戦国時代の新潟県民はなぜ戦闘力が高いのか [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/08/24(水) 19:53:32.04
越中の豪族を滅ぼし
会津からの侵攻を撃破し
織田軍を手取川で退け
関東に幾度も遠征した
なぜなのか

128日本@名無史さん2017/09/02(土) 23:46:38.83
小千谷市の「羽鳥一族」の伝承の話はおもしろいね
越後(新潟県)と上野(群馬県)に分かれることになり、いつか再びおち合うことを誓ったお話

129日本@名無史さん2017/09/16(土) 22:19:24.53
やはり戦国最強は信玄率いる甲州武田軍団
その武田軍団に引けを取らなかった謙信率いる越後上杉軍

上杉軍団と武田軍団の川中島の戦いは引き分け

130日本@名無史さん2017/09/23(土) 21:55:28.26
>>90
広島連覇おめでとう。

131日本@名無史さん2017/09/23(土) 22:49:02.70
越後秩父党の本庄氏、色部氏
桓武平氏秩父氏系の高麗氏。秩父武基の子、高麗武家
秩父武基は平将恒の息子で平将門の曾孫。

高麗武家の子孫が、阿賀北衆の越後秩父氏の本庄氏と色部氏となる。

本庄氏からは、「上杉家に鬼神あり」とまで言われた武将本庄繁長がでる。

132日本@名無史さん2017/09/23(土) 23:02:40.60
米沢藩の高家衆

米沢武田家は、越後本庄氏から養子を迎えた親戚。

133日本@名無史さん2017/09/24(日) 10:37:46.06
昔から僻地の兵士は強いしな
甲州武士しかり薩摩武士しかり・・・


戦国の越後なんて今の米どころと違ってあんだけの広大な土地を持ってるくせに40万石程度だしな、しかもまともに稲作できたのは上越や長岡を中心とした高田地域だけ
魚沼やら新潟市中心部あたりなんて沼地で荒れ放題の土地だった

134白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/25(月) 03:35:22.12
>>133
実例、戦歴、戦績も無しに僻地兵士が強いと連呼工作してものう(笑)。
越後、甲州、薩摩の兵が僻地じゃ無ぁ、日本最強の広島の兵たぁ優った実績が
あるんなら提示してみんさいや(笑)。
>>66-73のわしん意見にゃ直接カバチ垂れずにで、僻地が強かった戦闘武勲実績
挙げられんじゃ、幼児に等しい。
僻地の兵は蹂躙された敗北の歴史の経験から膠着激戦にゃ使えんよ。
東北蝦夷も、隼人征伐から桃山期の九州征伐の中国山陽筋の毛利、黒田勢にゃ
お手上げのまで敗北の歴史的経験で勝ち癖が付いとらんし。
越後に関しては、弱兵の産地の関東にゃ勝ち癖があるけどのう。
ほいで僻地の兵は指揮官の顔色伺うだけで、前線兵士の個々の判断で
戦闘継続出来る能力も乏しいけぇ、群集心理の集団主義で動くけぇ、
個々の能力で勝敗が決まる防禦戦が全く出来ん烏合の衆になるけぇのう。
まあ、薩摩じゃの肥後熊本たぁ弱い癖に九州一にも成れん毎度の二番手よのう。

135白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/25(月) 03:49:40.32
>>133
ほいから、甲州の甲府聯隊も神奈川兵が混じったせえもあるにしても弱いよのう。
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1395131896/
263白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/05(火) 03:34:07.85
牛の糞にも段々があってのう。弱兵の産地関東地方でもよ。
甲斐の甲府連隊じゃの、連隊対抗戦で千葉の佐倉連隊にすら勝てんし…。
『人国記』は、遠い西日本はデタラメ記述が目立つが、東日本はわりあい当たっとる
んじゃないか。 上総国は、武勇では「関東で二番と劣るべからず」と、関東最強云う。
 近代郷土部隊でも、今村均大将が佐倉連隊長じゃった頃でも、
「千葉県佐倉町屯在の歩兵第五十七連隊の兵員は、悉く千葉県下、房総地方出身の
青年であり、大部分は半農半漁を業とした者たちなので、自然、第一師団(東京)に
属する四つの歩兵連隊中、その体力は、断然他よりすぐれ、例えばその年の秋季演習
約十日間の行動中、一名の落伍者も出さないいで、全員やり通した中隊、わが連隊
十中隊のうち、五個中隊を報告したところ、参謀長が「君の連隊以外には、一つの
中隊もないのだ。」とか、 「約十日間、富士の裾野で行われた師団内のも一つの
旅団の連隊対抗演習で、甲府連隊 (山梨・神奈川の兵員)が多数の落伍者を出し、
そのうちの幾名かが、遂に生きてかえらず、」と、甲斐や相模は基礎体力も劣って
おったし、関東一の精強の上総や安房にゃ勝てんよ。
 まあ、甲種合格率日本一常連の岩手県たぁ、体力的にも断然弱い関東、甲州じゃ
比べもんにならんけど、関東じゃ、千葉の佐倉連隊、北関東なら群馬の高崎連隊が、
関東限定じゃ強いんじゃろう。

136日本@名無史さん2017/09/25(月) 18:29:07.43
へえ興味深いね、、、武蔵国や下野の兵隊はどうなんだろ??

137白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/26(火) 02:46:48.16
>>136
>>70-73の鬼部隊、麻布暴力団が武蔵の東京麻布(本郷も含める)聯隊じゃったんよ。
「戦闘では 弱いけど、悪いことでは天下一品だった。だから鬼部隊と呼ばれてね。
街に入ったら強い。なにしろ略奪や強姦はお手のもので」
東京赤羽工兵隊も強姦・掠奪で中国人から鬼と云われたのう。
ほいから下野の宇都宮聯隊云うか、宇都宮師団も戦闘は弱いが非戦闘員市民にゃ強い、
強姦部隊として名高いし、九州兵と関東兵は強姦鬼部隊として非戦闘員市民にゃ
酷かったけぇのう。「人国記」じゃ武蔵は「よく気を改め、敗軍の士を集めて
出陣するの類なり」下野は、「辻切・強盗の類にて少しも恥づる事なく、欲心ありて
つれなく、而して悪を知りて直なることを用ひず、形の如く風俗悪しし。」
まあ、武蔵部隊が気を改め結局敗北しても敢闘賞並みに善戦したんは、島嶼部の
南方戦線で逃げ道の無い米軍との戦さじゃったが、対中国軍じゃ一方的にほとんど
負けて、中国兵も「東京部隊なら何回も戦ってやる」と馬鹿にされたくらいじゃし。
下野の強盗連中も、対中国戦じゃ弱かったが、街でも強盗・強姦にゃ強い。
まあ、関東じゃ上総や風俗の変わらん安房の「男女ともに死する事を手柄とのみ
覚えて」の漁師色の強い千葉県が関東最強じゃろうけど、関東の隣の伊豆は、
「強中の強にして、その気に乗る時は強し、その気の乗らざる時も強し」と沿岸
漁師気質の進取気風の半農半漁地域は、陸の農民系の気質たぁ(とは)闘争心も違うし。

138日本@名無史さん2017/09/26(火) 04:00:44.91
お客さん呼び込みの自演ご苦労さん

139日本@名無史さん2017/09/26(火) 21:57:00.58
伊豆の兵隊は強いよな伊勢新九郎率いる伊豆地侍団が相模をとれたのも彼らのお陰だろう


常陸とかも強いんかね?あと北海道とか

140日本@名無史さん2017/09/26(火) 22:13:09.72
吉田松陰「柔弱日本の柔弱中国」
日本は昔より柔弱国なり。大は兵戦少く、小は殺伐少きを以て知るべし。
殊に中国最も柔弱と称す。
(『吉田松陰書簡集』)

「柔弱日本の柔弱中国(山陽、山陰)」

    ____.ミ ⌒ 彡   
  〜/ ▼▲<;`Д´>  
   .| ▲▼▲  |   
   .|_|_| ̄ ̄|_|_|. 

141白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/27(水) 02:19:38.37
>>139
北条早雲は備中井原の伊勢氏じゃろう。備中由来の家臣もおるし。城攻めの巧みさも
攻城戦が多かった中国地方的でもある。攻城戦は、東日本に多い野戦の集団主義と比べ
個々の将兵の質の高さが要求されるけぇのう。しかも山地が多い伊豆の土地柄は、
中国地方勢にとって奪取し易いし、勢力拡大にゃもってこいの場所よ。
伊豆は、山と海の土地柄ゆえ、平野の多い関東の兵よりかは強いし、足腰も鍛えられ
とろう。伊豆は近代じゃ名古屋師団の静岡聯隊じゃが、三河の突破豊橋聯隊よりも
強かったくらいじゃし。あと名古屋師団じゃ美濃の岐阜聯隊も強かったが、西美濃は
金沢師団の敦賀聯隊で、日露戦争の金沢師団の武勲も敦賀聯隊が一番多かったらしい。
常陸は、「人国記」に、「ただ盗賊多くして、夜討・押込・辻切等をして、
その悪事顕はれ、罪科に行はるるといへども、恥辱とも曾て思はず。」と下野と
変わらんよ。水戸聯隊も強うも無ぁ、強姦・掠奪得意の北関東、宇都宮師団の
特徴じゃし、宇都宮師団で一番強かったんは、ダントツ信濃の松本聯隊で、
二番目に上州の高崎聯隊云うことんなろう。常陸はこのスレの越後上杉勢に
散々蹂躙された歴史もあるし。
北海道は近代兵団時、人口が少なかったけぇ、東北の仙台師団からの
壮丁が一番多かったゆえ、仙台師団の二個聯隊の高田聯隊、新発田聯隊は
新潟県じゃけぇ、北海道の旭川師団は、新潟県将兵も多かったよ。
まあ、仙台師団の弟師団みたぁなもんで、旭川師団の仙台師団系以外は
日本全国から集まったにしても、東北、越後色の強い師団じゃったよ。

142白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/27(水) 02:35:30.81
>>140
捏造九州文久落書君じゃのう。「吉田松陰書簡集」の何項に書いてあるかの提示は
相変わらず無しかいのう(笑)。
まあ、九州勢は幕末でも長州にゃ一方的に負けとるし、近代郷土兵団で山口県西端は
九州久留米師団の小倉聯隊に入営したが、小倉連隊の最優秀兵が下関、豊浦とかの
山口県人 じゃし、小倉連隊「かなり厳しい第一次選抜で合格するのは下関、豊浦の
兵士が多かった」わけで、山口県じゃ東部へ行く程強いけど、広島師団の中で
最も弱かったんが山口連隊。兵隊の素質は広島>>>>>山口>>北九州よのう。

143日本@名無史さん2017/09/27(水) 17:55:26.13
>>141
色々タメになるサンクスしかしよく知ってるなあ、、、良かったらその手の書籍でオススメ教えてくれい

たしかにうちの曾じいさんが独立混成第15連隊に所属しててなあ、シュガーローフの戦いで猛戦したらしいやっぱり曾じいさんも安房の木更津の人間だったな

里見も倍の北条相手に渡り合ってたし三船山の戦いでは勝ってるし安房や上総の兵隊は強いよな

質問ばかりで悪いが関西だと最強はどこだろう?
京都や大阪が弱いのは有名だが、

144白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/28(木) 03:34:01.36
>>143
大阪師団も京都師団も武勲実績じゃ関東よりか遥かに上じゃし、軍が期待せん時に強い。
昭和の二◯三高地と呼ばれる、衡陽陣地攻略でも、京都師団の津連隊と大阪師団の
配属部隊は軍感状を授与されとるし、苦戦に踏ん張ったよ。途中投入された
九州一の勇猛を誇る熊本や熊本に次いで勇猛とされた鹿児島らの壮丁で構成された
熊本58Dは得意な強襲猛攻して、ほぼ壊滅し後の熊本58Dは、全国から集めた兵員で
師団を維持したけぇのう。
まあ、その活躍した近畿兵団に軍が期待し、シ江作戦の前線に投入されると
将校、下士官、古参兵の入院が相ついだ。近畿人らしい合理的出動拒否で
作戦前に「オトリ」として使われる噂が流れた為じゃが、実際参加して
惨敗して帰って来た連中を馬鹿にして、「お前ら何の為に参戦したんや」
と。これが九州兵団なら、負けて来た連中が、参加せんかった連中を
「きさん、それでも九州人か」と、散々罵倒したろうて。
兵団の気質の違いじゃが、軍中枢の連中はやっぱしハッタリも含め、鼻息の荒い
九州人の方が頼もしいことになるだけで、戦闘の強弱たぁ関係無いんじゃけどね。
 ほいから、大阪師団じゃ篠山聯隊は強かった。
「地域別 日本陸軍総覧 歩兵偏」(新人物往来社) 篠山聯隊「敵も近よらなかった
丹波の鬼部隊」と。
まあ、盃山への駆け足登山で、「大阪、神戸などの都会兵には耐え難い苦行で竹刀を
振るって叩いても倒れる者が続出したが、段々と体力がつき皆完走出来るようになった。
氷点下五、六度の降雪の中、頭から雪を被って照準姿勢のまま一時間余り直立させると、
感覚のなくなった足がふらつき、痺れた手から銃が落ちそうになる。銃から手を離した
兵には鞭が容赦なく飛んだ」と、山岳訓練で鍛えられたけぇのう。
丹波の基礎体力を持つ山岳兵に、山岳訓練で鍛えられた神戸、尼崎方面の沖仲仕的な
沿岸の気性の激しさ、進取気質加わるわけで、バランスがとれた聯隊気質になったのう。

145白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/28(木) 03:54:08.33
>>143
ほいから、南北朝期、関東の上州新田勢らは、播磨や丹波の悪党にゃ散々
打ち負かされたし、幕末の甲州じゃ幕府軍は丹波山国隊に負けた。
まあ、河内の楠勢にゃ大量兵力導入で勝てても苦戦したんが関東勢じゃし、
五味文彦氏も 
「武士の供給源は、京都周辺の豪族、なかでも河内、摂津国の豪族で
あった。(中略)貴族の武力の基盤が衛府や馬寮などの官人となった
武士であったことがうかがえる。」「(源)頼信は、摂津国に基盤を持つ
武士であり、甲斐守となり、東国にやってきて勢力を広げていた。」
「(源)頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな奴僕の如し。(中略)
会坂以東の弓馬の士は大半、門客となる。」と関東も平定して行ったし、
下総、上総、安房基盤の平忠常の乱も頼信によって平定されたし、摂津、河内も
弱うは無ぁよ。

146日本@名無史さん2017/09/28(木) 18:35:32.06
>>144
俺の固定観念がこんなにも違ってたとは、、、

逆に最強と最弱を強いて言うならどこを挙げます?

147白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/29(金) 03:19:32.60
>>146
最強は広島で最弱は東京云うことんなるよ。東京と同しくらい弱いんは、別々の地方から
集めた混成部隊で中国軍からも日本の雑軍と馬鹿にされたし。郷土を共有せん同士じゃ
連帯感が無ぁけん日本チャチャチャじゃ団結出来んよ。
ほいから、伊藤桂一氏は、第七十師団の広島121iの「温州挺身隊」について、
「広島編成の部隊は、もっとも人情味に厚い連帯感を持っているが、
そういう連帯感に支えられているからこそ、思いきった挺身行動も
できるのである。」(かかる軍人ありき 光人社NF文庫)と。
 まあ、広島部隊は、攻撃、防禦と同様、特殊部隊の挺身隊でも、
比類なき実績と武勲を持っとるんも、横社会の連帯感よのう。
そうじゃないと強兵部隊たりえんよ。
広島39D231iでも、新潟の新発田聯隊が一晩中敵の攻撃を受けたゆえ、二十名ま兵力で
連絡係で行った時は、新発田聯隊の連中はびっくりし、敵中突破して帰る云うと、
「新潟出身の兵隊達が驚異の眼で見ていた。」「周辺は皆敵、いつ、どこで攻撃を
食らうかも知れんが、われ等には、第二百三十一聯隊(広島)第一中隊の闘魂あり。いざ
一致団結して、敵中を突破せん! 」(藤部隊第一中隊戦記刊行会)
こういう、隠密活動、敵中突破も挺身忍者行動も、機敏で横の連帯感が強い、
個々の戦闘能力が高い広島師団ゆえ出来るし、おっとりした集団主義の
新潟県の兵にゃ出来んじゃろう。
また、広島県は戦国期から、攻城戦、守城戦主体の土地柄ゆえ、挺身忍者活動も
不可欠じゃが、東の新潟県は野戦の土地柄ゆえ、指揮官に命令の元縦の組織で動く
集団組織戦じゃけぇのう。

148白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/29(金) 03:38:12.54
>>146
まあ、越後、東北の部隊は集団主義ゆえ、基礎体力じゃ強くとも
個々の兵士の判断力は低かったよ。当時仙台第13師団内山師団長の回想から。
「夜間攻撃が激しくなると、これに不慣れな兵たちが不安にかられ発射し、
それが口火となって、敵影を確認もしないのに、夜通しの乱射となった。
第三十九師団(広島)から、空輸で増援に来た福島小隊の一個分隊を、
両勤務隊の中間に配置して、この部隊が射撃しない限り、一切の夜間射撃を
禁止する、という非常手段に出て、さしもの乱射もピタリを止んだ。」
(はるかなる戦場 藤友会)
仙台師団の敵さんを確認せずに集団乱射たぁ、最強広島師団にゃ考えられんわ 。
まあ、広島人の個人主義こそが、先の昭和の郷土兵団で、比類なき防禦実績を生んだ。
広島師団史にある、「守備する将兵の素質、特に防禦戦に必須の、各個人の士気の
旺盛・独立独歩の自立心・断固たる戦闘遂行の気概・白兵および火戦の自信
(大規模な反攻では、隣接した陣地から見ると、その陣地周辺には敵兵が充満していて、
あたかも敵に奪取されたような 錯覚に陥いり、奮戦しているのは、自分の陣地だけの
感を抱く。これは"孤立妄想"という戦場心理の一現象で、士気を失する原因となった。)」
「陣地の防御は苦しい。敵の猛撃に二、三名ずつ孤立してしまう。 孤立感はやがて
焦慮感になり、いたたまれないような不安感に襲われ、 爆撃で耳は聞こえず、
幻覚(幻影)にさいなまれてしまう。血みどろの死闘をやるのは、所詮人間である。
防者には自主性がない。だから精神的に大きな負担がかかる。つまり勝利に対する
信念と、 自分の情緒不安定に対する自己克服の精神力がないと、まず内面から崩れ
去ってしまう。」

149白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/29(金) 03:51:31.26
>>146
元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、「攻撃戦闘なら、一人の勇者がおれば、
他の兵がこれに続くことが出来るが、陣地では兵一人一人の、 悲惨な状況下にも
孤独にもめげず、判断の正常性を失わない、高度な能力が 要求されるが、これは
どこの師団の兵にも出来るというようなものでない。
 当時の宜昌地区の状況は、濡れた障子紙、いっぱいにふくらませたゴム風船の
ようなもので、若し百に近い陣地の中で、一つでも敵に抜かれたら 、連鎖反応で
忽ち前線総崩れとなっていただろう。味方が苦しいときは敵もまた苦しい。聯隊の
将兵が、中国兵よりも、 常に一歩、一段だけ苦難に耐え抜く精神力があったことが、
最後の勝利に 直結する最大の要因であった」と。
「これはどこの師団の兵にも出来るというようなものでない。」と、失態を繰り返す、
集団主義である前任の仙台師団にゃ無理じゃったが、個々の判断力や戦闘力が強く、
個人主義の自己克服が出来る広島師団でこそ可能になった。
 指揮官の命令に忠実で死守せよと云われたら、命令解除が出るまで死守する
仙台師団の忠誠心じゃ、自己の意思を持たんゆえ、追い込まれると、精神パニックに
なり、防衛本能から、命令違反で乱射し、隣接の者にも波及連鎖で墓穴を掘るけぇ
のう。 広島連隊なら、孤立した陣地でも個々の一人一人が判断するけぇのう。
地獄の一丁目の激戦なれば尚更そうじゃ。自身の判断力を持った将兵じゃけぇ、
正常な判断力を失わん完璧な防禦戦が出来たわけじゃ。

150白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/10/08(日) 03:29:51.30
>>146
ほいから、東北越後の仙台兵団は、陣地攻略が苦手なんも、越後の上杉勢が
小田原城を攻略出来んかった、歴史的因縁もあろう。
仙台第十三師団の参謀長依知川庸治少将は、「第十三師団従来の戦績からみて、
堅固な陣地の攻略よりも機動戦にその長所がみられる」(「広西の会戦」
防衛庁防衛研修所戦史室 著p410)まあ、その機動戦でも東北越後兵は鈍重じゃけぇ
ノロいけど、東北、越後の兵は基礎体力が備わって耐久力はあるゆえ、野戦の
機動戦ならやれるけど。
宜昌作戦でも当初、名古屋第三師団と仙台第十三師団の二個師団の総勢五万の兵力で、
当陽陣地攻略予定が、広島部隊の侵攻速度が早過ぎ、広島231iが当陽陣地を
僅か一聯隊の三千未満の兵力で攻略した。戦国期から攻城、守城戦の主体の
中国地方の広島は陣地攻略戦も巧みじゃけぇのう。
仙台第十三師団は、「漢水渡河点から、その行動距離を起算しても、わが師団
(広島第三十九師団)の八◯%にも達せず、しかもほとんど敵影のない平野部が、
その大半であった」「はるかなる戦場」(藤友会)p92。
宜昌でも漢水から戦闘しながら行軍した広島第三十九師団の、兄師団の
広島第五師団もマレー作戦で侵攻速度世界レコードを持っとるわけじゃが、
東北、越後の兵は鈍重で遅過ぎるよ。しかも戦闘もせず平野部を牛歩しよんじゃし。

151日本@名無史さん2017/11/18(土) 00:48:26.56
昭和40年頃の新潟県出身の有名人
田中角栄(政治家)
三波春夫(歌手)東京五輪音頭
豊山(相撲)
近衛十四郎(俳優)松方弘樹・目黒祐樹の父
高橋幸治(俳優)太閤記の織田信長
水野久美(女優)特撮映画のヒロイン
ジャイアント馬場(プロレス)
加藤沢男(体操)
林家こん平(落語家)

152日本@名無史さん2018/01/30(火) 15:48:27.04
日本史より謎な金儲けできる方法とか
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4X8A2

153日本@名無史さん2018/02/02(金) 17:21:35.82
平成21年度 全国体力、運動能力調査(中2男子、公立学校)
        身長 体重 体力合計点 生徒数 参加率
全国集計(47) 159.76cm 48.88s 41.36点 453,843人 89.4%
北海東北(07) 160.86cm 50.63kg 41.31点 54,407人
関東地方(07) 159.87cm 48.86kg 41.93点 122,376人
北陸地方(04) 160.57cm 49.43kg 43.72点 22,715人
中部地方(06) 159.45cm 48.36kg 41.47点 70,306人
近畿地方(06) 159.59cm 48.39kg 39.77点 71,434人
中国地方(05) 159.11cm 48.27kg 41.71点 31,748人
四国地方(04) 159.43cm 49.11kg 40.55点 16,792人
九州沖縄(08) 159.25cm 48.55kg 40.83点 64,065人

2009全国体力運動能力テスト(中2男子・参加率89.4%)
☆全国最上位 ○全国上位10県 △全国平均以上 =全国平均 ▼全国平均以下 ●全国下位10県 ★全国最下位
   握力 上体 長座 反復 持久 シャト 50m 立幅 ボール 合計 体力 身長 身長 体重 参加
       起こ 前屈 横跳 走  ルラン 走  とび 投げ  点  順位   差(cm)    率(%)
新潟 ○  ○  ○  ○  ○  △  ○  ○  ○   ○  5位  ○ +1.15  ○  74
富山 ▼  ▼  ▼  △  △  △  ▼  ○  △   △ 19位  ○ +0.85  ○ 100
石川 △  △  △  ○  △  ○  ○  ○  △   ○  7位  ○ +0.66  △ 100
福井 △  ○  ○  ☆  ☆  ☆  ○  ○  ○   ○  3位  △ +0.26  △ 100

平成21年度 中学生学力・体力テスト県別順位
     学力男女 体力男 体力女
福井    1     3     1
富山    3    19    21
石川    4     7    12
新潟   29     5     8

15歳男子 年度別平均身長:上位5 - 下位5
http://blog-imgs-53.fc2.com/p/a/r/paro2day/phmav15.gif
秋田170.1 新潟169.6 青森169.6 神奈川169.6 富山169.6 石川169.3 山形169.3 東京169.2 北海道169.2
沖縄166.3 愛媛166.7 長崎166.9 岡山167.0 広島167.1 香川167.2 山口167.2 和歌山167.3 宮崎167.3

154日本@名無史さん2018/03/22(木) 19:26:26.28
>上杉家は、丹波国何鹿郡上杉荘を本貫地とする氏族である。
上条上杉家は、上杉清方が越後国刈羽郡上条城に在って上条上杉を称したのが始まりである。
越後上杉家の最後の当主上杉定実は上条上杉家の出身。
戦国大名の上杉景勝と伊達政宗は上条上杉家の上杉清方の子孫でもある。

>伊達氏の家紋として有名な「竹に雀」は、越後守護・上杉定実から
伊達実元に贈られた引き出物である。
実元の兄、伊達晴宗の孫が伊達政宗である。
上条上杉家は、伊達政宗の長男で伊予宇和島藩の初代藩主伊達秀宗の 
子孫が継承しているとされる。


新潟県柏崎市の歴史

155日本@名無史さん2018/03/26(月) 22:52:45.40
上杉清方の兄に、上杉憲実がいる。
憲実は越後に生まれて、関東管領・上野国・武蔵国・伊豆国守護、山内上杉家8代当主を務め、
足利学校や金沢文庫を再興したことで知られ、その人格は儒教の影響を強く受けていたとされる。
水戸藩が編纂した大日本史には、足利学校は上杉憲実が開設したとする記述がある。
しかし、これは別の説もあるとされている。
足利市には、「のりざねくん」のゆるキャラがあるらしい。

上杉憲実は、管領職を辞してから諸国遍歴の旅に出て京都九州にまで赴いたとされる。
周防国では、大内氏を頼って、守護大名である大内義興に厚くもてなされたことから、
上杉笹の家紋竹に雀を贈ったという。
江戸期に、周防大内家の庶流である牛久山口氏の家紋には、大内菱の他に山口笹があるが、
この山口笹は憲実が大内義興に贈った上杉笹に由来する。

晩年は長門国に留まる。長門国大寧寺で死去、享年57であった。

156日本@名無史さん2018/03/28(水) 21:15:39.82
米沢藩9代藩主・上杉鷹山 中興の祖 江戸時代屈指の名君として知られている。

日向国高鍋藩6代藩主・秋月種美の次男で、母は筑前国秋月藩4代藩主・黒田長貞の娘・春姫。
母方の祖母の豊姫が米沢藩4代藩主・上杉綱憲の娘である。

米沢藩は、藩財政が深刻であり上杉鷹山がいなければ領地を返上していたとされる。
閉鎖されていた学問所を藩校・興譲館として細井平洲・神保綱忠によって再興させ、
藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせた。
他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがあっても、
上杉鷹山だけは「鷹山公」と「公」という敬称を付けて呼ばれることが多いという。

157日本@名無史さん2018/04/06(金) 22:51:45.33
上杉鷹山は学問所を再興し、細井平洲・神保綱忠らによって藩校興譲館として創立させる。
藩校「興譲館」の流れを継承しているとされる米沢興譲館高等学校。
卒業生には、工藤俊作海軍中佐がいる。
撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じた人物として知られる。
救助した雷の工藤艦長の部下であった日本海軍軍人も立派でありました。
66年後、救助されたフォール元中尉が工藤艦長の墓前に念願の墓参りを遂げ、感謝の思いを伝えた。

158日本@名無史さん2018/04/11(水) 22:21:29.70
上杉氏の分家と本拠地

扇谷上杉家 相模国鎌倉扇谷 
山内上杉家 相模国鎌倉山内
犬懸上杉家 相模国鎌倉犬懸
宅間上杉家 相模国鎌倉宅間―永谷
深谷上杉家 武蔵国深谷
越後上杉家 越後国頸城郡
上条上杉家 越後国刈羽郡上条
山浦上杉家 越後国北蒲原郡白川荘山浦

江戸時代
米沢藩
米沢上杉家 出羽国置賜郡米沢

159日本@名無史さん2018/04/14(土) 23:15:01.44
長尾氏

桓武平氏鎌倉氏流 相模国鎌倉郡長尾庄を本貫地とする。
宝治合戦で一族がほぼ全滅・没落したが、長尾家の生き残りは
上杉氏との婚姻によって外戚関係を結んだ。
関係強化によって越後・上野・武蔵の守護代として各地に諸家を分立させる。

長尾氏の分家と本拠地

関東長尾氏
鎌倉長尾家 相模国鎌倉
白井長尾家 上野国西群馬郡白井
総社長尾家 上野国西群馬郡惣社
足利長尾家 下野国足利荘

越後長尾氏
三条長尾家 越後国南蒲原郡三条(府中長尾家)
上田長尾家 越後国南魚沼郡上田庄六日町
古志長尾家 越後国古志郡栖吉(栖吉長尾家)

160日本@名無史さん2018/04/15(日) 21:58:32.24
越後糸魚川藩主家の子爵・松平直幹の妻は、沖縄生まれの琉。
出羽国米沢藩最後の藩主・上杉茂憲が沖縄県令の在任中に妻の兼が生んだ娘。
沖縄県政の改革を旧臣の池田成章と共に熱心に取り組んだという。
その姿勢は認められて、死後に、
沖縄県民有志により、米沢の歴代藩主廟に並んで記念碑が建てられている。


越後国糸魚川の地は、高志沼河比売のゆかりの地でもある。
信濃国の諏訪大社の祭神・建御名方神(たけみなかたのかみ)は、出雲国の大国主が
高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)を娶って生まれた子が建御名方神であるとする。


その他に、日本の遺跡で発見されるヒスイは、ほぼ糸魚川産である。

161日本@名無史さん2018/04/15(日) 23:07:46.17
色部長門 米沢藩士。

越後国小泉庄色部条を本貫地とした氏族。

新潟市にある戊辰公園の色部長門君追念碑。

米沢藩の新潟総督として奥羽越列藩同盟に参加する。

色部は新潟の町の戦争被害拡大を懸念して兵の撤退を決定した。

色部の的確な判断により新潟の戦火の拡大が抑えらた。守護神。

162日本@名無史さん2018/04/16(月) 22:19:31.43
米沢藩は、北越戊辰戦争を回避することが出来た可能性はなくはなかった。
ただ米沢藩の場合は、藩が改易される窮地を救った会津藩主保科正之への
2百年前の恩義を忘れず、奥羽越列藩同盟に加わったようだ。
長岡藩も藩祖以来の三河武士の精神を持っており、友藩である会津藩を
裏切ることは出来なかった。

土佐藩の藩主山内豊範の義父が米沢藩主上杉斉憲であり、戊辰戦争で米沢藩が官軍の
追討を受けると、山内豊範はその赦免に奔走している。
米沢藩と土佐藩の関係を考えると戦争の回避は出来た可能性はある。

163日本@名無史さん2018/04/16(月) 22:37:23.60
長岡藩は、北越戊辰戦争で長岡藩側の歴史を記せなかった。
邪魔をされたのか、それとも小藩の割に戦死者が多くて書けなかったのか。

164日本@名無し2018/04/17(火) 08:37:34.31
米沢藩が当主上杉綱勝が後継を残さず急死し、お家断絶の危機に
瀕したとき、保科正之が米沢藩を救ったのは、綱勝の正室春姫が
実母でもあった正之の側室に誤って毒殺された事件も影響している。
春姫が生きていれば後継を儲けたか可能性もあり、
正之も責任を感じて、米沢藩に負い目を持っていた。

165日本@名無史さん2018/04/21(土) 23:16:02.06
新潟県は北越戊辰戦争の戦没者のお墓が多いよな。
西郷隆盛の弟、西郷吉二郎も北越戦争で戦死している(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
長州藩と薩摩藩の戦没者の中に越後出身者の名が見受けられる。
越後人が薩長に味方したのはお墓を見てもわかる。
その薩長に頑強に抵抗した長岡藩もある。
新潟県民とした場合、一方的な善悪論で戊辰戦争や明治維新を見るのは難しい気がする。

166日本@名無史さん2018/05/02(水) 23:13:20.34
上杉氏の祖

藤原北家高藤流・勧修寺流上杉氏の祖の藤原定方 

藤原定方の父:藤原高藤、母:宮道弥益女・列子 

藤原高藤の父:藤原良門、母:高田春子(高田沙弥麻呂の娘)、醍醐天皇外祖父

藤原良門の父:藤原冬嗣、母:安倍雄笠の娘

藤原冬嗣の父:藤原内麻呂、母:百済永継(現大阪府羽曳野市)を本拠とする渡来人系

藤原内麻呂の父:藤原真楯、母:阿倍帯麻呂の女

藤原真楯の父:藤原房前、母:牟漏女王

藤原房前の父:藤原不比等、母:蘇我娼子(蘇我連子の娘)

藤原房前・藤原北家祖。

藤原北家とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。

167日本@名無史さん2018/05/02(水) 23:36:39.75
藤原不比等の父:藤原鎌足(中臣鎌足)、母:与志古

中臣鎌足の父:中臣御食子、母:大伴智仙娘

168日本@名無史さん2018/05/05(土) 22:56:29.96
>>163
北越戊辰戦争で長岡藩を攻めた藩は、長州藩と薩摩藩だけではない。
長岡藩に侵攻した信濃諸藩。
松代藩、上田藩、松本藩、飯山藩、須坂藩、高遠藩、飯田藩など。
薩長だけという誤解がある。

169日本@名無史さん2018/05/17(木) 20:18:49.20
吉江氏

現新潟県見附市である越後国蒲原郡吉江村が起源(ルーツ)である。
米沢藩士にある名字。

170日本@名無史さん2018/05/17(木) 20:36:26.79
越後長岡藩主 三河牧野氏

三河国宝飯郡中條郷牧野村(愛知県豊川市牧野町)を発本貫地とする。
明治の廃藩まで250年間封地を動かず長岡藩主として連綿した。

171日本@名無史さん2018/05/17(木) 20:41:23.79
越後長岡藩主 三河牧野氏

三河国宝飯郡中條郷牧野村(愛知県豊川市牧野町)を発祥の本貫地とする。
明治の廃藩まで250年間封地を動かず長岡藩主として連綿した。

172日本@名無史さん2018/05/17(木) 20:51:27.39
三河牧野氏はその系譜書・家伝によれば
蘇我田口朝臣蝙蝠(そがの たぐちのあそん かわほり)が祖という四国阿波国の豪族・紀姓田口氏の後裔という。
他の伝承あり。

173日本@名無史さん2018/05/17(木) 21:32:13.82
甲信越の小林氏 
越後の小林氏は、信濃国伊那郡小林村を発祥地としている。若干、諏訪系がある。
よって、越後と甲州の小林氏は、信濃伊那郡小林から移り住んだ者が多いとされる。
米百俵で知られる長岡藩士の小林虎三郎は、上野の小林氏。

174日本@名無史さん2018/05/18(金) 17:54:06.47
佐渡本間氏

現神奈川県である相模国愛甲郡本間が起源(ルーツ)である。
羽茂本間氏。

175日本@名無史さん2018/05/18(金) 18:03:42.57
>>169 (訂正)
吉江氏

現新潟県新潟市である越後国蒲原郡吉江村が起源(ルーツ)である。


山吉氏

現新潟県見附市である越後国蒲原郡山吉村が起源(ルーツ)である。

176日本@名無史さん2018/05/18(金) 18:36:18.86
越後中条氏(三浦党)

現新潟県胎内市である越後国奥山荘中条を本貫地とする。
桓武平氏越後和田氏の一族。越後揚北衆三浦党の一派。

177日本@名無史さん2018/05/18(金) 20:58:09.38
五十嵐氏

現新潟県三条市の五十嵐を拠点とした、垂仁天皇の皇子の五十日足彦命の子孫にあたる古代豪族。

歴史的人物

五十嵐信斎
室町後期の蒔絵師(まきえし)。五十嵐派の祖。将軍足利義政(あしかがよしまさ)に仕え、
その作品は東山御物と称される蒔絵品に多いといわれる。

五十嵐道甫
江戸前期の蒔絵師。信斎の孫。寛永年間(1624〜1644)に前田利常の招きで金沢へ赴き,
加賀蒔絵の基礎を築いた。代表作「秋野蒔絵硯箱」

五十嵐忠右衛門(会津藩) 門番役。若松桂林寺町で戦死。享年96歳。96?

五十嵐喜平太(会津藩) その他、戦死者多数
神青龍隊 (しんせいりゅうたい)
会津戦争の末期に徴募編成。
東部の領境で、民兵の遊撃兵として小グループで奮戦。

五十嵐宗四郎(水戸藩士)
水戸天狗党に参加、剣に長ず。江戸藩邸から松平頼徳に従い下国。
武蔵忍藩に幽せられ、慶応元(1865)年4月3日斬。享年21歳。

178日本@名無史さん2018/05/18(金) 23:15:56.56
越後国風土記逸文にみえる八掬脛(ヤツカハギ)土雲(ツチグモ)

火焔土器文化縄文人
高志のヤマタノオロチ族
越後蝦夷族
ヤツカハギ族は渡来系か
越国 越州人高志族
弥彦神社のアラハバキ門
物部神社 物部郷
大彦命 古四王神社 オオヒコ 阿部氏
武蔵国氷川神社 出雲系か

越後国少数異民族なのかなど、この繋がりは難しい

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