日本書記の記述を信じますか

1名無しさん@お腹いっぱい2012/08/26(日) 16:51:52.99
大和朝廷未満の歴史を抹殺している日本書紀を
日本古代史の教科書として信じますか。

287日本@名無史さん2017/04/10(月) 22:30:26.41
山東からだろ
近いんだから

288日本@名無史さん2017/04/11(火) 08:08:21.93
最近は遼東半島の方が可能性が高いと俺は見てるよ。

遼東半島南部では5000年前頃から稲作をしていて、4000年前頃に半島人自身で
漢江下流域に持ち込んだ可能性が高いと見てるよ。

なぜなら半島の土器文化は櫛目文土器にしろ、朝鮮無文土器にしろ、
遼東あたりの影響で成立した土器文化だし、朝鮮青銅器や支石墓文化も
遼東あたりの影響で成立した技術や文化だしな。

大海を渡海するリスクが無いのもあるしね。

289日本@名無史さん2017/04/11(火) 14:24:45.01
>>288
遼東半島は海に囲まれて意外に暖かいところ。
しかし、中国本土経由で遼東に来るには、
水稲が不可能な地域を通らねばならないことはない?

土器文化の流れと水稲の流れが同一経路であらねばならない理由は?
支石墓文化は北から。水稲は南から。どう説明する?

290日本@名無史さん2017/04/11(火) 15:25:02.55
陸稲だけでイイんだよ。

半島南部に入ってから、自然発生的に水稲に移行していっただけ。

自然環境によって栽培法が変わるのは栽培植物なら当然の事。

半島は朝鮮無文土器時代まで、ほとんど全ての文化が遼東の影響で成立している。

稲作も遼東からの影響文化だと見るのが自然だろう。

291日本@名無史さん2017/04/11(火) 17:39:31.54
>>278
揚子江下流の河姆渡遺跡(BC5000-Bc4500)が世界最古の人工的大規模水稲栽培。
BC3000までは黄河流域にまで広がり、BC3000以降に遼東半島、山東半島に広がる。
その延長に日本があり、BC1000くらいに日本に到着。
水稲による人類の蔓延りのスピードと考えられる。
単独で難民や長江から伝来した説は不自然。
青銅器の伝わり方が遅いのは威力がなく、人口が少ないから。
鉄は威力があり、人口も増えていたので伝わり方が早かった。

292日本@名無史さん2017/04/11(火) 17:54:55.54
『パロディ』ググってみたでしょ

「偉大なる人間芸術」(力夫氏の写真)
「せめて 人間らしく」
「人間だもの」

それと wiki『アイヌ』参照

293日本@名無史さん2017/04/11(火) 17:58:06.25
いつ頃の話なのか、わからないけど

妖怪人間のような扱いを
されている人々がいたとか、いないとか

294日本@名無史さん2017/04/12(水) 17:29:08.81
魏書東夷伝
弁辰の条「國出鐵,韓、濊、倭皆從取之」の倭は「弁辰與辰韓雜居,・・・其瀆盧國與倭接界」の倭であり、
倭人の条「倭人在帶方東南大海之中,・・・歷韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里。始度一海,千餘里至對馬國」
の狗邪韓國は半島内にある倭。半島内にある倭が鉄を取っていたと思われる。
半島の倭は製鉄技術を持っていたことになるが、半島の倭が列島の中央集権の出先であるなら、
6世紀とされている日本の製鉄技術はもっと早いと思われ。
5世紀の巨大古墳古墳の副葬品の鉄テイは瀬戸内と河内大和に集中するのは鉄は輸入していた証。
半島にヤマト朝廷が進出していたことが本当か日本書紀に尋ねたい。

295日本@名無史さん2017/04/12(水) 17:45:24.23
青銅器はBC2C、鉄器は1Cには日本で生産が始まっている。

弥生人自身が半島で習得して始めただけだろう。

296日本@名無史さん2017/04/12(水) 19:49:54.82
Wikipedia
「青銅は紀元前1世紀頃から日本で作られるようになり、製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)
頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、それから
時代が下り出雲地方や吉備でも製鉄が行われるようになった。総社市の千引かなくろ谷遺跡は
6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。鞴(ふいご)を使い、原料は鉄鉱石
である。製鉄炉の作り方は、これまで朝鮮半島からの導入と推定されていたが、近年の研究
により、中国北東部から伝わったとされている。」
は、日本列島でも西から東に伝わってきたことを示し、中央集権を否定している。

297日本@名無史さん2017/04/12(水) 21:36:13.04
淡路島の垣内(かいと)・五斗長(ごっさ)鉄器コンビナートや、その北に位置する舟木遺跡が稼働していたのは1世紀から3世紀頃。
舟木遺跡に関しては先の垣内五斗長遺跡が稼働停止後も暫く稼働していた事が確認された。

298日本@名無史さん2017/04/12(水) 21:43:38.01
神話の国生み。は、鉄器の武器を専らとする勢力により先ずは淡路島を最前線のベースとして従来型の青銅器武器を用いた在地勢力が制圧されて統治下に置かれて行った事を暗喩しているのではないか?
また、それらの立地からは明らかに淡路島の西から機内(近畿地方)を攻略する意図が読みとれます。

299日本@名無史さん2017/04/12(水) 23:51:26.91
>>289
山東から遼東は見える距離だぞ

300日本@名無史さん2017/04/12(水) 23:55:52.07
>>298
ないな

頭の病院に行ってきたほうが良いぞ

301日本@名無史さん2017/04/13(木) 12:13:18.76
鉄器生産技術と製鉄技術は違う。

日本の製鉄炉がWikipediaに在る通り、中国北東部から伝わったものなら、
半島の倭の製鉄技術が日本にもたらされたのではなかった。
壱岐市のカラカミ遺跡(1-3世紀)の精錬炉は半島南部のものに似ているらしいから、
半島の技術の延長にあり、古墳時代、日本は半島から鍛冶原料を輸入していた説を裏付ける。
日本での本格的製鉄が中国北東部から出雲や吉備に来てから、畿内との力関係がどうなったか。

302日本@名無史さん2017/04/13(木) 13:40:17.56
鉄テイを輸入し、鉄の独占提供で権力を維持していた河内大和の前方後円大古墳の盟主たちは、
吉備、出雲の製鉄で独占が崩れて、オヨヨとなった?

303日本@名無史さん2017/04/13(木) 20:49:41.28
漢は鉄官をおいて鉄の独占をして国を強力にし維持した。鉄の国力への寄与は大きかった。
同じことは日本列島でもいえる。鉄生産を出雲や吉備が始めたら、独占勢力は基盤が揺らぐ。
大きな権力抗争が生じてもいい。書紀はなにか書いてます?
書いてなければ、歴史書として頼りない、若しくは、権力闘争がないという平和な世界。

304日本@名無史さん2017/04/13(木) 20:52:03.98
まだ偽書なんて信じているのか
という書き込みを見たことがあるでしょ

305日本@名無史さん2017/04/13(木) 21:28:10.75
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

306日本@名無史さん2017/04/15(土) 21:17:38.30
>>303
製鉄文化の流入は出雲や吉備その他を栄えさせたことは確実でしょう。
国譲りなんていってますが、ヤマトが出雲や吉備その他を権力を集約したのは5世紀から6世紀なのでしょう。
そんな事実とは無縁で畿内に邪馬台国があり、ずうっとそれが日本を牛耳ってきたとしている
歴史の何がいけないのですか。どんな歴史の見方をしたところで、現代社会は変わりないのですから。
歴史はあいまいにしておくのが、最善なのです。それが書紀のときからの方針です。
倭人は曖昧にしておけば、あれやこれや考えて、結論がでないうちに死んで
次の世代が同じことを繰り返すのです。こういう世界が続くのです。

307日本@名無史さん2017/04/17(月) 15:08:25.88
中国で鉄を専売にしていたのは帝国の収入源となるから。
副葬品の鉄テイは交易品で経済的豊かさを表していたに過ぎない。

308日本@名無史さん2017/04/17(月) 15:20:12.45
本当に国を造った神々一族(人間)というのは、
どこへ行ったのか?

それと消された王朝など

妬み、嫉妬で何やらという話だよ、
『もののけ姫』の神殺しというのもそう

309日本@名無史さん2017/04/17(月) 15:49:10.77
気づいているはず

誰々の末裔などがいると危険、
色々と問題がありそう、
訴えられそうとか

それなら、いなかった、いない事にしよう

そういう話だと思う、近代的な話?

310日本@名無史さん2017/04/17(月) 16:01:38.02
よくあるでしょ

某家や某氏は何々の戦いで破れ、
滅亡しました

本当は末裔がいたり

311日本@名無史さん2017/04/18(火) 16:18:43.35
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

312日本@名無史さん2017/04/18(火) 20:57:12.27
信じるものは救われる

313日本@名無史さん2017/04/23(日) 08:38:55.39
唐の勢力版図拡大による朝鮮半島と日本列島の混乱の経緯
このへんに最も詳しいはずの天武天皇の時代に編纂が始まったわりには
あまりにも事実に触れていないというか触れたくないというか
モヤモヤとした内容で信じる気にはなれない

314日本@名無史さん2017/04/23(日) 14:07:48.85
それ以上に根拠のある資料がないんじゃ日本書記は胡散臭い!と叫んでもさらに胡散臭い妄想じみた説しか出しようがないからね

315日本@名無史さん2017/04/24(月) 12:26:38.71
https://blogs.yahoo.co.jp/longhistoryjapan/55796499.html

弥生時代には、各地の墳墓には地域特性があって、出雲・北陸、中部・関東、近畿・瀬戸内に区分される。
それぞれ、大王がいて、近畿・瀬戸内は、大和がその大王と考えられる。
4世紀後半から、5世紀にかけて、河内・和泉に政権が出来ているが、その文化・産業・土木は外来のもの。
大和は存続したまま、外来の河内・和泉政権(=倭の五王)が列島を統一した。
この政権の全国制覇を大和は後世自分のものにしたのではないか。
三韓征伐・熊襲制覇・倭武尊等の記紀の記述は倭の五王の業績に相当する。
河内・和泉政権は6世紀に入って衰えると、各地に、地方豪族が再び、芽をもたげ始める。
北陸の継体が南下し、大和に入るという現象が起きる(継体の陵墓は大和ではないが…)。
継体は、復活した筑紫の磐井を制したのは再統一に向けての争いではないか。
その後、百済崩壊までの権力の流れの推測はいずれまた考えよう。

316日本@名無史さん2017/05/08(月) 12:52:02.52
日本書紀が嘘っぱちだとすれば、雄略や武烈といった極悪非道な天皇をわざわざ捏造ででっちあげるという
不敬極まりないことを、当時の編集陣が、国ぐるみでやったことになる

これはやはり、少なくとも編集時点で史実だと信じられてたことを、そのまま書いたものだと思う
そうでなければ、異説のある部分について「一書曰」とことわって、いちいちその異説を列挙したりしない
初期天皇の異常な長命も、磐長姫の逸話と矛盾するわけだが、それを取り繕うこともなくそのまま書いている
それは、日本書紀の編集時点で、そのような矛盾した状態で伝わっていたからこそだろう
聖徳太子は遣隋使を派遣したはずなのに、日本書紀には「大唐」に派遣したと記載されているが
それも、日本書紀の編集時点で、そう伝わっていたから、そのまま書いたのだと思う

ちなみに、この2点、初期天皇の長命と、聖徳太子の遣唐の問題は、2倍年暦を想定すれば、みごとに解決する
https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11628573.html
この「第18表」のように、西暦692年の改暦以前は、いまの半年で1年とカウントしていたと考えて、
年干支をあてはめれば、日本書紀の編集陣が解決できずにそのまま書くしかなかった矛盾点は、ほぼ解消する

317日本@名無史さん2017/06/22(木) 22:26:43.10
>>169
記紀は根も葉もあるウソ。
とりあえず、神武東征は捏造なのは証明済み。
それから「倭皇」へ送られた国書も捏造なのは明らか。

318日本@名無史さん2017/06/22(木) 22:27:20.66
>>316
ならない。

319日本@名無史さん2017/06/24(土) 05:16:11.66
福永先生が記紀は豊国の歴史を書いた書物だって。
神武から卑弥呼、神功皇后など天武辺りまでの天皇陵は全て豊国にあるらしい。
記紀の言うヤマトとは英彦山のある豊国だってさ。

320日本@名無史さん2017/06/24(土) 07:24:21.06
豊葦原の瑞穂の国だから、確かに豊国かもしれん

321日本@名無史さん2017/07/10(月) 00:22:55.20
倭国は筑紫、豊国、肥国の3カ国が中枢を占めており、神代の巻は筑紫の天孫族の視点から書かれている。

322日本@名無史さん2017/07/13(木) 17:04:32.93
>>1
「白村江の戦い」
新羅は百済、高句麗に攻められ、唐に救援を求める、唐と新羅は百済を滅ぼす
倭は百済軍を救援するべく船団を出す、このとき倭軍は「敵は自ら退却するはずだ」と慢心していたので
白村江で唐と新羅軍に待ち伏せされ、火矢を食らって全滅した

「敗戦した高句麗と倭は、悔し紛れに石碑や歴史に嘘を書くようになった」
広開土王碑、「高句麗の好太王は戦わずして百済、新羅、倭を破り、服属させたという」
三韓征伐、「神功皇后は戦わずして新羅王を降伏させ、それを見た百済、高麗も服属したという」
3世紀にそれらの国は存在しない

「雪だるま式に増える嘘」
後世になると「三韓征伐」というおとぎ話がつくられ、なぜか日本は朝鮮半島を征服したことになっていた
日本人は授業で「三韓征伐」を教えられ「ファシスト」に洗脳されてしまう
大日本帝国は「朝鮮はかつて日本の領土だったのだから中国、東南アジアも我が国の領土だ」という理屈で侵略を拡大させる
激怒した米英諸国は日本に経済封鎖を食らわした

「高橋健夫が見た日本の開戦理由」
米英連合に石油の輸出を止められてしまった日本は、陸軍資源課の高橋健夫に国内の石油量を試算させた
このとき陸軍と海軍は、軍事機密を理由に石油量を教えなかったため、
国内の石油量は実態より少なく発表され、これに驚いた天皇と内閣は開戦を決議した
ところが、いざ開戦してみると、石油が足りないと訴えていた海軍はハワイから南洋まで広い範囲で活動していた

323日本@名無史さん2017/12/23(土) 23:07:37.91
日本書紀は魏書紀(北魏書)のパクリだった

324日本@名無史さん2017/12/24(日) 13:02:22.09
記紀の成立は
隋唐の確立から半島利権を放棄した白村江海戦を経て
唐帝国に対する、日本の国体の確立のために書かれている。

齟齬として
倭の五王が無いのは北朝の隋唐に対して南朝外交を伏せた為。
三国志、魏志倭人伝を読んで邪馬台国の九州王朝を皇統に偽装した。

ところが中国皇帝による歴史書は
日本が三国志を配慮して700年に記紀を書いたのに
1000年になって、魏志以降の隋唐書が成立した。

日本神話なんて中国史編纂者には歴史として理解できる存在ではなく
歴史ファンタジーとしてしか読めない。
日本はその時、記紀を訂正すべきなのだが、時すでにお寿司である。

現代人は事実を知っているのに、
古代偽使倭人の南韓に現代戦争で建国しちゃった半島の韓 や皇室に忖度して
記紀を古代日本の正史としてる不思議が存在する。

歴史を直視しても、戦後レジームから脱却できないのよwww

325日本@名無史さん2017/12/24(日) 16:12:12.20
何を言いたいのやらw

326日本@名無史さん2018/01/14(日) 11:12:26.24
第25代 武烈天皇
二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。
女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。

史実に決まってるだろ
嘘八百でこんなこと書いたら天皇家侮辱の大罪だ

327日本@名無史さん2018/01/14(日) 12:36:30.65
載せる日本書紀もまあアレだな

328日本@名無史さん2018/01/18(木) 15:19:52.36
日本書紀の執筆当時大王のいちおうの時系列的な伝承があったのは雄略以降

つまり当時の人間が史実とみなしていたのは雄略以降で
本来の日本書紀第一巻は雄略記でこれ以降が本史
中華帝国に我が国の歴史書だと渡しても問題ないまっとうな漢文

それより前の記は本史が書かれてずいぶんたってからおまけで足されたもので
いつの時代かもわからない日本列島内外の様々な逸話を
フィクションと中国の書のコピペの糊でつないだ創作物
漢文がまともに書けない人間が書いたため文章ががたがたに崩れていて
公式文書として中国人に見せられる代物じゃない

んな伝承など同時代の人間は誰一人聞いたことがない

329日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:18:58.34
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

4ZOOA

330日本@名無史さん2018/02/11(日) 21:43:51.30
漢文としてひどい文章である事が、もともとは純粋な口承だった事を示している。
記紀から判断するに神話伝承の最盛期は5世紀だろう。当時の日本語は漢文とは無関係に発達したものであり、そんな日本語だからこそ漢文に上手く翻訳出来ない。
雄略紀以降の文章が漢文として整っているとすれば、それはむしろ日本語伝承が衰退し次第に漢文が日本語世界を浸食し始めたからだろう。
実際日本書紀において漢文世界とは違う日本的な伝承は6世紀が近づくと減少する。古事記では本文自体が無くなり系図だけになる。

331日本@名無史さん2018/02/12(月) 15:24:43.81
全て事実。ただし都合が悪い部分は捏造。

332日本@名無史さん2018/02/13(火) 16:51:07.81
いつものことだろ

333日本@名無史さん2018/02/20(火) 07:24:47.54
王仁は捏造、それ以外は真実

334日本@名無史さん2018/02/20(火) 18:48:43.65
>>326のように天皇家に都合の悪い事実も堂々と記載されてるし、異説のある部分は「一書曰」としてちゃんと異説も紹介してる。
少なくとも、意図的な嘘はないと見ていいだろう。
しかしそれは、日本書紀編纂時点において、これぞ事実、として伝わっていたことを、当時合理的だと思われた解釈によって年代順に配列したものであって
書かれている事実がすべて真実であるとは限らない。

335日本@名無史さん2018/02/22(木) 11:15:42.76
>>330
痴呆老人かな?

口承の伝承がなんで中華帝国本のコピペだらけなんだよ?w

336日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:59:29.77
>>326 なんか中国史書からパクっただけでしょ

337日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:28:33.44
誰だったか、有名な学者が書いてた本に
「客観的に見て日本書紀の記述は信じられない」
ってそりゃ目一杯主観的な意見でしょw

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