紀伴菅江在
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苗字が発達しなかったら歴史上にもっと偽源平藤姓があらわれずに活躍できたかも >>10
菅直人が天下とったやん。
菅原氏と結んだ漆間氏(法然を排出)の流れだけど。 >>15
明治維新で越智宿祢博文が初代総理大臣になった。 紀伴菅江在←この5氏ってどういう基準で選んでんの?決まり文句? 出典不明だが、「紀伴菅」をセットにする言い方は昔からある。
前後に「在」「清」「江」「秦」を加えてアレンジしてることもあるね。 もともとは「マイナー氏姓」ってスレだったと思うんだ。だから蘇我(石川)でもいいし、大中臣でも坂上でもかまわない。
源平藤橘を仮冒しないで、マイナーなままで後裔となっているもので話題を。 俺の先祖一応紀ってことになってるわ。
ホントかウソかわからんけどね。 西郷隆盛の本家である肥後菊池氏も本姓が藤原氏というのは詐称で元は紀氏ではないかと言われている。
おそらく紀朝臣の中で最も有名な人。 紀伴菅江在なんて有名どころでいいじゃないか
俺なんて久々智姓だぜ
あまりにもマニアックすぎて誰も分からないと思う >>34
孝元天皇の第1皇子「大彦命」の子孫に久々智(くくち)姓を賜った皇族がいるようで
兵庫県の南東部に住み着いてたらしい。 >>30
うらやましいのぅw
俺なんてありきたりのそこらの犬の糞みたいな清和源氏だぜw あくまでも点と線で結んだ可能性を追ったのだが、
これまでの個人的研究成果では紀氏は、
古代シュメール王キシュ王(ノアの長男セム系かエンリル神末裔系)
→アレクサンドロス大王・アショカ王(=ソナカ王家、スサの王家、
双角王(牛角王)
=ツルカルナイン、ゾルカルナイン、ツヌガアラシト)
→アスカの都パルティア王家、突厥王家
→周王家姫氏
→扶余王家(=古代エジプト王家
・古代イスラエルのエフライム王家
orサウル王の父のキシ=ベンヤミン王家
orダビデ王のユダ王家
と云われている)
→百済八姓木氏(百済王家)の木羅斤資将軍
=百済王子昆支
=倭王武
=応神天皇
→蘇我氏・天日矛(ツヌガアラシト)やスサノオを祖先とする紀氏
・吉志氏・貴志氏・岸氏
のラインがある。
因みに古代ユダヤ系や扶余など騎馬民族は末子相続だから、
今の当主は紀氏より岸氏などの中に居る可能性が高い。 『第1518回:皇帝ソナカ大王家を滅ぼした天智天皇』
歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/55514249.html
百済由来と偽る天智天皇(中大兄皇子)と
藤原氏の正体は、
実は倭人と百済との敵で
白村江の戦いを陰で糸を引いていた
新羅王「金春秋」とその大臣。
『第1519回:
白村江の戦いで百済を滅ぼした新羅王「金春秋」』
歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/55516152.html
『第1514回:蘇我が連邦皇帝だったという証明』
歴史徒然:ウバイド・倭人(ウワイト)・オリエント遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/55504802.html 日本人の先祖の大半の倭人は、
卑弥呼の夫(副王・男王)になったアレクサンドロス大王ソナカ王家(蘇我氏・木氏・紀氏・岸氏・貴志氏)に従つきって、
アショカ王の仏教布教団の一派としてやって来たギリシャ人精鋭部隊やアショカ王精鋭部隊。
『ポセイドン 百済 大隅 ウースン 烏孫人の北上 大移動 3 』ネット歴史塾
http://momo-matmkanehara.blogspot.com/
『稲作文化・アソカ仏教宣布団』オリエント歴史回廊(遷都):(ウバイド・シュメル)
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/ 『猟奇的な犯罪者だった藤原鎌足と中大兄皇子
残虐非道な藤原氏の政治手法』
秦氏と藤原氏
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index6.html
自分たちを日本人の祖先の大半である
ギリシャ人精鋭部隊やアショカ王精鋭部隊の
倭人達と同様にギリシャ由来の百済ゆかりであると、
ウリナラファンタジーで
現代の自分たちの子孫までを含めて思わせ続け、
蘇我氏らの百済王家の宝刀を持ち続ける
新羅王「金春秋」とその大臣家の、
天智天皇(中大兄皇子)・藤原氏。
『二人の兄弟王子を中心とする亡命・
百済王族達数千人のその後』
http://seiwagenjisinjituryu.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-ba87.html
「今の天皇陛下は天武系の系統でしょうか、
それとも天智系でしょうか?」yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1278185922 孝謙天皇に誰か皇族の婿取りしてたら天武系がずっと続いてたんじゃないか。
いっそ安積親王とか、当時異母兄弟の結婚はOKだったんだろう。
まあかなりの姉さん女房だけどね。
それと、そもそも安積親王排斥の理由もよくわからない。
娘を送り込めば良いじゃん。 八色の姓制定時の真人なんだけど、系譜も不明、氏人も確認できずなぞの氏族、
高橋真人と茨城真人、高橋真人に至っては「古代氏族事典」の高橋の項でもふれられず。 >>5
あれは惜しかった、豊臣政権さえ乗り切っていれば残ったのに。 大伴氏は非常に息が長い。
大和王権時代から平安時代まで中央貴族として継続した上、幕末明治維新まで
鶴岡八幡宮の宮司として続いた。 >>42
安積親王が孝謙天皇の夫になったら妻を抑えて強権を振るうのを怖れてだろう
藤原氏は藤原氏を外戚とする聖武天皇と藤原氏出身の妃との間の皇子に期待を寄せていて
光明皇后以降も聖武天皇のほうにばかり妃を入れていたんだよね
藤原武智麻呂の娘・南殿、藤原房前の娘・北殿などが
聖武天皇の妃になったがこちらには子が誕生しなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています