【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
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犬神人【いぬじにん】
中世〜近世における最下級の*神人。畿内近国の諸社や鎌倉の鶴岡八幡宮にもみえるが,京都の祇園感神院(山門末)の犬神人はもっとも有名。
祇園社の場合は,社頭の清掃・警固,祭礼の神幸の先導をはじめ,京中諸人の葬送,癩者非人の管理,山門強訴の先兵・住宅検封などに従った。清水坂に居住し弓弦を製造していたものは*坂者(さかのもの)・弦召(つるめそ)とも呼ばれた。 岩波日本史辞典CD‐ROM版 神人【じにん・じんにん】
中世の神社の下級神職。
10世紀末頃よりみえ,社頭の警備・清掃その他,恒例・臨時の神役に従った。
とくに南都・北嶺の強訴にあたって僧兵とともに活動したことは有名(*春日神人(かすがじにん)・*日吉(ひえ)神人)。
神人札によって自由交通などの特権を保証され,中世後期には,座をつくって商工業などに進出するものが多く,離宮八幡宮の大山崎油座神人,祇園社の綿座神人,北野社酒麹座神人などは有名。
春日社の神人には,本社直属の本社神人(黄衣神人),奈良中や各地に散在する散所神人,准神人ともいうべき白人神人などの区別があり,京都の祇園感神院には非人の一種としての*犬神人がいた。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 >>622
> 差別は無くならないと思うよ。潜在的に人が持つものだとも思うし。
ってことは、あなたの感覚としては、
・えげつない差別はないけど、ちょい差別、ちょい格下感を感じることはある
でいいでしょうか?
ってことは、
A: 時間の経過が部落差別を薄める
B: 部落解放同盟の活動は評価するがやり過ぎ感がある
C: A:の理屈から神奈川県人権啓発センターの部落探訪動画はよくない
って感じですかね? ↓の岩波日本史辞典 が、ボクの想像と合致ですねw
「坂という周縁的な場」というより「坂という農地にならない場」と書くべきだと思うんだよね。
>>626
> 坂者【さかのもの】
> 坂という周縁的な場に集住した中世非人の一種。 ボクはずーと東京住みで、部落差別の感覚はまったく持ってないのだけれど、
それは、「東京は変化が激しい場」だから部落差別の感覚が消失したのであって、
変化の少ない農村部では江戸時代の感覚をキープしてるのかな?と思うんですよね。 非人【ひにん】
(1)中世の被差別民の包括的呼称。狭義には坂の者・宿の者・乞食非人。
中世被差別民には癩者・乞食・河原者・穢多・坂の者・宿の者・犬神人・散所法師・庭者・清目・獄囚などさまざまな呼称があるが,非人は本来,一般共同体から排除された者の意味で,河原者・坂の者・宿の者・獄囚などはこの意味により非人と包称された。
一方,癩者・穢多・清目・庭者などは中世特有のケガレ観・職能観による呼称である。周縁的存在であって,キヨメ機能を担う者として,中世前期には畏怖と賤視の目で見られた。とくに*清水坂と*奈良坂の非人は有名。
(2)江戸時代,乞食の境遇にある者の身分呼称。非人仲間(組織)に人別把握されていない者を*野非人などと呼ぶ場合もある。非人は,三都をはじめ全国各地の城下町近傍の非人集住地を中心にして*非人頭の下に組織された。
非人の生業は,基本的には物貰いや乞食であるが,非人仲間に所属する非人には,野非人の取締や下級行刑役・警察役が賦課された。
非人には,俗に<*足洗い>と称する平人身分への復帰があることや,平人が社会的没落によって非人になるという身分の成立ちにおいて,穢多身分とは明確に異なる。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 穢多【えた】
中・近世の賤民身分の呼称。<えた>の史料的初見は,13世紀後半の辞書「塵袋」。餌取(えとり)がなまって<エタ>と称したとする語源説とともに,<人マシロヒモセヌ>ものとして説明されている。
近世において,<穢多>称は,主として*斃牛馬処理に携わる者(かわた・長吏)に対しての蔑称として用いられ,幕府の公式用語としても使用。身分的には,中世以来の河原者=屠者の系譜で考えられている。近世,穢多身分に対する身分的規制の主要なものは次の3つである。
1)斃牛馬処理の体制的強制。皮革原料を生産するという側面と同時に,彼らに対して<穢>を強制するという側面があった。2)権力による行刑的・警察的な諸役の賦課。負担の具体的内容については,他の賤民の役負担の内容と関わって地域により異なる。
3)本村=百姓身分の村の政治的支配をうける*枝村(枝郷)としての身分的従属。しかし,身分的規制のあり方から直接的に彼らの実態を描くことはできない。たとえば,すべての者が行刑的・警察的諸役や斃牛馬処理に従事していたわけではない。
むしろ,農業をはじめとする様々な職業に従事していたのが,一般的な実態であった。また,生活水準や諸役負担等において百姓身分の村と全く同様の穢多村も多数存在した。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 河原者【かわらもの】
中世において穢視された身分的集団の総称。呼称は周縁的・境界的な場である河原の地に居住を強制されたことによる。職能の側面から御庭者・清目・穢多などともよばれた。
貴族の大事に飼っていた牛が斃死したところ,<河原人等>が来て皮を剥ぎ解体したという1016(長和5)の記事が初見。斃牛馬処理・癩者管理・刑罰執行・清掃・作庭・菊作りなどに従った。
公方河原者の*善阿弥のように,禁裏・公方・寺社などに所属しつつ,断罪や大嘗会など国家的重要行事には個別権門をこえて召役された。近世穢多身分の中核部分に再編成されたと思われる。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 癩者【らいじゃ】
癩人ともいう。中世から近世にかけての癩病(*ハンセン病)患者の呼称。実態としては,症状の類似した皮膚病の患者も含まれていたと考えられている。
中世では癩は起請文言に,誓約にいつわりあれば白癩・黒癩に罹るというように,仏罰・神罰の現れと考えられており,症状が現れると所属する家・共同体から去り,非人集団に入る習わしであった。
近世においては,癩者のみで集落を構成して勧進などで生活する他に,家族とともに在宅する場合もあった。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 長吏【ちょうり】
(1)中国の中下級官吏の呼称を原義とし,日本では寺院組織の長官。寺院毎に別当・座主(ざす)・検校(けんぎょう)の異称をもつ。
園城(おんじょう)寺・勧修寺・横川楞厳(よかわりょうごん)院では長官を長吏とよび,とくに園城寺(三井)長吏は聖護院・実相院・円満院門跡から補任された。
(2)中世非人の統括者。1055(天喜3)に<非人之長吏>とみえるのが初見。鎌倉期の畿内近国の非人宿は播磨法師など国名を称する長吏らに率いられていた。彼らは婚姻関係によって相互に結ばれており,その組織は臈次(ろうじ)をもち座的に編成されていた。
(3)江戸時代の賤民身分の呼称。関東・東北地域,中国筋などでは穢多身分の別称として用い,町離などとも表記。関東の弾左衛門支配下では,自称として使用された。また,大坂などでは非人集落の頭をさす。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 しかし、穢多【えた】と非人【ひにん】の違いがわかんないですねw 日本人はほぼ純血種だからね、外見の違いによる差別ではないんだよ
各地によって部落の成り立ちに違いはあれど
税金で刑務所の運営が出来るようになる迄は各地の部落が罪人や異常者の流刑地だった
馬車すらまともになかった日本で島流しの輸送はとても難しいからね
革や肉の手に職をつけている人は比較的軽犯罪か更正の可能性がある同和でもましな人
警察も保険も福祉もない時代に家族を殺されたり盗まれたりすると受けるダメージは現代と比べられない位大きいけど
時代劇にあるような尾奉行なんて庶民には縁がない話で罪人はその土地の中で犯罪者の集落に流されるだけ
特別な由来を持つ所もあるんだろうけど、大体は先祖代々犯罪者でその周囲が被害者なんだから嫌われてるってだけ当たり前話 >日本人はほぼ純血種だからね
歴史に疎いキッズかしら
今でこそ我々は日本人という括りになってるが
古代中世の列島は多民族の多言語わよ 職人系は海の向こうから運ばれてきたし国内でも遠くから呼ばれて移住した
地の民にしてみれば「風貌や習俗の違うヨソモノ」でしかない
古来からムラ社会だから、それだけの理由で勝手に敵視したり疎んだりした
そこをまず分かってないよね
嬉々として決めつけた卑しさを語りたがる人って 中世の荘園制から郷村制への転換期に差別が生まれたのではないかと思う 部落の主な仕事は農民の監視や罪人の拷問・処刑など
皮革の権利なんてのはそれらのおまけでしかない >>643ってリアリティあるけど。
つまり、江戸時代まで村が1つの国だった。
その村々に刑務所なんかないわけで、ルール違反者はエタだか非人だかの身分にしちゃえ!
が、現実的なんじゃないですかね? >>650
東北地方には犯罪者しかいなかったから被差別部落が成立しなかったわけだな 警備や処刑は誰にでもできるが
皮革や瓦焼きなんかの専門職は技術が無いと出来ないよ >>652
じゃ、東北地方は現在の刑務所に相当する場所はどうやって確保してたの? >>653
> 皮革や瓦焼きなんかの専門職は技術が無いと出来ないよ
廃材者はそれの見習いになるのでは? >>655
犯罪者しかいなかったからそういう場所は必要なかったんでしょ そんなん1日研修すりゃできるだろ
皮革も焼物も鉄工も下っぱは大した仕事させてもらえないだろ
技術だけ盗まれてもあれだから
頭大丈夫か 想像で物を語ってるやつら何なの?
少しは勉強しようとか思わないわけ? >>658
じゃ、東北以外は犯罪者は部落にぶち込んでいた、でいいわけ? >>661
さあね。俺が犯罪者だったら京とか都市部に逃げ込むけどな
追ってくる人間も取り締まる人間もいないんだから >>662
村という共同体がある。
その共同体のルールを破れば、死刑 or 村八分=エタの仲間入り or あなたみたいに村を追われる
しか、考えられないが。 荘園制の頃は村のような共同体はなかったと思うけどな
共同体が生まれるのは荘園制が崩れて以降のこと 荘園制の前も、荘園制中も、荘園制後も、
弥生後のメインのお仕事は稲作なわけですよ。
と、稲作をやってれば、ネズミが増えるように人口も増えて村になるのでは?
で、村がある程度の規模になれば、ルールに背くヤツも出て来る、うんで>>643の考えでいけば、部落の存在は必須なのでは? 荘園制なんてのは、農民への暴力的寄生者が発案した制度であり、
食料=米を作る人達が主役であり、その人達の集合体が村なのであって、その村はナゼ部落を作ったか?あるいは部落を欲したか?がテーマなわけ。 荘園制の頃は農民はバラバラに暮らしており共同体なんてものは存在しなかった > 共同体が生まれるのは荘園制が崩れて以降のこと
1、半島から稲作技術をもった少数共同体が日本列島に散らばってった
2、で、なぜか力、武力をもった共同体が天皇を名乗り他の共同体を制圧してった
って流れじゃね? >>667
> 荘園制の頃は農民はバラバラに暮らしており共同体なんてものは存在しなかった
半島からやってきた稲作技術をもった農民がバラバラで暮らしてたのなら、天皇グループなんて暴力者は出て来ません。
「共同体が成熟して天皇グループというヤクザが発生した」だと思うけどねぇ〜 >>667
そもそも、共同体が成熟して、暴力者&被暴力者が存在してたからあのデカい古墳を作れたんでしょ。 天皇グループというヤクザなど、なぜ知っているんだよ。
『姥清水』など・・・家の老婆の話だろう?
母親が言うには言葉遣いも、
おかしかった時期があったと言っていたしw
「われ、なにをしているんだ」とか
「われ?」(意味不明)みたいな話。 老婆の旧姓:渡辺
むかーしの皇族なのかな?
くもすけ、鬼退治、豆まきが〜などの話もしているし。 よくわからないんだけど、偉そうなことばかり言っていたとかw むかーしの芸能関係の話も詳しかったり、
くもすけ(蜘蛛?とあるバンドなどの話)〜、
何かの刀などの話とかw 『渡辺 源氏』この系統なのかな?伝説?
むかーし鬼退治をした家の〜〜〜だから、
豆まきなどしなくても良いと親にも言われて育った、
豆まきも一度もしたことがないとかw テーマ?
ならおまえ自身が実践しろ
おまえが田畑耕せ(°▽°) それにしても?ほんとーに、おかしな話。
老婆談、当時の老婆の知人の話によるとw
家のほうが何か凄い家みたいな話、ウラシマンのような名前の家。 『天財若子』(『王母 龍宮』)
・・・・ウラシマンのような家。 広瀬座というところがあって〜、そこの話もしているし。 >>664>>667
農耕文化は人手が居るんだが
ムラ社会は農耕文化によるものなんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています