日本語に足りないものは接辞
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日本語の接辞として扱われているその多くは漢字であり純粋な日本語(大和語)としての接辞は少ない(ここでは便宜上として大和語とします)。
例えば「自分ら」の「ら」は複数形で本来なら全てのものに付けられるはずだ。この接尾辞は辞書に載っている。
「し直す」や「やり直す」などの「直す」は接頭辞の「再」と同じ働きがある。ただしこの接尾辞は辞書に載っていない(接尾辞として説明されていない)。これを接辞としない所為で自由度がここで失われるというわけだ。 「程合い」や「度合い」の「合い」は程度を表す接辞の一だと思うんですよね。
どうでしょうか。 名詞の性で接頭辞「お」(男性)と「め」(女性)。
おすとめすの関係から接頭辞としても良いのでは? おすめす以外におんどり(雄鶏)とめんどり(雌鶏)もある。 歴史考えると🇭🇺ハンガリー語からパクるのが一番?
行く-ウンク
行く-テック
行く-ウーク
行く-エム
行く-エド
行く-ニー >>1
新明解国語辞典には接尾語と明記されている。
[二]〔「動詞連用形+直す」の形で、接尾語的に〕気分・観点・方法などを改めて、
もう一度何かをする。「やり直す・飲み直す・結び直す・見直す・出直す・書き直す・
考え直す」
広辞苑では接尾語とは明記されていないが、他の動詞の連用形に付くと説明されているから、
接尾語として使えることが分かる。他の辞書にも同様の説明がある。
⑩(他の動詞の連用形に付いて)間違いなどを訂正するため、もう一度はじめから行う。
狂言、賽の目「今一度置き─・いて、まんまと置きすまいて見せう」。「書き─・す」
「やり─・す」 >>1
そこらへんは尽くすとかあぐねるがつく動詞と同じく複合動詞扱い
接辞という専門用語で説明するより複合動詞と説明できるならそう説明した方が受けがいいと思われているのではないか 未然・連用・終止・仮定・命令形の時の動詞の変化する部分を接辞として使い勝手を良くするのは、日本語基盤の人工言語にはありかも
例えば「行か」だけで「行かない」の意味に使えるとか へんなことはやめよう
ことばは使われて出来ていかないと 動詞の辞書形は終止形ではなく連用形にすべきだった
(弓を)射る、は射 イ
(豆を)炒る、は炒り イリ
五段と一段の活用の違いが判り易い 言葉を改造していくのは "new-speak" の発想か
関係ないけど "newspeak" と書かれるとsとpの間で区切りたくなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています