【南画】文人画を語るスレ【南画以外】 [無断転載禁止]©2ch.net
東洋の伝統文化である、文人画について語りましょう。
対象は教養を反映した写意画全般。
対象となる人物
@中国(系)の文人
王維や米芾、徐渭、八大山人、揚州八怪、趙之謙、呉昌碩、王一亭、斉白石。
彼らに師事あるいは影響された若狭成業、西晴雲、藤原楞山、宅野田夫といった
日本人、日本で活躍する馬驍、李庚。父が中国人の卓吾。
潘天寿の来日時に影響を受けて画も始めた書家の殿村藍田など。 A日本の南画家
池大雅、祇園南海、彭城百川に始まる南画諸派の画人。
長崎派中の木下逸雲、鉄翁。与謝蕪村。浦上玉堂。田能村直田。山本梅逸。
中林竹洞などの諸々の系統。
谷文晁門下の一部(いわゆる南画系でない者も多いため)。
近代に入ってからは山田介堂、奥原晴湖、安田老山、菅原白龍、長井雲坪、
野口幽谷、滝和亭、吉嗣拝山、森琴石、高森砕厳、河村虹外、服部五老、
田近竹邨、村瀬秋石、後藤秋崖、児玉果亭、福田浩湖、田中栢陰など。 B南画を描いたが南画家でない者
頼山陽などの頼一門のような学者、医師、加藤梅翁のような武家、雲華大含のような僧侶。
西村清狂や富岡鉄斎は、『芥子園画伝』の手本とは異なる、所謂南画らしくない画を描いた文人画家。
C写意派だが南画ではない者
白隠、仙崖、風外などのいわゆる禅画。禅僧以外のものも含む。
D漢文の賛などを前面に押し出さない、あるいは漢文の素養とは無縁の者。
武者小路実篤、榊莫山、比較的近年の英文学等の素養を持った文人の画。 一応、例として挙げてみました。
小室翠雲(1945没)、新井洞厳(1948没)、松林桂月(1963没)などが「最後の南画家」
と呼ばれることがありますが、田近竹邨門下の草刈樵谷(1993没)、田中栢陰門下の
田能村直外(1997没)がいますね。現在でもいらっしゃいます。
自分が子供の時見たことがある、近所にある、所蔵しているといったお話でもなんでも
いいので、南画や南画とは言えないが写意画が好きな方宜しくお願いいたします。 >>5
どうもありがとうございます。
今は岡田閑林の画幅を掛けているのですが、沈南蘋風の装飾性の高い絵を描く人ですね。
比較的簡略な絵の方が南画的です。いずれにせよ、品性を感じさせますが。
孫の鶴川は花鳥画にややけれん味があり、文晃系らしさを感じて面白い。
祖父の閑林もそうですが、水墨だとたまに日本画らしい日本画といった作品も残しています。
山水はかなり(常識的な意味で)いい物もありますが、知名度は低いですね。 >>6
岡田閑林を知らなかったので調べてみましたが、
文晃の門下で渡辺崋山が友なんですね。
そういえば先日、東京ステーションギャラリー「川端康成コレクション
伝統とモダニズム」に行ってきたのですが、渡辺崋山の桃花山禽双孔雀図と
浦上玉堂の凍雲篩雪図が特に印象に残りました。
やはり凍雲篩雪図は、底知れぬ寒さと枯れ切った雰囲気を放っていて迫力がありました。 >やはり凍雲篩雪図は、底知れぬ寒さと枯れ切った雰囲気を放っていて迫力がありました。
あれは日本画の中で最高峰だと思います。世界に誇れる絵でしょう。
日本人ですら浮世絵(版画ばかりで肉筆はなおざり)以外の江戸絵画をよく知らない現状が嘆かわしい。
崋山はいい師匠だったのでしょうね。授業料が払えず師を転じた苦労人でしたが、本人は弟子に優しかった。
破門した白川芝山から金子金陵に転じたことで、崋山はさまざまな画風を飲み込めるようになっていたと思いますが、
弟子の福田半香や平井顕斎の画を見ても、煩くなく個性を伸ばしていたのでしょう。
桜間青崖に至っては、師匠に怒られて飛び出していったので心配した崋山が町中を探してくたくたになって帰宅した
ところ、すでに青崖は帰って酒を飲んで寝ていたという逸話もある。それで破門しなかった寛大さは偉い。 水墨・淡彩画というのは面白いもので、格別力を入れなかった作品が良作になることがあり、
更にその中に格別な作品が生じることがあります。
『凍雲篩雪図』はまさにそれで、おそらく玉堂はあれを描いた時、史上に残る名作を描いて
やろうとは思っていなかったでしょう。
だからこそ生じた結果です。邪気や俗気が混じっていない。 >邪気や俗気が混じっていない。
その通りだと思います。
凍雲篩雪図に関しては、自分の古美術の先生(御歳90前)から、
大阪万博ではじめて見て、生涯で一番感動した画だと聞いていました。
また、川端康成もこの画に心酔していたんですよね。
ただ自分は、多分20歳代の若さでこの画を見ても何にも理解できなかったと思う。
アラフォーになって、ようやくその奥行きを少しだけ理解できたというのか。
文人画は、ある程度年齢を重ねないと理解できないところがありますね。
渡辺崋山が最後に自殺した悲哀なんかも、ようやくわかるようになりました。 私は学部生時代までは南画はちんぷんかんぷんで、円山四条派ばかりでした。
しかし院で文人についていささか研究し、20代後半になると南画といいますか
写意画が大好きになりました。
自分が見ているものは、その時代の自分を反映しますね。
岡本太郎は「南画とか山水画とか」を旧時代の遺物としていましたが、それだ
け強固な権威として実感のもてる世代であったのでしょう。
しかし、南画をよく知っていれば、これほど突拍子もない前近代の芸術もない。
はたして、大阪万博で『凍雲篩雪図』を見たのでしょうか。 >>12
どうもありがとうございます。
『信貴山縁起絵巻』は私も以前目にしましたが、軽い筆致で重みを感じさせました。
そこで旧蔵品が紹介されている勝海舟は割と美術品に囲まれており、長くて4〜5月
掛けていたそうで、宮本二天の作もあったということです。
二天こと武蔵と言えば贋作も当然ありますが、海舟の書にも生前から贋作があり、そ
れに頓着せず本人は求められれば箱書きをしたという。
浅井柳塘は「自分より上手い」という理由で贋作にも箱書きをしたということですが、
ここまで来ると稚気高じて脱俗の域ですね。 >>14
あくまで個人的な見解ですが。
悪くないと思いますが、本人が画を求められて不本意だと書を贈ったように、
そこまで入れ込んでいたわけではないせいか、玉堂の感動には遠く及ばない
と思います。
三樹三郎あたりが勢いに任せて描いた疎画の方が魅力的かもしれません。
枯淡というか清潔な感じはします。ただ、それ以上の物に乏しい。
見ていて喉が渇いてくるのは、渇筆のせいではないでしょう。
季節を意識して描いたものは、割合に魅力的です。
耶馬溪図巻は、よくある掛幅の作品より面白い。やはり思い入れの差では。
頼山陽史跡資料館は、たまに南画を展示してくれるので有難いですね。
広島ゆかりの人物以外だと、後藤秋高ェたまに出ています。 頼山陽は書も有名ですよね。「日本外史」が幕末に読まれて時代の熱狂的な雰囲気を
作り出すのに一役買っただけに、やはり信者が多かったんでしょうね。まぁそのぶん贋作もくさるほど存在するけど。
ただ今現在の市場価格はかなり低いはず。ほとんど見向きされなくなってしまった気がする。(´・ω・`) 勢い任せというと、たまに落款に酔画と記したものがあります。
これは文人画に限らず、漢詩文を書かない人でも和文で自賛を添えていることが多い。
そして大体が計算抜きで面白いものです。
そういう物だけ表装されて現存したのかもしれませんが。
とりわけ水墨画(形似を求めない文人の水墨画)を描く際には勢いというのは重要で、
中国の竹描きの名手には「本物の竹を見ると絵が不味くなるから見ない」と言った人
もあれば、他人が見て葦の絵か、いや麻の絵だろうと言ってもよしとした人もいます。
勢いは形を崩しやすいですが、崩れている絵が下手かというとさにあらず。
自身の精神を表せれば、実物に似ていなくてもよいとしたものです。
自娯自楽。その上で自分を納得させられるものを描くのが肝心なのでしょう。
それを楽しいと思う人が、本人以外にもいれば評価が生じる。 >>16
上方落語『岸駒の虎』は、偉そうなので有名だった岸駒と山陽が出て来ます。
岸駒は絵が、山陽は書が取り上げられる。
マクリも含めて死ぬほど贋作が多いので、私は山陽だけは猫またぎの如くしていますね。
戦前は、あれや東郷平八郎の「皇国興廃」で家一軒立ったといいますから。
後者は今なら10万や20万で買えるでしょう。
山陽は生前からよく似た書を書いた豆腐屋(山陽の弟子)もいれば、贋作を書いていた
書画商が「山陽は私の号です」と開き直った例もあり、非常に紛らわしい。
山陽以外の頼一族でもそれなりにしたものが、今は10万円しない。5万以下の書幅多し。
書幅などまず書かなかったせいか、山陽の母の書画は見たことがありませんが。
しかし、南画自体の値が下がったのは、故人の作品購入に限って言えばいいことです。 頼山陽に関しては中村真一郎「頼山陽とその時代」っていう本が面白かったですよ。
頼山陽の生い立ちや家族について詳細に書かれています、他にも関係のある同時代の文人や詩人がたくさん出てきます。
「家一軒立った」っていう言葉は文人書画の評価でよく耳にしますね。そういう時代もあったんだな〜。
明治以降の西欧を模倣した近代化と、特に第二次大戦後の占領改革とアメリカ文化の怒涛のような流入で
文人画に価値を置く文化はほとんど洗い流されてしまった気がしてならないです。(´・ω・`) どうもありがとうございます。
中村真一郎先生とはまたなつかしいお名前。
『頼山陽とその時代』はずいぶん一瞥したきりなので、また読んでみたいと思われます。
戦前から日本文化のアメリカ化は言われていましたね。
また、戦後の南画家自身が(幸松春浦のように)南画の近代化という「結果的に見ればあまり
意味のない行為」(※)に熱中し、逆に寿命を縮めてしまったこともあります。
漢詩文と書から離れるべきではありませんでした。
自作の画賛がなくとも、少なくとも教養と書の応用は要ります。
河村虹外など、色紙にまでわざわざ画賛を書いていますが。
(※)昨年度の頼山陽史跡資料館の新作南画展での評。 失礼します
南画に関心があるのですが、お勧めの書籍などあれば教えていただけないでしょうか?
また、ネットで検索して読画塾というサイトを見つけたのですが、ここの評判はどうなので
しょうか? よろしくお願いします。 よそ様の評判は存じませんが(刊行物の画人の選択はいいと思います)。
南画について包括的にとなると難しいですね。
人によって誰の絵を好きになるか、違いがあると思います。
私は上に挙げた中で(かつ近代で)は河村虹外が好きですが。
とりあえず「森琴石」というこれもいい南画家の名前で検索すると出て来る
サイトが、割と幅広く同時代の南画家について紹介しています。
伝記については渡辺崋山などは専門の伝記がありますし、古典ながら『本朝
画人伝』という著作もあります。
写意画の実践では斉白石の弟子で張大千とも親交のあった藤原楞山の『水墨
画法』が好きですね。中国の写意画の歴史についても説かれています。
あとは図録の積み重ねでしょう。
地方の博物館で出ている、地方画家の特別展の図録は面白い。 近代デジタルライブラリーにある『現今名家書画鑑』も参考になると思います。
余談ながら、田近竹邨門下の宮瀬泉城のマクリが安値で買えました。
複数の理由により、多分後援会の人の旧蔵品だろうと思います。
どういう経緯で今ここにあるのか、想像しながら見るのも楽しい。
美術館での鑑賞にはない、自分で適当な物を漁るからこその楽しみですね。 詳しく教えていだだきありがとうございます!
まずは本朝画人伝と水墨画法を見てみようと思います。
文人画は結構地方の美術館で特別展が行われていますね 賛が読めないと本当には楽しめないよね…なんとな〜く意味は読み取れるんだけど 富岡鉄斎は、まず賛を読んで欲しいと言いましたからね。
無い南画もありますが、あった方がよい。
今でも自賛をつけて南画を描いてらっしゃる方々には、頭が下がります。
四条派だと南画を連想させる画風の作品や画賛つきの物もあるのは、呉春から
して蕪村の弟子なのである意味当然か。
購入した軸の画賛に付せられた文章を読むと、一門の末永い繁栄を祈った当主
の依頼に応じて謹んで描いたというものがあり、はたして当主に漢文が読めた
ら売られただろうかと、少し寂しく思ったことがあります。
為書がついている物は大事にした方がいいと言って、それだけは旧家から買い
取らなかったた古物商の話も聞いたことがありますね。 >>27
仰るとおりなのですが、過去には南画と文人画は違うという文章も読んだことがあります。
根拠を明確にされていなかったのですが、おそらく所謂南画様式の絵画とそれ以外のものを
区別されたものでしょう。
江戸時代の時点で松花堂や琳派も南画に含める見解が出ているので、必ずしも様式を問題と
しなくてもよいのですが、近年では例えば英文学を専攻した人物が水彩画を描いていた場合
でも「文人画家」と言っている場合もあり、流石にそれも含めて南画と言うのは難しいので、
それらも含めて「文人画」としたものです。
>>3でいうところのDですね。 そういえば、湯川秀樹夫妻やその親も軸装するような絵をたしなんでいたようです。
たまに見ても安いですが、教養人にはああいう心得があったというのがいい時代。
夏目漱石や芥川龍之介も描いていますし、永井荷風も岡不崩(狩野派ですが)に師事していました。
畑耕一の絵なども、相当こなれたものです。
永井瓢斎のような人は、もうマスコミには出て来ないでしょうね。
梨園でも、昭和の後半まではまだ書画の心得が見られる。 漱石は絵画も書も有名ですよね。
水上勉が自己流でなかなか味のある画を描いてるのをよく見かける。
川端は文人を任じているのに、思いのほか豪快な書はやるけど、画は描いてませんね。
そういえば、文芸評論家の江藤淳が作家の書の頒布会にたまたま行って見たところ、
「窓が開いていて、風が吹き込んでくるな」と感じたのは漱石と谷崎の書で、
最悪なのが森鴎外で、惨憺たるものでいやらしい、とまで評していました。(あくまで書の話です)
書には人格が現れますからね、見ていて面白いですよ。 江戸の文人画家なら、池大雅や浦上玉堂の書なども評価が高いですね。 >水上勉が自己流でなかなか味のある画を描いてるのをよく見かける。
確かに。それで思い出しましたが、非専門で書・画と言えば中川一政も面白いです。
>最悪なのが森鴎外で、惨憺たるものでいやらしい、とまで評していました。(あくまで書の話です)
乃木希典の書、木島桜谷の画、望月金鳳の画も酷評されているのを読んだことがありますが、これはまた格別ですね。
こういうのは相手に価値がないというだけではなく、評価している人間自身の鏡として、評価しているのがどのよう
な人間であるか、当時がどのような時代であったかを考えてみるのも面白いと思います。
水上勉といえば、少年期に寺にいた頃に服部二柳を見たとか。
父の五老の画はしばしば目にするのですが、二柳は未だ実見の機会がありません。
死因自体は世間一般では珍しくないですが、餅を喉につめて死んだ有名人は、この人ぐらいではないでしょうか。
>>31
私は、鈴木鵞湖が好きですね。購入時、画もさることながら書に惚れこみました。
文人の書にありがちな、中身も書体も読みにくいものでないのもいい。
書家の書を嫌った良寛も「まあいい」ぐらいは言うでしょう。 木島桜谷は円山派の絵師ですが、情緒性という点では写意的なところもあると思います。
一方で、筆遣いが抜群に上手い。
夏目漱石に酷評された『寒月』は、竹の一本一本に存在感がありすぎ、それまでの東洋
画の竹に見られたような清明な感じがなく、しつこいくらいに迫って来るのが気持ち悪
いだの不愉快だのと言われたのかと、勝手に考えております。
情緒性という点では、もっと後の作品の方が自然でいいですね。
今ではほぼ無名な長井雲坪は、誰か知らない時点でも漱石がずいぶん褒めた由。
山水に人物を描きたがらないという、中国の複数の先人と同じことをした人。 田能村竹田の本物って市場にあるの?
鑑定団でも贋作ばっか。たまに本物が1000万円。 以前鑑定団に出演していらした先生のお知り合いは、かなり上手いが後から
落款を切り取って竹田の落款を捺した画を、竹田の作でないと知りつつも大
事にして鑑賞していらしたということです。
私も出来はいいのに端を切り取られて著名人の落款を入れられた画幅を所有
していますが、そういう物だけに気軽に掛けられて重宝しております。
市場だの本物だの銅臭のする話は抜きにして、見ていい物はいいのです。
見て悪ければ先に行き、良ければ立ち止まるだけでいいではありませんか。
本物が目の前にあって、購入するお金がある時に悩むべきことです。
あるかないかを今言われたところで意味はなく、機会やお金がないなら悩む
だけ損ではありませんか。 川端康成も言ってましたね。
「自分は好きか嫌いか、いいか悪いか」で判断すると。
それであのコレクションを形成したのだから凄いのだけど。 ええと確かもう一つの判断基準が、「自分に合うか合わないか」だったと思う。 南画というものは、少なくとも上手い南画というものは個性的で人を選ぶ物です。
私は非凡という点では河村虹外や服部五老を、安心させてくれるという点では菅原白龍や
森琴石や村瀬秋石を愛します。
後者の作品に当たると、子供の時を思い出すことが多い。
子供の時に見た風景を写生したというよりは、子供の時を今思い出した場合の心象風景に
合致するところがあります。
実景は必ずしも美しくないですが、実景以上に理想化された風景が展開されます。
前者は前者で安心ばかりではないが、やはり自分の中を写している気になる。
前者は奇才の、後者は人徳のなすところでしょう。
好きなものと嫌いなものは、その人の鏡ですね。
偉人の嫌いなもの、必ずしも無価値ではない。 今更ですが、木島桜谷は渡辺南岳系の円山派の影響も受けているものの、師の師である
鈴木百年は四条派や南画の影響が強い人であったようですね。
百年や師の今尾景年の絵を見ていると、あまりそういう気はしないのですが。
桜谷は1938年に62歳で帰泉してしまいました。
山元春挙は1933年、63歳。竹内栖鳳は1942年、78歳。橋本関雪は1945年、61歳。
小室翠雲は1945年、70歳。元妻の野口小宸熕演_の三日後に没。
姫島竹亭、荒木十畝、好みは分かれますが中村不折もこの頃に没。
松林桂月や川合玉堂は生き残りましたが、上述の面子が戦後焼け野原になった日本に
作品を残してくれていれば、と思わずにはいられません。惜しいことでした。 絵画からはやや外れますが、
「詩は詩仏 書は米庵に 狂歌俺 芸者お勝に料理八百善」(蜀山人)
と讃えられた大窪詩仏などはどうですか?今や誰も言及する人もいないですけど。
江戸時代はスターだったそうですが。 >>41
私は好きですね。柏木如亭も。
しかし、比較的近年(2009年)に出た『漢詩鑑賞事典』には二人の作は掲載されていません。
なんとなく同じような傾向の詩ばかり選ばれているように感じるのは、個人が選んだ以上は
必然と言うべきでしょうか。
詩人も日本では大津皇子・菅原道真と来て、その次がいきなり南北朝時代の禅僧二名。
中古に厳しいあたり、『万葉集』ばかりもてはやされて古今・新古今が蔑ろにされるが如し。
おそらく、故事の引用や修辞に熱心で中身に乏しい(『宋史』日本伝にもそうした記述があり
ます)という理由でしょうが、それらも立派な取り柄であり、特徴です。
また「和臭」があるというのをマイナス要素とされていますが、これもどうでしょうか。 中国へ渡った経験もあった安田老山は、元羽黒の山伏であった菅原白龍の絵を見て「和臭があ
る」と言ったところ、「確かに私は羽州の出ですから和臭があって当然ですが、貴方はどちら
のお生まれですか」と言い返され、返答に窮したという話があります。
村松梢風がこの逸話を紹介した上で老山の絵をけちょんけちょんにしているのには、私も一部
同意する点がありますが、妥当な評価という以上に、梢風自身の属した社会・世代の影響もあ
っての評価であったのでしょう。
そういう意味では本書を編纂された石川先生の御意見も一意見として尊重されるべきでしょう
が、軽さとか和臭があるのもいいくらいじゃないと、漢詩は衰退すると思います。
廃刊になる前の『山陽風雅』も読んだことがありますが、評文がいちいち真面目臭いというか
堅苦しいというか、これじゃ亡んでも仕方が無いと思いました。 しばらく書き込みがないのでとりあえず。
観音図というのは中世以来の古典的な画題ですが、南画から狩野派まで信仰
と鑑賞の両面から描かれており、しかも描き手によって表現が変化している
ので、なかなか興味深い存在ですね。
南画家が描いた場合、白抜きを残し、渇筆で簡略に衣を描いたものが多いで
すが、その素っ気無さが逆に脱俗の味わいを生じていていい。
上手い人が描かないと駄目なやり方ですが、上手い人が描いていても今日は
省みられないのが、なんとももったいないことです。 南画じゃないですけど、白隠の観音図なんかは
絶妙な味わいがあって面白いですよね >絶妙な味わいがあって面白い
仰るとおりです。
ああいう絵を生み出せたことは、世界に誇っていいと思います。
ただ、工芸画にもなっているような観音図は、禅画としてはやや達者過ぎ、
料理で言えば「美味過ぎる」ものなのかもしれません。
食べるのが大変で、味わう余裕がなかなかありません。
それがまた凄いのですが。
南画家の、少なくとも上手い南画家の描いた観音図は、もっと描こうという
精神をよく抑制しているものだと思います。
描き込めるからこその省略。
私も南画とは言えないまでも水墨画は描きますが、欲のせいで入れなくても
いい筆を入れてよく失敗します。
白隠は、あれだけ書き込んで欲による余分と思えるところがないのも偉い。
本人は、下手なのは焼いただけだ、と笑うかもしれませんが。 広島市の頼山陽史跡資料館で開催中の現代水墨画展は日曜日までですが、図録
で南画についても触れられていますね。
見本はただで読めますし、お立ち寄りの際にご覧になるのもよいかと。
小室翠雲(谷文晁の孫弟子)が衰退した南画人気回復のために岩絵具ではなく
水墨の南画を一般に普及しようと努力していたこと、翠雲の亡くなった戦後を
矢野橋村、河野秋邨、松林桂月らがあがいていたことに触れられています。 田中一村の奄美時代の花鳥画に南画の山水画的要素を感じます。
一般的には若いころ南画と決別したと言われているようですが、かなりの求道者的気迫を感じます
本人としては南画と決別したというより当時の南画会と決別したのではないでしょうか?
南画=水墨画という風潮が定着してしまい。そこから外れた南画家が宙に浮いた感がなんとも残念です。 >>51
南画というのは自由な絵画です。
決別も影響の内で(決別後も松林桂月門下名義で出展しているようですが)、
どこかに彼という画家を形成するところがあったのかもしれませんね。
私は彼の絵画は少々見たばかりで、断言出来ませんが。
画風から山口華楊を連想してしまった私は、多分単純にして俗に過ぎるのでしょう。
兄の山口玲熙の絵は所有しておりますが、塗り絵的な日本画は嫌いなものの、この世代
まではまだ筆致が感じられていいと思えます。
>南画=水墨画という風潮が定着してしまい
>>50で御説明申し上げたように、この風潮は南画を「描く」面から普及させる為
に努力された結果ですが、「観る」側を狭めているというのなら残念。
いきなり気韻とか言わず、「可愛い」からでもいいですから、自由な南画の世界
が知られたらと思います。
もっとも、定型から外れた「可愛い」絵画というものは南画家に限らず、都会の
趣味人や流派以上に独学した地方絵師にも往々に見られるもの。
いわゆる南画家の作品でなくても、そういう物は面白いですね。
コトバンクにすら掲載されていないような人達ですが。 型にはまった「つくね芋山水」なんて飽きてくるんじゃないですか? >>53
南画というのは面白いもので、同じ南画の形式で描いていても、つまらない
ものはつまらなく、上手いものは実に上手いものです。
上手いものは見ていて茶が美味くなる。
しかし、南画の山というのも没骨や線描、シュン法や点法により、また同じ法
でも筆致の違いにより、また構図の取り方により個性が出て来るものです。
少なくとも、漫然と描いたものでなければ飽きは来ません。
貴方の御発言はフェノロサたちの言葉を借りられただけで、貴方の実際の鑑賞
に基づくものではないのではありませんか。
明治初期はとにかく南画がもてはやされた時期で、内容を問わない南画の流行
に対する北画復興の意味・意義があったのでしょうが、あの時代だからこその
発言という点も考えないといけません。
実際、明治末から大正にかけてまた南画は評価されています。
その後は漢学衰退と軌を一にし(新聞から漢詩の投稿欄が消えるのが大正時代)、
水墨画という形を強調することで生き残りを図って現代に至っていますが。 また、これは何も私が言い出したことではありませんが、南画は定型や水墨
で欠けた詳細や色彩のイメージを、漢文の賛で補完することで作品を完成さ
せて来た経緯があります。
つまり、描く側は漢文の賛が書けて、見る側も漢文の賛が読めることが望ま
しいのです。
南画の定型を批判する人々には、漢学の素養が欠けていた人もいることを疑
ってもいいでしょう。
田中一村の絵は、そういう意味では南画から生じても彼の絵ですね。
画賛が必要には思われません。
狩野派などでも画賛があって違和感なかったことを思うと、やはり近代の絵。 >南画を「描く」面から普及させる為 に努力された結果ですが、「観る」側を狭めているというのなら残念。
この辺は難しいところですかね・・・
展覧会でより多くの人に画家たちの技量を見てもらうためには「観る」ということを
怠ってはならないでしょうし、「観る」側にはそれなりの素養はあってほしい。
(しかしこれを望むのは難しい)
いくら技量がある画家たちの展覧会でも同じような山水画ばかりだと観る側は疲れる。
芸術論が違うフェロノサから見れば批判の対象だったでしょう・・
南画=地味で過去の遺産的なイメージが強いので華やかな南画もあるんだと
これは現代の作家さんに頑張って頂きたい。
明治生まれの江戸系の先生二人に手ほどきを受けたことがありますが、キレッキレの運筆は
衝撃的でしたね・・・二人とも岩絵の具を使うので南画から離れたようですが・・
一人は翠雲先生の弟子だったので、それは離れるか・・・・ >明治生まれの江戸系の先生二人に手ほどきを受けたことがありますが、キレッキレの運筆は
それは羨ましい。いや、実に羨ましい!
私は日本画か水墨画を習おうと思ったら運筆の出来る日本人の先生が見当たらなかったので、
中国人の水墨画の先生に師事することにしました。
あとで文晁系の上手い先生が地元にいらっしゃったことを知りましたが。
その先生は雅号持ちですが、どうも雅号を使わない世代から不味くなった気がします。
中国の伝統文化は失われたと言われがちですが、こと運筆を生かした画法という点では日本
よりよほど伝統が生きているのではないでしょうか。
岩絵具を使う南画もおおいにありなので、描くのも見るのも広まって欲しいですね。 文晁系の先生がご健在とは驚きです!!
昔、何かの説明で「平野五岳・帆足杏雨が政府の依頼で日本の伝統文化として
南画を万博に出展した。」との記憶があり、調べますと確かに耶馬渓の図を出展しておりました。
美術史では印象派は浮世絵の影響を受け云々とよく目にします。万博の際に彼らが足しげく日本のパビリオンへ
通ったことも何かで読んだ若しくは聞いた記憶があります。
ずーっと疑問に思っているのですが、印象派の筆遣いは浮世絵の影響とは言い難いし(版画だし)、彼らが目にした当時の肉筆の絵となれば
五岳と杏雨になる。ならば筆遣いは南画の影響では??と思っておりますが、確証がない。
新南画は後期印象派の影響を受け・・云々と言われますが・・・
その辺の歴史的認識で何か詳しく書いてある書物などありますでしょうか?
不勉強で・・・ いえいえ。貴方も文晁系でしょう。
谷文晁−田崎草雲−小室翠雲−その弟子
私の知っている先生は
谷文晁−佐竹永海−佐竹永湖−福田浩湖−以下略
2008年に亡くなられた佐々木鉄心先生は
谷文晁−渡辺崋山−福田半香−以下略
春木南湖の家は代々描いていましたが、それも1990年の南江没で終わりましたね。
平野五岳・帆足杏雨は穏やかな画風で私は大好きですが、豊後南画も同じ頃終わってしまった。
「南画は印象派よりも印象的である」と主張して描いたのが、今村紫江(1880〜1916)。
彼や交流のあった速水御舟らに関する書籍に記述があるのではないでしょうか。
詳しい書籍は、私も不勉強で申し訳ないのですが存じません。
翠雲の水墨画振興はあくまで間口を拡げるためのもので、本人が水墨画しか描かなくなっていた
というわけではなさそうです。弟子もまた然り。 本日、古書肆にて『服部二柳伝説』なる俗な題名の書籍を購入致しました。
この二柳という人は、父の五老とはまた別な意味で面白い南画家だと思います。
著者は南画に関して(基本的な「知識」はあっても)鑑賞面での造詣がないらしく、
それが面白いと同時に、物足りなくもあります。
ただ、現代の普通の人が価値を感じる力が二柳の南画にはあるのだと再確認さ
せられました。
しかし、作者が二柳を超個性的とし、父の五老を「正統派」としている点、これ
は頂けません。五老も十分おかしい人物であることは、絵から分かります。
初めて絵を見た時の感想が、「この人おかしいな」でしたから。
少なくとも、河村虹外と同じくらいにはエキセントリックです。
分かりにくい「変」というものは、ある意味分かりやすい「変」より根が深い。
田中柏陰もこの仲間でしょう。
「変」を形にしてとりえに出来るのですから、南画とはいいものです。
南画家ではありませんが、岩井昇山も変な人ですね。
絵を見て変だと思いましたが、実際伝記からも変人であった様です。 昨日の日経新聞に、会津八一が秋艸道人の号で自賛した絵が掲載されており、
三絶の人と言われていました。画賛は漢文ではなく和歌でしたが。
没したのは昭和31年ですが、「○○道人」と名乗っても格好がつく人間になり
たいものです。山人、漁人もまた然り。
彼は戒名も秋艸でしたが、空也や鈴木正三なども自称でしたね。
しかし彼らがいるからこそ、戒名などそうそう自称するものではないと、却
って自重したいところです。 >>21
今更ですが、戦前に新井洞厳・小室翠雲・松林桂月それぞれ描いた同名の書籍
『南画の描き方』を入手し、読み比べてみました。
知名度の面では、そして相手が強過ぎるので画力の面でも新井が他二者に譲る
ものがあると思いましたが、一番最初に出た新井の本が一番読み易いですね。
新井・松林は木炭可、小室はぶっつけ本番で墨で描け派。
それぞれ微妙に主張が異なっており、自分に合ったものを探すのが面白いので
はないかと思われます。
画幅では森琴石の門人の作を入手しましたが、やはり線がしっかりしていますね。
「墨と筆で描く必然性」というものが、今の南画家の作品にも欲しいものです。
銅臭のする話をすると、当世の南画だけに、例によって例の如く安かったです。
琴石の作品ですら廉価になりました。喜ぶべきや、嘆くべきや。 ×それぞれ描いた
○それぞれが書いた
失礼。三人が同名で別々の時期に書いた別々の本です。
収録されている絵画には、今は無いものも多いでしょうね。
とある南画家についての古い新聞記事で「戦災後は○○の作品をあまり見ない」
という文章を読んで、悲しくなりました。
あれだけ都市部を執拗に焼かれていれば当たり前です。 ×新井洞厳
○新井洞巌
でした。Wikipediaでも洞厳になっている。師は夏目漱石の褒めた長井雲坪、
奥原晴湖の褒めた菅原白竜、名人高森砕巌の三人。
ついでですが、円山派に南画味を加えた森寛斎の弟子で、その弟子に南画家
もいる巌島虹石もよく厳島虹石にされています。花園大学の出版物とか。 掲示板で話題のPCを使って稼げる方法とか
⇒ 『山中のムロロモノス』 というブログで見ることができるらしいです。
グーグル等で検索⇒『山中のムロロモノス』
8ZJQRPTBH6 どなたか渡辺崋山の現在の所定鑑定人を教えてください。 友達から教えてもらった嘘みたいに金の生る木を作れる方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
GXZ6J 文人画の世界は膨大な読書を要求される
嘆かわしいが、いまのところ現代人に深い教養を求めるのは難しい
結果>>70みたいのが湧く >>71
はいはい、スゴイスゴイ
お仲間と楽しくやってな♪ >>72
何度見ても笑えるレスで感謝です
ひとしきり笑ったら、あなたが悲しくなってきた。かわいそうだね >>65
の巌島虹石の展示会が、地元の光市文化センターで再来週の日曜日まで開催中です。
初期の師である南画家難波覃庵の作品も展示されており、二階の常設展でも一点見られます。 インスタグラムなんかで、「文人画」で検索したら、現役の文人画作家の作品が出てくる。
彼らの作品はどうかしら? 具体的にどの作品を指してらっしゃるのか分かりませんので(分かって論じても角が立ちますが)、
なんとも申し上げかねます。
ただ、文人の精神で描く(個人的には書法も用いて描く)絵というだけではなく、やはり皴法などの
様式とそれを実現するための技術も備えているべきだと思います。
筆線の肥痩や抑揚、余白のとり方は東洋画の欠くべからざる点であり、南画と言いながらもどこが
南画なのか、「鉛筆で描いても同じ表現が出来るのに筆を使う意味があるのか」という絵を見かける
ことがありますが、そういう場合は少し遺憾に思います。
※南画と文人画はとりあえずここでは同一のものとします。 ついでに申し上げておくと、私は所謂南画様式で描かれたものが南画、文人が漢籍の素養と
書の筆法を用いながらも南画様式でないものを南画でないが文人画としております。
西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
もっとも墨竹図ぐらいなら流石に様式の違いは目につきませんが。
墨竹図も、これほど同じようでこれほど人により結果の異なる画題もありませんけどね。 >西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
おっと、村瀬太乙を忘れていました。
師の頼山陽や親戚の村瀬秋水が描いたのは南画様式ですが、この人は違いますね。 この頃、水墨画づいてる。
森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
富岡鉄斎の水墨画の扇面も手に入れた。これはおそらくコロタイプ印刷だろう。
墨に濃淡があって、肉筆か印刷かよく分からない。
大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
横山大観が何とか三題とかいう絵で初めてコロタイプの掛軸を商品にしたそうな。いつなんだろう。
牧谿の龍光院蔵の柿図の巧芸画を額にして飾ってるけど、しみじみといいよ。
牧谿なんて、一般人が本物を飾れるわけないのでコロタイプで十分。 山野先生、
文人の理想は隠遁ですよね?
おれもう死にたいし、でも死ぬのいやだから隠遁したいんですよ
生きていても面白いこと何にも無い >>80
文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。 >>79
>この頃、水墨画づいてる。
>森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
>本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
これは珍しい。良い物を手に入れられましたね。
渡辺崋山や伊能忠敬と親交のあった久保木竹窓、土佐派の渡辺竹窓、別号が竹窓の英一蜻
などもいますが、墨竹ということですし印章に森川竹窓の姓名があれば本人でしょう。
あまり贋作を聞かない人です。
なんにせよ、鑑賞して満足出来るのが一番ですし。
個人的に、見ていて煎茶が美味しく飲めるのがいい南画です。 >大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
描かれてからしばらくして印刷されたものではありませんか。
昭和初期時点でかなり普及しており、書画好きが泣きを見た話がいくつもあります。
画家が印刷だと気付かず箱書きをしたり。
今掛けているのは、南画ではなく国井応陽の比較的略式の画ですが、大正時代は軽い
と言えば軽いものの、軽妙さが南画性を感じさせる絵もあり、面白いと思います。
ブログで応挙の本画と応陽の模写を比べて技量の差を述べたものがありましたが、確
かにその通りではあるものの、応陽の絵というものも、応陽なりに生きていたことを
感じさせて好きです。 竹窓といえば、須子竹窓もいました。昭和初期まで生きていた岩国藩士ですが、詳細不明。
ただどうも南画を描いていたらしく、私も一幅所有しています。 浅学で恥ずかしいのですがどなたか
月波玉潤と言う画号についてご存知の方はおられませんか? >玉潤
『晋書』に、清らかで潤いのある人格を喩えてそう呼んだ例があり、漢籍慣れした禅寺
に玉潤軒があるので南画で見ても不思議はありませんが、フルネームで落款はまず入れ
ないので、もしかして画賛の一部であったりしませんか。
明治・大正期に望月派で平野玉潤という人はいましたが、南画家ではないですね。
幕末・明治初期の閨秀画家に下総(の内、現在の茨城県)出身の小林玉潤もいます。
夫の小林蔵六同様南画家ですね(蔵六は竹画が有名らしく、私も見た事があります)。
後は、川端玉章の弟子の吉田玉潤。
質問される際は、どういう理由で知りたいのか、どういういわれのどういう絵があるのか、
名前を判断したのは何からかといった情報も提示された方がよいと思います。 >>88
大変詳しくお教え下さりありがとうございます
非常に無礼とは存じますが
当方の勝手な一存で詳細にお伝え出来ません事お許し下さい
関係の方々のお許しが出ましたら是非又改めて御礼申し上げたく考えております
お調べ下さった事、深く深く感謝し参考にさせて頂きます
本当にありがとうございます まだまともな質問者の方でしたが、こういう例が多いですからね。
同好の士で語り合うのならまだしも。
質問者は便利な検索エンジンではないのですから、あまりに一方的な「利用」は感心出来ません。 山野先生、ぜひ三輪田米山の書の感想を聞かせてください。 >文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
>世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
>に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
>釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。
いいこと言うなあ感動した。 山本梅逸の花鳥画が好きで何点か購入しています
見て気持ちの良いものを買っているので真贋についてはあまり気にしていないのですが
一方で自分の眼がどの程度か知りたいという思いもあります
(なので気にしていないと言いながら、実は気にしているのかもしれないです)
たとえばこれは私が買ったものではないのですが
この水準の作品なら梅逸本人か、梅逸に相当する技量のかたによる作かと思うのですが
詳しい方いらっしゃれば、ご意見をお聞かせください
https://aucfree.com/items/277567139
あまり言葉ではうまく表現できないものの、下手な贋作と比べると
葉の瑞々しさや花の表情の繊細さ、メリハリの利いた構図などが違うかなと思うのですが・・・ あと不勉強で恐縮なのですが、梅逸と浦上春琴の花鳥図は
かなり作風に通じるものがある気がするのですが
影響関係などご存知のかたいらっしゃれば教えてください。 >>95
山本梅逸は煎茶道に通じており、浦上春琴とはしばしば同席しています。
また父浦上玉堂の古希を祝う画を寄せたり、春琴58歳の時、一緒に京都に紅葉狩りに
行ったりと、父子ともに交友関係にありました。 >>93
ああいう交際はいいですね。
山陽とつきあうのは大変でしょうが、竹田とはあの世で会ってみたいです。
>>94
真贋はさておき、十分観賞を楽しめるものだと思われます。
実物は印象が変わるものですが。
私は梅逸の弟子の青根九江の作品しか所有しておりませんが、それと比べてもいい出来
ではないでしょうか。
倉敷出身の藤原楞山(1920〜1987)は浦上玉堂系の南画を学ばれた方だったというこ
とでしたが、今はもうそういう方のお話は聞かれませんね。
楞山先生の息子さんは健在ですが、画風はまた違います。
田能村竹田系や田中栢陰(直入の弟子ですが)の系統も、90年代までだった様で。 南画に限らず、画を買う時に、あるいは美術品を買う時に意識しておきたいこと。
・地元の人間の作品だからという理由で買わない
昔の老人がよくやっていましたが、同郷だからという理由だと目が曇ります。
・著名人の作品だからという理由で買わない
これが目を曇らせることは勿論です。
・好きな人の作品だからという理由で買わない
本当に気に入るものかが重要です。無名なら贋作の可能性は低いですが、凡作もあります。
竹内栖鳳のような超一流はさておき、一流の人でも凡作を描くものですし、二流の人
でも傑作を描くものです。
購入は落款を見る前に直感で決定されるとよいでしょう。
パソコンでいえば、サムネでいいと思った画は大抵がいい画です。
技術的にそこまででなくても面白い絵があるのが南画の妙ですね。
先日、田中栢陰(技術が高い)と難波覃庵(素人の余技)の画を同時に入手しました
が、後者も面白いものでした。 先ほどから「画」と申し上げておりますが、「絵」は『論語』八佾篇に「絵事は素を後
にす」とある様に、彩色を意味したもので、「画」は区切るという意味があり、画工的
な前者よりは後者の方が「南画」を語るのに相応しいという説に与するからです。
もっとも私もいい加減なので、たまに「絵」と書いてしまいますが。 連投失礼致します。
難波覃庵の名誉のために申し上げておくと、彼も端正に描いた力作はかなり技術的に上手いです。
ただ、そうでなくてもどこか面白みがあるのが良いと感じた次第です。
多分、絵で食べている人でなかったからこその余裕でしょう。
田中栢陰の場合、力を抜いた絵でもやはり上手さが顔を出します。
橋本関雪が「もっといい絵が描けるのに、腕が邪魔をする」と言ったのも、こういう面か。
「腕が邪魔をする」というのは「上手い絵を描いてしまう」ということでしょう。 >>96 >>97
丁寧なご回答をいただき有難うございます。
手元の資料では共作の事例を1作見つけられただけでしたので
詳しい交友関係を知ることができ嬉しいです。
また手元の作品も、写真のものほどではないのですが水準が知れて良かったです
弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
彼らの花鳥図はむしろ写実よりだと思いますが、
あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。 >>101
>弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
それはよいですね。以前書画店で作品を見たことがあります。
購入に至らなかったのは、やはり絵と買い手の相性ということでしょう。
ある人に気に入る絵が、別の人にはそうでもない。南画には特に起こることだと思います。
>あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。
あの系統の花鳥画が現代まで残らなかったのは残念ですが、再現も難しいかもしれません。
技量に対応してくれる画材が、果たして今あるものやら。
ツ寿平の花卉画もよいと思われます。
私は梅逸の師の張月樵も好きですが、好みが分かれるでしょうね。
名古屋の絵師は面白い。空襲が惜しまれます。 >>103
ご自身でこれがいい!と思って買い、楽しむならとてもいい買い物だと思いますよ
本物でしょ >>103
肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
そしていい絵だと思いますよ。
贋作が出るような人でもありませんし。
ずいぶん前に梅の絵を見たきりで、山水画は初見ですが。
先日、安田靫彦作の軍鶏図がなんでも鑑定団に出ていて「端を切り取って偽の落款を
入れたものではないか」と言われていましたが、あれもいい絵でしたね。
私もそういう軸を二幅持っていますが、気に入っています。
(どうも5ちゃんねるでトリップが使えなくなったようなのでなしで) >肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
しかし、なんでも鑑定団などで、お年寄りが永年大切にしてきたモノを持ってきて
贋作=ニセモノと鑑定されて意気消沈しているシーンをよく目にしますが、やはり人間はモノの真贋に関してはどうしても気になって仕方がない生き物なのではないでしょうか? >>106
そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
描く側も見る側も自誤自楽。
老人が多いように思われるのは、長年の思いが裏切られたことへの落胆もあるでしょう
が、地元の人だからとか、○○の作だからという理由で騙された人が多いからかと。
今は同郷人への愛着も薄れ、大雅ですら知名度が怪しい時代になったので、逆に名前で
買って騙される人は減ったかもしれません。
一番騙されるのは、ずぶの素人よりも下手に自信と知識のついた半可通です。 >そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
その境地へまで行きつくにはあと30年くらいかかりそうです・・・・。 俗物でないのではなく、あるまいとするので志していれば皆同志ですよ。
『道徳経』にいわく、千里の道も足下より始まるのです。 ヤフオクでこの掛軸を買った
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w443482406
現物はまだ手元に来てないけど楽しみだね
最悪、印刷でも送料込みで4000円だったらそんなものだしな
この掛軸(画像だが)を見て一眼で気に入って買ったけど、こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな >こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな
中国からのお土産物が90年代まで盛んに入ってきていましたが、大体緑がどぎついか、
墨色が黒ばかりきついのが目立つかが多かったですね。
これは墨色も線もぼかしもいいと思います。構図も達者ではないかと。
「まあこの値段なら」というぐらいの鷹揚な気持ちで買うのがいいですね。
私は最近藤本鉄石の画幅を描きました。柔らかい風のような線の山水画です。 大雑把に言うと「江戸時代に中国文化に憧れていた人たち=文人」でいいんですか? >>112
それでも間違いではないでしょうが、漢文学の実践者というのが重要だろうと思います。
消費するだけではなく生産する者が文化を花開かせたのですね。
しかし、漢文学という共有の基盤、お約束が理解されなくなれば衰退は必定。
日本南画院は今でもありますが、私があれを南画の継承と見做すことに躊躇するのは、
様式もさることながら、題名からして多くが漢文学の素養を感じ取れないからです。
それと「江戸時代に」限定されたものではありません。
教養ある南画家自体は松林桂月没後も結構な数が存命でしたし、今も存在します。
また、和文でも文人は文人ですね。 >また、和文でも文人は文人ですね。
追加で。一般に、南画=文人画とした場合、和文の文人の画、例えば俳画などは除外されます。
与謝蕪村が南画の名手でもあったように、両者は近しい関係にありましたが。
ただ、江戸時代でも寛永の三筆や江戸前期の琳派の絵画を「閃き」を重視して南画に入れた場合がありました。 浦上玉堂さんの山水は男性器と女性器のオンパレード、
老人でも枯れていなかったのか? 浦上玉堂の山水画は数多ありますが、実に色々な山塊を描くことに挑戦しており、その
中で男性器を連想させると主張されているものは一部に過ぎません。
描いていればその様式をあるい程度安定して描けるまで数をこなすものですから、一時
期そうした画を集中して描いていたこともあったでしょう。
ただ、それが男性器に見える、女性器に見えるというのは主観の問題です。
描き手にそうした意図があった「可能性」はありますが、明言されていない以上、あく
までも「見てそう思った人間がそういう人間だ」ということだけが確かなのです。
易への関心から、陰陽を表現しようとしたという説には一定の説得力がありますが。
それにしても、玉堂の他の山水画もあるので、こればかり取り上げて論じるのは如何。
大体において、玉堂のこの話を好む人は、元々猥談が好きであり、ゴテゴテした自己主
張で出来たアバンギャルド(これももう「日本語」としては死語でしょう)な現代美術
に関心があり、南画そのものにはあまり興味がない人が多いようです。 性器のことは橋本治本でしった。
もともと、玉堂の絵は好きだったから、そんな本も読んだのだけど。
以降、なにか不潔に思えて遠ざけてる。
描かれているものの意味だけのことで、印象が随分と変わってしまった。 最後の文人富岡鉄斎の、死の直前90歳の傑作「扶桑神境図」の賛に「森羅万象皆周易 八卦変爻我師為(この世の中の森羅万象はみな周易に書いてある 周易の文章は私の生涯の師となってきた)」というのがある。だから文人で周易に傾倒していた人は多かったのではないか。
まして浦上玉堂は50歳で脱藩、官吏を辞めて子供と琴を携えて無一文の放浪の身分。おのれの行き先を決めるのにもしかすると易経(占いの書でもある)に頼ったのかも知れない。実際に浦上玉堂には「山潤読易図」(岡山県立美術館蔵)という作品もあるし、自著・玉堂琴士集には「読易観時物 吟詩味古音(易を読んで事物を感じ、詩を吟じて古音を味わう」ともある。
ただそこから易経の陰陽思想を表すために男性器女性器を描いたかどうかは玉堂に聞いてみないことにはわからないが、玉堂の絵画を眺めてみた個人的な感想としては「そうだ」と思う。(川端康成も玉堂大好きだしね、しかも川端エロいし) 「山潤読易」も男根型の山水ですね。
「風高雁斜」もそうなので、意味はさておき意識していたと見るべきか。
「雁」という俗称が当時あったのかが問題ですが、平安期の「鉄槌伝」が「雁門太守」
に仮託して男性器を擬人化した文学であったことから、それも知っていれば容易であり、
なおかつ玉堂くらいの人物が知っていた可能性は高いと思います。
他の男根型の山を描いた作品の画賛も、「人が目にしない深山」であることを主張して
いますが、「秘奥」という点で相通ずるものがあるでしょう。
川端康成の場合、一番好きな玉堂作品は「凍雲篩雪」であったそうですし、文人墨客に
関する古美術品自体を愛好していましたから、あまり性的な面ばかりを強調する必要も
なかろうと思われます。
それに、下品な物を語る、表現するのって、難しいんですよ。
その点をどう工夫したかも忖度してあげるべきだと思います。 そうですね、確かに川端康成が愛したのは「凍雲篩雪図」そのものですからね。
あれは陰陽・性的な意味は全く無い絵です。
でもまあ一人くらい「やや奇想の文人画家」(そういう概念が成立するのかどうか、
専門家じゃないのでわかりませんが)がいても面白いかな、とも思います。 まあ玉堂だけ性的な面が目立つだけで、文人墨客は大体奇人変人が多いですからね。
池大雅なんか典型ですし。渡辺崋山→椿椿山→野口幽谷→松林桂月などはまともですが。
性格も絵もおかしいのが、教養や高潔と並ぶ文人画の魅力の一面です。
中国だと、唐寅なんか絵だけ見たらまともそうなんですけどね。
関西を中心に、西日本の方が変なのが多い気がします。豊後はまだましか。
江戸は武家の町であり、豊後も祖が藩士の田能村竹田だった影響でしょうか。 玉堂の野趣の気がある画風は春琴も春琴も受け継がなかったけれど
強く影響を受けた画人はいたのでしょうか 間違えました・・・
×春琴も春琴も
〇春琴も秋琴も >>127
結論から申し上げれば、いないと思います。
まだ去年ミネルヴァから出た伝記に目を通していないのですが。
玉堂の画に親炙したのは息子二人でしょうが、玉堂は春琴の画を評価しなかったそうです。
ずいぶん前に読んだので記憶が不鮮明ですが、春琴の画は繊細で優美であったが故に売れ、
また同じ理由で父からの評価を得られなかったのでしょう。
つまり、表面的で深みがない(なくはないと思いますが)と見做されたのでは。
春琴には複数の弟子がいましたが、当然玉堂の画を受け継いでいるはずもありません。
南画のよさは大胆さや派手な個性ばかりではありませんが、やはり玉堂は無二の存在でしょう。
現代の美術史家の価値観が、現代の美術の立場に倚っており、いたずらに個性を賞賛するばかり
で、技術や学識、風雅味については対象外なのは、どうかと思われますが。
風雅味というのは「あくまで描いている者たちの内輪の了解」扱いで、共通の価値あるものとは
見做されていないのです。 玉堂の画とは全然違いますし、表面的に見れば「ただの南画」で没個性だと見られかねませんが、
城崎出身の斎藤畸庵(中林竹洞門下)は、なかなか面白い画を遺した人物です。
いい意味での騒がしさ、心のざわめきが感じ取れます。
構図や大胆さではやはり玉堂に一籌を輸するものがあり、そこが時代を超えた天才との差なので
しょうが、やはり魅力的です。
春琴に師事した熊坂適山や江馬細香ともども、評価して欲しいもの。
玉堂は脱藩後城崎に向かっていますが、畸庵が生まれる11年前の事です。
あるいは、畸庵が作品を目にする機会もあったかもしれません。
数年前に出た、とある一般向けの文人画の本は、中林竹洞の紹介がありません。
一応、名前だけは出て来ますが。個性偏重主義の弊害でしょう。 この南画スレには今まで出てこなかったけど、釧雲泉の画も素晴らしいものがありますね。
新潟の十日町市博物館にある六曲屏風は一度実物を見てみたい。
木村蒹葭堂や亀田鵬斎、脱藩前の浦上玉堂やの交友も興味深い。
慶応2年(1866年)刊の『南宗書画品価録』には池大雅に次ぐ一点3両の高額で売買の記録があるのに、今ではなぜか忘れ去られてしまった。 ×浦上玉堂やの交友→○浦上玉堂との交友
釧雲泉の画は人気があったから贋作だらけ。真作は何点残っているのやら。
2011年が没後200年だったから回顧展をしたら良かったのに、何もなかった。
南画は人気がない→学芸員が研究したがらない、展覧会が殆どない→誰も見向きもしなくなる の悪循環になってるみたい >南画は人気がない→学芸員が研究したがらない
山下某研究者曰く「南画はちょっと苦手なんです。じつをいうとちょっとではなく、かなり苦手。中国的な教養をひけらかしているところが鼻について」
芸術新潮最強の日本絵画100 「文人として生きる− 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」
https://www.museum.or.jp/event/30713
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/872
浦上玉堂に関してはこの展覧会が素晴らしかった。(浦上玉堂や文人画に興味のある方はぜひ古本の図録を探して手に入れてください)
感想としては、父玉堂は本当に誰も真似できないモノクロームの独自の世界、自娯の世界。川端康成が愛したのも理解できる。春琴は花鳥草花も器用にこなす江戸当時のポピュラーな中堅絵師といったところか。秋琴はやや力が弱い地方絵師か。 >釧雲仙
私も一幅所有していますが、真贋は不明です。
ただ、雄大な構図と力のこもった筆痕が気に入って購入しました。
>中国的な教養をひけらかしているところが鼻について
こういうところが今の研究者にありがちな問題だろうと思います。
伝統や教養を否定して恥じない。
中国的なものに限って否定しているのならそれも問題ですし。
そもそも、前近代の美術を論じるならまずその時代の視線が欠かせません。
現代人の視線から評価出来るというのも結構なことですが、現代人の視線で理解し難
いからといって腐すのが問題でなくて何でしょうか。
鼻についたというのは理解出来なかったからで、理解出来ないのは本人に偏見がある
からなのを、対象に難があるかのように言うべきではありません。
「ひけらかす」のが駄目と言いたいのだとしても、そもそも好きな人間が描いて好き
な人間が見るものなのを「ひけらかす」という言葉が出て来る考え方がいけません。 失礼、釧雲泉でしたね。どうも地元の雲仙普賢岳の印象が強くて。
10年ほど前ですが、島原城内で展示されていました。
南画というのは何も万人に受け入れられるものではありませんし、万人に受け入れられ
ないことを嘆くものでもありません。
ただ、入りもしないで門外でさしたる理由もなく嫌うのは、どんな分野に対しても失礼
で軽はずみな態度ではないでしょうか。 「教養をひけらかす」というのは、漢学の知識が無いと分からない言葉で話している
ということでしょう。
しかし、それは日々学ばなければ身につかないものです。
学んでいる内に理解出来るようになり、学んでいる内に自分からも言える様になる。
なんとも楽しいことではありませんか。
これは漢学に限らず、何かしらの分野を学んでいる人に共通したものだと思いますよ。 山下某氏は室町絵画が専門だったから、文人画は趣味が合わないだけだと思われます
初期論文集を読むときちんと文献も読みこんで論を立ててますよ >>139
どうもありがとうございます。
しかし、専門ではなく、よく知らずよく分からないからこそ、言い方というものは考えたいものです。
よく知った上で嫌いだと言うならまだよろしい。 山下某氏はあれなんよな
師匠の影響で宋元絵画にも暁通してたことが災いして、世界的に見て日本美術は
中国美術のエピゴーネンに過ぎないのではないかと悩んだ時期がかなり長かったこともあり
漢籍や漢画を無批判に礼賛するような向きには同族嫌悪的なものがあるんやろな
南画を十把一絡げにけなしてるわけでもなくて、褒めてた作品もあった気がする 上で挙げたミネルヴァ日本評伝選の『浦上玉堂』を購入したので、まださわりを読んだだけですがご紹介を。
玉堂の絵画に、彼が得意とした琴の、音楽の影響があろうというのは卓見でしょう。
文人画の祖である王維が音楽に通じていたことも、意識していたものでしょうか。
著者は昭和21年生まれですが、冒頭からボストニアン、ニューヨーカー、カルチェ・ラタン、モーツァルト、
ゴッホと「洋物」の知識が披露されます。
これらは自然に出て来るのに、玉堂と関連しない東洋史・日本史の知識が文章として血肉になっていないのは、
著者の世代を象徴するものでしょう。
著者自身が「美術館は西洋画を収蔵するところであって、日本画は対象外であった」という事実を指摘されて
いるのですが、そうした「関心は専ら西洋」を著者自身も体現しているのは皮肉です。
コピーと写真の意義について述べた節もあります。
ただ、その是非はさておき、というより明らかに有意義なのですが、話題としての出現が唐突で、内容のレベ
ルが低いという訳ではなく、展開の仕方がアマチュア向けの郷土誌の様です。
玉堂の伝記の構成として見るなら蛇足と言わないまでも、頭と同時に腹が出たような印象を受けました。
おそらく、研究者以上にアマチュアの郷土史愛好者を本書の読者として想定されたためかと。 また、コピーと写真の意義を強調するのもいいですが、実物特有の良さを語らないのは片手落ちでしょう。
もし絵画というものが純粋に図形として成立しているとお考えなら、おそらく著者は南画の一幅も実物として
は所有してらっしゃらないのだと思います。
和紙や絹、墨や絵具の感触も併せて鑑賞出来るのは、少なくとも現状写真には出来ない芸当です。
良寛が写しで学んだことも言及されていますが、写しに筆勢を加えたのは良寛自身です。
写しはあくまで形状であり、学べないこともあります。
経年劣化以前の姿が写真の方が分かり易いというご指摘、これは事実でしょう。
歴史を知る上でも有意義なことです。
しかし、経年劣化を加えた上での鑑賞だからこそ得られる良さもありますが、そこへの執着は無さそうです。
わびさびに関する感覚が、自明のものとして存在しない人ですね。
そこが昭和21年生まれであり、今時は75歳の人でもそんな感覚になったかという感慨があります。 >>141
山下某研究者が評価しているのは「林十江」ですよ >>142
モーツァルトではなく、シューベルトでした。謹んで訂正いたします。
日本史関連での引用は藤原敏行、正岡子規、宮沢賢治がありましたが、いずれも常識的な内容でした。 自分で同等以上の本が書けるのならまだしも
なんでこんなに偉そうなのか 自分が書けないor出来ないなら言うなというのも変な理屈だがな
評価なんてどんなものでも見た瞬間に出来る 難があれば難を言います。
大体において、褒めるべき点は言うまでもないので現れにくく、瑕疵はことさらに言わざる
を得ないので現れやすいのです。
「ダブった」などと地の文で書かれる作者のノリが合わなかったせいもあるのかもしれません。
長所については、ある程度内容を確認した上で購入したと申し上げておけば十分でしょう。 おれは花鳥風月を眺めながら悠々自適に生きるのが理想 658 水先案名無い人 sage 2021/08/24(火) 21:44:26.49 ID:Secx1N5K0
>>656
469 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:44:36 ID:X/4OAEIa0
昔の中国、東晋に、載逵という文人がいて、琴の名手としても知られていた。
その名声を聞いて、武陵王が宮廷の音楽演奏家として召抱えようとすると
載逵は『王の機嫌をとるための琴ではない』と使者の前で琴を叩き割った。
その故事から、お琴割り(お断り)という言葉が生まれた。 >>142
>コピーと写真の意義について述べた節もあります。
274頁には、図録が真蹟に勝てないとも書かれていることを付け加えておきます。 江馬細香の竹蘭図を買ったよ。崖に蘭と笹を描いた水墨画。
画賛は次の七言絶句。
紫毫痕湿浄娟 >>154
途中で投稿してしまった。
↓江馬細香の画賛
紫毫痕湿浄娟娟
一点無塵到硯辺
写竹人知痩於竹
半窓微雨昼蕭然
細香
制作年はわからないけど四十代くらい?の若書き。
細香の詩集『湘夢詩稿』に載ってるか調べたい。
1枚の画から師匠の頼山陽も身近になりました。 >>154
おめでとうございます。
作者や由緒を関係なく画を楽しむのも大事ですが、こと文人画となると作者に思いをかけたく
なるのは人情ですね。 >>156
ありがとうございます。安値でいい画を買いました。
あの漢詩は門玲子さんの『湘夢遺稿』訳注本に載っていました。
細香の漢詩に山陽が批点や感想を書いて、下手な私小説よりも面白い。
貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
文化の断絶が背景にあるようです。
今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。 >>157
>貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
近世のそれなりに名のある人の書画幅が数千円で買えたことが何度もあります。
名前が分かって売られていれば御の字。認識されず打ち捨てられていることがあります。
>署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
>文化の断絶が背景にあるようです。
>今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。
絶対にあると思いますよ。知り合いの骨董商から「もう捨てられていた」話を何度も聞きました。
表装がボロボロなのでもういいと思ってしまわれるようですね。
学校教育で掛軸について教えてもいいと思いますよ。
時代劇漫画を含む漫画を読んでも、少なからぬ作品で掛軸の構造すら理解されていません。
よくあるのはタペストリーとの混同ですね(上下に軸棒がある)。
中身の絵画以前に掛軸自体に知識や親しみがないのですから、捨てられるのも当然です。 去年は大窪詩仏の墨竹を2点手に入れました。価格は2千円と3千円。
二百年前の当時の文人スターの書画が、こんな価格で手に入って嬉しいような悲しいような。
大窪詩仏の書画を集めた最大のコレクターは、俳優の故・渥美國泰だったらしいけど、今も集めている人はいるのかな。 年末に浜田杏堂の山水画をヤフオクで競り落とした
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1025565033#dummy
某中国書画の美術館の学芸員に現物を見てもらったが、コピーではなく肉筆で浜田杏堂の真筆かどうかはともかくとして、
南画の勉強をしている人の作品なのは間違いないて言ってたから良かったわ
去年は浜田杏堂のコピーもつかまされたわ
表具も凝ってるけど古くてボロボロで長すぎるのが問題だわ
表具をし直さないと 詩は詩仏 書は米庵に 狂歌俺 芸者お勝に料理八百善 >価格は2千円と3千円。
自分が去年山口県で難波覃庵と田中柏陰を手に入れた時もそうでした。
哀しいですね。地元ですら分かって貰えていない。
これはそもそも価値以前に作者不明だったのですが。
>俳優の故・渥美國泰
あの人は文晁やその友人・弟子の作品が好きだったようで。
岡田閑林や横田汝圭はあの人の本で知りました。
知らなければ入手後作者がなかなか分からなかったかもしれません。
どちらも流石にそれなりにしましたが、「それなり」も状態に難ありとはいえ数万円。
浜田杏堂も今は分かる人が少ないのでしょうね。
館に収蔵する以上に、個人でもっと愛好家が増えて欲しいものです。 時に、ご自分が所有してらっしゃる作品の作者でお気に入りといえば誰になりますか?
私は
江戸:帆足杏雨
戦前:河村虹外
戦後:後藤秋
になります。きりがないので各時期から三人だけ。
後藤秋高ヘ伝記も没年(どうも昭和40年頃らしいのですが)もよく分かりませんね。
河村虹外はあんな変な絵を描いている割に温厚な人であったそうで(昭和初期の記述)。 >>160 の浜田杏堂、品があってとてもいい。印は「世憲」とありますね。
中谷伸生先生によると「香堂の贋物というのは見たことない」そうなので、真作の可能性が高そう。
daily-sumus2「浜田杏堂」 https://sumus2013.exblog.jp/21258875/
>>163
江戸:釧雲泉
戦前:下村為山
戦後:岩崎天外
釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
俳画家の下村為山を文人に入れるのはどうかと思うけど、中村不折と対照的に絵ひとすじに生きた孤高の文人画家。
戦後では岩崎天外という無名の南画家が気に入っている。吉嗣拝山の弟子ですが、天外の方が画家としては上を行く。
北九州三大奇人の一人・井上天外については梅崎大夢『雑録 春帆楼』(正風書舎 1999)に詳しい。 >>164
最後の行 ×井上天外→○岩崎天外
他に持っている掛軸では、吉田蔵沢の墨竹画と幸松春浦の初期南画時代がお気にいり。
幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。 >>161-165
あけましておめでとう
雨に濡れた梅のつぼみを愛でながら
去年漬けた梅干で一献 >釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
>やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
私も一幅やたらばかでかい山水図を所有しておりますが、やはり真贋不明ですね。
ただ釧雲泉作と認識する前に購入を決めたので後悔はしないでしょう。
下村為山はいいですね。南画家と言うのが微妙で戦前というなら瀬川独活も好きです。
下村為山はけっこう作品を見かける機会があるのも嬉しい。
微妙仲間で磯野霊山もいいものです。
>岩崎天外
なるほど、いい絵ですね。拝山の梅のような枯淡さに瑞々しさを加えた感じで。
昭和42年、84歳の時まではとりあえず生きたようですね。老人になってからの作品にも若さを感じます。 >幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
>春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。
これはけっこう色々なところに刺さると思いますよ。
春浦と同い年の岡山の南画家に片山秀陵がいますが、戦後の彼の画も彼に学んだ人の画も正直見られません。
南画の近代化は結局徒労というか無駄だったと言った、現代の南画家の言葉が胸に染みます。
日本画自体にも言えることでしょう。
かつて横山大観は旧派の画はなくなっても一向にかまわないと言ったそうですが。
彼の行動の結果の現状を見たら、彼が喜べるのかちょっと疑問です。 私のお気に入りの某日本画家解説サイトが19世紀末産まれの豊後南画家を取り上げて
「この時代の南画家たちの作品は、写実的な表現を取り入れた新日本画の影響を感じ
させるものではあったが、新しい時代に適した南画を興すまでには至らなかった。」
と評価しています。
しかし「新しい時代に適した」ものがないといけないという発想と使命感の果て、角を矯めて牛を殺したように思います。
洋画もそうですが、戦後日本が「新しい在り方」であればいいのだと、無邪気に信じ過ぎました(大正には萌芽が見られますが)。
高度経済成長期の美術評論家の言葉は判で捺したようなもので、毎回のように○○は古い伝統を否定したと喜んで書いています。
あれは今ならAIでも書けるでしょうね。清水義範だったかの短編にそういうのがありましたが。
民営化がやかましかった時も似ていましたが、古い物を潰したからといってより良い新しいものが生えて来るわけではありません。
>>166
あけましておめでとうございます。 私も幸松春浦の画幅は所有していますが、昭和22年のものです。まだ余白があります。
コテコテに塗り出してからのものは、あまり欲しいとは思えませんね。 ヤフオクで↓の柳下荷花図(柳の下の蓮の絵)を落札しました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m1039031443
署名は半江だけど岡田半江ではない。款記には「辛未冬十月中浣写於琴石亭茅窓下半江」
落款印には「邊義?和印」「一字畞■」とあるみたい。辛未は1811年かな。
大胆な描写に繊細な表現が混じっていて、画家の名は分らないけど、揚州八怪みたいで気に入った。
もしかしたら、日本人が描いたんじゃなくて中国画かもしれない。
値段が4千円だから、映画2回分と思うと安い買い物でした。 >>171
かなり上手いですね。いいお買い物だったと思います。
私は最近笹井二洲と卜部京洲の作品を購入して知りました。
どちらも岡山の人で津田白印の弟子だそうですが、多分ほとんどの人は下手と判断する
であろう上手い画の描ける人です。
地方でこういう隠れた名人が絵筆を振るっていた時代はよかったですね。
今はなかなか珍しい。 「文人画 往還する美 」 河野元昭
作品そのものに誠実に向き合い、画像・文献を問わずあらゆる史料を博捜する、堅実な学問的営為でありながら、
広範な学識と鋭敏でしなやかな感性に支えられた叙述力で、
その時代を生きた作家たちの息づかいまでが伝わる、 豊饒な河野美術史の世界。
日本近世絵画史全体にわたる業績のなかから、知と美の共演というべき文人画研究を
集大成。
乾山・大雅・蕪村・呉春・玉堂・竹田・米山人・文晁・崋山・・・
彼らが中国文人画の影響のもと、何を学び、 何を理想として、どのような画境へ到った
のか―生き方をも含めた研鑽の跡をたどる26篇。 文人画や南画の魅力を若い人に伝えなければ、掛軸がゴミとして棄てられていく。
魅力を伝える何らかの手立てが必要でしょう。
豊後南画の魅力発信 「SAIKO会」発足 田能村竹田が大成 /大分
>江戸後期に岡藩の田能村(たのむら)竹田(ちくでん)(1777~1835年)が
大成させた文人画の豊後南画に関心を持つ人々が21日、
竹田市直入町の大丸旅館に集まり「豊後南画SAIKO会」を発足させた。
3カ月に1度程度の割合で会を開き、より多くの人に豊後南画の魅力を伝えていくことにしている。
2021日5月25日付毎日新聞地方版
https://mainichi.jp/articles/20210525/ddl/k44/040/322000c いいことですが、豊後南画最後の巨匠であろう草刈樵谷が亡くなったのが平成5年です。
今の老人が顕彰するより、彼らが若い頃に学んでいればなおよかったのですが。
ただ、豊後ではありませんが、平成5年頃なら私の家の近所にもまだ南画家がいました。
しかし一部の人にしか知られておらず、私も亡くなってかなり経ってから知りました。
松林桂月が亡くなって以降、南画家が亡くなって全国ニュースになったことはないかもしれません。(河野秋邨でもどうでしょう)
南画・南画家自体の認知度を増すという意味では遅いながらも重要な活動ですね。
昭和23年に発足して活動中の日田南画会(姫島竹外の系統)は偉い。 >>177
南画は漢詩と書と画を追求しない成り立ちませんから、現代に南画を描こうとすると大変ですね。
書道人口は減る一方で書道品店の倒産が続いています。南画に限らず絵を描く人口も減っているそうです。漢詩はどうでしょうか。
草苅樵谷さんは豊後南画最後の巨匠。田能村竹田の臨画を繰り返して画技を磨いていました。
樵谷さんに出入りしていた古美術商は、樵谷さんが「米法山水」を描いていたときにビデオを撮って記録したと言っていました。米法山水は水気を含んだ山水画を描くのに適した技法です。書で有名な米芾の技法と言われています。
いま米法山水で画を描ける人は日本に何人いるでしょうか。あのビデオを公開してほしかった。その古美術商は数年前に逝去されました。 追記ですが、いまの南画愛好者で画讃を読む人は非常に少ないです。
画だけを見て、気に入ったとか、ここが悪いとか言う方が多いのです。
画讃が読めなければ、作者の言いたいことは十分に伝わらないでしょう。
勉強すれば、誰でも行書草書は読めるようになります。漢詩も勉強すれば、鑑賞にも幅が広がると思います。 米法というのは見た目より繊細で難しいですね。
形・大きさ・墨色を考え、全体の構成も考えながらでないと不格好になります。
特に墨継ぎをして墨色が変化すると違いが悪目立ちしやすい。紙の性質にもよりますが。
私が所有している中で最後にちゃんと描いているのは仁木伴山でしょうか。
伴山と同世代の渡瀬凌雲先生のお弟子さん(お名前は不明)も描いてらっしゃった筈です。
言われて見れば南画家だからといって必ずしも米法山水を遺している訳ではないような。
南画に必ずしも画賛があるわけではなく、あっても数字で済ませていることもありますが、
少なくとも漢詩的世界を描くというのは前提だろうと思います。
漢詩の世界であり、書(筆・水墨)でないと表現出来ないのが肝心。
日本南画院の今の画は、内容も筆致も鉛筆で風景を描いた画でも成立するような世界のもの
が結構混じっています。水墨画ながら南画かというと疑問。
雅号を使わない人ほどそういう作品が多い。やはり伝統の理解度の差でしょう。
>勉強すれば、誰でも行書草書は読めるようになります。漢詩も勉強すれば、鑑賞にも幅が広がると思います。
「読めない書は書ではない」という乱暴な言説が一時まかり通っていましたが、どの世界も上級は理解しにくいものです。
宣伝も大事ですが、勉強すれば分かる、しないと分からない世界を大事にしないと逆に消えていくでしょうね。 >>133
もそうですが、どうも「自分が知らないことを知っている人がいたら尊敬する」ではなく
「自分の知らない世界を披露されると鼻につく」という現代の発想も難だと思います。
「ひけらかす」という受け取り方がすでに主観ですからね。
「学生が知らないことを恥だと思わなくなった」と30年ほど前に言われていましたが、
今はもっと酷いかもしれません。
「近頃の若いもんは」は半分間違っているとしても時として真実です。 田能村竹田の真作?贋作? 豊後大野市で30日まで企画展
6/10(金)
大分合同新聞
田能村竹田による作品だけでなく、そっくりに描いた偽物などと合わせて53点を展示=豊後大野市千歳町下山の中九州アートミュージアム幸寿記念館
大分県豊後大野市千歳町下山の中九州アートミュージアム幸寿記念館で「豊後南画の祖 田能村竹田真贋(しんがん)展」が開かれている。収集家らでつくる「豊後南画SAIKO会」の主催。古美術商でも鑑定が難しいものが多いという竹田作品の偽物も展示し、鑑定に挑戦できる。30日まで。入場無料。
田能村竹田(1777〜1835年)は旧岡藩の医師の次男として生まれ、藩校「由学館」で学んだ。学問に優れ、全国の文人、墨客、学者らと交遊。優れた弟子を育て、豊後南画の礎を築いて隆盛に導いた。
同会によると、竹田は手本として模写されることがよくあり、似た作品が多く出回っている。完成後に押す印や書体などで分かることもあるが、判断が困難な品が多いという。
同展には会員が所有する掛け軸など53点を展示。真作や贋作(がんさく)と認定された作品から、真贋がはっきりしていないものまで並ぶ。他に、忠臣蔵で有名な大石内蔵助から譲り受け、竹田が愛用したとされる酒を入れるヒョウタンなども。
同会は「明らかな偽物の展示は公的な美術館では難しく、民間だからこそできる企画。本物と偽物の違いを見比べて楽しんでほしい」と話している。
午前10時〜午後3時。月曜定休。12日午後1時半からは偽物の見分け方を指南する特別講座もある。 >>182
面白いですね。公立美術館では購入・収蔵・展示出来ない贋作や劣化の激しい作品で面白い物が
どんどんこういう企画で出てくればいいと思います。
>忠臣蔵で有名な大石内蔵助から譲り受け、竹田が愛用したとされる酒を入れるヒョウタン
1703年に亡くなった人物から、1777年に生まれた人物が譲り受けられるわけがないのですが。
記者が何か勘違いしていますね、これは。
大石内蔵助と田能村竹田。これほどの人物でもこういう認識になってしまった。時代ですね。 >>182
数年前に国立民俗博物館でニセモノ展という
本物とニセモノ比べたり、ニセモノの意義とか解説していた面白い展覧会あったけど
これもいいね 浦上玉堂の書画44点、県に寄贈 倉敷・大原家伝来、7月公開へ
倉敷市の旧家・大原家に伝来する、江戸後期の文人画家浦上玉堂(1745〜1820年)の書画44点と関連資料が、
21日までに岡山県に寄贈された。「寒林けん處(かんしょ)図」(重要美術品)など代表作が含まれており、
7月16日から、玉堂が生まれた岡山市北区天神町に立つ県立美術館で公開される。
(中略)寄贈は「祖父孫三郎は作品を広く多くの人に鑑賞してほしいと考えていた。その思いを確かな形で実現したい」と
大原謙一郎・大原美術館名誉館長が、2006年以来、玉堂を顕彰する特別展を3度開いている県立美術館に相談し決めた。
寄贈された書画は、40代の玉堂が知人の長寿を祝って贈った絵巻から、独自の境地に至る晩年の山水画まで網羅し、
画業の変遷をたどれる。中でも、円熟期を迎えた60代後半の「山雨染衣図」(国重要文化財)や「寒林けん處(かんしょ)図」(重要美術品)は
代表作とされる。玉堂研究の第一人者でもある県立美術館の守安收館長は「名実ともに玉堂の研究拠点となり、顕彰をより進めていきたい」と話している。
寄贈作品の公開は7月16日〜8月28日(7月19、25日、8月1、8、22日休館)。【山陽新聞2022年06月21日】 ttp://s-idemitsu-mm.or.jp/exhibition/present/
田能村竹田と九州の文人画 開館40周年記念 岡田米山人と半江
三重県立美術館
開催期間:2022年9月23日(金・祝)〜2022年11月6日(日)
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/7242 つづき
この展覧会について
ABOUT THIS EXHIBITION
岡田米山人(べいさんじん・1744-1820)とその子半江(はんこう・1782-1846)は、江戸時代の後期、大坂(現:大阪)を舞台に活動した文人画家。父子は、米屋を営むかたわら、独力で書画を学びました。
豪快な父に対し、子は繊細で鋭い作風。伊勢国津藩がその才能を認め、藩の役人に採用したほどで、三重県にゆかりの深い画家といえます。
本展は、日本国内においておよそ半世紀ぶりとなる米山人と半江の展覧会です。 挿絵付き「野ざらし紀行」公開 京都市〔地域〕
12/23(金)
時事通信
約50年ぶりに再発見された松尾芭蕉自筆の「野ざらし紀行図巻」=14日、京都市右京区
江戸時代に活躍した俳人、松尾芭蕉自筆の「野ざらし紀行図巻」が約50年ぶりに再発見され、福田美術館(京都市)で初公開された。見つかったものは、これまでに自筆と確認されているもう1冊とは異なり、紀行文全体にわたって挿絵が描かれている点が珍しいという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b38dd2c32836db8de34774f3934587fc0d17faf 三重県立美術館であった岡田米山人と半江の展覧会に行った人いますか?
私は行ってきましたよ。米山人の方が評価が高いみたいだけど、繊細な半江の方が好みです。
回顧展で画家の作品をまとめて見ておくと、記憶に残って後々役に立つことがあるかもしれない。
愛媛県美術館で1月8日まで展示されてる「生誕三百年記念特別展示 吉田蔵澤」も見たいな
日本の墨竹画家で一番優れているのは吉田蔵澤だと思います。 昔NHK教育でやってた中国漢詩紀行を最近また動画で見てる 文人たちが憧れた木米の個性あふれる名品を公開『没後190年 木米』2月8日 (水)より開催
1/25(水)
ぴあ
重要文化財《染付龍濤文提重》木米 一具 江戸時代 19世紀 東京国立博物館 Image: TNM Image Archives 【通期展示】
江戸時代後期の京都を代表する陶工にして画家である文人・木米(もくべい/1767〜1833)の没後190年を記念して、その生涯と芸術の全貌をたどる展覧会が、2月8日 (水)から3月26日(日)まで、東京・六本木のサントリー美術館で開催される。
https://news.yahoo.co.jp/articles/43a5abac5c92deeb207c587554a7b482b0e597d0 つづき
木米の時代の「文人」とは、中国の文人の詩書画の世界に憧れをもち、中国の学問や芸術の素養を身につけた人々のこと。京都祇園の茶屋「木屋」に生まれた木米は、10代の頃から儒学者・高芙蓉(こうふよう)のもとで篆刻などを習うと同時に、古器物の鑑賞もたしなみ、文人としての修養を積んでいく。
30代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会った木米は、その書の翻刻を手がけつつ、本格的に陶業に打ち込み始める。京焼の奥田頴川(おくだえいせん)に学び、のちに京都の青蓮院の御用焼物師を許されて、名工としての才能を発揮。50代後半からは、絵画にも精力的に取り組んだ。
同展は、中国の書籍や古陶磁の研究を土台として、広い視野から個性あふれる作陶を行った木米の煎茶器から茶陶まで、多岐にわたる名品を一堂に紹介するもの。中国、朝鮮、日本の古陶磁から着想を得るも、外見を忠実に写し取るのみにはとどまらず、様々な古器から抜き出した形や文様を独自の視点で再構成し、ときに遊び心も発揮して新たな美をひらいていく創造性が木米の焼き物の特徴だという。
同展でもうひとつ焦点があてられているのは、同時代の文人たちがお互いの個性を尊重しながら構築したネットワークである。親友画家・田能村竹田(たのむらちくでん)、儒学者の頼山陽(らいさんよう)、僧の雲華(うんげ)、蘭方医の小石元瑞(こいしげんずい)など、親しい文人たちと交わした書簡や書画からは、その博識ぶりやユーモアが敬愛を集めていたという木米自身の人柄も見えてくる。特に木米の絵画は、友人への贈り物とした山水図が多いという。清らかで自由奔放な画風も魅力的だが、交友関係や人柄も想像しながら鑑賞すると、しみじみとした味わいがより増すに違いない。 平安の四竹の一人、宮崎筠圃の墨竹画を落札しましたよ
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p1091583988
印章は合ってるけど本物かな。3千円だから贋作だとしても勉強代と考えるよ
上にある画賛は伊藤若冲と昵懇だった大典顕常かな
本物だったら3千円は安いと思う 平安四竹は名高い割に作品を見る機会が少なく(展示してくれないというのもありそうです)、
私も真贋の判断は致しかねますが、いい物だと思います。
しかし今回に限らず、絵を見る前に「本物か、贋作か」と言われると判断に迷いますね。
最初に絵を見ていた方が自信を持てます。 >>181
憶測で山下氏が漢籍を読めないなんてデマを吹聴するのやめなよ
>>133の直後でも何人かに指摘されてるでしょ 「読めない」とは申し上げておりません。しかし、ご理解が浅いのであろうと思わざるを得ませんでした。
どんな分野でもそうだと思いますが、時間と情熱を傾けていれば愛着が湧き、対象に所属意識が芽生えるものです。
自分が軸足を置いているものに対して「ひけらかす」という感想は生じません。
こういった表現自体、そこまで耽溺したことのない人間のものでしょう。
そして自分の好きな分野についてそのような表現をされた場合、反発しない人間がいるでしょうか。 山下裕二氏の2006年頃のインタビューから↓
―― さて、ちょっと話は変わりますが、私どものカタログで、面白いと思ったモノはありましたか。
山下氏「南画は僕は苦手なんだけど、この杏雨(本カタログ所収 No.1帆足杏雨「道士洞居図」)はいいですね。これは欲しいと思いますよ。
ただ、南画の世界がイヤなのは、自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
行ったこともない癖に中国かぶれで。現代アートの世界も似たようなモノですけどね。
今NYではどうこう、と言ってるような連中は。」
(引用元:ぎゃらりい秋華洞 美術品蒐集の達人に聞く!山下裕二氏 一対一の関係を切り結ぶ https://www.syukado.jp/interview/vol001/ )
山下氏は文人画や南画に興味はあるけど、苦手だそうだよ >自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
芸術というか文化のジャンルってどこもそうだと思う >>206
> ただ、南画の世界がイヤなのは、自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
> 行ったこともない癖に中国かぶれで。現代アートの世界も似たようなモノですけどね。
> 今NYではどうこう、と言ってるような連中は。」
現代アートはそんなところがあったな、 文人交流の作品紹介 鶴亭の初公開作品も 大和文華館で特別企画展
8/23(水) 9:16配信
産経新聞
呉春の「春林書屋図」(大和文華館蔵)
文人らの交流が育んだ絵画を紹介する特別企画展「文人サークルへようこそ−淇園(きえん)・鶴亭(かくてい)・蕪村(ぶそん)たちがお出迎え−」が、大和文華館(奈良市学園南)で開かれている。江戸時代に中国由来の花鳥画を京都、大阪で広めたことで知られる画僧、鶴亭の初公開作品もある。9月24日まで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9847ca0f2d107ba10f5006350f068f3bdc85ce2e 世界に誇るべき豊後南画のSAIKO(再興・最高・再考)
豊後南画SAIKO会さんbェクラファンを滑J始されてます=B
この秋涛~に『田能村竹涛cとその朋友たbソ』展と関連企演謔\定していb驍サうです。
>大分県内はもちろん、首都圏において『田能村竹田とその朋友たち展』を開催。
>豊後南画の魅力を伝える講演会や現代画家による実演会を開催。
https://camp-fire.jp/projects/view/688239 ↑失礼。文字化けしたので再投稿します。
世界に誇るべき豊後南画のSAIKO(再興・最高・再考)
豊後南画SAIKO会さんがクラファンをしています。
この秋冬に『田能村竹田とその朋友たち』展と関連企演を予定しているそうです。
>大分県内はもちろん、首都圏において『田能村竹田とその朋友たち展』を開催。
>豊後南画の魅力を伝える講演会や現代画家による実演会を開催。
https://camp-fire.jp/projects/view/688239 御報せどうもありがとうございます。
>現代画家による実演会
あれだけ盛んであった豊後南画の催しに出席される方が豊後南画の方でないとはなんとも皮肉なことですね。
高齢であったとはいえ草刈樵谷が没したのはたかだか30年前、同じ豊後人に衣鉢を受け継ごうとする者がいなかったとは。
とはいえ、遅くとも南画文化の振興を思えば今後も頑張っていただきたいものです。
つい先日出た甲斐虎山の本といい、村田先生は実によく働かれますね。
しかし、仕様が変更されて見難くてしょうがありませんね。 一応豊後の名誉のために付け加えておくと、豊後在住で南画の実作も愛好される方はいらっしゃいます。
ただ、こういった場で描く水準には達していないと判断されたのでしょう。 浜田杏堂の画を買いました
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s708304515
中谷伸生先生によると杏堂の贋作は見たことがないそうなので、落款未確認ながら思い切って購入しました
これといった特徴はないけれど、明清の山水画を真面目に学んだ人の画で、見ていて気持ちがいい
画面左下に「黄檗画禅堂」印が捺してありますよね。これは田能村直入の所蔵印のようです。
裏には「洛東画禅堂印」、直入が晩年住んでいた洛東若王寺境内の画禅堂にあったのでしょうか
直入は1880年設立の京都府画学校の初代校長で、運営資金を集めるために東奔西走したそうです
来歴も面白そうな文人画で、いろいろ楽しめそうです >>213
どうせなら支援者に現在描いている南画の配布とかすればよかったのに。
1万円なら色紙、10万円なら掛軸とかで。 目黒区に住んでいるテニスをする成蹊大学出身の福永英子は知的障害者ではないし、ろくでなしでもない 福永英子に的外れな言葉の暴力を長年受けてきた
全部的外れな攻撃だ
絶対にゆるさない