各々の戦後的選択により、「読める/読めない」の分岐はいっそう促進されていく。読めない人はそれっきり。読める筈
の人は書道側に牽引され、教育書道と実用書道は衰退する一方、やがて芸術書道を隠れ蓑に「読めなくてもよい」とする風
潮が一般化してきた。それは当初「気軽にどうぞ」とのプロポーズだったかも知れない。しかし学習意欲を喚起する筈が、
却って居直りを喚起した。書家が「読めなくてもよい」と明言して居るのだから、多分それが正しいのだろう。芸術書道は
特殊で、教育や実用とは別物であると。
 こうして昭和中期以降、書家は自ら国語的視点を見放した。低年齢層(小三〜)相手の教育書道は更なる低年齢化(幼稚
園〜)を目指し、実用書道は世情に即して草書や変体仮名を諦めた。包括的役割を担ってもよかった筈の芸術書道は芸術に
特化/高踏化し、教育や実用とは表向き袂を分かつ形になった。つまり書道/書教育界は一丸となって「読める事」を放棄
…とまでは云えぬにしても白眼視してきた事になる。〜子供に草書や変体仮名を教える書塾や学校はあるだろうか。明治初
期までは皆やっていた。