信長の正室濃姫・まむしの娘の謎

1日本@名無史さん2014/04/01(火) 18:32:51.50
以前あったスレだけどいつの間にか消えてしまい
気になったので再スレ立て
昔のスレ住人はいるかな?

389日本@名無史さん2017/07/25(火) 18:29:36.92
387さんのレス準拠にしての話だけどお鍋の墓石とされている自然岩
本当は墓石じゃなくて墓地の飾り石だったのがいつしか墓石とされた
可能性はないのかな?

390日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:13:33.74
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391日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:49:52.25
お鍋の墓は別の場所にあったけど、後年にお鍋の子孫が
織田家の一族の墓所にあの自然石を置いたんじゃなかったっけ
まあ、生き残った家系の箔付けだけど
立派な供養塔を建てるのは遠慮したんじゃないの

392日本@名無史さん2017/07/26(水) 10:37:34.54
ただ濃姫が本能寺の変の後でも生きていたとするなら、
墓所は大徳寺総見院に置かれただろう

393日本@名無史さん2017/07/26(水) 11:36:50.01
信長墓所はそれこそ全国各地にある
息子の信雄は本能寺跡地に造ったし(移転先の現在の本能寺にある)
総見院は秀吉が造った墓所というだけ

お鍋の墓所が総見院にあるのもそういうことから
お鍋は大徳寺で行われた秀吉主宰の信長葬儀に信長の妻妾の中では唯一招かれている

大徳寺での信長葬儀に出席していない濃姫は秀吉からは遠かったというわけで
総見院に墓があるのは本来おかしい

394日本@名無史さん2017/07/26(水) 11:44:13.73
>>391
それって記録に残ってる?
養華院とお鍋が同じ年に10日ほどの差で死んでいるのが気になる

お鍋を故意に貶めたいのか知れないけど
子孫がわざわざ「自然石」を持ってくるってことはないでしょう

個人的には養華院はお鍋の可能性が高いと思っている

395日本@名無史さん2017/07/26(水) 11:44:37.94
養華院とお鍋は同一とは言うよね。
日付の違いは、初七日、とかでの
勘違いじゃないか、とか。
これはそうじゃないのかな。

大徳寺葬儀に呼ばれてない、というのは濃姫
早期死亡説の良い根拠とはなるわな。

396日本@名無史さん2017/07/26(水) 11:47:57.60
あとさ、もし濃姫が生きてたとして
清州会議にはどうして呼ばれなかったのだろう。
女の出る会議じゃない、という言い方はあるけど
織田家の跡目だったら一番発言権があるぐらいだろう。
美濃の所領をどうするかなんて、自分の故郷なわけだし。
あまり話題にはならないけどね。

397日本@名無史さん2017/07/26(水) 17:55:51.23
wikipediaによれば 『氏郷記』には、蒲生賢秀が本能寺の変直後に安土城から日野城へ
「信長公御台君達など」を避難させたという記述がある。

『総見院殿追善記』にも、安土城から落ち延びた北の方の記述が見られる。

さらに『妙心寺史』には、天正11年6月2日(1583年7月20日)に
信長公夫人主催で一周忌を執り行った記事があり、
羽柴秀吉主催とは別の一周忌法会であるため、興雲院(於鍋の方)とは別人と推測され

398日本@名無史さん2017/07/26(水) 21:26:46.89
>>396
最近では清州会議自体なかったとする見方が強いんだよ
史学界隈ではね
仮にあったとしてもそれぞれの確認だけの簡単なものでしかなかったとも
だから御台が出てくるような大きなものではなかったんじゃないか?

399日本@名無史さん2017/07/27(木) 00:05:48.27
確か清州会議は太閤記にしか出てこないんだっけか…

400日本@名無史さん2017/07/27(木) 01:02:57.38
ただ所領分配もあるからな

あと土田御前が、かつて信行を支援していたという失態で、女の政治介入を
嫌悪する風潮が織田家中にあったことと、
明智光秀が濃姫の縁者だったことで、
濃姫が信長死後の家督に口出ししにくかったのではないか

401日本@名無史さん2017/07/27(木) 03:04:20.80
養華院を信長御台とする根拠は總見寺に所蔵される織田家の過去帳『泰巌相公縁会名簿』の
「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七壬子七月九日 信長公御台」なんですよね。
一般的には戸籍制度が確立する以前は寺の過去帳がその代わりをしていたので、この過去帳はかなり信憑性が高いと思っています。
ただ養華院を「寵妾」と記した史料が存在することも事実なので、絶対とはいいきれないです。
個人的には織田家衰退とともに、濃姫の実子の子孫が存在しなかったことから仏事なども疎かにされ、
そのあたりの真偽が曖昧になってしまったから?

分限帳の貫高も信長正室にしては見劣りしますし、どっちかというと最高の貫高である御局のほうが濃姫ではと
子の徳姫よりも貫高が低いのは不自然だし、「局」は城の妻子が居住する空間をそう表現する場合もあるので、
安土城の局の長であった正室のことを示していると解釈できなくはないです。信雄の身内の女性で、公家出身で高貴な身分の女性はいないはずですし。そうなると安土殿というのは恐らく丹羽長重室あたり?
(輿入れに際しての化粧料とか)安土城は1585年までは織田宗家の城として機能していますから、
結婚当初丹羽室が安土殿と称されても不思議はありません。姉である徳姫より低い貫高なのも納得がいきます。
信雄の庇護下には自身の室や姫なども大勢いたところに母親や信長の妻子も加わったので、
分限帳ではこういう表現になったのではという臆測も成り立ちます。
千貫は現在で換算すると1億程度といわれていて、その他濃姫は御料所なども持っていたので
貫高的には妥当ラインだとは思います。

それから濃姫が岐阜で亡くなっていても斎藤家の菩提寺である常在寺に葬られることはないと思います。
信長生前に亡くなったとしたら墓はやはり尾張の織田家の菩提寺か、あるいは岐阜なら崇福寺あたりではないかと思います。
でも濃姫が亡くなったならあの言継が日記に書かないわけがないので、少なくとも信長生前に亡くなってはいないでしょう。

402日本@名無史さん2017/07/27(木) 04:57:43.75
寺の過去帳が戸籍の代わりをなしていたというのは詭弁かと
必ずしも正しいとか限らないし複数の寺に記載されているケースも
あるから一人の人間があっちにもこっちにもいたことになってしまう

あと信長の正室ならみたいな思い込みは捨てた方がいいんでね?
本人がそんなにいらないといえばそれに従うだろうし徳に関しては
家康との関係絡みもあるからそこらも考慮しないと

403日本@名無史さん2017/07/27(木) 12:01:29.84
>>400
光秀が濃姫の縁者だというのは否定されてるだろ

最近ではルイス・フロイスの「大日本史」にある通り
光秀は「細川の小者」で室町幕府の官僚出身だったとされている

404日本@名無史さん2017/07/27(木) 12:34:39.15
>>401
信長の妻妾達の墓は織田家菩提寺にあるとは限らない

・久庵慶珠…岐阜の崇福寺で織田信忠が7回忌法要。崇福寺は信長が建てた斎藤家菩提寺。
・生駒の方…尾張の久昌寺が墓所。久昌寺は実家・生駒家の墓所で信長が600石寄進。

例えば織田信忠が「久庵慶珠」なる人物の7回忌法要を行っている岐阜の崇福寺
織田信長が美濃の斉藤氏を滅ぼした際にその菩提を弔うために建てた
斎藤家菩提寺で信忠がわざわざ「久庵慶珠」の法要を行っている
信忠は濃姫の養子だったといわれるので「久庵慶珠」=濃姫
信忠が斎藤家菩提寺で死んだ濃姫の供養を行った説もある

405日本@名無史さん2017/07/27(木) 13:04:38.20
・永姫の母…加賀の瑞龍寺。永姫の嫁ぎ先である前田家の菩提寺。

前田利長正室である永姫は、前田家の菩提寺である瑞龍寺に
父・信長とその夫人、兄・信忠の墓を建てた
この信長夫人は濃姫の事かとも言われたが近年、永姫実母(信長側室)とされている
信長夫人=正室ということではないので注意

406日本@名無史さん2017/07/27(木) 13:20:22.97
>>398
清州会議って、信長ー家康じゃなくて
本能寺の後の三法師登場の時の
ことなんだけど、それもなかたってこと?

407日本@名無史さん2017/07/27(木) 13:21:07.42
>>403
肯定否定以前に光秀の出自に関しては濃姫並みにまともな記録が無さ過ぎて何も分からんだろ
どの学者も信憑性の低い資料の隅を突っつきながら論じてる状態だから何一つ断言できることがない

408日本@名無史さん2017/07/27(木) 13:27:27.13
>>400
ちょっと話変わって悪いが
土田御前が信長生母と言うのは
どこまで確定してるんだろう。

信行をだまして殺したり、信行と信長は
別腹としたほうが首巻がしっくりくる感じがする。
片や「折り目正しき」で片や「うつけ」というのも
どうも「対比」が主眼になってるような。
他にもいろいろあるのだけど。

409日本@名無史さん2017/07/27(木) 15:38:07.68
>>407
それは濃姫は光秀の縁者だと言ってる元ネタの400に言わないとw

光秀が濃姫の縁者だというのは江戸時代中期の「明智軍記」が初出
同時代史料のルイス・フロイス「日本史」のほうがまだ信頼できる

410日本@名無史さん2017/07/27(木) 17:13:29.77
>>406
意味がわからん
そもそも家康のことなんて俺はどこにも書いていないけど
どこから家康なんて出てきたの?

>三法師登場の時の
うん、だからそれ
当初から継ぐのは三法師で決まっていたからその確認ってだけで
言われているような侃々諤々はなく終了、所領分配もこれでいいかという
再確認でこっちは少しもめたけどその程度だった可能性が高い
誤解されやすいけど信雄と信孝の争いも織田家の跡目とかじゃなく三法師の
後見をどちらかがやるかが理由でどちらが織田家を継ぐかじゃないのも
書状などから判明している事項な

411日本@名無史さん2017/07/27(木) 17:23:16.64
>>404
斎藤家菩提寺は常在寺

崇福寺は織田家菩提寺で建立は鎌倉時代
信長が美濃を攻略する前に快川がこの寺にいたという
良質史料もあるけどそれについてはどう反論するの?

412日本@名無史さん2017/07/27(木) 18:10:03.36
江戸時代初期の『美濃国諸旧記』でも、
濃姫の母は明智家の娘である小見の方と出てくるがな

明智が細川の小者あがりであることを裏付ける史料はフロイス以外にあるのか?
細川家関係史料にあるのか?
ないなら信頼できんね

413日本@名無史さん2017/07/27(木) 20:08:34.82
>>412
そうじゃなくて、明智光秀が美濃の土岐氏一族明智家出身だという
史料がないんだよ

414日本@名無史さん2017/07/27(木) 20:12:28.62
>>411
崇福寺は美濃の土岐氏と斎藤氏が室町時代に建立したともいう
(実在が確実なのはここから)
斎藤氏が庇護を加え境内には斎藤利匡一族墓もある
織田信長が美濃を征服すると崇福寺も取り込んだため
信長・信忠の墓が同じ寺にある

415日本@名無史さん2017/07/27(木) 21:59:59.59
仮に光秀がその辺の馬の骨だったなら土岐氏の桔梗紋を勝手に使うのは不味いんじゃないのか
こじつけであっても土岐一族の端くれくらいではあったんじゃないの

416日本@名無史さん2017/07/28(金) 00:27:39.66
>>408
独眼竜正宗は実母義姫に毒殺されかけてなかったっけ?
同腹の弟の方に継がせたいとかで

戦国の女性は気性が荒いのかもしれん

417日本@名無史さん2017/07/28(金) 11:43:25.59

418日本@名無史さん2017/07/28(金) 12:48:11.97
明智光秀は土岐源氏である

419日本@名無史さん2017/07/28(金) 16:52:52.58
正妻同腹の兄弟争いは信長、政宗、家光が有名だな
時代は違うが源頼家も結果的に子供もいたのに弟に将軍職を奪われた
それぞれの家臣たちの対立から兄弟間の仲が悪くなってそこにいつの間にか
母親の依怙贔屓もあったと後付けされたというのもあるんじゃなかろうか
家にとって嫁は他所者だからお方様が悪いと悪人に仕立てあげられちゃったとか

420日本@名無史さん2017/07/28(金) 22:20:41.35
>>410
桶狭間の後の清須会議が
一次史料では確認できない、という話はよくあったからね。
そっちかと。
で、三法師の時の会議は別に、なかった、なんて
話しじゃないでしょしね。
当初から三法師に決まってた、とはあまり聞かない説だけど
誰が言ってます?あの会議以前に三法師はあまり
史料には出てこないとは思うけど。
書状から判明、もどうなんだろう、書状の解釈と言うのは
そこだけ見て書いてあることを判断するとおかしくなることも
多いとはおもうけど、「可能性が高い」というのは誰が言ってるんでしょか。

どちらにしても、会議がそこであった以上、内容はともかく
濃姫がもし生存してたら、出席しててもおかしくないと
思うのだけどね。

421日本@名無史さん2017/07/28(金) 22:28:11.08
>>419
首巻は牛一の、後付け、がかなり入ってる
だろからね。
確定しようがないし、公記に書かれていることを
そのまま受け入れるのも偏ってるだろし
まぁ、典型的な2次史料という扱いにはなってしまうけど。

いろんな兄弟争いがあるけど
あれだけ見事なだまし討ちという信長はさすがだ。

422日本@名無史さん2017/07/29(土) 10:12:44.96
>>414
斎藤違いだな

423日本@名無史さん2017/07/29(土) 11:17:52.61
>>419
足利尊氏・直義兄弟の争いが大規模だったな
全国を巻き込み直義死後も余波が続いて長期間続いた

424日本@名無史さん2017/08/09(水) 23:26:54.00
Wikipediaに書かれてしまってるせいか土岐頼純と結婚してたという説を
事実だと思い込んでる人がじわじわ増えてるっぽいのがなんかちょっとモヤる
道三の娘と結婚してただけであってそれが濃姫だという根拠はないんだよね

425日本@名無史さん2017/08/11(金) 00:26:06.97
>>424
別の本来の名前がわからなくなってて、
信長がつけた名前が『濃姫』として定着してるんだろう。

最近チラッと見たTVドラマで、小栗旬と芝崎コウのコンビので
濃姫は信長の前にどこかに嫁いでいたみたいな設定になってた。
あれは、wikiのせいだったのかー。

426日本@名無史さん2017/08/12(土) 23:46:20.96
道三の娘って10人以上いるのに、濃姫が一人娘みたいなイメージだからw

427日本@名無史さん2017/08/30(水) 18:49:53.54
正室・小見の方が産んだ娘としては、濃姫ただ一人

428日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:56:38.78
池田之助に嫁いだ道三の孫の母も濃姫と同腹かもしれないぞ?
之助の子から始まる天城池田の家老は新五の系統
この系統は蜂須賀家にも仕えていて斎藤も名乗ってる

429日本@名無史さん2017/09/29(金) 19:12:37.02
その阿波蜂須賀に仕えた人が大石内蔵助を援助したとして
史実確定している阿波藩士なんだよね
大石の母親熊さんもその斎藤の血を引いてる
ひょんなところで道三の血が世間騒がしているのがおもしろいよね

430日本@名無史さん2017/10/17(火) 23:38:55.64
濃姫は天正元年に亡くなったというのが有力という説が
昨日からTwitterで回ってるけどソースは横山住雄なのか
土岐頼純に嫁いでた説といいこの人の濃姫論は
全体的に異説というか奇説っぽく思えるんだがどの程度信頼できるんだだろう

431日本@名無史さん2017/10/18(水) 15:17:45.63
斎藤の女は糞ばかりだな

432日本@名無史さん2017/10/28(土) 12:57:29.77
横山と言うと、太守の寵姫、とかいう説の延長線上?

433日本@名無史さん2017/12/31(日) 05:30:59.56
斎藤がうぜー

434日本@名無史さん2018/01/12(金) 17:10:37.20
普通に考えて義龍<<<信長

435日本@名無史さん2018/01/15(月) 15:50:05.12
>>425
>信長がつけた名前が『濃姫』として定着してる

信長が濃姫をどう呼んでいたかは不明
濃姫は「美濃の姫」の意味で江戸時代中期頃からの呼び名

436日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:16:13.38
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

J21H9

437日本@名無史さん2018/02/02(金) 15:57:07.56
>>22
義龍の正室って誰?

438日本@名無史さん2018/02/17(土) 14:43:25.83
義龍 龍興はカスだし弱い
最強は信長

439日本@名無史さん2018/02/17(土) 14:58:15.43
斎藤の女は強欲で卑しい
人のものを平気で奪う下賎な集団
こいつらは山賊海賊となんらかわらん

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