日本語について質問するスレ3
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2.5次元は「にーてんごじげん」と発音するのに何故? >>630 自分の中だけのルールを勝手に適用するな ここでいいのかわからないけど質問させてください 香港の電話番号から日本人を名乗る人がSMSよこすんだけど、文体が日本人の日本語じゃないんです そこで何か難しい日本語でメッセージを送りたいんですけど、翻訳ソフトが対応できなそうな文ってないでしょうか? ただの詐欺メッセージだろうからほっとけばいいんだろうけど、暇なので昨日からやり取りしてます >>634 明日 いふけくろ 駅西口で みたいに、日本人なら脳内補完する誤字を多く織り交ぜる "おはようございます 仕事を始めました" とか絶対日本人じゃない文章送ってくるくせに頑なに日本人だと言いはるんですよね 文語っぽい文章送ってくるし、>>636 っぽく誤字や全部ひらがな句読点なしとかで行ってみようと思います >>601 > 「AでのB」と「CでのD」を 「および」で結んでいるので a と解釈するのが普通でしょう。 なんだこれ? >>632 體言亦はそれに準ずるものに附隨して、其が或目標たることを示す場合のものは大別して二とすることを得。 一はそれが他と共同する場合の目標たることを示すものにして、一は或事物の名稱亦は状態として指定せられたる目標なることを示すものなり。 その第一の他と共同するを示す場合には二樣あり。 一は下にこれに對する用言亦は體言ありて、それに對して直ちに作用を及ぼすものにして、他は多くの體言を合同して一團とするものなり。 その多くの體言を合同して一團とするものは次の如し。 月と花とを賞す。 攻むると守るといづれか難き。 これら「と」にて合同せられたるものは一團となりて、文中に一の語と同じき位置を占むべきものなりとす。 而して此の場合は必ずその各の下に「と」を添ふるを原則とす。 >>644 IMEでの變換なのだから何も變らぬ(笑)。 「から」の使い方について質問です 「スパイスからカレーを作ろう」というスレがあるのですが、 このスレタイについて、スパイスのもととなる植物の栽培から始めると言ってるようだからおかしい という意見があります 言われてみれば、そのようにも読める気がするのですが、何故でしょうか また、どのように直せば、本来の意図通りに読めるようになるでしょうか よろしくお願いします >>650 >スパイスのもととなる植物の栽培から始めると言ってるようだからおかしい この解釈がおかしい 強いて言えば スパイスを調合して〜 とする 皮からギョウザを作ろう ←ギョウザの皮まで粉から作るんだね たぶんこういう解釈から来てるんだろうけど これはギョウザの皮がギョウザの一部分にあたる要素でしかないから通用する解釈 スパイスはカレーそのものか大部分にあたる要素だから普通そのような解釈は出来ない 並列助詞についての話題で流れができてるようなので俺からも質問。 「やだっ、お尻とあそこになにか入ってきてる!?」 「そこは提督のためのっ…」 「ぬ、抜いて!抜きなさいよ!?」 以上は某同人誌の台詞 ここでいう「そこ」は統語的にはこの代名詞に比較的近接している「あそこ(膣)」のみを指すことになるのだろうが、しかし「お尻」を絶対含まないとも言い切れないと思う。 でも含まれるものだとすると「そこ」じゃなくて「それら」と複数形じゃないとだめなんじゃないのか。 でも「それらは提督のための…」って談話としてはすわりが悪いというかまともな日本人なそんな表現しないと思うんだよね。 これらのことについて考えがあればお願いします。 その人物の感覚を伴う「そこ」だから少なくとも文面だけでは予測することしか出来ないと思います >>653 下半身 をひとまとめにして、そこを触って良いのは、という意味だとすれば辻褄は合う 「ず」の発音は舌の位置、上下の歯の隙間、「す」と同じである 「づ」の発音は同様に「つ」と同じでなければならない だが日本人が「稲妻」と言うとき、明らかに「いなずま」と発音している 現代の日本語はづとずの発音の区別は失っており、 「ず」と書いて「づ」と発音しているのが実情。 四国などでは区別が残る。 現代では「ず」と「づ」の発音は同じだから気にしなくていいよ 発音は関係ないよ というか、同じだから書き分けの問題が生ずる >>656 「いなづま」も許容されている 「いなずま」を本則としたやつがアホ >>655 なるほど しかしそうすると文面上から話者のなかであそこと尻とが分節化されていたのがその直後でいきなり同一の領域(の一部分の複合)であるものとして概念化されてしまっていることになりますね。 こういうことは日常会話でありふれていることなのでしょうか? ありふれているからこそ実例が記憶に留まることもないために実感が沸かないのかもしれませんけど。 >>663 特に生殖機周りって明言したく無いから、具体的に説明する必要がない限りぼかす表現を使うのは一般的じゃないかな 侵入者はどこだ→膣と尻であります 感想は→そこは提督のためのものです 文法とか学んでなかったら全く引っかかることなく受け入れてたでしょうしそういうことなんでしょうね。 分節化⇔統合に対する認識上の融通無碍な切り替えが普遍文法の次元で保証されてるというか だからいきなり単数形の代名詞で表現されてもそれは「認識のゆらぎ」と同様に当たり前のことだから自然なものとして受け入れられるというか 「大きい/小さい」と「大きな/小さな」との間に 意味の違いがあると最近感じ始めている。 文脈によって前者がしっくりくるときと 後者がしっくりくるときとがあると。 共感してくださる方はいらっしゃいませんか。 >>666 具体例だしてよ 真っ先に 大きな栗の〜 という歌詞が浮かんだ バズるって、どういう意味なんですか?最近バズるという言葉を聞くのですが、 よくわからんのです・・・ >>671 そんな調べればわかる事をこのスレで聞かれても シューティングゲームで敵弾をかすることをバズるという。意図的にバズる事に利点を付けたゲームがあり、以後弾をかすらせる事がバズとして広まった >>673 きっ‐しょ【吉所】 よい所。縁起のよい場所。 きっ‐しょ【吉書】 1 平安・鎌倉・室町時代に、改元・年始・譲位・代替わりなど、すべて事が改まったとき、初めて天皇に奉る政務上の文書。 2 武家で、年始・代始めなどのとき、初めて出す政務上の文書。 3 賦税を怠らないように農民に与える定書(さだめがき)。 4 書き初め。《季 新年》 濁点が '' なのに対して半濁点が ' ではないのは何故ですか? 「゜」は、かつて日本語の清音を表すために用いられた記号 現在の半濁点はこれを元にポルトガル宣教師が使い始めたという 意味が分からない文章はなぜ意味が分からないのか教えてほしいです。 たとえば「そう言えば風呂の穴に卵流して固まって詰まってタンパク質が射精って便器で試したけど普通に流れとったで‥」という文章が5chに書き込まれていたようなのですが全く意味が分からないと評判です。 よく意味が取りづらい文章の特徴として冗長かつ結論が冒頭にないということが挙げられますが、この文章にその手の特徴は当てはまらないと思います。 また「甲B-2クビモゲラは次元変孔性が高いモゲラントである。1920年4月に時空感応者により観量された20ユニットの甲B-2クビモゲラはテx25メールの(中略)97.5グレードのハナゲジゲジバーステスト地平に達したと言われている。」のようないわゆる言葉のサラダに当てはまるものでもないと思います。 5chの当該書き込みはあくまでごく一般的な普通名詞が使われていて使用語彙自体にもある種の連関(必然性)も認められます。(卵、固って、タンパク質/便器、流れとった、等) また、てにをはが間違っている感じとも違いますよね。 そういうわけでなぜ当該文章が意味不明なのかが分からず悶々としています。 このような当該文章がどうして意味不明なのか、言語学の見地からその要因を摘示してくださるとありがたいです。 ねじれ文だからかな?具体的にどこがどうとはまだ言えないけど >680 例の文章は結論がない2つあるいは3つの文章を繋げたので意味不明で当然。だが、完成形を予想できる人にとっては言葉足らずな文では有りますが意味不明ではありません 文A:〜詰まって まで 文B:タンパク質が射精って 文C:便器で〜最後 まで 会話主の頭の中では文字にした文以上の補足があるのでしょうが、他人である私達からはどういう意図で書かれたかは想像するしかありません、補足をした完成形は次のようだと予想します 風呂の穴に卵を流して詰まったという話を聞いた。似たような話でタンパク質であるセイシも詰まると聞いた事があるが、トイレの便器で試したところ詰まらずに流れたのは何故だろう >>651-652 お礼が遅くなってごめんなさい。 ありがとうございます。 セイシが熱で固まるのは知ってるけどトイレに詰まったりするもんなの? ドン引きのドンってなんですか ドン底のドンでしょうか 父さんのカタキ を漢字にする時 父さんの敵 多分、テキと読む 父さんの仇 アダと読むのは変と思った人だけカタキと読む カタキウチと書く場合 敵討ちならまず間違わないけど、 仇討ちと書くとアダウチが第一に来る のようにカタキ関連を文字で表記するのが難しいのですが、何かいい方法はないもんか 〜等 を など と読むか トウ と読むかみたいなもんでは 急に思い出したことなんですが、ぜひ皆さんみたいに日本語に賢い人に聞いてみたいです。 昔、友だちのお兄さんでむちゃくちゃ頭がいい人がいて、その人はすごく漢字に詳しかったんです。 集まって課題やってるとき「あれ○○ってどういう字だっけ?」と聞くと「それは、○と書くんだよ。この字は××という 意味があるから、○○って熟語になるんだよ」みたいな、一ネタくっつけて教えてくれるような人でした。 とくに漢字の使い分け系の質問には、字の元々の意味からしっかり説明しないと気がすまないような熱心さでした。 それなのに、なぜか訓読みの漢字につける送り仮名についてだけはすごくイヤな顔をしていたんです。 「ああ、それは、まあ、<○る>でもいいし<○れる>でもどっちでもいいよ。ただ学校では<○る>で教えてるんじゃないかな」 みたいな感じで、「どうでもいい」「そういう疑問じたいが好きじゃない」的でした。 これ、どういうことかわかりますか?なぜ送り仮名の質問にだけは急に不熱心だったのか、今でも謎です。 漢字が好きで勉強してきた人にとっては「漢字=中国の文字」だから「送り仮名つける=日本語化」が基本的に嫌いとか そういう傾向があるんでしょうか? 本当に送り仮名についてだけ嫌いみたいでした。「旧かな使いが本当の日本語」とかそういう主張もポリシーもないはずです。 ただ送り仮名だけです。 こういうこだわり、想像つきますか? ただ送り仮名についてだけ苦手だったのかな? >>689 一度「送り仮名」のルールを調べてみたらどうでしょうか 凡そ考えられる全ての形が許容されているのです だから各自でその人なりの基準を定め、それにより使うほかないのです 送り仮名には伝統的に様々な送り方がされてきたものが多数あるにも関わらず、学校教育で専ら唯一つの送りがなのみが正しくその他の送り方が誤りとされているという現状に激しい憤りを持ちつつも、その憤りを弟の友達に悟られまい、ぶつけまいと大人の対応をしたのだろう ×送り仮名 ○送假名 抑何ゆゑに「送り」のやうに送假名が必要なの歟、學校では何もヘへない。 唯さう書けとヘへる丈で、其の意味を全くヘへぬ。 >>689 送り仮名のルールとしては先ずこれね ttps://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/index.html これを完全に理解した上で、自分なりのルールを作る必要がある 友だちのお兄さんはこれができているのだと思う >>692 いや、むしろ逆に、正書法がない/作れないことに対する苛立ちだと思う 「おくりがな」は名詞。 何うして「送り」の送假名が必要なの歟(笑)。 「假名遣ひ」ではなく「假名遣」。 訓読みというのは日本語特有のアクロバットな行為で、 外国語を文中に混ぜて自国語で読んでいる 「読む」をドクムではなくヨムと読むのは、 「readむ」と書いてヨムと読むのと同様 挫折の語源を知ってる方いますか? いかにも矛盾や守株のように故事に出自がありそうな言葉にみえるのですが検索しても掘り下げられた語源が出てきません 書籍などで正確な語源をご存知でしたら教えてくださるとありがたいです 追記 あるいは妄想のように仏教語(特に禅宗系)のようにもみえます 最低でも中国語なのか和製漢語なのかどっちかを知りたいです しかし漢文のなかで挫折という言葉が使われた用例は見たことがないです 現代中国語でも日本語におけるような意味はなく「心をくじく」などと他動詞として使われているようです それでもやはり和製漢語っぽくない(少なくとも明治に作られた言葉には見えない)です どっちなのでしょうか? >>689 です。 みなさん、ありがとうございました!! なんとなく、納得できました。 692さんのおっしゃる感じな気がします。 「別にそっちでもいいけど、学校では○○って教えてるはずだよ」みたいな言い方よくしてましたから。 すごく知識が豊富で、一部分だけ学校的知識を認めない部分がある ってムチャクチャカッコイイですね。 頭がいい人にしかなれないキャラだし、カッコつけ抜きの完全に自分の知識と思想で立ってるって感じ。 しかも、伝統とルール重視っぽい国語という分野でそれをやってるのがすごいと思いました。 ありがとうございました。 あと、こう言っちゃ生意気ですけど、 自分も、 「本当は送り仮名に正解はないんじゃないかな。だって用務員さんが書いたトイレの注意書き独特だし」 「必ずがOKで必らずがダメな理由は、必という字の中に根拠はないんじゃないかな」 みたいなことをなんとなく感じてはいました。 そういう意味でもすごく勉強になりました! 「必らず」の用例も多数あるからな 「必ず」のみが正しく「必らず」は誤りであるとする根拠は実際のところ存在しないというべきものであろう https://furigana.info/w/%E5%BF%85 振り仮名とは別物 振る基準も区々だし、そもそも現在の送り仮名ルールは振り仮名がないことを前提としている それにね、「必」に関して言えば、「必」1字で「かならず」と読ませるのか、 それとも「ず」を送るのかが問題なのだ 本来的には「必」だけで良いのだが別の理由(割愛する)により「必ず」と書くのが本則となっている 要らない1字を付け加えたのだから、2字を足した「必らず」が間違いとは言えなくなる 「必ならず」でも「必かならず」でも良い まあ、「必かならず」と書く人は少ないだろうが 「必ず」なんてのは全く初歩の問題で解決済みである 元は「仮ならず」なんだから、かならざるに活用する可能性もあって、 活用で変化する部分は送らないと区別できないから必ずが合理的 例えば、「不必」とか「非必」をどう読むか 「かならざる」になるか? えっとね 「ず」も「ざる」も否定辞なんですね 「仮」を否定するのはよいのだが、「必」を否定されてもこまる 避ける この言葉ってよける と さける ってどっちも退避の避を使うけど、みんなは普段どっちで読んでいますか? 俺としては よける で読むことが多いわ 文脈によるのは分かるが、普段どっちで読んでるかだけで判断してくれ 語源から遡って送り仮名を定めるのも大した正当性はない 無きが代→ないがしろ→蔑ろ だぜ 言うの発音は「ゆう」だが活用形の語幹が終止と連体を除き「い」なのでその多数派に合わせて仮名遣いにおける語幹部分を一律に「い」としているのだと聞いている。 しかし私個人の経験としては未然についても「そんなことゆうな」とか発音してる人が少なからずいる気がするのだがあくまでこれはおかしな発音でしかないのだろうか? 未然終止連体と語幹が「ゆ」と発音されるのならばもはや現行の仮名遣いの正当性を担保するものがないという問題も孕んでいると思うので興味深く質問する。 「ゆわない」とか「ゆった」とか発音する地域は結構多いと思うが し、じ、ち、つ、ふ これらの発音が法則から外れたのは何故でしょうか? sha shi shu she sho → sa shi su she so → sa shi su se so ja ji ju je jo → za ji zu je zo → za ji zu ze zo ta ti tu te to → ta chi tu te to → ta chi tsu te to pa pi pu pe po → fa fi fu fe fo → ha hyi fu he ho 厳密に言うとイ段は殆どの行で発音違うんだよな。拗音があることと関係あるんだろうか 「つ」や「ふ」はどういう経緯だったんだろうね 花火とかロケットってなぜ撃ち上げではなく打ち上げなの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる