ゲーム理論って面白いの?
仁がむずい
一つの個人合理的利得構成xを考えて、許容提携を考えて、提携値から
その提携の配分の値の合計を引いたものについて、順に並べて、
別の個人合理的利得構成yについても同じことやって、
一番大きいもの通し比べて、xの時の方が、yの時より小さければxの
勝ち。それが等しければ2番目に大きいものについて勝ち負けを決める。
そんな風に辞書式に勝ち負けを決めて、もし
どんな個人合理的利得構成に対してもxが勝つなら、x を仁というという定義です。
でもこれは不満の一番小さいものを選んでるようなもので、
カーネルとかコアみたいな均衡といえるのか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
『ある第3セクターの経営する鉄道の試算で、「本鉄道の年間利用客は50万人なので、1人当たり100円の値上げを行えば年間5000万円の増収になる」
という類の報告書があった。値上げを行えば利用客が減るのは当然で、年間5000万円の増収にならないのは当然である。経済学では需要の価格弾力性
というものを使って、このような価格の上下に対する需要の増減を測る。ここまで誤った考え方はしなくても、現状が変化すれば現在のデータは変化するのだ
という考え方は、意外と認識されていない。』
などと著者は書いています。
この試算は「ここまで誤った考え方」などというほどおかしな考え方ではないと思います。
例えば、電気料金の値上げをしたからといって電力消費量が大幅に減るということはないと思います。
著者の考える経済学的に正しい試算をどのようにするのか知りませんが、5000万円の増収という予想よりも正解に近い試算になるのかどうか疑わしいと思います。
それに経済学的な考え方で試算するよりもAIに予測させたほうがいいはずです。
経済学の存在意義が分かりません。まして数理経済学の存在意義などあるのでしょうか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
p.125に「ファーストプライスオークションでは、セカンドプライスオークションのように弱支配でも「すべての」戦略を支配するような戦略は存在しない。」
などと書かれていますが、買い手1の1000円という戦略はすべての戦略を弱支配しています。 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
この本では、1000円で入札することを「1000円を入札する」などと書いています。
これは正しい日本語なのでしょうか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
ヤフオクなどの「セカンドプライスオークション」についても頓珍漢なことを書いています。
なんども入札を繰り返す入札者がいるというのが合理的でないと言っています:
「セカンドプライスオークションでは、評価額をしっかり見極めて、その評価額を入札することがどんな入札より悪くないというゲーム理論の含意を知れば、
このような入札行動は起きないのではないだろうか。」
イメージとして、入札数の非常に多いオークションは人気のあるオークションだから、高値で決まりそうだと考えて敬遠する人がいると思います。
これだけ入札があったのだから、既に正しい評価額に近い金額まで到達してしまっているのではないかという印象を持つ人も多いと思います。
バーゲンハンターはそのように見えるオークションを敬遠すると思います。
ですので、自分が落札したいオークションがあったとき、自分の評価額で1度だけ入札するのではなく、最低単位で何度も何度も入札を繰り返してせり上がっていく
という戦略をとる人もいるはずです。自分以外のすべての人が敬遠していなくなれば、自分の評価額よりも低い金額で落札することができる可能性もあります。 2ちゃんで言っても便所の落書きだし、本にするにしても「渡辺ゲームにツッコむ」では本として成立しないし難しいね つーか、これ単なる出来損ないの学部生が考えそうな「ゲーム理論批判」だろ
本人の頭の中では華麗にゲーム理論論破したつもりだけど周囲からは哂われているだけのパターン 仁ならばカーネルという命題の証明が難しかった。
誤植があったり、他の証明をみても、似たような証明については
簡単に書いているか、間違っているかしているんだろうな、と思った。
証明がかなり異なっているものについてはみなかった。 すべての基本的な結果の上に順序関係があること(推移律)
クジの間の選好関係(単調性)
クジと基本的な結果の間の選好関係(連続性)
クジのクジと普通のクジの間の選好関係
クジのクジと普通のクジの間の確率分布について
むずいね vnは議論をしてたけど、実質msが書いたんでしょ?
大昔なのにmsはすごいね。 A,B,C3人で羊羹をわける。すべての人が満足のいくようにしたい。
Aが三つに切る。
Bが1番大きいとおもうものを切って2番目のものに揃える。
Cが三つの中から好きなものを一つ選ぶ。
Bが次に選ぶ。
最後にAが好きなものを一つ選ぶ。
Cは好きなものを選べる最初の人だから一番好きなものを選べる。
Bは一番好きなものを二つ作ったので、一番好きなものを選べる。
Aは最初に三つ同じ大きさになるように三つ切ったので、どれをB, Cが
選んでも余裕で一番好きなものを選べるはずだ。
というのも間違いで、Aが三つ同じものを作ってもそのうち一つをCが
選び、Bが自分で切って揃えた方をとらずにもう一つのほうをとれば、
Aに残るのはBが切ったもので、これはもともとAが作った3つの一つ一つよりも
小さい。だからAだけが惨めだ。こうならないようにするには
Bが切ったならば、Bは切ったものを責任をもってとる、としないといけない。 じゃあ、A,B,C,Dの四人がいて、Aが4つにわけ、Bが一番好きなものを3つ作るように、
一番好きなものと2番目に好きなものを3番目にそろえる。
Cは一番好きなものを2つ作るように、一番好きなものを2番目にすきなものに
そろえる。
D, C, B, Aの順に選ぶとする。Dは問題ない。Cも問題ない。Bも問題ない。
だけど、Bは二つに手を入れているかもしれず、そのうちの一つを
責任をもってとるだけだ。具体的には、Dがひとつとり、
Cが一つに手をいれてそれをとり、
Bが二つに手を入れてそのうちの一つをとると、
Aにのこされたものは、Bの手が入っているものかもしれない。
だとすればAは惨めになってしまう。
このように自分で手を入れたものを責任をもって引き受けない
人がいれば、最後の人が不幸になってしまうのだ。
じゃあどうすればいいだろう?Aは5つに羊羹をわければいい。
そして4人が選んだ後、一つ羊羹が残ってしまうが、
それは冷蔵庫にいれてこっそり後で食べればいい。 冷蔵庫にいれてこっそりというのをやれるならもとからお互い公平になるように
わけるなんて考える必要もないから、ゴミ箱に捨てると考えた方がいいかも
しれない。切れ端がいくつかでるし、5等分の一つは確実に捨てなければならない。
この捨てる羊羹は公平を保つための社会的コストだ。公平の価格だと経済学
ならいうのかもしれない。どうでもいいことだ。 公平分割はちょっと離れすぎか。もうちょっとゲームやりたい。 入門書読んだ印象では、
フォンノイマンが一番なんだろうけど、
次にシャプレー
オーマン
タッカー
ずっと離れて
ナッシュ
という感じかな。 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
6.4 【発展】 マキシミニ戦略とミニマックス値を求める
の説明がおかしいですね。
プレイヤー1は混合戦略を考えているのに、プレイヤー2のほうは純粋戦略です。
プレイヤー2の戦略は純粋戦略のみ考えればいいということを言わないと駄目ですよね。 マキシミンとミニマックスの値が等しいつまり、確定的な解がある場合は、
それでもいいのでは?マクシミンの上限はミニマックス値だし、ミニマックス値の
下限はマクシミン値だから このミニマックス定理こそがゲーム理論の始まりで、そして線形不等式論や
凸解析の始まりをももたらすすごい発見だった、らしい i_0,j_0が鞍点であることとi_0,j_0でミニマックス値が等しいことは同値 ミニマックス値がマックスミニ値と等しいところは鞍点というのは定義から明らかだけど
逆が言えるかなというところかな ミニマックス値とマクシミン値が等しいというのとその時のi,jは鞍点だと
いうのは同じなんだけど、命題があたりまえのように思えるので、
証明は少し難しい。命題が何を言ってるのかを理解するのに時間がかかる 本を読むということはその本を材料に使って考えるということを意味するのです マクシミンのように考えるというのは、慎重な個人を考えることで
そういうのが一般的なわけはないわけで >>208みたいな変なこと書く人もいるんやな
最大化プレーヤーは自分がある混合戦略をとったとき、もう1人のプレーヤーがどんな純戦略を取っても期待値がゲーム値
以上になり、最小化プレイヤーは自分がある混合戦略をとるとき、もう1人のプレイヤーがどんな順戦略をとっても
期待値がゲーム値が期待値が以下になる時、それぞれの混合戦略の組とゲーム値の組を合わせて、ゲームの解というんやで 経済学寄りの本が数学っぽくないみたいだ。非協力ゲームがつまんなくて協力ゲームが
面白いと言うだけじゃないと思った。 なんて言いますか、ミニマックスというのと、サドルポイントというのと、
相手が最適戦略の選択をしているときに、最大化プレイヤーに取っては
どの選択をしても、ゲームの値よりも以下の利得、最小化プレイヤーに
取っては....というのが同値だということはわかった。 ひょっとしたらミニマックス定理の解とナッシュ均衡はゼロサムゲームだと同じになるんかな? ミニマックス定理やったら、これ数学やなとわかるわな。
だけど入門書読んだだけなら、これなんだろとしか思わないかもな なんか、凸で、有界で、閉な集合はエクストリームポイントの凸包に
なっているとか言われましても
弱るよね。 ゲーム理論というのは、こういう仮説でプレイヤーが行動すると仮定したときに、
合理的な行動の結果はどうなるのかを調べる分野。
行動の仮定によって結果が違うから、それぞれの結果を解概念と言います。
ミクロ経済学では、効用最大化、利潤最大化するというのが行動仮説。
そこで出てくるものが解概念。1つしかない。 ケースバイケースで解概念が現実に当てはまる場合もあれば当てはまらない場合も
ある。それで実験によって解概念が当てはまるかを確かめる。 ミニマックスの行動仮説も一つの行動仮説に過ぎない。
ナッシュ均衡の方はもうちょっと難しいらしい。
安定的な解というただそれだけではないらしい。 マトリックスゲームの解は次のものだ
P_1を最大化プレイヤー、P_2を最小化プレイヤーとして
a_{i,j}が、P_1が純戦略 i 行、P_2が純戦略 j 列をとるに、P_2がP_1に支払う
金額とすると、P_1, P_2の混合戦略X, Y、数vがあり、
b)X*A(j) >= v, j=1..n
c)A(i)*Y <=v, i =1..m
となるときの{X, Y, v}をマトリックスゲームの解という。
b)の意味は、P_2が間違った手を取ったときには、Xを取ったP_1は、vよりも
大きな期待値を得ることができる。P_2が正しい手を取ったときにはP_1の
期待値はv以上だが、P_2が間違った手を取ったときにはP_1はもっけの
幸いを得るわけだ。
c)の意味は、P_1が間違った手を取ったときには、Yを取ったP_2は、vよりも
小さな期待値にP_1の期待値を止めることができる。
ということを意味している。P_1が正しい手を取ったときにはP_1が得る
期待値をP_2はv以下に保つことができるが、P_1が間違った手を取ったときには
P_2はもっけの幸いとばかり、P_1の期待値をさらに下げることができるのだ。
そしてこのゲームにはvon Neumanが証明した
「マトリックスゲームには解が必ず存在する」という基本定理がある。 フェンヒルが凸解析の最初の人で、
その後にそれが例えばゲーム理論で使われた。
その流れでキューンタッカーの定理もあるし
一般均衡の解の存在証明もあった。
経済学での数学利用の核になっていたのは
フォンノイマンだな。 なんかずっと気色悪いな。Cが0を含む凸集合だとする。
DをCの点を非負倍して得られる点の全体とする。
もし、DがR^nだとすると、0はCの内点となる。
この証明が難し過ぎる DがR^nと背理法の仮定を置くと
Cの適当な一次独立なV1, …Vnを使って、Cに属する任意のxについて、
-x=a * (V1+…Vn)となる。ただしaは1より小さい正数。
これから0は内点になる。0は境界点という仮定に矛盾。よって
DはR^nではない。 さらに1ヶ月経ったか。
秋やんがややこしいことをやってたからな。クズやろう 効用関数は効用の差を比較できるということを仮定してる。
事象aと、事象bとcがd, 1-dの確率で起こる組み合わせとしよう。
aはbより好まれないが、cより好まれるとしよう。
aとb, cの組み合わせが無差別な時のdに対して、
e>dならbとcがe,1-eの確率で起こる組み合わせの方が好まれる。
この時にd を事象aの効用と呼ぶ、とかうんたらかんたら 交渉の結果は数が多くなれば一意に収束する、なんて言われますが嘘ですね。
というのはそれまでに提携が起こるからです。提携の起こり方によっては、その後の収束のあり方が変わってくるはず、
なんちゃってね フェンヒェルの本で訳してる方の本は有名な方じゃないよな。
訳者さんがあちらを選んだ意図はなんだろう? 非協力ゲームで発展があったというのはどんな意味なんだろう ポーカーとかバックギャモンとか知らないと
理論は理解できない レイズ、コール、フォールド、チェック、アンティ
くらいは知らないとポーカーはできない。
バックギャモンは双六だが、ブロック、ヒット、エンター、ダンス
は覚えておこう anteriorityは推移性を満たすが、preliminarity は満たさない 一つのmoveではどのプレイヤーがプレイするのか、
選択肢の個数、そのmove でわかっている過去の戦略が
わかっているというのがゲームのルール 集合論とツリー
部分分割というのを考えて、それが枝に当たると考えて、
部分分割に属する集合の部分分割は次の枝になるし、ということで
集合とツリーの関係は出来上がり $B_{\kappa}(0)$に含まれるすべての$A_{\kappa}$について\\
その$A_{\kappa}$のすべての部分集合$C_{\kappa}$について\\
$P(C_{\kappa}) \ge 0$,\ $\sum P(C_{\kappa}) =1$\\
和は その$A_{\kappa}$のすべての部分集合$C_{\kappa}$について。
日本語とtexは難しい。tex練習にこのスレを使うか k手番の時のチャンスムーブの時の取り扱いは、
チャンスムーブになるための1からk-1番目の手になるものをAk
とする時、Akは複数になる場合があって、それぞれのAk
をAkの分割Ckで分割してそれぞれに確率を与え、一つのAk
上の確率の和が1となるようにするもの
という理解 Akというのが1からk-1までのことがわかってることだからkによってさらに分けるとすれば、Ak
よりさらに細かくなるよね わかったことがあった。ゲームとか色々言っても、選択肢がたくさんあって、
そのうちのどれを選ぶかというだけなんだな。つまり、将棋で自分が指し始めてから最後の手番に至るまでの、
相手があれこれ取る手番の条件付きでの自分の手を選ぶだけなんだ。最初から最後までのそんな戦略など誰が
全ての戦略をあらかじめ精査してとるというんだろう。通りで、将棋のようなゲームですら分析されないわけだ ここに書き込むと1月からあまり進んでないこともわかって良い。 なんで2月からこれまでほとんど進んでいないのだろう? ミニマックス定理がノイマンで、他のはそれじゃない、いうオチかも。 >>232
秋やんは大嘘つきでクズ野郎だな
阪大の院というのが曲者だな。たくさん出てるみたいだな 運良く面白いと思えるような本に出会える時に、
関心を持てるし、そうでなければつまらないとしか思えない。