中世武士の礼儀作法の教科書だった「礼記」。
それに「堂上接武,堂下布武」 という一文がある。
中国では「武」は「歩く」という意味の動詞として用いられる。

「堂上(皇居)では接武(すり足で歩け)、
 堂下(皇居以外)では布武(着物の前の布が開かぬ程度の歩幅で歩け)」の意

礼記の教養は当時の支配階級全体に共有されていたと考えられ
信長の「天下布武」は礼記の「堂下布武」の駄洒落である可能性が高い。

当時の「天下」は五畿内(京都・大阪・奈良)の将軍支配領域を指すと考えられ
つまり「天下布武」の(当時における)本当の意味は、
「京都周辺の政治を(皇居内のように委縮せずに)平常心(平気)で行う」といった意。