蘭亭叙に思うのは、書である以前に文なんだって事。だから先ず文として書かなきゃ。
何度書き直しても最初のがよかったのは、文の前に稿としての性格が強かったからでは。
こうなると真似できない。でも真似て八柱や定武に形は残す。つまり形だけなのが難点。
それを自覚するために形臨があり、形臨の断念から意臨という「自分の世界」が始まる。
だから好きな本より、自分の世界に近いのを択ぶ手もある。他人の字に懸想しても無理。
敢えて異質な本を択ぶ手からは自他の差異が学べる。そこが却って面白いから、厄介だ。