>>520
沿海州南岸から島根あたりに伝わったと思しき前池式刻目突帯文土器はその後、
山陰一帯に広がるが、九州北部までは行かず、中国地方を縦断して岡山あたりに
広がり、四国の愛媛あたりにも広がった。

九州北部に行くのはその後で、九州北部に伝わったときには次の段階の山ノ寺式に
なっている。

渡来人たちが最初に広がっていった時系列的なシュプールではないか?