さしすせ書道★書の未来を考えるスレ6★ [無断転載禁止]©2ch.net
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あぁそうそう
ちょっとネットサーフィンしていたら、絵手紙作家の小松邦夫さんというひとは
書の経験があって、わりかしセンスの良い現代文の書を書いているとおもった >>788
751=755=780です。
小池邦夫氏の作品拝見しました。素晴らしいですね。恥かしながら存じ上げませんでしたが、日本絵手紙協会の創始者の方なのですね。 小池邦夫氏は、絵手紙の教祖だけど東京学芸大学書道科の出身(中退)なんだよね。
清水比庵なんかにかわいがられて、いいものを沢山吸収しているのは間違いない。
作品に結実しているかは疑問だけど。 787ですけど、小池氏の作品は画像検索で同じような作品がバーっと並んでも、
サムネイルのちっこい画像の段階で識別できる 他人の作品とは何かが違うんですね
字は、ヘタでいいと割り切ってたくさん書いているうちに、ヘタなりに毒気とか嫌味だけが抜けきって
気持ちよくみられるものだけが残っている風で、逆にうまいの境地だから魅かれるものがあると思いました。 同じ現代文なら小池邦夫先生の作品より榊莫山先生の方が
数段上だと思うんですけど…
小池先生は、文人の書。
榊先生は、芸術の書。
小池先生は相田みつを先生と同じく
書をかじっただけで
書の大切なものは無くしてしまっている気がします。
(捨てたのではなく、応用できてないという感じ) 莫山先生の書は、ヘタウマではなくて本当に技術が抜きんでていますね 小池先生にしろ、うどよしセンセイにしろ、どちらも行草書厳禁(続け字禁止)なのはどうしてだろう?
勉強不足でご自分が読めないから、「一般人も読めないに違いない」と決めつけているような気がする。
勉強すれば誰でも読めるようになるのに。 小池氏は書道科出身ですし読めないということはないのでは…うどよし氏は楷書も厳禁と作品サイトに書いていましたが。 そんなん
顔真卿に
「どうして 多宝塔碑は楷書なのですか?」
ってぐらいの愚問だろうに。 ツイッターでフォローしてる若手トップの美術評論家が、書展とうどよしの作品について評論しているんだが…なにごと?
>勉強不足でご自分が読めない
近代詩文とか勉強関係なくないか?
オリジナルの崩し文字を読めないのが勉強不足ってのは支持できんわ。 アラビア人「アラビア書道は勉強すれば誰でも読めるようになるのに。」 うどよし氏は和様の書という事ですが日本の三筆くらいは勉強はされているんでしょうか?美術評論家の方のツイでうどよし氏の作品見ましたが自分には何も響いてきません…。 >>802さんが
作品を見てわからないなら、勉強してないんでしょう。 あ、あなたか、うどよしのどちらかが、勉強不足って意味だよ。
誤解しそうな書き方をしてしまった。 小池先生・うどよし氏は古典の行草書が読めない→「この人たちは古典を勉強していないんじゃないか?」と、言いたいわけです。
古典を勉強しない書家がいてもいいけど、どうしても作品が薄っぺらになってしまうのは仕方ない >>804
すみません、おそらく勉強していないだろうと思ったのですがただの質問みたいになってしまいました。 アラビア書道ではなくて日本書道の話をしましょうよ
うどよし先生は「和様の書」を提唱している
「和様の書」と「仮名と漢字が融合した書」と一応定義しよう。
それは明治初期まで続け字がほとんどだった。
現代の「和様の書」の親分なのに、本人が古来の続け字が読めないってオカシクないですか? >>807
790=798=802=804です。
私もそれが疑問なのです。楷書禁止だそうですが、彼の言う楷書の定義もわからない。
一通りのものが書けて独自の境地に行き着くのと、誰かの書をある側面だけ真似るのとはわけが違います。 >>808
↑間違えました。804ではなく806です。 どうしてみなさん2ちゃんステマに付き合うんですかね。
特定の人名がこんなに頻繁に書き込まれるって不自然すぎるでしょ。
上西小百合のツイッターみたいにネット上で話題を作れば良しの手法がまかり通りすぎ。 そうですね。しばらくロム専にします。
うどよしファンがこのスレに常駐してるので、ちょっと質問したくなりました。
スレ汚し失礼しました。 >日本の三筆くらいは勉強はされているんでしょうか?
>おそらく勉強していないだろうと思った
>彼の言う楷書の定義もわからない。
同じ人の発言なんだよね?
三筆は勉強してない→勉強不足
楷書の定義もわからない→説明不足
国会の野党かよwwwwステマと批判する前に、ダブスタだろ?
若者に自民党の支持者が多いのは、実績もなく、何でも反対だから。
野党のようなマーケティング手法は、すぐにバレるよ。
ちゃんとステルスしてね、お じ さ ん 。 >>807
>現代の「和様の書」の親分なのに、本人が古来の続け字が読めないってオカシクないですか?
この主張、わからんでもないけど
漢文をやっている人、仮名をやっている人は当然できてるんだよね?
書にみなさんほど詳しくないけど、
作品の画像があがっているのに、彼に関しては、全く具体的な批判がないんです。
つまり、そういうレベルにまで個人単体で持ってきただけ、
私はすごい貴重だと思う。 >>814 すこし意地悪な言い方をしましたがね
このケースに限らずですよ 年長者が「〇〇とは××なのだ」と自信をもって言う
へんに象徴的な言い方を好む人って無責任だと思いますね たまたま真に受けてその方向へまい進してしまう若者なんて気の毒な目にあいます
わたしゃ広島ですが、東京都の某都知事が、都民ファーストなんて言っていたのはいつのころだったか
なにもやらないうちによそ事を始めていますね。口先で人を乗せておいて、後でそんなつもりで言ったんじゃないとか
その場その場で美文麗文を並べておいて手のひらを反す様子に呆れ果てています。 ていうかフォントなんて出してるけど、それで和様を語るのね
常駐うどよしファンの皆様そこらへん、どう思ってます? >>817
「楷書や続け字で書くのは不可、活字体はOK」というのも意味がよくわからないのは私だけ?そもそも手書きなんだから活字体じゃないのでは…。
うどよしさんの字はお土産店で売ってるグッズにありそうな字というイメージ。 >>818
書の知識があるのかないのか調べれば調べるほど不思議な人だなって思うよ
フォントは書ではないだろう >>819
知識がなく、ここまで来ているなら
それは紛れもない100年に一人の天才。
誰かの指導を受けてるはずだよ。
独学で思いつくわけがない。 「和様=平安仮名」にしておきたい感情は理解するが
これだと、未来永劫、今の日本語の書き方の和様が誕生しない事になってしまう。
可能性を捨てることを、他人に強要するのは独裁的だと思う。 書家って昔は会津八一とか、西川寧とか、むしろ学者のイメージがありました。
「書家とか呼ばずに学者と呼べ」という環境が昔はあったように思います。
単なる筆で書いた字に大金を払う人がいたのは、書の背後にある厖大な学識を尊重していたことも一因でしょう。
うどよしさんは学者?書家?フォント作家?なんか鵺(ぬえ)みたいなイメージなんですよ。 今は芸術でしか生き残ってないんだから
芸術として評価するしかあるまい。 「和様」「書道」でググったら、うどよしのサイトが一番最初に来るけど、決して好ましいとは思わない
「和様」という書道用語を横取りするから、学識や歴史の連続性を問われてしまうんだよ
「活字書道」とでも名付けたら誰もとやかく言わないよ
「活字書道」っていうのもワケが分からないんだが、「和様」よりはマシだろう >>818 安心してください たぶん多くの人は同じに思ってます >「「和様」という書道用語を横取りするから、学識や歴史の連続性を問われてしまうんだよ
こんなどうでもいいこと気にしてるの、ここの嫉妬民くらいじゃないの?
唐様で検索しても、ウドヨシサイトは上位に来るぞ。
結局、和様も唐様も、今、誰も使ってないってことだろ。
和様で上位に来るのは、和様で活動しているやつがいないから当然な結果。
色眼鏡で見てると臨書しても上達しないぞ。
客観的事実に基づいて中立公正な目で見たらどうってことない。 「古典を勉強しているかどうか」で
芸術の評価を決めるって基準が面白い。
学歴コンプレックスってやつに似てます。 そういう連中が多いから、ネットプロモーションを駆使する人はやり易くなってんだよ。
キーワード1つで騒ぐのも、簡単にステマに乗っかるのもね。
彼らは、その声を古い体質の人達の声と一括りにして済ませられる。
むしろ逆に、自分をよく見せるための材料として利用してる。
時々燃料を投下するだけで、すぐ乗っかってくれるんだから、思うつぼだ。 >>827はあまりにも浅い
そもそも書道を芸術あつかいにしはじめたのは明治時代のこと
旧院展時代、日下部鳴鶴あたりの有力者でも横山大観に書道は芸術じゃないでしょ?ってバカにされてたらしい
それで発奮しちゃって対等に渡り合いたい!となったまでは良かった
そこからの努力が、その後昭和にかけて鮮烈な作品の数々へ結びついていくのだが
けっきょくのところ、もともとある書道の東洋的装飾趣味の世界と、西洋の壁面芸術のいわゆるアートの世界と
まったく同じものと混同してしまう結果となったわけ
東洋では装飾品は宗教観死生観と一体になって人生訓としての言語メッセージにインテリアの装飾性を施して直接飾る
これが本来の姿 ゲージツかどうか。 ちょっと何が言いたいかわかりにくかったが
芸術であるまえに学問、学問はいわゆる儒道・仏教・道教の三教
これが世を治める知識人の必須教養だった
自然と共存する古き良き社会のなかで、人生を幸せに導いてくれるであろう賢者の言葉を書いた
書は特別な価値があった
いまの日本人ほど自国文化のルーツに対して薄情かつ無知な国民を見たことがない
わかってもらえないと困るので料理にでも例える
フランス料理を学ぶにはフランスに渡るに如かず 和食なら日本で学ぶに如かず
もともと、素人が善し悪しの評価を欲しい侭にできるほど貧弱な文化ではないのだ
和食の技法を知らないものが、自己流をして是が新しい和食のスタイルでございと自称するのはインチキである
もっとぶっちゃけて言えば、達人でもないものが創作料理を作ったって大概マズイ そういうことで、逆質問で応酬をしておくとすると
仮にう〇よしへ師事したとする。
そうなった場合、いったい何を学ぶ必要があるのか。ただ何枚も書いて、なんとなく良い
これはヘタッピだ、これは上手く書けた(ような気がする)。。
それでは不毛だと思わないか。ただし本人のサイトを熟読したわけではないから、
これでは誹謗中傷になるかもしれない。 まぁ本人も大衆書道教室って書いているわけだし
ハイレベルを自称せず腰を低くしているから叩かれないだけなのだが
それを血眼になって賞揚しているのはすこし異様に映る
ステマとか自演とか疑われたり、逆キャンペーンになってしまう恐れなしとしないので
このへんで落ち着かれるがよかろう いくらインチキで不味かろうが、商売としてやっているのだから、
自分から不味いとは言わないだろう。自分で白状しろと求めるのは酷だよ。
食べログのようなレビューサイトがあったとしても、簡単に操作出来るし、
インスタもフェイスブックも格安でフォロワーは買って増やせる。
ビジネスとして巧みな者が世を上手く渡れるのはどこも同じってこと。 それはもはやネガティブキャンペーンになってません?
そういうことであれば、紫さんは勝ち組の筆頭ということになりそうだけど
少なくとも砂のお城だね 本心から支持している人なんていやしない
古典が芸術の評価のすべてなんて笑わせる、と大きく出ていたたわりに
あっさりと儲けたモン勝ちの本音を晒しちゃいました。語るに落ちる。 この際、学問から古典を排除したらどうか。西洋基準に対する反リベラルアーツ。
これで書教育もガラリと変わる。全面的な現実主義。金銭主義。反歴史主義。
そうした基点から「和様」の大衆性を再解釈したのが、たぶん、うどよし。
どう見ても、言葉の意味の解体だ。言葉からの、歴史的シニフィエ排除。
「芸術は学問ではない」「書道は芸術ではない」との立場なら理解できるが。 「書道」といってるけど、「道」がついたら、ご覧のとおり、いろんな理屈をつけて持ち上げるしかない虚しいものになってしまうのさ。 古典をしっかり勉強された書家が沢山いるのに
ろくな書家が出てない現実を受け入れる人も出るかもね。
「教えられてきた、考え方ややり方が間違っているのかも」と、やり方を再考してみる良い機会かもよ。
未来の、次世代の書家は、そういう所からの可能性もあるよ。
同じことしかしない書家が増えすぎた。 一生懸命力説しているわりに、言っている内容はただの悔し紛れの最後っ屁
そんなものはしょせんカウンターカルチャーという
この際だから教えておくけど、う〇よしは古典の勉強はするべきだと書いてる
長い歴史上で試しぬかれたいわば過去問だから、過去問をやらずに試験を受ける!とイキがるのは効率が悪い、と言っているね。その意見は上手く言ったものだ、と感心した。 >>839
ほう、この表現、しっくりくる。
古典を勉強しない学生に使ってみよう。
村上三島氏は「調和体は参考書のない書」と言い、古典の続け字を使い、一方、うど氏は「古典は参考書」と言い、古典の続け字を使わない。
これ、結構、面白いかもしれません。 >古典をしっかりやっているのにろくな書家が出てない
この部分も考え違いをしているようだ 多くの人は
現在の書家は、表向き古典をやっているとは言え、古典から多くを学んでいない、
それで作品がつまらないのだ、と考えている
じっさい昭和の中期ごろまでの大家の作品には、目を見張らせる精彩がある
それをダメにしたのが、あなたのいう現金主義。とはいえ、ここでの現金とは賄賂のことだけどね。ウケ狙いの浅い作品が蔓延した点ではどっちみち同じような原理が働いたのだろう。
いくら上手でも、売書というのではそのころでさえ生活が成り立たなかった。
マーケティングを第一にし、市場原理を働かせれば作品が向上する?などとは誰も思っていない。すでにデザイン書道家の連合みたいなものもあるようだが見るに堪えないような素人くさい字ばかりだ >>840 結局は吸収したものを、自分なりのフィルターを通して表現できないと実力があるとは言えない、
そういう立場は共通しているんでしょうね。
とはいえうど氏は、コンセプト先行で「とめ、はね、はらいを大げさにしない」「つづけ字はダメ」と
ある意味で自然な書きぶりを制約するところまで自分を追い詰めてしまっている。これもある種の反動のなせる業か
果たしてこの先、その大風呂敷が足かせになりはしないか。というところでちょっと気の毒でもあります。 なんか色々難しく書いてるけど
要は、楷書以外の活字体で日本語を筆で書けばいいんだろ?
ちゃんとした書家なら簡単そうだけどなぁ。 >楷書以外の活字体で日本語を筆で書けばいい
うどよしRフォントでよくね? http://fast-uploader.com/file/7064040613188/
いぬ年になりますんで参考に
これは以前ちょっとオススメで紹介した故水本愛堂先生の調和体をネットから拝借しました
うどさんは色々理屈をつけて新しいビジネスモデルとしてのプレゼンテーションにご執心のようだが これを見ればわかるとおり、すこしだけ世代を遡ると大変いい書き手が地方にうんと居た。
いま大型書展で通用している調和体がヘタなだけですよ。ビジネスマンとして業界分析してあるのは面白いからちょっと読んでみたり、感心したりもするのだが
あのビジネスマン思考を徹底したまま大成するのは難しいだろうね
往々にして作家というのは社会不適合者であるほうが魅力がある。 >>845
>故水本愛堂先生の調和体
上品な武田双雲(笑)
古典をやってコレなの? わかったよもう。ここでムキになってゴリ押しはしないが
長年の試行錯誤によって川底の小石が丸くなるように、部分部分のクセや悪目立ちする箇所が削ぎ落され
おいしい部分だけが残って、こういう騒がしくないのに精彩を放つ、調和がとれたものが書けるようになるのと
ただ無闇矢鱈に書き散らかしているものと、ほとんど見分けがつかないんだね
おれなら日本酒を飲みつけないので利き酒ができる自信はないし
もっといえば篆刻作品も、自分では善し悪しがわからない。わからないのにどうかしようと思わない。
やれば徐々にわかることだろうと思う。書字のほうでは、研究するにつれて見えてきた経験がいっぱいあるしね。 >>846
おい!やめろ!そういうふうにしか見えなくなっただろーが! 水本愛堂せんせの作品の
武田ソウン的なデザインって必要?
合理的な理由がなくない?
不自然。 節度のある書きぶりなほうだと思いますけどねぇ
こういうとき便利な説明として、その加減がエスプリなんですと言っておきます
最後のかくし味にオレガノを少々
ここでオレガノ?合理的な理由がなくない?なんてこと言わない
これが最高の天下無敵の規範だと示したわけじゃなし、嫌いなら嫌いでぜんぜん構わんのですよ >>853
好き嫌いではなく、書的にも文章の内容からしても、
下線の造形的効果が説明してほしい。
説明できないなら、武田氏の派手なハライ等と同類になります。 http://fast-uploader.com/file/7064081850211/
そないなことで、
(これも3日間限定)とある地方作家の昭和49年の作品。オイルショックの翌年
これで、作品の書きぶりはエスプリなんだと
大渓サンの言葉を借りれば「作家の肉性で書く」とも言い換えられますが
どうしてもこうしたいの気持ちがそうさせるんだと諒解していただきたい次第です
紙面全体をつつむ優しさ。こんな表現は当時金子氏も村上氏もやってなかったと思います。むしろこの人がこの方面でのもっとも先を行っていた。
批評・鑑賞すべて観る人に委ねられるものです。また、肩書や知名度に依存せずに観てもらいたいものです >>856
これは、まだわかるわ。
ただ、行間の隙間が一律なのは単調に見えるなぁ。
多分、この時期、榊氏はこの上を行ってるからなぁ。 >>853
>その加減がエスプリなんですと言っておきます
武田氏も紫氏も、メディアや政府関係者からは
既存書道業界ではなし得なかった
新しいエスプリだと思われているよ。
それを誰も否定しないどころか
とうとう天皇陛下まで招いちゃったんだから。 書は図像であって、文字ではない。
図像は見るもの。読むものではない。
文字は読むもの。そこに至る過程が図像。
書は文字性を活字に明け渡し図像となった。
従って、読めてはいけないと学校で教育される。
その方法は教育放棄。教えないから読めないまま。
語りえないことについては人は沈黙せねばならない。 「読める書」「読めない書」論争の元には、学校教育で変体仮名が読めるようにならないってことがある。
国語教育では、中野三敏先生たちが「和本リテラシ−」(行草書・変体仮名の解読能力)の復権を唱えている。
小学校で変体仮名などを教えろと。
文部科学省のキャリアで行草書・変体仮名が読める人がいないらしいので
学習指導要領に変体仮名なんかがが加えられるかは疑問だけど、
これが実現したら「読める書」の定義も変わるかもしれない。
日本記者クラブ講演 中野三敏・九州大学名誉教授 2012.8.20
http://youtu.be/iinaQ1fOLRE >>857 >ただ、行間の隙間が一律なのは単調に見えるなぁ。
あら、そこが特徴だしそこが良いんじゃないかしらん。
>>858 あれはエスプリでねくてゲスプリ >>830
芸術は歴史じゃない。
芸術は伝統を破り更新するものだよ。今を生きる人間のためのものだ。
あなたのアプローチの仕方は、芸術に近いようでいて最も遠いと、私は思うよ。 芸術じゃなくて調度品製作でいいじゃないすか
あまりに芸術ぶってるのはここ100年あまりだという事 既存の書道に、多額のお金と時間を払った人は、今、起こりつつある現象を否定したいのはわかる。
でも、あなた方の損を、次世代に押し付けることはやめよう。 否定してない否定してない
好きにやればいい
ただまぁ小中学生がおばけ屋敷でキャーキャー楽しんでいるのを、本物のオバケが眺めているような気持ちだよw いやいや、ただのたとえ話ですから
それより、自分たちの都合(というか私情)で、伝統を捨てて新しい人の感性に任せて業界を作り直して欲しい、
なんてそれは、たとえば他国の人から見たらムシの良い希望だと思うんですけどねぇ。
ハワイの伝統の手編みのレイなんかを買いたくて店に行ったのに、この人は伝統によらずすべてオリジナルな作家なんですなんて
紹介されたらガッカリするでしょ?ちゃんと地味に修行してから出直せやって思う。
ネクストジェネレーションなんて古い頭の自分たちの甘えが生み出した虚像だよ。 もちろん腐敗してる組織の擁護なんてする気はないよ。腐敗を徹底的に浄化しないから
審査が機能せず、だらしない。だから素人にツケこまれてしまうんでしょ。
いま起こっている現象なんて、そんな程度の茶番でどちらも褒められたもんじゃないですわ >>860 遅ればせながら、こういう御爺様がこうして頑張って文化を守ろうとしている姿には頭が下がりますわ。かりに実現が難しくとも、いいもの見せていただきました。 >>868
全て伝統的な作家ですと言われて変な手編みを紹介されてもがっかりするけどな。
自分でその実像を示せもせずに、自分は伝統側の人間だと思い込んでるのも
かなり痛いってことも忘れちゃダメだよ。伝統という名の虎の威を借りて
気分が大きくなってる素人狐の多いこと。 立場なんてものは自分で決めるものでしょう。
しかし、紫や武の字なんぞにたとえば、感心するほどの腕があるんならなんでも良いんですよ。むしろ七光りもなしに自力で出世したんだったら尊敬に値するでしょう。
ただ、ヘタなんだもん。そこに価値づけの軸を置かないんであれば、何を話しても無駄ですな。ただヘンテコな墨の落書きを作って金もうけがしたいという主旨のスレがあれば足りるじゃないすか。 >>856を画像で示した意図は、これ、ウマイんだよ。
未熟な腕で同じように書こうと思ったら、書けません。とうてい書けませんね
すっげぇわかりやすく、読みやすく 文章の切れ目で改行して、易しく書いてあるけどね。
この、二次元の平面に文字が浮いて漂うような雰囲気は、出すのが至難だろうと思う。
もともとハイレベルなことをやる人はね、苦しんだら出来るんじゃないです。
頓悟というか、ふと出来るんですが、それを鼻にかけず時間をかけて熟成させていくわけ
そこで迷いが生じたときなどに、古典が示した夢のような世界が拠り所になる。
おんぶにだっこな気持ちなんてありませんよ。狡猾で、他人を利用してのし上がろうなんて思っている人には
想像もつかない孤独な世界ですよ。 漢字かな交じりを書いて、上手く書こうと思うとどうしてもトゲトゲしい表現になります。初心者ほどギスギス、バサバサ落ち着かない
それを和らげようと思ったらどうすればいいと思いますか。
仮名をしつこくやってもいいとは思うが、手っ取り早いのは隷書を習ってみることです。
隷書をしばらく書いて、その気分の残ったまま書けば、うそのように滑らかに書けます こんなの人に教えてもらうのじゃなく、一歩一歩あるいていく道端で発見するようなものです。
古典をやっているといっても、何でもかんでもこなせて無敵な人なんていません。
折に触れてこういった発見をしては、自分の武器として備えて温めてきただけです。甘えやずるさが先にあったら発見はできないですよ。 いま書道は明治からの浅いもの。
この認識は共有されているのか?
浅い歴史にしがみつく様は、砂糖に群がるアリのごとし。 >>873
うまいかもしれないが、喰えたものじゃないね。
線もヨワヨワ…ペラペラのうっすい書だね。
あなたのおっしゃる境地にすら達していない、高校生レベルにしか見えないけど。
ホンモノ見たことないの?みんなの言う書ってこの優等生ちゃんみたいなものを言ってるの? >>873
あなたが批判したいことの一部が真っ当だとしても、
あなた自身が盲目的であることも残念なんだな。
上げられた写真は、実際どーってことない書だよ。
古典が示す夢のような世界が拠り所?文面がもう怖いです。 皆さん、古典で多くのことをインプットされていますが
アウトプットの効率が悪すぎやしませんか? うーむ。相手にすんのがアホらしくなってきました。このへんで反論するのも遠慮しときます。 天動説を信じたい気持ちはわかりますよ
地動説なんですよ。
受け入れましょう。 たくさんお話になっていますが、逆にあなたが推奨しているものの実像が見えてきません。
黙ってきいてみようと思いますので存分に説明してみてください。 胸に一物、背に荷物。
>>880 言いたいことがあったらハッキリ言えばいいのに... ・・・・モゴモゴ( ̄〜 ̄;) ←何か言いたいらしい >>856
仮名の基本が書けてないし
線が芯を通ってない
下手だよ 天動説は多数派で
地動説は少数派ってこと?
>推奨しているものの実像が見えてきません。
地動説派に対して言うのであれば
「まだ未知のものかもしれない」
という発想が抜けてますよ。
村上三島ですらわかってなかったのですから。 >>884 >基本が書けていない
この人は、そこまで得意とはしてないとはいえ、ちゃんと仮名も書けますよ
http://fast-uploader.com/file/7064234226358/
そこは作品として狙った表現というのがありますので、、、といっても、昔の人(大正生まれくらいの)はそれができたけど、最近の人は特定の書風しかできない例が多いみたいですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています