戦国時代の到来を防ぐにはどうすればよかったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国時代という現在のソマリアのごとき
群雄割拠状態による戦乱時代を防ぐにはどうすればよかったのか 守護大名が力をつけていたから戦国に向かったんではないか。
もし将軍家が義満の時代のまま一強を保っていれば江戸幕府みたいになっていた。 戦国時代を防ぐって誰の立場で言ってるんだ
日本列島原住民の立場ならどうする力も無いよ
渡来人が日本列島上で争ってたのを農奴の縄文人は見てるしかない 武士は農奴やろ。
室町時代にゃ渡来人は京都でオカマやってらな。
ひょっとしたら戦国時代というのは、原住民が江戸幕府という独自の王朝を開くための戦乱だったのかもしれない。 凶暴な朝鮮人スリ団 被害急増
東京都内の鉄道で起きた韓国人武装すり団とみられる窃盗や強盗事件のうち、JR中央線と京王線での被害が昨年に比べて急増したことが、警視庁のまとめでわかった。
一方、地下鉄の被害は半減した。同庁は「全般的に、警戒が厳重な都心部より郊外で犯行が多発する傾向がある」と警戒を強めている。
韓国人武装すり団は数人で乗客を取り囲み、バッグを切り裂くなどして財布などの金品を盗みとる。
犯行が発覚しても取り押さえられないよう、隠し持っていた刃物で乗客らを切りつけ、けがをさせることもある。高齢者や女性に被害が多い。
捜査3課が現在、武装すり団による被害件数を沿線別に比較したところ、JR中央線は昨年同期に比べて31件から73件へ、京王線が15件から42件へと2〜3倍になっていた。
一方、東京メトロと都営地下鉄の合計は、昨年が394件だったのが今年は187件に激減した。
今年は6月に地下鉄渋谷駅で駅員が銃撃されたり、東急田園調布駅で乗客がすり団のメンバーに切りつけられたりする事件が起きており、とりわけ都心部で厳重な警戒態勢がとられた。
武装すり団は乗客が少なくなる日中に犯行に及ぶことが多い。乗客が多いと、逃げる際にも支障が出たりするからだ。同課は「郊外に行くほど、すり団にとって狙いやすい環境が整う」と分析している。 既出ならスマン
インフラ
・高速道路 (早馬用 大規模道路)
・海路ルール・船便 改善
・南蛮の高速艦船 導入
法律
・法治主義。人の支配 禁止
・憲法 整備
政治
・入れ札(多数決)導入
・円卓(上座・下座禁止)導入
話し合いでも、
意見の是非より上下関係優先したら
そりゃ不満が噴き出しますわ
階級
・門閥禁止。政策本位の政党政治導入
(たまーに同門同士の対立もあったが
政策本位の対立を恒常化させる)
軍事
・外敵(仮想敵国) 既出だな>>4
・暴力・手駒私兵規制 要は、近代化=経済安定・法治主義を怠けりゃ、
そりゃ、クーデター起きますわ
あと、軍事外交的には、無論
南蛮=大航海ラテン諸国に対して
足利があまりにも無策だった
これでは、各地氏族が不安を抱いても当然
将軍なら世界史はちゃんと勉強しましょうよ、と
>>390
ニアピン賞
国譲り以来、
アマテラス vs オオクニヌシ
この抗争が常に噴出してきた
(ちなみに、松平徳川はオオタタネコ、
つまりオオクニヌシ寄り)
モラルハザードを考慮するなら、
アマテラス皇族が自主的に廃朝して
諏訪氏に大政奉還しておけば、
少なくとも徳治や法治、非暴力主義を徹底できた
まあ、暴力主義、負の連鎖 悪循環ですわ
ちなみに、今の時代も、ね 尊氏が「武士たちは、足利家という源氏名門の家柄ブランドに
ついてくるはずだから」と過信しすぎた
北条得宗家の増長や建武の新政の恩賞不満をみていたからだろうが、
将軍の直轄領はわずかにしてしまった
北条と徳川は他の御家人や大名を圧倒するような巨大な軍事力を
持っていたから天下を統治できたから対照的だ だな、将軍の直轄領が少なすぎだ。少なくとも5ヵ国は押さえて常備軍編成しておく
べきだった。 >>394-396
違う
軍事力だけではイタチごっこで切りが無い
人治 門閥 私兵
これでは
クーデターチキンレースが続くだけ
ちゃんと唐やギリシアあたりを研究して
すみやかに国軍と議会、
何よりも法治の法理を導入しなかったのが
最大の敗因
どんな分野だろうと
近代化しないバカは必ず負ける 国が発展していけば保てるが、発展しないと保てない
その点の差が室町と江戸のさがある 戦国時代が悪い時代って、
俺はおもわんけど
人間の正体が、剥き出しなっただけだろ。
平和な時代では、
それが隠れているだけ。
無くなってっはいない。 鎌倉時代、北条氏は他の御家人に突出した所領を保有しており、軍の動員力も
ずば抜けていたが、最後には北条氏のみが鎌倉に孤立して滅亡した。
当時の武家の権力者が生き残るには、単に直轄領と直轄軍を保有するだけでは
なく、武家社会の中で広範な支持を得ることが必要だった。
だから、足利尊氏が配下の守護大名たちに多くの所領を与えて懐柔したのは
当時の判断としては、適切だったと思う。
結果として室町幕府は弱体化したが、足利将軍家は高い権威を保ち、鎌倉幕府
より長く続くことができた。足利氏自体も、江戸時代以後も貴種として高い
家格を保持し、明治維新まで続くことができた。 徳川は足利のような弱体化した幕府にしないように心がけていたのだろう
仮に家康が天領400万石を御三家たちに分配しつくして、
御三家を三管領のように幕政の中枢を担わせたら、
徳川将軍家は第二の足利将軍家のように弱体化してしまう
だから徳川将軍は天領400万石と旗本八万騎という
圧倒的な軍事力を持ち、
御三家には格式と名誉を与えても、幕政には参加させない そして徳川は武家社会の中で広範の支持を得るために、
家康は神となり、その後は儒教を奨励することで、
徳川への忠誠心を醸成していった
徳川も自らを「公儀」と称して、徳川の私利私欲ではない、
武家のための公的な存在であるとアピールした(実態は別として) >>86にあるように、武士が武士である限り、武士の所領拡大欲求は尽きることはなく、
戦国時代到来は不可避だったのだろう。
だから、戦国時代を終わらせるには、武士を武士でなくすしかなかった。
江戸幕府の統治政策とは、武士を武士でなくすことだったのではと考える。
われわれは武士のイメージを江戸時代の武士から抱くことが多いが、あれは
何か別のものの姿を見ているのではないか? つまり相続のシステムを分割から嫡子総取りに変えれれば防げたと >>405
その通りかもね
徳川に反乱を起こさないように棘を抜いてるうちに
「非武士化」されたのであって、最初からそれを意図してたのではないだろうが >>408
兵農分離ってか、万石未満の旗本を原則江戸定府にして
知行地から切り離したことだろ? まあ、幕末の旗本みたいに「刀差して歩くなんて、重くて仕方ありませんよ」なんて嘯くところまで落ちぶれるとは思ってなかっただろう。 >>398
そういう発想は議論そのものを否定するから
ここでは禁句
>>401
墓の所在さえわからん氏族が成功なわけありません
>>403
徳川も賀茂一門なんだから
オオクニヌシとの関わりから論じたまへ
考察が薄っぺらすぎる
やり直し >>405
ハッキリ言って、徳川家の国防構想は極めて脆弱
織豊と比較して話しにならない
おそらく、家康自身の本音として
国防は二の次だったんだろう
で、どうして天下盗りに討って出たか
結局家康のプライドだよ
「オレも賀茂の末裔、神の一族だ」
この王族としてプライドがあったから
日光みたいな山奥に神殿まで造ったのさ
>>407
トゲ抜くなら
バーターで国軍を強化しないと
国防としては大失敗
ここらへん、徳川家の執念、
悪く言えば冷静さに欠けた狂気を感じますな 徳川の250年間特に外国が攻めてこなかったのでよかったのかと。
徳川が地政学をどれだけ理解してたかしらんが、
16-19世紀前半までなら戦略的に重要拠点ではない プライドでも何でも無く、当時の武将が皆抱いていた野心じゃないのか。
誰だって信長秀吉を見ればお次を狙うだろ。 江戸時代の武士は、従来の武士とは違って、一種の文官だったと思う。
武士が文官に変化することによって、社会が固定化し、戦乱の要因がなくなった
のではないか。 つか戦争がなくなって世襲の家来を何に使うかってと文官しかないわけよ
で、文官として成功するには武芸より学問ができた方がよい
インテリ集団のできあがりだ
西洋のように商売始める武士があまりいなかったのが
せめてもの武士の矜持なのかな。
金貸しは相当数いたようだが。 >>415 吉川元春 小早川隆景 父の毛利元就より天下を狙わぬよう厳命される。
上杉謙信 謙信の目標は室町幕府の復興ではなかったか?
北条一族 関八州の掌握
後 長曾我部とか大友・島津なんかも四国や九州の統一が目標じゃなかったかな。 >>418
それは当面の目標だろう。
戦争している以上は、地域統一だけで収まる訳が無い。
そこを統一したら、自信ができて次は天下へ京へ・・・と言うのは自然な流れだ。
それに、仮にそこが収まっても他が許さないだろう。
地域の統一というのは、パワーバランスの崩壊を意味するからな。
他が攻め込んでくるだろう。
そして撃退したら同じことだ。
結局は嘗ては統一されていた同じ文化圏で戦っている以上は、ゴールは統一以外には有り得ない。
そして文化圏に所属している以上は、統一戦に参加せざる負えないという事だね。 >>400
こういう中二病って何でさっさとソマリアかメキシコにでも移住しないんだろう
斜に構えたこと言っておきながら自分は殺し合いする度胸ないチキン 足利義満みたいなのが代々続いていたら
足利幕府による恐怖の支配が続き
とりあえず戦乱は起きない 別に義満の頃だって大した戦力あったわけじゃないから
恐怖政治なんて長く続くわけないよ
内部分裂を誘発してそれをうまく調停するのが足利幕府の基本的な統治方法 それ自体は何ら戦力を持たない国連と同じだからな。
国連はご存知の通り国土も住民も戦力も持たない。
国連軍というものはあるが、実態は各国軍の寄せ集めだ。
アメリカ軍etcの寄せ集めで、国連直轄部隊というものは殆ど存在しない。
それは室町時代も同じで、一応奉公衆という軍隊を作ったが、所領も民も無いから大して長続きはしなかった。
維持が出来なかったんだな。
だから、室町幕府を続けたいならまずはマトモな天領を作らないと話にならない。 君たちはもう気づいているはずだ。 戦国時代の原因(遠因)は足利尊氏にある。
もっと言えば観応の擾乱である。 戦国の始まりは1349年である。 >>426
これは否定しようがないね
また尊氏ファンとして誠に遺憾の意を表明 後醍醐天皇が南朝を建てる前に亡き者にする、辺りから歴史改変しないとな。
幕府の存在意義が統制に拠る安定でなくて、調停に拠る均衡だから、成立過程から変えないと・・・尊氏・直義兄弟しっかりしろと。 尊氏に信長秀吉家康並のやる気を持たせれば良いんじゃない?
そうすりゃもう少ししっかりした物が出来たかも。
若しくはせめて、義詮の早死が無ければ或いは・・・ 尊氏がどんなに頼朝みたいに統治しようが、既に時代は貨幣経済に移ってたから鎌倉幕府みたいにはいかなかったんじゃないだろうか 関東といふ僻陬の地に開幕すれば、何故か長く続くやうぢや。 それは南北朝時代が早期に終了しないとできないな。
せめて尊氏の代に終わらないと、京都に定着しちまうからね。 まず地方の守護大名の国力を削ぐ政策を実行できる能力を持った強力な政権がないと実現不能
地方大名の本領安堵を許さず中央に財力を集中させるシステムが必要
だからまず誰かが武力で統一するしかなかったというのはあるな
律令を作った天武天皇や徳川幕府はそのシステムを構築したからその後数百年持ったと思う 日本史上、初めて全国統一したのは足利義教。 そう、日本史上最強のリーダーである。 戦国時代の始まりと終わりはいつからか? とかいうスレがあった。 近年はその始まりを
応仁の乱ではなく、明応の政変(1493年)とする説が注目されている。
まあ、それに立てつくわけではないが、 もっと巨視的に歴史を眺めると、義満〜応仁の乱の機関は
一種の小康状態・平和条約ではなく休戦協定のまままの状態と見做し、
南北朝争乱の勃発〜関ヶ原の戦い(又は大坂の陣)までを「戦国時代」ではないか、と考えたりもする。
義満〜義政(前半)時代のいわゆる「室町の平和」を無視してしまうと、何か今までのモヤモヤがスッキリして
目がさえた気がしてくる。 >>1
タイムトラベルして後醍醐天皇と足利尊氏と新田義貞を消す。
鎌倉時代がダラダラ続く。
やがて、この腐った幕府を倒す英雄が現れる。
大塩平八郎である。 鎌倉時代が長続きは無理だろうよ。
後醍醐天皇や護良親王がいなくても、いずれ応仁の乱のような動乱は起きてたろう。
そして室町時代を挟まずに戦国時代に突入・・・
そして信長や秀吉に相当する誰かが登場し、統一していたかもしれないな。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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