【真実糺明】日本は元々高句麗から生み出した? [無断転載禁止]©2ch.net

1弥生人プロジェクト2016/05/19(木) 01:05:59.64
高句麗、扶余人の60%が弥生人30%が北方民族だったそうだ。
彼らは国がジナによって滅びれた後、朝鮮半島を渡って今は東朝鮮、九州→日本に定着した。

現在西韓国は中国人dna:o3の子孫
現在東韓国は弥生人dnaを含めて日本全域まで広がっている。

何故、我々は民族団結をしなければいけないのか。
我々は我々の中である「中国人は生き物じゃない」20%の中国人を追い出して朝鮮半島の50%中国人も追い出し、朝鮮半島合併単一民族であり新しい本当の大日本帝国を作るべきである。

世界の20億の中国人dnaたちを掃除するべきである。

25日本@名無史さん2016/06/05(日) 12:20:23.72
記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科
総合研究大学院大学
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html

研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイト
を一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分
を含む日本列島人のDNA分析を行った。

その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的に、もっとも近縁であり、両者の中間に位置する
本土人は、琉球人に次いで、アイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団とし
ては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。

26日本@名無史さん2016/06/05(日) 12:48:47.98
逆だ逆
扶余人は日本列島発祥の日本語族話者

27日本@名無史さん2016/06/05(日) 13:27:22.52
稲作の伝播経路|写真http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.jpg

稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.html

28日本@名無史さん2016/06/05(日) 14:06:07.05
>>1 ちゃうだろ。日本を構成する民族において、これ(高麗)を推進する高橋派などは元半島勢力の一派ではあるが、
本質ではない。日本とは、天皇家が象徴であり、皇族(皇統)すめらのみことが本質だから。

日本語に扶余語の影響があるとしても、それらは高麗系の人々によって作られた略称や隠語などであり、本質を捉えるまでには至らない。
これ(高麗)を保持することなかれ。

29日本@名無史さん2016/06/05(日) 14:13:54.76
百済の前身である馬韓、その都は月支国であるという
「月支」これは「日本」と対になっている
それも日本がメインで月支がサブだ

当時日本は国名として存在しなかったはずではあるが、記紀にはしばしば日本と書いてヤマトと読ませる事例が登場する
このことから考えて半島の月支国(おそらくは後の熊津)は列島の日本国(大和=邪馬台国)によって拓かれたと考えられる

30日本@名無史さん2016/06/05(日) 14:18:41.20
>>23 YES 高須クリニック。正しい。

31日本@名無史さん2016/06/05(日) 16:13:03.98
>>29
日本書紀には、日本は朝鮮半島の小さな地域だったって書いてあるよね。

32日本@名無史さん2016/06/05(日) 18:39:10.90
>>31
書いてない
妄想はよくない

33日本@名無史さん2016/06/06(月) 14:28:50.34
半島南部で使われてた日本という名前を大和朝廷が百済、新羅を侵略して奪った

34日本@名無史さん2016/06/06(月) 17:24:04.03
半島南部にあった日本。これは確定事項。

その日本が、高句麗に圧迫されていたため、子孫の王子を日本列島に逃がした。
その子孫のうち、ニニギという者が、九州の倭人たちに取り込まれず生き延び、
さらにその子孫が畿内に進出して銅鐸民を滅ぼした。

35日本@名無史さん2016/06/06(月) 21:18:50.91
>>33-34
現実と逆のこと言って楽しいか?
それでお前のQOLが向上するとは到底思えんが

36日本@名無史さん2016/06/06(月) 21:45:02.25
なぜ日本史@2ch掲示板はIDつけないの。

37日本@名無史さん2016/06/07(火) 03:21:22.61
「日本」は、もともと、百済地方の呼び名だった。

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。

今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。

7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。


墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。

文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。

墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。

ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html

38日本@名無史さん2016/06/08(水) 10:30:03.08
>>34 事実。証拠はハプロC2の存在。

39日本@名無史さん2016/06/08(水) 14:14:05.10
>>37
違うな
その日本は「大和」つまり九州の「倭人」に対して東(日の本)に位置する「大倭人」を指す言葉だ
国号が日本になる以前からヤマトに「日本」を当てる例が記紀に存在している
任那日本府も、九州からではなく大和から朝鮮半島を支配するための機関という意味だ

40日本@名無史さん2016/06/08(水) 14:20:55.46
>国号が日本になる以前からヤマトに「日本」を当てる例が記紀に存在している

ここって笑い処ですか?

41日本@名無史さん2016/06/08(水) 14:42:43.48
>>40
何も笑う要素がない

ヤマトタケルノミコトは日本武尊
オホヤマトは大日本

日本とは方角の東だ

この当て字が記紀の時代に作り出されたものだという証拠もなく、
またなぜか魏書には馬韓に月支国なる日本国と対義語をなす国名がのせられている

これをどう説明をつけるのか?

42日本@名無史さん2016/06/08(水) 15:06:27.78
>>41
古事記と違ってますよ、なぜ違うの?

43日本@名無史さん2016/06/08(水) 18:02:46.57
「日本」は、もともと、百済地方の呼び名だった。

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。

今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。

7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。


墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。

文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。

墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。

ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html

44日本@名無史さん2016/06/08(水) 19:45:53.98
>>42
日本は「(生駒)山の後ろ」という意味のヤマトを「太陽が昇ってくるあたり」というすさまじい意訳をして充てた漢字なので
大和言葉を漢字に直した古事記の文体にはふさわしくない

また、日本書紀が国外向けであるのに対し古事記が国内向けであるとする視点からみると、
東国からは大和は西でありまったく日本とは逆の方向なのでその用字は好ましくないというのもある

45日本@名無史さん2016/06/08(水) 20:05:49.53
>>44
あなたは今、記紀の時代に作り出されたと言ってますよw

46日本@名無史さん2016/06/08(水) 21:38:13.80
日本人の起源 〜遺伝学電子博物館
http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html

特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で
も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった
のである。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif

つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系
統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か
れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統
のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ
が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人
が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg
http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg

47日本@名無史さん2016/06/09(木) 01:48:07.35
>>45
単芝は頭が悪いらしいな

なぜ記紀には現在には微塵たりとも残っていない古代朝鮮諸語の訓がいくつも載っているのか?
それがヤマトに充てられた日本の正体だ

カラクニ(韓国)とは「カル(離る)国」で、日本から遠く離れた国という意味
韓(上古音で*[ɡ]ˤarまたは*ɡaːn)は日本語のカラ karaへの当て字だ

金海加羅国の別名に「駕洛国」という言い方がある
朝鮮固有語で「가락 karak」とは単独では「糸巻き棒」を指すが
複合語では「머리카락=髪」「손가락=手の指」
「발가락=足の指」「젓가락=箸」「숟가락=匙」などがあり
枝分かれした一部や棒状の道具を指す

朝鮮半島南部を指す地名カラのヴァリエーションの中に「가락」と同じ発音のものがある
思うにこれは「月支国」の「支」と同じもので、根本から離れたもの、遠く離れた国という意味のカラと同じニュアンスを持った言葉だろう

朝鮮半島から見て九州は東というよりも南にあたる
だから九州の倭人を「日本」すなわち東と呼ぶことはできない

だが大和ならどうなるだろう
朝鮮半島よりはるか東の地だ
故に日本とは朝鮮半島から見た大和の呼称として相応しい

任那日本府とは九州の倭人ではなく畿内の倭人が朝鮮半島に乗り込んできた時に韓人側から呼びだしたものなのかもしれない

50日本@名無史さん2016/06/09(木) 03:43:40.90
畿内は九州から見て東という事じゃないの?

51日本@名無史さん2016/06/09(木) 03:49:36.02
どちらでもいい
韓からでも筑紫からでも大和は日本だ
どっちが言い出したのかなんて文字資料でも見つからん限りよくわからんままだろう

52日本@名無史さん2016/06/09(木) 03:58:34.96
藤原氏は遅れて来た倭人という説があったでしょ

藤原氏の先祖=諸蕃??

53日本@名無史さん2016/06/09(木) 05:11:43.32
>>47
>なぜ記紀には現在には微塵たりとも残っていない古代朝鮮諸語の訓がいくつも載っているのか?
日本書紀を書いたのは帰化人だからでしょ。

54日本@名無史さん2016/06/09(木) 05:31:01.53
日本書紀は白村江の戦いから40年も経っている
帰化人が直接書いたのではなくまだ健在だったころの百済人の書いたものを参考にしてああなったとも考えられる

55日本@名無史さん2016/06/09(木) 05:39:41.52
>>54
森先生の説を知らないんかいな

56日本@名無史さん2016/06/09(木) 06:56:37.50
説はあくまで説
知ってるとか知らないとかそういう問題じゃない
可能性のある事は思考しておくに限る

57日本@名無史さん2016/06/09(木) 08:03:12.18
山田史御方は百済帰化人

58日本@名無史さん2016/06/09(木) 12:32:48.41
クシフル=ク・シフル=偉大な・ソホル=偉大なソオル

59日本@名無史さん2016/06/14(火) 19:12:08.44
百済か〜

よかったね

60日本@名無史さん2016/06/14(火) 22:24:24.11
朝鮮から文化を教わっていたんじゃなくて、朝鮮(高句麗、百済、新羅)を侵略して倭は中国から伝わってきた文化を奪ってましたが何か?

61日本@名無史さん2016/06/14(火) 22:42:25.23
稲作の伝播経路|写真http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.jpg

稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.html

62日本@名無史さん2016/06/15(水) 02:13:02.59
>>1
日本民族の為の日本国であるべき論には賛同するが、
あなたは民族と人種は別物なのだと云うこと、民族とは何かと云うことを勉強していない様だね。
国風文化成立迄にこの国に居た人達は紛う事無い日本民族であり、人種の違いは問題では無い。
縄文人・弥生人・渡来人の別なぞは日本文化文明の担い手・継承者としての日本民族の定義上は同一体で有り無意味。
それをわざわざ別物であるかの如く意図して主張するのは、反日の民族分裂解体を目指した伝統無視・国体破壊・分離主義者の類と見なされるよ。

63日本@名無史さん2016/06/15(水) 07:15:39.54
Y遺伝子の解析サイトがかなりあるだろう。
それを確認したら、>>1みたいなバカな話にはならない。

64日本@名無史さん2016/06/15(水) 16:24:59.84
「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科
総合研究大学院大学

今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型を示す100万塩基サイトを
一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を
含む日本列島人のDNA分析を行った。
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する
本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。
一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。

http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html

65日本@名無史さん2016/06/15(水) 22:18:28.50
>>62
その通り!あんたは語るに足る人物だ。歴史板にいる土人共を啓蒙してくれ。

66日本@名無史さん2016/07/22(金) 22:55:28.24
日本国
 記録の上に置いて「日本」の名称が最初に登場するのは任那日本府である。その実体は諸説あるが、
そのころの我が国の国名は「日本」国ではなく「倭」国だったから、「日本」というのは朝鮮南部に
存在した小国の名かあるいは地名だったのではないか。おそらく木満致はその地を中心に任那を支
配していたのでは。その木満致が倭国に渡来し、蘇我氏となり、天皇家になった。その後、天皇家は
先祖の地にちなみ「倭国」を「日本国」に改めたのではないだろうか。そう考えれば「旧唐書」にあ
る「日本国は倭国の別種なり・・・・・日本は旧小国、倭国の地を併せた」との記載と符合する。
http://www.ookuninushiden.com/newpage63.html

67日本@名無史さん2016/07/22(金) 22:57:52.17
日本書紀が勝手に「倭」を「日本」に置き換えただけだから

68日本@名無史さん2016/07/22(金) 22:59:07.79
「日本」は、もともと、百済地方の呼び名だった。

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。

今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。

7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。


墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。

文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。

墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。

ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html

69日本@名無史さん2016/07/22(金) 23:07:06.43
こっちの日本は一般名詞だし

70日本@名無史さん2016/07/23(土) 00:33:40.05
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

71日本@名無史さん2016/07/23(土) 00:48:02.49
稲作の伝播経路|写真http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.jpg

稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、
当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、
稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.html

72日本@名無史さん2016/07/24(日) 23:24:05.66
祖国を滅ぼして逃げてきた朝鮮人を保護したのが日本

73日本@名無史さん2017/06/17(土) 14:24:33.55
>>1
以下スレの後続スレですか?
天皇家は高句麗の末裔
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1331290818/

74日本@名無史さん2018/01/30(火) 17:43:46.86
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

0JQRP

75日本@名無史さん2018/02/02(金) 06:52:27.88
1は中国人?韓国人?

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