邪馬台国 畿内説九州説VS他説 [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/03/23(水) 18:08:04.22
大いに語らおう。是々非々でよろしくお願いします
初心者でわからない方も歓迎します。

わからない方もいますので「貼り付け」度を越さない限り歓迎します。



畿内説のへ、・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!


九州説の方へ、・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!

他説の方へ・・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!

246日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:16:18.97
>>244
広域流通の手段は船なんだよ。
当然、発展するのは海沿いの地域になる。
内陸の奈良盆地は取り残される。

247日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:22:59.59
https://jp.stanby.com/media/old-shop/

二千六百年がトンデモだとか…。一千年越えの歴史を持つ会社が九つもある事実。

248日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:27:22.53
盆地は取り残さる…。

古代の大阪湾は生駒の麓ちかくまで湾岸線の筈。更に大地震による巨大津波が…。震災後に高台へ拠点を置いたのが高地性集落。

249日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:30:22.18
>>246
基本的に内陸部は「山の幸」だけ。 塩も採れない。
一方、海沿いの地域は「海の幸」は勿論、「山の幸」にも恵まれる。
人が生きていくには、まずは「海沿い」だろう。  @阿波

250日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:32:25.33
>>248
津波の影響は一過性で、復興する。
奈良盆地まで引きこもることはない。

251日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:43:34.30
>>250
だかしかし、古代列島には航路に繋がる川がある。
これで見れば判るが琵琶湖から河内湾へと注ぎ込み複数の支流を持つ大和川は古代の物流に此れ以上ない要衝。しかも巨大津波の被害も及ばない。
https://jumgon.exblog.jp/14981226/

252日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:50:57.72
と言うか瀬戸内から更に東、東海関東の東日本に行くなら
大和川を遡上するのが近道

紀伊半島南端まで迂回するのか?

東西の接合点として奈良は外せない

253日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:54:48.22
>>251
大和川が琵琶湖から河内湾に注ぎ込むとか頭沸いてるのか?

254日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:56:29.63
>>252
土器の流れからは、東海は日本海側と陸地を越えて結びついているが、奈良は経由していない。
瀬戸内海と東海の交流が少ないのは、紀伊半島を回るのは難所だったからかもしれないね。

255日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:59:12.37
あと、関東へのルートは甲信越地方を経由したらしい。
筑紫に討伐された出雲の残党が諏訪に逃げ込んでいるね。
関東を最初に開拓したのも出雲だったから、古代の倭国では日本海勢力が優勢だったことがわかる。

256日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:00:14.74
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津

257日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:00:59.99
>>249
平城京跡から出土した木簡だが。件の川で阿波、淡國から調として納められていた模様。九州も機内も四国も古代倭国にとって重要な土地だったのは間違いない。邪馬台国等のまぼろし?を追うよりもな。
魏志倭人伝(他国の古文書)に惑わされず古代の史実を知りたい。

路国三原郡阿麻郷戸主海部□麻呂戸口同姓嶋万呂調塩三斗・○□○平寶字
五年十月四日

258日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:02:33.57
>>253
いいや。

259日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:04:40.17
>>254
>土器の流れからは、東海は日本海側と陸地を越えて結びついているが、奈良は経由していない

でもよく知られるように大和には東海系の土器が流れ込んでる

260日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:07:50.78
しかし瀬戸内海と奈良の関係は希薄である。
大和川は流通に用いられた形跡がない。

261日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:08:41.69
ちなみに弥生時代の人口の推定とか見れば東山道とか結構人が多いんだよな

交易港を擁した海岸沿いが発展し内陸は置き去りにされる

・・・なんてのは現代のイメージをそのまま古代に持っていってるだけ

262日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:12:52.64
>>261
やたらと広範囲な東山道を持ち出されてもコメントしにくいけど、甲信越地方は出雲の勢力が上越あたりから侵入していたらしいと、以前のレスに書き込みがあった。
関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。
諏訪経由でこの地方は発展していたが、奈良盆地はそのような条件には恵まれていない。

263日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:15:03.25
今のと古代の大和川は、、、まあいいや…()

264日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:18:01.76
>>263
付け替えだろ?

でも水位とか今よりも条件が良くだろう

265日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:24:55.22
でも纒向から瀬戸内系の遺物が出ない不思議

266日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:26:03.56
>>248
>震災後に高台へ拠点を置いたのが高地性集落。

一つの高地性集落が数世紀に渡って営まれてたりする
一時的な避難場所でもない

高地性集落=一時的な避難場所

というイメージなら大昔の異物

267日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:29:24.00
>>265
・・・?
手っ取り早くwikiだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1

吉備播磨西瀬戸内系と出てるが

268日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:13:37.60
>>253
>大和川が琵琶湖から河内湾に注ぎ込むとか頭沸いてるのか?

直接はつながっていないね
それは、少し筆が滑ったんだろう

大和川を遡って、奈良盆地に入り佐保川を遡っていった地域が、
垂仁天皇のときの狭穂彦の乱の本拠地の「狭穂」

そこからそれほど高くない平城山を越えた背後が、「山背」で
山背側の祝園も、崇神天皇のときの武埴安彦命の乱に地名説話が
出てくるヤマトの直接の勢力範囲

山背の木津川は、そのまま琵琶湖に行けるから、物流経路としては妥当だろ

269日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:15:28.79
>>255
>関東へのルートは甲信越地方を経由したらしい。
>筑紫に討伐された出雲の残党が諏訪に逃げ込んでいるね。

だったら、>>246
「当然、発展するのは海沿いの地域になる。
 内陸の奈良盆地は取り残される。」
は、否定されるね!
内陸も交通路になるんだろ?

270日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:18:11.78
>>260
>瀬戸内海と奈良の関係は希薄である。
>大和川は流通に用いられた形跡がない。

九州説側は、よくこの論旨を使うけれど、瀬戸内海と河内の結びつきは顕著なんだよ
そして、河内と大和は大和川で直結されていて、文物の交流も顕著
というよりも、一体として動いている

271日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:21:42.19
「大和+河内〜環大阪湾」の範囲が、畿内第V様式土器を共通に使う範囲
この範囲が、邪馬台国七萬餘戸の範囲として妥当

272日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:13:44.39
>>268
かつて豊臣秀吉が干拓するまで京都に存在した巨椋池(おぐらいけ/巨大な池で、池と言うより湖)琵琶湖から木津川で巨椋池へそして河内湾へ。

それは伊賀とも川で繋っていたと言う。

http://best-times.jp/articles/-/5468

273日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:17:57.20
>>272
スマン
木津川☓
宇治川○

274日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:37:38.50
>>262
>関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。

倭国(阿波)を発った忌部一族を祀る神社ですね。  @阿波

275日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:39:41.76
>>262
>関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。

その「出雲」も 倭国(阿波)を発った忌部一族の拓殖地ですね。  @阿波

276日本@名無史さん2018/05/19(土) 22:09:36.35
>>272
巨椋池が干拓されたのは昭和だが

277日本@名無史さん2018/05/19(土) 23:24:34.33
>>276
なんかそう思い込んでたけどちょっとググってみる。

278日本@名無史さん2018/05/19(土) 23:44:31.47
秀吉が行ったのは長大な築堤による宇治川と巨椋池の分離と
巨椋池内への築堤による街道整備だよ

279日本@名無史さん2018/05/20(日) 10:52:11.95
>>276
ありがとう、なんか記憶違いしてた。琵琶湖→瀬田川(宇治川)→巨椋池→浪速津河内湾は繋がってた模様。

上の方で、西遷、と言う事が出てたが古事記の「日を背にして戦う」神武天皇の件はひょっとして其れかも知れん。

280日本@名無史さん2018/05/20(日) 12:58:06.47
ひょっとしてって何が?w

281日本@名無史さん2018/05/20(日) 14:19:23.87
>>270
>九州説側は、よくこの論旨を使うけれど、瀬戸内海と河内の結びつきは顕著なんだよ

土器からは否定されるわけだが、何を根拠にそう言うのか?

282日本@名無史さん2018/05/20(日) 16:24:15.58
古事記の神武天皇の「(土蜘蛛征討?に)日の天子は東から回り込んで日を背に、、、」的な件を考えると「西遷」を示しているのかも。
しかし、更に考えると戦略ひとつで全方位から攻める事が出来る勢力を持っていたとも考えられるか。
葛城?の牙城を包囲するような勢力か、、、。

アカデミズムが伝説上の…と言う程なにか秘密が隠れてそうな気はする。

283日本@名無史さん2018/05/20(日) 20:44:26.10
もはや誰も止められないw
@阿波みたいw

284日本@名無史さん2018/05/20(日) 23:02:28.94
貶し合い専門の紋切り型のモン吉くんかな。相手せんとこ。

285日本@名無史さん2018/05/21(月) 07:21:30.31
>>282

伊都国の王城が高祖宮だとすると、倭王は高祖山から昇る太陽を背にして君臨することになる。
東側に山がある地形が太陽信仰にとって重要であったのかもしれない。

286日本@名無史さん2018/05/21(月) 07:44:51.85
太陽を背にしちゃいかんだろ、日向じゃないと

287日本@名無史さん2018/05/21(月) 10:06:25.71
纏向古墳群の東田大塚古墳と纏向矢塚古墳、箸中山古墳の主軸の方向が揃っていて、
きっちり夏至の夜明けの方角を向いてる

288日本@名無史さん2018/05/21(月) 10:32:58.51
それがどうしたんじゃ?

289日本@名無史さん2018/05/21(月) 12:09:51.69
>>286
いいんだよ。
天神は太陽を背にしなくてはいけないと神武がはっきり言っている。

290日本@名無史さん2018/05/21(月) 17:47:51.89
でもって、東田大塚古墳が、竜王山を向いてて、箸中山古墳が穴師山を向いてる
三輪山から夏至の日の出が見られるところに、大神神社がある
東の稜線と夏至の日のでは、いろいろと意識されてるっぽい

291日本@名無史さん2018/05/21(月) 17:50:22.84
東に山があるのが神仙思想だと孝霊厨が言っていたが、ますます九州伊都国説を補強するだけだった。

292日本@名無史さん2018/05/21(月) 18:30:00.30
>>290
偶然だな

293日本@名無史さん2018/05/21(月) 18:40:13.47
九州伊都国説がゴミすぎて笑えた

294日本@名無史さん2018/05/21(月) 19:08:54.85
>>293
具体的に何処が?

295日本@名無史さん2018/05/22(火) 09:34:14.44
>>292
>偶然だな

自分でも調べてごらん
東田大塚古墳から竜王山のラインには、きっちり渋谷向山古墳が入っているし
箸中山古墳から穴師山「ゲシノオオダイラ」のライン上には穴師坐兵主神社があるよ

296日本@名無史さん2018/05/22(火) 12:19:22.73
>>295
ラインに入ってるだけ


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