なぜ人名だけ旧字体が許されるのか?
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新字にした意味が旧字排除だと思ってるなら
支那おじの被害妄想に洗脳されてんで
教育で使う字体や印刷字体を
筆写の字体に寄せて便利にしただけやぞ
文語ポイして話し言葉に従ったのと理屈は同じや
ちゃんと偏見除けば制限どころか徹頭徹尾
国民の実態に歩み寄っとるだけなのがわかるぞ 世の中で使われているいろんな漢字は別に政府がつくったものじゃない
字なんてものは文化なんだから字引をつくる学者さんを頼りにするしかない
役人だって字体を検証するときには法律を調べるんじゃぁない、字引を頼りにするんだ
旧字体だってそれを使うのは違法として死刑にしたり牢屋に入れたり罰金を科すわけじゃぁない
だから戸籍簿の姓には先祖が書いた難しい字があるのである
(下の名前のほうは「子の名は常用平易な字を用いる」という制限で戦後生まれの人には難しい字体はない)
戦後は一般にわかりやすい文を書くためのよすがとして内閣告示で常用漢字表を作り、現代仮名遣いを作った
学校教育ではそれに従って字を教える
また強制とまではいかないのだが、戦後のマスコミが新字体・現代仮名遣いを使う方向になだれを打って従った
この学校教育とマスコミの動向により、>>1や>>2の言う「新字体にした」という認識が生まれているのである
戸籍の姓の字体については、齋藤さんが婚姻届を出すときに「齋藤って書くのは面倒、斎藤でいいだろ」なんて言ったら、それでしたら新しく作る夫婦の戸籍は「斎藤」の記載にすることができますよ、と役人はアドバイスする
ただそれに乗って新字体を戸籍に載せたが最後、旧字体に戻すことは認めないんですよ、新字体推進の立場ですから、ハイ
新戸籍編成のタイミングで、𡈽→土、→高、嵜・ア→崎というふうに異体字を通用字体にあらためる人も多い 禁止なんかされてないのに許されるもへったくれも無いわ たしかに新字体って7割くらいは昔っからよく使われてた略字なんだけど
の割には詰めが甘いというか
鬪→闘とか画数そんなに変わっとらんし…なぜ閗にしなかったのか 正直いつもは新字体を使ふが舊字體の本もそれなりに流通してゐて、完璧には書けないが讀むのには支障ない人がほとんど、くらゐの社會になったらいいのにとは思ふが
今の大陸中國はさうらしいし 却って画数が増えてる字もあるけど
なんでわざわざ画数を増やしたんやねん
例 : 步 → 歩 >>11
日本の戦後の字体改革は「それまで一般に使われていた俗字を正式な字体として認める」のが基本だったから。 >>12
それはまあいいことだと思うんだけど、まるで指定されなかった略字や元の旧字体が間違いであるかのように扱われているのが問題だと思うんだよね
新字体とて簡体字とて元々流通していた略字・草書に由来するものなので間違った字とは言えないが、それ以外を間違いであるかのように扱う風潮は嫌なものだ てか最近の常用漢字はなぜかまた康煕字典体至上主義になってるのはどうしたものか…
なんで餅の左側をわざわざ旧字体になる書体にして採用したんですか? >>15
「𩙿」→「飠」なんか画数一つしか減らんのやから正體字のままでええやん
ていうか
食扁てなんでわざわざ「𩙿」→「飠」なんていう無意味な変更したんや? >>16
>食扁てなんでわざわざ「𩙿」→「飠」なんていう無意味な変更したんや?
つ「>>12」 >>17
台灣の國字標準字體すら新字体の方の食偏を採用してゐる程なのでそれは特に問題には思はない
新字体の字体そのものが問題ではたい
問題なのは昔は旧字体も、今の新字体より略した略字もそれなりに使っていいものとして認められていたのに昨今常用漢字に載った形以外を全部間違ひとするやうな風潮が広がってゐることだ ただでさえ義務教育で覚える漢字多いのに旧字と新字の両方を一元化せずにやってたら頭パンクするぞ
(一応念の為書くておくが正字と俗字みたいなくだらない茶々入れてくれるなよ?)
結局どちらか一方に専念して教えないと授業内容に着いてこれず何もかも中途半端になるのは目に見えてる
あと学習指導要領決めるのはあくまで文科省なんだから文句言うにしても文科省に言うべきだな 名字ではそうやし適不適はあれども字の正否までいくのはやりすぎかもしれんな >>20
教育にはとりあえずどれかに統一しとかないと不都合というのは理解できる
あくまで「間違い」ではなく「学校外で使え」に留めるべき 一般人が旧字体でも何でも使用しても法令違反とかならない
それで牢屋に入れられたり罰金を課されたりはしない さういふことなのだから、この場でも遠慮無く書きたいやうに書けば宜いのさ
學校で習つてゐないのなら自學自習し給へ 澁澤も渋沢も同一人物と認める、という風潮になればいいんだが、なんか無理っぽい。 今の日本人には名前の些細な違いに拘泥する者が多い。
他の時代や地域の事を詳しく知らずに言うのも何だが。
「名前を間違えられたら自分が自分でなくなるような気がして嫌だ」
そうでない者は少数派。ただ全員がそうなのか。
「名前が変わっても名前が無くなっても自分は自分、そもそも自分が自分でなくなる事の何が不都合か」
そういう人物も少しぐらい居るだろう。 >>27
名前を間違えるのは極めて失礼なことやねんで
下手したら敬称なしで呼び捨てよりもっと失礼や 文部省は漢字を減らして最終的には全廃する事を目指した。
だが人名漢字に関しては新字体採用のせいでかえって漢字の数が増えてしまった。
戦前の人にとっては眞と真は同じ字だった。印刷の活字はほぼ眞に統一されていたが、
手書きの字ではどちらも使われていた。眞と真を折衷したような字体も珍しくなかった。
それで不都合があったかどうかは知らないが、多分なかったのだろう。
今の殆どの人はこれらを同じ字とは決して認めようとしない。 >>29
>今の殆どの人はこれらを同じ字とは決して認めようとしない。
同じ字や
同じ字でもゴシックと明朝で違う字やていうてるのと変わらんで 手書きするのに画数多いと大変だから略字にしたのね
澁 → 渋 攝 → 摂 サンズイに止、止‥ えぇっ同じ字を三つも、それも段々小さく書けと来やがる
筆で細かな字を書かされる身にもなってみろってんだ
省筆をさせてもらってもいいんじゃありませんかね
それを、澁と渋は違う字だなんておっしゃる人は大方、21世紀の世で機械で文字を打ってるような苦労知らずのお人ぢゃぁござんせんか >>18
抑、Trung Quốcの文字で或るのだらうか? >>27 連濁しない、ある意味日本語のルールからは例外的な読みの人が拘泥するのはまあいい
漢字の字体でああいうこういうのは滑稽だよな 昔はそもそも字体もそこまで厳格に決まってなかったんだろうな。職場の近くにある神社には「〇〇~社」と書いてる石碑があるし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています