジオ・シンセシスト”に選ばれている。'83年に発表した「大峡谷」は、彼にとっても3度目になるグラミー賞のノミネートを受け、国際的評価を確立した。 シーケンサーの本格的な導入によって、正確に刻まれたテンポとタイミングになってからは、
なんだか単調で面白くなくなった印象がある。アナログのムーグから、後の時代の非アナログの
シンセサイザーになったら、製作は各段に楽になったろうが、なんだかお手軽音楽っぽくなった
という印象があった。いろいろあってRCA のLPからCDシリーズになった最後の頃の
バッハファンタジーとか大峡谷とかは、あまり好きになれなかった。
シンセのアルバムで一番好きなものは、と云われたら月の光だろうな。 三井不動産、愛知県岡崎市に大規模アウトレットモール計画…25年秋の開業目指す
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230817-OYT1T50120/
あのあたりにも開発の魔の手が寄ってきて、地域の風景が一変してしまいそうだね。
1985年頃岡崎城を観に行ったときには、周囲の建物はまるで大正時代のような雰囲気だった。 音響の技術は着実に進化しつつある。いまや、音源が仮想の空間に貼り付けられて、
それらからの音が聞こえるかのように音場を近似して再生するようにスピーカーを
駆動する技術が開発され実用化されつつあるようだ。
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本田雅一のAVTrends
第216回“ステレオ”から“空間オーディオ”へ。変わるオーディオ機器の基準
本田 雅一
2023年8月17日
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/avt/1520686.html 生成AIに楽譜をつくらせる挑戦 最初は「出番ゼロ」になる楽器も…
https://www.asahi.com/articles/ASR8N5V2PR6YPLBJ004.html
アレンジャーの仕事が奪われそうだな。
それにしても、原曲を勝手にアレンジ、つまり
演奏のための構成を変えるとJASRACが文句いわないのかな?
オーケストラ曲をピアノ曲にあるいはその逆とか、
ピアノ曲をブラスバンドにとか。 Dolby Presents: The World Of Sound | Demo | Dolby Atmos | Dolby
https://www.youtube.com/watch?v=91BUM3WhCfo
Dolby Presents: "Universe" | Trailer | Dolby
https://www.youtube.com/watch?v=hesv-etwK_o
きっと Dolby Atmos のようなシステムが欲しかっただろうね。 はたして「きょうの料理」の初回放送時から
あのテーマ音楽が流れていたのだろうか?
その点がいまひとつはっきりしなかった。
番組が放送開始して、少したってから
テーマがついたという可能性は
ないだろうか? 冨田勲の自伝とかに書いてあった記憶があるが
明日からの新番組にテーマ曲が急遽必要になって
たまたまNHKのロビーにいた冨田がディレクターに頼まれて
その場で作曲して演奏家もその場にいる人で済ませたのではなかったか
wikipediaにもどうそんな感じの事が書いてあるな 伊集院光の百年ラヂオ
幻の鳥・ブッポウソウ!生態放送の歴史
https://www.nhk.jp/p/ijuin100r/rs/KZ1MQWYKVV/episode/re/21W4NW9QPY/
「鳳来寺山のブッポウソウ」やってた
作詞は珍しいんだってな
始まるなりイーハトーヴのあれかとオモタ なんだか寂れてるな。だんだんと伝説のミュージッシャンとして歴史とともに Isao Tomita, padre de la música electrónica
https://youtu.be/2e_33OW5YJo
生涯最後の最晩年のCM出演 vodaphone ,イタリア イタリアではなくて、言語はスペインらしい。
padre de la música electrónica とは
「電子音楽の父」ということらしい。
そのインタビュー動画が公開されたのは
ちょうどなくなったばかりの頃だったようだ。
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電子音楽の父、冨田勲
ダフト・パンクやモービーより前、マシュー・ハーバートより前、
クラフトワークよりもっと前に、冨田勲はいた。エレクトロニック・
ミュージックがフェスティバルを埋め尽くし、何百万ドルも稼ぐ
スターを生み出すはるか以前、クラシック音楽の教育を受けた
パイオニア精神溢れる日本人が、ウェンディ・カルロス(『時計じかけ
のオレンジ』や『シャイニング』など数々の映画のサウンドトラック
を手がけた作曲家)がロバート・ムーグの設計した最初のシンセサイザー
で行っていた実験に夢中になった。1960年代後半のロックンロールと
ヒッピームーブメントの絶頂期には、機械で遊んで音を発明するような
連中が活躍する余地はあまりなかったようだ。しかし、エレクトロニック・
ミュージックは大学の学部や芸術の隠れ家から飛び出し、その後の10年間
でその影響を広げ、あらゆるポピュラー音楽に浸透していった。 冨田勲は、その駆け出しの音楽シーンの主役の一人だった。シンセサイザー
に夢中になった後、彼はドビュッシーのクラシック曲をアレンジし始め、
1974年には、その後の電子音楽の進化を理解する上で重要な作品の
ひとつである「雪の華は舞う」を発表した。この作品にはテーマ
(アラベスク)が含まれていた。
この作品には、多くのスペイン人の子供時代のサウンドトラックの一部
であるトラック(Arabesque nº1)が含まれている。エレクトロニック・
ミュージックの最高傑作のひとつとされる『Snowflakes...』の誕生は
容易ではなかった。冨田は制作に16ヵ月を要したが、日本のレコード
会社に提出したところ、分類不能という理由で却下された。どうしたら
いいのかわからなかったのだ。しかし、自分の才能を確信していた日本
の作曲家はあきらめなかった。「とてもがっかりしたので、英語がほと
んど話せなかったにもかかわらず、ニューヨークへ行くことにした。
そこでRCAレコードのピーター・マンダースという人に会ったんです。
ピーターはとても感激して、私の作品を聴いたその日にリリースする
ことを決めてくれました」。 マンダースの嗅覚のおかげで、冨田は評価される作曲家になり、
実験を続けることができた。今日でも、多くの偉大な音楽家が
彼を参考文献のひとつとして挙げている。84歳という高齢にも
かかわらず、この日本人作曲家は今もなお活動を続け、新たな可能性を
追求している。
文:ホセ・L・アルバレス・セデナ
編集部注 作曲家の冨田勲氏が5月6日、心不全のため東京都内の病院で
死去したと、所属レコード会社の日本コロムビアが発表した。
彼の最後の公の場への登場は、2015年の国際交流基金生涯功労賞の贈呈
と重なった。 フジテレビの放送終了(?)時に流れた映像集(?)
JOCX-TV OPCL等
https://youtu.be/d5fLRNkHOBU
最初の頃のオーケストラバージョンも
なんだかオーケストレーションが
冨田勲っぽい気がするけれども、
テレビのCMって誰が何をしたって
あまり公にならないんだよね。 ちなみに冨田勲は「ピーター・マンベス」と発音してた。 最近はNHKも取り上げなくなった。没後数年は命日には短い紹介番組を早朝だかに流していた気がするが。 2016年5月5日子供の日に、冨田勲氏は生涯を終えられました。
最後の作品となるべき「ドクター・コッペリウス」は構想に留まり
完成させることはできませんでした。