【南画】文人画を語るスレ【南画以外】 [無断転載禁止]©2ch.net
山下某氏はあれなんよな
師匠の影響で宋元絵画にも暁通してたことが災いして、世界的に見て日本美術は
中国美術のエピゴーネンに過ぎないのではないかと悩んだ時期がかなり長かったこともあり
漢籍や漢画を無批判に礼賛するような向きには同族嫌悪的なものがあるんやろな
南画を十把一絡げにけなしてるわけでもなくて、褒めてた作品もあった気がする 上で挙げたミネルヴァ日本評伝選の『浦上玉堂』を購入したので、まださわりを読んだだけですがご紹介を。
玉堂の絵画に、彼が得意とした琴の、音楽の影響があろうというのは卓見でしょう。
文人画の祖である王維が音楽に通じていたことも、意識していたものでしょうか。
著者は昭和21年生まれですが、冒頭からボストニアン、ニューヨーカー、カルチェ・ラタン、モーツァルト、
ゴッホと「洋物」の知識が披露されます。
これらは自然に出て来るのに、玉堂と関連しない東洋史・日本史の知識が文章として血肉になっていないのは、
著者の世代を象徴するものでしょう。
著者自身が「美術館は西洋画を収蔵するところであって、日本画は対象外であった」という事実を指摘されて
いるのですが、そうした「関心は専ら西洋」を著者自身も体現しているのは皮肉です。
コピーと写真の意義について述べた節もあります。
ただ、その是非はさておき、というより明らかに有意義なのですが、話題としての出現が唐突で、内容のレベ
ルが低いという訳ではなく、展開の仕方がアマチュア向けの郷土誌の様です。
玉堂の伝記の構成として見るなら蛇足と言わないまでも、頭と同時に腹が出たような印象を受けました。
おそらく、研究者以上にアマチュアの郷土史愛好者を本書の読者として想定されたためかと。 また、コピーと写真の意義を強調するのもいいですが、実物特有の良さを語らないのは片手落ちでしょう。
もし絵画というものが純粋に図形として成立しているとお考えなら、おそらく著者は南画の一幅も実物として
は所有してらっしゃらないのだと思います。
和紙や絹、墨や絵具の感触も併せて鑑賞出来るのは、少なくとも現状写真には出来ない芸当です。
良寛が写しで学んだことも言及されていますが、写しに筆勢を加えたのは良寛自身です。
写しはあくまで形状であり、学べないこともあります。
経年劣化以前の姿が写真の方が分かり易いというご指摘、これは事実でしょう。
歴史を知る上でも有意義なことです。
しかし、経年劣化を加えた上での鑑賞だからこそ得られる良さもありますが、そこへの執着は無さそうです。
わびさびに関する感覚が、自明のものとして存在しない人ですね。
そこが昭和21年生まれであり、今時は75歳の人でもそんな感覚になったかという感慨があります。 >>141
山下某研究者が評価しているのは「林十江」ですよ >>142
モーツァルトではなく、シューベルトでした。謹んで訂正いたします。
日本史関連での引用は藤原敏行、正岡子規、宮沢賢治がありましたが、いずれも常識的な内容でした。 自分で同等以上の本が書けるのならまだしも
なんでこんなに偉そうなのか 自分が書けないor出来ないなら言うなというのも変な理屈だがな
評価なんてどんなものでも見た瞬間に出来る 難があれば難を言います。
大体において、褒めるべき点は言うまでもないので現れにくく、瑕疵はことさらに言わざる
を得ないので現れやすいのです。
「ダブった」などと地の文で書かれる作者のノリが合わなかったせいもあるのかもしれません。
長所については、ある程度内容を確認した上で購入したと申し上げておけば十分でしょう。 おれは花鳥風月を眺めながら悠々自適に生きるのが理想 658 水先案名無い人 sage 2021/08/24(火) 21:44:26.49 ID:Secx1N5K0
>>656
469 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:44:36 ID:X/4OAEIa0
昔の中国、東晋に、載逵という文人がいて、琴の名手としても知られていた。
その名声を聞いて、武陵王が宮廷の音楽演奏家として召抱えようとすると
載逵は『王の機嫌をとるための琴ではない』と使者の前で琴を叩き割った。
その故事から、お琴割り(お断り)という言葉が生まれた。 >>142
>コピーと写真の意義について述べた節もあります。
274頁には、図録が真蹟に勝てないとも書かれていることを付け加えておきます。 江馬細香の竹蘭図を買ったよ。崖に蘭と笹を描いた水墨画。
画賛は次の七言絶句。
紫毫痕湿浄娟 >>154
途中で投稿してしまった。
↓江馬細香の画賛
紫毫痕湿浄娟娟
一点無塵到硯辺
写竹人知痩於竹
半窓微雨昼蕭然
細香
制作年はわからないけど四十代くらい?の若書き。
細香の詩集『湘夢詩稿』に載ってるか調べたい。
1枚の画から師匠の頼山陽も身近になりました。 >>154
おめでとうございます。
作者や由緒を関係なく画を楽しむのも大事ですが、こと文人画となると作者に思いをかけたく
なるのは人情ですね。 >>156
ありがとうございます。安値でいい画を買いました。
あの漢詩は門玲子さんの『湘夢遺稿』訳注本に載っていました。
細香の漢詩に山陽が批点や感想を書いて、下手な私小説よりも面白い。
貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
文化の断絶が背景にあるようです。
今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。 >>157
>貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
近世のそれなりに名のある人の書画幅が数千円で買えたことが何度もあります。
名前が分かって売られていれば御の字。認識されず打ち捨てられていることがあります。
>署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
>文化の断絶が背景にあるようです。
>今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。
絶対にあると思いますよ。知り合いの骨董商から「もう捨てられていた」話を何度も聞きました。
表装がボロボロなのでもういいと思ってしまわれるようですね。
学校教育で掛軸について教えてもいいと思いますよ。
時代劇漫画を含む漫画を読んでも、少なからぬ作品で掛軸の構造すら理解されていません。
よくあるのはタペストリーとの混同ですね(上下に軸棒がある)。
中身の絵画以前に掛軸自体に知識や親しみがないのですから、捨てられるのも当然です。 去年は大窪詩仏の墨竹を2点手に入れました。価格は2千円と3千円。
二百年前の当時の文人スターの書画が、こんな価格で手に入って嬉しいような悲しいような。
大窪詩仏の書画を集めた最大のコレクターは、俳優の故・渥美國泰だったらしいけど、今も集めている人はいるのかな。 年末に浜田杏堂の山水画をヤフオクで競り落とした
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1025565033#dummy
某中国書画の美術館の学芸員に現物を見てもらったが、コピーではなく肉筆で浜田杏堂の真筆かどうかはともかくとして、
南画の勉強をしている人の作品なのは間違いないて言ってたから良かったわ
去年は浜田杏堂のコピーもつかまされたわ
表具も凝ってるけど古くてボロボロで長すぎるのが問題だわ
表具をし直さないと 詩は詩仏 書は米庵に 狂歌俺 芸者お勝に料理八百善 >価格は2千円と3千円。
自分が去年山口県で難波覃庵と田中柏陰を手に入れた時もそうでした。
哀しいですね。地元ですら分かって貰えていない。
これはそもそも価値以前に作者不明だったのですが。
>俳優の故・渥美國泰
あの人は文晁やその友人・弟子の作品が好きだったようで。
岡田閑林や横田汝圭はあの人の本で知りました。
知らなければ入手後作者がなかなか分からなかったかもしれません。
どちらも流石にそれなりにしましたが、「それなり」も状態に難ありとはいえ数万円。
浜田杏堂も今は分かる人が少ないのでしょうね。
館に収蔵する以上に、個人でもっと愛好家が増えて欲しいものです。 時に、ご自分が所有してらっしゃる作品の作者でお気に入りといえば誰になりますか?
私は
江戸:帆足杏雨
戦前:河村虹外
戦後:後藤秋
になります。きりがないので各時期から三人だけ。
後藤秋高ヘ伝記も没年(どうも昭和40年頃らしいのですが)もよく分かりませんね。
河村虹外はあんな変な絵を描いている割に温厚な人であったそうで(昭和初期の記述)。 >>160 の浜田杏堂、品があってとてもいい。印は「世憲」とありますね。
中谷伸生先生によると「香堂の贋物というのは見たことない」そうなので、真作の可能性が高そう。
daily-sumus2「浜田杏堂」 https://sumus2013.exblog.jp/21258875/
>>163
江戸:釧雲泉
戦前:下村為山
戦後:岩崎天外
釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
俳画家の下村為山を文人に入れるのはどうかと思うけど、中村不折と対照的に絵ひとすじに生きた孤高の文人画家。
戦後では岩崎天外という無名の南画家が気に入っている。吉嗣拝山の弟子ですが、天外の方が画家としては上を行く。
北九州三大奇人の一人・井上天外については梅崎大夢『雑録 春帆楼』(正風書舎 1999)に詳しい。 >>164
最後の行 ×井上天外→○岩崎天外
他に持っている掛軸では、吉田蔵沢の墨竹画と幸松春浦の初期南画時代がお気にいり。
幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。 >>161-165
あけましておめでとう
雨に濡れた梅のつぼみを愛でながら
去年漬けた梅干で一献 >釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
>やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
私も一幅やたらばかでかい山水図を所有しておりますが、やはり真贋不明ですね。
ただ釧雲泉作と認識する前に購入を決めたので後悔はしないでしょう。
下村為山はいいですね。南画家と言うのが微妙で戦前というなら瀬川独活も好きです。
下村為山はけっこう作品を見かける機会があるのも嬉しい。
微妙仲間で磯野霊山もいいものです。
>岩崎天外
なるほど、いい絵ですね。拝山の梅のような枯淡さに瑞々しさを加えた感じで。
昭和42年、84歳の時まではとりあえず生きたようですね。老人になってからの作品にも若さを感じます。 >幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
>春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。
これはけっこう色々なところに刺さると思いますよ。
春浦と同い年の岡山の南画家に片山秀陵がいますが、戦後の彼の画も彼に学んだ人の画も正直見られません。
南画の近代化は結局徒労というか無駄だったと言った、現代の南画家の言葉が胸に染みます。
日本画自体にも言えることでしょう。
かつて横山大観は旧派の画はなくなっても一向にかまわないと言ったそうですが。
彼の行動の結果の現状を見たら、彼が喜べるのかちょっと疑問です。 私のお気に入りの某日本画家解説サイトが19世紀末産まれの豊後南画家を取り上げて
「この時代の南画家たちの作品は、写実的な表現を取り入れた新日本画の影響を感じ
させるものではあったが、新しい時代に適した南画を興すまでには至らなかった。」
と評価しています。
しかし「新しい時代に適した」ものがないといけないという発想と使命感の果て、角を矯めて牛を殺したように思います。
洋画もそうですが、戦後日本が「新しい在り方」であればいいのだと、無邪気に信じ過ぎました(大正には萌芽が見られますが)。
高度経済成長期の美術評論家の言葉は判で捺したようなもので、毎回のように○○は古い伝統を否定したと喜んで書いています。
あれは今ならAIでも書けるでしょうね。清水義範だったかの短編にそういうのがありましたが。
民営化がやかましかった時も似ていましたが、古い物を潰したからといってより良い新しいものが生えて来るわけではありません。
>>166
あけましておめでとうございます。 私も幸松春浦の画幅は所有していますが、昭和22年のものです。まだ余白があります。
コテコテに塗り出してからのものは、あまり欲しいとは思えませんね。 ヤフオクで↓の柳下荷花図(柳の下の蓮の絵)を落札しました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m1039031443
署名は半江だけど岡田半江ではない。款記には「辛未冬十月中浣写於琴石亭茅窓下半江」
落款印には「邊義?和印」「一字畞■」とあるみたい。辛未は1811年かな。
大胆な描写に繊細な表現が混じっていて、画家の名は分らないけど、揚州八怪みたいで気に入った。
もしかしたら、日本人が描いたんじゃなくて中国画かもしれない。
値段が4千円だから、映画2回分と思うと安い買い物でした。 >>171
かなり上手いですね。いいお買い物だったと思います。
私は最近笹井二洲と卜部京洲の作品を購入して知りました。
どちらも岡山の人で津田白印の弟子だそうですが、多分ほとんどの人は下手と判断する
であろう上手い画の描ける人です。
地方でこういう隠れた名人が絵筆を振るっていた時代はよかったですね。
今はなかなか珍しい。 「文人画 往還する美 」 河野元昭
作品そのものに誠実に向き合い、画像・文献を問わずあらゆる史料を博捜する、堅実な学問的営為でありながら、
広範な学識と鋭敏でしなやかな感性に支えられた叙述力で、
その時代を生きた作家たちの息づかいまでが伝わる、 豊饒な河野美術史の世界。
日本近世絵画史全体にわたる業績のなかから、知と美の共演というべき文人画研究を
集大成。
乾山・大雅・蕪村・呉春・玉堂・竹田・米山人・文晁・崋山・・・
彼らが中国文人画の影響のもと、何を学び、 何を理想として、どのような画境へ到った
のか―生き方をも含めた研鑽の跡をたどる26篇。 文人画や南画の魅力を若い人に伝えなければ、掛軸がゴミとして棄てられていく。
魅力を伝える何らかの手立てが必要でしょう。
豊後南画の魅力発信 「SAIKO会」発足 田能村竹田が大成 /大分
>江戸後期に岡藩の田能村(たのむら)竹田(ちくでん)(1777~1835年)が
大成させた文人画の豊後南画に関心を持つ人々が21日、
竹田市直入町の大丸旅館に集まり「豊後南画SAIKO会」を発足させた。
3カ月に1度程度の割合で会を開き、より多くの人に豊後南画の魅力を伝えていくことにしている。
2021日5月25日付毎日新聞地方版
https://mainichi.jp/articles/20210525/ddl/k44/040/322000c いいことですが、豊後南画最後の巨匠であろう草刈樵谷が亡くなったのが平成5年です。
今の老人が顕彰するより、彼らが若い頃に学んでいればなおよかったのですが。
ただ、豊後ではありませんが、平成5年頃なら私の家の近所にもまだ南画家がいました。
しかし一部の人にしか知られておらず、私も亡くなってかなり経ってから知りました。
松林桂月が亡くなって以降、南画家が亡くなって全国ニュースになったことはないかもしれません。(河野秋邨でもどうでしょう)
南画・南画家自体の認知度を増すという意味では遅いながらも重要な活動ですね。
昭和23年に発足して活動中の日田南画会(姫島竹外の系統)は偉い。 >>177
南画は漢詩と書と画を追求しない成り立ちませんから、現代に南画を描こうとすると大変ですね。
書道人口は減る一方で書道品店の倒産が続いています。南画に限らず絵を描く人口も減っているそうです。漢詩はどうでしょうか。
草苅樵谷さんは豊後南画最後の巨匠。田能村竹田の臨画を繰り返して画技を磨いていました。
樵谷さんに出入りしていた古美術商は、樵谷さんが「米法山水」を描いていたときにビデオを撮って記録したと言っていました。米法山水は水気を含んだ山水画を描くのに適した技法です。書で有名な米芾の技法と言われています。
いま米法山水で画を描ける人は日本に何人いるでしょうか。あのビデオを公開してほしかった。その古美術商は数年前に逝去されました。 追記ですが、いまの南画愛好者で画讃を読む人は非常に少ないです。
画だけを見て、気に入ったとか、ここが悪いとか言う方が多いのです。
画讃が読めなければ、作者の言いたいことは十分に伝わらないでしょう。
勉強すれば、誰でも行書草書は読めるようになります。漢詩も勉強すれば、鑑賞にも幅が広がると思います。 米法というのは見た目より繊細で難しいですね。
形・大きさ・墨色を考え、全体の構成も考えながらでないと不格好になります。
特に墨継ぎをして墨色が変化すると違いが悪目立ちしやすい。紙の性質にもよりますが。
私が所有している中で最後にちゃんと描いているのは仁木伴山でしょうか。
伴山と同世代の渡瀬凌雲先生のお弟子さん(お名前は不明)も描いてらっしゃった筈です。
言われて見れば南画家だからといって必ずしも米法山水を遺している訳ではないような。
南画に必ずしも画賛があるわけではなく、あっても数字で済ませていることもありますが、
少なくとも漢詩的世界を描くというのは前提だろうと思います。
漢詩の世界であり、書(筆・水墨)でないと表現出来ないのが肝心。
日本南画院の今の画は、内容も筆致も鉛筆で風景を描いた画でも成立するような世界のもの
が結構混じっています。水墨画ながら南画かというと疑問。
雅号を使わない人ほどそういう作品が多い。やはり伝統の理解度の差でしょう。
>勉強すれば、誰でも行書草書は読めるようになります。漢詩も勉強すれば、鑑賞にも幅が広がると思います。
「読めない書は書ではない」という乱暴な言説が一時まかり通っていましたが、どの世界も上級は理解しにくいものです。
宣伝も大事ですが、勉強すれば分かる、しないと分からない世界を大事にしないと逆に消えていくでしょうね。 >>133
もそうですが、どうも「自分が知らないことを知っている人がいたら尊敬する」ではなく
「自分の知らない世界を披露されると鼻につく」という現代の発想も難だと思います。
「ひけらかす」という受け取り方がすでに主観ですからね。
「学生が知らないことを恥だと思わなくなった」と30年ほど前に言われていましたが、
今はもっと酷いかもしれません。
「近頃の若いもんは」は半分間違っているとしても時として真実です。 田能村竹田の真作?贋作? 豊後大野市で30日まで企画展
6/10(金)
大分合同新聞
田能村竹田による作品だけでなく、そっくりに描いた偽物などと合わせて53点を展示=豊後大野市千歳町下山の中九州アートミュージアム幸寿記念館
大分県豊後大野市千歳町下山の中九州アートミュージアム幸寿記念館で「豊後南画の祖 田能村竹田真贋(しんがん)展」が開かれている。収集家らでつくる「豊後南画SAIKO会」の主催。古美術商でも鑑定が難しいものが多いという竹田作品の偽物も展示し、鑑定に挑戦できる。30日まで。入場無料。
田能村竹田(1777〜1835年)は旧岡藩の医師の次男として生まれ、藩校「由学館」で学んだ。学問に優れ、全国の文人、墨客、学者らと交遊。優れた弟子を育て、豊後南画の礎を築いて隆盛に導いた。
同会によると、竹田は手本として模写されることがよくあり、似た作品が多く出回っている。完成後に押す印や書体などで分かることもあるが、判断が困難な品が多いという。
同展には会員が所有する掛け軸など53点を展示。真作や贋作(がんさく)と認定された作品から、真贋がはっきりしていないものまで並ぶ。他に、忠臣蔵で有名な大石内蔵助から譲り受け、竹田が愛用したとされる酒を入れるヒョウタンなども。
同会は「明らかな偽物の展示は公的な美術館では難しく、民間だからこそできる企画。本物と偽物の違いを見比べて楽しんでほしい」と話している。
午前10時〜午後3時。月曜定休。12日午後1時半からは偽物の見分け方を指南する特別講座もある。 >>182
面白いですね。公立美術館では購入・収蔵・展示出来ない贋作や劣化の激しい作品で面白い物が
どんどんこういう企画で出てくればいいと思います。
>忠臣蔵で有名な大石内蔵助から譲り受け、竹田が愛用したとされる酒を入れるヒョウタン
1703年に亡くなった人物から、1777年に生まれた人物が譲り受けられるわけがないのですが。
記者が何か勘違いしていますね、これは。
大石内蔵助と田能村竹田。これほどの人物でもこういう認識になってしまった。時代ですね。 >>182
数年前に国立民俗博物館でニセモノ展という
本物とニセモノ比べたり、ニセモノの意義とか解説していた面白い展覧会あったけど
これもいいね 浦上玉堂の書画44点、県に寄贈 倉敷・大原家伝来、7月公開へ
倉敷市の旧家・大原家に伝来する、江戸後期の文人画家浦上玉堂(1745〜1820年)の書画44点と関連資料が、
21日までに岡山県に寄贈された。「寒林けん處(かんしょ)図」(重要美術品)など代表作が含まれており、
7月16日から、玉堂が生まれた岡山市北区天神町に立つ県立美術館で公開される。
(中略)寄贈は「祖父孫三郎は作品を広く多くの人に鑑賞してほしいと考えていた。その思いを確かな形で実現したい」と
大原謙一郎・大原美術館名誉館長が、2006年以来、玉堂を顕彰する特別展を3度開いている県立美術館に相談し決めた。
寄贈された書画は、40代の玉堂が知人の長寿を祝って贈った絵巻から、独自の境地に至る晩年の山水画まで網羅し、
画業の変遷をたどれる。中でも、円熟期を迎えた60代後半の「山雨染衣図」(国重要文化財)や「寒林けん處(かんしょ)図」(重要美術品)は
代表作とされる。玉堂研究の第一人者でもある県立美術館の守安收館長は「名実ともに玉堂の研究拠点となり、顕彰をより進めていきたい」と話している。
寄贈作品の公開は7月16日〜8月28日(7月19、25日、8月1、8、22日休館)。【山陽新聞2022年06月21日】 ttp://s-idemitsu-mm.or.jp/exhibition/present/
田能村竹田と九州の文人画 開館40周年記念 岡田米山人と半江
三重県立美術館
開催期間:2022年9月23日(金・祝)〜2022年11月6日(日)
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/7242 つづき
この展覧会について
ABOUT THIS EXHIBITION
岡田米山人(べいさんじん・1744-1820)とその子半江(はんこう・1782-1846)は、江戸時代の後期、大坂(現:大阪)を舞台に活動した文人画家。父子は、米屋を営むかたわら、独力で書画を学びました。
豪快な父に対し、子は繊細で鋭い作風。伊勢国津藩がその才能を認め、藩の役人に採用したほどで、三重県にゆかりの深い画家といえます。
本展は、日本国内においておよそ半世紀ぶりとなる米山人と半江の展覧会です。 挿絵付き「野ざらし紀行」公開 京都市〔地域〕
12/23(金)
時事通信
約50年ぶりに再発見された松尾芭蕉自筆の「野ざらし紀行図巻」=14日、京都市右京区
江戸時代に活躍した俳人、松尾芭蕉自筆の「野ざらし紀行図巻」が約50年ぶりに再発見され、福田美術館(京都市)で初公開された。見つかったものは、これまでに自筆と確認されているもう1冊とは異なり、紀行文全体にわたって挿絵が描かれている点が珍しいという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b38dd2c32836db8de34774f3934587fc0d17faf 三重県立美術館であった岡田米山人と半江の展覧会に行った人いますか?
私は行ってきましたよ。米山人の方が評価が高いみたいだけど、繊細な半江の方が好みです。
回顧展で画家の作品をまとめて見ておくと、記憶に残って後々役に立つことがあるかもしれない。
愛媛県美術館で1月8日まで展示されてる「生誕三百年記念特別展示 吉田蔵澤」も見たいな
日本の墨竹画家で一番優れているのは吉田蔵澤だと思います。 昔NHK教育でやってた中国漢詩紀行を最近また動画で見てる 文人たちが憧れた木米の個性あふれる名品を公開『没後190年 木米』2月8日 (水)より開催
1/25(水)
ぴあ
重要文化財《染付龍濤文提重》木米 一具 江戸時代 19世紀 東京国立博物館 Image: TNM Image Archives 【通期展示】
江戸時代後期の京都を代表する陶工にして画家である文人・木米(もくべい/1767〜1833)の没後190年を記念して、その生涯と芸術の全貌をたどる展覧会が、2月8日 (水)から3月26日(日)まで、東京・六本木のサントリー美術館で開催される。
https://news.yahoo.co.jp/articles/43a5abac5c92deeb207c587554a7b482b0e597d0 つづき
木米の時代の「文人」とは、中国の文人の詩書画の世界に憧れをもち、中国の学問や芸術の素養を身につけた人々のこと。京都祇園の茶屋「木屋」に生まれた木米は、10代の頃から儒学者・高芙蓉(こうふよう)のもとで篆刻などを習うと同時に、古器物の鑑賞もたしなみ、文人としての修養を積んでいく。
30代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会った木米は、その書の翻刻を手がけつつ、本格的に陶業に打ち込み始める。京焼の奥田頴川(おくだえいせん)に学び、のちに京都の青蓮院の御用焼物師を許されて、名工としての才能を発揮。50代後半からは、絵画にも精力的に取り組んだ。
同展は、中国の書籍や古陶磁の研究を土台として、広い視野から個性あふれる作陶を行った木米の煎茶器から茶陶まで、多岐にわたる名品を一堂に紹介するもの。中国、朝鮮、日本の古陶磁から着想を得るも、外見を忠実に写し取るのみにはとどまらず、様々な古器から抜き出した形や文様を独自の視点で再構成し、ときに遊び心も発揮して新たな美をひらいていく創造性が木米の焼き物の特徴だという。
同展でもうひとつ焦点があてられているのは、同時代の文人たちがお互いの個性を尊重しながら構築したネットワークである。親友画家・田能村竹田(たのむらちくでん)、儒学者の頼山陽(らいさんよう)、僧の雲華(うんげ)、蘭方医の小石元瑞(こいしげんずい)など、親しい文人たちと交わした書簡や書画からは、その博識ぶりやユーモアが敬愛を集めていたという木米自身の人柄も見えてくる。特に木米の絵画は、友人への贈り物とした山水図が多いという。清らかで自由奔放な画風も魅力的だが、交友関係や人柄も想像しながら鑑賞すると、しみじみとした味わいがより増すに違いない。 平安の四竹の一人、宮崎筠圃の墨竹画を落札しましたよ
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p1091583988
印章は合ってるけど本物かな。3千円だから贋作だとしても勉強代と考えるよ
上にある画賛は伊藤若冲と昵懇だった大典顕常かな
本物だったら3千円は安いと思う 平安四竹は名高い割に作品を見る機会が少なく(展示してくれないというのもありそうです)、
私も真贋の判断は致しかねますが、いい物だと思います。
しかし今回に限らず、絵を見る前に「本物か、贋作か」と言われると判断に迷いますね。
最初に絵を見ていた方が自信を持てます。 >>181
憶測で山下氏が漢籍を読めないなんてデマを吹聴するのやめなよ
>>133の直後でも何人かに指摘されてるでしょ 「読めない」とは申し上げておりません。しかし、ご理解が浅いのであろうと思わざるを得ませんでした。
どんな分野でもそうだと思いますが、時間と情熱を傾けていれば愛着が湧き、対象に所属意識が芽生えるものです。
自分が軸足を置いているものに対して「ひけらかす」という感想は生じません。
こういった表現自体、そこまで耽溺したことのない人間のものでしょう。
そして自分の好きな分野についてそのような表現をされた場合、反発しない人間がいるでしょうか。 山下裕二氏の2006年頃のインタビューから↓
―― さて、ちょっと話は変わりますが、私どものカタログで、面白いと思ったモノはありましたか。
山下氏「南画は僕は苦手なんだけど、この杏雨(本カタログ所収 No.1帆足杏雨「道士洞居図」)はいいですね。これは欲しいと思いますよ。
ただ、南画の世界がイヤなのは、自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
行ったこともない癖に中国かぶれで。現代アートの世界も似たようなモノですけどね。
今NYではどうこう、と言ってるような連中は。」
(引用元:ぎゃらりい秋華洞 美術品蒐集の達人に聞く!山下裕二氏 一対一の関係を切り結ぶ https://www.syukado.jp/interview/vol001/ )
山下氏は文人画や南画に興味はあるけど、苦手だそうだよ >自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
芸術というか文化のジャンルってどこもそうだと思う >>206
> ただ、南画の世界がイヤなのは、自分たちでルールを決めて、そのなかでだけやっているように思えるんですね。
> 行ったこともない癖に中国かぶれで。現代アートの世界も似たようなモノですけどね。
> 今NYではどうこう、と言ってるような連中は。」
現代アートはそんなところがあったな、 文人交流の作品紹介 鶴亭の初公開作品も 大和文華館で特別企画展
8/23(水) 9:16配信
産経新聞
呉春の「春林書屋図」(大和文華館蔵)
文人らの交流が育んだ絵画を紹介する特別企画展「文人サークルへようこそ−淇園(きえん)・鶴亭(かくてい)・蕪村(ぶそん)たちがお出迎え−」が、大和文華館(奈良市学園南)で開かれている。江戸時代に中国由来の花鳥画を京都、大阪で広めたことで知られる画僧、鶴亭の初公開作品もある。9月24日まで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9847ca0f2d107ba10f5006350f068f3bdc85ce2e 世界に誇るべき豊後南画のSAIKO(再興・最高・再考)
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この秋涛~に『田能村竹涛cとその朋友たbソ』展と関連企演謔\定していb驍サうです。
>大分県内はもちろん、首都圏において『田能村竹田とその朋友たち展』を開催。
>豊後南画の魅力を伝える講演会や現代画家による実演会を開催。
https://camp-fire.jp/projects/view/688239 ↑失礼。文字化けしたので再投稿します。
世界に誇るべき豊後南画のSAIKO(再興・最高・再考)
豊後南画SAIKO会さんがクラファンをしています。
この秋冬に『田能村竹田とその朋友たち』展と関連企演を予定しているそうです。
>大分県内はもちろん、首都圏において『田能村竹田とその朋友たち展』を開催。
>豊後南画の魅力を伝える講演会や現代画家による実演会を開催。
https://camp-fire.jp/projects/view/688239 御報せどうもありがとうございます。
>現代画家による実演会
あれだけ盛んであった豊後南画の催しに出席される方が豊後南画の方でないとはなんとも皮肉なことですね。
高齢であったとはいえ草刈樵谷が没したのはたかだか30年前、同じ豊後人に衣鉢を受け継ごうとする者がいなかったとは。
とはいえ、遅くとも南画文化の振興を思えば今後も頑張っていただきたいものです。
つい先日出た甲斐虎山の本といい、村田先生は実によく働かれますね。
しかし、仕様が変更されて見難くてしょうがありませんね。 一応豊後の名誉のために付け加えておくと、豊後在住で南画の実作も愛好される方はいらっしゃいます。
ただ、こういった場で描く水準には達していないと判断されたのでしょう。 浜田杏堂の画を買いました
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s708304515
中谷伸生先生によると杏堂の贋作は見たことがないそうなので、落款未確認ながら思い切って購入しました
これといった特徴はないけれど、明清の山水画を真面目に学んだ人の画で、見ていて気持ちがいい
画面左下に「黄檗画禅堂」印が捺してありますよね。これは田能村直入の所蔵印のようです。
裏には「洛東画禅堂印」、直入が晩年住んでいた洛東若王寺境内の画禅堂にあったのでしょうか
直入は1880年設立の京都府画学校の初代校長で、運営資金を集めるために東奔西走したそうです
来歴も面白そうな文人画で、いろいろ楽しめそうです >>213
どうせなら支援者に現在描いている南画の配布とかすればよかったのに。
1万円なら色紙、10万円なら掛軸とかで。 目黒区に住んでいるテニスをする成蹊大学出身の福永英子は知的障害者ではないし、ろくでなしでもない 福永英子に的外れな言葉の暴力を長年受けてきた
全部的外れな攻撃だ
絶対にゆるさない