「は」と「が」の違いについて語るスレ
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「は」は話者の頭の中にある話題(話したいテーマ)を表し、
「が」は述語にとっての主格・主語を表しています。
「が」の有効範囲は一つの節や一つの文の中までが普通ですが、
「は」の有効範囲はその話題全体に及ぶことが普通にあります。 「が」は動作や存在や状態の主(ぬし)を指しています。
日本語では述語や形容詞や形容動詞の主です。
「は」は話題になる対象を中立的に取り上げます。
「それに関して言えば何々だ、こういうことだ」という意味合いを示しています。 「が」は述部の主を限定しますが、「は」は話題の主を限定します。
「が」は格助詞ですが、「は」は超格助詞、超越的格助詞です。
「は」は節や文を超え、複数の述部をカバーするスコープを持っています。
「は」は格に支配されない話題を表す印だからです。 「は」と「が」の混乱が起こりやすいのは複合助詞の場合でしょう。
「(がは)」「がも」
「には」「にも」
「(をば)」「をも」
「では」「でも」
「とは」「とも」
「からは」「からも」
「よりは」「よりも」
といった複合助詞がありますが、
「はが」と「をば」は現代の日本語にはありません。
「をば」は少し古い日本語に見られます。
「はが」は存在せず、「はが」の場合は「は」だけになってしまいます。
この点に注意する必要があります。 「は」と「が」の混乱が起こりやすいのは複合助詞の場合でしょう。
「(がは)」「がも」
「には」「にも」
「(をば)」「をも」
「では」「でも」
「とは」「とも」
「からは」「からも」
「よりは」「よりも」
といった複合助詞がありますが、
「がは」と「をば」は現代の日本語にはありません。
「をば」は少し古い日本語に見られます。
「がは」は存在せず、「がは」の場合は「は」だけになってしまいます。
この点に注意する必要があります。 日本語は話題先行型の言語です。
日本語話者の頭の中には常に「...は...」というフレームがあります。
格の正確さは二の次で、「...は...」というフレームが第一なのです。
これを日本語の「はファースト」と呼びます。 格の現れ方が不正確(不安定)なんてことはない
個々人においては安定している
世代によって現れ方が違うだけ
社会的な規範意識が不徹底だと言ったほうがいい
「本が売っている」と言う人と「本を売っている」と言う人はそれぞれ譲らない 「本が売っている」と「本を売っている」は違う意味、
または同じ物事を別の側面から表現しているように直感的には思うね。
「本が売っている」の「売っている」は状態を表している広義の形容詞。
「本が」はその形容詞の主を指している。
「雨が降っている」「山がある」「花が咲いている」と同じような意味。
※「ている」や「ある」が形容詞だなんて強引かな。
「本を売っている」の「売っている」のほうは誰かの行為を表している動詞。
「本を」はその行為が働きかけてその位置や状態を変化させる対象を指している。
※行為と状態の意味を併せ持つ動詞は「状態動詞」と呼ぶのかな? 「本が売っている」と言う人はそれがあたかも自然現象であるかのように、
本が独りでにそうなるべきしてそうなっているかのような見方をしている。
アフォーダンスというか。
さもなければ、それを行っている動作主が話題の外に置かれている。
「だれによって」そうなっているのかはどうでもいい。
むしろ「どこで」を話題にしたい。 「本が売っている」と言う言い方をする人にとって、
助詞の「が」は主格ではなく、
とりあえず頭に浮かんだ新しい情報を提示するためのマーカーになっている
既知の事柄を提示する「主題」助詞の「は」に対して
未知の事柄を新たに提示する「焦点」の助詞として「が」を捉えている
だからこの構文を使う人は様々な他動詞構文において
本来「を」を使うべきである目的語に「が」を使う傾向がある こういう構文を使わない人間が考えるに
「本を」ではなく(うっかり?)「本が」と発話してしまった時点で
その後を「売られている」に変えれば良いだけだと思うのだが
そうしないのは何故なんだろう There are books selling for $20.
20ドルで本が売っている。 その場合の動詞sellは他動詞「売る」ではなく「売られる」「売れる」と言う自動詞
This kind of book sells well. この手の本はよく売れる 「落とす/落ちる」や「閉める/閉まる」と同様に
「売る」の自動詞が欲しかったけど、「売っている」で代用しているっぽい。
「落ちる」の意味合いは「落とされる」では代用できない。
「本が売っている」は「本が売られている」とは意味が違う。
「車が人によって走らされている」と「車が走っている」の違い。
「売られている」ことがその対象がそうあるべくしてあるかのように
まるで自然現象のように受け止められている。
現象文と同じ感覚で表現されている。 ネイティブスピーカーの自然な感覚が
文法教育のバイアスによって「誤用」だと
見なされてしまう危険は言語学的に要注意。 文法理論はあくまでも後付けによるモデルであって、
それが規範であってはならない。
モデルは現実によってテストされることでモデルの側が修正される。
それが科学。 確かに「売れる」だと、単なる「売る」の自動詞じゃなくて可能のニュアンスが入るんだよね
売り出し中のアイドルを「売れる」と言うと「ブレイクする」になる感じが真っ先に思い浮かんだ 「は」と「が」
「を」と「が」
「の」と「が」
など、外国人に教えるときに要注意な助詞の用法がいくつかあるね。 >>25
日本語の文法において自動詞は潜在的に可能の意味を含むんだよ
この袋ならそれだけのりんごが十分に入る(入れることができる) 主語における「は」「が」の使い分けは単なる主題/主格の区別では十分説明できない
1) 私は太郎だ。
2) 私が太郎だ。
通常は1が用いられる。2は「私」の部分を強調した表現であり、1でも「は」を強く発音すれば2と同じ意味になる
3) 海が青い。
4) 海は青い。
単に情景を表す場合は3)が使われる。4)は「海とは青いものだ」という一般性を含意する
5) ドアが開かなかった。
6) ドアは開かなかった。
6)はドアがすでに話題となっている場合に用いられる。例えば、「部屋から出ようとしたが、ドアが開かなかった」という文では「が」が適切だが、「私はドアノブを回したが、ドアは開かなかった」というような文では「は」が使われる
英語の「a」「the」の区別とは同じではないが、「新情報/既知の情報」という分け方で共通している 私はバカだ I'm idiot.
私がバカだ I'm Baka. 「は」が格助詞でないことは>>12>>13の「複合助詞」の例を見れば充分だろう
ここで「は」と組み合わさったりその結果消されたりしている助詞こそが「格助詞」であり、
むしろそのことが「は」が格助詞とは違うレベルで存在していることを表している
同じ事は助詞「も」についても言える
また目的語の主題化における「は」の使用もこの助詞が主格ではないことを示している
・パンは僕が食べる
「は」実は対比の機能もある
・パンは食べないが餅は食べる 「は」は単体で現れる時は主格の格助詞、他の格助詞と複合するときは主題の副助詞と考えるべき >>28
「海が青いのは海の水が青い波長の光だけを反射するからだ」
という場合の「海が青い」は、
「海というものが青いのは・・・」という一般論だと思われ。 >>28
定冠詞theには「いま話題にしているところの」「世間で話題の」という意味合いもあるもんね。
一つの集合の中から一つまたは一部の要素を話題にして他の要素を言外に置く効果がある。
ところが英語の堅い表現または英語以外のロマンス諸語では定冠詞が総称、
つまり一つの集合をひっくるめて一般論を述べるために使われることがある。 「は」と「が」は助詞だと誤解したから
この問題が延々と続くんだよ。
「は」は「あり」と言う動詞、
「が」は「持つ」と言う動詞で
どちら助詞じゃない。 主題と主格はどちらもsubjectを含意するという点でややこしい。
英和辞典でsubjectを引くと、主題と主格の意味が両方書かれてある。
英語では主題はtopic marker、
主格はsubjective case、ただし厳密にはnominative。
topicを辞書で調べると、話したり書いたりすることのsubject。
主格はおそらく動詞句や形容詞句が属している直接の当事者や当事物を指す名詞句。
トピックのほうは言説の塊に付けられる題名みたいなもの。
違いはスコープ。 格助詞「が」はたしかに「の」に近い。
「私が読んだ本」は「私の読んだ本」に置き換え可能。
考えてみると、この「私の読んだ本」は奇妙な言い方。
「私の読んだ」は読んだ行為が私に属すという意味なのだろうか?
一方、助詞「は」には
「項目:説明」「質問:答え」のときの:のような意味合いがある。
算数の「1+1=2(1足す1は2)」でも「は」が使われる。
これは「既知:未知」に一般化できるかもね。 敢えて英語に置き換えて考えるならこうなるだろうか
AはBがC
A be the one/thing that B be/do C.
私は太郎だ
I am the one that is Taro.
-> I am who Taro is. / I am Taro.
私が太郎だ
It is the thing that I am Taro.
-> (It is) that I am Taro. / The thing is I am Taro.
象は鼻が長い
Elephants are the ones that their noses are long.
-> Elephants are the ones who have long noses. / Elephants have long noses.
春(に於いて)は曙(が最も良い)
Spring is the one that the dawn is the best.
-> In spring, the dawn must be the best time in a day.
私はウナギ(を食べる)
I am the one that is going to eat eel.
-> I'm going to eat eel.
私はウナギ(そのものだ)
I am the one that is an eel.
-> I am an eel.
ウナギは私(が頼んだ)
Eel is the thing that I ordered.
-> Eel is what I ordered. / Eel is mine. 「は」は「あり」、
「が」は「持つ」という動詞だ。
象は鼻が長い
=「象 あり」+「鼻 持つ 長い(性質)」
こういう二文の連結文だ。
「象 あり」だから「は」は与件に感じられる。
前提条件に感じられる。
・ご飯は僕が食べる
・僕は御飯を食べる
「は」主格にも目的格にも使われる、とかあったな。
でも「は」は「あり」という動詞なだけなんだ。
ご飯は僕が食べる
=「ご飯 あり」+「僕 持つ 食べる(行為)」
僕は御飯を食べる
=「僕 あり」+「ご飯を食べる」
「は」はどちらにも使われるのではなくて
「あり」という動詞なだけだ。 子供のころに作文でよくやらかした誤り、とされる文。
「私の夢はパティシエになりたいです。」
今でも長文でやらかしてしまうことが時々ある。
とはいえ、本当に間違っているんだろうかと思うこの頃。
これを誤りと見なすのは学校文法の色眼鏡の産物じゃないかって。 >>44
「パティシエになりたい」が鉤括弧で括られていれば問題ない文だし
文章ではなく会話だったら聞き手がそのように解釈するね >>43
また湧いて出たないつものやつ
じゃあ「は」と「が」のそれぞれの否定文を言ってみな >>46
俺にも固定ファンがついたか。
ファンレターありがとうね。
>「は」と「が」のそれぞれの否定文
活用のことだろう。
動詞だったら活用があるはず…
んで、例えば「は」の出自は「あり」という動詞だ。
しかし一見して「は」と「あり」は同じに感じられない。
それは「あり」が「は」に横訛りしてしまったからだ。
「は」は動詞と感じられなくなって、活用を失った。
ari → hari/wari/yari → ha/wa/ya
こういう変遷をたどったと思う。
こういう一連のグループを親言素と娘言素と呼んでいる。
「あり」が親言素で「は(わ)」「や」が娘言素だ。
親言素と娘言素は、横訛りしても同じ意味だ。
入れ替えも可能だ、可換だ。 >>47 つづき
日本語の「持つ」がどこから来たかわからんが
「が」はアイヌ語由来で[kor(持つ)]から
横訛りして「君が代、誰が為」とかの古い用法で残っている。
現代なら「君の代、誰の為」が一般的だ。
これもそういう事情で活用しない。 助詞の意味論としてはそういう論法が可能かもしれないね。
ただし現代の日本語体系において品詞まで置き換えてしまうのは
大胆というか強引というか、そんな気はする。 >>43 つづき
・ご飯は僕食べる
・僕は御飯食べる
この二つの文章で
どっちが食う方で、どっちが食われるか、
だいたいわかる。
文法よりも、ご飯や僕という属性でわかる。
・ご飯 (食い物、美味い、非生物、食事しない…)
・僕 (人間、普通は食べ物じゃない、生物、食事する…)
文法以外に、こういう属性があり、これを人間が共有している、
だから文法的に微妙でも、
どっちが食って、どっちが食われるか、わかるんだよ。
文法以外のことで、文の意味がわかる。
文法だけではわからない。 >>51 つづき
・ご飯僕食べる
・僕御飯食べる
これでも、意味がなんとなくわかるね。
単語をならべるだけでも。
なぜかというと、単語にはいろいろな属性や
風景が付随しているからだろう。
正確に伝えようとすると
いわゆる助詞があった方がよい。
英語で言えば前置詞、
日本語で言えば後置詞、つまり助詞で
そのいくつかの出自は動詞だろう。
そういう目で見ると前置詞も動詞だね。
ただ動詞が前に来ているから、
次に来る語に焦点が移る。 日本語話者以外でも通ずる可能性が高いね。
英語話者でもその場合はSOVという順番になるらしいね。 >>47
否定文は活用じゃないし
活用は否定文ではない
お前は人の話もろくに聞いていないし、
相変わらず言葉も意味もろくに理解していない
全くお話にならないよ
文法も言語学もお前は全く語れていない
何が固定ファンだ。のぼせるな >>48
アイヌ語から日本語への借用はほとんど存在しないし、助詞のような基本的な文法要素が借用されることは稀だ
「が」がアイヌ語からの借用というのはまず有り得ない >>55
>アイヌ語から日本語への借用はほとんど存在しないし
ソース。 >>56
何が?
他人にものを尋ねるときにはちゃんとわかるように言えよ 日本語の助詞がアイヌ語の動詞に由来し、
その意味を助詞の機能に残存させたということはあり得るけど、
日本語の助詞が実は動詞だという論法はそれだけでは導けない。
日本語文法に関する品詞の概念を抜本的に見直す必要がありそう。 助詞は場所や位置関係などを表す名詞のように感じるけどな
は~=端、転じて方向や個体
が~=中、転じて領域や属性 >>59
日本語では格助詞と言われている「が」は
アイヌ語由来で「kor 持つ」の横訛りだ。
出自が「持つ」という動詞で、
古代から現代も「が」は「持つ」という
意味は変わっていない。
君が代、塞翁が馬、誰が為や
地名にイッパイ「が」残っている。
鬼ヶ島、○○ヶ崎とか… >>43
象は鼻が長い
=「象 あり」+「鼻 持つ 長い(性質)」
「長い」をそのままよりも、「長い性質・形状」の方が
理解しやすい…名詞句の方がしっくり来る。
「長い」の名詞形は「なが」だろうね。
それに「し、い」が付いて形容詞になっている。
ご飯は僕が食べる
=「ご飯 あり」+「僕 持つ 食べる(行為)」
これも「食べる」そのままよりも
「食べる行為・行動」の方がしっくり来るね。
「食べる」の名詞形は「たべ」だろうな。
「なが、たべ」を語幹とか言ってるはず。
語幹はもともとは名詞なんだろうね。
名詞にク活用とか四段活用とかが付いて
形容詞や動詞になるんだな。
名詞に形容詞化・動詞化の接尾辞が付いて、
形容詞・動詞になる。 >>60
おもしろいお考え。もう少し詳しく解説願えませんか? 「は」=「→」
「が」=「←」
「私は医者です」=「私→医者」です
「私が医者です」=「私←医者」です >>61
横訛りなんて言葉はない
現実を見ろ
働け >>63
まず、前提からして突拍子もないので、馬鹿馬鹿しいと思ったり前置きが長すぎると思ったりしたら即切ってもらって構わない
原始日本語は、音節の一つ一つが現代でいうところの手話の手形のようなものであり、その組み合わせで名詞や動詞などを構築しているかのような節がある
これは、ただそれを独断と偏見でまとめてみたものにすぎないので悪しからず
具体的に説明していくとあまりにも長くなるため、申し訳ないがこれで勘弁してもらいたい
ア手天 イ手己 ウ手地 エ手寄 オ手降 (自然体の手)
カ爪天 キ爪己 ク爪地 ケ爪離/寄 コ爪翔/降(爪を立てる)
サ刃天 シ刃己 ス刃地 セ刃離/寄 ソ刃翔/降(手刀を向ける)
タ秤天 チ秤己 ツ秤地 テ秤離/寄 ト秤翔/降(雨を確かめる手)
ナ拳天 ニ拳己 ヌ拳地 ネ拳離/寄 ノ拳翔/降(軽く握った拳)
ハ掌天 ヒ掌己 フ掌地 ヘ掌離/寄 ホ掌翔/降(指を閉じた掌)
マ叉天 ミ叉己 ム叉地 メ叉離/寄 モ叉翔/降(左右を挟んで物を掴む手)
ヤ盃天 盃己 ユ盃地 盃離/寄 ヨ盃翔/降(物を捧げる手)
ラ螺天 リ螺己 ル螺地 レ螺離/寄 ロ螺翔/降(手首を捻ったり曲げたりする補助動作)
ワ腕天 ヰ腕己 ウ腕地 ヱ腕離/寄 ヲ腕跳/降(肘を中心とした腕)
爪を掲げる+揉み手を提げる=噛む
掲げた爪を引き寄せる+手首を払って提げる=蹴る
などと巧く解釈してもらえると助かる
尚、エ段とオ段の甲乙は一応つけたが、イ段の乙は基本的に~する存在/生き物と考え省略した
また、ヤ行とワ行は元々エとオの甲が独立した結果生まれたものと考え、現在のエとオは乙に相当するものとしている
これに従うと、ハは指を閉じた掌を対象にかざす手形で端を匂わせるものとなり、普段使いではやんわりと諭すように「他所は他所、家は家」的な表現ができる
また、これを強調してはっきりと突き付けると、「それに限って」的な強い対比の感覚を表現できる
ガは多分に個人的な憶測に基づいているが、ナカの音便と考えると最も筋が通ると現状では考えている
ナカは軽く握った拳を対象に見立て爪を立てながら開く手形で中を匂わせるものとなり、普段使いではゆっくりと紐解くように「果たしてその正体や如何に」的な表現ができる
また、これを強調してはっきりと突き付けると、「なんとこれこそが」的な強い結論付けを表現できる >>62
「は」を「ある」と考えるのなら、以下のような文の「は」はどう解釈できるんだろう
「が」「を」以外の格助詞が「は」と組み合わさった例だ
・ここには待合室がある
・この停留所からは急行バスが出ている
・あの火事の様子はクレヨンではとても描けない(「は」が2つ)
・遅刻するよりは雨に濡れて行ったほうがマシだ
・結果を見るまではわからない >>68
「は」=「刄」だな。
ここに/刄/待合室がある。 >>68
ずいぶん例が多いですね。
日本語のユニークな点だけど…
「目的格、対格、与格、処格、奪格、経由格…
といっぱい有る、フィンランド語だと、
もっとあった気がする、凄い数だったなw」
これらの主格・呼格以外も「は(あり)」と言える。
>・ここには待合室がある
「ここ+に」という到達格?作用格?目標格?
それらが「あり」と言っている。
「ここに」という到達格、目標格が「あります」と言っている。
それが「ここに+は」=「ここに+あり」だ。
なぜ「に」が目標格?到達格?を表すのか?
その理由があるはずだね、絶対に。
解明できるか、わからんが。
>・この停留所からは急行バスが出ている
これも同じだ、「この停留所+から」で出発格とでもいうのかな。
それが「あり、あります」と言っている。
「この停留所から+は」=「この停留所から+あり」なんだな。
なぜ「から」が出発格?を表すのか? >>70 つづき
>・あの火事の様子はクレヨンではとても描けない(「は」が2つ)
これもそうだ、「クレヨン+で」で、これは手段格?材料格?共格?
それが「あり、あります」と言っている。
「クレヨンでは」=「クレヨンで+あり」になる。
「あの火事の様子 あり クレヨンで あり とても描けない」
なぜ「で」が共格か?
>・遅刻するよりは雨に濡れて行ったほうがマシだ
これも同じだ、
「遅刻する」+「より(行為以上)」のものが
「あり」と言っている。
んで、なぜ「より」が基準格?比較格?起点格?なのか?
・結果を見るまではわからない
「結果を見る+まで」で限度格?到達格?が
「ございます」と言っている。
なぜ「まで」が 限度格?到達格?なのか?
例えば「私には」は英語では[to me, for me]だろうけど
日本語風の英語だと[me am, me is]となるのでしょう。
「は」=「あり」=「英語のbe動詞」だから。
「が(持つ)」も助詞との組み合わせ可能・不可能があるが
場合の数が多くて、やれていない。 >>69
お前の考えでは
「は」=「あり」、「が」=「持つ」 なんだから、
「ここには待合室がある」は
ここに+あり+待合室+持つ+ある
だろ?
なんでそう答えないのかなあ じゃあ改めて
>>70
お前の考えでは
「は」=「あり」、「が」=「持つ」 なんだから、
「ここには待合室がある」は
ここに+あり+待合室+持つ+ある
だろ?
なんでそう答えないのかなあ >>74
わからないな、その理由は。
横訛りした理由はわからんよ。
便利だったんだろうな。 >>75
「横訛り」の話は関係ないよ
話をそらすなよ
逃げるな 発達って自分の中でしか通じない造語を他人も知ってると思い込んで言い出すよな
「横訛り」とか >>62
「ここに」の「に(i)」なんだけど
形容詞の「し、い」も「i」だよな。
古語辞典では「i」では
「やまとし(i)うるわし(i)」
「安眠し(i)寝さむ」
「寒くし(i)あれば」
「名にし(i)おわばいざこととわむ」
「今し(i)、羽根という所に来ぬ」
なんか共通点が有ると思わないか?
ここでは書く気がないけどさ。
「し」は強意とか書いてる。
辞典編集者って、お気楽だね。 よこなまり【横訛り】
言葉や発音がくずれること。なまり。
「―の朴訥 (むくつけ) なるは」〈魯文・西洋道中膝栗毛〉 「が」がアイヌ語のkor由来wwwwwwwww
荒唐無稽すぎて笑い死ぬわ🤣
助詞の借用って時点でおかしいのに「が」と「kor」だよ?ww
一ミリも似てなくて草 辞書でさ「強意」、「語調」とかが出てきたら
「編集者にはわかりません」と言う意味だね。
考古学では「宗教祭祀に使われた」も
「このブツはわかりません」と言う意味だw 荒唐無稽なの大杉て無理www
ただ41の英語にいったん直してってのは存外わかりやすかった
「は」がテーマやターゲットをいったん説明したいとき
「が」がストレートに核心に触れたいとき
いろいろ文を入れてみたらそんなニュアンスがあったthx あともうひとつ追加
全然スレチで悪いけど67はもっと丁寧に教えてくれ
煽りとかじゃなくてちょっと感動したから頼みたい
オレ今まで日本語の「着る」と「履く」をわざわざ使いわけるのが疑問だったんだ
だけどそれ見ていろいろ格闘してたら唐突に理解した
「着る」と「履く」はジェスチャーが違うから言葉が違うんだって
その表のとおりにやってったらいつもの動作とまるっきり一緒でビビった
ただやってると「泣く」や「島」なんかやったときのジェスチャーがさっぱりなんだw
オレのなかで軽くバズってるからよろしくお願いします >>83ー84
他人の書き込みに言及したいときは番号の前に>>を付けろ
いちいちログをたどって前の方を見に行くのがめんどくさいから >>78
日本語の母音は5つしかない
それぞれの母音が特定の意味と結びついているのだとしたら、
一つ一つの拍(かな一字分の音の長さ)が
母音5種類のうちの1つの意味を内部に持ち、
すべての単語はその組み合わせで出来上がっていると言うことになる
お前はこれから日本語のすべての単語をその理屈で説明しろ >>86
マジレスしてスマンが日本祖語は6母音やぞ
あとアクセントの高低もあるからそれも含めて考えないかんぞ
もちろん東京アクセントじゃなくて平安期京都ですらなくて日琉から復元した完全な祖型でな 8母音説、6母音説、5母音説のどれに準拠するのか
加えて、その母音の起源は単母音、重母音、連母音の脱落のどれに当たるのか
有力、非有力の差はあれど、言語学に絶対はない
見落としのないよう、さまざまな場合を想定する必要がある フィンランド語やトルコ語の文法を参考にして日本語文法を考えるとどうなるんだろうね。 以前、学習塾で国語を教えてた時、「が」と「は」の違いを説明するのに使ってた例文
・彼は頭「が」いい
・彼は頭「は」いい 「は」=「刃」と書いたものだか、
「刃」は駄洒落だけど、
「は」は前後を切り、
「が」は前後を繋げるは、
日本語文法では根底的な概念だけどな。
「が」は句を作れるけど「は」は作れない。
「私が起きた時」は完結した句だが、
「私は起きた時」は続く述部が必要。 >>87-88
言うと思った
>>78のバカ説を否定するのに、
6母音説も8母音説も関係ないし、挙げる必要も全く無いよ
「母音/i/は常に特定の意味と結びつく」
という妄説を否定するに当たって何の違いもない
ただの知ってるアピール乙 なんでおバカさんはこう、少しでも自分の意に沿わないようなレスがつくと
誰彼構わずに脊椎反射でくってかかるんだろ?生きてて恥ずかしくないのかな? >>84
確かに、着るや履くの手形は普段の動作と直結していてとてもわかりやすい
さて、泣くと島の手形は端的に言うと、「拳の甲で涙を拭う仕草」と「指を閉じた掌を横倒しにしたような形の空間」を表している
具体的な説明もするが、以前>>67でも言ったように必要がなければ、ここで切ってもらって構わない
泣くのナは軽く握った拳を掲げる手形、クは手形が昇華して抽象的な動作になったもので、何かに食い込ませたり擦り付けたりする動作である
この時、拳ならナでなくともニで良いのではないかと思う人もいるとは思うが、拳を自身に向けるニでは甲で涙を拭うことはできず不自然な動作となる
尚、話が少々脱線するが、この「手形の昇華とそれに伴う抽象化」は、他の言葉でも多く見られる
例えば、叩くのクは脱力した手と手=タタを噛み合うくらいに打ち付ける動作を、
畳むのムは脱力した手と手で挟む動作を、祟るのルは脱力した手と手を手首からダラっと反して提げる動作を、それぞれ表す
島の手形を説明するにあたり、縞模様の縞についても説明したい
シは指を閉じた手刀を「掌が上を向くように」胸元に差す手形、マは先の抽象化に似ていて、左右を「両手で」挟んで物を掴む手形である
そして、これらの手形の解釈の違いが、島と縞の違いを生み出している
島のシはその手形全体から海に浮かぶ孤島の像を連想したものであり、縞のシは閉じた指の並びから縞模様のパターンを連想したものである
そして島と縞、両方のマは眼前の風景を伸ばした手と手で擬似的に挟み込むことで、抽象的な空間=間を表す
この時、先と同様、掌ならシでなくともチやヒで良いのではないかと思う人もいるとは思うが、チは指が閉じておらず、ヒは掌が横倒しでない上に指の並びが強調されないことから、使用に適さない >>84
>>98
スレ違いの上に検討外れ。以外にたった2行で正解を書く
「着る」は衣服全般、「履く」は足先、ただしこの動詞は下半身全体にも及ぶ。
下半身かつ衣服であるときは「穿く」と書く >>98thx
スレチさせて正直悪かった
だけどようやく「泣く」と「島」が理解できた
いやオレのしてたジェスチャー全然違っててかなりはずい
あと「シマシマ」も知れたのはデカい
「叩く」「畳む」「祟る」はイメージピッタリすぎてポカンってなったw
ていねいで矛盾がなかったから説明も全部楽しんで読めた
どうもありがとう 一人でスレ違いの質問書いて的外れの回答書いてそれに感謝レスするのって楽しい? 縞模様のシマは南蛮渡来の「島物」の布地の柄に由来するものであって古代からある和語ではない
万葉集は韓国語で読めるレベルのうんち せっかく面白い文法のスレだと思ったのに
とりとめもなくしかもデタラメなポエマーのオナニー的語彙考察まがいを開陳するだけのクソスレに 猫がいる。猫は壁の上で寝ている。
That is a cat. The cat is sleeping on a wall. あガガイのガイwって敗北宣言だよね
反論できる言葉が出てこないから草でごまかしてる お前の負け、って最初に言うようなやつがあガガイ言い出す 「結局お前、最初から自分の中で答えが出てるのかなんかしらんが、
何をどれだけ言われようが話半分にも聞かないだろ?言うだけ無駄じゃん」
みたいなクソ不毛な流れからのあガガイ どっちかと言うと
バカな言い争いをしてるのを見て
第三者が書き込んでるケースが多いと思うけど 104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/09/07(金) 12:34:20.28 ID:Gh4PJDVw0
なんJみたいに定形文が発達してる板ってのはコミュ症にとっては都合のいい場所だからな
お互い一方的にもかかわらず表面上はコミュニケーションがとれているように見える
なんJは意思の疎通を捨てた猿ガキの溜まり場
書き込まれている内容は鳴き声に近い >>8
日本語教師と「国語」学者と
分類や扱いがちがうんだよね >>38 >>41
日本語もろくに扱えない人が集まっているというのに
なぜ外国語のいち言語を引き合いに出すのか >>39-40
コロンのこと?
西欧語では説明文の記号らしいけど
他にも意味あるからな
むしろ逆で、助詞「は」の記号がコロンなんでしょ
>>42
そんな約物の規則はない
>>44
形式名詞不足
イ形容詞に「です」は接続できない
>>43 >>47
「あり」から「は」、「持つ」から「が」に変化した
年代のわかる資料はありますか
民間語源ですか >>99
「はく」は穴を通すとか穴をあけるような意味だったと思うので
てぶくろをはく、とも言いますよ
足とか下半身とかは関係ありませんと思っていたけど、漢字は当て字かな
【履く】 足先につける
【穿く】 下半身に身につける
「穿=うがつ」=穴をあける
「着る=付ける」=表面に付ける >>121
>イ形容詞に「です」は接続できない
え?w 「なりたいです」と「なりたいのです」とは
イコールでないという意識が日本語話者にはないか?
イコールであるのならば「なりたいです」をやめて
「なりたいのです」の置き換え可能だが。
ちなみに「あるならば」も間違いで
「あるのならば」と表現すべきなのだろうか。 >>123
昭和前半期頃までの口語文法では確かに、
「です」は「だ」と同様に体言にしかつけられないもので、
「来るです」とは言わないのと同じように「寒いです」とは言わなかった
しかしその後丁寧体による文体的な統一性のニーズが高まり、
イ形容詞や形容詞型活用の助動詞に「です」をつけることが一般的になった 44 名無し象は鼻がウナギだ! 2019/12/18(水) 21:30:19.67 0
子供のころに作文でよくやらかした誤り、とされる文。
「私の夢はパティシエになりたいです。」
今でも長文でやらかしてしまうことが時々ある。
とはいえ、本当に間違っているんだろうかと思うこの頃。
これを誤りと見なすのは学校文法の色眼鏡の産物じゃないかって。
121 名無し象は鼻がウナギだ! sage 2020/01/12(日) 21:27:38.10 0
>>44
形式名詞不足
イ形容詞に「です」は接続できない
>>44
今でもやらかしてしまうってそれは相当やばいぞ
>>121
なりたいは形容詞じゃねーだろ阿呆
なんで日本語不自由な奴がこんなにいるんだ情けない >なりたいは形容詞じゃねーだろ阿呆
ではこの人は何だと考えているんだろうという素朴な疑問(通りすがりつつ) >>128
それが上で言っている「形容詞型活用の助動詞」
>>124
「なりたいのです」「あるのならば」は「のだ文」の一種だから
「たい+です」の問題とは関係ない
「のだ文」については、検索すれば色々わかるよ
>>122
「はく」に穴を通すなんて意味はないだろう
用例も挙がっていないし
「手袋をはく」と言う人がいるのは、「靴」「靴下」からの類推で
「身体の先端に装着する」という派生的なイメージがあるかららしい
「はく」が「下半身」に当てはまる例は「ズボンをはく」「スカートをはく」
「靴」「靴下」「タイツ」「股引」「パンツ」「パンティー」などなど
上半身の例はせいぜい一部の人の手袋ぐらい >>105
ある猫がいる。その猫は…。
ある=a
その=the 本来なら「美しくあります」という表現を
定着させるべきだったんだよね。
日本語教育で形容詞の丁寧形は最大の鬼門だね。
先生自体が正しく運用できない。
そもそも何が正しいのかも決まっていない。
そして最大の悲劇が、動詞の否定形が
形容詞型の活用を持つこと。
誰も否定形の丁寧態を説明できない。
「書かなかっただろう」を
「書かなかったでしょう」で済ませるか
「書きませんでしたでしょう」まで言わせるか。 『みんなの日本語』では
「きれいじゃありません」とは言っても
「きれいじゃないです」とは絶対言わないよね
リアル日本人は40代以下は前者がもう出てこなくなっているのに
「ます」は使っても「ません」が使えないという不均衡が続けば
やがて「ます」も「終止形+です」で代用するようになり、
21世紀前半中に「ます」は音声言語から消えるだろう >>133
タラちゃん言葉というやつね。
実はすごく合理的。
終止形に「です」をつけるだけで丁寧語になる。
×「します」→○「するです」
×「しました」→○「したです」 方言やバイト言葉の「っす」は半世紀前から先行して実現させていた >>129
>「なりたいのです」「あるのならば」は「のだ文」の一種だから
>「たい+です」の問題とは関係ない
>「のだ文」については、検索すれば色々わかるよ
「の」が挟まれば不自然でなくなる。
しかし「の」が挟まると現代の日本人はそこにニュアンスの違いを見出す。
ということは「たいです」の形が必要になっている。
そういうことを>>124は反語表現を使って言っているんだよ。 >>133
外国人への日本語教育ではなぜ「では」ではなく
より砕けた表現である「じゃ」を使うんだろうか?
そのくせ「です/ます」表現をそれとセットにしている。
それがやや不自然に感じる。 「うまいのがたべたい」:の=もの
「さわぐのはやめて」:の=こと
∴うれしいのです : 体言に「です」がつく形なのでOK
うれしいです : こどもが書いてしまうような間違った日本語どされていたが、近頃はみんなが使うようになってきた日本語 >>137
>それがやや不自然に感じる
「が」は目的語を導いているのでしょうか
「自発」の助動詞「られる」はこんな時使わないのでしょうか 「綺麗であります/綺麗で(は)ありません」
肯定の形はやや硬くて古風だね。
否定の形では「は」が挟まるのが一般的。
「嬉しくあります/嬉しくありません」
肯定の形はやや変。「嬉しくもあります」にすればオーケー。 >>139
a. それがやや不自然に感じられる
b. それがやや不自然に感じる
b.を変だと感じるネイティブスピーカーは多いのかなあ。
c. それをやや不自然に感じる
にすべき? >>136
そういう直感的な反応はどうでもいいから
のだ文について少しは調べときなよ
>>138
「の」の機能語としての用法はそれだが
「のだ文」はその中に1つもないな
だから上の疑問に答えていない >>142
「だ」は体言につくものなので、「〜の」で体言化するのであるが
「の」を外して「なりたいです」は近頃聞くが、「なりたいだ」はまだ聞かないな >>4
「は」も限定的な使い方あるよね
「おまえらまたサボってんな!」
「わ、私はやりましたよ!」 「です/ます」は学校教育の産物で、計画経済的=人工的なんだよな。 >>144
「は」は限定的というか、中立的なんだよね。
「Aは」と言ったとき、Aについてはそう言えるけど、
BやCについては関知しない、私が言えることはない、
という意味合いがある。
「Aが」と言ったとき、「BやCじゃなくてAだよ」
「他の何者でもなくAだよ」って意味合いが強くなる。
A以外を強く否定しているんだよね。
「Aは」と言えば、Aについてこう言えるけど、
A以外について否定も肯定もしないよ、
って意味合いが強くなる。 「私は走った」
私について言えば、走ったよ。他の人も走ったかもしれないけど、
他の人のことはとりあえず関知しないよ。
「私が走った」
その「走った」行為をしていたのは紛れもなくこの私であって
私以外の人じゃない。その走った主体はこの私のこと! >>148
順に「対比の『は』」と「新情報の『が』」だ 昨日ここに来なかった人は?
a1. 私は来ました。
a2. 私は来ませんでした。
b1. 私が来ました。
b2. 私が来ませんでした。
質問者にとってはいずれも新情報のはず。 この中に私の正体を知っている者が一人だけいることは分かっているんだ。
a1. 私は知らない。
a2. 私は知っている。
b1. 私が知らない。
b2. 私が知っている。 >>150
a1、a2: どちらも述語が新情報、「は」の前は主題であり旧情報
b1は話し手にとっては「私が」が新情報(質問を取り違えたので)。回答としては無効
b2は「私が」が新情報
「いずれも新情報」と言うのは文法要素の機能を何も見ていない 例えば教師が教本を示して「ここに本がある」と言う時は
自明であり新情報でもない場合があるぞ
この場合は定義付けや主張だ a. ここに本がある。
b. ここに本はある。
a: ここにあるのは本であってそれ以外のものではない。
b: ここにあるのは本だが、それ以外のものもあるかもしれない。本以外についてはとりあえず関知しない。
とあるネイティブ日本語スピーカーの意味感覚としてはこんな感じがする。 >>153
「この中に私の正体を知っている者が一人だけいることは分かっているんだ」
と問いただしている人は、
この中に一人だけいることは分かっているけど、それが誰かは未知なんだよ。
だから、ある回答者が「私が」と言った場合も
問いただした人にとっては新情報を得られたことになるよ。 >>153
「昨日ここに来なかった人は?」と問うている人にとって
誰がここに来たのか来なかったのかは未知のことだから、
回答者各人が「私は来た・来なかった」とか
「私が来た・来なかった」とか答えてくれれば、
いずれの場合も質問者にとっては新情報になるよ。 ごめん。訂正:
だから、ある回答者が「私は」と言った場合であっても
問いただした人にとっては新情報を得られたことになるよ。 >>158
だがその「新情報」は「私は」という箇所によって得られるものではないだろう こういう例はどう解釈する?
自分の状態を説明するのに
「私は本を読んでいる」とは言うが
「私が本を読んでいる」とは普通は言わない
後者は自分の行動を自分が知らなかったような印象を受ける
ところがこれが他者の状況を含めて説明する時には
「私が本を読んでいると、彼が話しかけてきた」という
「私は本を読んでいると、彼が話しかけてきた」とは普通は言わない
「私が本を読んでいると、彼は話しかけてきた」というのは言わなくもない 「私は本が好きです」と「私は本は好きです」を見ると
しかし「私が本が好きです」や「私が本は好きです」とは言わない
ここに情報の新旧はおそらく関係ない
「私が好きなのは本です」とは言うし、「私が好きなのが本です」とも言う(後者は珍しいが)
しかし「私は好きなのは本です」とは言わないし、「私は好きなのが本です」とも言わない
こちらも情報の新旧はあまり関係ないように思える 別にハとガがすべて情報の新旧を表しているなんて誰も言ってないんだが >>163
時には「は」でも新情報を表すし、時には「が」でも新情報じゃないなら
どういう場合に「が」が新情報になるの?
自己紹介する時に「私は田中です」「私が田中です」と言ったら?
どちらも新情報の上に、後者はどこかに「田中」という人物が存在していることを前提にしている
むしろ「は」の方が新情報になるのでは?
「これは化石です」「これが化石です」
後者は対象が化石というものに関して既知である事を前提にしていないか? よく言われているのは、日本語はトピック優勢言語の一種で、
「トピック:コメント」 の構造で文を組み立てる傾向があること。
このコロン(:)の役割を果たすのが係助詞「は」。
格による文の構造はサブクラスに格下げされているので、
「トピック:コメント」の構造によって隠れてしまうか棚上げされる。 どうせなら文法を理解してからやれよ
のだ文の話も終わっちゃってるしさ 「が」と「は」が既知と未知の対比というのは異論もあるんだが知らないのか
「鈴木さんが校長です」「校長が鈴木さんです」は両者成立する
「鈴木さんは校長です」「校長は鈴木さんです」も同じく
この分類は既知や未知ではない
いずれも鈴木と校長に関して既知であっても未知であっても成り立つ
既知未知というよりは助詞の前後でどちらに重点を置くかで説明される
「私が山田です」という時に「相手は"私"を知らない」とか
「私は山田です」という時に「相手は"私"を知っている」という判断は曖昧になる
むしろ「未知・既知」を分ける時は前項よりも後項による所が大きい
つまり「私が山田です」と言う時は「相手は"山田"を知っていて」、
「私は山田です」と言う時は「相手は"山田"を知らない」と言える
相手にとって「私」が既知か未知であるかは大きな意味を持たないと言われたら、どう反論するんだ? >>148-149
新情報かどうか短文での判別は難しく全体の文脈で判断しなければならない
ただ一文を見てこれは〇〇だとか〇〇ではないと論じてもしょうがない 10名の人々がいる。
その中にA氏の正体を知っている者が1名だけいることは明らかだが、
それが誰なのかは不明な状況。
で、その中の一人が言葉を発する。
a1. 私はA氏の正体を知らない。(自然)
b1. 私がA氏の正体を知らない。(不自然)
a2. 私はA氏の正体を知っている。(やや不自然)
b1. 私がA氏の正体を知っている。(自然)
知らない人は複数なので「私は」が自然。
知っている人はただ一人なので「私が」が自然。 その状況下で
「私はA氏の正体を知っている」と言ってしまうと、
私以外にも知っている人がいるかもしれない意味になる。
「私は」には「私はこうだが、他の人の事は分からない」という意味がある。
だから知っている人がただ一人であることが明らかな状況では使えない。
「私がA氏の正体を知らない」も同様に考えることができる。
「私が」には「それが当てはまるのは私であって他の人ではない」という意味がある。
したがって「知らないのは私だけだ」という意味合いが生じ、
他の人がA氏の正体を皆知っていることになってしまって状況と矛盾する。 AはBです:ともかくBであるのはAだが、CやDやEもそうであるかもしれない。
AはBする:ともかくBをしているのはAだが、CやDやEもそうするかもしれない。
AがBです:BであるのはまさにAであってそれ以外ではない。
AがBする:BをしているのはAであってそれ以外ではない。 私はナポリタン
私がナポリタン
ウェイトレスがもっているパスタは何! 「は」がある側面(既出の意味を受ける)からみると後置定冠詞のように思えて、
「が」もまたある側面(指示対象を限定する)からみると後置定冠詞のように思える。
その点が日本人を混乱させる。 >>160
日本語教育とかでよく教えられているのは
主述関係をもった文が従属節の中に入ると
「は」よりも「が」、というルールだね。
従属節は主題から格下げされてしまう。 「が」は一つの文や一つの節の中にしかその意味の有効範囲を持てないけど、
「は」はその話題を続ける限り、節や文を越えてその意味の有効範囲を通常持っているね。
例:日本語は孤立した言語です。主に日本国内だけで話されています。話題優勢言語の一種です。
「日本語は」が文を越えてずっと有効性を持って暗黙に継承されている。 表現の自由はこれを保障する
とかの憲法の表現って、日本語的にこなれてないよね
表現の自由を保障する、でも、表現の自由は保障する、でもなくて、
表現の自由について言えば、これを保障する
ってまわりくどい >>179
法律に特有なその文体は漢文に由来するもので、
漢文ではこういう時に同一指示の代名詞「之」を後から目的語として動詞に添える
これも日本語の文体の1つであり、個人的に慣れていない、知らないからといって
「こなれていない」(調和がとれていない)ということにはならない >>176
なるほど
定冠詞と似ていると思ったが後置定冠詞と考えればしっくり来る >>181
国語辞典を引いてみて一番しっくりきたのがそれ >>179
「表現の自由は、憲法がこれを保証する。」
が、完成形かな。
(主題)は、(主語)が(客語)を(述語)する。
「憲法は、これが表現の自由を保証する。」
とも言える。
「憲法が表現の自由を保証する。」
「憲法は表現の自由を保証する。」
「表現の自由は憲法が保証する。」 >>179
「表現の自由は保障する」ではなくて「表現の自由はこれを保障する」と
言うことによって「保障する」に強勢を置いた読みが自然になる >>186
法律を知らないド素人が法律の文章を読んで
文章が熟練していないなんてほざいても滑稽なだけだよね なんとかはこれを保障する式の法律の書き方は最近は原則しない
刑法を口語化したときに少し話題になった
それはまさに、現代の法律としてはこなれてないから
ところが、民法改正のときはまた少し残るということに
>>187みたいなのが一番恥ずかしい >>189
その通り
たとえば悪名高い自民党憲法改正草案でさえ、
日本国民たる要件は、法律でこれを定める
という規定を
日本国民の要件は、法律で定める
に変えてる
官僚や元官僚が関わってるんだから当然そうなる
これが今のスタンダード 言語板なんだから、学問的に分析しようぜ。
○○は、これを△△する。
○○は、これが△△する。
「○○は」だけだと、主題しか提示しないので、
「これを」「これが」で、格を確定しているんだよ。
「は」はトピックマーカー、
「が」はサブジェクトマーカー、
「を」はオブジェクトマーカー。 私は猫が好き、は I like cats. と訳すけど
文の構造としては
As for me, cats are favorable. (私に関して言えば、猫が好ましい)が近いわけですな >>189
>現代の法律としてはこなれていない
結局「こなれている」の意味は何が正解なの? >>191
「私は」は主題しか示していないというわけではない
格ごとに主題化の方式が違うので、曖昧になっているだけだ
私が→私は(ガ格抹消)
私を→私は(ヲ格抹消)
私から→私からは(カラ格維持、主題化助詞ハの付加)
格助詞のうち、中心的な格であるガ格とヲ格のみが、
主題化によってその形が抹消される
しかし形が消えても、後の述語部分を見れば、本来の格は判別可能だ
少なくともガ格かヲ格であったことは確かなのだ >>179さんがおっしゃる「こなれていない」は
現代の日本語話者の大多数にとっては「日常的に馴染みが無い」
「非常に不自然で奇妙に聞こえる表現だ」という意味だと思う。 >>197
「がは」という形が昔の日本語にあったなら決定的だけど、
なかったなら、反論を被るかも。でも論理的にはそれでしっくりくるね。
ちなみに、自分だけかな?
「がは」や「をば」に限らず
「では」や「には」も単に「は」と表現してしまうことがある。
象には長い鼻がある。=> 象は長い鼻がある。 >>200
それ、象には、の省略版が象はってことなのかな
意味的にはそうなんだろうけど、意識としては違うような >>200
現代言語学では共時態や内的再構といった概念によって
歴史的由来に関する知識を説明原理から排除できる 「象が鼻は長い」という言い方は存在しなかったんだね? 象なんてw
あらゆる面でキリンが勝ってるわ
首どころか全てにおいてキリンの方が長いし
と煽られた時に
象が鼻は長い
と答えたことはある それ、「鼻は象が長い」そういった方が自然じゃないかな 象が鼻は長い
って何度も読んでると
象が鼻って地名でもありそうな気がしてくる >>179
憲法の「〇〇は、これを〜する」みたいな文体ってGHQ草案の英文で受動態になってるとこを無理やり漢文訓読体ぽく訳したもんだしな 脱線くそつまらない
何度でも言ってやる
脱線する奴自殺しろ 彼が英語を話せる。
彼は英語が話せる。
英語を彼が話せる。
英語は彼が話せる。 一行の文章さえ意味が通じるように書けないのはなぜか 「ではない」の「は」も副助詞?
「でない」ではいけないの? >>170
>「鈴木さんが校長です」「校長が鈴木さんです」は両者成立する
>「鈴木さんは校長です」「校長は鈴木さんです」も同じく
成立するからと言って同じ意味の文だということにはならないだろ
文・非文の判定と同義か否かを混同するな
>いずれも鈴木と校長に関して既知であっても未知であっても成り立つ
既知・未知の違いはそれの存在について予備知識を持っているか否かではない
コピュラ文の場合、何と何が「=」で結ばれるかに関して新情報として提示されるものが未知と呼ばれる
上記4つの文はそれぞれ
「誰が校長ですか」「どの人が鈴木さんですか」「鈴木さんは何ですか」「校長は誰ですか」
に対する答えだ
>「私が山田です」と言う時は「相手は"山田"を知っていて」、
>「私は山田です」と言う時は「相手は"山田"を知らない」と言える
ということは、未知か既知かについて、後項であるかどうかは全く関係ないじゃないか
「私が山田です」は「誰が山田さんですか」に対する答えで、相手は山田を知っていて、回答は「私」という新情報、未知だ
「私は山田です」は「あなたは誰ですか」に対する答えで、相手は私を知っていて、回答は「山田」という新情報、未知だ なんとなく長文ではよく「が」を使ってるような気がするな。 定冠詞・不定冠詞的な部分があるという事か
なるほど >>227
「は」本質は話題マーカー
部分的に定性標識と機能がかぶることがあるだけ 話題になるのは常に既知の対象だが、既知のもの全てが話題であるということはない 既知・未知というのは「誰にとって」そうなのか、はっきりさせておこう まーかーって何ㅤㅤㅤㅤ
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日本語使えよゴキブリㅤㅤㅤㅤㅤ >>371
楽しいか?
お前よっぽど自分がバカでそれがコンプレックスなんだな
みっともない 「マーカー」についてはとっくに答えが出ている
ウィキペディア日本語版で調べればいい
いくつか候補が出たうちの、言語学用語のやつを見ればいい
たったこれだけのこともできず、ガキ以下のコピペ荒らしとか、
恥ずかしくないのかこのバカは >>150>>156-157
質問に対する回答文の中における新情報と旧情報の判別に関して、
「質問者にとって」それが新情報であるか旧情報であるかは問題ではない
個々の発話における文法要素の分析は、発話者の視点・立場が全てだから が: 未知なことに使う、を・に・で などと同類
は: 既知なことに使う、をば・には・では などと同類
言語学掲示板群 ttp://x0000.net/forum.aspx?id=11
巨大な学術の掲示板群: アルファ・ラボ ttp://x0000.net
数学 物理学 化学 生物学 天文学 地理地学
言語学 国語 方言 IT 電子 工学 など
こんな日本語の文字を考案した(画像有り)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3689-0
こんな人工言語を作った
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3648-0
人類の品種
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3625-0
言葉の起源
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日本語は海豚の言葉に由来する
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関東無政府主義国へようこそ!
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そうとは限らない
単純な文ではそうなることもあるというだけ 言語学掲示板群 ttp://x0000.net/forum.aspx?id=11
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関東無政府主義国へようこそ!
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3629-0 ‘が’って否定的な時によく使うよね
こんなものお金払って食いたい奴がいるかよ!とか 「は」は本来的には副助詞なので「には」「では」のように他の助詞とも複合するが、現代では既に生産性を失っており実質的には主題となっている主格(まれに目的格)を表示する格助詞に近い がは -> は
をば -> は
には
では
とは
からは
よりは
「がは」が「は」に省略されてしまったので
「が」と「は」の交替が起こっているように見えるだけかも。 もしそうだとすれば、「は」と「が」の使い分け方は
「には」と「に」、「では」と「で」、「からは」と「から」の使い分け方と同じ。 >>864
反語だね。疑問の形で否定の意味を持たせている。
「こんなものお金払って食いたい奴はいないだろ」に等しい。 「は」には「話題(それ以外は別として)」の意味がある。
「薔薇が好き」「薔薇は好き」
この場合に「は」が使われると、
薔薇に関しては好きだけど、薔薇以外の花は好きじゃない
と言いたそうな含意を持ってしまう。
これを応用すると対比になる。
「薔薇は好きだけど、チューリップは嫌い」
「薔薇が好きだけど、チューリップが嫌い」
と言うとなんだか変。 「が」には格助詞+それに近しい働きがある。
用言の主格を指し示すような働き。
「薔薇が美しい」:美しい主体がまぎれもなく薔薇であることを言いたい。
「薔薇は美しい」:薔薇に関してとりあえず美しいと言っておきたい。それ以外は別として。
「が」は格助詞的だけど、「は」は超格助詞的。格助詞の守備範囲を超えている。
格助詞は、ある節内を支配する。節の外、ましてや文の外まで影響を及ぼさない。
それに対して「は」は格助詞を超えているので、節の外はもちろん、文の外まで影響力が及ぶ。
「Aは」と言っておけば、話題を変更するまでAについて話していることが相手に伝わるので
その後、Aを省略して話すことが可能になる。
「Aは医者です。30代の男性です。東京在住です」みたいに。 用言としてしまったけど、体言でもオーケー。
「Aさんが医者です」でも同じ。 「AがB」:Bという意味がAに属すことを指し示す。
「AはB」「AがはB」:Aだけに注目してそれがBであることを示す。
Aを話題化にするとそれに焦点が集まり、カプセル化される。 見る限りプログラミング用語っぽいですけど言語学における「カプセル化」はどういう意味ですか? >>879
あの関係無いレスして荒らすのやめてもらってもいいですか。 >>881
あの関係無いレスして荒らすのやめてもらってもいいですか。 キチガイは他人の心配より自分自身を心配したほうがいいよ。
脳外科なり精神科なりで一度頭ん中診て治療してもらいな。 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
一つ目の「は」と二つ目の「は」の違いを述べよ。 助コピュラ詞として使う場合
は....相対的
が....絶対的
その他の場合
勝手に考えてくれ 意味は分かるだろ
どっかの権威が考えた言葉じゃないと認めないのか
アスペ多いのな がとはの違いを考えるのなんて基本的にただの言葉遊びでしかなくて一般人にとっちゃでクソどうでもいい事なのよ
やるからには目的があるはずで、それがAI開発なのか外国人への日本語教育なのか先に決めないと「ボクはこうおもう!」のぶつけ合いにしかならない 助コピュラ詞ww
初めて聞いたわこんなクソダサい言葉w 自分の造語を「意味わかんだろ」と言うめちゃイタい奴が居るってまじ?w >>891
1つ目は助コピュラ詞
2つ目は助動詞で相対的主格助詞だわな 係り助詞と言われてる「は」の出自は動詞「あり」だ。
格助詞と言われている「が」の出自は動詞「持つ」だよ。
横訛りして動詞に感じられなくなった。 >>902
「は」があるだけでコピュラが暗黙的に存在する事を示す。
更に言えば共通語話者の認識上「は」はamである
ただし時制及びキャラクターを明示出来ないのでコピュラが「は」に完全に取って代わられていない現状がある
今後共通語から「だ」や「だった」が消滅し代わりに「は」が発達する可能性はある
「が」は英語で無理に表現すればI that am catのthat am
「は」は相対的であるが「が」は絶対的である事を示す
なぜ日本語に「は」と「が」の使い分けが必要になったのかは俺には不明 >>904
「君が代」=「天皇 持つ 時代」
君が代は千代に八千代に…
=天皇 持つ 時代 あり 千代に八千代に… >>906
「君が代」=「天皇 持つ 時代」= 名詞 動詞 名詞=SVO
君が代は=天皇 持つ 時代 あり=名詞 動詞 名詞 動詞=SVSV >>907
象 は 鼻 が 長い
=象 あり 鼻 持つ 長い
=主語 動詞 主語 動詞 形容詞(補語) >>908
象 は 鼻 が 長い
=象 あり 鼻 持つ 長い
= 象が存在しています
+鼻が持っています、長い(という性質を)
=主語 動詞 主語 動詞 形容詞(補語)
=SV+SVC 象は長い鼻を持っています。
象には長い鼻が付いています。
これはどうなるんすか >>910
俺に質問とは珍しいw
象は長い鼻を持っています。
=象 あり+長い鼻を持っています
この二文で、「長い鼻を持っています」と言う文で
だれが(主語)長い鼻を持っているか?と言ったら
「象 あり」とのgiven、与件提示があるので
持っているのは象だ。
二つの文だけど、二つ目の文は主語(象)が省略されている。
つまり主語が省略されてもわかる、「象あり」と言ってるからね。
象には長い鼻が付いています。
この文章は「には」があるけど日本語的な表現だ。
「に+は」で「に+あり」と言ってる。
「に」は動作の対象・目的を表す「一応」助詞だ
すなわち「象には」と言う時は
「目的となる、対象となる、targetになる、象があります」と言っている。
こういう表現は珍しいと思うが、日本語的だと思う。
「長い鼻が付いています。」は、長い鼻は持っています。
長い鼻は、何を持っているんですか?
「付いています」という状態・状況を「長い鼻」は持っています。
んで「長い鼻が付いている」対象・目標は、どこにあるかと言うと
「象には=象に あり」と言っているから、象ですね。 3以圴甠数rが在るnAがばずを涿すような日N.数っ、し牣はる杣はい。これと袪哃せ一
れれはどう成りますす? 英語の冠詞って性数格の指標としての役割が全て消えたよな。 "the"が定冠詞で"a"が不定冠詞であってると思うけど今の英語話者って使い分けしてんのかな? >https://www.nda.co.jp/memo/tosaben.html
>標準語:ゆうべ 星が見えたんだよ。(ゆうべ 星が見えたのだよ。)
>土佐弁:ゆうべ星が見えたがやきぃ。
>幡多弁:ゆうべ星が見えたがよぉ。(高知県西部地方)
土佐弁だけ分解すると
ゆうべ 星 が 見えた が や きぃ。」
=ゆうべ 星 持つ 見えた 持つ あり きぃ。
「が」=「の」、「きぃ」=「〜だから」だそうだ。
私の解釈では…似てるんだけど若干違う。
「が=持つ」で、「や」は「は」と同じ「あり」の横訛りした形。
娘言素でその意味は「は」と同じ「あり」だ。
「きぃ」は「〜だから」とのことだが、
外れてないけど若干違うと思う…良い説明を考慮中。
そういうわけで「きぃ」を、検討から外して…
ゆうべ 星 が 見えた が や 。」
=ゆうべ 星 持つ 見えた 持つ あり 。
俺の日本語訳は…
ゆうべ、星が見えた状況を持ち、
そういう事象(星が見えた状況)が「あり、存在」を持った。
ま、俺は土佐弁nativeじゃないから、変だったら凸よろしくw >>918 続
似たような「が」の使われ方が、石川県にもある。冨山にもあるそうだ。
>石川県議会本会議場で8日午後に開かれた12月定例会の一般質問で、
>谷本知事が冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
>県議から「マスクせんでええがか」とヤジを飛ばされる場面があった。
マスクせんでええがか(マスクしなくてもいいのですか!!!???)
=マスク せんで ええ が か
=マスク せんで ええ 持つ 疑問詞?
日本語訳は…
「マスク しないで 良い 持つ 疑問詞」
つまり
「マスクしないで良い」という事象が疑問詞を持っている。
だから「マスクしないで良いのか!?」と言う意味になる。
同じく、俺は石川弁nativeじゃないから、変だったら凸よろしくw
土佐と石川ってずいぶん離れてるよね。
でも「が」の使い方は似ているのは、なぜなのか?
それへの回答の一つは、早い遅いは別にして、
日本全国で、似たような変化を辿った言語圏だと思う。 >>919 続
追加で…
>幡多弁:ゆうべ星が見えたがよぉ。(高知県西部地方)
まず幡多弁の幡多、この漢字の組合せは、俺には読めないが
「はた」と読む。「はた」ならば、その地名は日本全国にある。
知里真志保によるとアイヌ語で
「はた=わた=水がよどんでいるところ、淵」とある。
俺は「はた=わた(わだ)=岸・海辺・川辺・湖岸」と解釈している。
wikiによると、「わたつみ」は「海の神様」だそうだ。
もちろんこの海は、太平洋やインド洋のど真ん中でなく、
海辺で「わた」なんだ…「はた」でも良いはずだ。
さらに「わた」は川辺でも湖岸でも良いはずだね。
「はた=わた(わだ)」という地名と名字が全国にある理由は、
人間を含む動物は水がないと生きていけないからだ。
そして、人間の住む場所には、必ず地名が付く。
「はた、わた(わだ)」の地名も多くなる。 >>921 続
んで…「ゆうべ星が見えたがよぉ」の「よぉ」は娘言素だ。
「あり」を親言素として横訛りした娘言素で、意味は同じ「あり」だ。
>谷本知事が冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
これの日本語訳は…
=谷本知事 持つ 冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
この文は、谷本知事は持っています、と言ってる。
んで、谷本知事は何を持っているんですか?と言うと
「冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず」という状態・状況を持った。
「マスクせんでええがか」は説明したとおりだ。
>ヤジを飛ばされる場面があった。
=ヤジを飛ばされる場面 持つ あった
「ヤジを飛ばされる場面」は持つ・持っているんですよぉ〜と言ってる。
んじゃ、「ヤジを飛ばされる場面」は何を持っているんですか?というと
「あった」という状況・状態を持つ、「あり、存在」を持ったという事。
報道という標準語?共通語?の日本語表現でも、
さらに土佐や越前?加賀?方言でも、「が」は「持つ」という意味でした。
アイヌ語「に残っているところ」の[kor=持つ]を親言素とする
娘言素が「が」で、意味は同じ「持つ」だ。 >>922 続
もう一つ大事なこと、どれでも良いけど、いくつか…
>場面があった=場面 持つ あった=名詞 動詞 動詞=SVV
>マスクせんでええがか
=マスク せんで ええ が か
=名詞 動詞 形容詞 動詞 疑問詞(か?)=SVCV+?
>谷本知事が冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
=谷本知事 持つ 冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
=名詞 持つ 名詞節?=SVO
「星が見えたがや」
=星 持つ 見えた 持つ あり
=名詞 動詞 動詞 動詞 動詞
=(SVV)+VV
日本語は[SOV]ではなくて、[SVO SVC]でした。
日本語はもちろんアイヌ語と同じ語族だが、
ドイツ語に似てると言えば似てるんじゃないか?…詳しくないが…
英語はバイキングやノルマンの侵略で、かなり変形した言語だろう。 暗淵で「わだ」とも読むね。
ドイツ語は平叙文において動詞が必ず文要素での2番目に位置しなきゃいけないって原則があるけど、それは主語を省略できないっていう欧米語特有の事情があるからで、本来は動詞が文末に発生する言語なんだ。助動詞を使った文や間接文を見るとそれがよくわかる。つまり、文末に発生した動詞が文の頭2番目に移動してくるってこと(v2現象)
日本語は文末に動詞がある方が居心地がいい。
svoではなくsovっていう文構造で比較したとき、日本語とドイツ語は統語的に似通ってる印象を受ける。 >>924
>暗淵で「わだ」とも読むね。
これは絶対に読めない自信がある。
ドイツ語は全然わからないが、V2語順?はユニークですね。
私の「勝手な」V2語順の解釈は…
「主語は動詞の前後であればどっちに置いても良い」
つまり「動詞は主語の前後であればどっちに置いても良い」と同じ。
ただ欧米の場合、動詞が文頭のケースは疑問文に決めてしまった。
だから動詞が文頭場合は平叙文に使えない。
日本語の場合は、文末に「か?」と置けば、疑問文になる。
だから文頭が動詞でも、平叙文で行けて、疑問文ということはない。 >>923 続
例えば…
「ブラジルとサッカーがありましたが、日本が負けました。」
という文は日本語で、完全に意味はわかると思います。
ここに「が」が三つあります。
これらの「が」は「持つ」と解釈するだけで、文を理解できる。
ブラジルとサッカーがありました
=「ブラジルとサッカー」+「が」+「ありました」
この日本語解釈は
「ブラジルとサッカー」という事象・出来事は、「が=持つ」だから
持っていますと言っている。
何を持っているかというと、「ありました」を持っている。
さらに
ブラジルとサッカーがありましたが、日本が負けました
=「ブラジルとサッカーがありました」+「が」+「日本が負けました」
「ブラジルとサッカーがありました」と言う出来事は「が=持つ」と言う。
何を持っているかというと「日本が負けました」との事実を持っている。
さらに
日本が負けました
=「日本」+「が」+「負けました」
日本は「が=持つ」と言ってる。
何を持つかというと「負けました」を持つ。
この三つの「が」は、「が」の出自の「持つ」の意味を保持している。
「星が見えたがや」や「マスクせんでええがか」の「が」と同じだ。 「日本が負けました(敗れました)」より「日本は敗れました(負けました)」のほうが自然じゃん?
これなんで? 負けた事実が「ある」から「は」のほうが自然ってことか
すまん自己解決した 「〜ですか?」という疑問文がある。
>「ですか?」=「です」+「か?」
>「です」
>「でござります」「であります」あるいは「でそう(で候)」
>といった言い回しが省略されたものと考えられている。
「です」は「である」と考えて良さそうだ。「で」は付いてるけど…
方言で「が=持つ」で疑問文を作れるならば、
「は」でも疑問文を作れるはずだ。
例えば、土佐弁の「星が見えるがや」の構造は
「星 持つ 見える 持つ あり」だから
これに「疑問詞、か?」を付けると
「星が見えるがや+か?=星が見えるがやか?」
ありそうな気がするが、土佐弁nativeじゃないのでね…あるいは
1「星が見えるがか?」 「や」を「か?」に入れ替え
2「星が見えるはか?」 「がや」を「はか?」に
3「星が見えるよか?」 「がや」を「よか?」に
4「星が見えるやか?」 「がや」を「やか?」に
5「星が見えるさか?」 「がや」を「さか?」に
6「星が見えるねか?」 「がや」を「ねか?」に
7「星が見えるなか?」 「がや」を「なか?」に
1と4はありそうな気がする「が」… >>929 続
>2「星が見えるはか?」 「がや」を「はか?」に
「は」じゃなく「ば」だったら
「星が見えるばか?」 「がや」を「ばか?」に
これはあるんじゃないかな。「ば」は気がつかなかった。
「ば」は「は」の濁音だろ。
石川弁でも試してみると…
マスクせんでええがか?
=マスク せんで ええ 持つ か?疑問詞
だから、「持つ」を「あり」に変えると
「マスク せんで ええ あり か?疑問詞」
1 マスクせんでええ ありか? 「が」を「あり」に変更
2 マスクせんでええ おりか? 「が」を「おり」に
3 マスクせんでええ はか? 「が」を「は」に
4 マスクせんでええ ばか? 「が」を「ば」に
5 マスクせんでええ よか? 「が」を「よ」に
6 マスクせんでええ やか? 「が」を「や」に
7 マスクせんでええ さか? 「が」を「さ」に
8 マスクせんでええ ねか? 「が」を「ね」に
9 マスクせんでええ なか? 「が」を「な」に
10 マスクせんでええ あるか? 「が」を「ある」に
11 マスクせんでええ おるか? 「が」を「おる」に
6、8はありそうだね。4もあるかな。 >>930 続
土佐弁、石川弁と来たら、標準語?共通語?だよな。
何でも良いけど、ま、例として…
>ヤジを飛ばされる場面があった。
=ヤジを飛ばされる場面 持つ あった
これを↓に変更、「持つ」を「あり」に。
=ヤジを飛ばされる場面 あり あった
1 ヤジを飛ばされる場面 あり あった
1? ヤジを飛ばされる場面 あり よった 「あった」を「よった」に変更
2 ヤジを飛ばされる場面 おり あった
2? ヤジを飛ばされる場面 おり よった 「あった」を「よった」に
3 ヤジを飛ばされる場面 は あった 「が」を「は」に
4 ヤジを飛ばされる場面 ば あった 「が」を「ば」に
5 ヤジを飛ばされる場面 よ あった 「が」を「よ」に
6 ヤジを飛ばされる場面 や あった 「が」を「や」に
7 ヤジを飛ばされる場面 さ あった 「が」を「さ」に
7? ヤジを飛ばされる場面 さぁ あった 「が」を「さぁ」に
8 ヤジを飛ばされる場面 ね あった 「が」を「ね」に
9 ヤジを飛ばされる場面 な あった 「が」を「な」に
9? ヤジを飛ばされる場面 なぁ あった 「が」を「なぁ」に
全般的にありそうだな。
武田鉄矢の「なんば しちょっとか」って台詞が浮かんだw
橋下文法の文節風になってきたね。 >>931 続
>文節とは…
>文中に「ネ・サ・ヨ」という言葉を入れてみて
>自然に入るところで区切ればいいのです。
ところで「ネ・サ・ヨ」は「あり」の娘言素で意味は「あり」。
つまり文節とは「あり」が入って自然に感じられる文の区切り。
「は、が」は助詞じゃなくて動詞だ。
詞玉緒(ことばのたまお)・玉緒言じゃなくて用言なんだよな。
三上章は「主語がない」と主張したらしいが、
なぜそう主張したかというと、動詞を感じられなかったんだろ。
でも「象は鼻が長い」=「象あり鼻持つ長い」と知っていたならば、
動詞2つで主語2つもあるから、三上章の主張も変わっていたと思う。 >>932 続
何でも良いけど「像は鼻が長い」の例だと
主語と動詞は隣り合ってる。主語と動詞は隣り合ってる必要がある。
もっと言うと、主語と動詞は隣り合っていれば、お互い接していれば
主語や動詞は前でも後ろでも良い…だろうか?
「象は鼻が長い」=「象あり鼻持つ長い」
これは
「あり象持つ鼻長い」=「あ(る)象(や)、持つ鼻長し」でも良さそうだ。
動詞先頭V1語順だが、もとのV2語順にもなる、日本語は動詞が文頭でも良い。
この主張を支持してくれるならば、ドイツ語のV2語順とそっくりと言える。
v1・V2語順は、そのシーン・全景は、主語・動詞がどの位置でも全く同じだ。
ただシーンの中で・全景の中で、どこを主張・注目するかで、語順が決まる。
SVC SVOとか言うけど、VSC VSOでも良いんだろう…たぶんヘブライ語? 英語も、the か a か 付けないか、単数か複数かめっちゃ悩むわー >>935
基本的には複数形s
確実にひとつなら単数形a
確実に限定的なら定冠詞the (+複数形s)
確実に概念的なら無冠詞φ
これで十中八九は間違いない >「その文は殿上人みな見てしは。」『枕草子』
>訳「その手紙は殿上人がみな見てしまったよ。」
>さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
>【通釈】相模の野原で、燃えていた火の、その火の中に立って、
> 私に声をかけてくださったあなたよ、ああ…。
>命やは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに(古今615)
>【通釈】命なんて、何だというのだ。露のようにはかないものではないか。
>逢うことに換えるのなら、惜しくなどないのに。
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我は(万20-4374)
>【通釈】天地の神に祈りを捧げて、さつ矢を束ねて靫に負い、
>筑紫の島を目指して出航して行くのだ、俺たちは。
>なお、下のような例は、「我は…指して行く」の倒置と見え、
>「は」を終助詞とみとめることはできない。
古文・文語って深いね。
ちょっと興味をもって、勉強すれば
面白い現象に、たちまち出くわす。
でもワールドが違ってるんかな。
数学に例えると公理公準が違う感じ。
だから世界が違う、当然だな。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学みたい、
第五公準、平行線公理…
でもいくら何でも大げさだよな、これじゃw。 >>940
面白そうな解説があるものから…
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我は(万20-4374)
>【通釈】天地の神に祈りを捧げて、さつ矢を束ねて靫に負い、
>筑紫の島を目指して出航して行くのだ、俺たちは。
この解説には
>「我は…指して行く」の倒置と見え、
>「は」を終助詞とみとめることはできない。
とのこと。つまり
>「我は」天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く
大田部荒耳 おおたべの-あらみみ の歌
>?−? 奈良時代の防人(さきもり)。
>下野(しもつけ)(栃木県)の人。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年(755)
>火長(班長)として筑紫(つくし)に派遣された。
>このときによんだ歌が「万葉集」巻20に1首おさめられている。
755年か、とするとある程度信憑性はありそうだ。
この解説の通りだと「鼻が長い象は → 象は鼻が長い」。
ありそうかな。終助詞じゃなくて係り助詞ということ。
つまり終助詞と係り助詞は、倒置と正置で交換可能?
倒置と正置ならば出来るよね。 >>941
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我は(万20-4374)
「は=あり」を適用すると
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我「あり」
これはこれでありだろ。
「象は鼻が長い (倒置)→ 鼻が長い象は → 鼻が長い象あり」
「は」は終助詞で詠嘆。
>文の終わりにある体言に相当する語、用言および助動詞の連体形に接続
しかし「天地の神…:の歌は終助詞じゃないとの事だ。 >>942
>>942
「象は鼻が長い (倒置)→ 鼻が長い象は → 鼻が長い象あり」
「鼻が長い象あり」だと「鼻が長い=SVC」なので英文法的には形容詞節だ。
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我「あり」
その見方で言うと
「天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く」
も同じく形容詞節だ。我を形容してるから。
「君が代=天皇 持つ 時代・天下」をSVOの文と思っているのは
オレくらいだろう、世界中で。と言う事は宇宙でオレ一人だw
ほとんどは、というより俺以外は名詞だと思っている。
んで、完結した文は丸々、形容詞にも名詞にも使える。
英文法的には、thatを平常文の頭に付けると名詞節で使えるはず。 >>943
SVO、SOV、VSOにかかわらず
動詞は名詞・主語を修飾している・
主に名詞の後ろから。
だから動詞は形容詞と言える。
日本語英語では形容詞は名詞の前だね。
逆に主語・名詞は動詞を修飾してる。
主に動詞の前から。
だから名詞は副詞だ。
日本語では前かな。
英語では副詞は後ろだな。 used cleaner(s) 中古掃除機(一度使ったことのある掃除機)
cleaner(s) used 使った掃除機
英語の形容詞は位置で意味が変わる >>945
>cleaner(s) used 使った掃除機
cleaner(s) of used
cleaner(s) that used
この句でof ,that の省略形が
後置のusedじゃないか。
形容詞の正規は前置だと思う。 >>943
>原文]阿米都知乃 可美乎伊乃里弖 佐都夜奴伎 都久之乃之麻乎 佐之弖伊久和例波
>[仮名]あめつちの かみをいのりて さつやぬき つくしのしまを さしていくわれは
>[訓読]天地の神を祈りて猟矢貫き筑紫の島を指して行く我れは
万葉仮名は読めないけど、過去に必死に書いた人がいる。
あんちょこがないと無理だ。 >>940
>>940
>「その文は殿上人みな見てしは。」『枕草子』
>訳「その手紙は殿上人がみな見てしまったよ。」
「は=あり」を適用すると
「その文は殿上人みな見てし あり」
これはこれで、なかなかだ。しかし、
>見る →見る(マ行上一段活用)未み 用み 終みる 体みる 已みれ 命みよ
> 意味1:他動詞。見る、目に留まる、観察する。
>見せる→見す(サ行下二段活用)未みさ 用みし 終みす 体みす 已みせ 命みせ
> 意味:他動詞。「見る」の尊敬語でご覧になる。
>見える→見ゆ(ヤ行下二段活用)未みえ 用みえ 終みゆ 体みゆる 已みゆれ 命みえよ
> 意味1:自動詞。見える、目に入る。
>
>見(マ行上一段活用・連用形)
>て(完了の助動詞・連用形)未て 用て 終つ 体つる 已つれ 命てよ
>し(過去の助動詞・連体形)未(せ) 用〇 終き 体し 已しか 命〇
>は(終助詞)。
> 〔感動・詠嘆〕…なあ。…よ。
>▽文末にあって、体言、活用語の連体形、助詞「ぞ」「や」などに付く。
長かったけど、要するに「終助詞は」は体言だったって事か。 >>950
>見(マ行上一段活用・連用形)
> 未)み 用)み 終)みる 体)みる 已)みれ 命)みよ
>
>て(完了の助動詞・連用形) 連用形に接続する。
> 未)て 用)て 終)つ 体)つる 已)つれ 命)てよ
>
>し(過去の助動詞・連体形) 連用形に付く。
> 未(せ) 用)〇 終)き 体)し 已)しか 命)〇
>
>は(終助詞)文末にあって、体言、活用語の連体形、
> 助詞「ぞ」「や」などに付く。〔感動・詠嘆〕…なあ。…よ。
「は=あり」とすると「見てしは=見てし+あり」になる。
「あり」は動詞、「未)あらず 用)あり 終)あり 体)ある時 已)あれば 命)あれ」。
「は」は終助詞で体言じゃないだろ。「体言に準ずる」と言うかもしれんが。
オレの考えは…
「あり」は連用形・終止形だ。さらに日本語は連用形=名詞だ。
つまり「見てし+あり」の「あり」は動詞だが名詞でもある。
まあ、そこまで「は=あり」の連用形・終止形に拘る必要もないけど、
結構行けるんだよな、「あり」でw
「見てしは」の「し=連体形」で、「し」は体言を修飾するんだろ。
だから次に「あり=名詞(=動詞の連用形)」でピッタリだ。
体言切りで「趣が深い、詠嘆だ」とも言える。 >>951
「見てしは=見てし+あり」とすると、
「見たという事象があります」との意味でしかない。
本来は詠嘆も趣もないと思う。それがなぜ詠嘆になったか?
その理由は、詠嘆の要素が「見てしは=見てし+あり」の構造にある。
高知弁の「星が見えるがやきぃ」をなんとなく連想する。
これは詠嘆・強調の構造だろう…高知の人、変だったら凸よろしくw
>は(終助詞)文末にあって、体言、活用語の連体形、助詞「ぞ」「や」などに付く。
> 〔感動・詠嘆〕…なあ。…よ。
この説明は、オレに言わせれば不十分だね。
「や、な、よ」は、親言素「あり」が横訛りした娘言素で意味は「あり」だ。
だから「〔感動・詠嘆〕…なあ。…よ。」では説明になっていない。
「は、や、な、よ…」は「あり」の語頭に「h、y、w、n」が付いた。
「よ」は母音の音韻変化から、「a→o」になったのではないか。
なぜ語頭に「h、y、w、n」がついたのか?
リエゾンだろう、二重母音を防ぐためだ。
二重母音化して、発音したはずのない未知の母音が生まれない様にだ。 >>952
そうすると「h+あり=はり」、「y+あり=やり」、「w+あり=わり」
「n+あり=なり」のミッシングリンクがありそうだ。
例えば「は←はり←h+あり」の変遷だとすると、「は、あり」は残ってる。
見かけない「はり」がどこかに残っていないだろうか?
「未)はらず 用)はり 終)はり 体)はる時 已)はれば 命)はれ」
こんな活用形だと想像する。「はり」の意味はもちろん「あり」だ。
そして偶然にも大阪・京都弁では…
>言う→言わはる(京都)、言いはる(大阪)
>買う→買わはる(京都)、買いはる(大阪)
>書く→書かはる(京都)、書きはる(大阪)
>気に入っている→気にいったはる(京都)、気に入ってはる(大阪)
>「食べる」→(大阪)「食べは(!)った」→(京都)「食べ(!)はった」
完璧じゃないが「はる」がある。意味は「あり」だろ。「はる」は娘言素だ。
まあさ、おれは大阪弁・京都弁のネイチブじゃないので
これもさ、変だったら凸よろしくw >>953
>やってみなはれ=やってみ+なはれ=「やってみなさい」 命令敬語
>みとくんなはれ=みとくれ+なはれ=「見ていて下さい」
「はり、はる」に似た言葉に「なはる」がある。
「なはる」の命令形が「なはれ=成はれ、為はれ」
「なはる」は「なさる」[動ラ行五段(四段)活用]の音変化とある。
>なは・る
>[動ラ五(四)]《「なさる」の音変化》
>1 「する」の尊敬語。なさる。江戸中期以降、
> 上方のちに江戸の遊里で用いられ、やがて一般の町家にも広まった。
> 「南でするやうな事—・ると中居が興をさます」〈洒・浪花色八卦〉
>2 (動詞の連用形や「お」「ご」を冠した語を受け、
> 補助動詞として関西方面で用いる)…なさる。
> 「さあ飲み—・れ」「御覧—・れ」
「なはれ」は「はれ」とは無関係か。「s→h」の音韻変化?
「上方後に江戸の遊里」とある
>気に入っている→気にいったはる(京都)、気に入ってはる(大阪)
京都と大阪でちょっと違う。
>気にいったはる(京都)=気にいった+はる=気にいった+ある
原理的で、要素の単純な組合せだ。
>気に入ってはる(大阪)=気に入って+はる=気に入り+て+ある
接続助詞「て」が入ってるんで、今風だよね。 君たち和歌山県の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か?彼は人間的に素晴しい人物だから絶対に覚えておけよ >>954
https:://kyotolove.kyoto/I0000179
>大阪弁の「〜はる」は、立派な尊敬語であり相手への敬意を示す
>最も一般的な言い方とされます。
>
>いっぽう京都弁の「〜はる」は、いちおう敬語の範囲ではありますが、
>「赤ちゃんが〜しはる」など本来敬語を使わない身内にも使われ、
>その敬意度は低いとされます。
なぜ「〜はる」が尊敬・丁寧なのか、それが書かれていない。
>気に入っている→気にいったはる(京都)、気に入ってはる(大阪)
京都・大阪のどちらも尊敬・丁寧な言い方だ。
京都の言い方がわかりやすいが、「はる=h+ある」として…
気にいったはる=気にいった+はる=気にいった+ある・あり
「気にいった」で文は完結している。それに補助動詞「はる」がつく。
つまり「はる」は余分だが、余分な分で尊敬丁寧になる。
>(誰それさんが)気にいったはる=(誰それさんが)気にいった+ある・あり
直接的に「誰それさんが、気に入った」とは言わずに、
文末に「ある・あり」を置く事で、そういう状況がありますと言ってる。
つまり「(誰それさんが)気に入った、という状況があります」という意味だ。
このやり方、仕組み、構造が尊敬丁寧になるのだろう。 >>956
https://ncode.syosetu.com/n2205dy/2/
>日本語の「時制」を表す助動詞は昔はもっと多かったのだ。
>過去だけで「き」「けり」「つ」「ぬ」「たり」「り」と
>こんなにたくさんある。
>
>そして「き」「けり」が過去を表しているのに対し、
>「つ」「ぬ」「たり」「り」は完了を表していた。
>
>(「き」「けり」はさらに伝聞と経験など『証拠性(言語学)』
>に近い使い分けがなされている。
>
>『ありし日』の『し』は経験過去、
>『いまは昔、竹取の翁といふもの有りけり』は伝聞過去である)
https://www.hello-school.net/haroajapa009003.htm
>※「き」と「けり」の違い
> 「き」は作者が直接体験したときに使われ[直接体験]、
> 「けり」は過去に聞いた場合に使われる[過去の伝聞][間接経験]。
日本語の過去と完了は、英語の過去形と現在完了形・過去完了形かな。
こういう考え方が古代にもあったの? >>957
そこで、前の文にかえってみると…
>「その文は殿上人みな見てしは。」『枕草子』
>訳「その手紙は殿上人がみな見てしまったよ。」
これは、「その文は殿上人みな見る」
これでも良くないか、終止形「見る」で。
「その文は」の「係助詞は」は、文末が終止形だからこその係助詞だ。
ただ終止形だと現在・現在完了もあるか。
なので、完了の助動詞「つ」を文に入れる、その終止形が「つ」、
「つ」は動詞・助動詞の連用形接続だ。
この場合は「連用形、見(み)」接続する。
「その文は殿上人みな見つ」=「その手紙は殿上人がみな見た」
これで良いはずだ。
あるいはまた、(経験)過去の助動詞「き」、その終止形が「き」で
「その文は殿上人みな見き」=「その手紙は殿上人がみな見た」
文末の助動詞が終止形で終わっていて、助動詞「き」は連用形に接続だ。
「その文は殿上人みな見る」
「その文は殿上人みな見つ」
「その文は殿上人みな見き」
「その文は殿上人みな見けり」
まとめると、↑これで良いはずだろ。 >>958
でも原文は「て(完了の助動詞つ)」をはさんでから、
「し(過去の助動詞き)+は(終助詞)」となっている。
完了助動詞に過去助動詞を追加して、さらに終助詞を追加した。
「〜した(完了助動詞)」に「〜した(過去助動詞)」に終助詞の三重連。
これはちょっと長すぎないか。
さらに完了助動詞や過去助動詞に、詠嘆の意味があるとは思えない。
「終助詞は」は詠嘆との解説だけど、なぜ「は」が詠嘆か?説明が無い。
本当は「終助詞は」は終助詞でなく、娘言素「は(あり)」なのではないか。
もちろん「は(あり)」にも詠嘆の意味はない。「あり」と言ってるだけだ。
「見+て+し+は」=「見+て+し+あり」と言って
「(見てし)という状況があります」と言ってる。
直接的な言い切りじゃない。
「気にいったはる=気にいった+ある」という言い方と似ている。
「はる」の意味は「丁寧」とあるから、
「見てしは」も詠嘆じゃなくて、丁寧かもしれない。
こういう「直接的に言い切らない構造、〜状況があります構造」に
詠嘆・丁寧・敬語の意味を込めたのではないか、古人は。 >>959
古人の語順は
その文は殿上人みな見てしは
=SV+SV+助動詞+助動詞+終助詞
現代風だと
その文 は 殿上人みな が 見た (よ〜、な〜)
=その文 あり 殿上人みな 持つ 見た
=その文があります、殿上人全員 持つ 見た(という事象を)
=SV+SVV
「直接的に言い切らない構造、〜状況があります構造」
こういうのは高知弁の「星が見えるがやきぃ」を連想する。
この言い方は、まず長いよな、ネイチブじゃない余所者には。
「星が見える」じゃ駄目なのか、意味意思が通じないのか、高知では。
後ろに続く「がやきぃ」は不要だろ。
不思議な事に、ここにも「きぃ」がある。
(過去の助動詞き)に似てるが…微妙だな。 >>960
終助詞、女言葉?で「〜ですわ」の「わ」は「あり」かもしれない↓
>広辞苑
>「係り助詞ハの転…、習慣では「は」と書かれる事が多い、
>活用語の終止形を受ける
リエゾンで「あり→w+あり→わり→わ」と横訛りした娘言素。
とすると「わり」はミッシングリンクか。
どこかの方言に残ってないかな。
意味は「あり」、大阪京都の「はる」と同じだ…と思う。
「〜です」と直接言い切らないで「あり」を付ける。
「〜です、と言う状況がありました」で婉曲にして、ぼやかす。
それが「〜ですわ」だろう。「〜だわ」もあるよな。
これが主語・名詞に付く場合は、「〜は、〜わ」という形になる。
だから発音が同じ「は=wa=わ」だ。「わ」があると納得できる。 >>961
>さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
>【通釈】相模の野原で、燃えていた火の、その火の中に立って、
> 私に声をかけてくださったあなたよ、ああ…
>
>[訳]ああ、相模の野原で火に囲まれた時、
>火中に立って私を気遣ってくださった(愛しい)あなた。
>(どうかご無事でありますよう。)
>
>[訳] 相模(さがみ)(神奈川県)の野で燃え盛る炎の中に立ち、
>私の安否を気遣い呼びかけてくださったあなたよ。
>
>この詩は「古事記」の中、ヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが
>辞世の句として詠んだ詩です。
↑は訳しすぎな気がする。「ああ」とか「よ」がどうしても付くようだ。
これ↓なんかは順当かな。
>[訳]相模の野原に燃える炎その炎の中に立って私の安否を問うた夫よ
倭建命(やまとたけるのみこと)と后の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)
で出てくるというが極めて怪しい。倭建命の弟橘比売命の関係は虚偽だろう。 >>962
>>962
https://eow.alc.co.jp/search?q=co-
>co- 接頭
>1 共同の、共通の、相互の◆対等の立場・役割を表す。
>co-worker(同僚)、cowrite(共同執筆する)など。
>2 副、補助の◆従属的な役割を表す。
>copilot(副操縦士)、cofactor(補因子)など。
https://ejje.weblio.jp/content/com-
>com- 音節com‐ 発音記号・読み方/kɑm, kəm|kɔm, kəm/
>【接頭辞】「共に」「まったく」など強意を表わす
> 《通例 b,p,m の前では com‐,
> l の前では col‐;
> r の前では cor‐;
> 母音,h,gn の前では co‐;
> その他の場合は con‐ となる》. >>963
独和大辞典
>ko- 名詞などに付けて「共同の・一緒の」などを意味する。
>kon- 名詞・形容詞・動詞に付けて「共に・集合して・一致して」等を意味する。
> b,p,mの前ではkom-、l,rの前ではそれぞれkol-,kor-。
>また母音やhの前ではkoとなる。
>koalieren 連携する、連立政府を作る。
>koautor 共同執筆者、共著・共編者
新漢字林
>共 gong とも、ともに、一緒になって、共存、共にする、
> 一緒にする、共有する
地名アイヌ語小辞典
>ko- 動詞の語頭について、先行の名詞との間の種々の関係を示す。
>(そこ)に、(そこ)へ、(そこ)へ向かって、(それ)に対して、
>(それ)を以て、(それ)によって、(それ)のために、(それ)のために、
>(それ)と共に
日本語辞書の「こ」には、英独中アイヌ語の様な意味がない。
何らかの対象があって、それに対して「一緒に、共に…」の
関係にある時に「ko,共」が、動詞や名詞の語頭に付く。 >>964
日本語の「こ」には、英独中アイヌ語の様な意味がないが、
しかしながら面白い現象がある。
縄文人の遺産、梶浦浩、p294より
>アイヌ語
>itak(話す) ko-itak (へ話す) 誰かに対して話す
>nukar(見る) ko-nukar (へ比べる) 何かに対比して見る
>poye(混ぜる) ko-poye (に混ぜる) 何かに混ぜる
>oman(行く) ko-oman (へ行く) どこかに向かっていく
>
>日本語
>ko 耐える(たえる) こ・たえる (何かの力とか物に対して耐える)
> 削ぐ こ・そぐ (何か粘着する物に抗して削ぐ)
> 練る こ・ねる (板などに向かい押しつけて練る)
> 擦る こ・する (何かに対して押しつけて擦る)
> 突く こ・づく (何かを突く)
>
>グリムの法則によってkoがtoやhoに子音推移したもの
>to 惑う と・まどう(何かに対して処置を迷う)
> 呆ける と・ぼける(何かに理解できない振りをする)
> 絶える と・だえる(誰かに向かって断絶する)
>
>ho 解く ほ・どく(何か縛っている物を解く)
> 埋むる ほ・うむる(神に対して亡骸を埋める)
>
>以上のko,to,ho,などが頭につく動詞は、何か対向する力やものを
>意識する場合に用いられる。これらはアイヌ語の動詞にkoがつく用法と
>無関係とは思えない。 >>965
日本語辞典や古語辞典になくても、
英独中アイヌ語にある「co- ko- 共」の使用例が日本語としてある。
この現象の解釈方法はどうなるか、わからん。
文献重視の解釈ならば、これらの日本語は、製品に例えれば
製品に該当する「こたえる とぼける ほどく…」があるのに
それを構成している部品「co- ko- こ」がない。
つまりこれらの日本語は輸入品、借用品だと確実に言える。
後世の辞書編集者がわからなかったし、古人も使っていた当時から
世界的に共通な「co- ko- こ」の使い方を知らなかった。
知っていれば古人も造語してたし、周囲の人も真似して続いたはずだ。
そして製品移入が止まれば、それで終わった。
「co- ko- こ」による造語作用は起きなかった、造語要素を知らないから。
「co- ko- こ」を知らないから、自分で造語出来ない、当然だよな。
こういう解釈はあるね、クレオール・ピジンか。 >>966
「co- ko- 共 こ」の接頭辞の造語作用は止まった。
しかし「co- ko- 共 こ」だけは接頭辞から一人歩きして、
出世したのではないか。その理由は、根拠は、「と、も」の存在だ。
https://www.hello-school.net/haroajapa010007.htm
>と …相手・共同者・変化の結果・引用・並立・比較の基準・比喩の関係を示し、
> 体言・連体形・引用文などに接続する。
https://www.hello-school.net/haroajapa010029.htm
>も …類例・並列・列挙・強意を示し、種々の語に接続する。
「co- ko- 共 こ」と良く似た意味で、縁がないとは思えない。
「と(to)、も(mo)」はグリムの法則に則っているかどうか…
まあ「と、も」の出自は「co- ko- 共 こ」であろう。
つまり「〜と」という時は「〜と(+動詞)」…と=と(+動詞)。
「〜も」は「〜も(+動詞)」を前提としている…も=も(+動詞)。
「と、も」はそれぞれ
「共同の 共通の 相互の 共に 集合して 一致して 共存 共有 (そこ)に
(そこ)へ (そこ)へ向かって (それ)に対して (それ)を以て
(それ)によって (それ)のために (それ)のために (それ)と共に」
こういう意味だと思う。要するに話者が、何か対象をハッキリ意識した時だ。
そういう時に「と、も」が使われる。 >>967
長々と書いたけど、元の >>962 に戻って…
>さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
これに「は=あり も=CO(+動詞) ko(+動詞) 共(+動詞)…」を入れると
「問ひし君はも」
=問ひし君(あり)(ともに+動詞)
=問ひし君あり、ともに+動詞?
接頭辞「も=共に 一緒に 共同で…」に後続する動詞が省略されている。
んで、省略された動詞は何か?と言う問題になる。
「省略してもわかるだろ」って動詞のはずだ。
まあ取りあえず「あり」を入れてみると…
さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも
=さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君あり、ともにあり
=さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君あり、一緒にあり
これはこれで立派なものだ。
我ながらだが、良い出来映えに驚いたよ。 >>968
この出来映えからすると、「も=ko(+動詞)」で省略された動詞は、
この場合は「あり」で良さそうだ。
つまりこの場合は「も=ともにあり、一緒にあり…」だね。
「は=あり」と「も=ko(+動詞)=共にあり」で「あり」が二重になってる。
つまり「あり+あり」の構造になっているので、
話者は「あり」以上の意味を込めたと思う。
「あり」には「あり」の意味しかないけど、二回繰り返されているから
感動・強調・詠嘆…などになるのであろう。
「誰と誰が共にありなのか?」と言われれば
「君と私(たぶん妻か親しい人)が共にある」だろうね。 さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも
=さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君あり、ともにあり
「君はも」の前の部分は、君を修飾する形容詞節か。
「君はも」は倒置と考えて、正置に戻すと
君はも、さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひき、問ひけり
=君あり、ともにあり、さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひき
>天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く我は(万20-4374)
=天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く+我あり
倒置して
我は+天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く
我あり+天地の神を祈りて幸矢貫き筑紫の島を指して行く
ドイツ語風なのかな、主文SV副文S〜Vで、副文のSが省略された形が日本語。
(1) 天地の神を(我)祈りて、幸矢(我)貫き、筑紫の島を(我)指して、(我)行く
(2) (我)天地の神を祈りて、(我)幸矢貫き、(我)筑紫の島を指して、(我)行く
(2)がドイツ語副文風かな、ドイツ語は全然わからんけどさw
副文群全部に(我)を入れると大変なので、文頭に(我は=我あり)とまとめる。
副文群全体の動詞の主語は(我)ですよ、あるいは、副文全体の事は(我)ですよと。
「象は鼻が長い」と同じで、「鼻が長い」のは誰ですか?それは象ですと言う事。 >>970
>「その文は殿上人みな見てしは」『枕草子』
「その文あり+殿上人みな見てしあり」
倒置して
「殿上人みな見てしは+その文は」
「殿上人みな見てしあり+その文あり」
なんか、やっぱりつなぎが欲しいね、二文の感じがするんで。 >>971
そもそも接頭辞の一つの「co- ko- 共 こ」は
生まれも育ちも接頭辞だっただろうか?以下は全部想像だけど…
たぶん「co- ko- 共 こ」は、本来の姿と意味は
共同の 共通の 相互の 共に まったく 共同の 一緒の 集合して
一致して とも 一緒になって 共にする 一緒にする 共有する
(そこ)に (そこ)へ (そこ)へ向かって (それ)に対して
(それ)を以て (それ)によって (それ)のために (それ)と共に
という意味の独立した単語だった。
それが動詞・名詞・形容詞の前に置かれて、頻繁に使われて
接頭辞機能を持ち、辞書編集者から接頭辞と呼ばれる様になった。
動詞を修飾する「co- ko- 共 こ」は副詞。cooperate,coexist
名詞を修飾する「co- ko- 共 こ」は形容詞だ。koautor,kompatriot
形容詞を修飾する「co- ko- 共 こ」は副詞か。coordinate,
音は世界的に「co- ko- 共 こ」だ。「と、も」じゃない。
「co- 英語、ko- ドイツ語、共(gong koの濁音) 中国語、ko- アイヌ語」
全部[k]で始まっている。
「と、も」から「こたえる こそぐ こねる こする こづく」は派生しない。
日本語では「co- ko- 共 こ」は「と、も」に一人立ちして出世した。
独り立ちすると、接頭辞と呼ばれる前の「独立した先祖」に戻った。 >>972
この板の他のスレでも書いた気がするが…
「と、も」の出自は「co- ko- 共 こ」だ。
接頭辞だから次に動詞(名詞 形容詞も)が来る形が世界的だ。
例えば「と」の場合は
https://www.kanjifumi.jp/keyword/to/
>(1) 相手....................(例)彼女と結婚する。
>(2) いっしょに動作をする人..(例)家族と公園へ行く。
>(3) 比較の対象..............(例)この街は、昔と違う。
>(4) 変化の結果..............(例)氷が水となる。
>(5) 引用....................(例)「こんにちは。」と言った。
>(6) 内容....................(例)卒業程度とみなす。
しかし、いまの感覚では、「と」の直後で区切る。
これは「と」が接頭辞から離れて独立したからだ。
(1) 彼女と/結婚する。
(2) 家族と/公園へ行く。
(3) この街は、昔と/違う。
(4) 氷が水と/なる。
(5) 「こんにちは。」と/言った。
(6) 卒業程度と/みなす。
接頭辞ならば本来は、区切る部分は↓のはずだ。
(1) 彼女/と結婚する。
(2) 公園へ家族/と行く。
(3) この街は、昔/と違う。
(4) 氷が水/となる。
(5) 「こんにちは。」/と言った。
(6) 卒業程度/とみなす。 >>973
(1)とある村に、老夫婦が住んでいた。
広辞苑では「とある=或る、さる、ちょっとした」とある。
(1)の文は「ちょっとした村に、老夫婦が住んでいた」になる。
(1)とある村に、老夫婦が住んでいた。
(2) ある村に、老夫婦が住んでいた。
(1)と(2)の違いはどこにあるのか?
「(或る、さる、ちょっとした)村」と「ある村」ではないと思う。
理由は「とある=ko+ある」である。
だから「共にある、一緒にある、それと共にある」という意味だ。
対象を意識した時に「と+(動詞)」となる。
「(1)とある村に、老夫婦が住んでいた」場合は「老夫婦がいる村」、
「老夫婦と共にある村」という意味で「とある」になる。
詠嘆の気持ちを込めて、(1)(2)を倒置してみると、ハッキリわかる。
(3)村とある に、老夫婦が住んでいた。→「村が、とある」
(4) 村ある に、老夫婦が住んでいた。→「村が、ある」
「〜と言う、〜と聞く、〜と見る、〜と話す…」も
「ko+動詞」だ。ただ「こ+たえる こ+そぐ こ+ねる…」の様な
単語にはならなかった。独立して先祖返りになった。 >>974
初歩的な事を再確認…
[he is a business man.]
「彼は経営者・サラリーマンだ。」これを疑問文にすると↓
[is he a business man?]
「彼は経営者・サラリーマンか?」
be動詞が先頭に出て、V1語順になり疑問文となる。
be動詞以外の動詞の場合は、
[he has a compay.]
「彼は会社を持っている。」これを疑問文にすると
[does he have a compay?]
「彼は会社を持っているか?」
この場合に [does] が先頭に立ち [has→have] 動詞の原形になる。 >>975
この [does] はどこから来たのか?という人がいた。
この[does]は、平叙文から来たとか考えるべきだ。つまり↓
[he does have a compay.]
「彼は会社を持っている」、
直訳では「彼は会社を所持・保有(have)する(does)」だろう。
現代では強調か。
この[do does]は平叙文では省略されている…と考えると都合が良い。
つまりbe動詞も一般動詞も、疑問文では動詞が先頭になる。V1語順だ。
一番良いのは [has he a company?] なんだけどね、どうも駄目らしい。
でもドイツ語にはある → [Hat er eine Firma?]
ドイツ語はちゃんと応えてくれるね。まあ、英語にも事情があるのだろう。
繰り返しだが、V1語順だと疑問文になる。 >>976
動詞自体には動詞の意味しかない。
V1疑問文、V2平叙文になるのは、動詞を含む文の構造にある。
それで日本語の平叙文と疑問文は場合はどうか。
例えば文中の「や」、文末は連体形で疑問文になる。反語も。
「や」は「あり」の娘言素だ。
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%84
>や 係助詞
>(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)
>@〔疑問〕…か。
>出典源氏物語 若紫
>「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」
>[訳] まあ大変だこと。ひどく見苦しいさまを人が見てしまっているだろうか。
「(人)や見つらむ」を平叙文(正置)にすると
「(人)見つらむや」になる。意味は
「人が見てしまっただろう+や=人 見てしまっただろう+あり」
「らむ推量」だから、短くして「人が見たと思う+あり」が基だろう。
「(人)見つらむや」を疑問文にする。文頭が動詞(V1)=疑問文にすると、
「や(人)見つらむ=あり(人)見つらむ」 人が見たと思うのはありか?
「(人)や見つらむ=(人)あり見つらむ」 (人が)、見たと思うのはありか?
・いとあやしきさまを/や人見つらむ
・いとあやしきさまを人/や見つらむ 出典源氏物語 若紫 >「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」 出典源氏物語 若紫
>[訳] まあ大変だこと。ひどく見苦しいさまを人が見てしまっているだろうか。
「人や見つらむ」 V1疑問文
「や人見つらむ」 V1疑問文?
「人見つらむや」 平叙文
「や」の代わりに「か」を入れても疑問文になる。
「いとあやしきさまを人/か見つらむ」 V1疑問文
「いとあやしきさまを/か人見つらむ」 V1疑問文?
「いとあやしきさまを/人見つらむか」 平叙文
「か」と「や」は…
「か」の前の部分が疑問文になる。
「や」は後続する部分が疑問文になる。
同じ疑問文でも、「か」と「や」の出自が違うんだろう。
因みに「らむ」…アイヌ語で「らむ」は「思う」という動詞だ。
だからこそ助動詞「らむ」は「推量←思う」なんだろう。 >>978
もし「か」が「や」と同じに、V1に入れ替えで疑問文になるならば
「か」も「や」と同じ動詞だと言える。「や=あり」でもあるし…
では「か」は何という動詞か、「か」の出自は何か。
>https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%8B
>係助詞
>《接続》種々の語に付く。「か」が文末に用いられる場合、
>活用語には連体形(上代には已然形にも)に付く。
>
>(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)
>@〔疑問〕…か。
>出典竹取物語 ふじの山
>「いづれの山か天に近き」 [訳] どこの山が天に近いか。
ところで、気になったんだが。アイヌ語「らむ=思う」を、
日本語・古語の辞書編集者や研究者が知らなかったのだろうか。
それこそ、公金・税金、公的機関・研究機関で
日本語研究しているのは学識・博識に溢れたお方ばかりだ。
そのお人達お方達が、俺ですら知ってるレベルのアイヌ語を、
知らないのだろうか。
知ってたけど、公理公準が違うから、
ワールドが違うし、違って当然と言う事か。 >>979
>「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」 出典源氏物語 若紫
>[訳] まあ大変だこと。ひどく見苦しいさまを人が見てしまっているだろうか。
疑問文を作る係り助詞「や」は、英語ドイツ語と同じV1語順がある。
「や=あり」という動詞だ。
>>977で書いたが、「いとあやしきさまを」が無い文の場合は
「や(人)見つらむ=あり(人)見つらむ」 人が見たと思うのはありか?
「(人)や見つらむ=(人)あり見つらむ」 (人が)、見たと思うのはありか?
と言う形になる。「いとあやしきさまを」がないホントの文頭、V1語順になる。
「や人見つらむ」の様なほんとのV1語順の文があってもおかしくない。
さらに「や」と同じ「あり」の娘言素「は、わ、な」が
語頭に立つ疑問文があってもおかしくない…V1語順だから。
具体的には
(1)「は人見つらむ」
(2)「わ人見つらむ」
(3)「な人見つらむ」
あるいは
(4)「人は見つらむ」
(5)「人わ見つらむ」
(6)「人な見つらむ」
こんなV1語順の疑問文があっても良い。
(4)-(6)はV1語順としては変形だが、厳密な気がする。
結局現代では文末「か」だけになった、「の」もあるか。
疑問詞が文末に来るのはアイヌ語と似ている。 >>980
「や、か」が文中にある時、V1語順で疑問文ならば
英語ドイツ語も疑問文はV1語順で、
地球の表と裏で疑問文語順は同じになる。
「や、か」が文中に入る場合は、部分疑問文になる。
「や」の場合は「や」以降が疑問になる部分疑問文。
「か」の場合は「か」より前が疑問になる部分疑問文だ。
平叙文は「主語+動詞」のV2語順で、疑問文がV1語順「動詞+主語」だ。
つまりV2語順の倒置がV1語順だが、V1語順=倒置は疑問文以外にも使われる。
https://toiguru.jp/inversion
>英語の倒置はなぜ起こる?
>全15種類の使い方をわかりやすく説明
>2. 文法上の倒置
> 2-1. 疑問文
> 2-2. 仮定を表すif節の省略
> 2-3. asやthanなどの接続詞による節
> 2-4. so, neither, norで始まる節
> 2-5. There構文
> 2-6. 祈願文
>3. 強調のための倒置
> 3-1. 否定の意味を持つ要素
> 3-2. 補語になる形容詞
> 3-3. 比較を表す形容詞句
> 3-4. so…thatやsuch…thatなど
> 3-5. 副詞的修飾語句
> 3-6. 場所や方向を表すhere/there
> 3-7. 動詞の分詞形に導かれた句
> 3-8. 直接話法の伝達部
> 3-9. 感嘆文 >>981
「わかりやすく解説」との事だが、15もあるとありすぎてわからない。
疑問文は同じだからわかるとして、反語は強調否定に該当するようだ。
間投助詞・終助詞・係り助詞と言われる「や」であるが…
文中の「や」が倒置でV1語順の疑問文という形は、
「や」が動詞「あり」の娘言素、つまり動詞とほぼ等値だね。
このグループは「ぞ、なむ、や、か、こそ」とある。
それぞれ文末が決まっていて「ぞ、なむ、や、か」連体形、
「こそ」已然形…「は、も」一応終止形?
文末の形が決まっているのは、文末と関連があった名残だろう。
例えば「や+〜〜連体形」は、正置だと「〜〜連体形+や」だ。
「や」はつまり体言扱いになる。「や=あり」で連用形は名詞だけどね。
広辞苑
>連体形=活用形の一つ。体言に連なるときの形。
>体言相当の語としても用いる。「咲く花」「高い山」「早い」の類い。
体言に連なる形だから体言を修飾する形で、形容詞ということ。
つまり動詞の連体形は形容詞だ。動詞の連用形は名詞だ、主語?
名詞だからもちろん主語にも成れるよね。
終止形で終わる場合は、一文と考えて良いから名詞(節)だろう。 https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%AA%E3%81%97%E3%82%84
>
>出典古今集 羇旅・伊勢物語九 (平安時代に成立)
>「名にし負はばいざ言問(ことと)はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
>[訳] ⇒なにしおはばいざこととはむ…。
>なりたち
> ラ変動詞「あり」の終止形+係助詞「や」
> +形容詞「なし」の終止形+係助詞「や」
https://manapedia.jp/text/4925
>「都」という名を持っているのなら、(都の事情に詳しいであろうから)
>さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと。
>
>わ 代名詞
>が 格助詞
>思ふ ハ行四段活用「おもふ」の連体形
>人 名詞
>は 係助詞
>あり ラ行変格活用「あり」の終止形
>や 係助詞または終助詞
>なし 形容詞・ク活用「なし」の終止形
>や 係助詞または終助詞
>と 格助詞 >>983
「や」は係助詞というのと、係助詞または終助詞というのとで
解説が割れてる。漢文にはこういう形があるという。
https://gogen-yurai.jp/uyamuya/
>うやむやの語源・由来
>うやむやは、「もやもや」などと同系の和語と思われるが、
>はっきりしていない。
>
>「有りや無しや(ありやなしや)」を漢文調に書いた「有耶無耶」が、
>いつの間にか音読され「うやむや」になったとする説もある。
>
>しかし、「有耶無耶」は漢文調に書いたのではなく、元々漢文で、
>その訓読が「ありやなしや」である。
>
>また、「うやむや」の当て字として、読みも意味もぴったり合う「有耶無耶」が
>漢字表記として使われるようになったものであり、
>うやむやの語源を漢文の「有耶無耶」に求めることも間違いである。
「有耶無耶」の漢文があって、それの訓読みが「ありやなしや」である。
さらに和語にもともと「うやむや」があり、その当て字に「有耶無耶」とした。
こういうことなのかな?
大野晋の教師用あんちょこに「や、か」は詳しく書いていない。
「は、が」は長く書いているが、要するに「わからん」と言う事らしい。
んで「ありやなしや」の表現は日本語にはなかった。
こういう場合も「や=あり」だろう。 >>984
「は=あり」「や=あり」で…
わが思ふ人 は / あり や / なし や / と
=わが思ふ人 は(=あり) / あり(=あり・存在) や(=あり) / なし や(=あり)
/ と(=共に言問ふ)
=わが思ふ人 あり /存在 あり /なし あり(nobody is, nobody exists)
/ 共に言問ふ(=それに対して言問ふ)
=わが思ふ人 あり / 存在 あり / 存在 なし / それに対して言問ふ
「存在あり」の直後に「存在なし」と打ち消しが来てるので、
YES/NOの連続が、組合せ・構造が、疑問の機能に感じられたのではないか。
「と」は「も」と同じで「共に+言問ふ<ko+動詞」だろう。
つまり省略された動詞は「言問ふ」だ。だから
「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
=都鳥名にし負はばわが思ふ人はありやなしやいざ「と=ko」言問はむ
=名にし負はばいざ「と=ko」言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや
本来は↑こういう形のはずだ。
「わが思ふ人 は あり や なし や と」は短くして、わかる部分は省略して
「わが思ふ人 は あり や と」…これでも良いのではないか。
「共に言問ふ」は「存在か非存在か」に対して言問ふから「と言問ふ」だ。
「と言問ふ」のわかる部分「言問ふ」を省略して、「と」だけになった。
あるいは「と」だけ独り立ちして、
最後は、世界的な[ko-]のそれ以前のご先祖に先祖返りしている、でも良いな。 >>985
「や、か」は文中にあると疑問文で、文末が連体形になる。
「や」は「や」の後続部分が疑問文になる後続部分疑問文と言える。
「か」は「か」の先行部分が疑問文になる先行部分疑問文だ。
V1語順の疑問文でなく倒置にした疑問文と言うべきだったね。
「動詞+主語」の語順という意味で。
「や、か」=〜〜+「や、か」+〜〜連体形文末
動詞連体形は、体言を修飾するから形容詞だ。動詞だけど形容詞。
連用形は用言を修飾するから名詞と副詞か。
動詞の連用形が名詞というのは明らかだ。普通に使っているんでね。
それ以外に連用形には動詞を修飾する副詞の役割もある。
(1)とある村に、老夫婦が住んでいた。
(2) ある村に、老夫婦が住んでいた。
この「とある、ある」は形容詞なんだな。
動詞連体形と思っていると、なんか見落としてる気がする。
(1b)村とあるに、老夫婦が住んでいた。
(2b)村 あるに、老夫婦が住んでいた。
文がぎこちないけど。この「とある、ある」は動詞だ、終了形か。
「に」の出自は何か?終了形でなく連体形もあるな。
「や、か」は動詞として、文中に移動すると「動詞+主語」の疑問文。
とすると「や、か」+「〜〜連体形文末」は主語句?名詞句?になるね。
終止形で終わってくれるなら、一文になるから名詞で使えそうだ。
しかし文末が連体形だとこうはいかない、
終止形と連体形が同じ動詞はあるけどね、「あり」とか。 >>986
(1)とある村に、老夫婦が住んでいた。
(2) ある村に、老夫婦が住んでいた。
(1)(2)の文を、詠嘆の気持ちを込めて倒置すると…
(1b)村とあるに、老夫婦が住んでいた。
(2b)村 あるに、老夫婦が住んでいた。
詠嘆の気持ちで倒置するには、もう一つあった。
(1c)老夫婦が住んでいた とある村/に。
(2c)老夫婦が住んでいた ある村/に。
これだったら普通だ、文末に「に」があるけど。
「老夫婦が住んでいた」は平叙文で「村」を修飾する形容詞節か。
「とある」は「老夫婦が住んでいた」を意識してるから「と+ある」だ。
「とある < と+ある < ともに+ある < 「ko(ともに)+ある」は確定だ。
「とある」は「さる、ちょっとした」でありませんね。
もし「老夫婦が住んでいた」を意識しないと
「とある」は「ある」に変化する。 >>987ここで再度「に」の出自は何か。
>全訳古語辞典、「に」
>格助詞
>位置・行き先・相手・原因理由・手段方法・状態・目的・添加…
>位置を表す。動作の行き先を表す。動作の相手を広く表す。
>原因理由を示す。手段方法を示す。状態を表す。動作の主体を表す。
>動作の目的を示す。添加の意味を表す。同じ動作を重ねる。・
>
>接続助詞
>逆接で下に続ける。確定した事実が続く。
>事実を述べて、下に続ける。
>順接で下に続ける。確定した事実が下に続く。特に原因・理由を表す。
>恒常条件を条件を表す。
>添加の意を表す。
たぶん「に」は場所・箇所・所・地点と、状態・状況も意味した言葉だ。
さらに場所・所から拡大し、立場・地位・地歩があるだろう、これも状態か。
ザックリ言うと「に=ところ」と訳すべきだろう、元々は助詞じゃない。
「場所」じゃなくて「ところ」がよさそうな気がする。
「星が見えるやがきぃ」に少し近づいた気がする。
そうすると…
とある村に、老夫婦が住んでいた。
=とある村 where 老夫婦が住んでいた。
=ko-exist 村 where 老夫婦 had been living.
=ko-existing hamlet where old couple had been living.
これはこれで、もう立派な文になってる。
加えて「が」は、ちゃんと[have=持つ]に対応している。 動詞の連用形は終わりが「い(i)、え(e)」になる。連用形は名詞でもある。
これで思いつくのは、アイヌ語で「い(i)=者・者、え(e)=者」との関連だ。
ペナンペ(川上の者)・パナンペ(川下の者)や
「もののべ・いぬかいべ・いむべ…」の「べ」は「ぺ=者」であろう。
つまり動詞連用形が名詞なのは「い・え=者・物」だからだ。
動詞の語幹に「い=者・物」を付けて「動作する者・物」になる。
これは明らかに名詞だ。
連用形は用言に連なるから、つまり用言を修飾するから名詞か副詞だ。
名詞ならつじつまも合う。副詞だと助動詞か形容詞を修飾か。
とすると連用形(名詞)+用言(動詞・形容詞・助動詞)は
ザックリ言うと、これは平叙文だ。
さらに連用形を細かく分解すると、
「動詞(語根)+i(い)」で、ざっくり名詞となるから
語根動詞は「i(い)=名詞」を修飾している形容詞でもある。
動詞の語根であっても形容詞機能がある。
形容詞の機能もあるといえる。
詠嘆の意味で倒置して「i(い)/e(え)+動詞(語根)」があるかな。
これは平叙文だ。この平叙文を詠嘆で倒置すると連用形、なるほど。 >>989
い-(i-)については
>全訳古語辞典 い- 接頭 上代語
>動詞について、調子を整え意味を強めたりする。
>白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪(ゆき)は降りける
>例語 い懸かる・い隠る・い通ふ・い刈る・い組む・い漕(こ)ぐ
>・い掘(こ)ず・い副(そ)ふ・い立つ・い辿(たど)る・い回(た)む
>・い繋(つが)る・い継(つ)ぐ・い積もる・い泊(は)つ(停泊する)
>・い這(は)ふ・い拾ふ・い触ふ・い行き合ふ・い行き憚(はばか)る
>・い行き回(もとほ)る・い行き渡る・い行く・い寄る・い別る・い渡る
え-(e-)については
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%88
>え 副詞
>@ 〔下に打消の語や反語表現を伴って〕とても…でき(ない)。
>出典宇治拾遺 三・一七
>「恐れにて候へば、え申し候はじ」
>[訳] 恐れ多いことでございますので、とても申し上げられません。
>
>A〔下に肯定の表現を伴って〕うまく…できる。よく…する。
>出典古事記 景行
>「その荒波おのづから伏(な)ぎて、御船え進みき」
>[訳] その荒波は自然に静まって、(倭健命(やまとたけるのみこと)の)お船はうまく進むことができた。◇上代語。
>
>語法 @は会話文中では「今宵(こよひ)はえなむ」(『枕草子』)
>〈今夜はとても(参れません)。〉のように、
>「え」の下の叙述の言葉が省略されることがある。
>
>参考 下二段動詞「得(う)」の連用形の副詞化。
>中古以降下に「ず・じ・で・まじ」などがくる@が生まれる。 >>990
ここに↓ちゃんと書いてあったよ。
苦労したけど「ところ」もあったw
「に」も「-i」が横訛りしたのであろうか。
https://ainugo.nam.go.jp/search/word?word=%E5%8B%95%E3%81%8F&typeDict=on&dictCd%5B%5D=%E7%94%B0%E6%9D%91&dictCd%5B%5D=%E8%90%B1%E9%87%8E&dictCd%5B%5D=%E7%9F%A5%E9%87%8C&typeCont=on&typeText=on&person=&matCd=&minLineCd=&maxLineCd=
-i 2 イ
【接尾】[< hi ヒ](動詞に接尾して名詞をつくる。)
@[他動名詞化]…を…すること。
cis チシ 泣く; cisi チシ …を泣くこと(-i イ 1 とは平行しない。
むしろ -i(hi) イ(ヒ) と通じるものがある)。
A…する所。 cikus チクシ 人が通る/通った、 通られる;
cikus-i チクシ 通る所、 通り道。
B…する/したとき。
turepta トゥレプタ ウバユリ(オオウバユリ)を掘る、
-us ウシ …する習慣になっている;
tureptausi トゥレプタウシ ウバユリを掘る習慣になっているとき
=ウバユリを掘る時期。
C…したもの。 san サン (山手の方から海手の方へ)出る;
san-i サニ …の出たもの=…の子/子孫。 (出典:田村、方言:沙流) >>991
>英語の歴史 寺澤盾
>疑問文・否定文に現れる助動詞 do
>…現代英語でも、have you any money? i haven't any money.
>(共にイギリス英語)、how goes it?(元気かい)のように、
>疑問文・否定文であっても do を伴わない事がある。
>…
>古英語や中英語では、現代ドイツ語や現代フランス語の様に、
>疑問文では主語と本動詞を倒置させ、否定文では本動詞の直前または
>直後に否定辞を置いた。
ちゃんと書いてあるね…よく読むと俺の想像とは違ったが。
SVOの語順を崩さないために、do が文頭のV1語順が好まれた。
この本には人称の変遷が書いてある。英語の変遷は
主格 ic(古英語)→ich,i(中英語)→i(近代英語)→i(現代英語)
属格 min→mi→my,mine→my
与格 me→me→me→me
対格 me→me→me→me
英語で「い」の音が多くないか?ドイツ語の人称では
単数 ich-私は du-君は er-彼は sie-彼女は
複数 wir-私達は-ihr-君たちは sie-彼らは・彼女らは
これも「い」の音が多い気がする。 >>992
>かん‐おん【漢音】日本における漢字音の一。平安時代の初めごろまでに、
>遣唐使・留学僧などにより伝えられた、唐の首都長安の北方標準音に基づくもの。
>呉音・唐音などに対していう。
>ごおん【呉音】日本漢字音の一種。
>六朝(りくちょう)時代の中国の呉の地方の音が伝わり、仏教語に多く用いる。
>とうそうおん【唐宋音】〘名〙 日本の漢字音の一種。
>鎌倉・室町から江戸時代にかけて禅宗の僧侶や商人などによって伝えられた、
>中国の宋以降の中世音に拠るもの。
>人 じん(漢音) にん(呉音)
>夷 い(漢音・呉音)
>者 シャ(呉音・漢音)
>奴 ヌ(表外)呉音 漢音:ド
>親 シン(呉音・漢音)
>子 し(漢音・呉音)
この中国語だけで「い」音が多いと言えるだろうか?
>おみな 年をとった女。
>おきな 年取った男
>いざなみ 日本神話で、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) と結婚し、
> 国生みと神生みを行った女神。
>いざなぎ 日本神話で、伊弉冉尊 (いざなみのみこと) とともに
> 天つ神の命で磤馭慮島 (おのころじま) をつくって天降り、
> 国生みと神生みを行った男神。
>おのこ 成人の男子
>めのこ おんなの子
日本語の方も微妙だな。 >>993
「人 ぴと」もあったね。
ドイツ語にも、英語も「er」で者だったね。 >>994
「i い」は口角を横に引くから筋肉が緊張する。
楽するために緊張を緩めて「i」と発音すると「え」に近くなる。
ほとんど「え」になる。
つまり発音からすると「i い」と「e え」は同じだ。
文語下一段、下二段の連用形「え」は「い」と同じかも知れない。
もともとは「i もの」だった可能性はある。
だから下一段(蹴る)下二段動詞で連用形「i」があるかもしれない。
けず(未)・けたり(用)・ける(終)・けるとき(体)・けれども(已)・けよ(令)
け(たり)=ke(tari)
=ke-i(tari)=ke-yi=ke-wi=ke-hi=ke-wi=ke-ni=ke-mi=ke-pi ?
=ke-i(tari)=kyi=kwi=khi=kwi=kni=kmi=kpi ?
「i,e もの」は母音だから、二重母音化を防ぐための子音が必要だね。
それはよくある{y,w,h}に{n,m,p,k,g…}もあるのかな。
>きみ kimi (君・公)上の人
>おみ omi (omi 臣)下の人
>おみな omina 年をとった女。
>おきな okina 年取った男
>いざなみ izanami
>いざなぎ izanagi
日本語で「i」発音より楽で同じ意味がなのが「e」だとすると、
さらにドイツ語英語「er 〜するもの」に似ている。 >>995
格助詞上代語「い」の例題としてのってるのが…
>[歌番号]03/0237[題詞]志斐嫗奉和歌一首 [嫗名未詳]
>[原文]不聴雖謂 語礼々々常 詔許曽 志斐伊波奏 強<語>登言
>[訓読]いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る
>[仮名]いなといへど かたれかたれと のらせこそ しひいはまをせ しひかたりとのる
間投助詞上代語「い」の例題としてのってるのが…
>[歌番号]10/1851 [題詞](詠柳)
>[原文]青柳之 絲乃細紗 春風尓 不乱伊間尓 令視子裳欲得
>[訓読]青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも
>[仮名]あをやぎの いとのくはしさ はるかぜに みだれぬいまに みせむこもがも
まず、原文の万葉仮名から訓読・仮名が導き出せたのが凄い。
良く万葉仮名から、ここまで精密に訓読文を作れるものだね。
この「い」は上代に使われた助詞?だそうだ。
平安時代になると漢文の訓読など特殊な文献にしか現れない。
助詞か副助詞か、間投助詞か、説が分かれている。
ということは上代とそれ以降で、断絶があって使われなくなった。
上代とそれ以降では歴史だけでなく、言葉でも断絶があるね。
漢文を参考に「い」の解釈を行ったのであろうか。
訓読に使っていたということは、使い方がわかっていたとも理解できる。
この「い」が「者・物・ところ・名詞化」と解釈できる余地があるか? >>996
>>992で書いた、ドイツ語・英語の人称
単数 ich-私は du-君は er-彼は sie-彼女は
複数 wir-私達は-ihr-君たちは sie-彼らは・彼女らは
主格 ic(古英語)→ich,i(中英語)→i(近代英語)→i(現代英語)
属格 min→mi→my,mine→my
与格 me→me→me→me
対格 me→me→me→me
ドイツ語英語の人称名詞に[i]音が多いのは「者」だからだろう。
「私、あなた、彼、彼女、彼ら…」は、まず全部「i 者」だ。
その全部の「i 者」に種類がある。
それが「私、あなた、彼、彼女、彼ら…」という種類だ。
その種類を示す接辞を「i 者」の前後にくっつけて分類する。
その派生形が「-er」、「-ee」は調べていないので、わからんな。
まあ日本では連用形にも残っています。
さらに「もののべ、いぬかいべ、いなかっぺ…」もあります…
こういう説明だと世界中の「i 者」関連を統一して説明出来る。
世界中の古人が果たしてこう考えたどうか、全くわからんけど。 >>997
>八色の姓 やくさのかばね「はっしきのせい」「はっしきのかばね」ともいう。
真人(まひと) mahito
朝臣(あそみ,あそん) asomi ason (asomi→ason?)
宿禰(すくね) sukune (sukue? > sukune? sukupe?)
忌寸(いみき) imiki
道師(みちのし) mitinosi
臣(おみ) omi
連(むらじ) muraji
稲置(いなぎ) inagi
これも「い i」が多い。しかも「i」が最後尾にある。
動詞の連用形と同じだ。真人があるけど。
「い i」でないのは宿禰sukuneだけだ、「e」だけどね。
今後の作業展開として「古代の神名を調べる」があるよな。
「i e 者」で終わっていれば、面白くなるのだが…かかりそうだな↓
>乙訓坐大雷(神社) オトクニニマス オオイカツチ ooikatuti
>乙訓坐火雷(神社) オトクニニマス ホノイカツチ honoikatuti
>自玉手祭来酒解(神社) たまでよりまつりきたるさかとけ sakatoke
> 元々の祭神は山崎神yamazaki・酒解神sakatoke
> 大山津見神(おおやまつみのかみ) ooyamatumi
>月読神社(京都市) つきよみじんじゃ 月読尊(つきよみのみこと)tukiyomi
>木嶋坐天照御魂神社 このしまにますあまてるみたまじんじゃ
> 本来は「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ)」
> を祀った神社とされる。amaterumimusubi/amaterumitama >>998
神名を集中して調べられそうなサイトがあった。
しかもローマ字表記付きだ。國學院大學。
これを全部書くわけにはいかないな。[i]が何%、[e]が何%形式だろう。
>http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/
>神名データベース(このDBは古事記ビューアーと連動しています)
>阿加流比売神 あかるひめのかみ Akaruhime-nokami
>飽咋之宇斯能神 あきぐひのうしのかみ Akiguinoushi-nokami
>秋毘売神 あきびめのかみ Akibime-nokami
>秋山之下氷壮夫 あきやまのしたひをとこ Akiyamanoshitaiotoko
>葦那陀迦神 あしなだかのかみ Ashinadaka-nokami
>足名椎 あしなづち Ashinazuchi
>葦原色許男神 あしはらしこをのかみ Ashiharanoshikoo-nokami
>…
連用形の末尾と、仮に古代神名が「い i」とすると
「い i」は母音だから、その直前も母音なら二重母音になる。
それ対策で「い i」の前に子音を入れる…のではないか?
とすると、本来の形・原形を考える時は
「い i」の前の子音と、「い i」は外しても良い。
それで本来の形・原形が出現するはずだ。
もちろん本来の形・原形が子音終わりの単語の場合は、そうじゃない。 このスレッドは1000を超えました。
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