>>393
想像の話ではあるんだけど、『ビジュアル』の全訳指示は、駿台英語科への忖度があったんじゃなかろうか。

伊藤は英語科の授業の標準化(≒伊藤方式による独裁化)を進めていたが、
後継者の多くは伊藤の真意に反して全訳を主張した。
その流れを感じた伊藤はそう指示を出さざるをえなかった、ということだったのかも。

その後の構文主義者たちの全訳志向、研究社・旺文社の出版物に全訳指示があからさまにはないこと(多くは
「『可能であれば』、訳を書いてみて自分の理解をチェック」レベルの示唆)、などが想像を支える状況証拠なのだが。

直読直解を提唱していて、全訳指示は流石に筋が通らないよな。
もちろん英文和訳上達のためには和訳演習は必要だ。ただ、英語学習に必須だとは言えない。