邪馬台国畿内説を論理的に潰すスレ [無断転載禁止]©2ch.net

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1倭国大乱2016/06/01(水) 20:55:14.95
憎き畿内説を潰すための有意義な情報を交換しましょう

952日本@名無史さん2018/05/17(木) 08:28:21.02
>>950
>>中華皇帝を相手に通用するわけない。

>ばかなの?断言するなら根拠を示したら?

バカなの?
中国の冊封体制に組み込まれるということは、中国の儀礼を受け容れるということでもあり、それにより文明国としての扱いを受けることができたんだよ。
魏志倭人伝は、倭がそれにふさわしい文明国であることを具体的に報告しているんだよ。
ところが畿内の考古学的状況は、そういう文明国の姿から程遠いから、畿内説は魏志倭人伝は信用ならんと言いはらなくてはいけないわけだ。

953日本@名無史さん2018/05/17(木) 08:35:27.62
>>951
>そこから先に進んだという記事がない。

「今倭水人好沈没捕魚蛤」
「倭地温暖」
「以朱丹塗其身體如中國用粉也」

間違いなく、倭国(阿波)に来ているよ。  @阿波

954日本@名無史さん2018/05/17(木) 09:18:23.63
全部妄想だ。証拠出して物言えよ。
鏡の分布や炭素年代測定などから
畿内優勢は間違いない。
九州だと言い張るなら証拠出せ。

955日本@名無史さん2018/05/17(木) 09:25:41.04
魏志倭人伝他、海外の記録にも記紀にも完全に合致するのは阿波の他にない

956日本@名無史さん2018/05/17(木) 09:35:35.06
>>954
全部、邪馬台国と関係ないじゃん。
邪馬台国と同時代の遺跡など、全国どこでも予算をつぎ込めば見つかるはず。
日本列島には弥生時代にはくまなく人が住んでいたわけだからね。

957日本@名無史さん2018/05/17(木) 09:51:13.42
>>956
ほらな

畿内説を論理的に潰すなんて夢のまた夢

958日本@名無史さん2018/05/17(木) 10:42:53.38
>>951
>そこから先に進んだという記事がない。

???
東南至奴國百里
東行至不彌國百里
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月

これ全部、伊都国内のことなの?
伊都国って、めちゃくちゃ広いね!!
でも、戸数は有千餘戸ww

959日本@名無史さん2018/05/17(木) 10:49:58.35
>>951
>同じ元資料を用いたと思われる後漢書では帯方郡から一万二千里で邪馬台国と明記しているし。

「同じ元資料を用いたと思われる後漢書」じゃなくて、
「魏志倭人伝を元資料として用いた後漢書」だよ
魏志倭人伝「だけ」でもないだろうが、大略は魏志倭人伝に準拠している

「帯方郡から一万二千里で邪馬台国と明記」
そんなことは明記してないよ? 記憶違いかな?
後漢書の原文は「樂浪郡徼 去「其國」萬二千里」で、
「その国」までの距離
直前に「其大倭王居邪馬臺國」とあるから、「邪馬台国と明記」って筆が滑ったのかな?
魏志倭人伝が下敷きなんだから、「その国」は倭国であり女王国だよ

960日本@名無史さん2018/05/17(木) 11:55:51.87
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

961日本@名無史さん2018/05/17(木) 17:31:04.18
>>955
>魏志倭人伝他、海外の記録にも記紀にも完全に合致するのは阿波の他にない

賛同ありがとう。 あなたは以前は何説だったの?  @阿波

962日本@名無史さん2018/05/17(木) 17:58:24.61
>>958
>でも、戸数は有千餘戸ww

政治外交祭祀(すべて「まつりごと」)に特化した王都だったんだね。

963日本@名無史さん2018/05/17(木) 17:59:23.81
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。

964日本@名無史さん2018/05/17(木) 18:01:47.98
>>963
倭国から一万二千里ではないね。
倭国の端は狗邪韓国で、そこからは七千里。
つまり、一万二千里は女王国または邪馬台国からの距離だ。

965日本@名無史さん2018/05/18(金) 08:23:45.06
あほか。
後漢書倭伝は「倭について」記された節だよ。

「楽浪郡徼去其國萬二千里」
「其國」は邪馬台国ではなく倭国のこと。
倭の端っこから楽浪郡までの意。

倭国が広範にわたる國邑連合体であり、邪馬台国は女王の居るところ、平たく言うと皇居。
卑弥呼は「邪馬台国王」ではなく「大倭王」であることからも明らか。

「日本は朝鮮半島の南東の海にあります。皇居は東京にあります。北朝鮮は、日本本土を離れて12000里ほどのところにあります」

同じ文中の「其西北界狗邪韓國七千餘里」は、「倭国西北の国境線」は狗邪韓國から七千餘里という意味。

倭国国境線が狗邪韓國以北にあったら、「倭在韓東南『大海中』」と矛盾するだろうが。


知っての通り、後漢書は倭人伝の引き写し再解釈で、新しい情報は何もない。

966日本@名無史さん2018/05/18(金) 08:44:08.14
>>965
>倭の端っこから楽浪郡までの意。

倭の端からは楽浪郡まで七千里だよ。
もう一度よく読めよ。

967日本@名無史さん2018/05/18(金) 09:08:09.97
どんだけ頭悪いの?
「楽浪郡徼去『其(A)』國萬二千里『其(B)』西北界狗邪韓國七千餘里」って書いてあるだろが。

一連の流れの中で『其』があるわけで、文章構造として『其』は同じものを指してないとおかしいだろうが。

『其(A)』=『邪馬台国』だとすると、『其(B)』=『邪馬台国』となる。

と、「其西北界狗邪韓國」は「邪馬台国の西北界は狗邪韓國」になり、これが成立しないのはわかるよな?

邪馬台国は倭国中の一都市でしかなく、イコール倭を表す語ではない。
倭人伝でも明らかにそのように扱われているし、「邪馬台国=倭」・「狗邪韓國は邪馬台国に含まれる」として、狗邪韓國〜投馬国までの戸数を積算して邪馬台国の戸数をオーバーしてしまうことからも、これはありえない。

『其(A)』『其(B)』=倭 であって、邪馬台国を指す語ではない。

968日本@名無史さん2018/05/18(金) 13:06:21.32
何が言いたいんだ?

969日本@名無史さん2018/05/18(金) 13:41:59.50
邪馬台国が楽浪郡から12000里で、楽浪郡〜狗邪韓国が7000里だとすると、狗邪韓国から邪馬台国は5000里。

架空の単位『短里』(70〜90m)を採用しても、350〜450km。
朝鮮半島南岸の狗邪韓国から400km±50kmも離れたら、北九州を軽く飛び越えてしまうわな。

後漢書の記載を信じるとしても>>963のように解釈したら、邪馬台国は北九州にはあり得ないねぇ。

970日本@名無史さん2018/05/18(金) 14:13:00.05
じゃあ邪馬台国九州中説を唱えてくれ。
熊本説や宮崎説もいることはいる。

971日本@名無史さん2018/05/18(金) 14:57:08.53
史書そのまんま読みなら、北九州よりは九州中南部の方が整合性あるな。

972日本@名無史さん2018/05/18(金) 15:06:05.74
ザラコク氏の筑後説の方が、伊都国説より可能性が高いとお考えですか?

973日本@名無史さん2018/05/18(金) 17:18:35.47
隋書倭国伝(唐代)

其國境東西五月行南北三月行各至於海
地勢東高西下
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也


「(倭国の)都は邪靡堆(ヤビタィ)、魏志で言うところのいわゆる邪馬臺だヨ!」
って書いてある。

編纂時で言うと飛鳥時代だから邪靡堆はヤマトの音訳として合致する。

遣隋使、遣唐使を経て倭人留学生なども居り、正しい情報が得られたわけだね。

974日本@名無史さん2018/05/18(金) 17:21:35.02
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

975日本@名無史さん2018/05/18(金) 17:29:02.72
>>974
>王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
>彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

これって、大陸史書による倭国の情報「じゃなくて」、大陸王朝がどれくらい日本から情報を入れていたのかっていう情報だよね
日本書紀の記述は、新唐書編纂時には利用できたという情報

976日本@名無史さん2018/05/18(金) 18:21:40.14
>>974
記紀の引用だね。神武東征の件は、大和→西征の正当化のために創作されたというのが定説。
「元々我々は九州に居たのだからその地を取り戻すことは正当である」というロジックな。

現実にそのロジックでイスラエルは建国されてる。

977日本@名無史さん2018/05/18(金) 19:47:37.92
白村江で倭国が滅んで畿内の日本国が政権を取ってからは、頻繁に遣唐使を派遣する親唐政権となり、唐も日本書紀の言い分を聞き入れたのだね。

978日本@名無史さん2018/05/18(金) 19:49:42.05
>>976
>記紀の引用だね。神武東征の件は、大和→西征の正当化のために創作されたというのが定説。

そんな定説は聞いたことがないんだが?
いつ頃に、誰が唱えたもの?

979日本@名無史さん2018/05/18(金) 19:51:28.29
>>977
>白村江で倭国が滅んで

そんな話はない
白村江まで存続すると主張する古田史学系九州王朝説は、
トンデモ度が高い

980日本@名無史さん2018/05/18(金) 20:17:26.60
>>977
>白村江で倭国が滅んで

別に倭国は滅んではいないよ。

>畿内の日本国が政権を取ってからは、

畿内に日本国など存在していない。
倭国(阿波)から遷都して、日本と称しただけ。  @阿波

981日本@名無史さん2018/05/19(土) 03:26:42.06
里程記載を信じる
→12000里から狗邪韓国までの7000里を引くと残5000里となり、短里を用いても北九州の比定候補地を飛び越えてしまうのでこの時点で北九州全滅。

里程記載を信じない
→計測方法不明のため里程の信憑性が低いとしても、日数を間違うとは考え難い。
水行20日・水行10日陸行1月の時点で九州島ほぼ全域アウト。

方位に関しては、末廬国・伊都国・奴国を一般的な比定地(唐津・糸島・博多〜春日)に当てはめるとその時点で破綻する。
九州説・近畿説・その他説問わず記載通りには解釈しづらい。

982日本@名無史さん2018/05/19(土) 07:30:07.54
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

983日本@名無史さん2018/05/19(土) 07:54:15.20
>>981
>方位に関しては、末廬国・伊都国・奴国を一般的な比定地(唐津・糸島・博多〜春日)に当てはめるとその時点で破綻する。


だから、

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。  @阿波

984日本@名無史さん2018/05/19(土) 08:12:26.56
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

985日本@名無史さん2018/05/19(土) 08:12:52.77
【白村江の戦いと倭国滅亡】

663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。

668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。

671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。

筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。

701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

986日本@名無史さん2018/05/19(土) 08:59:23.30
そんな妄想を書き連ねて
どうして畿内説を潰せると
空想できるんだ?

987日本@名無史さん2018/05/19(土) 09:43:34.62
>>986
>どうして畿内説を潰せると
>空想できるんだ?

論理的思考ができないからだと思うなw

988日本@名無史さん2018/05/19(土) 10:32:26.96
北九州説を採ると、水行以降の記述をどうやっても合理的に説明できない。

帯方郡からの日数だ!と無理読みしたところで、他の記述「帶方東南大海之中」「從郡至倭」「自郡至女王國」に見られるような「帯方郡から」との但書きが無い理由が説明できない。
そもそも倭は帯方郡の東南にありと明記されており、水行部分で「南」と別方位記載となる理由が説明できない。
帯方郡からの連続読だとすると投馬国記述が九州上陸以前に記述されない理由が説明できず。
放射読とすると「官」が置かれ女王国統治下である事が明白な投馬国が邪馬台国より遠方となる理由も説明できず。

九州上陸後「陸行1月」してしまうとこれまた北九州には収まらないので「1日」の誤記との読み替えも必要。

989日本@名無史さん2018/05/19(土) 10:55:28.72
畿内説以外では

邪馬台国の位置を具体的に比定した、邪馬台国当時に最も近い文献である
隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
の記述を説明できない。
「誤りである」とする合理的な説明は存在しない。

旧唐書は魏志の誤読である。
魏志では「女王国」と「倭」は区別されている。一大率を置いた主体は女王国であり、倭ではない。
新唐書は記紀の引用である。
神武は後の創作であり、存在しないとの見解が定説。

何れにせよ魏志より600年前後も時代が離れ、隋書からも300年後の書であり、信頼性は薄い。
隋書の方が邪馬台国時代に近く、二唐書を隋書より信憑性が高い情報とする合理的説明はない。

990日本@名無史さん2018/05/19(土) 11:04:21.40
二唐書を盲信するのもバカだと思うが
切り捨てるのも同じくらいバカだぞ

991日本@名無史さん2018/05/19(土) 11:39:08.13
二唐書の記述でも魏志の水行記述を説明できず、切り捨てることになる。
こちらの方がよほど馬鹿…というか、二唐書は「邪馬台国」について言及された文書ではない。

邪馬台国比定に持ち出すこと自体が馬鹿。


魏志、隋書、二唐書すべてに整合性を持たせて説明すると、以下のようになる。

●大和=邪靡堆=則魏志所謂邪馬臺であり、女王国の首都「邪馬台国」は畿内にあった。
●倭奴=伊都=は女王国統治下、九州方面監督国であり、九州方面では優越的地位にあった(『丗有王』官も居たが王も居た、もしくは伊都国王が女王国の官に任命された)
●一大率は女王国の統治下、伊都国が主体として設置した(警察庁-各都道府県警の関係に類似)
●九州勢力指導層は、女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動し、地位を得た

「九州王朝」「九州勢力の武力侵攻による大和東遷」は考古的資料からは蓋然性が認められないが、穏健的移動、ヤマト王権中枢での地位獲得ならばあり得るか?

992日本@名無史さん2018/05/19(土) 11:56:35.97
>>991
>●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、女王国の首都「邪馬台国」は畿内にあった。

いきなりの飛躍。 根拠なし

>●九州勢力指導層は、女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動し、地位を得た

その九州勢力指導層が女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動した痕跡が見当たらない。  @阿波

993日本@名無史さん2018/05/19(土) 11:59:14.80
>>991
>いきなりの飛躍。 根拠なし

隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」

隋書編纂時の都は大和であることは明確。
今のところこの記述を否定する史料は提出されていない。

994日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:03:48.59
>その九州勢力指導層が女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動した痕跡が見当たらない。
ごく一部の指導者が移動したところで、物理的痕跡など残らない。
「記紀の神武東征を、完全フィクションではなく何らかの事実を基にしていたならば」の仮定的推察。

九州勢力→大和への移動は、畿内説的にはあっても無くても構わんよw

二唐書も比定検討史料として加えるならば…の話。加えなくても、これもOK。

995日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:09:02.62
>>993
>隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」

隋書編纂時の都は大和であるが、
隋書が記しているのは、魏志倭人伝(晋代)での「魏代の都」のこと。 勘違いしてはいけない。  @阿波

996日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:09:05.49
>>991
>こちらの方がよほど馬鹿…というか、二唐書は「邪馬台国」について言及された文書ではない。

魏志倭人伝だって、邪馬台国について記した書ではない。
倭について記したものだ。
その倭の東に別の日本国があったという記録の存在は無視するべきではない。
後漢書は明確に倭を朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までとしている。
卑弥呼が即位するのは後漢滅亡の頃になるが、倭が大きく移動した記事はその時代にはない。

997日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:10:23.15
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

998日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:10:57.15
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

999日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:13:49.27
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

1000日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:14:22.68
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。

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