梶原景時と高師直は似すぎている [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
両者とも独裁者の腰巾着で大粛清を実行して悲惨な最期を迎えた日本版ベリヤ 高師直の天皇なんて木像に云々発言と
一休、蓮如の思想はパラレルだと思うな
一休とか蓮如の仏教はある種の形式否定の思想だから >>247
一番、腹黒そうなのって北条時政では?
梶原弾劾の際に裏で対立を煽ってそう 実力主義の権化
下剋上の風潮は既に南北朝期から萌芽が見られた 景時と師直じゃかなりキャラが違う
景時は保守的だから >>249
北条時政は頼朝の舅であり腹心ではないのでは?
政子の父でなければあそこまで重きを置けたとは思えないし
腹心って絶対的な信頼のおける主従関係で結ばれた家臣のことでしょう 似てねえよべリア。 顔も性格も似てねえ。
似てるのは三国志のドウタクだろ。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
IJR6O 禁門の変で長州は御所を砲撃したけど門がちょっと被弾しただけに過ぎない
後村上天皇の吉野御所を焼き払った高師直に比べればまだまだ半人前だな 横領を許してでも恩賞をジャブジャブ配りまくった師直も問題とはいえ、逆に足利直義は恩賞を渋り過ぎて支持を失ってる
このバランスが難しい 戦後になると逆賊とされた足利兄弟は見直し評価されてきたが高師直は今だ評判が悪すぎるね 師直は太平記の印象が悪いからな
実際には教養が深い人物だったみたいだが >>1
>大粛清を実行
師直は別に粛清などしてないし、前提がそもそもおかしい 足利直義ってあまり戦は強くなかったのに前半はよく勝てたね
上杉とか桃井が優秀だったのかな 師直を高く評価していると言えば亀田俊和か
本も出しているくらいだし とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MO5 高師直は天皇の後宮に入るはずだった二条道平の妹を盗み出して
師夏を産ませたという話が有名だが、この「天皇」て北朝の光明天皇と
南朝の後醍醐天皇のどっちだろう?道平と道平の父二条兼基は建武の新政
が始まって1、2年で死に、道平の死んだ翌年1336年には足利尊氏が九州か
ら京都に戻って光明天皇を擁立して北朝を開いた。このときの二条家の動静
はというと、道平の伯父二条師忠と息子の良基が京都に残って光明天皇に仕え、
弟とされる師基は南朝の後醍醐天皇に仕えることになった。師直の息子の師夏は
1339年生まれらしい。師直が建武の新政が始まってまもなくバサラ大名らしき
傍若無人な行動をして後醍醐天皇の後宮に入るはずだったところを奪ったにしては
子どもができるまでの年数がちょっと長いと思える。それとも後醍醐がいる吉野に
まで出向いて彼女を奪いに行ったのだろうか。師直は南朝の公家の娘に手を出すほどの
好色家だったのか?彼が手軽におもちゃにできたのは北朝側の皇族や公家の女性たちだろう。
そうなると光明天皇の後宮に入ることろを横取りしたとしか考えられない。
でも変だな。彼女には以前から大炊大納言冬信という愛人が
いたので、それを知った師直は冬信の家を焼き打ちしたとか。
大炊御門冬信は北朝でなく南朝の廷臣。
二条道平は1287年生まれ、光明天皇が1321年生まれであることを
考慮すると30歳ぐらいは年の離れた妹がいたことになる。
妹ではなくて娘の間違いじゃないか?と言いたいが、師直の兄、
師泰の妻も二条道平の妹らしい。
それとも、この話は明らかに太平記のフィクションかな?
塩冶高貞の妻とされる早田宮真覚の娘にしても
新田義貞が愛した勾当内侍にしても実は架空の人物で
太平記作者が身分の高い女性に恋い焦がれていた、
あるいは藤原氏のような貴族を馬鹿にしたかったので
高貞や義貞、師直のような田舎武将に自分の願望を代弁して
もらったというのが真相なんだろうか。 ひ弱なくせに威張り腐った貴族の男どもは大っ嫌いだけど
貴族の美女は大好きでみんな俺のもの
どこかの国の男たちそのまんまの発想w 梶原平三景時の息子がなぜ梶原源太景季なのかわからん 高氏末裔の国司親相が禁門の変を主導しているんだよな
内裏や御所に攻撃するのもお手の物かw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています