聖徳太子虚構説という邪説を徹底的に論破するスレ3 [無断転載禁止]©2ch.net
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手に持っているモノ、
それは確実に祭祀用のモノと言える 【LUNA-SEALDs】LUNA SEA・X JAPANのギタリストSUGIZOさんとシールズが共演!「選挙へ行こう」「戦争反対」と訴える
【T-nsSOWLから重大発表】
T-nsSOWLでは4/29(金)19:00より安倍政権の退陣を求める毎週金曜日国会前抗議を行います。
自分たちは思考しそして行動します。自分たちの将来を自分たちで取り戻すため声をあげます。
【生活と太郎となかまたち】 民意 対 政争 【自民/民進/維新/共産】
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト★レーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。
非常に間もなくマイト★レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト★レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。
彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。マイト★レーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、そして犯罪的雰囲気さえも創出しています。
新政権は民意を反映し、先に食物と住宅、次に健康と教育、最後に防衛です。国民を裏切ると、自殺につながります。
オスプレイの運んだ距離はわずか20キロ。2機で段ボール200箱。
「自衛隊は,高性能のCH-47ヘリを55機も持っていて,オスプレイの2倍の搭載量があり,かつてのゼロ戦よりも速いので,狭い日本では十分です。」
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイト★レーヤの任務です。 本当に肖像画の話になってくるね。
あの別人を描いたものという説。
『 聖徳太子 肖像画 』
http://www.google.co.jp/ 面白い話を教えてあげよう、たしか一ヶ月ほど前だったような
「□□勝□」
「□□ 聖」と書かれた、謎の封書が届いた
なぜか二人の名前が記されていた
母親「家には聖なんて名前の人はいないよ、間違えたのかな?」
そのまま捨てた、それだけの話 大体、聖も徳も尋常為らざる非業の死を遂げた貴人に贈られる諡号の最たる物。
要するに素晴らしい諡号(聖、徳、、、)を奉るから御霊が荒び祟らないでね。
と言うのが古代知識人の一般的な常識(認識)。 あの震災後、書かれていたでしょ
「聖人でも殺したのか?」
「親戚でも殺されたのか」 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) 1853 Shotoku taishi as Mithras聖徳太子=ミトラ神説+聖徳太子の実像by はやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
http://www.youtube.com/watch?v=dhfB81uEpUA&sns=em 日本人種とは言っているけど
聖徳太子(仮名)も日本人種ではないと思う グラグラとユラユラ→ネルヴァル『デルフィカ』
それと某ドラマ
「レモンをかじり ラミパス ラミパス」
数年前、このようなドラマがあったような 超能力者がバトルを繰り広げるドラマ。。。確か昔の6ch
『グラグラとユラユラ』 何者なのか、わからないけど、実在していたのかな
『レモン ラミパス ラミパス』 これは確定・・・『聖徳太子 肖像画 偽物』
あとペルシャ人説まであるけど、
実際どうなんだろう 『諸蕃』というのがあるでしょ
聖徳太子(仮)という人物も『諸蕃』だよ 魔法のペルシャ、それに河童だからね・・・本当に凄いよ 前スレ>>966
いや、ハガレンだと思ふ
ホーエンハイムでしょう バックレ具合がそっくり アレがしたい、コレがしたい、肉が食べたい
そういった理由から、実在しないことにされたの? 聖徳太子自身、日本人ではないんだろ
元々、日本人ではない。
当時、日本は無かった。
など 同じような話というか定説、確定?
『ワイによって助けられる』 >>43
確か遣隋使の時に和人が使っている漢字の発音がおかしいので(呉音、百済音)
改めさせた(漢音)んだよね
最初の頃の遣隋使の使者の言ってる事がわからないというのはあり得る話ですね 聖徳太子は何という家の生まれなの?
姓 氏 名字のようなものがあるでしょ 天皇家には性も氏も名字も無いよ
上宮王家という通称はあるけど後の人が名づけたもの あったあった、あのモンハンと言うゲームね
王族何やらという装備などのこと? 確実にそうなってくる
「月読神社 画像」
googleなどで調べてみてよ 聖。徳。
、、、どちらも尋常ならざる非業の死を遂げた貴人(無念や怨念を抱いての死)に対して(殺った側)が(祟らない様に)贈る諡の定番。 『サイバーパンク SPECIAL』というコミックがあるでしょ
なぜか右目の無い、キャラクターが登場する ・文目 アヤメ 『祭文』
・『位置が来る』で調べてみるとわかるでしょ
白蛇 元深紫・・・etc 本当に、そういう話になってくる
モレ(仮)の妹というと
5月15日生まれ、あなたの妹は違うでしょ
兄はいるの?何月生まれ?どこに住んでいたの?・・・その他 老婆が言うには、
モレ(仮)の家も、むか〜し伊達郡というところに住んでいたんだよ
山の上のほうだと言っている 老婆「銀とかいうのもいたよ、家に凄い刀が飾ってあった」 詳しい事は、わからないけど、
なんとかグリーングラスというキャラ人物?もいるでしょ
『ポッター グリーングラス』 老婆が言うには
「この写真がそうだよ、お前の家の先祖」
あの謎の、キュウリのような葉、葱の華・・・etc しかしどうなのかねぇ?とりあえず、仮にまず
「いなかった」と考えてみたら、「どうして
そういう人物を作り出す必要があったのか?」
ってところを考えてみるべきなのか。
とりあえず安直に思いつくに。
蘇我馬子の功績を減らすため・・・とか?
ようは12階とか17箇条とか本当は馬子が作ったんだけど
曽我氏の功績にしたくないけど
歴史には記さざるを得ないんで
厩戸という人物をつくって功績をスライドさせたか?
そもそも「馬・子」と「馬・宿(厩戸)」って
いかにもとってつけたような名前だよなぁ。
ウマコのペンネームがウマヤドだったんじゃないの?って感じ。 厩戸皇子の実在が疑われてるわけじゃないぞ
その功績が疑わしいんだ
日本書紀にしか記載のない蘇我馬子は存在も疑わしいが どうかねぇ、そもそも案外、厩戸の段階でいなかったりして。
前の書き込みから、なんでこんだけ太子が伝説づけされてるかって
もう一度考え直してみたら。やっぱ宗教なんじゃないかと。
例えば日本でプロレスを普及させたいと思ったら
海外の人気レスラーを連れてくるだけじゃダメで。
力道山みたいな日本人のレスラーヒーローを作り出さないと行けない。
そうじゃなきゃ、日本人の人気は出ない。いくら「仏教は尊い尊い」と訴えても
「じゃあ、日本で極楽いけた聖人が一人でもいるの?」って聞かれたら
とりあえず、「この人なら輪廻から抜けられたはず」って言える人物を
一人はでっち上げないといけない……それが太子だったんだろう。
力道山が主人公なら、ヒール・レスラーが異教徒である守屋だよね。
(聖徳太子と守屋のプロレスの図が成立してる)
ようは、聖徳太子は日本版シッダールタ王子であり。
ゾロアスターやイエスみたいな宗教的な教祖なんじゃないかと。
(子孫が残ってないってのも教祖的には都合いい)
太子の数々の伝説は、プロレス用語で言うならギミック。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9)
「ジャングルの奥地で生まれ育った」とか「試合で何人も噛み殺してる」
「痛覚を持たない」みたいな設定な訳で。
仏教用語で言えば「方便」って奴だね。
子供を火事から救うために「おもちゃがあるよ」って嘘をついて呼びかける様な。
「人々を結果的に救うんだから、まあ良い嘘もあるかな」ってノリ。 プロレスの「ギミックやブック」に突っ込むのが無粋な様に。
太子の嘘もあきらかに作り話なんだけど、「方便」なんだから
突っ込むのは無粋だったのかも知れない。
でっち上げたとしたら蘇我馬子なんだろうけど、
その後の古いお寺や藤原氏その他も仏教普及のためなら
その伝説を否定せず、同調したままにするかも。
気なるのは、厩戸皇子のギミックが
出生譚と名前にも及んでる事だよね。
かりに現実の厩戸皇子がいたとしたら、
当然、もっと普通に生まれてきてるはず。
(あくまで人間なだから)
名前とセットな出生譚があると、まるで名前が
先に決まってて、あとから出生譚を考えた様。
(もちろん、名前の連想から後世に出生譚が出来る場合も
あるんだろうけど。亡くなってから100年程度なんだよね)
馬子が考えて、ウマ・ヤドにしたんじゃないかと。
斑鳩寺も馬子の製作だったりしてね。 で、初めから、宗教的なカリスマ聖人として作られた場合は
そもそも、モデルの人物がいなくてもいいのかも。
むしろ居ない方が都合いい場合もある。
(現実の人間だと、都合の悪い生臭い話が
残っちゃってたりする場合もあるし)
馬子の業績わけて。お寺なんかも口裏あわせて
その伝説の人物の名義にしちゃえばいい訳だし。
プロレス普及のために日本人ヒーロー・レスラーは必要だけど
必ずしも日本人が演じる必要は無い訳だ。
聖徳太子が仏教普及のために作り出されたヒーローだとしても、
必ずしも実在する必要は無い。 日本のような閉じた村のような世界で、適当な話がまかり通るかねえ
そんな話し聞いた事ありまへんなぁ。嘘っぱちやん。と見破られそう
元になる話から広がるのならありえそうだが 蘇我馬子は日本書紀以外の資料には一切出てこないからな >>72
カリスマ聖人を作り上げた人は誰なんでしょう?むしろ、憲法十七条やら冠位十二階を
作れる才能のあった作者が天才ですね。そんな天才は後世に名を残してたと思うんですけど? やっぱ馬子じゃないかと思うんだけどねぇ。
太子と馬子ってセットで動いてそうだし。
なにかおぜん立てするなら馬子ぐらいの力が無いと無理そう。
先に飛鳥寺とか作ってた訳だし。
推古天皇はバリバリの神道派で
あんま仏教すきじゃなさそうなイメージだけど。
http://nihonsinwa.com/page/1859.html
>今當朕世、祭祠神祗、豈有怠乎
今の私の時代となって
神々をお祭りする事をどうして怠れるのか 推古14年5月5日に、鞍作鳥に詔して、「自分(推古)は仏教を興隆させたいと思い、寺院を建立しようとして、
まず仏舎利を求めた。そのときおまえの祖父の司馬達等が、即座に仏舎利を献上してくれた。・・・・」
とあるが、あれれ。。。
敏達13年、「・・・・このとき達等は、斎食の上に仏舎利を見つけた。その仏舎利を馬子宿禰に献じた。」
推古が馬子の事績をパクってるよ。 そこで馬子天皇説ですよ
当時天皇だったのは馬子で推古はただの皇室の姫に過ぎなかった 馬子の要求を推古天皇が断った話もあるけど。
逆に言えば、それまで大抵の事はそのまま従ってた様だし。
やっぱ立場としては馬子のが上だったんじゃないかな?
http://nihonsinwa.com/page/1926.html
>(即位32年)
>「今、朕は蘇何(ソガ=推古天皇は蘇我氏の出身)から出た。
>大臣は朕の舅(オジ)です。大臣の言葉を、
>夜に言えば夜が明けないうちに、朝に言えば日が暮れないうちに、
>その言葉を用いたいと思っている。
>しかし、今、朕の世に、この県を失ってしまえば、後の君主が
>『愚かな、白痴の婦人は、天下に君臨して、突然にその県を滅ぼした』
>と言うだろう。どうして、朕が賢くないというだけだろうか。大臣も
>不忠だと言われるだろう。これは後の時代に悪名となるだろう」
>そう言って、聞き入れませんでした。 天皇を、儒教思想に基づいて神格化したのは聖徳太子が初めてでしょ?それは、蘇我氏の
暴走を防ぐためでは? 聖徳太子、10人の話を同時に聞いて
正しい返答できたってほどの賢い設定なのに
いざ、17条憲法読むと全然賢そうにみえないのな
なんかまとまりのない条文が続くし
しかも所々が儒教や仏教からパクッてるらしいじゃん
実際のところ賢い設定を頭に入れてから
17条読んで「え、こんなもんなの?」って誰でもガッカリするもんじゃない?
10人の訴訟聞いても「お前ら喧嘩するな」とでも返答すれば
そりゃ確かに正しい返答なんだろうが >>82
何で賢そうにみえないの?聖徳太子がしたことは、放っておくと人間は舛添みたいに、私腹をこやし
税金をちょろまかし、傲慢になるから、謙虚で国民の模範となるように清貧に生きなさい
と説いているわけで。 >>82
自分のために書いたんじゃなくて官僚のために書いたんだから
>17条憲法読むと全然賢そうにみえないのな
てのは当時の官僚が賢そうじゃないってことになる 17条憲法が聖徳太子作でないのは確定だよ
文章の書かれた年代が700年頃だからね >>85
では、誰が作ったのですか?原型を聖徳太子が作って、その時代に合った単語に書き写している
内に多少の変容があっただけでは?
その、少しの変容を「おかしい!」「何か裏がある!」と騒ぎ立ててるだけでは? そもそも、当時の人も本当にあった話を知りたいわけで、嘘で固めた話を知りたいわけではない。
それなら、書き残す意味がない。
天皇の正当性を訴えるのなら、聖徳太子が存在したこと自体書かないで、天皇の所業に書き換えれば
いいわけで。 >>88
馬子など蘇我氏の墓は円墳などで天皇家の前方後円墳ではないでしょ? 720年の時点で聖徳太子を書かなければならなかったということは、聖徳太子の名が100年後
にも轟いていて、書かないということは考えられない社会情勢だったからでは?
嘘を書けば反発もあったはず >>89
最後の前方後円墳による天皇陵は欽明ですよ。 紙幣でおなじみの聖徳太子 身長は推定180cm体重78kg
http://news.nico video.jp/watch/nw2284399 そんな呼ばれ方してなかった→天皇全員死後の諡号です
そんな伝説ありえない→古代の出来事はだいたい伝説の類です司馬小説の登場人物も脚色壮語です BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 蘇我氏を倒して政権を取った藤原氏が、馬子の業績を全部 架空の人物に仮託した。
藤原不比等が創作した人物。それが聖徳太子。
歴史家はみんな解っているのに言い出せない風潮が歴史学界に残っている。
天皇家に関することはタブーだからね。
「聖徳太子」がいないというのは、クリスチャンにとっての「イエスはいなかった」と
同じような衝撃だからねえ。 スレチになるが今回の今上陛下の生前退位の件も同じ。摂政の設置で十分なのに
自分の「象徴天皇制」論をああいう形でぶちまけられたら、「あんた、それ無理筋でっせ」
とは言えない。明仁さんは崩御後に後世の史家から批判を浴びることになるだろう。
そのころには「聖徳太子」も武内宿禰や真田十勇士と同じ評価になるだろう。
この議論は歴史論争ではなく、日本人論 社会学マターである。 >>95聖徳太子いなかった説ってそこまで否定してるんか〜
後世の山背大兄皇子と上宮王家の存在はどう否定するんよ
次の王位を争うくらい有力で裕福な勢力だったのは遺跡(というか現存の寺すら)も多いし間違いない >>97
山背大兄皇子の父宮(氏名不詳)と「聖徳太子」は別人という話。
徳川家康ではないか、系図操作で山背の親父と「聖徳太子」を強引にくっつけた。
架空の人物と実在の人物を重ね合わせて 「聖徳太子」を実在化させたのが
日本書紀作者の筆力の賜物であるわね。 正直、聖徳太子が居たかはわからんけど、
十七条憲法はあったのかもね。
(随書に出てくる十二階は当然、有ったとして)
日本書記の編集段階で、でっち上げたにしては、
十七って数字が中途半端すぎるし。
(十とか十二とかのが数字の見栄えがいい)
むしろ、もっと綺麗な文章にもしそうな気がする。
問題は、日本書紀の推古紀の漢文ミスと同じな点だけど。
おそらく、作られた当時は万葉仮名の
和文だったろう(古事記みたいな書き方の)。
それを日本書紀編集時に推古紀の編集者が
即興で漢文に訳したとしたら、文体に当時の用語や
同じ漢文ミスが有っても、おかしくは無い。
遣隋使の時も、万葉仮名の和文しか記述がなかったこそ、
隋には見せてこなかった可能性もある(見せても読めないし)。 十七条憲法は書かれた時期が700年頃とほぼ確定してるんだがな
使われている単語から書かれた時期を推定出来るからな >>101
現代語訳した帝国憲法みたいなものちゃう、それ 後世法隆寺や四天王寺らが神格化したとか
業績はすべて馬子ら蘇我のものだったとかならまだわかるけど
居なかったとする積極的な論拠が全くわからんな 居なかったって言っても「日本書紀で述べられているような聖徳太子は居なかった」
という意味で「厩戸皇子が居なかった」まで言ってるのはごくごくわずかだから 景教徒の渡来人が推し立てた皇子と云う意味での聖徳太子は居ただろうな(`・ω・´)
母親の名前も何やらバタ臭い顔立ちをイメージさせるし上手い事オオキミに種付けさせたが姻戚間の格付けでは新参で低く世継ぎになれる程では無かったんだろ(´・∀・`) 聖徳太子て親が異母兄妹でその異母が姉妹なんでしょ?すげぇインブリードだけど病弱じゃなかったのかなぁ? ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 聖徳太子というのは厩戸を神格化したときの
スーパーサイヤ人的な呼び名なだけなのに虚構説とかつまらないのぅ 呼び名はどうでもいいんだよ
実際に何を行ったのかが大事 聖徳太子は蘇我馬子の長男ですね。蝦夷の兄ということになります。
”厩戸”というのは「馬子んち」って意味です。 蘇我の血を引いていることは認めつつ男系だったのを女系に差し替え、
蘇我の男系の功績・功名が徹底的に歴史に残らないように造作した不比等の勝ちですね。
フジワラ(百・済+倭・国)は人類史上最強と呼んでもいいナンバーツーファミリーになれました。 >>115
何を言っているのかわかりませんけれど、
日本に朝鮮の血は入っていませんから。 聖徳太子が居なかったとかいう人は、韓国の反日史観に迎合してるイデオロギー的な人だし
百済が大和朝廷作ったとか皇室作ったとかいう妄言のレベルと一緒 (日本書紀に書かれているような)聖徳太子は居なかった
というのを理解出来てない奴がいるな 平気で蘇我氏を虐殺し何が和を以て尊しとなす、だw。日本書記が
律令制度植え付けるために必要だからデッチ上げた。 >>115
馬子、蝦夷、入鹿はやっぱり大王だったんかもね
それなら遣唐使についての記述の説明がつく 古事記が推古で終わってるのはそこで何かが終わったから 聖徳太子の事績も捏造されてるんだってね
厚く三宝を敬え 仏法僧である
これが捏造、 捏造ばっかりで嫌になる。
神儒仏を敬えというはずが
坊さんが気に入らなくて書き換えた… 推古が75歳で死ぬまで皇太子を決めてないって、いくら何でもおかしいだろ
しょせん推古は中継ぎですよ >>126
そこで出てくるのがヤマト王朝の推古絶滅説ですよ 皇太子なんてものはそもそもなかったと
そもそもこの時代はまだ天皇称号がなかった
初代天皇は天智かな?天武かな? 聖徳太子虚構説ぶちあげたオヤジがそれでメシ食ってかなきゃならんから
無理やり、白い巨塔バリに学閥押して、タブーを言ったら干されるぞ、みたいになっただけだろ?
それを言えば今の時流に乗れるとかみたいなかんじ。
聖徳太子は実在したんだよ。 大体、日本書紀の記述以前の人物を疑いだしたらきりがない。
蘇我馬子は存在したか、とか、蘇我入鹿がほんとうに中大兄皇子に暗殺されたか、とか、疑えばきりがない。
聖徳太子は贈り名であるから、日本書紀以前の史料で聖徳太子の名がないのは当たり前。
それでいて、厩戸皇子は存在し、彼が17条の憲法、冠位十二階を制定したことは認めている。矛盾している。
また、隋書に聖徳太子の名がないことが、聖徳太子はいなかったという説の根拠にしているにいたっては、むちゃくちゃである。
四天王寺や法隆寺を建立したのは聖徳太子であるという話を否定するには、じゃあ、誰が建立したのという疑問に資料で答えねばならない。
そんなもの、あるわけない。
厩戸皇子の存在を否定する史料を出さない限りだめだな。 この時期を確定できてさたなら
それはそれですごいが、妄想ばかりやな 畿内に厩戸皇子が、
筑紫にアメタリシヒコさんが、
居たってことだろ。 >>122
> 古事記が推古で終わってるのはそこで何かが終わったから
に賛成。これに付け加えると
古事記本文が顕宗天皇で終わっているのは当時実際に何かが変わったから。 聖徳太子虚構説は
裕仁という名前の人物はいても昭和天皇という人物はいないから昭和天皇は架空の人物って言ってるくらい屁理屈 その屁理屈で言ったら
孔丘という名前の人物はいても孔子なんて名前の人物はいなかったから孔子は架空の人物って言う孔子虚構説を提唱してもいいくらいだ それは虚構説ではないよ
聖徳太子不在説とでも言うべきで完全に別物 ちょっと、横レスさせてもらう。>>140
144氏の言う 虚構説と不在説の違いがわからんのだが、おれが理解するに、
「聖徳太子虚構説(不在説)」というのは
@ 厩戸皇子は存在した
A 「聖徳太子」の事績(冠位十二階の制定など)は存在しない、または他人の事績
B 日本書紀の編纂者が、厩戸皇子を推古天皇の皇太子だと捏造した
C 日本書紀の編纂者が、Aの内容を厩戸皇子の事績とした
ということだと考える。
どうもおまえさんは、この説に反証が出来ないために、虚構説(不在説)派が認めている厩戸皇子の存在を理由に
上記A〜Cに反証したつもりになっている。
このスレをわざと誤読しているのか、そもそも理解力が人より劣っているのかわからにが、
もう少し論理整理したほうがよい。 >>144
おれが理解している>>145は虚構説 不在説のどちらになるんかね? 厩戸皇子はいなかった、というのが不在説で
このスレでは不在説は無視していいよ >>147
今観れたw おれのパソが一時的に疲れていただけだったw
そのサイトの分類で行くと、俺の理解は第1の説に近いな。第2の説は、
「聖徳太子」の事績を厩戸皇子の事績としているから賛成できんな。
冠位十二階と十七条の憲法の存在有無と聖徳太子存在・不存在論争とは一旦切り離した方がいいな。
第2の説はここが整理できてないな。
>>149
じゃあ、おれの理解は「聖徳太子虚構説」だな。アリガト。 >>139の続き。
古事記と日本書紀を読むと、雄略天皇の時代に至ってまつりごとが不安定化し、顕宗、仁賢、武烈天皇と次第に「王権」が弱体化して遂に継体天皇に至ると言う事情がうかがえる。だから顕宗天皇時代あたりで実際に何かが起きたのではと想像したくなるんだよ。
しかしこれは単なる想像でしかない。きっかけ、を話してみた。 >>139を詳しく言うと
A 顕宗天皇当時に何らかの政治的社会的変動がありそれは口承の世界に及んだ。
B その影響がはるか後世の古事記編纂にまで及んでいるから、古事記本文は顕宗天皇で終わっている。 2016-12-0312:28
サイエンスZERO▽日本人のルーツ発見!〜”核DNA解析”が解き明かす縄文人 聖徳太子の生前、太子の等身大に作ったとされる
法隆寺の救世観音像を見ると、身長は180センチ
で顔立ちは日本人離れしてるな。
どういうことよ? >>155
聖徳太子らはユーラシアの覇者
「北方ユーラシア文明」から日本に降り立った一族。 顕宗天皇時代までの伝承と仁賢天皇時代以降の伝承。この2つは成立根拠とか性格がもともと違っていた。古事記はこの2種類をごっちゃにせずに前者だけを採用した。日本書紀は公平・冷徹であるべき歴史書だからすべての伝承・記録を公平・冷徹に判断し採用し採用しなかった。 以上が「古事記は古い形式を厳格に保存している」と言う仮説。
他方聖徳太子虚構説は「推古天皇時代は文明開化的な空騒ぎがあっただけの平凡な時代だった」と読み替える事が出来る。しかしそれに真っ向反するのが推古天皇記で終わる古事記。
すなわち古事記の信憑性と聖徳太子の実在は遠い所で繋がっている。 大ざっぱな話をするならば、歴史上の聖徳太子に特に謎と言うものは無い。しかし強いて謎と言うならば、なぜ日本書紀は聖徳太子を超特別扱いにしたのかが大問題だろう。
冷徹なる日本書紀編纂者が聖徳太子だけは超特別扱いに値する人物だと冷静に判断したから、がその答えだと俺は思う。 斑鳩寺を造り、海外と交渉していたのは、厩戸だと考えられる。
案外、法隆寺を掘り起こせばいろんななものが出てくるんじゃないか(世界遺産を壊せないからね…)
ただ、聖徳太子の末裔がひとりも残っていない事実が謎を助長する。
ひとりも?ひとりくらいは残らなかったか?
一族郎党が死ぬために戻ったとはやはり考えにくい。 >>158
注意)
仮説上に想像を架すと言うのはどうかと思うが一応、注意されたし、と言う事で。
いくら万機を以て悉く委ねられた聖徳太子と言えども、古事記と言うか原古事記と言うか伝承制度と言うか、それを終わらせる権限は持ってない。
古事記が推古天皇記でおわると言う事象は「おわりだのみやにましましてみとせあまりななとせあめのしたしらしめしきとよみけかしきやひめのすめらみこと」の判断のみにかかっていた
と想像される。そこは誤解無きよう。 歴史上の聖徳太子に対する疑いは、疑わしい、大した根拠は無い、すべて誤りと言うのが俺の見方だ。しかし積極的に聖徳太子の実在を証明する材料、複数の同時代史料とか考古学の成果とかが無いのも事実。
「推古天皇は実在したのか」などなど記紀全体を根こそぎ疑うのは別の巨大すぎる問題だね。 後継者指名の習慣はこれ以前もこれ以後もしばらくは、無いだろ。 ちなみに「推古天皇は聖徳太子を皇太子とした」と言う記事だけは、聖徳太子関連記事で唯一かも知れない日本書紀の捏造だと俺は思っている。 >167
何故そう思う?
厩戸好きの私は、推古が長生きしちゃっただけだと思いたい… 6世紀、皇太子制度は断続的ながら一応は有ったみたいだ。聖徳太子は摂政でなかったと仮定するならば、有力皇族である聖徳太子は一応、皇太子だろう。
無論、聖徳太子は摂政だった。その場合は難しい。言わば「6世紀の日本における摂政イメージ問題」だ。当時、万機悉委に関して周公旦か神功皇后のイメージしか無く、年長の聖徳太子が摂政に就いた場合、聖徳太子は天皇にならない。 実際には推古天皇の甥、蘇我馬子の妹の孫である十九歳(だと思うが)の聖徳太子が特別な地位に就いた。判断しかねる問題だが、少なくとも聖徳太子は次期天皇だったと断言するのは無理だと俺は思う。 うーん、でも、そもそも用明天皇の長男だし第一皇子だしお父さんが亡くなった時、19歳だったんだよね…
なんでそこで即位しなかったんだろうか? 聖徳太子と言う人物の在り方に摂政はせっせと勤めるが皇位には就かないと言う姿勢がある。江戸時代にたとえれば次期将軍候補の一人が蘭学に凝った挙げ句、ついには間違いだらけのオランダ語で「御公儀改造法度大綱」「和蘭陀国憲法義疏」を書いたようなものだ。 隋書倭国伝の解釈だが高位の人物が三人記述されている。日本では極めて稀な事だがその高位三人全員が隋使に接見したから特に報告されたのだろう。
隋称倭王は大臣蘇我馬子。
隋称王の妻は推古天皇。
隋称太子は摂政聖徳太子。
後宮の女六、七百人とは推古天皇が接見した際ぞろぞろついて来た天皇お付きの女官。
ついでだが「倭国」と言うも隋称。 日本書紀と隋書倭国伝の記述に大きな違いがある原因。
1 日本側が意図的に説明しなかった。
2 中国側が日本側の明快な説明を理解しなかった。
3 そもそも仮に流暢な通訳が存在しようとコミュニケーションが困難。
以上3つは外交の問題点。以下2つは記録・報告書・史書の問題点。
4 中国側が故意に事実をねじ曲げた。
5 日本書紀に巨大な歴史捏造がある。豊御食炊屋姫は天皇ではなかった。
4だが、隋唐にとってどうでも良いはずの遠い外国の内情を故意にねじ曲げるはずが無いと思うのはあまりにも素朴だ。記紀を疑うならば中国史書も疑われるべき。
5の立場は俺は取らない。もっとも日本書紀は第一回遣隋使とか日出処天子国書など、小さくない歴史隠蔽(≠捏造)ならば確実に行っている。 日本書紀と隋書倭国伝の記述に大きな違いがある原因。
1 日本側が意図的に説明しなかった。
2 中国側が日本側の明快な説明を理解しなかった。
3 そもそも仮に流暢な通訳が存在しようとコミュニケーションが困難。
以上3つは外交の問題点。以下2つは記録・報告書・史書の問題点。
4 中国側が故意に事実をねじ曲げた。
5 日本書紀に巨大な歴史捏造がある。豊御食炊屋姫は天皇ではなかった。
4だが、隋唐にとってどうでも良いはずの遠い外国の内情を故意にねじ曲げるはずが無いと思うのはあまりにも素朴だ。記紀を疑うならば中国史書も疑われるべき。
5の立場は俺は取らない。もっとも日本書紀は第一回遣隋使とか日出処天子国書など、小さくない歴史隠蔽(≠捏造)ならば確実に行っている。 ダブってしまった。それはともかく
隋書倭国伝の倭王・王妻・太子と言う実際に訪ねたにしてはいささか奇異な記述は、蘇我馬子・推古天皇・聖徳太子実在の証明にはならないだろうが傍証程度にはなると思う。 >>174-175
支那、な。
「中国」は支那の一般名称ではない。 されば拙案の足らざる所を御指南され沢存上候。
注)間違ひだらけの候文なり 皇位についていないという捏造をするために
あえて聖徳太子、摂政という肩書きを与えたという見かたもできる
何故その方向で誰も考えようとしないのか不思議なのだ 聖徳太子という存在は捏造側にとって今も邪魔だから
今度は無きものにしようとしているのではないのかとさえ思う >>1
殆ど作文だともうわな・・・・現実は全く違ったと思える >>140
この時代は文字も使える人は少ないし捏造し放題・・・殆ど作文の領域
現在でもトランプのイメージはマスコミによってなんぼでも変わる AD710以前は殆ど解らないというのが正しい歴史認識 聖徳太子は反漢人の姿勢だから亡き者にされつつある。 そもそもさあ、聖徳太子と馬子って純粋に業績で比べたら
どっちが偉人度、高いのかねぇ?
なんか遣隋使とか、まるで聖徳太子だけで派遣したかの
イメージ映像で語られる事あるけど
絶対、馬子とかかかわってるはずな訳でさ。
http://nihonsinwa.com/page/1860.html
年齢差的なこと考慮したら、
むしろ、馬子のがメインで聖徳太子のがお飾り臭い
そもそも日本書紀にあるような漫画チックな超人イメージがあるから
聖徳太子が馬子より活躍した雰囲気なんだろう
でもさ、その雰囲気って例えるなら、
織田信長は実は無能キャラで。その輝かしい業績はみんな
天才美形の森蘭丸のアイディアだった!……ってノリだろう
……まあ、漫画だったら、そういうノリの有りそうだけどさ
現実的にいって若者は若者なりに未熟だし。
馬子自身、どう差し引いても無能キャラじゃないし。もちろん権力もある。
業績が聖徳太子とネタ被ってるだけに。
(天皇記や国記も共同作業だし)
http://nihonsinwa.com/page/1903.html
素直に考えたら、偉人としては聖徳太子なんかより上なんじゃないの?
太子が自分でやったっていう十七条憲法なんかは
誤字や内容から、存在があやしいし。
http://nihonsinwa.com/page/1848.html
そもそも、聖徳太子の有無以前に
もっと馬子を再評価すべきなんじゃない?
それこそ評価が低いのは日本書紀の蘇我氏サゲ由来だろうし 日本書紀は乙巳の変を正当化するクーデター政権による
歴史書だったから、蘇我氏の業績は無かったことにしたかったのさ。 https://www.youtube.com/watch?v=LVXVla51ws0#t=25m22s
↑みたいなの再現みると、いかにも
聖徳太子が遣隋使を計画し、国書まで書いたかのように
思われがちだけど。日本書紀ですら、それらを太子が
計画・用意したとは書いてない(冠位十二階も)。
誰がやったとは書いてない。
http://nihonsinwa.com/page/1860.html
>(即位15年)秋7月3日。
>大礼(ダイライ)の小野臣妹子(オノノオミイモコ)を
>大唐(モロコシ)に派遣しました。
http://nihonsinwa.com/page/1847.html
>(即位11年)12月5日。
>初めて冠位を行いました。
書いてあるのは、厩戸皇子の紹介時に
「厩戸皇子はあらゆる事をぜんぶ任してもらった」と有るだけ。
……そもそも、これを字面どおりに受け取っていいか怪しい文言。
ましてや、直接そこに書いてない遣隋使や冠位十二階にまで
拡大解釈して、「聖徳太子がやった」として良いものなのかと?
(「全部任された」を好きなように解釈していいなら。
きっと給食当番も掃除係も、みんなウマヤド君に任されてたんだろう)
http://nihonsinwa.com/page/1808.html
>(即位1年)夏4月10日。
>厩戸豊聡耳皇子(ウマヤトノトヨトミミノミコ=聖徳太子)を
>皇太子としました。摂政を行いました。
>万機(ヨロズノマツリゴト=政治の全て)を全て委ねました。 一方で、天皇記も国記も馬子と一緒につくり。馬子と守屋との戦争に
参加して、馬子と一緒に祈願をかけてる。…どうも業績の多くが馬子とかぶってる。
聖徳太子は……まるで馬子の影というか、尻尾というか、
ミニチュアと言うか、あるいは金魚のフンみたい。
http://nihonsinwa.com/page/1903.html
>即位28年
>この年、皇太子と嶋大臣(シマノオオオミ=蘇我馬子)は合議して、
>天皇記(スメラミコトノフミ)と 国記(クニツフミ)、臣連伴造国造百八十部
>(オミノコムラジ トモノミヤツコクニノミヤツコ モモアマリヤソトモノ)と
>公民等の本記(モトツフミ)を録(シルシ)ました。
http://nihonsinwa.com/page/1771.html
>このとき、厩戸皇子(ウマヤトノミコ)は(中略)
>「今、もし、わたしを敵に勝たせたならば、必ず
>護世四王(ゴセシオウ)のために、寺塔(テラ)を建てよう!」
>蘇我馬子大臣はまた、誓いを立てて言いました。
>「すべての諸天王(ショテンオウ)・大神王(ダイジンオウ)たち、
>わたしを助け、守り、利益(=ここでは勝利のこと)を
>獲させたならば、願わくば、諸天と大神王のために、
>寺塔を建てて、三宝を流通(ツタエ=伝え=布教)しよう!」
他方、はっきりと「太子が(馬子と無関係に)やった」と
されるのは、十七条憲法。
http://nihonsinwa.com/page/1848.html
>(即位12年)夏4月3日。皇太子(=厩戸皇子)は
>自らが始めた憲法十七条を作りました。
https://www.youtube.com/watch?v=EiTDtB0U1vk#t=33m58s
https://www.youtube.com/watch?v=YvhQHOPDljc#t=33m32s
しかし、この十七条憲法じたいが
どうも後世の作品の可能性が少なくない。 ↓まとめると、こんな感じ。
「聖徳太子に全部まかせられた…とある」が
「遣隋使や冠位十二階を聖徳太子が計画したとは書いてない」
「全部まかされたとあるのに、馬子と一緒にやったとされる事が結構ある」
「太子、単独でやったとされる十七条憲法が、後世作られたもの臭い」
「ほか、伝説めいたネタが多いが。だからこそ色々、怪しい」
仏教派と言う点や歴史書編纂というキャラも馬子とかぶるし、
馬子の業績をもらってきてそうな……というか、どうも同一人物くさい。
仮に「太子は居た」って仮定しても、
年齢的にも馬子のが上だし。
2人が一緒にやった共同作業だって、
本来、馬子メインだった蓋然性が高いはず。
とりあえず、馬子はもっと評価されるべき。 善光寺に残る厩戸からの手紙の年号は「命長(640〜646年)だから、
書紀の「聖徳太子=厩戸」は造作。 漫画の話になるけど
北斗の拳 シン
聖徳太子の肖像画に似てない? その話か〜
星座 干支・・・
ほとんど渡来人と言われていた人々が
もたらしたものだよ 十七条憲法に対する疑いは俺が知っている限りでは3つ。
国司、思想、倭臭。
これらは疑いと言うだけで決定的な否定論にはなり得ない。国司・思想だが、憲法・法律がしばしば持つ先駆的理念的な性質からすれば「国司」だろうと「承詔必謹」「国非二君」だろうと時代状況に合わない事を以て捏造と断定する事は不可能だ。
倭臭だが、日本人ならば日本語文法に引きずられて必ず漢文文法を誤る。妙な言い方だが、七世紀初めに聖徳太子が十七条憲法を書いたとするならばむしろ倭臭は必要不可欠だ。 日本書紀その他を歴史的事実と認定した場合でも政治家摂政聖徳太子には必ずしも大きな功績が無いように見えるのはひとまず確かだ。こちらは難問だな。 本当に流行っているの??
『セイントセイヤ ソルジャードリーム』 変なリンクは踏まないようにしているので、
何をいっているのかさっぱりわからない。 https://www.nagaitoshiya.com/ja/2003/shotoku-taishi/
聖徳太子の偉大な功績の一部はフィクションであり、一部は蘇我馬子の功績であるということである。
では、『日本書紀』の編者は、なぜ、馬子の業績を馬子の業績と明記しなかったのか。
なぜ、厩戸皇子を聖徳太子として聖人化しなければならなかったのか。
この問いに答えるためには、誰が何のために『日本書紀』を書いたのかを考えなければならない。 永井俊哉w
日本史板でそんな観念先行の主張を土台にしても仕方なかろうに ウマヤドのwikiに書いてあるテンノウ、
テンノウ違いだと思う
セイントセイヤとか北斗の拳など・・・
漫画やアニメのほうが正解 天王 牛頭天王信仰
あのキュウリの葉の写った写真の話なのかな エヴァンゲリオンQ&A
最近、話題になっていた
チャゲ&アスカ 本当に厩戸の前で産まれたんだろうか?
キリストが馬小屋で産まれたってエピソードをパクってない?
なんか厩戸皇子って嫌だわ
聖徳太子って言い方が駄目なら上宮皇子の方がいい UMAと書いてウーマじゃないの?
実際はウーマでしょ、ユーマ? もののけ姫の台詞にあった
神殺しの話みたいなんだよね、どちら(側)が神なのか
説明はしたくないから
ヤマトタケル 検索してみて 画像 蘇我氏の中でも馬子は許しがたい敵なのに聖徳太子は恩人だったわけだな
だから功績を聖徳太子に付けて他を天皇でも無いクズ扱いした その曲は、げげげのキタローと同じ
言う事を聞かない 悪い子は
今でいう警察か何かのテーマ? 当時そう呼ばれてなかったから「聖徳太子」はいない、というなら
昭和時代に「昭和天皇」はいなかった、ということに >>225
そんな低レベルの議論してるやつはいないだろ >>226
実際はそのレベルの話だぞ。
聖徳太子は後世の諡号で同時代的な呼称ではないから、
それを使うなというのなら全ての天皇にだって当てはまる。 >>225
おまえは去年から同じこと何度も書いてるな。
諡号だからイカンのではなくて、「聖徳太子」の事績が厩戸王の事績と違うことが問題だ、
と過去レスに何度も勝て有るだろうがカス。
おまえはわざと文盲のふりをしているのか? スレを最初から2万回読んでから書き込め。 >>227
だから、おまえみたいな低レベルのやつは他にいないよ 聖徳太子を記述した史料で、確実に日本書紀以前と確定できるものが無い。
大体 摂政という、それまでに無かった職に厩戸王が就いたことから胡散臭いので
「聖徳太子」という架空のパーソナリティを厩戸王におっかぶせたという疑念はどうしても出るわな。
藤原氏の天敵 蘇我氏の当主名が揃いも揃って、「馬」「蝦夷」「鹿」だから、
これもどうかと思うぞ>日本書紀
まあ、日本書紀捏造説だな。 >>226-225>>229
おまえ一人がそうやって頭ごなしに文句言ってるだけにしか見えないけど。 >>230
当時は神武以降が人代・歴史と考えられていたんだから、
神功や飯豊の例を見ても、摂政のような職は聖徳が初例というわけではない。
厩戸皇子に伝説が付与されたとしても、聖徳太子と呼んではいけないというのはどういう理屈なの?
当時の人名の習俗は知ってるの?
http://plaza.rakuten.co.jp/takeuchisukune/diary/201310210001/ 中臣一族にだって「馬」「毛人」「鹿」はいるぜ。
まさかいまだに「馬鹿」説を信じていないよな? 瓦当文様の様式とそれを象徴する人物を当てはめてみた。
飛鳥寺式(花組)……蘇我馬子
飛鳥寺式(星組)……厩戸皇子(聖徳太子)
奥山廃寺式……推古天皇
豊浦寺式……蘇我蝦夷
船橋廃寺式……山背大兄王
山田寺式(百済大寺式)……舒明天皇
いかがでしょう。 >>233
要は真田幸村と真田信繁の関係と同じなんだよね
この二つの名前のうち、日常生活やフィクションでどっちの名を使うかは個人の勝手
でも学問としての歴史で、かつ実在した人物を扱うなら信繁と呼ばなきゃいけない >>236
厩戸「王」の典拠は?
天皇号成立以前の皇子を「王」にするなら、中大兄も大海人もみな「王」にしないといけなくなるが。
同時代的呼称にこだわるなら、世界史の例だけど孔子も始皇帝もみんなダメなんだが。
その真田信繁のような名字+諱だって同時代的呼称じゃないし。
後代の便宜的な呼称を否定するのなら聖徳太子だけを槍玉に挙げるのは不適当。 >>237
だから同時代的呼称にこだわってるわけじゃないんだって
そんなもの、それそのものが課題になってる時ぐらいしか歴史学者だってこだわらない >>238
前提がおかしいよね。
だったら呼称は聖徳太子のままでいいはず。
史料に見えない厩戸王を使う必要も更に無い。
そのものにこだわっているからこそ、括弧の内外とは言いながら、呼称を変えるんだろうに。 >>239
だから、そういう話をしてるんじゃないの 諡号や別名が問題ではない。伝説や伝承が問題ん青ではない。
@事績(冠位十二階 憲法十七条など)が本当にあったのか? あったならそれは厩戸王の事績だったのか?
A日本書紀以前に厩戸王の事績を立証する史料は現存するのか?
が問題だと指摘しているだろう。
それなのに昨日から(ちゅうか去年から) この指摘には何も答えられず、ひたすら呼称問題を連呼して
聖徳太子虚構説の一点突破を試みている奴がいる。
>>225
>>230
逃げずに答えてくれんか? おれは>>145>>228>>230だよ。後は他人だな。それと241の末文230宛てはアンカーミス
232(233)宛て。
おれが喚いているのは225を>>140と同一人物と認定したから。こいつはスレの流れを無視して
わざと論点そらしを図っている。
それと>>233
>神功や飯豊の例を見ても、摂政のような職は聖徳が初例というわけではない。
「摂政というような職」ではなく、「摂政」が突然出てくることが問題。推古女帝は成人だし。
まあ、これは数ある疑問の枝葉末節のひとつだからまあいいや。>>145がおれの疑問の本体だし。
> 厩戸皇子に伝説が付与されたとしても、
日本各地にの残る聖徳太子信仰にかかわるエピの数々が問題ではなく、政治業績の真偽が問題
>聖徳太子と呼んではいけないというのはどういう理屈なの?
おれの過去レスにそんな記述は無いな。それを書いた奴に聞いてくれ。
俺が言いたいのは>>145あたりの連投レス >>233
ついでにこれ読んどき。
http://www.abaxjp.com/syotk-taisi/shotk-taisi.html
先日 テレビの情報番組で小中学教科書から聖徳太子の名前が消える理由を「諡号問題」で解説していたがそれは間違い。
高校教科書では10年以上前から()扱いになっている。それは上記の理由。
バカが賦活しないために何度も書くが、聖徳太子問題は諡号問題ではなく、
厩戸王の政治的業績が日本書紀以外の史料では確認できず、創作の可能性があることである。 それ言い始めたら、この時代に政治的業績が確認できる人物なんていなくなるぞ? >>244
その指摘はわかる。ちなみにおれは「大化の改新はなかった」支持者でもある。
君の言う「この時代」を7世紀以前とすると全般的にその指摘はあたるわけだが、
「聖徳太子」が言わば“槍玉”に挙がるのはその存在感ゆえにケチをつけられるのだろうね。
これが武内宿禰や葛城円 日本武尊なら、ここまで問題視されなかっただろう。「実在しなかったよ」と言われても
「フィクションでもいいじゃんかYO!「と済ませるが、聖徳太子は絶対に「実在」してないと許せない勢力が日本には多い。
(歴史学界、仏教界など)。だから、肯定派も否定派も必死の論争になるんだおるねえ。
7世紀でも壬申の乱以降は史料や傍証があるので大体確認できるが、それ以前は歴史時代ではなく神話・伝承時代と言えるかもしれんね。 >>245
聖徳太子が絶対に「実在」してないと許せない勢力、を持ち出すんなら、
聖徳太子の業績を全否定する勢力、も問題だわな。
聖徳の業績を控えめに見る文献でも、聖徳+馬子の共治体制を謳ってるわけだし。
上の飛鳥寺花組・星組にも絡むけど、
飛鳥時代初期は西暦600年を挟んで政治の主導者が微妙に変わっているように思える。
それ以前が馬子主導、以後が聖徳主導と想定することが、双方の年齢を考えても、
そんなに全否定されるような突飛な想定とも思われない。 「大化の改新はなかった」も聖徳問題と似た構造だよね。
このスローガンを目の当たりにした人は、改新は捏造だったんだと即断してしまう。
改新の詔が後世の知識をもって書かれているのはたしかだが、
その文章や用字表現を否定するのか、大化期からの政治改革・行政改革まで否定するのか、
問題は全然違ってくる。 学校などでも嘘を教えていれば、
それが当たり前、常識のようになってくるから
そういう話だと思う >>243
>古代史で実績のある大学教授 ”大山誠一” 氏であるようだ。
この時点でそっ閉じ 「私が右と言えば右 左と言えば左」
「俺が法、法律だ」
ほとんど、このスレッドの話みたいなんだよな >>247
>聖徳太子の業績を全否定する勢力、も問題だわな
君の言う闇の勢力は少数派だから、実在派の人が大山説を論破すればいいだけ。
難しい話じゃない。ところが、実在派は大山説に完全に反証しきれていないから、
聖徳太子は永遠にグレーなわけだ。史料をもって、厩戸王の業績と「聖徳太子」の業績を立証できれば
この論争は解決するわけだ。それが出来ていないからおれは「虚構」説に軍配挙げているだけ。
君はまず大山説に対する反論から立論すべきであろう。つーこと。
大山氏の説と問題点はこちらに書いてあるのでこれを読んでから書きたまえ。
聖徳太子(ウィキペディア)の後段部分 参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90 >>251>>252
ID非表示で良かったね。簡単にピンポンダッシュできるもんね。 >>256
このスレでその質問は無いと思うが、
虚構説というのを大々的に発表して一般受けしたけど、
反論にはあまり真剣に答えない人。
問題点はこのブログが良く纏めてるね。
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/c/a6bb5a8dadb31cba1a3cd2bb297bf3ee 会ったこともない、聞いたこともない人の名を出されても、
どうにもならないんだけど >>253
そこの大山説、下でこてんぱんに反論されとるやん。
それに私見を加えれば、繰り返しになるが飛鳥寺花組・星組の動向が、
結構当時の政治状況を反映しているのではないかということ。
花組・星組を馬子・聖徳に関連させるのは状況証拠でしかないが、
考察するに当たっては十分参考になると思うし、無益ではないと思う。
聖徳一人で何でもかんでも遂行したと言ってるのではない。
基本は豪族(王族含む)の合議制だったと思ってる。
ただそのリーダーシップは、西暦600年頃を境に馬子から聖徳に移ってるのではないか
というのが上記考察からの私見。 >>258
それなら、無理にこのスレに書き込まなくてもいいんじゃないの?
聖徳太子研究において大山の名前も知らない人が、このスレで何したいの? >>259
大山は学問的に有益な反論はされてないと言い張ってるし、
信者はそれを真に受けてるからねえ。 他の歴史上の人物にしてもそう、
子孫や末裔と思われる人からしてみると
「勝手な事ばかり言ったり、書いたりしている、何なんだ」となるでしょ >>247
>聖徳太子の業績を全否定する勢力、も問題だわな。
横だけど、その勢力って具体的にどの学者のことを言ってる?
虚構説の大山ですら全否定はしてないが。 >>263
勢力というのは語弊があったかもしれないね。
>>241氏のようにネットで見かけるケースが主。
「聖徳太子はいなかった」を文字通りに解釈してる人もいるし。
さすがに学者でそういう人は知らない。 なんか一杯雑魚が湧いてきた。とりあえずまともな人っぽい>>259
少し言い訳ぽく聞こえるがもしらんが、おれは大山信者ではないよ。著書も読んだことないし、
また大山氏への反論も色々目を通しているよ。虚構説の代表として大山氏が解り易いから名前を出しただけ。
おれが空爆した140(225?)や今湧いてきているピンポンダッシュに共通しているのは、
聖徳太子虚構説の中身を知らずに「虚構」という2文字のみに脊髄反射している。>>140と>>225を観てみ。アホ丸出しや。
虚構説すら知らずに 実在を盲目的に信じている。これを「信者」というw
で、大山説に対する反論も「十分な反証になっていない。」とみているわけだ。
おれは別に「聖徳太子」が実在しようがしまいがどっちでもいいが、君の理論も大山説も同じく決め手に欠けると思うね。
だから、前に書いたようにこの論争は 構造的に実在派に不利だ、同情すると書いている。
挙証責任を求められる側だからね。史料の不正確さを突くだけで虚構派は良いのだから楽なもんだ。 誰かしらんがアンカー為しの独り言の「勝利宣言」連投が湧いてきたので、一旦終わる。
自分は議論に加わらずピンポンダッシュして スレの雰囲気を変える手口に付き合ってられないw >>265
>おれは大山信者ではないよ。著書も読んだことないし、
>また大山氏への反論も色々目を通しているよ。
著書を読んだこともないのに、それへの反論を見てるって、よくわからん。 流石に大化の改新・・・何かの律とか令の制定位(みたいなものかもしれんけど)
は有ったのでは・・・。 なぜ詳しいのか?なんだよ
http://www.google.co.jp/search?q=%E8%97%81+%E5%8D%81%E5%AD%97+%E4%BA%BA%E5%BD%A2&espv=2&biw=911&bih=425&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi36YO6gZzSAhVONpQKHV2vD5oQ_AUIBigB#imgrc=RZLUa8d3-1is1M: 何の話(誰の話)をしていたのか、わからないけど
「本人だよ」「本物です」という謎の書き込みがあったり
数年前の、とあるスレの話だよ 他のスレにも書いたけど、本当に凄い話だよ
『長い物には巻かれろ』
『あまり私を怒らせないほうがいい』・・・千手のような絵 aa。
『ホワイトスネイク』・・・紫色の服。
王様 深紫伝説・・・その他。 >>225
>>227
同意。
聖徳太子否定派はテロリスト。 仏教の普及=朝鮮半島出身者の権能拡大と読み替えると
蘇我親子や聖徳太子の「業績」の意味合いが腑に落ちるよ
当時の仏教は仏典も坊主もみな朝鮮半島のそれだった
その前に起きた蘇我氏による物部氏弾圧は
朝鮮半島出身者の権能拡大に物部氏が反対したために起きた ↑このレスのどこが聖徳太子虚構説の反証になっているのか、さっぱり腑に落ちない 当時の大和政権の中央政治・宗教・外交は朝鮮半島出身者+若干の中華帝国出身者に
掌握されていたんだよ
大王族を含む土着豪族のほとんどは漢文の読み書きがまともにできないレベル
その中で中華の歴史や仏典を読みこなし外交を一手に担うほどの
卓越した政治能力がありながら大王にならなかった
その理由は聖徳太子が史実としては大王族ではなく朝鮮半島出身者だったから
国学の始祖本居宣長が聖徳太子を日本史上最悪の大和心破壊者と詰るのは
このためだ 実際には馬子から大王だったんだよ
入鹿=聖徳太子だから、聖徳太子信仰というのは入鹿の怨念封じだからね 本当に凄い話ばかり
『何者にもなれないお前たち』
キュウリを切っているペンギン、「馬」という文字に紫色の服が見える >>238
中学生以下や一般人に対してもそれでいいと思うわ。 在日朝鮮人と手を組んで祖国を売り40年間も無実の女子供を虐待した下劣な賤民エタを絶対に許すな!
ヤクザ=エタ エタ≒ヤクザ これは事実!直視しなければならない事実!
菅沼光弘 暴力団の6割が同和3割が在日韓国朝鮮人https://www.youtube.com/watch?v=y20sSs6_Qk8
貧しいからヤクザになるのではない。ヤクザとはエタの組織なのである(後に朝鮮人が合流)。
差別とヤクザhttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai
>当然被差別部落民と呼ばれる人たちと毎日接することになる。その際に彼らと違和感を持つことが多かった。
>その一つは彼らのヤクザに対する寛容な態度であった。
>「あそこの弟さん、手や足まで刺青していて、それは立派なもんやったよ。組でもかなりの幹部になってるらしいよ。」
>そしてその時以来、差別問題とヤクザとはイコールではないが、かなり関係のあることだと感覚的に思ってきた。
何故一人くらい「俺は言論弾圧に屈しない!」「日本には言論の自由がある!」と部落開放同盟の圧力に屈せず突っぱねる
言論報道関係者がいないのだろうか?それは部落開放同盟が半分ヤクザの組織であり、その残虐行為が恐ろしいからである。
在日朝鮮人は強制連行の被害者などでは断じて無く、李氏朝鮮時代に白丁として虐げられた賤民。
自分の意思で日本へやってきた。だから帰国できない。朝鮮にいたときは主に「屠殺業」に従事していた。
被差別民のため「共産主義」者も多い。屠殺と共産主義と被差別民の共通点でエタと意気投合。
一緒にヤクザや偽右翼を運営している。
偽右翼の活動は日本にとって非常に悪影響。右翼によって重要人物が殺されても
マスゴミは「馬鹿な右翼が人を殺した」という扱いでまともに追求しない。
警察も追及できない。何故なら偽右翼の構成員はヤクザ同様、エタと朝鮮人であり、二重にタブーな組織だから。
(オウムの村井幹部を殺した右翼=徐裕行 石井紘基民主党議員を殺した右翼=尹白水)
偽右翼活動は日本の愛国者や天皇(共産主義の敵)の印象を悪くするのが目的。
何故、軍歌を大音量で流すのか、何故、何を言っているか聞き取れない絶叫をするのか?
何故、右翼は久米宏や筑紫哲也や吉田清治や福島瑞穂や村山富市や野中広務や河野洋平を拷問惨殺しなかったのだろうか?
(2000年頃から偽右翼ではないかとネット上で指摘され始めたため、偽装目的でたまにまともな主張もする 陰湿巧妙化している)
野中広務はエタ 自公連立の立役者 朝鮮人に乗っ取られた創価学会公明党を政権与党に入れた大罪人
「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった」
「日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。食料援助をすべきだと思って環境整備をしている」
河野談話で未だに多くの日本人が精神的に苦しめられているが、そもそも河野洋平は当時官房長官。
官房長官は首相の女房役であり、首相の意思に反した談話など出せない。
さて、河野を官房長官にして河野談話を出させた首相は誰なのか?それは宮澤喜一。そして宮澤はエタ。
屠殺と共産主義と被差別民の共通点を持つ、仲の良い大好きな白丁の人たちに泣きつかれたので国を売って助けた。
だが、宮澤はマスゴミから叩かれない。不自然なくらい叩かれない。
エタでありながら首相まで上り詰めた英雄を叩くことは部落開放同盟が許さないのである。
日本で決まりかけていた2002年W杯を日韓共催に持っていったのもエタの宮澤。「日韓友好のために目をつぶってくれ」
エタは大好きな在日白丁が困っていると平気で国を売って助けてしまう習性がある。
こういう人たちを政治家や権力者にしてはならない。 創価学会の依頼でヤクザ(エタと朝鮮人)は40年以上も集団ストーカーなる異常な残虐行為を続けている。
無実の女子供を虐待して降参も認めない。脅迫した一般人に虐待させて自殺に追い込む快楽殺人。
同和教育や差別報道や慰安婦報道がもたらした残虐行為。今日も哀れな無実の日本人が苦しんでいる。
在日が終戦後に朝鮮進駐軍と称して強姦略奪した事実は報じず、エタ≒ヤクザの事実は報じず、
ひたすら差別差別と連呼して憎しみを煽った左翼の犯罪者たち。これはヘイトクライムである。
犯罪者は刑務所に叩き込んで懺悔の生活を送らせなければならない。
人権擁護法案はエタと在日の卑劣で下劣な賤しい逃げ切り法案。
エタは日本国籍、池田大作も日本国籍、それをいいことにヤクザを使ったおぞましい集団ストーカー犯罪を
「残虐な日本人による残虐な日本人のための犯罪」にしようと企んだ。
「池田大作は韓国系」「ヤクザの構成員はエタと朝鮮人」等の発言や書き込みを不可能にしようと企んだのだ。
ヤクザのテロによる被害を受けた世界からの圧力で人権擁護法案は潰された。
ここ数年、ヤクザに脅迫された一般人による事故を装ったテロが頻発している。
高齢者による交通事故が多発しているが、あれの大半はエタや朝鮮のヤクザに脅迫されてやらされた事件である。
日本のみならず、世界中でエタヤクザと朝鮮ヤクザが大暴れしている。それももうすぐで終わる。
エタと朝鮮は全世界から蔑まれ敵とみなされる。悪いことは言わない。エタや朝鮮系とは結婚しないほうが身のためである。
橋下徹は部落開放同盟の工作員。野中や宮澤のせいでエタの印象は悪化した。
その上さらにエタヤクザによる集団ストーカーのおぞましい残虐行為が発覚する。
そうなる前にエタの印象をよくして生き残りを図り、部落利権を維持するのが目的
橋下の父親はヤクザ。橋下が「政治家橋下徹の生みの親である」と言っているやしきたかじんは在日韓国人。
橋下のエタの出自を朝日新聞が書きたてたのは部落開放同盟の依頼によるもの。
いくら右翼的な発言を繰り返しても、名前と顔からでは彼がエタだとは分からないから。 https://www.nagaitoshiya.com/ja/2003/shotoku-taishi/
まずは、冠位十二階であるが、実は、『日本書紀』にも、
聖徳太子がこれを始めたとは書かれていない。
「始めて冠位を行ふ」と主語なしの文で書かれている。
次に十七条憲法であるが、これに関しては、『日本書紀』は
「皇太子、親ら肇めて憲法十七条作りたまふ」と、
聖徳太子の作であることを明言している。だが、
十七条憲法には、古くから偽作説がある。
https://www.youtube.com/watch?v=EiTDtB0U1vk#t=33m58s
https://www.youtube.com/watch?v=YvhQHOPDljc#t=33m32s
実は、『隋書』も『日本書紀』も、聖徳太子ないし厩戸皇子には、
まったく何も言及していない。『日本書紀』は、冠位十二階の時と同様に、
「大礼小野臣妹子を大唐に遣す」といった主語なしの文で、記述している。 正直いうと、ここのスレのをコピペして
聖徳太子が話題になってるスレに貼ろうとしたんだけど。
いったん、このスレの書き込み欄にコピペしといたのを
うっかりそのままこのスレに投下してしまった…… 他のスレにも書いたけど、
作り話や嘘の話は通用しないんだよ
例えばの話
誰々や某の子孫、末裔と思われる人、人達がいたとして
「そんな話しらないよ」
「聞いたこともない」 >>291
□□力夫氏のような名前の人物が
考案したんだよというサイトがあったはずなんだけど
無くなっている? それにしても何の話だったんだろう
老婆曰く
「伊達郡川俣町・・・東福沢、福沢町」
「むかし住んでいたんだよ、近所だったかな」
「蚕を飼って、機織りをしていた家があって」
「この写真だよ」
あの謎の写真 それと最近、気づいた事なんだけど
なぜ家に小泉ジュンイチローの写真があるのか、
応援していたのかな?
老婆が言うには
「一緒に横浜のビール工場に行ったり、たしか国会議事堂にも行ったかな〜」 >>277
茶化す=図星
聖徳太子否定派はテロリスト。 抹殺計画w
そもそも厩戸王という人物の存在すら実は不透明なのに厩戸王(聖徳太子)
の方がいいと思うんだがww。 老婆は詳しいよ「むかーし亀戸に行ったりもしたんだよ」
□□力夫。
□□という駅があったりするでしょ もれ(仮)「老婆が生まれる前の話なのに、なんで知っているんだろうね」
親「お爺ちゃんか、その親に話を聞いていたんじゃないの」 http://fuum.me/archives/474
どう考えても聖徳太子。あの顔は聖徳太子でしょ。
認知度も十分だし、今更教科書変えなくても良いでしょ。 聖徳太子って幕末の思想家と似たようなもんじゃないの 蝦夷や馬子との関係も何だかよく解らんし天智系の作為とも言えなくもなくて
そんな人みたいな人はいたかもな、でも誰かのすりかえかなとかしか思えない。
何らかの政争(特に朝鮮からみ)が有った事は伺えそう。っていうかオレらの祖先
は基本的に朝鮮人でいい。サヨク呼ばわりウザい。 >>286
違う。
國史において長く聖徳太子という歴史用語は使われてきたが、
数学の歴史で円周率が3とされたことはない。 「小手子の像」というものがあるでしょ?
本当に、あのようなものは、どうなっているんだろう どうもなっていない。おれたちの心の中にあると思う。 誰が言ったのか、わからないけど
「神 仏(法)を敬え」
守らなかった人がいるのかな、
あの謎の大震災なんかもそうなの? サカキバラだった?
そのサカキバラの描いた、画に似ていない?
仏像のような画、
手のようなものが伸びていて・・・
力夫氏の写真、北斗の拳の技 あのスレッドだったかな、
このような事を書いている人がいたような
「きんぐ・くりむぞん?」 聖徳太子の原型の厩戸皇子は実在した。
聖徳太子がしたことの大半は、同時代の別人がしたことのようだ。
天武政権で、何かの意図があってそうした。
それから、聖徳太子が聖人化された。
新たに伝説が加わって、どんどん立派な人間にされた。 神武なんて天皇という称号もない時代のようわからん人なのに
実在してる的なことになってるのに
聖徳太子は実在しないとか言ってることの意味がわからん 千手のような写真参照
このような説明があったり
>バショウ科タビビトノキ属で別名 扇芭蕉。 ✞などの影響という説
これは誰にでもわかる話、
渡来系の人でないといけないはずだよ
そもそもが日本の話ではないんだから その謎の曲:ザッパと母さん
なぎ なみ夫妻の事でしょ そういう何て言うのか歴史的覇業を備えた人の祖先やその人ずばりが
が伝説がなんてのは沢山あるべ。
例えばチンギスハン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3
チンギス・カンの生涯を描いたモンゴルの伝説的な歴史書『元朝秘史』によれば、その遠祖は天の命令を受けてバイカル湖のほとりに
降り立ったボルテ・チノ(「蒼き狼、すなわち灰色斑模様の狼」の意)とその妻なるコアイ・マラル(「青白き鹿」の意)であると
される。ボルテ・チノの11代後の子孫ドブン・メルゲンは早くに亡くなるが、その未亡人アラン・ゴアは天から使わされた神人の光
を受けて、夫を持たないまま3人の息子を儲けた。
つまりチンギスハンは人間じゃなくて鹿の子孫なんだよww。 神武の場合は嫁の血筋のおかげで大王になったのに
男系男子と言っている時点でフィクションなのに
いまだにそれを伝家の宝刀と大事にしてる
嫁の家に婿養子になったので手に入れた地位という記述を無視してますよな
伊勢神宮が女神を祀っているのはそういうことなんじゃないのかね
聖徳太子云々言う前に大本を考察しろと大山何某には言いたい 『聖化 日神 日霊 津』
ここに書かれている存在と関係があるんじゃないの?
それと七支刀のようなモノなど 詳しいことはわからないけどwiki参照
>布をほどいて剣を見ると、長さは2尺78寸(およそ85センチ)ほどで、
>刃先は菖蒲の葉に似ており、
>剣の中ほどは盛り上がっていて元から六寸(およそ18センチ)ほどは節立って魚の脊骨のようであり、
>全体的に白っぽく、錆はなかったとある[154]。
> この証言(記述)が正しければ、草薙剣は両刃の白銅剣となる[5][187]。
>なお神剣を見た大宮司は流罪となり、
>ほかの神官は祟りの病でことごとく亡くなり
『菖蒲』両刃 菖蒲の葉 「冠位十二階」は「隋書」(西暦656年)に書かれているので、聖徳太子の時代に日本にあったことは間違いない。
隋書卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國
「内官有十二等:一曰大コ,次小コ,次大仁,次小仁,次大義,次小義,次大禮,次小禮,次大智,次小智,次大信,次小信」 このスレの人も、日本書紀の太子像が全て真実だとは思ってないんでしょ。
せめて、その点だけでもハッキリさせて欲しい。
話はそれから 蘇(小野)妹子と蘇我馬子
妹子の息子の蘇(小野)毛人と蘇我蝦夷
名前が似すぎているのはなぜだろう
イメージ的に官僚のトップは馬子っぽいのに
実際の大徳は蘇妹子なのはなぜだろう 毛人なんて名前は珍しくなかったんだよ。
大徳は正四位相当だぞ。大臣はその上(のちの織・繍冠) 法隆寺の本尊は釈迦ではない
聖徳太子だ
その本尊の背面に聖徳太子の実寸大だと彫られている
どこの世界に架空の人物を本尊にする寺があるのかね
あり得ないでしょ >>335
正確には、「大和國」が日本の自称だけどね。 >>344
聖徳太子と蘇我氏は
メソポタミア地域の
神官一族。 十七条憲法はひとりの人が
日本の7世紀に書いたものとしか考えられない
統一性、時代性においてなんら疑問の余地があるとは思えない
その時代において
聖徳太子以外の者の名を挙げることが出来る人はいない >>348
文章の年代測定では書かれたのは700年頃だそうですよ そりゃあ日本書紀が編纂されたのはその頃ですからな。 すでに隋との対等な外交関係が成立しているのに
十七条憲法を後世の人が創作する理由・目的とは何か
そしてそれは誰なのか
全く根拠に乏しい 「聖徳太子」は厩戸王に仮託した架空のキャラクターだったんだね! >>355
天子になれなく早死にしたから朝廷から送られてる正規の称号だぞ
聖徳太子。 >>356
同時代には皇太子制度がなかったからな
随分後になってから(記紀編纂時になってから)
皇太子号を送ったからその名前で呼ぶのが正しいというなら
草壁皇子は岡宮天皇と呼ばないといけないし
早良親王は崇導天皇と呼ばないといけない 十七条の憲法の原本が日本書紀そのものであったとの記載はどこにもない
したがって日本書紀に記載されているからといって8世紀作成のものとはいえない
原本が日本書紀であるとどこに書いてあるのか教えていただきたい 厩戸というのは後からなんらかの意図で付けられた名前であり
本来は橘寺、その付近で生まれたので付けられる名前は橘王という名前であろう
実質的に身分の一番高い推古の孫である伊奈部王が橘大郎女と名乗っているのは
聖徳太子の正妻だからであり、橘が彼の本当の名前だからだ 父用明天皇の名が橘豊日だろう
妻が夫と同じ名前を名乗ると言うのは聞いたことがない 用明は池辺皇子が正しい名前だと思う
妻が夫の名前を冠にするのは最後の嫁でありながら正しい血筋であることを強調したかったのであろう 厩戸が最後まで一緒にいた妃は膳大娘だろ
厩戸を看病していた膳大娘も病となり同日に死んだ話まである
厩戸が晩年を過ごした斑鳩宮は膳氏の本拠地であり
嫁の実家に婿入りしたような形で住み跡取りの山背王も膳大娘の娘と結婚した(異母兄妹婚)
橘大郎は厩戸の死後天寿国繍帳を作らせたこと以外分かっていない
厩戸との間に王子を産んでいるにもかかわらず皇位継承者名乗りしないどころか
蘇我馬子の娘・刀自古が産んだ山背王が跡取りのままだった 昔は嫁入りの順番とか一緒にいたとか氏族の援護が厚かったから正妻なのではない
身分の高い女が正妻なのです
山背は長子で白髪部王とは大分年が離れているためラッキーであった
同じ蘇我の血を引いていても大王の孫と大臣の孫では身分が違う
山背と年が近かったら白髪部王が大兄王になっていたであろう
古代の身分制度とはそんなものですよな 菟道貝蛸皇女のかわりに送り込まれた正妻なのですよ
橘大郎女は >山背王も膳大娘の娘と結婚した
たぶん、山背王の出自を疑う問題もあって上宮王家とガッツリ縁組したかったのではないですかね
それが大兄の条件かもしれませんな
蘇我本家、上宮王家の血筋ならもっと高い身分の嫁をもらえたはず
でもそれができなかった 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ >>361
國史でなんと呼ばれてきたか、だ。
聖徳太子である。 そして明日からは國史ではウマヤード王子と呼ばれるのである。 都市伝説か何かなのかな
左耳。
耳が何やら。
耳。口。王。
「日本の恥を知らないのか」と言っている人がいたり、何度も言っている人がいたよ
「ハムが何やら〜」とか まだ続いていたの?漫画だか何だかしらないけど
銀□というキャラクター 天草シローという人物に・・・銀□というキャラクター
都市伝説なのかな 「 なぜ日本史から聖徳太子を消すのだ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
ttp://yoshiko-sakurai.jp/2017/03/09/6743
聖徳太子は、その名を知らない日本人など、およそいないと言ってよいほどの日本国の偉人である。
だが、文部科学省が2月14日に突然発表した新学習指導要領案によれば、その名が子供たちの
教科書から消されることになりそうだ。
聖徳太子は新たに「厩戸王(うまやどのおう)」として教えられるというが、神道学者の高森明勅氏が
「厩戸王」の事例をアマゾンで調べたところ皆無だったと書いている。皆が親しんできた名前を消して、
殆ど誰も知らず、アマゾンでも一例も出てこない名前に変えるとは、一体どういうことか。名は体を表す。
聖徳太子という英雄を日本民族の記憶から消し去ろうとする愚かなことを考えたのは誰か。(ry これも凄い話、子供の頃の話
名探偵(こなそ)と同じ名字の友達がいて、
何が原因だったんだろう
もう覚えていないけど、耳の病気になり、
補聴器?ケースのようなものを、耳に付けていたことがあったよ (´・ω・`)社員のヌードをホームページに掲載しているリコーの子会社が
鳥取市にあるがな
https://goo.gl/C2B5oY (醜い老婆社員)
https://goo.gl/jpI5zK (美少女社員)
わしはリコーの弱みを握っとるからこんなものばらまけるがなw
慰謝料出せよゴルァ
リコーがもみ消しを図る見苦しい不祥事
https://goo.gl/fz1pHu 上の名前だけだよ
名探偵こなそ
耳に水が入って・・・だったかな
創作ではなく現実の話 ストーカーがいるのかな?
名探偵の妹の名前がモモコ
それと謎の伊達郡川俣町という掲示板
老婆「お前の家は、むかーし、そっちのほうに、住んでいたことがあるんだよ」 ほんとうに謎の掲示板だよ
「ハマ、ハマ?」
「難聴 難聴」
『難聴』
悪化すると、ふらふらしたりするんじゃないの、
眩暈がしたり、他の病気だったかな じょじょの奇妙な冒険?
に登場する大統領
耳が取れたり、外れたりしなかった? >>368
そもそも橘大娘と結婚した頃、厩戸は橘寺には住んでいなかったわけで
厩戸は少年時代から父用明天皇存命中に父が築かせた上宮に住んでおり
隠居後は上宮を離れ斑鳩に住んだ >>368
そもそも橘大娘は正室として遇されていたのかね?
厩戸が死ぬと母と妻(膳大娘)と一緒に葬って欲しいと遺言され
実際に聖徳太子墓とされる場所からは3つの石棺が出てきている
正室ではなく側室と一緒に葬られる夫
すでに多くの妻たちとの間に子供を大勢作っていた厩戸は
推古天皇から最晩年の妻として息子よりも若い橘大娘をあてがわれる際
正室でなくてもよいからという示し合わせがあったのでは?
斑鳩に住む厩戸と推古と共に飛鳥にいる橘大娘は別居婚だった上
山背王が嫡子扱いのままで橘大娘の産んだ皇子に嫡子が変更されることもなかった 何の話なのかわからないけど
その川俣町という掲示板、家の話でしょ
老婆ではないけど
父親が言うには「飯野だったか川俣町のほうには、一度行ったことがあった。
その家は、お菓子屋のようなものをやっていた」
落雁のようなものを作っていた話
老婆「そういったものを、作っていたんだけど、とっくの昔にやっていないよ」 「家で、そういったものを作っていたんだよ、
確か香野という名前だったよ」
でも、その謎の川俣町という掲示板に書いてある、
建設業の家ではないと思う 馬子ねぇ
仏教利権の奴でしょ
金にもならならない十七条憲法を作る理由が何も無い 天皇を殺害し
天皇家によって殺害された蘇我氏
どう見ても日本の歴史の傍系にすぎないでしょ 1 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ更なる真実を探求しましょう
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?
95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です >>389
隠居して斑鳩を拠点にしたのではないよ、太子道で毎日だかどうかはしらんけども
飛鳥に通って仕事をしている
そもそも、昔は通い婚で高貴な身分であればあるほど一緒になど住まない
あなたは膳大郎女贔屓のようだけれど、正妻が身分はどうでもいいならば
用明の跡継ぎは多目王でよかったのではないか
膳大郎女が正妻なら、年の近い長谷王が大兄でよかったと思う
山背が大兄でも蘇我の本家の娘は正妻じゃない
推古の娘がいたからだ
それに、成人もしていない白髪部王が大兄になることは考えられない
太子亡きあとの揉め事は本当のところはこの辺のごたごたじゃないのか
ひ孫を大兄→大王にしたいばあさん勢力と大兄の長兄の揉め事だろうさ
大王が大臣や伴造に劣る血筋というのなら天皇家など続いてはおらんのです >>380
ヤマト王権というのもなんとかするべきである
朝日の出前に仕事をしていたので朝廷というのだから
大和朝廷でいい >>388
馬小屋の前で生まれたから厩戸と名づけたというのが胡散臭いと思ってるだけで
あとからねじ込んだ伴天連思想入れられても困るんで
生まれたところがなんちゃら言うなら橘が妥当だろうというのは普通の思考ですよね
住んでるところが上宮だから上宮太子聖徳王でいいじゃないんですかね
厩戸よりは 徳永英明『Rainy Blue』
ほとんど、このスレッドの話みたいだね >>396
知らないからだろうが斑鳩から飛鳥は遠いよ
厩戸が推古天皇の代わりに実質的天皇として
政治すべてを担っていたという通説が正しいのならば
斑鳩に遷都しないといけない
なぜ厩戸の跡取りは山背王だったのかね?
橘大娘が正室として君臨していたのならば当然その子が嫡子であり
山背王は当たり前だがもっと身分の高い妃から生まれた弟のために廃嫡されただろう
厩戸が用明天皇の跡取りだったのは母親が大后だったからだよ
ただし橘大娘は本当に正室だったのかと言っている
膳贔屓なのではないよ
橘が正室ならば厩戸と一緒に葬られるのは正室の橘であり
側室の膳なんてまず許されないだろ >>398
厩戸の本名は橘王だったなんて
なんの史料にも基づかない妄想を述べる板ではないんだが >>404
知らないだろうがだから太子と馬の関係は深いんだよ
馬で走り抜けて通っていた近道が太子道だろう
斑鳩は交易の中継点なので人の往来があるんだよ
斑鳩でも朝廷に似た出仕はあった
斑鳩で補完できないものは飛鳥に行っていたのだろうというイマジンぐらいはしてもらいたいものだ
橘大郎妃は最後の嫁と書いたがその幼い嫁が君臨できるとでも思っているなら
すごいことですな
山背よりおそらく年齢は若いと思われる
血筋以外になんのメリットがあって嫁に入れるんだろうね
3人合葬の件は死期に注目するべきなのではないかね
前年の12月21日に間人媛がなくなり2月に次々に膳妃、太子がなくなった
普通の死に方じゃないの合装なのかもしれませんな
橘は根拠はあるがここでは書かない
妄想なんでね
歴史とは掘り出すものですよな >普通の死に方じゃないの合装なのかもしれませんな
↓
普通の死に方じゃないので合葬なのかもしれませんな >>406
おいおいw
山道を馬で飛ばして斑鳩と飛鳥何時間だよw
そもそも隠居もしていない、実質的な天皇である厩戸が
推古天皇が住み蘇我馬子を初め中央豪族たちが集住している飛鳥を離れて
不便な斑鳩に住む理由がどこにある?
幼かろうが正室は正室だよ
同居もしていない
自分の子が嫡子になれない正室など意味がない
合葬の件もあやふやだね
もっと橘大娘が厩戸の正室だったという根拠を出せ 日帰りとは誰も書いていない
聖徳太子が斑鳩にしか宮がないと断定する意味がわからないねえ
嫁の家に泊まればいいことだしな
斑鳩は対外政策の一環であろうな、難波も含めてグローバル化するには
飛鳥のほうが不便なんだが
正室とて元服もしていない子どもを大兄にはできないし
何度も言うが平安時代でも通い婚だからね
合葬が前例のないものなら前例のない考え方をするしかあるまい
特に間人媛は用明と合葬されてもいいはずなのにそれもされなかった
普通じゃない
橘大郎女が正室なのは血筋で証明になるだろう
自分より身分の低い嫁が正室なら推古も嫁には出さないね
そういう身分制度なのである
キミは資料をみてイマジンすることから始めてみるといい
四角四面で楽しく学べないのは疲れるよ〜 それにあやふやも何も原本も絶対的資料もないので
やはりイマジンするしかないのである
大安麻呂も古事記の序文で絶対的なものはないといっている
それぞれに残っているものも嘘が多いと なんかカルトなスレだね
法隆寺自身が生前の事跡をたどるのは実は
難しいって認めてるのに
いまだに太子信仰とか
変人? 法隆寺の本尊は聖徳太子で
その像は聖徳太子の実寸だと
背面に掘られて残されている 世界中に散らばっている釈迦の遺骨(仏舎利)を集めると1万人分の人骨になるそうだ。 >>409
通い婚なら橘大娘が橘寺に住んでいた可能性はゼロ
厩戸が自分が産まれた橘寺に正室を住まわせたから
橘大娘と改名させたというお前の持論はどうなった?
尾張皇子は天皇になっていないし推古は橘大娘の親ではない
大勢いる孫の後見人を推古天皇がいちいち買って出る理由がない
後見人のいない尾張の娘を厩戸が側室の一人として囲った可能性も高いわけだ
合葬は推古天皇が息子の竹田皇子と合葬してほしいと遺言し
実際にその遺構が発掘されている
穴穂部間人皇女は息子の厩戸皇子と合葬されているのだから違和感なし
そうじゃなくて、正室が他にいるのに側室と合葬するのが当たり前だった
という例をあげないと君の説が成り立たないんだよ
正室と合葬された例は天武・持統天皇の例などがあるが側室の例がない このスレの連中は日出国の天子山岸涼子を愛読してそう 日出処の天子だろw
厩殿王はこの漫画の影響ともいわれてるけどな 調べれば調べるほど
聖徳太子の存在理由がわかるw
そして以前よりももっと日本の文明に関心することになるw 調べれば調べるほど
「聖徳太子」が厩戸王をモデルにした架空のキャラだとわかるw
そして、「関心」が「感心」の変換ミスであることがわかるw 「関心する」という日本語はないな。
正しくは「日本文明に関心 が ある。」
もしくは「日本文明に感心する」
「日本の文明」も変だ。語義としては「日本の文明」≠「日本文明」
417は多分、チョン。 >>414
馬鹿なのか?
>厩戸が自分が産まれた橘寺に正室を住まわせたから
橘大娘と改名させたというお前の持論はどうなった?
>>364のどこにそんなことを書いたのか
厩戸という名は後世に意図的に作られた名であり本来は生まれた場所にに由来する橘であり、
そして死んだ夫の名を使っているのが正妻であろうというイマジンだ
高貴な身分の女が実家を出るはずがないだろう
橘大郎女の父の尾張王とて小墾田宮から取ったなまえではないのか
大勢いる孫の一人ではない、竹田、尾張しか男子がいなかったのだぞ
竹田亡きあとのただ一人の大王の息子の子どもをもらうということは
そんな簡単なことじゃないぞ?
その男子の孫娘を入れなければならない事態が起きたのだろうよ
後見のない尾張王と言いきれるのはなぜかね
>穴穂部間人皇女は息子の厩戸皇子と合葬されているのだから違和感なし
合葬してほしいと要望できるような死に方ならそうだろうね
>そうじゃなくて、正室が他にいるのに側室と合葬するのが当たり前だった
という例をあげないと君の説が成り立たないんだよ
前例がないから前例がないようなことがおきたのであろうといっているのだが
急に三人死んだことは別に不信でもなんでもないんだな
そして身分もへったくれもないんだなあ
膳妃も斑鳩にはいたが宮は別であったそうだけどねえ
残念ながら斑鳩を隠遁の地と決め付けるキミは歴史好きの変態にはなれんな >橘大郎女の父の尾張王とて小墾田宮から取ったなまえではないのか
↓
橘大郎女の父の尾張王とて小墾田宮もしくは乳母の姓である尾張氏から取ったなまえではないのか
馬小屋の前で生まれたから厩戸というのは突拍子もない名前の付け方なのである 櫻井よしこは気が狂ったのかな。何故アマゾンなのだw。グーグルで調べれば
100件以上出てくるけど。w >>420
馬鹿はお前w
・正室を夫と同じ名前で呼んだ例を上げよ
・厩戸王が橘王と呼ばれた例を上げよ
尾張王は尾張氏が養育に携わったからだよ
「小墾田宮から取った」???
珍説だ
で、厩戸が産まれた場所から名前を取り「橘王」と呼ばれ
それを正室に付けたという証拠は?
あと、橘大娘が厩戸の正室だったという証拠がまだ出ていない
通い婚、通い婚、言っているがそれならば
橘大娘が住んでいたのは母である尾張皇子の妻の家であって
尾張皇子やその母である推古天皇とは同居するはずもないわな テンノウ?
当時と今のテンノウとでは、
意味や解釈が違うんじゃないの?
現代人は頭が良いから、気づいているよ このような書き込みもそう、
わかっている人の書き込みだと思う
「神様の真似なんてしているから、こんな事になった」
アラヒトガミ? そのバスケアニメの曲、ワンズというの?
ググってみて『WANDS 特別だと勘違いした』 他のスレにも書いたんだけど、
徳永英明『nostalgia』聴いてみてよ
初期の作品があるでしょ、
個人的には国内最高レベルだと思う それにしても『力夫氏』画像だよ
白蛇。
ナイフ。
バショウ科タビビトノキ 別名扇芭蕉(千手?)。
ロトの紋章のようなもの・・・。 疑わしいなら従来の説に疑問符をつけて提示すればいいのに
否定したうえで疑問符をつけるってのは悪意を感じるな 「聖徳太子」復活へ 次期指導要領 「厩戸王」表記で混乱 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp:443/hl?a=20170320-00000049-san-soci
ま、妥当なところだな。
それにしても史料に見えない「厩戸王」にしたがる奴の多いこと。 □□力夫氏の家?で産まれた・・・というようなことが書いてあるでしょ
上の名前なんじゃないの?
本家の名字? 【教育】「聖徳太子」「鎖国」復活へ 指導要領改訂案を修正 ★3 [無断転載禁止]©2ch.net
国民のみなさん、ありがとう。 国民ではない人、それと現在、人権の無い人がいるでしょ?
他所へ行ってもらったほうが良いんじゃないの?
『人権の無い人なんているのですか』 >>414
欽明天皇の皇后は、石姫皇女だけど堅塩媛が欽明天皇と合葬された
石姫は息子の敏達天皇と合葬
堅塩媛の生んだ推古天皇の在位中だからという理由もあるが、正妻を差しおいて側室が合葬された例はある >>242
馬鹿が気に入らないのならアホの子と呼んでやろう
>・正室を夫と同じ名前で呼んだ例を上げよ
>・厩戸王が橘王と呼ばれた例を上げよ
それを見つけたら歴史が変わりますな、おーほほほほほほ
橘の意味がわからぬお前には解けない謎なのでしょうな
小墾田皇女って推古の娘にいますよな
実際に宮や周辺の土地、縁の深い氏族などなどの名前をつけるのであって
ウンコするのに厠に行く途中の便所の戸の前で生んだ子どもを厠戸王と名づけないのである
いじめられるだろうが
だから厩戸推挙派はアホなのだ
橘大娘が聖徳太子の正室
お前、つくづく歴史研究者向きじゃないよな
当時の常識に照らし合わせて想像できないのな
人の文章には書いてもいないことを妄想膨らませて批判材料にするのにのう
ご苦労なことだな
実家から女は出ないと書いたのに
尾張と推古と同居とか良く妄想できますな
その妄想力をもっと違うほうに使え
おもんない奴め、時間の無駄ですな >>437は>>424へ
あ、もうレスしてくんなくていいですわ
キミ、死ぬほどつまんねーから
得るものないしのう 厩戸という名が馬子や蘇我氏と混同させる原因になっているので
この名は使わんでもいいと思う 聖徳太子=押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみ)
押坂彦人大兄皇子
・575年生まれ
・仏法を日本に広めた
・皇租(天皇制の創始者)と呼ばれる
・蘇我氏系ではない
聖徳太子
・574年生まれ
・仏法を日本に広めた
・天子と名乗る(日本で初めて天子(天皇)と名乗った人物)
・蘇我氏
※結論
政治の実権を握った蘇我氏が押坂彦人大兄皇子をモデルにして蘇我氏系の聖徳太子を創作したのである。 聖徳太子=押坂彦人大兄皇子=阿毎多利思北孤(アマタリシヒコ)
『隋書』にははっきり阿毎多利思北孤が仏法を興したと書いてある。
日本では仏法を興したのは聖徳太子であると考えられている。
『隋書』
開皇20年(西暦600年)、俀王あり、姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)、阿輩雞弥(オオキミ)と号す。
王の妻は雞弥(キミ)と号す。後宮に女六七百人あり。太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす。
大業三年,其の王多利思北孤,使いを遣わして朝貢す。使者曰く『海西の菩薩天子重ねて仏法を興すと聞く。故に遣わして朝拝せしめ,兼ねて沙門数十人来りて仏法を学ぶ』 聖徳太子=押坂彦人大兄皇子=阿毎多利思北孤(アマタリシヒコ)
阿毎多利思北孤
・姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)
・阿輩雞弥(オオキミ)と号す
・太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす
押坂彦人大兄皇子
・太子彦(タイシヒコ)と呼ばれる。
・大兄君(オオエキミ)と呼ばれる。
・子供(ワカ)の名前は田村(タフリ)である。
※日本書紀では「村」を「フリ」と読む 聖徳太子=押坂彦人大兄皇子=阿毎多利思北孤(アマタリシヒコ)
聖徳太子は第33代天皇(推古天皇)の摂政だったと言い伝えられているが
押坂彦人大兄皇子(聖徳太子)の息子が第34代天皇(舒明天皇)に即位している。 >>443
蘇我馬子も押坂彦人大兄皇子をモデルにして創作された人物だよ。
押坂彦人大兄皇子をモデルにして創作された人物
・聖徳太子
・蘇我馬子
・推古天皇
推古天皇は何故か女性だが
押坂彦人大兄皇子をモデルに創作された天皇なので女性なんだろうね。 ※結論
第33代天皇は、推古天皇ではなく押坂彦人大兄皇子である。
押坂彦人大兄皇子
・575年生まれ
・仏法を興した。
・皇租(天皇制の創始者)と呼ばれている。
・『隋書』に登場する俀王・阿毎多利思北孤(アマタラシヒコ)である。
・推古天皇と聖徳太子と蘇我馬子のモデルになった人物である。 モデルという言い方は変だと思うよ
炊屋姫と厩戸王は実在していて押坂の業績が奪われたって事でしょ >>448
厩戸王も押坂彦人大兄皇子をモデルに創作された人物だよ。 なるほど厩戸王が実在しないという説ですか
馬子天皇説とは相性が良さそうですね 押坂彦人大兄皇子=阿毎多利思北孤(アマタリシヒコ)
押坂彦人大兄皇子は国名を倭(ヤマト)から俀(タイ)に変更してるはず。
実際、中国の歴史書で倭(ヤマト)から俀(タイ)に書き変わっている。
それくらい凄い人だから推古天皇と聖徳太子のモデルになって
日本の歴史からは天皇であったことを抹消された。 ふつうに斑鳩文化圏の形成者と牧野古墳の被葬者とは別だと思いますがね。 「次用明,亦曰目多利思比孤」
新唐書にはっきり書いてあるわけだが >>455
正確には「聖徳太子のことと読める」だね。失敬。 用明天皇のあとに「有子曰聖徳太子……」が続くんだよ。 >>440-442,>>444,>>447,>>451
とても興味深い。
結論を出すのは早すぎるが、考察に充分値する。 >>461
「宋史」って室町時代の完成だろう
厩戸皇子の時代から700年ぐらい後だ
そんなもんを一次史料扱いするな 一次史料ってことなら、新唐書も一次史料じゃないでしょ。
ここで言っているのは、新唐書や宋史の日本記事が
同じ資料に基づいて書かれているだろうということ。
ちなみにそれは、984年に僧「然が宋に持ち込んだ王年代紀という書物ね。 >>463
「新唐書」は一次史料ではない
しかも平安時代成立の「新唐書」にすら書かれていないことが
300年後の「宋史」に書かれてある
それが正しいというのはどうかと言っているの >>464
君は新唐書日本伝と宋史日本伝の記事の元ネタは別物だと思ってるの? 聖徳太子の実在が確認できないというバカ学者は、世界の同時期の偉人で
完全に実在と功績が示せる偉人を出してみせろよ。
ただし、日本の学者が聖徳太子にしたように、墓や著述、建築物など、
すべて他人の手が入ったものは後世の偽物の可能性があるので
証拠にならない条件で。10人の完全実在を証明できたら信用してやるよ。 >>465
元ネタが一緒だったところで
元ネタが一次史料ではないのだから意味がない >>466
四天王寺やら法隆寺を建てた仏教かぶれの皇族・厩戸王は実在しただろ
ただし当時は皇太子制度がなく厩戸王が公務代行していた証拠がないことから
いわゆる皇太子である「聖徳太子」はいなかった >>467
だったら、>>453も意味ないでしょってこと。 >>469
勿論
「隋書」はともかく
「新唐書」を一次史料扱いしている研究者はいないでしょ は?お前らはバカか?
折れは聖徳太子の実在ではなく、
太子と同時期の世界の偉人が伝えられているとおりに実在し
その一人の力だけで偉業を成し遂げたという
完全証明できる例をのぞんでいるんだが? 記紀に、イエス・キリストや釈迦のような偉人伝を盛り込みたいと考えて、
当時の複数の人物の偉業を一つに集約して、厩戸皇子の功績にしたんだろうね。
もちろん、厩戸皇子本人の業績もあるだろう。
そして何より、その偉人の子孫が絶えてることが重要だった。
イエスも釈迦も子供がいないというのもあるだろうし、さらに、
子孫の周囲で争いが絶えなくなることを懸念したのだろう。
とはいえ、その足跡を完全に消し去ってしまうのではなく、
よく読めばそうとわかるように、わずかに痕跡を残した。 推理で歴史を変える日本史学界wwww
今後は、なかった、でかえるんじゃなく
新・考古学として、あった、という明確な物証によって変えなければ
ただの学者の高名合戦にしかならなくなる。
変な学者にたまたま権力があれば
そいつのトンでもが通る可能性がありすぎる。 古今東西、歴史は為政者によって作り変えられてきたからね 暴れん坊将軍もそうだよ、
本当はウマヤドのことでしょ
徳が何やらと言っていたり 力夫氏のwiki 関連人物の説明
「もっとも、きち外じみている」と
書いてあるけど、嘘なんじゃないの
それとも力夫氏本人は、
その団体や人物などを監視をしているような存在だったとか >>1
まあ、聖徳太子は作られた偶像だな
日本の歴史は800年(奈良時代)以降でないと確実性がないもんな
聖徳太子なんて複数のモデルを使って日本書紀が権威付けのためでっち上げたんじゃないの? 新唐書は、「次用明,亦曰目多利思比孤」で、用明天皇=タリシヒコ
宋史は、「次用明天皇,有子曰聖コ太子」で、用明天皇の子供は聖徳太子 だからその用明天皇=タリシヒコってのが誤解だよって話だよ、上のやりとりは。 歴史なんとかの会ウザい。聖徳太子(厩戸王子)でおk。教科書で
国民統一とか北朝鮮かよ。 wikiに書いてある
「もっとも」
日本の神話にもあった、
貶めるやり方の一つだと思う >>482
断定してるわけじゃないけど、新唐書と宋史を読み比べれば普通はそう解釈するでしょ。 >>486
私は宋史の「用明天皇有子曰聖徳太子」のあとに続く仏法エピソードは
聖徳太子に掛るものだと思うんだけど、
君は隋開皇中遣使したって部分だけは、父の用明天皇に掛けるってことだよね。
じゃあ解釈の違いで仕方がない。 >>487
用明天皇の事績部分だと断定する根拠は? >>1
藤原不比等の脳内陰謀が聖徳太子
藤原氏は蘇我氏から外戚の地位と権力を奪い取ったからな
蘇我氏の功績を聖徳太子という複数モデルで架空の擬人化を図り消し去った
蘇我氏を倒した藤原鎌足を神聖化
権力は
蘇我氏→藤原氏→平氏→北条氏→後醍醐→足利氏→織田氏→豊臣氏→徳川氏→英国傀儡明治→陸軍軍閥→米国傀儡グローバル→? でも不比等にしてみりゃ蘇我氏に功績あった方が箔付けになるよね
次代を担う武智麻呂や房前らは馬子の血引いてんだから 蘇我氏なんていないよ
氏、姓や名字の話でしょ、
あの当時からあったの? テンノウというのも、そう。
欠史??いなかったという説、
ほとんど、ここから始まったような話。
『聖化 日神 日霊 津』 天下一家というくらいだから、このような意味だよ
宇宙 銀河 星々
太陽 月
一家(地球) そういう話だと思う
凄い土地を持っていた。
泥棒のようなものに入られた。 聖書の世界 日本の神話 仏教 道教・・・ほとんど同じような話
どこで学んだんだろう、
学校へは行っていないような事を言っていたけど >>493-496
いいかげん、そういうのはチラシの裏かポエム帳にでも書いてくれよ 「本人だよ」「本物です」
このような謎の書き込みを見た事があるでしょ 刑務所、精神科に行くか・・・
自殺か決めておいたほうが良いぞ
なぜだと思う? 新しく名乗った名字などがあるんじゃないの?
その家というのが・・・誰かの子孫、末裔 ラーフラだな。出家してるからラーフラには子供がいない というかついに聖徳太子が復活したようだねw
文部科学省が過ちを認めたようだw >>505
年寄りが慣れ親しんだ言葉だから
後世の作り言葉だが容認しようということだよ
厩戸王を聖徳太子と呼ぶのは
草壁皇子を岡宮天皇、早良親王を崇導天皇
と呼ぶようなものなのだが
(実態はないが、後世に贈号されている) 一説によると
むかーしの皇族?と現在の皇室?
繋がりが無いみたいなんだけど、本当なの? 繋がりはない。
関係ない。
何度も入れ替わっているよ。
このような話ばかり 「まさか、生きていたのか!」と言っていたり
生きていられると困るので、
殺そうとした、冤罪・・・亡き者にしようとした
そのような話ばかりでしょ >>506
歴史的にはそっちの方がよく使われてるけどね。
六国史や日記での御陵奉幣とか追善記事とか、施基親王も田原天皇、誠仁親王も陽光院が普通。
ただ時代が下るほど、摂関や将軍も院号で呼ばれることが多いから、一概に同列に扱うのも無理があるかもしれないけど。
呼称の問題は歴史に忠実であろうとすると結構難しい問題を含んでるから、
歴史を学んだり語ったりする上での、現代に合ったルール・慣用みたいのはあった方が良いのかもしれない。 本当はツチグモだったんじゃないの、
後の時代になり、そういう類にされたとか?
ピカチュウといい、ボーボボの腕、きたろーの服・・・。 偽造も偽装も同じ
捏造、嘘・・・の話
そのような事に何の意味があるんだ 他のスレにも書いたんだけど
・神社に行ったりすれば良いことがある
これは頭の病院に行くしないでしょ 例えばサッカーでも野球でも良いけど、
参拝をしたので勝利することが出来た
極論を言うと、
才能も努力も何も必要ないということだから
監督も選手も必要ないのような話、
人間自体必要ないとか
超人おりんぴっく?みたいな話になってくる 聖徳太子を聖徳太子と呼ぶなと言ってる人は、
同様に用明天皇を用明天皇と呼ぶな、
天智天皇を天智天皇と呼ぶな、って言ってるの?
聖徳太子も天智天皇も、本人の生きていた時代にそう呼ばれてなかったって点では
全く同じだと思うんだが。 >>506
> 厩戸王を聖徳太子と呼ぶのは
> 草壁皇子を岡宮天皇、早良親王を崇導天皇
> と呼ぶようなものなのだが
実際に皇太子だった人を「太子」と呼ぶのと、
天皇に即位しなかった人を「天皇」と呼ぶのは全然違うじゃん?
こういう人って何を言っているのか、自分には理解できない。 天智天皇ってのは死後の諡
じゃ聖徳太子も諡なのか? >>517
当時皇太子制度はなかった
天皇は死ぬまで天皇であり天皇が死ぬと群臣が相談の上次の天皇を立てた
推古天皇は死ぬまで天皇であり続けた
>>522
天智天皇は即位してただろ
厩戸皇子は皇太子になっていない 実際の33代天皇は聖徳太子
33代天皇の推古天皇が何故か女性なのは
推古天皇が架空の人物だから >>78
押坂彦人大兄皇 =聖徳太子=阿毎多利思北孤=推古天皇=蘇我馬子
全員、同一人物だからね。
34代天皇は押坂彦人大兄皇の息子であるし
33代天皇の押坂彦人大兄皇は皇租(天皇制の創始者)と言われている。
中国の歴史書にも筑紫の阿毎が王として32代続いたと書いてある。
つまりこれを中国に伝えたのは
皇租(天皇制の創始者)である33代天皇の押坂彦人大兄皇 >>527
石舞台古墳は押坂彦人大兄皇の墓だよ。
石舞台はほぼ正方形の2つの濠(ほり)で囲まれている。
内濠は一辺が約50メートル、外濠は一辺が約80メートル。
濠や玄室(石舞台)の大きさからして、天皇陵に匹敵するスケールである。
飛鳥時代の中心地である明日香村最大級の古墳である。
古墳の土が撤去されて玄室(石舞台)だけ残ったのは
この古墳に眠る人物(押坂彦人大兄皇 =聖徳太子=阿毎多利思北孤=推古天皇=蘇我馬子)を
日本の歴史から抹消したかったからだ。 わけのわからない妄想も、
そこまでにしたほうがいいぞ 押坂彦人大兄皇子は、
第34代天皇(舒明天皇)の父親である。
飛鳥時代の中心地である明日香村にある最大級の古墳は
第34代天皇(舒明天皇)の古墳と
石舞台古墳である。
※何故か古墳の土が撤去されて玄室(石舞台)だけ残っている。 こちらのほうが真実、現実味があるというのは、
どういう事なんだろう
ゲーム?
『ルネ・ヴァン・ダールの星占い ミルキープリンセス』と
・・・ワタナベ氏の繋がり
『旧広瀬座』 □□力夫氏の画像もそう、
「ワタナベ演芸座」という謎の文字 他スレにも書いたんだけど
老婆(旧姓ワタナベ)の、あの話とか >>516
厩戸王は皇太子じゃないから「聖徳皇子」でいいと思う。 オ〜オラぁ〜
厩戸王を何て呼ぶかは自由だが、十七条の憲法と遣隋使の派遣は馬戸王の事績から
外すのは必須だよ。歴史的に立証できていないからね。
それと肖像画。足利尊氏や武田信玄と同様に教科書から削除は当然。
この2つをやらないと 韓国と同様 日本史はヒストリーではなくファンタジーになってしまう。 蘇我入鹿邸って
日本書紀にも「上の宮門(みかど)」「谷の宮門」と書いてあるんだな。
つまり日本書記は蘇我入鹿が皇族であることを間接的に認めてる。 蘇我馬子の墓は、
飛鳥時代の中心地である明日香村最大級の古墳だし
蘇我家は実際には皇族だったんだろうね。 あと聖徳太子は天照大神のモデルにもなっている。
「厩」と言うと日本人は木造の馬小屋を思いがちだが
「厩」というのは洞窟のことだよ。
「洞窟の戸」という意味で厩戸
天照大神の岩戸隠れのイメージはここから来てる。 日本の歴史から抹消された偉大な大王2人
卑弥呼とアマタリシコ(聖徳太子)の
イメージを重ねて
天照大神の岩戸隠れ神話が生まれた。 >>478
あってる
32代が推古で用明=聖徳太子は33代
池辺皇子は斎宮をレイプしたので即位できなかった その宇陀宇陀という作品にも登場するはず
「蘭岳四兄弟」
四兄弟 四家 崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。
つまり彼らは大王ではなかったのだ。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。
それがいるのだ。
@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
見事にヒメとトヨの時代。
そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。
これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home グーグルで検索してみて
『鼻毛真拳流 ボーボボ遊戯王オリカ詳細』
「俺の姿が見えないんだろう」という曲と同じような状態
それとD4C Dead Or Alive『Turn Around and Count 2 Ten』
ぽけもんのテーマでしょ 田代まさし?
父親談なんだけど・・・むかーし、
大師(川崎)のほうのガソリンスタンドで働いていたと言っていたよ
どうなっているんだろう >>474
歴史は嘘をつくためのシステム。(『全世界史』) >>480
>教科書で
国民統一
欧州でも大日本帝國でも当然のことなんだけど。 そうだね
なんでも
日本起源にしようとしている人々がいるんだろう
「木嶋事件」なども同じ、
徹底的に貶めるような手法
事件の報道を見て、秦氏、関係者などは
「・・・・・・・・・・・・・・・・」このように思うだろう うーん
『サカキバラ事件』
『聖徳太子 日本人ではない』
どこか共通しているところがあったり、
冤罪かもしれないし、今でいうヤラセ的なものとか 秋篠宮は秋篠宮皇嗣殿下に
聖徳太子の厩戸王(上宮殿下、斑鳩宮殿下)も聖徳皇嗣に変更か 聖徳太子はダルビッシュと同じで母親がイラン人のハーフだったらしい
だから身長が高かったみたい
実際あの時代の日本にはシルクロード貿易でイラン人が渡来してた。
正倉院の瑠璃椀とかもイラン人が日本に持ち込んだ物だよ。 まあダルビッシュの場合は父親がイラン人で母親が日本人だからその辺逆だけどね まあ日本の影にイランありはあながち的外れではないな
たとえば日本のRPGゲームの代表格のファイナルファンタジーだってイラン人が多大な貢献をしてるしね
具体的にはイラン王族のナーシャ・ジベリって天才プログラマーがファイナルファンタジーの飛空艇のプログラムを作ってた。
ワンダースワンでファイナルファンタジー3が発売延期になったのは
ナーシャ・ジベリのバグを利用した飛空艇の高速スクロールをスクウェアのプログラマーが誰も再現できなかったから
ナーシャ・ジベリは聖剣伝説2を最後にスクウェアを退社していた。 聖徳太子にはアーリア人の血が流れていたし、ファイナルファンタジーの飛空艇のプログラムはアーリア人が作ったってわけだ・・・
前者は本当かどうか微妙だけど、後者は客観的事実
ナーシャの作ったゲームで真の意味でマジキチなのはFF3の飛空艇なんかじゃなくて
ファミコンなのにプレステもびっくりな3D実現しちゃってるハイウェイスターだけどね
ttps://www.youtube.com/watch?v=Drvxyix4MFA 鬼っていうのは架空の怪物や亜人ではなくてコーカソイドの事だったらしい
聖徳太子自身や聖徳太子の母親も鬼扱いされてる書物がある 平家も天皇とイランの渡来人の子孫らしい
平家琵琶なんかは
ttp://www.museum.or.jp/uploads/topics/topicsf48f59c134eb849943335a9f274db621.jpg
イランのバルバットって楽器が日本に伝わった物
ttp://www.gandharvaloka.co.nz/instruments/images/si-oud-lrg.jpg
平家の古文書なんかには自分たちの先祖はイランから来たって書いてあるらしい
そういう理由でチョビ髭のおっさんが平家の平清盛とか織田信長を評価してたらしい
特に平清盛の評価はすごく高くて清盛の立像をまじまじと見つめるくらいだったらしい
ttp://hexagon.inri.client.jp/img/hitler_kiyomori_b.jpg 聖徳太子が天皇になれなかったのはコーカソイドの血が入っていたから逆に人種差別されたせいなのかもな
鬼扱いだもんな。 聖徳太子ってお墓はあるんだよな。
ttp://officekai.com/senjou/column/wp-content/uploads/2011/10/taisi1.jpg
墓のある人物を架空って言うのも無理があるな。
まあ宮内庁が管理してて発掘調査なんて絶対できないだろうな・・ 無能は積み上げることができないからひっくり返す
虚構説ってのはその類いだな >>566
仏教かぶれの皇族・厩戸王はいたんだよ
皇太子でなければ聖徳とも呼ばれてなかったけど 小墾田宮から離れた所に斑鳩宮を作りそこで執務する政治家は、摂政ではあっても皇太子ではない。斑鳩宮での執務が摂政厩戸皇子の本来の仕事であり、政治家厩戸皇子の本質は摂政にあったと思う。 とは言え十七条憲法の制定は斑鳩宮に移る前年の事だった。 17条憲法が作られたのは700年前後だと判明してるぞ よくわからないけど
「書き込みをしている人が、その、本人なんだよ」と言っている人がいた
何やらの本人、本物なんだろう 本当の日本の神話、神様?
日本の話ではないんだよ、日本人ではない 三貴神?
日本の話ではないし、日本人でもない、
当時は日本人ではない 『天岩戸』wiki参照
>天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、
>建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、
>皮を剥いだ馬を落とし入れたため
馬の話 神代? 『偽系図』
そういう話だよ
『諸蕃』というのが神話に登場する、本当の神様の一族、大王、蘇我も何もない
それ以前の時代、この地は無人だったという話 書いてあるでしょ
>天津神は自然現象由来の神、国津神は人由来の神
アマテラス? 突如、摂政と言う地位が出現する事は理解し難い事でありそれが厩戸皇子の実在が疑われる要因の1つともなっている。しかしさほど不可解な事だとは思わない。
もともとおおきみには倭王と言う性格がわずかに付随していたが、それが天子となる場合その中国的皇帝的性格は伝統的おおきみを甚だしく侵食する。ここは優秀で信頼に足る天子代理=摂政が居れば、と言うものだ。 十七条憲法の文体と制作年代の問題、と言う難しい事が素人に判断出来るはずがないが、専門家にとっても最も難易度の高い問題だろう。
十七条憲法は7世紀始めの文体ではないと多くの専門家が一致した判断を下すまでには至っていないと思う。十七条憲法は後世の偽作、と断定するのは早計。 十七条憲法は7世紀初めの文体だと多くの専門家が一致した判断を下すまでには至ってない訳だし
後世の偽作でないと断定するのも同様に早計だな 歴史のTVみていると
白村江がハクソンコウ
大和朝廷がわざわざカタカナでヤマト政権とか出てくるから
むかつく
何故、馬鹿や外国人や名誉欲の旺盛な学者のために変えなくてもいいものを変更しないといかんのか
白村江ははくすきのえと言え!
大和は漢字で大和だ!! >>587
いや、カタカナは日本人向け表記だろ・・・?
カタカナ読める外国人なんて、それこそほんの一部しかいないぞ 過去スレ読まず投稿。
ふと気付いちまった、聖徳太子という聖人君子はでっち上げだわ。
冠位十二階や十七条憲法などの発案者は、蘇我。
馬子や蝦夷という悲惨な贈り名を藤原によって与えられてしまった豪族。
蘇我憎しから、蘇我の功績を架空の人物のものに挿げ替えた。
ついでに、鎌足は百済人。 聖徳太子(厩戸皇子)を 厩戸王にする人は用明天皇(大兄皇子)は
即位していないと言う事でしょうか?
舒明天皇(田村王)が「皇子では無く王」だったのは彼の父
押坂彦人大兄皇子が即位していないからですよね。
その辺の統合性を考えているのでしょうか? >>592
そうではなく、「天皇」号成立は一般的に天武朝とされているので
それ以前は「大王」→「皇」の字は使われていない→「皇子」と「王」を区別せずすべて「王」にする、ということです。
統合性、というか整合性は取れていないことも多いです。
たとえば山川の教科書の表記は、大兄皇子(用明)、押坂彦人大兄皇子、厩戸王、軽皇子(孝徳)、古人大兄王、中大兄皇子
と無茶苦茶です。 そうではなく「天皇」号成立は一般的に天武朝とされるので
それ以前は「大王」で「皇」の字は使われない、従って子は「皇子」、孫以下は「王」の区別をせず、すべて「王」ということのようです。
(実は蘇我氏が天皇だったみたいな説の方は知りません)
統合性、というか整合性がとれていないことは少なくないと思います。
たとえば山川の教科書は大兄皇子(用明)、押坂彦人大兄皇子、軽皇子、古人大兄王、中大兄皇子と無茶苦茶です。
大山説を採用はしないが引きずられている、と個人的には思っています。 失礼しました。エラーと思ったら送信されていました。一文付け加えましたが。 >>594
返信ありがとう。
しかし、統合性位付けて、執筆して欲しいよね。 ワカミタフリは訛って、平安時代には京都言葉でワカンドホリと呼ばれるようになる
漢字を当てると、ワカ(若)ミ(御)タフリ(通り)
※(天皇の)血の通った若様という意味で、古語で皇太子を示す言葉
わかんどほり、という言葉は源氏物語にも出てくる
ワカミタフリを田村皇子にするのは無いわ
源氏物語くらいは教養として読んどけよ 末摘花のところだっけか
わざわざ、女子に天皇の血筋だとか書いてるから
隋書のほうも女子を指しているのかもしれないな 過去スレ読まずに投稿するが、聖徳太子は怨霊信仰で作られた架空の崇拝対象と思う。
法隆寺釈迦三尊像光背銘文は上宮法皇一家三人連続死亡を説明する金石文でその真贋
は確定している。したがって、上宮法皇は実在の人物である。上之宮聖徳法王帝説は
文中に釈迦三尊像光背銘文をコピーし、釈迦三尊像光背銘文を捻じ曲げて説明し、聖
徳太子が上宮法皇だとしている。この行為は、上宮法皇と当時すでに出来上がってい
た聖徳太子像を一致させようとしているのである。すなわち、聖徳太子は上宮法皇の
業績をすべて受け継いだ架空の人物で、当時すでに、釈迦三尊像光背銘文との関係が
取りざたされていたことが伺える。
なぜ架空の人物を作ったかは、上宮法皇を日本の正史に加えたくなかったということ
だ。上宮法皇を歴史から葬り去ったから、怨霊信仰にしたと考えられる。 >>599の続き・・・
上宮法皇=阿毎多利思比孤のこと。 聖徳太子という呼称と伝説めいた説話は嘘というか良くあるヒロイズムだろうけど
数々の寺を建立するほどの権勢を振い息子が次期天皇争いをする上宮王家の祖がいたことは否定しようがないよね 聖徳太子(仮)の家の本名は?
蘇我?
そのようなネタなら必要ないぞ ワレ、ヨミガエル?復活?
こういうネタのような話が広まっているみたいだけど 鳳凰 フェニックスの話でしょ
まいく・おー?
の曲の動画を観てみた? >>601
聖徳太子の業績とされることをなした人物はいた。しかし、そのひとが、用明天皇の皇子
というのは作り事。上宮王家というか、隋に使いを出した、例のアメタリシヒコのことを
書記は触れないけれど、実在した。それが、仏教に心酔して、出家したので上宮法皇にな
った。隋書がいうとおり、彼が倭国王だ。倭国王一家の母、妻、本人が相次いで死亡し
(法隆寺釈迦三尊像光背)、政権が大和に移り、大和の政権の延長のもとで、日本書紀が
かかれ、アメタリシヒコ=上宮法皇は日本の歴史から葬られた。しかし、17条憲法や冠
位12や寺の建立は事実として残るから用明の子として聖徳太子という人物を作り上げ、
彼の業績にし、怨霊封じをしたのだろう。血脈で歴史を作る書紀の手口だろう。 それにしても詳しい『馬』のシンボルも出てくるでしょ
この動画のほうが良い、わかりやすい
http://www.youtube.com/watch?v=cfa1VfOY57Q 同じようなコンセプト
ゲーム『ミルキープリンセス』
宇宙空間?謎の城、風船にウサギ 某徳永氏の『NEWS』という曲
ふたつの世界の壁?
陰陽の話 『月読』『月読神社』
聖徳太子社 御船社 解穢の水・・・と書かれているけど、
ほとんど某徳永英明氏の曲のことでしょ この国はある意味では北朝鮮以上の国民を騙す国家だと思う 北朝鮮以上に国民を騙し詐欺師の様に搾取する
★★★★政治家・マスゴミ・が隠す日本の真実!★★★★
https://www.youtube.com/watch?v=pX9COqRfCSU
↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=A-cKT-sKly4&;;list=PLTEQ4LklraVRq1fq3xbolEhHFm4lhBYVM&index=1
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >>613
観なくても知っている、むかーしから知っている。
わかりやすく言うと人権侵害をしているという話でしょ。 人権侵害ね、
絶対にしてはいけないよ
そのようになっているでしょ? 北朝鮮の報道があるでしょ、
あのようなのも同じような気がする 厩戸王・・・・・・・・・・・・・・皇太子でも摂政でもない。というか、当時 皇太子制度も摂政制度も無い。
聖徳太子肖像画・・・・・・別人と判明。というか、中国人の肖像画だったりする。
十七条憲法・・・・・・・・・・文体から後世の作であることが濃厚
これは痛い。 皇太子制度はなかった → 世継制度はあったわけだから実質的な皇太子はいただろう。
摂政はなかった → 魏志倭人伝にも一大率や天皇の政治を補佐する人のことが書かれていいるけどね。実質的な摂政制度はあっただろうね。 >>597
お前アホか
田村皇子は天皇の直系で、天皇に即位した人物だぞ 世襲と皇太子制度、天皇を補佐する人物の存在と摂政を
一緒くたにするのは頭が悪すぎる。 >>620
皇太子と天皇のお世継ぎ
具体的にどう違うのよ?説明して あと摂政と
政治を補佐する仕事(天皇の代わりに政治を取り仕切る)は具体的にどう違うの? >>621
皇太子は唯一無二の次期天皇を制度化したもの。
律令制以前はそんな制度存在しません。
単なる皇位継承者は「皇太子」とは概念が違う。 >【世継制度はあった】わけだ【から【実質的】な皇太子はいた【だろう】。
実質的な 皇太子みたいな役職が (いた)だろう では話にならんな
実証しろと言ってるわけだが、「できません」が早いのではないか?
>魏志倭人伝にも一大率や天皇の【政治を補佐する人】のことが書かれていいるけどね。
それは大臣の蘇我馬子の立場を言っているの【だろう】
>実質的な摂政制度はあっただろうね。
ムー大陸はあっただろうね。
だろう だろう だろう だろう だろう だろう だろう 根拠も示さず なんで「だろう」で片づける?
厩戸王はいたが皇太子や摂政制度は当時は無かっただろう。 聖徳太子否定説みたいな詭弁論法だと聖徳太子がムハンマドであったという説も構築できそうだ(笑) おまえがそう思うんなら、そうなんだろう。
おまえの頭の中ではな。 (笑) どの制度の話なのか、わからないけど、
その制度というのも、
日本のものではないと書いてない? wiki?
>天皇を中心とした
ちなみにテンノウというのは、
テレビに出てきたりする人の事ではない。
ここに書かなくても知っていると思うけど。 他の神社仏閣関係のスレッドがあるでしょ
「それくらいのことは知っている人がいるよ」みたいな人たちばかり
これも以前書いた、老婆談
「米の粉を固めて、お菓子のようなものも作っていたんだよ、自分の家で作っていた。
ちょうど、いまの落雁のようなものだよ。食べることも出来るけど、美味しくはない。」 「天王 Tennou」
こちらのテンノウのほうだよ、
詳しいことは、わからないけど、泥棒のようなものに入られたと言っていたり 最近テレビなどでハヤシさん、ハヤシさんと言っているけど、
老婆の友人だよ、同じ町内に住んでいて・・・そういう友達、
それとタカクラ?とも言っていなかった? すべて本当の話
もれ(仮)の知っている、
タカクラさんは茨城県のほうの人だよ そうだろうね、茨城県が正解だよ、なぜだと思う?
家の隣に住んでいたんだから 家の左のほうに高野さんの家、
右に高倉さんの家があったんだよ >>623
皇太子は唯一無二の次期天皇を制度化したものというのはその通りだが
律令制以前にその制度が存在しなかったかどうかはわからないよ。
すでにあった制度に皇太子って名付けて整備しただけかもしれんしな。 皇太子と天皇のお世継ぎ
「名称」以外に具体的にどう違ったか説明できてないし
摂政とそれ以前の天皇の政治を補佐する仕事が
具体的にどう違ったか説明できてないじゃん 名称が違うから違うんだとかアホ丸出しなこと言い出したら
天皇を始めって名乗ったのは天武天皇だから
天武天皇以前は天皇じゃない。天皇とは全く違う存在だってことになっちゃうしねw それまであった制度を整理して天武天皇が天皇を名乗り始めた。
それまであった制度を整理して皇太子制度ができた。
それまであった制度を整理して摂政ができた。
こう考えるのが普通だし、違うと言いたいなら
具体的にどう違ったか答えなければならない。 皇太子と同様の制度がすでにあったのなら、
壬申の乱など起きるはずがなかった訳だが。 用明天皇がいたことは間違いないのですから、聖徳太子もいたと考えて差し支えないかと。
摂政がどうのって言ってるけど、天皇家が日本をはじめて統治した一族である事は間違いないのだから
統治したという意味で、一族内に役割があったのは当たり前。
聖徳太子はその中で摂政ポジションにいたんでしょ。
それだけのこと。
当時制度が無かったとしても、歴史編纂に当たり誰がどのポジションにいたか書く必要がある。
その際、聖徳太子は摂政がポジション的に見て正しいと判断されたかもしれない。 制度自体、当時の日本にはなかったと書いてあるでしょ?
渡来系の人々のほうが本系、本物という意味だよ
政治もそう、当時の日本 聖徳太子を厩戸王と呼ぶというのは、昭和天皇を裕仁天皇と呼ぶのと同じことに思える 教わったり、取り入れたりする以前から、
ありましたよ^^というのは嘘。
後から(いま現在という意味)なら
何とでも言える。
ねつ造のような事も出来るでしょ。 wwwwwwwwww(大爆笑という意味みたいだよ) 史学ってのは常に〜〜かもしれないの積み重ねなんだよ。
だから〜〜説と常につくでしょ。確定したことしか書けないなら、明治以前はほぼ白紙。
聖徳太子はいたかもしれないしー、いないかもしれない。
天皇制自体を否定はできないし、当時の日本の政治中枢であったことは確定しているのだから、当然首相を天皇として実務を取り仕切る官僚にあたる人々がいたことになる。
もしも天皇制が単なる名前だけの存在だとしたら、当時の政治は卑弥呼から続く祭祀メインだろうけど、準備や公布なんかの政治的実務をだれがやった?ってなる。
制度や官職として明文化されていなくても、役割として当然あったと考えるべきでしょ。 他のスレにも書いたはず、
お前の言うテンノウというのは何なんだ? ここに書いておこう
知っている人は知っている、
現実のモレ(仮)は、
相手に対し「お前」なんてこと言わない、あまり言わない
そのような相手?に対して使用するだけ、
つーちゃんねる、ネットだし、それで良いと思う 上宮聖徳法王帝説(810年以降作)は、法隆寺釈迦三尊像光背を引用して解説する。
「法興元卅一年」を「法興元世一年」とし、「年号と思うのは間違い」とする。
光背銘文は現存し、「卅」の字体は銘文中の「世」と違い、「廿」と同じ字体である。
鬼前大后=穴太部間人王と解説し、釈迦三尊像光背の上宮法皇は聖徳太子のこと
とこじつけている。当時すでに聖徳太子は誰かという議論があったのではないか。
(参考)
http://www.geocities.jp/jhistoryverification/amatarisihiko.htm >聖徳太子=藤原不比等説がないのが不思議
歴史上実在が保障されている人物を名前を変えて信仰する意味は何? 聖徳太子が虚構なんじゃなくて、記紀が虚構なんだから話にならん。
隋書見て、そもそも推古天皇は即位してんのか?
用明天皇の息子が即位しているだろ。
天智天皇〜天武天皇が書き換えた皇国の歴史が聖徳太子を生んでるんだよ。
実在したものを虚構化するのが目的の歴史書が記紀。
ちゃんと読め。 隋書は倭国の王をオオキミ、妻をキミ、皇太子をワカミタフリと聞いている。
書記はミコト、スメラミコト、キサキ、ミコ、ヒメミコで統一されている。
共通する呼び名がないのは、別の世界である可能性。
オオキミ系の後、ミコト系が政権を握った。(623年以降)
そのまま書紀が書かれた時代に至ったと思われる。
オオキミは書紀にもでてくるが、会話中にのみ出てくる。
書紀作成時、オオキミは一般化していたとみられる。
唯一の例外は、用明紀で聖徳太子を大王と呼んでいることである。 >>657
「新唐書」に第一回遣隋使を派遣したのは用明天皇だと書かれてあるだけで
「用明天皇の息子が即位している」だなんて書いてない
第一回目遣唐使の派遣は日本書紀には描かれていない
隋書によれば、推古朝の派遣の前にも遣隋使の派遣があって
これが男王のとき(用明天皇のとき)になっている >>659
用明天皇と言うのは漢風諡号なわけで
新唐書が日本書記を読んで書かれてるのは明らか。
記紀の成立に関しては聖徳太子の一族を亡ぼした経緯を踏まえて歴史を改変してるんだよ。
聖徳太子は斑鳩宮、法隆寺を建造してる訳で実質即位してた可能性は否めないと思うね。
聖徳太子以前に天皇を殺しまくった時代の記紀が虚構な事は間違いない。 「自言初主號天御中主,至彥瀲,凡三十二世,皆以「尊」爲號・・・繼體,次安閨C
次宣化,次欽明。欽明之十一年,直梁承聖元年。次海達。次用明,亦曰目多利思比孤,
直隋開皇末,始與中國通。次崇峻。崇峻死,欽明之孫女雄古立。次舒明,次皇極。」
は自言(日本人が自分で言うには)と断りがある。編纂者は確認していない立場。
「次用明,亦曰目多利思比孤」は,「次用明,亦曰自多利思比孤」の間違いとすれば、
「確認は取れていないが、あの多利思比孤は用明だと申告している」と読める。用明
の生存期間(-587)には600年の遣隋使は送れない。いいかげんな! >用明の生存期間(-587)には600年の遣隋使は送れない
これが日本書紀側の改ざんだとは思わないの? 日本の神話でしょ、
引用やツギハギだよと言っている人がいた
とあるスレ参照 昨日?このようなもの(📺)がやっていなかった?
お世話になった恩人(日本人)に会って、お礼がしたい。
別に日本人ではなくても良い。 どこの国の人だったかな、
日本人の先生からヴァイオリンを習ったとか
そういう話だった >>664
何が真実で、書紀がどのように改竄したて言ってるの? 用明が聖徳太子じゃないのかなあ
一緒にされてるんじゃないの事蹟 >>667
そいつが間違ってるんだよ
日本神話が世界中の神話の原型
日本人が世界中に離散して各地の神話が形成 アーサー王伝説と歴史をゴッチャにしてるようなもんだからなぁ 後から天皇にされたのは
たいがい幾人かの人物の習合くさいよな 記紀編纂するときに、
有名な豪族のエピソードを
ストーリーに合わせて混ぜたんだろうよ。
飛鳥の聖徳太子と
隋の揚帝に喧嘩売ったのは別人。 アーサー王伝説だと
アーサー王側にソースがないのが問題になるけど
日本だとこういうすり替えやるよな >>665
どの史書にも保証などない。あたりまえ。
印象操作 いや、この人クーデター起こしたり、他国の戦争に乗っかって負けたり
不倫したり
国益になることあんまりしてないのに英雄みたいな扱いだよなと思って
天智天皇 クーデター起こしたのは天武系で、
天智が悪の限りを尽くしたから、
悪を倒したと、なっている。
おそらくは前政権の天智系を倒したことに対する
大義名分だとは思うが。 天武はなかなか即位しなかったから
まだ前政権の有力者も多かったのだろう。 乙巳の変って明らかにクーデター
蘇我に比べてなんの実績も残してないのに
バカって出たがりなんだなと天智を見て思った
親子でアホだよね 隋書高句麗の条に「官有太大兄,次大兄,次小兄,次對盧,次意侯奢,次烏拙,
次太大使者,次大使者,次小使者,次褥奢,次翳屬,次仙人,凡十二等。」
中大兄は「太大兄,次大兄,次小兄」のまんなかという意味? そうだろう〜、
本物はわかっているんだよ
近所に半島の人や中国の人(出身)など・・・が住んでいて、
同じ学校に通っていたり、一緒に遊んだりしていたから、
おかしくな人達だな〜とも、特別な存在だとも思わない あまり覚えていないけど
正確には ぺぃ、ぺぇ? だと思う そのままの名前の子と、
日本名?を持っている子がいたような
かなーりの割合でいたw 来週の歴史ヒストリアは聖徳太子ですぞ
楽しみすぎるぅ 唐書から明史までの日本伝を読むと結構いい加減なものだと思う。しかし日本の記録不備な時代の中国史書については速断するのは慎むのが歴史学の作法だろう。
隋書倭国伝は正確な歴史書に見えて実は問題があると思う。その証拠は最後の文章である「この後遂に絶つ。」
隋書(帝紀列伝)は636年に完成しているがその前後を考えてみるに、5回の遣隋使、1回の隋の使者の来日があって
630年 第一回遣唐使
632年 唐の使者が来日するも大喧嘩になる(旧唐書)
636年 隋書完成
643年 上宮王家滅亡
645年 蘇我本家滅亡
663年 白村江の戦い
672年 壬申の乱
636年完成の隋書において「この後遂に絶つ」と書かなければならない事件、背景、理由、事情など皆無。まーったく何もない。これを以て隋書倭国伝はいささか問題のある歴史書なのだと断定出来る。
隋書倭国伝の最大の問題点はなんてったって女性君主・推古天皇の影も形もない事だが、これも隋書倭国伝の問題点の一部として見なせるだろう。こっちは推定だが。 隋書で倭国は遂絶とあり
旧唐書で倭国、日本国の両記載
新唐書で日本国のみになる。
ここらへんで政権が変わったってことでしょうね。 >>701
文章がおかしいので訂正します。
○隋書倭国伝を読んで最も不思議に思う所はなんてったって女性君主・推古天皇の影も形もない事だが、これも隋書倭国伝側の問題だと見なせるだろう。こっちは推定だが。 >>702
旧唐書が倭国伝と日本伝に分かれている最大の理由は、唐の対日外交方針の最終判断が下ったためだろう。これを以て日唐間の言わば外交戦争が終結したのだろうと俺は推定する。 隋書はアマタリシホコ政権(秦王国)について述べている。推古は存在したが、はじめは
大和国の王に過ぎない。アマタリシホコ=上宮法皇一家が死亡して瓦解し、倭国政権が
大和にもたらされた。それ以来大和が倭国の中心になったと思われる。
推古のことを書いていないから、隋書は問題であるとするなら、アマタリシホコを
書いていない書紀も問題である。
(参考)
http://www.geocities.jp/jhistoryverification/amatarisihiko.htm 国交があったんだから、口裏を合わせて日本も唐も互いに都合が良いように正史を編纂してんだよ
真実はタイムマシンを完成させない限り分からんよ >>703
女性君主・推古天皇ってたぶん実在しないからな。
推古天皇ではなく中国の史書に登場するアマタラシヒコ(聖徳太子のモデル)が天皇だったはず。
何か事情があってアマタラシヒコは日本の歴史から消されて推古天皇が創作された >>703
あとこれも日本の正史からは抹消されてるが
アマタラシヒコは国名を倭国から俀国(たいこく)に変更してる。
隋書にも俀国(たいこく)伝って書いてあるでしょ。 >>706
そのような考え方でものを見るのは史実に目をつぶる悪い癖。
例えば、紫禁城を見てみるがいい。あの中には管理された物・人・情報しか入れない厳密さがある。
そういう考え方で、作られている。中国の王朝は厳しいところだ。こういう管理の厳しいところで、
作られる史書は、間違いはあるかもしれないが、意図的に私的に編纂することは容易ではない。 >>707
日本史書が間違いで中国史書が正しいという根拠は存在しない >>709
意図的でも私的でもなく国益のために書かれるのが正史
国交が有った日本と中華がお互いの国に都合よく書かれている >>712
例を持って説明してほしい。
中国史書が外国について書くときは、観察の姿勢を感じるが・・・ https://www.youtube.com/watch?v=oGGOqfeg8-s
この動画でも言われてるね
中国史書が外国について書くのはあくまでも国益のためであって正確ではないと >>714
他人の意見はどうでもよい、あなたの言葉で完結に説明してほしい。 >>701は断定と推定の間に飛躍が有りすぎかな。しかし隋書倭国伝、旧唐書倭国伝・日本伝に不可解な所があるのは確かだ。
ところで「この後遂に絶つ」に普通の理解を当てはめる事は無理。苦し紛れに日本に原因を求める事は出来ない。中国史書側の問題であり、ひいては中国の政治事情の問題だから。
ならばアクロバティックに解釈するしかない。その一案だが「太宗この後遂に遣倭国使を絶つ事を決定す」。事実、唐朝において632年の使者が最初で最後の日本への使者となった。 >>714で全て答え出てる
中国史書は中国の国益のために書かれたもの
終わり >>717
>>714
同意
「歴史とは嘘をつくために書かれる。」 聖徳太子にかんするこのスレですから、聖徳太子に関係する中国史書のどの部分が
捏造されたかを明らかにすべきですね。具体的に言えないで、総論でいう弱虫。 まず、国内の銘文を解析することからはじめないと
聖徳太子の真相は何もわかりません。 王が乱立して差別化のために「大王」号ができたが
今度は大王が乱立して「天皇」号が必要になったんだよ
アマタリシヒコは倭に何人かいた大王の一人
「何人も大王がいてもいい」という前提を理解できれば
じゃあ聖徳太子も法隆寺仏像の文章やその他に「大王」と書かれてるんだから
アマタリシヒコ=聖徳太子 っていう有力な仮説が立てられるよね >>723
扶桑国とか越の国とかあってそれぞれに大王がいたのだから天皇。
それからユーラシア文化圏ではしなの天皇より
中央ユーラシアのアスカのほうが上位。
日本の天皇はアスカの直系なのでしなの皇帝より上位。 天皇陛下の神格化に繋がるものは徹底的に排除されてるね
古事記日本書紀はフィクション扱い
記述を裏付ける物証の遺跡は放置され山に戻りつつある
戦争に負けるってみじめだよな 仁徳天皇の民の竃の話をしただけで教育委員会から「けしからん」と注意される日本
遺跡の発掘してるのは教育委員会w
相当歪んでるね 天山の方にあるイスカンデルの子孫の国の直系が
聖徳太子で
天智系を自称するその後の皇統とは血縁はないだろう 天皇が神様なら戦争に負けてねえだろ
まだ信じてるのか そもそも日本の神というのは森羅万象や己の先祖の神格化したものであり
変なヒエラルキーに使われるようなものではない
なので毛唐の支配に都合のよい妄想の温床になりえるトンデモ歴史観は却下である みこともち
というのは天の声を聞いて民草に伝える人の事で
実際に政治を動かすのは別の人という
卑弥呼の時代の政治体制に戻したのが聖徳太子
天と人の間にいる天の八衢の導きのサルタヒコが
日本の本来の天皇(祭司王)の役目 なんですよ アーサー王と円卓の騎士の実在性みたいなもんだな
モデルらしき人が居たから
完全に事実は無理だろう アマタラシヒコというのは漢字で書くと天照らし彦だよね。アマテラスの男版。 隋書倭国伝の最大の難問はアマタラシヒコ&推古天皇か。アマタラシヒメならば無問題だが。 記紀側の問題じゃないの?
論点のすり替えじゃないかな? 歴史秘話ヒストリアは面白かった。しかし第1回遣隋使は想定内。
隋書倭国伝・倭人の発言
1倭王は天を以て兄と為し
2日出づる処の天子、書を
3我聞く、海西に大隋礼儀の国ありと
隋書倭国伝・裴世清
皇帝、徳は二儀に並び沢は四海に流る。王、化を慕うの故を以て
宋書倭国伝・倭王武の上表文
・藩を外になす・累葉朝宗・天朝に帰崇・忠節を勧む
→ →123はだいたい同じ事を言っている。それと対極にあるのが倭王武の上表文。3は微妙だが最初に隋を遠い外国扱いしている以上、この倭王は皇帝の臣下になるつもりは無いだろう。大胆発言「倭王は天を以て兄と為し云々」は「皇帝、徳は二儀(天地)に並ぶ」に近い。
第1回遣隋使は予定通りだった。百年ぶりの使者がいきなり日出処天子国書を渡すやり方はないだろう。 >>733
「日本書紀」に描かれている第一回遣唐使は推古15年(607年)なんだよ
日本側ではこのとき女帝の推古天皇の御代だとしている
一方、「隋書」で「阿毎多利思北孤」なる倭国王が朝貢したとする記録は600年
この記録は日本書紀にはなく後の時代の「唐書」で「阿毎多利思北孤」は用明天皇だとしている
「日本書紀」によれば600年は推古8年に当たるがなんらかの理由で用明天皇の記述が削られた
(最初の遣隋使は用明天皇の時であったが遣隋使は聖徳太子の発案とするために用明天皇の治世を短くした?)
とすれば問題ない 用明の在位が587年までなので、それはおかしい。
600年に聖徳太子は26歳であるので、大王に即位していてもおかしくない。
用明の 諱 池辺皇子(註.『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』の表記に基づく)
諱が他の書では皇子のままなのはおかしい。
しかも元興寺は蘇我に縁の深い寺だ。
33代天皇が聖徳太子であり、池辺大兄のまま聖徳太子の父は即位していないか、
あるいは推古が即位していないと言うことだろう。 >>738
だから、「日本書紀」にある用明天皇は治世2年で死んだというのは誤りで
600年頃に大王だった可能性が高い
そもそも厩戸皇子は即位していない
推古天皇は死ぬまで大王であり続けたし
厩戸皇子は一度も即位することなく49歳で死んでいる
欽明天皇の皇女で舒明天皇の大后であった推古天皇のほうが
舒明・推古両天皇の弟という傍系の用明天皇やその子の厩戸よりも
嫡流で正統な天皇であったためだ 即位もしていない人間が
どんな権限で大事業を指揮できるのか
甚だ意味不明 そこらの天皇より国家のため、民の為になる凄いことしてんのに
自分が思うに消された天皇としか思えない業績ですわ 物部守屋との争いに勝利した蘇我馬子が調子に乗ってその勢いのまま時の天皇までころしてしまったので
(在位中の天皇がころされたのは歴史上この一度だけ)
馬子の死後、蘇我氏および蘇我系の皇子はすべて中央から排除されたんだよ
それだけ天皇ごろしの罪は重かった
ようするに調子に乗りすぎたんだろうね 馬子の嫁は物部だし実際に馬子が天皇を殺したのかわからない
後付けのファンタジーで勝者に有利なものが日本の歴史書であって
客観的に書かれたものはほぼない 歴史書を集めて編纂しようとしたのはこの人たちであり
焚書して都合の良いように改竄したのは後の人間である >>743
いや、狂暴な独裁者ってのはそういう趣味を持ってたりするんだよ
チンギス・ハンも「男にとって最高の喜びは、ころした相手の嫁をさらって犯すことだ」って言ってる
ころした相手の妹をめとるってのが興奮するポイントだったんだろう 仏教を取り入れようと勉強している人が
なんでサイコパス扱いされるのかわからん
宗教の対立なら初期の仏教導入時では戦にならない
そこも稚拙な作り話に思える 現に日本は神仏集合しているわけで
神道を排除したわけではない 神道を排除したかったのではなく、物部を排除する理由が欲しかったんだよ それはない
仏教を入れるのに反対したのは神道側だからね
中臣もぶーぶー言ってましたよな アマタリシホコは大王と称した。どの天皇かが問題となっているようだ。
天皇は、天武がはじめて称したことになっているが、全国制覇の意味での天皇。
それまで、天皇はあったか?。yes。
大和の天皇、難波の天皇という具合に(塔露盤銘を参照)。
アマタリシホコの時代の天皇は大和の天皇の意味。倭国王は大王と称していたのではないか。
この入り組んだストーリを、すべて大和の天皇のものにして、
つじつまを合わせようとして合わないのが、日本書紀。かかれたのは、700年以降だヨ。
書紀より前の事実は、それ以前に書かれたものを参照することだネ。 「中之太子」と称される野中寺の弥勒菩薩像については、
666年と比定される「丙寅年」と
記す銘「中宮天皇」と記載されている
天武の在位期間より7年も前のことだ
因みに上の太子は叡福寺
下の太子は 大聖勝軍寺(守屋の墓) >>732
> アマタラシヒコというのは漢字で書くと天照らし彦だよね。アマテラスの男版。
これからすると
天皇号はアマ姓を意味するんじゃないかな? ヒストリアでもグローバルスタンダードを目指した言うてた >>752
666年に中宮天皇がいた。
これを書紀の人物に比定しようとしても、書紀の前であるから、出来るとは限らない。
河内にね。大和の天皇、難波の天皇と同じ意味と思う。大和川水系で大和と同系列? 『河伯』日本では『河童』でしょ?
このスレと同じような話だと思う、
馬に乗り、腰に刀を差して、城に通っていたと言っていたし
あのキュウリの葉、葱の華などの写っている写真だよ、
何者なんだろう
『山王宮 山王院』
上の名前、同じだと言っていたり、
むかーし住んでいたというところも、伊達郡の山の上のほう 寺院だったかな、
通ったりしていたんだよ
とも言っている >>757
中宮天皇は、上宮法皇(アマタリシホコ)の子孫?
釈迦三尊では上宮法皇と母と后は死んだが、子供の死は書いてない。
666年、河内、実権を大和に奪われ、・・・。 このような解説もあるでしょ?
>「おかっぱ頭」の髪形をしているといわれる。
確か、そのような髪型をしている、
母親だという人に抱かれている子供の髪 >>752
本物なら「歳次丙寅」でしょう。
ありがとう。 >>755
中国の皇帝には必ず「姓」があるために
日本国王にも姓と名があるはずだと思って区切ったのだろう
「あめたらしひこ」は天皇号を用いる前の天皇を意味する称号であって
諱とはまったくべつのもの >天皇号を用いる前の天皇を意味する称号であって
天皇号がまだないのに何を天皇と言っているのかな? >>764
推古天皇や用明天皇のことを当時何と呼んでいたかという話だが?
諱である「炊屋媛」ではなく号があるわけで >>763で「あめたらしひこ」は天皇を意味する称号であって
「あめたらしひこ」の後ろの「阿輩雞彌」(オオキミ)が称号ではないのかや。 天照彦大王
男の天照ということで
物部の祖のニギハヤヒも天照国照とつく 因みに天萬国萬も天照国照と同義である
従って孝徳天皇の天万豊日と言うのは同義であると思われる >>766
>>767
「隋書」には「阿輩雞彌」は字だと書いてあるぞ 中国の史書に「日本国の使者と倭国の使者が互いに我こそ正統だとケンカをしはじめた」みたいなことが書いてあったって話をYouTubeの動画で言ってたんだけど
具体的になんていう書かわかる人いない? >>770
阿毎を姓とするのだから阿輩雞彌を字としても別段不思議ではない。 聖徳太子虚構説
これは、ある意味において正しい
本来の正統な天皇を歴史から消すために
圧倒的な聖と絶対悪の蘇我を作り出した
蹴鞠で遊んでたぽっと出のおっさん2人の子孫が
以後歴史書で長らく活躍する
聖徳太子はいなかった
何故ならば彼は天皇であり、その忠臣である蘇我は消された
蘇我入鹿が聖徳太子というのは妄説である
そして、この天皇を消した上で神格化し蕃神のような伝説を後付けした秦氏は
これらの黒幕なのではないのか
神輿は軽い方がいいよな >聖徳太子はいなかった
何故ならば彼は天皇であり、その忠臣である蘇我は消された
丈六光銘は書き換えられた? 聖徳太子と大内氏の関係は?
『聖徳太子 大内氏』
調べてみると何か出てくるけど あー、公の歴史書から退場させられたという意味
なんかストーリー作らないと退場させられないし
変な奴も、登場出来ない
当時の庶民の識字率のは低いんだから
朝廷がコッソリなんか書いててもわからない
一般の役人が見られるとも思えないしなあ 【日本の歴史】
1世紀
倭奴国 漢と通じ金印を貰う
倭国=朝鮮半島南岸〜対馬〜壱岐〜九州北岸
海洋民による海洋国家
後漢書「倭奴国は倭の極南界」
2世紀前半
九州銅矛圏vs近畿銅鐸圏
近畿銅矛圏の王、帥升が後漢に朝貢
北宋通典「倭面土国(ヤマト国)王帥升」
2世紀後半
倭国大乱→卑弥呼即位により銅矛圏と銅鐸圏が和睦し同盟
出雲、吉備は従わず(狗奴国)
銅矛圏の王も廃されず伊都国に残る
魏志倭人伝「邪馬台国(ヤマト国)女王卑弥呼」「伊都国、世有王」
3世紀前半
邪馬台国連合=北部九州、近畿
出雲、吉備は銅輸入ルートから締め出され、銅器を使わない独自の祭祀を開始
(出雲=四隅突出墓、吉備=特殊器台)
3世紀後半
吉備と畿内が和睦、前方後円墳体制スタート
4世紀前半
崇神らによる出雲征伐
4世紀後半景行、神功、武内宿禰による九州・朝鮮遠征 4世紀中〜後半
九州・朝鮮遠征
メンバー:景行、神功、武内宿禰
(遠征の間、大和には大王が不在であるはずはなく、当然別の大王が在位し政治を行っていた)
4世紀後半
神功、武内宿禰、応神畿内帰国
応神の出生の秘密により大和からは腫れ物扱い、河内に王朝を立てる
河内大和二朝分裂(幕府と朝廷のように二重の権力が並立)
歴代河内王朝の王
初代 倭王禰=武内宿禰
倭王武の上奏文「祖禰は・・・」禰を祖と認識
二代目 倭王旨=ウマシウチ宿禰=武内宿禰の弟
百済から贈られた七支刀に「倭王旨に贈る」と記される
三代目 倭王讚=応神=ホムタワケほか諸説
四代目 倭王珍=仁徳ほか諸説
五代目 倭王済=反正ほか諸説
六代目 倭王興=允恭ほか諸説
七代目 倭王武=雄略
熊本と埼玉からワカタケルの鉄剣
「東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。」
八代目 清寧天皇→滅亡
6世紀前半
継体天皇が即位し二朝統合
地方を武力で押さえ付けていた河内王朝の滅亡により、中央集権が弱まり九州が半独立
→筑紫君磐井の乱 6世紀中盤
磐井の乱鎮圧により九州は独自の外交権を失う
三韓の争いにより朝鮮からの難民が増加
→仏教が伝来し皇族・豪族の一部が信仰を始める
蘇我氏が物部氏を滅ぼす
6世紀後半
仏教徒である聖徳太子が台頭
高い知能と行動力を有し尊敬を集める
聖徳太子派閥(推古天皇・聖徳太子・蘇我氏・秦氏)を作り次々と改革を行う
聖徳太子派閥の蘇我馬子が崇峻天皇をころしてしまう
(→再び二朝分裂)
7世紀前半
遣隋使のスタート(倭国が中国と結びたがるのは国内が内戦状態のとき)
新唐書「用明(アマタリシヒコ)初めて中国と通じる」
=河内王朝と聖徳太子王朝は継続した王朝ではない
蘇我馬子死亡、聖徳太子死亡
7世紀中盤
聖徳太子王朝はツートップの死亡により勢力を失う
→大化の改新によりとどめ、蘇我氏滅亡(秦氏も没落)
7世紀後半
蘇我氏、秦氏の没落により九州が再度半独立(蘇我氏は九州を支配し、阿蘇ピンク石を畿内輸入)
筑紫君サチヤマが白村江出兵→敗戦し捕虜にされる
九州、唐に占領される
天智、百済残党とともに唐軍引き上げ後の九州を支配
近江王朝を立て「日本国」を名乗る 7世紀後半
天智の近江王朝樹立(再び二朝分裂「倭国」と「日本国」)
天智死亡、壬申の乱勃発
天武が二朝(および九州)を統一し、改めて「日本国」を国号とする
8世紀前半
大宝律令制定
古事記、日本書紀の作成
「天皇」号成立 中国史書は性別を間違えたりしない。
なぜ、推古と日本書紀は言っているか。
ここがスタートポイント。 聖徳太子が史実で推古帝が記紀の捏造、って方が信頼度高いね。
遣隋使当時、聖徳太子は即位していた。 聖徳太子に、斑鳩宮や法隆寺他の業績が有っても
推古帝実在の物的証拠って何? 推古は「大大王」や「大王天皇」と呼ばれてたんだよ
女帝がそんな呼ばれ方するかね 大唐に行ったって書いてあるんだから大唐に行ったんだよ
記紀が50年ずれてるんだよ 新唐書の「次用明,亦曰目多利思比孤」を「次用明,亦曰自多利思比孤」の間違いとすると
日本の使者は多利思比孤は用明すなわち男性王と認めている。
この使者は推古天皇がハイセイと会ったと書いてある日本書紀を無視している。
国史だろう?外国でいい加減なことを言っていいんかい? 用明は死後の諡号。記紀成立は700年以後。
新唐書成立は1000年以後。
隋唐使は天子の親書に怒った皇帝の使者。
天子=アメノタリシピコ
ヒコは男である。
以降、遣唐使の朝貢には留学生を付けた。 遣唐使は用明天皇が聖徳太子と証言した?
次用明ではなく、用明の子だよね。 推古帝の即位年には聖徳太子18〜19歳
天才君主の前にわざわざ異例の女帝を立てる必要があったのか?
施政自体は臣下大臣が行う世襲の天皇位に摂政などというものが必要なのか?
曽我と物部の皇位継承紛争で暗殺を嫌った説は有るが
結局は物部系、天智の白村江海戦に繋がる皇極斉明天皇が即位し曽我系は亡びる
むしろ記紀がこの部分を粉飾している、それが記紀の編纂動機と考える。
太子ー馬子の編纂した天皇記は、斑鳩宮と共に焼かれた。
古事記に至ってはこれが皇統の正統に係る問題のようである。
聖徳は開国派、物部藤原の天智は攘夷派といったところか?
皇極斉明もだが女帝即位は聖徳即位を忌避する勢力の記紀による捏造では?
理由なら天才君主を潰し天智を立てた物部藤原が古代史上の愚臣に見えるからだろw すべては持統のため
天孫降臨を造り、女帝の前例を造った >>791
文章の読解力に稚拙さがあるから、読み間違えでごましが利くと思ってるのだね。
多利思比孤でなく目多利思比孤といってごまかした御仁も居られた。
「次用明ではなく、用明の子だよね。」も新唐書の日本国倭国の条を読めば、
「次は用明、あの多利思比孤だといってるよ」ってえ意味なんだけど・・・ >>794
608年が用明天皇だとする新唐書の読解力?
記紀の改竄か粉飾かな?
小野妹子は中国官僚になった。 608年を用明とする遣唐使の読解力、記憶力、辻褄あわせ力。
今の歴史学ではこの所をどう説明しているんだい?
外国の史書のことに責任は持てないと言うんでは、勝手に解釈を進めるよ。 608年用明の問題は、皇帝の使者が日本に騙されたじゃメンツが無いから
テキトーに取り繕った でいいかもね。 中国正史は皇帝のメンツで嘘を書く。
聖徳太子600年で記紀は700年
例えば、明治維新や明治天皇の伝記を今書くとしても
子孫のある江戸期の皇族貴族の履歴はごまかせないと思うんだよね。
官僚の記録で文語の公用語が漢文としても
記紀は中国語なんで誰のために書いたかは若干疑問。
疑問と言えば、このころの皇位継承って直系の世襲じゃなくて
兄弟で10〜20年交代で持ち回りしてる? 豪族の干渉が相当強かったから?
仕事を完成させたい聖徳のような天才が即位とは別に摂政の立場を作ったと思うね。
これを物部藤原が曽我系の独断専横で実権を握られたとして忌避、排除した。
で、大化の改新、律令制や仏教と並立しうる神道を作ったのが天武じゃないかな?
馬子邸で五経博士や外国僧侶に学んだ聖徳太子、曽我系の業績を天智〜天武の期間に
白村江海戦ふまえて、攘夷派が改宗して立憲君主、律令化革命を横取りしたとみる。 馬子邸で生まれたから厩戸王か!と思ったら、そういう説あるんだな 隋書にはオオキミ、キミ、ワカンドホリが出てくるのみ。
ミコト、キサキ、ミコ、ヒメミコは出てこない。 >例えば、明治維新や明治天皇の伝記を今書くとしても 子孫のある江戸期の皇族貴族の履歴はごまかせないと思うんだよね。
生麦事件さえ真犯人の子孫が暴露するまで、嘘をおしえられてたんだぞ。
維新なんて嘘だらけだし、誠実に正確に歴史を記録できるのは人工知能もない機械のみ可能
白村江などという得もない戦に大王が了承するとか、グローバルスタンダードを目指している最中に
基地な話しとは思わないのか
聖徳太子が天皇ならば、その後の天皇の存在も疑わないといけない
そもそも物部藤原ってなんだ。
最終的に京都に遷都したのは秦氏の庭だからだろう 旧唐書も新唐書も倭国と戦ったと書いていない
倭人がいた 4回戦った 百済撃破 王子遁走
的な記述に対し、日本書紀は百済の歴史書かぐらいの細かさで書いている
天智のところの項目のこのぶっこみは不自然
唐側は倭国もいっしょになっての戦とは思ってないような記述だからね 隋書倭国伝に書いてある阿蘇山って、熊本の阿蘇山のことなのかな? 『ザ・モモタロウ』という作品
「ムー帝国 太陽の紋章」 それよりも『子連れ狼』だよ。
なぜか、まいく・おー?の「エクスカリバー」が流れていた、
てれび朝日?でやっていた作品、再放送。
誰が出演しているやつだったかな、
かなり新しい作品。
曲の感じが、似ているだけだったのかな。 漫画、アニメ、ゲーム?その他、
一連の作品などでもわかると思う
悪く言うと何やらと乞食が、
入れ替わったりでもしているのかな
「あー、搾取されてばかりだ」と言っている人がいたり 兄 弟 妹(5月15日生まれ)でしょ
家の話だと思うんだけど
『松傾』と同じ家
読み方?
家は本当は「す・・」だよ、と言っているし これも不思議な話
『ペルシャ カッパ』『河童 キュウリ』
家の先祖の写真でしょ・・・?
キュウリのような葉が写っていて 白村江海戦は百済の滅亡に際して
日本で貴族化している皇太子と戦争忌避の卑怯な移民を帰国させるための派兵だな。
皇太子逃亡とかワロス。
霊的に生まれ変わらんとイカンね。 >>816
義慈王の皇太子は扶余隆。日本には来ていない。唐に捕らえられた後、熊津都督になっている。
逃亡した皇太子とか日本で貴族化している皇太子とは誰のこと?
扶余豊のことを言いたいのなら、彼は660年の百済崩壊後すぐに祖国に帰って、百済復興を指揮している。
扶余豊に操られて、倭国は白村江の軍船や将兵を提供させられたのではないか。倭国は大損した。 倭国が勝敗がハッキリしている戦に兵を出すとは思えない
人質の方が動員力があるとかアホらしい
実際は帰化人を集めたのではないか
唐に対して倭国は関わってないアピールをするにはそれがいいよな
大国と戦うなんて馬鹿のすることだ 倭国は関わっていないと誤魔化すなど、王はおまえのような小人ではない。
誤魔化せば、王の資格なしということで、侮辱された上、公開で首をはねられ、王家も絶える。
それでよければ、どうぞ。 君子は危うい橋は渡っちゃいかんのよ
関係ないじゃん
利益にならない
倭国の王や民にどんな利益が? 君子は危うい橋は渡っちゃいかんのよ
関係ないじゃん
利益にならない
倭国の王や民にどんな利益が? 王のちっさいプライドで民を苦しめ戦に負ける方が
頭が悪くてカッコ悪いわ
それが賢王と思うなら馬鹿諸とも滅びればいい
大敗したのにお咎め無しなのはなんでだ
普通は倭国も攻めるでしょうね
この戦には、ほとんどノータッチだったからに他ならない いいや、お咎めはあった。
封禅の儀に倭国王は百済、新羅、耽羅の王とともに出席することになっている。
倭国は唐の配下に下ったということ。負けを認めたのだろう。 倭国王は誰か?、そこを天智称制で隠しているのが日本書紀なのだヨ。
倭国王は国王だから、そのまま黙っているわけがない。必ず行動する。世界史はそうなっている。
その行動を日本書紀も隠し通すことはできない。推理すれば答えは出てくる。 問題は倭国王がお咎めを受けたことが事実であること。
したがって、倭国は大敗し、唐の配下に下ったことも事実である。
倭国王がいたことも当然の事実。書紀の称制は誤魔化し。
ごまかす書紀と同じ心理の者と倭国王が誰かの議論をするのは無駄。
それとも教えて欲しいカイ? というような事が、なんで中国側or朝鮮側の史書にないんだい? 朝鮮どころか遼東半島にも充分な支配が及んでいない国が強大国かよ?
日本は半島で海戦したけど唐は日本で戦争なんてできてないだろ?
自虐以前に馬鹿なんじゃね? だよな
実際に軍出されて負けて実行支配されたのではなく
白村江以降は唐は使者を送ってきて
封禅の儀にご招待されただけだしな
戴冠式に日本大使が参加したぐらいのことじゃないの? 当時の唐が強大国じゃないって?
そりゃ、さすがに頭わいてるとしか思えんわな…… まだ、この話をしているの?
『聖化 日霊 日神 津』
『河童 河伯』沙悟浄というの?
同じ人物の話だよ (須)誕生以前には、
夫妻(父母)しかいないという話でしょ
🌞 🌛 惑星などはあった 『社家 (須)王の後裔』
こちらが本物、本家なのかな
『社家』
家の先祖だという写真は何なんだろう、
キュウリのような葉、葱の華が写っていたり 封禅の儀は中国皇帝の中でも特に偉大な皇帝であることを出席者に対し示す儀式。
それへの列席は皇帝が自分より偉いということを認める行為。戴冠式とは違う。
書紀は敗戦は書いたが、それ以上の事実を認めない姿勢。
書紀のように立場を決めてしまうのは信仰。信仰はナンクセをつけてくる。
倭国の敗北、倭国王の存在、書紀が倭国王を隠したことを認めることから議論ははじまる。
敗北を認めることを「自虐」と言っている限り、永遠に進歩がない。 本当のジンムというのは
三貴子のなかの誰かという事なのかな
体を動かし、仕事をして、
国土などを作った人(一族) だって、そもそも天智は百済人だから
倭国王じゃないしー 封禅の儀を高宗が行った時には
久々過ぎて資料もなくテキトーにやったらしいじゃん
そんなフェイクなイベントに王が参加する意味あんの? それに仏教界のスーパースターを若い頃から見てる
仏教庇護国の王なのに
なんでまた道教の儀式をやらにゃいかんの? 久しぶりだから適当にやったとフェイクな史実を流しても、
封禅の儀に出席するのが決まった時点で、唐は倭国王の意思を十分に確認した、ダロウ? 悪あがきだよ。
倭国の敗北を認めれば少しは進展するよ。 誰が考えても、
ウマヤドの存在は、おかしいよ
戦後、辺りに作られたの? 斉明も天智も倭王じゃない
という自説の根拠に基づいて戦争なんて公にやってねーよと言っている
唐書には倭人はいたが、倭国と戦ったとはない
野中寺の弥勒菩薩像の銘文が正しいとするなら
666年に倭国王である中宮天皇は病気中なので
なんちゃらの儀には参加できない
という唐唐像の文から導き出したんだよ
敗戦もなにもいない天皇の事蹟を信じていないだけだけど 悪あがきが続いている。倭国王がいて封禅の儀に行くことになったんだよ。
倭国の敗北と唐の管理下(軍制ではない)にあったことを認めれば、
その倭国王が誰かを教えてやろう。東洋史の地平がひらけるがのう。
認めないだろうから、生涯、敗北していないと唱えればよい。信仰で目が曇っている。 『人権』
にしても、おかしな話だよ。
説明しなくても、わかる人にはわかる。 『平等』というのも同じ。
実際は何も平等ではないとか 聖徳太子廟、叡福寺に参拝。
景色のいい、大和へのアクセスが抜群の長閑かなところ。
寺宝の公開が行われていた。
二歳の聖徳太子像が展示されていた。
可愛らしいお顔であらせました。 隋書の戒塗は受戒+塗香の略。
タリシヒコが裴世清の請即戒塗に饗応したのは出家の同意。
大王が出家すれば法皇。
叡福寺北古墳の三棺は上宮法皇、鬼前太后、干食王后。
タリシヒコを聖徳太子として信仰している。 大王と天皇は別だからね
7世紀以前の天皇の号は遡って贈られたものだから
大王じゃなくても天皇号を贈られることもあれば
大王でも天皇号を贈られないこともある
その基準は不明だが >>853
>大王じゃなくても天皇号を贈られることもあれば
>大王でも天皇号を贈られないこともある
具体例プリーズ これはエジプトの話なのかな?
・はじめは四本、つぎは二本、さいごは三本
三本というのは杖をついた、お年寄り 『松傾』
どの地方にもあると思うけど
『日本昔話 姥清水』?
老婆談「昔、橋が架かったので来てくださいという招待状が来たことがあった、
でも遠いし、そのときには年も取っていたから断ったんだよ」 >>856
原文をちゃんと読めば分かるが
勝ってないのに勝ったと主張したのがスサノオだよ 旧唐書は倭国と日本国、新唐書は日本国の記述であるので
倭の酋長と日本の天皇は違うのであろう
負けたのは倭の酋長と百済である
日本列島が統一されたのは後の時代となので矛盾しない
つまり天智は倭の酋長で不様にも唐に連行され命乞いでもしたのであろう
これで満足かね? 戦勝国として倭国の支配を誰に任せるかを決定する力を有していた。 で、実質的に新唐書による日本国は支配されたのかね
倭の酋長話ではなく日本国の条文であるとすると日本国王が屈しないとおかしいよな 日中どちらの史書にも書いてないことを、あったと主張してるって、馬鹿すぎやしないか
ここは史学板だぞ お前は刑法(現在のもの)からいっても
死刑だと思う
専門家に聞いたほうが良い
それと、
いまは2017年だから 例えば
『菅野力夫』
画像をググってみて、
どういう意味だと思う 日本に留学していた百済皇太子が
百済の復興のために挙兵、帰国した。
本国でも盛り上がるはずの復興運動は
皇太子のヘタレ愚行で失敗した。
そんなのばっかしなんだよ。
カリアゲの統一後にクーデターで失脚。
在外コリを国連の後押しでコリラエル建国。
みたいなのが、国連の敗戦になるかな? 在日コリアンは半島に国を作るために日本で国家経営の勉強をしているんだよ
だから様々な業界に入り込んでるんだよ
日本を丸ごとコピーした国家を作るんだよ
立憲君主制の王国だよ で、聖徳太子の話に戻すが
アマタリシホコオホキミ=聖徳太子であるとすると
山背大兄は問題無く次の大王なわけで
舒明天皇が岡本天皇の別名があるのは彼が岡本宮にいたからである
とすると、皇極は舂米女王ということになり
孝徳天皇は長谷王と考えると中宮天皇の謎も解ける
この辺の皇統人物の生死はかなり改竄されていると思われる このころ、というか、4〜900年?とかの皇位継承って、死亡〜嫡男じゃないでしょ?
兄弟持ちまわりどころか、いとこや、五親等、廻ったりもある? 長期政権の為の摂政や女帝、上皇が立ってる。それが、武家優位に向かって王家の継続可能性が高まったんだな。
記紀のデタラメは日本史の不治の病だ。 歯槽膿漏には塩が一番 古代から
騙されんなよ いまの歯磨き剤に ありゃ金儲け 中身よりチュウブや器が高いんだぞ 韓国の反トランプ笑えるな
アメリカ国旗も燃やさないし
トランプの肖像画も燃やさない
ありゃヤラセだな 斉明の前夫高向王は軽臣高向玄理説がある
軽皇子が長谷王であるとするなら用明孫の高向王というのはピッタリ当てはまる
皇極のところでこの記述がないのは皇極と斉明が同一人物ではなく
重祚をしていないからではないかと考える
上宮王家と呼ばれるのは実際に大王を何人も輩出したからであり
上宮王のみの功績だけではないのではないか 本日は伝、孝徳天皇の命日であるのでキーマンであろうスメラミコトの
魂の安寧をお祈りする。なーむー >>800
わかんどほり、源氏物語やね
若(わか)御(み)通り(たふり)
天皇の血筋の通った若様という和語 >>878
ネタにマジレスするのもなんだが
高向玄理は遣隋使に同行して隋に留学
推古16年から舒明12年まで32年間隋にいて日本へ帰国
これは斉明天皇が14歳〜46歳までの期間、日本にいなかったということ
斉明天皇の青春時代~初婚~再婚〜皇極天皇として即位
する間ずっと日本にいなかったので斉明天皇の夫になりようがない >>872
この当時の皇位継承は嫡子相続じゃないよ。
聖徳太子が虚構であるより
隋唐書によれば推古天皇がデタラメだ。
兄弟で大王を次々持ち回りって、世襲なのか? >>884
隋唐書に聖徳太子がアメタリシヒコだとはどこにも書いてないw
隋唐書は最初に遣隋使を送った倭国王は男王だと書いてるだけだろ
ただし第一回遣隋使のことは日本書紀には書かれていない
隋書によれば日本書紀の第一回遣隋使の前に遣隋使が行われていたことになる 国内向けのオオキミとしてはカシギヤヒメが任に当たり、海外向けの日本国王としてはトヨトミミが任に当たっただけだろ >>886
アメタリシヒコは用明天皇のことだと『新唐書』に書かれてる
記紀は天皇の没年の間違いが多いから
用明は600年の時点で存命だったのかもしれない 用明の兄、敏達天皇の息子である押坂彦人大兄皇子がタリシヒコだよ
600年の遣隋使は国書を持ってなかったんだよ
そりゃそうだ
皇子が勝手にやったことなんだから
倭の使者は「倭国では天を兄とし、日を弟とする。政治は弟に任せている。」と語ったが
これは弟(用明)に王位を奪われたことを、都合よく「本来は俺が王なんだが、弟に任せているだけだ」と言ってるわけだ
そんな説明を聞いた中国皇帝は「わけのわからないことを言うな、もう一回ちゃんと考えてから来い」と言ったわけ
倭の伝統として
「中国と交流したがるのは、国内での権力争いを有利にするため」という法則がある(卑弥呼もそう)
当時は蘇我氏が権力をふるった時代で
用明→推古→聖徳太子という蘇我氏系の皇族が主流派だった
だからこそ、反蘇我系の押坂彦人大兄皇子は唐と結ぼうとしたんだよ で、第一回の遣隋使が「わけわからんことを言うな」と言われて失敗に終わり
その話を聞き付けた推古チーム(推古、蘇我、聖徳太子)が改めて607年に「真の第一回遣隋使」を行った
だから607年の遣隋使は記紀にも記されるし、国書も持って行ってるわけだ 推古、聖徳太子が相次いで死んだことで蘇我氏の勢力も衰え
ついには宮中で殺されるわけだ
その後王位についたのは押坂彦人大兄皇子の息子である舒明天皇=田村王=若御タムラ(ワカミタムラ)
隋書の通りだよ 古代には田村はタムラともタムリとも読まれてた
ワカミタムリだと隋書の記述により近い または神田村、上田村(カミタフリ)かもしれない
皇子の住む場所を「上宮(カミツミヤ)」といったりする
上宮に住む田村王を「カミタフリ」と言った わかみたふりは若御通りだよ
皇室の血の通った若様
平安時代でも宮中で訛って使われていた
源氏物語でわかんどほりと書かれている 会話として不自然だろ
太子の名はワカミタフリという と書かれてる
太子の名を聞かれたんだから、名を答えるのが自然で
「太子の名は『皇室の血の通った若様だ」なんて答えたら意味不明だ わかんどおりの用例は源氏物語一例だけ
しかも平安時代の本だろ
それを根拠とするのは薄すぎる >>900
大王の名を聞かれて答えた「アメタリシヒコ」号の「オオキミ」も個人名ではなく
代々の大王がそう呼ばれていたのだから
「ワカミタフリ」も代々の大兄の呼び名だろう >>896
舒明天皇は蘇我氏に擁立された
舒明天皇の妃の一人は蘇我馬子の娘だしな それにしても『ハトヤ』?
某徳永英明氏の『Wednesday Moon』『タイやヒラメの舞い踊り』 なぜ『たまごっち!』という作品なんだろう?
「ともみ」という名前の、
人間の女の子が出てきた話 砂漠?に行ったり、
図書館に行き、調べものをしたり
ロケット、スペースシャトルのようなものが・・・
ufoのようなものが出てきて・・・かぐや姫? 隋唐の使者に対して日本の天皇が名乗る必要はない。
小野妹子が皇帝の親書を盗まれたか日本の天皇が破り捨てたかは判らない。
戦争は始まらないw 使者裴世清に日本の名誉官位は与えたかもなw
倭の五王のように半島利権での中国の官位も求めていない。
天帝であるとはそういうことだ。
倭の五王が終わった500年に五経博士を百済に献上させた。
600年当時の聖徳太子やその周辺の王族は中国人学者を家庭教師に皇帝学施政を学んでいる。 皇帝の親書を使者じゃなく小野妹子も持ってきたというのが、そもそもあり得ない設定 小野小町について調べてみて
「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢ゑたる)犬の腹を肥やせ(よ)」
モモタロウの話? ガンダムに登場するシャアだよ
黄金の像、大仏のようなものに乗っていたり 親書が無いから天皇に謁見した裴世清が皇帝の命を伝えたことになってるね。
隋帝はこんなもん読めるかで返書だし、白山羊さんと青山羊さんの歌状態だな。
こりゃ、開国派で親百済の聖徳太子じゃなくても戦争になる方向性だったな。
天智天皇はめんどくさい半島移民や百済皇太子送還して戦争したことにしちゃった
とかかもな? 古代にKの法則の起源発見www ^^v ソクラテスという人物は実在したか、という問題と似てるな 「国書を無くした」って資料と「これが国書かな?」って資料が有って
日本書紀は国書が有ったり無かったりと、矛盾した表記になってる
……まあ、ぶっちゃけ
掲載されてるアレ、本当は国書じゃないんだろうな まあ、正直いうと、もうずいぶん前から
アレの正体はわかっちゃってたんだけど……
http://up2.cache.kouploader.jp/koups23012.png
引用時に付け加わえられてそうな部分を取っ払ってみると
あっちの文書と対応されてるんで。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
HAVC1 朝鮮半島系の仏教と坊主、朝鮮半島系の漢文文書主義を推進
朝鮮半島系渡来民の権益拡大に尽力し
日本列島在来系豪族の祖神崇拝と口承主義を徹底して弾圧したのが
聖徳太子
ウヨがありがたがる理由がさっぱりわからんよw >882
青春時代丸ごとではないが
日本にいれなかった御仁はいっぱいいる
遣唐使船など無くても貿易船に乗り
海人族の力でちょちょいですな
その線は、皆無では無いのです お前ら久しぶり!このスレ最初に立てたの俺だわwもう三年ぐらい忘れてたわww 聖徳太子虚構説っていうのが、そもそも記紀に依拠してないか?
記紀は聖徳太子の仕事の後、これをある意味で否定しながら
白村江海戦に導いた、百済皇太子や渡来豪族の送還とか、天智天皇の敗戦処理とかあって、
これを以降の皇紀につなぐために捏造した修正主義の歴史だろ。
遣隋使で裴世清が謁見したのが男王なら、推古天皇の方がよっぽど虚構だろ。
歴史を直視するなら、聖徳太子より記紀が無い。 ファンタジーかいwww 昔から知られていたことなのかな、
天皇というのも、子がなく、何度も断絶しているとか
継体の頃の話とか
ネットが普及してから、
誰にでも、わかるようになってきた このような事を言っている人もいたでしょ、
書いてある?どこかに書いてあった
実際は誰が天皇になろうと構わない、
天皇になる人物(人間)よりも、三種の神器、天子神璽のほうが重要
人間よりも、道具のほうが重要 玉璽と同じ話なのかな
玉璽というモノのほうが大事、重要 虚構というよりは畿内にいた飛鳥の豪族の話に、
北部九州の豪族の話を組み込んだだけだろ。 聖徳太子と言えば、隋書倭国伝の記述が興味深い。
俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌
興味深いのは号。
大君の聞き間違いとされているが。
阿輩は普通に阿波、淡、嗚呼、烏のことじゃないかな。
王だったんだろうな。 現実の政治的中心人物をモデルに架空の人物を作るなんてありえない
安倍首相や菅官房長官をモデルにこんな人物を考えましたーなんて言ってもれも誰もまじめに受け取らない >>927
>現実の政治的中心人物をモデルに架空の人物を作るなんてありえない
記紀年代で事実の可能性のある事象 日本の古代史
57年金印、240年卑弥呼金印(九州統一以前=記紀の否定)
BC200~200? 銅鐸祭祀 (九州非統一=記紀記載なし)以降古墳考古学論考可
300〜 百済、新羅 皇太子人質 高句麗戦支援 牛馬移入 七支刀、和邇吉師献上
400〜500 倭の五王(王比定困難、記載曖昧)(記紀=神功皇后 嘘八百w)
500〜 任那割譲 五経博士献上 仏教仏法僧公伝 磐井の乱
600〜 遣隋使 裴世清斑鳩来朝
663 白村江海戦
架空の人物 記紀=神功皇后
現実=卑弥呼の記録みて、時系列崩壊での魏に難升米他遣使とか もはや致命的 嘘
その他は、わりとどうでもいい創作や、変異に即した脚色ともとれるものも若干有り。
推古帝=聖徳太子前位から白村江に向かう皇朝内の紛争を粉飾する意図が見える。 >>927
サンタクロース
思うにだけど、失脚した人間を歴史から消す場合に
架空の人間に置き換えるとかはありそうに思う
現代でも、特定の人物が
過去の写真から消える場合はあるし
その人物の業績を、歴史的に誰かに付け替えないと
いけない場合も出てくるだろう 日本書紀の記述を丸呑みしている人間ではなく
それに反対する人間が「粉飾」だの「歪曲」だのというやつが多いのがまったくもって不可解
「粉飾」だの「歪曲」だのというのは当該の連中が事実を知っていることではじめてなりたつが
日本書紀執筆当時の人間が曲がりなりにも系譜として把握していたのは雄略以降であり
第一巻は雄略記
雄略より前の記述はいわゆる歴史として書かれたものじゃない
同時代のヤマト政権を構成する氏族が誰も知らん作り話をいくら「捏造」したとこで
当時の人間がそれを史実だと考えるなんてことはありえない
後世の人間が間違えるように?
馬鹿馬鹿しいw 当時文化の最先端を行く唐国の文献と
違う性別の王を捏造とか
ファンタジー以外に記録として意味があるのか
正しい記録が焚書されてしまった以上
最先端国と異なる記述はどちらに信憑性があるか
それを立証できない以上、ただの世界最古のラノベなのだ 聖徳太子は西洋人だと言われてるね
飛鳥の宮にはペルシャ人官僚がいたことがわかってるし
世界情勢に通じ「10人の言葉(10か国語)を理解した」のが聖徳太子
中国に言った時に、姓を聞かれてとっさに「I'm a〜」と言ったのが
「倭王の姓はアマ」と記載されたのは有名な笑い話 >>930
21世紀の現代でも南北朝鮮や中共では「捏造」「粉飾」された自国史を教えている。
国史つーのは「こうありたい」「かくあるべき」もの、という理解は日本でも数十年前までそうだった。
記紀編纂時の支配階級全体が「聖徳太子」誕生で了解したならそれでいいんだよ。
「聖徳太子」は律令国家建設・発展のために“用意”されたキャラクターなんだ。 政治的に必要だったんだろうねえ。
神武天皇や武内宿祢(変換できぬ)とかと一緒。
戦後は聖徳太子は日本人のアイデンテティの象徴になってるから、ここを否定されると日本史の半分が崩れる。
ーー厩戸王は実在したが、 皇太子でも摂政でもなく、その政治的事績は極めて不明
まあ、現実を受け止める時が来たね。 推古は祭祀王
伊勢の斎宮のようなものなら
本来の大王は
摂政という役職で存在をすり替えられた
聖徳太子という人であると考えるのが妥当
なので一族も滅ぶ必要性が見出だせない
日本書紀はファンタジー文庫 結論を先に言うと
「聖徳太子=押坂彦人大兄皇子」で間違いない。
推古天皇が即位したことになっているが、日本に来た中国の皇帝の使者は
日本側の女帝の存在を認識すらしていない。つまり、推古天皇は実在ぜず
「聖徳太子=押坂彦人大兄皇子」が実際の第33代天皇である。 「聖徳太子=押坂彦人大兄皇子」である理由を説明する。
推古天皇(第33代天皇)は架空の人物で
押坂彦人大兄皇子が実際の第33代天皇である。
第34代舒明天皇は、押坂彦人大兄皇子の息子である。
第35代皇極天皇は、押坂彦人大兄皇子の孫である。
天智天皇と天武天皇は、押坂彦人大兄皇子の曾孫である。 押坂彦人大兄皇子は「太子彦人皇子」「忍坂日子人太子」とも呼ばれており
そもそも名前に「太子」が入る人物である。
これは聖徳太子が押坂彦人大兄皇子と同一人物だからである。
『延喜式』には押坂彦人大兄皇子の墓についての記載があるが
その墓域の広さは東西15町、南北20町と尋常ではない大きさである。
これは『延喜式』では最大の大きさである。
父の敏達天皇が東西3町、南北3町、
天皇としては最も大きい天智天皇でも東西14町、南北14町にすぎない。 『隋書』
開皇20年(西暦600年)、俀王あり、姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)、阿輩雞弥(オオキミ)と号す。
王の妻は雞弥(キミ)と号す。後宮に女六七百人あり。太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす。
大業三年,其の王多利思北孤,使いを遣わして朝貢す。使者曰く『海西の菩薩天子重ねて仏法を興すと聞く。故に遣わして朝拝せしめ,兼ねて沙門数十人来りて仏法を学ぶ』
阿毎多利思北孤
・姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)
・阿輩雞弥(オオキミ)と号す
・太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす
押坂彦人大兄皇子
・太子彦(タイシヒコ)と呼ばれる。
・大兄君(オオエキミ)と呼ばれる。
・子供(ワカ)の名前は田村(タフリ)である。
※日本書紀では「村」を「フリ」と読む >>938
トリップ入れ忘れましたがこれも僕の書き込みです 押坂彦人大兄皇子は
『隋書』に登場する俀王・阿毎多利思北孤であることがわかる。 押坂彦人大兄皇子が「皇祖大兄」と呼ばれていることにも注目したい。
天皇の祖である。
押坂彦人大兄皇子は、日本の歴史書では天皇の祖と呼ばれているのである。
(聖徳太子(押坂彦人大兄皇子)が日本で初めて「天子」を名乗った) >>938
その通り
権力争いに勝てなかった傍系の皇子が隋を援軍につけて形成逆転しようとした
ってのが第一回遣隋使の真実だよ
だから日本書紀に載らない
第二回からは正規の派遣だね
第二回のときの倭の使者は第一回からのゴタゴタを隋に対して必死にごまかしただろうけどね ここで第35代皇極天皇の『身分の低さ』に注目したい。
皇極天皇は、欽明天皇のひ孫であり、かつ敏達天皇のひ孫でもあるが、天皇の娘「皇女」ではない。
歴代の女性天皇たちはみな「皇女」だが、皇極天皇だけは「皇女」ではない。
梅澤恵美子の著書『女帝』には、「皇極天皇の皇族としての地位の低さは注目すべきで、敏達天皇の曽孫であり、女性であるところから、
よほどの事情がなければ、即位の可能性は低かった」とある。
ではなぜ、皇極天皇は、天皇になれるような身分ではなかったのに即位できたのか。
それは、皇極天皇の祖父が第33代天皇・押坂彦人大兄皇子(聖徳太子)であり、
皇極天皇の夫が、第33代天皇・押坂彦人大兄皇子(聖徳太子)の息子である第34代舒明天皇だったからである。 わかんとおりという名称が
女性のことであるなら
高貴な血筋はむしろ皇極と孝徳であって舒明ではない
簡単には解けないファンタジーなのである
私は誰もが考えるワカミタフリ=タムラではないと思う
諡に孝徳や皇極には天と豊があるが舒明にはない
姓はアメならアメを最初に持ってくるはずだ
用明の息子が天皇であったとすると
その系統に似たような諱が与えられるはず 押坂彦人大兄皇子の『身分は非常に高い』
第30代・敏達天皇の長男(第一皇子)なのである。
天皇になって当然の身分と言える。 高貴な身分なら誰でも大王になれるわけではない
新唐書では用明の名前が出てきている時点で
アメ姓を使ってない大王はタリシヒコの系統ではない 『新唐書』の成立は1060年で
聖徳太子の時代のこと正確に書いてるとは考えられない。 『隋書』の成立は636〜656年なのは非常に重要
『隋書』は『日本書紀』が完成する前に書かれたものである。 その超重要な『隋書』にはこう書いてある。
・俀王あり、姓は阿毎(アマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ)
・太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす。
押坂彦人大兄皇子
・太子彦(タイシヒコ)と呼ばれる。
・子供(ワカ)の名前は田村(タフリ)である。
押坂彦人大兄皇子が、『隋書』に登場する俀王・阿毎多利思北孤であることがわかる。 押坂彦人大兄皇子が、『隋書』に登場する俀王・阿毎多利思北孤である
物的証拠もあるよ。
墓は物的証拠だよ。
『延喜式』には押坂彦人大兄皇子の墓についての記載があるが
その墓域の広さは東西15町、南北20町と尋常ではない大きさである。
これは『延喜式』では最大の大きさである。
押坂彦人大兄皇子の墓は、天智天皇の墓よりも大きい。 天皇制が始まったのは673年に即位した天武天皇からで
正確には聖徳太子の時代は、天皇はいなかったよ >>953
押坂彦人大兄皇子が「皇祖大兄」とも呼ばれている。
押坂彦人大兄皇子は、日本の歴史書が認定した"天皇の祖”だよ。
押坂彦人大兄皇子が聖徳太子だとすると辻褄が合うね。
日本で初めて「天子」を名乗ったのは聖徳太子で
聖徳太子はまさに”天皇の祖”であるから。 大王にならなかった有力王はたくさんおりましてな
延喜式もリアルタイムの情報ではないのいで眉唾物である
伝•欽明陵なども実際は伝の域を越えられない
伝は伝であり、証拠にはならない なんで利を和と変えるのか
それこそご都合主義で
そのままでも単語の意味は探せる
りかみ、りかび、いかび→いかしひ 重日、厳霊
たふり→たから 財、豊日
女性のあまてらすと書いてあるようにもみえる
そこで、おほきみのアメ姓が重要なのですよ あ、これは私のオリジナル説なので
パクリ禁止で
@羊太夫 >>955
皇祖の兄って意味だろ
弟が皇祖(既存王朝を滅ぼして征服した大王)で
兄は征服の途中で討ち死にしたんだろうよ >>956
太子なのに天子
少なくとも歴史学者は
聖徳太子が「天子」を名乗ったことは認めてるよ。
「天子」というのは中国の皇帝・天皇と同じ身分の人だよ 聖徳太子に関しては基本的に
『隋書』では「俀王」阿毎多利思北孤
聖徳太子の自称は「天子」で、中国の皇帝・天皇と同じ身分だからね。
あくまで後世に書かれた日本書紀だけが
聖徳太子は天皇になってないと書いてるだけで。 『日本書紀』に皇祖という表現は、天照大神と「押坂彦人大兄皇子」の二人だけである。
日本書紀公認のアマテラスと同格の存在、それが押坂彦人大兄皇子 「押坂彦人大兄皇子=俀王・阿毎多利思北孤」と考えると謎が解けるんだよな。
阿毎多利思北孤(アマタラシ ヒコ)
アマタラシが天照大神(アマテラス)のモデルになった1人
つまり押坂彦人大兄皇子が天照大神のモデルになった1人である >>969
トリップ入れ忘れでこれも私の書き込みです >>968
本人は天子(皇帝)としか名乗ってないでしょ。
本人は太子は名乗ってない。あくまで後世で太子扱いされただけで。 『天王宮 山王院』
この家の話なんだけど、どういう事だと思う
『ボーボボ』
グーグルで検索すると出てくる画像なども トリップ付けてまで自分の説を守ろうとは思わないんだが
ヒコヒトノオオエもマロコも
都合の悪い謎人物に付ける名前である >>974
そうだよ。
後世に太子彦と当て字されたくらいだから、
たぶんアマタラシヒコって名乗ってたんだろうね。
アマタラシって日本語で天子(皇帝)って意味だから >>975
お前の場合、トリップつけたら
つっこまれてあっさり終わるだろうねw なのに息子であり高貴な身分の舒明が天も豊も使ってないのですね
敏達系統の諡にはないですもんな このような話もあったり
>死ぬと○○院と呼ばれるわけですが、
>すべて地名がつきます。
>白川、堀川、醍醐、宇多、嵯峨、鳥羽、水尾、一条、二条、三条、花山、花園、伏見、朱雀
>・・・すべて都(京都)の地名です。ほんの少しの例外はあります。
>天皇号が復活したのは江戸時代、それも幕末です。
>死後、「光格天皇」と呼ばれまつられました。
>「光格」は地名ではありませんよね。
>その人の業績を漢字二文字で表す中国風の呼び方です。
>「天武」「天智」とよく似ていますでしょう。実に700年ぶりの「天皇号」の復活でした。
>現在の系図ではすべて天皇ですが、光格以前はその時代には「院」と呼んでいたのです。
>天皇と呼び始め、記載されるようになったのは明治以降です。 >初代・神武天皇から第62代・村上天皇までは、
>崩御後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼ばれていたが、
>第63代・冷泉天皇から第118代・後桃園天皇までは、
>「○○院」(例では、「冷泉院」)と呼ばれ、
>「○○天皇」とは呼ばれていなかった(ただし、安徳天皇と後醍醐天皇を除く)。
>この「天皇」号が復活するのは第119代・光格天皇のときからである。
>明治時代になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められ、
>以後、「○○院」という呼称は廃された。 >>976
>たぶんアマタラシヒコって名乗ってたんだろうね。
これ根拠なしに言っちゃあダメダメ 〉977
え?
記紀を通してじっくり何回も読んだことないの? >>981
それは卑弥呼を日巫女と思っちゃダメというくらい無理があるな 『河童バビィ』
バビィ(仮)が決定していたと書いてあるし、
あの写真の家の名前『天王宮 山王院』と同じだしな 本当に、この写真は何者なんだろう、バビィ?
誰も知らないのかな
農家になり?暮らしていたのかな、
機織りなどをしていたと言っていたり、寺院に通っていたとか
http://iup.2ch-library.com/i/i1908872-1526609513.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1908873-1526609840.jpg
軍人などではないと言っているし、学校の制服でもない 『葱の華』?
『天王宮 山王院』『松傾』のような名前の家、
『亀戸天神』に行ったりもしたよと言っていた(老婆談)
受験などで言ったわけではないみたいなんだけど
このスレの人々に聞いてみても、わからないのかな 何宗(宗派?)だったんだろう、
肉も食べなかった
その写真に写っている母親だったかな、
ニンジン、イモ類を煮たようなものばかり食べていたとか 当時、住んでいた家には凄い刀が飾ってあったとか
手を横に広げて、こ〜んなだぞと言っていた
サイキバ?事件 コーヒー君は良くこんな状態では結論をドヤ出しできるな
わしにはまだまだ出来んわ ・・・UMA(うーま)、午(馬)年・・・
『何者にもなれない お前たち』? もれ(仮)の父親も、午年、弟(次男、二男)なんだけど、
ウーマ一族なのかな 父親の兄(わかりやすくいうと、おじさん)は、
かなーり前に亡くなっているし
ということは、
もれ(仮)の父親がウーマ(UMA)継承者なのかな 兄 弟(この書き込みをしている人物) 妹:5月15日生まれ せいんとせいや?
父親の星座は何だったかな、いて座?
確か11月〜12月・・・? このスレ全部読んでわかったことは、
やはり、「聖徳太子」は厩戸王をモデルにした架空の人物だ
ということだった 『ヒドラの市』
というキャラクターもいたような、三つ首のようなクロス、
仏教関係の話? 一万円札の聖徳太子は実は別人だってか?
もう、がっがりですよw このスレッドは1000を超えました。
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