ウチは戦前から街の電気屋さんやってたが
戦時中、終戦直後に営団地下鉄の整備員のひとが在庫の真空管を横流しでウチに売りに来てたよ
それで、自家製ラジオ作って、売ってたんだってさ
結構売れたらしい
その他の部品は秋葉原で仕入れてたそうだよ
フェライトバーにニクロム線を巻き付けるの子供らにやらせて量産してたらしい

鉄道用の真空管が使えるのか?って疑問あるけど、なんとかなるらしい

東京大空襲で地上部分の線路がダメになっても、整備場は頑丈なコンクリート造りなので焼け残ったからね