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徳川将軍家の後継争いについて語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net

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0001日本@名無史さん
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2017/05/25(木) 23:01:28.42
一見順当そうなで、実はいろいろあったよなぁ・・・

秀忠.家光.家綱.綱吉.家宣.家継.吉宗.家治.家慶.家茂・・・のあと「誰っ?」って



世継ぎ争いって、結構奥深いと思うのは俺だけか?
0394日本@名無史さん
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2017/08/20(日) 21:57:34.61
>>382
>>383
趣旨はわかるので、反論というのではなく、こういう見方もあるということで、
一部ループになりますが、
@ 綱吉治世の初頭は、まだ御三家の格式がようやく確立していく過程で、
後世から見るほど、越前・越後家から超絶した位置にはなかった。
A 越後騒動の異例の将軍親裁による再審は権力争闘で、酒井忠清の裁定を
全否定して、権力の移行を印象づける綱吉最大のパフォーマンスだった。
B 光長が綱吉の将軍就任に反対した経緯と、酒井忠清が5代将軍に
擁立しようとした有栖川宮幸仁親王こそ、光長の妹の養子であった事実
C 綱吉が越前・越後家を「ひとまき」と見たのは、まさに勝姫のせいで、
家光の血統を受け継ぐ家は、綱吉には目障りだった。
D その文脈でいえば、家光の姉千代姫の子である尾張綱誠も、
家光の孫の甲府綱豊も同様だから、両者は綱吉から疎んじられた。
尾張家に対しては、春日局の衣鉢を継ぐ堀田正俊の家祖義直が家光を
脅かした過去への反感があり、甲府家には、桂昌院の順性院への憎悪があり、
いずれの場合も、表にあらわれている理屈以外のエモーショナルな動機が
あった。
0395日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 00:22:04.71
>>394
ということは、綱吉はある意味では家康・秀忠・家光を“全否定”し、自らを始祖とする「ツナヨーシ朝」を創設する気だったのか。
本庄松平 会津松平 加賀前田 甲府柳沢がやっぱり 元禄の「御門葉」と言えるかも(無理かw)。

>>388
短くまとめてみましたw
0397日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 02:12:47.46
>>395
いえいえ、神君はもとより秀忠・家光から続く血統は、おのれが将軍になる源泉だから、
正統な後継者は「我一人なり」という自我の強さから、
秀忠・家光の血統を享ける者たちをライバル視したんだじゃないか?・・・という程度の文意です。

ただ、話題がズレますが、光國の場合は、ちょっとラジカルで、
「土芥寇讎記」の中で、秀忠、家光、家綱、綱吉の四人について記述が欠落していることから、
研究者の中には、南朝正統論に立つ光圀が「大日本史」の中で、北朝五主を本紀から降格している
こととの関連を指摘し、
秀忠は世子を長男の竹千代か次男の国松かなどと思い惑うべき筋合いの話ではなく
兄の子・忠直を迎えるべきであったというのが、光國本来の考えではなかったかと解説しているそうな。

兄の子綱條に水戸家を継がせ、綱吉には兄綱重の子綱豊を後継者にすべきと主張した経緯からすると、
こうした幕府にとっての難癖は、光國にとっては正当な論理的・倫理的命題だったというのですが…
ジコチューがひどすぎる感ありありです。
0398日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 14:46:08.46
酒井忠清―有栖川宮―松平光長 VS 徳川綱吉  ふむふむ。
綱吉は忠清が大嫌いで、弟の酒井忠能を気まぐれで改易してるしねえ。
>正統な後継者は「我一人なり」という自我の強さから
>>394からふと連想したのが雄ライオンの話だった。
放浪雄ライオンが他のグループをのっとってボスに収まると前のボスの子供たちを皆殺しにする(自分の子孫以外は残さない)という習性。
家光の外孫(綱誠)、尾張家当主吉通(綱誠の子)、甲府綱豊を避けて、
鶴姫の懐妊〈男子出生ならば綱吉の外孫〉に懸ける、というのは
家光はもとより“家祖”家康の定めたルールを逸脱している感が拭えない。
祖法から外れた綱吉の継承理論を過去三代の否定と表現した(>>395)。
で、こういった「新思考」がどこから来るかと言うと、綱吉が傍系相続だった事に起因すると思うね。(続く)
0399日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 14:48:50.53
綱吉が創設した側用人に外様大名や下級旗本を登用したりと門閥譜代よりも側近(「新興譜代」とも言うべきか)を重視した政治手法と合わせ、
親藩や譜代大名の再編成を試みた点に興味が湧く。
近年、綱吉の再評価がなされている。 綱吉政治を江戸の三大改革や田沼政治と並べて、
改革政治とみる歴史解釈である(何故か正徳の治はスルーされている)。
酒井一派や御三家、その他門閥譜代に対抗して新勢力を築いた綱吉は少し足利義教に似ているかもしれない。
0400日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 15:56:17.79
ただ、酒井家も稲葉家も綱吉政権中期には復権を果たした
0401日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 18:59:18.58
綱吉さんはその時の気分でsageたりageたりするんよ。俺のレスと同じ。
今まで書いてきた「越前処分」が好例。
0402日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 21:08:17.34
すごい盛り上がってるなw
0403日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 22:06:18.19
すごい盛り上がってるな ×
すごく盛り上がってるな  〇
0404日本@名無史さん
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2017/08/21(月) 22:07:50.26
それにつけても越後騒動の小栗美作は不憫でならない
この人って「三河以来」だった旗本の小栗上野介の同族?
0405日本@名無史さん
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2017/08/22(火) 01:53:29.07
>>398
>綱吉が傍系相続だった事に起因すると思うね
全然同意。
「土芥寇讎記」にあらわれた光圀の秀忠以降を否定するような考え、
つまり家康『直系』を重じる志向が隠然とある脅威を綱吉は感じていたんだろうね。
ただし、
>家光はもとより“家祖”家康の定めたルール
そんなルールは、明文化されて残っていないんだよね。
家康の長子相続の理を諭したお江与への訓戒状といわれるものも、
偽書と見なされているし。
家光はもっと気紛ぐれで、一時期、姉の子々姫の子で甥にあたる前田光高を
後継者にしようとしたという。(光高の父利常を警戒する酒井忠勝が
酒宴の席で光高を謀殺したという説さえある)
0406日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/22(火) 13:27:59.18
>>405
ちょっち順不同にレスしますだ。

>家光はもっと気紛ぐれで、一時期、姉の子々姫の子で甥にあたる前田光高を 後継者にしようとしたという
この話は俺も聞いたことがある。 ウィキにも紹介されているが出典は不明である。
もし、ご存じならお教え願いたい。


参考:ヤフー質問箱 『家光、 前田に将軍譲るってよ』は本当か?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10120981655
0407日本@名無史さん
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2017/08/22(火) 13:36:07.71
義理ながらひ孫にあたる前田慶寧を13代将軍に擁立せんとした中野石翁は、老中林肥後守、大目付本多越中守、大塩残党久須美竜軒を使嗾して、家慶暗殺を企んだ
0408日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/24(木) 23:14:50.00
>>406
前田利常が書き残したものによると、寛永17年、家光が利常に、子々姫の子である光高を養子にしたいと
伝えたと、三田村鳶魚が「鳶魚江戸文庫」の中に書いているけど、その文書が明らかにされていないんだよね。
家綱の誕生は翌18年8月だから、たしかにそれ以前の話で可能性はありそうだが、
寛永15年2月には、家光の娘千代姫と尾張義直の嫡男光友の婚約が発表されている。
千代姫が1歳、光友が12歳というこの早すぎる婚約は、
病気がちの家光の万一を危惧しての措置と言われ、
これは、光友に「天下を譲られる」との江戸城中の噂を伝える毛利家文書が
2010年11月に、公表されたことからも裏付けらているとされている。
光友の世継ぎは家光の真意じゃなく、幕閣の画策か?
あるいは前田利常が事実、そうした記述を遺していたとしても、
それは当時子々姫の死に関して幕府から嫌疑をかけられ江戸に留め置かれた利常が、
家光からは信頼されていたことを示したいとの強い思いから書いたのか?
そもそも尾張から世継ぎを迎えるのは家光の真意じゃなく、幕閣の画策で、
利常に伝えた意向が家光の本当の思いだったのか?
そこはわからない。
0409日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/25(金) 20:42:57.07
家光はホモホモしてないで
早く子づくりすればよかったんだよ
種はあったんだから
0410日本@名無史さん
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2017/08/25(金) 20:47:00.34
家光って相当のアホだろ
やっぱり忠長の方が賢かったんじゃないか?
0411日本@名無史さん
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2017/08/25(金) 21:01:49.60
三田村鳶魚
「家光が阿呆すぎたから忠長がまともに見えただけ」
0413日本@名無史さん
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2017/08/25(金) 22:01:50.35
今日の歴史秘話ヒストリアでは綱吉は行財政改革と福祉政策をやった名君だった、と。>>412
個人的には家宣押しなんだがw
0415日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 04:36:17.40
↑はどちらかといえば綱吉とか家治だろ?

大穴として家重w
0416日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 12:40:20.76
>>408   ご教示どうもであります。
 >三田村鳶魚
良く知らんけど矢追純一みたいな人らしいねこの人。 光高の件了解、次。
 >光友に「天下を譲られる」との江戸城中の噂を伝える毛利家文書
またまた尾張光友来たねえ。貴兄ご指摘のように家光よりも幕閣の意向だろうねコレ。
ここで「やっぱり」と思うことは、宗家の継承順位で[なんとなく]尾張家が第一位として認識されてきた証左でもあろうかと。(「御三家」の定型化とは別の話)
尾張家が越前家を越えて徳川一門の筆頭格になってきた、ちゅうことだな。
 寛永年間は尾張家と紀伊家はほぼ同じ石高で官位も同格だが、まあ尾張家は紀伊家の兄筋だからポスト家光の第一位に尾張光友というのは順当だ。
幕閣連中としては常識的判断である。 んで、ここで>>398に話戻すと、
 >そんなルールは、明文化されて残っていない
かと言って、尾張や甲府を飛ばして娘婿に将軍職を、ちゅうのは「横紙破りと違うんかい!」と
綱吉公に物申したいわけですよ。 それで権現様に顔向け出来るか、と。 (続く)
0417日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 12:47:00.68
 他スレの書き込みで面白い指摘があった。
『伺候席で言うと、越前家は外様大名、会津家は譜代大名だ。』と。ふむふむ。
この両家は藩祖が一度徳川から他家へ養子に出たという共通点がある。特に会津家は藩祖の遺訓と言い
幕末での幕府への忠誠と言い、親藩と言うより譜代大名筆頭の感がある。
で、越前家である。家光の意向か幕閣の意向かわからんが、噂としてでもポスト家光に
従弟光友が従甥で秀忠流の松平綱賢(光長の嫡子)を抑えたということは、
たぶん越前家〈高田藩と福井藩〉は忠直の代から実は「隠れ外様大名」だったのかもしれない。
1689年8月9日、綱吉は「来年から元旦の拝賀の儀は加賀は御三家と同様な。」とか何とか、
鶴の一声で加賀前田はどーんと御三家と同列になった(図録などでは白書院で一緒に並んどるな)。
この3年前が貞享の大法(福井藩改易)であるが、綱吉は「表の外様筆頭」前田家を「御四家」に格上げし、
「裏の外様筆頭」越前家を本来の外様席へと並び替えを行ったんだろうねえ。こういうところに綱吉の「足利義教臭」を感じるんだな。

 ついでに豆知識。 松平綱賢の母親(光長正室)は毛利秀就の娘。
うん? 毛利? 毛利家文書。 ちょいとハナシ広げてみました。(おしまい)
0419日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:16:44.77
別におまえさんに宛てたレスやないし、
読んでくれと頼んだわけでもない
0421日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:34:22.32
じゃあ、おまえの上手い長文でスレ盛り上げてくれや
ピンポンダッシュ専門か?
0422日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:45:40.48
なん十年と成長しない曲がり屋にいつまで任せる気がないのである
お前の今後5年でさらに負のスパイラルが加速してるだろ

いい加減にしろよ
0423日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:50:44.73
そうじゃなくて スレのテーマに沿った長文書け>418(422)
ここで終わったら、ピンポン小僧のままで終わってしまうぞ
0424日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:54:51.00
膨満なのか?その「書け」って態度が スレ住人からうんざりされてるというのに。
0425日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 13:59:44.91
>>417
なんだかんだいって、幕府の始まりから終わりまで前田家は幕政に影響力が全くないのだが。
お客様としての格は高くても御三家や親藩とは同列にできんよ。
0426日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 13:59:46.53
今度は複数を自演?
それで逃亡する予定ですか?
0427日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 14:02:24.60
おっと、>>426はピンポン君宛て 
>.>427 失礼
0428日本@名無史さん
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2017/08/26(土) 14:08:20.67
>>424
お前以外に「書け」と要ったこともないし、言ってから30分も経ってないのに
なんで その態度がスレ住人から云々となるのかね?
0430日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 15:37:50.45
幕末の加賀藩がグダグダだったのは、藩主前田慶寧が家斉の孫だったことも関係している
0432日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 21:55:31.85
0435日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 16:16:13.56
>>416
>>417
>尾張や甲府を飛ばして娘婿に将軍職を、ちゅうのは「横紙破りと違うんかい!」
だが、この「横紙破り」を先にやったのが酒井忠清。
尾紀水甲を全部飛ばして宮将軍を仕掛けたのだから(真意は、家綱遺児の誕生に
望みを託し、宮将軍は一時しのぎで、男児ならその後を継がせ、女児なら尾張を
引き込む算段だったとか)
そして、再度の「横紙破り」、これも当初、絵を描いたのは堀田正俊。
「紀ノ国の中将殿(綱教)を御婿(鶴姫との縁組) に仕り、御したしみをふかくし、
さて加賀を以て御三家の列にくはえ、尾張をたをし申すべき心なり・・・」
『御当代記』では、これが正俊の心底だったとされている。
たしかに鶴姫=綱教の婚約のプロデュースをしたのは正俊だったが、その横死後、
幼くして輿入れするお鶴が不憫だとか言い繕って、夫妻ごと西ノ丸へ迎え入れよう
としたのは、桂昌院と五ノ丸の方、そして綱吉だった。
しかし、これは「横紙破り」といえるのだろうか?
世子となるべき男子がいない以上、唯一血を分けた愛娘の婿に跡を継がせたいと
考えるのは、情であるばかりか理だろうね。
なぜか?というと・・・
家綱誕生前、家光か、その幕閣がいっとき娘婿の尾張光友を世継ぎにしようとした
その経緯からすると、
家光にとって、尾張光友は女婿、紀伊光貞と水戸光圀は家康まで遡らないと血縁はなく、秀忠から男系でつながる保科松平家は正之の時も正容の時も臣下の家督を継いでいる
ので埒外にあった。
ちなみに、後継者としてあまりリアル感のない越後光長と前田光高は甥にあたる。
秀忠・家光との血縁と言っても、しょせん尾張、越後、前田は女系なんだよね。
一方、綱吉にとって、紀伊綱教は娘の婿、尾張綱誠はおばさんの子。
水戸綱條は家康の曾孫。甲府綱豊は仲の悪かった兄貴の子。
こうして眺めると、同じ女系なら、疎遠の甥よりやはり実の娘の夫紀伊綱教を後継者
に選ぶのは、情理ともに「横紙破り」とは言い切れないんじゃないだろうか。
0436日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 16:34:57.90
訂正です
尾張綱誠はおばさんの子・・・×
姉さんの子・・・〇
0437日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 20:20:34.17
家格では尾張吉通
血筋では甲府綱豊
情実では紀伊綱教、   ということだと思うね
0438日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 20:21:52.65
酒井忠清や稲葉正則は、将軍家綱が病気がちで後継ぎが危うい危険性は承知していたが、延宝8年の段階で危篤に陥るとは予想外のことであった
酒井忠清は、飽くまで徳川家の家老として、徳川家存続を図り、家綱の子を宿した側室の出産に望みをかけたが、
横紙破り堀田正俊がクーデター的に綱吉の擁立を図ったのは酒井や稲葉を差し置いて一気に権力の階段をかけあがる目的だったが、
酒井が危惧した「天下を治めさせ給ふ御器量無し」はその後の歴史が証明することになり、自らの命すら喪うことになる。
0440日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 14:33:59.37
>>439
まあ、白か黒かはっきり決めることもないだろう
やり方は強引だったが、そろそろ文治政治に移行してよい時期だったのは確かだし
0441日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 15:16:51.49
綱吉の政治で驚いたのは畿内の天領の地付きの代官を切腹等大量に処分していることだ
0443日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 17:08:05.99
それが逆で、余り搾り取らない代官がターゲットになったらしい。
世襲代官は住民とナアナアで幕庫にコメを余り運んで来なかったから、それが問題視され、江戸の勘定所から派遣された代官に切り替えられたと。
その著名な犠牲者が、荻原近江守に詰め腹を切らされた大和の代官・三好備前守であった
0445日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 20:39:39.18
光国は、綱吉と不仲で従三位参議のまま隠居させられたもんな
父親は正三位権中納言だったのに、家格を下げられてやんの
0449日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 22:50:56.71
>>447
ひどすぎる・・・吉宗と家宣の混同
そして赤穂事件への独断と偏見
0450日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 23:35:56.10
>>449
知恵袋って、間違った情報を長々と書く人いるけどなんなんだろうね?
全部自分の記憶に依存して書いてて、事実関係一度も調べることなく書き上げるのかね?
0451日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 23:44:05.54
間違った知識は2ちゃんねるのこの板も変わらんけどなw
ネットもテレビも信用しないことだ
0453日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 00:08:29.57
少なくとも2ちゃんねるには「新井白石の主君は徳川吉宗」と堂々とかいて抜ける輩はいないし
0456日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 12:31:46.60
白石が幕臣として仕えたのは綱吉〜吉宗の時代だが、眼中にあったのは家宣と家継と見てよいでしょう
吉宗の時代になってから執筆活動に専念しているが、享保年代なのにわざわざ終わった年代の正徳十何年って日付書いているから主君の意識はなったのでしょう
0457日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 14:08:28.66
吉宗のパワハラで白石可哀相
0458日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 16:14:25.30
萩原重秀って代替わり後どうなったんだっけ?
白石に嫌われてたが
0461日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 19:03:15.96
死ぬ間際の家宣は、白石に対し、才ある者は徳なく、徳ある者は才なし、荻原の改鋳実績は評価してやんなさいと言っているから、
荻原罷免は、家宣危篤に乗じた白石の勘定所クーデターとも見受けされる。罷免後の荻原が変死しているからである
荻原家は3700石から700石に減封された
0463日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 21:43:30.47
姉さん、事件です。
0464日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 23:56:46.17
吉宗は白石を失脚させたように言われている。
たしかに吉宗は自分を引き立てた綱吉を尊敬し、
白石が改めた武家諸法度や朝鮮通信使への日本国王の称号を旧に復したことなど、
いわゆる綱吉の「天和の制」に立ち返る政策を打ち出し、
松平輝貞や黒田直邦など綱吉の側近たちを復権させ、
白石のライバル林信篤を重用した。
しかし、室鳩巣に寄れば、白石との書状のやり取りの中で、
享保元年10月24日付の記述では、老中たちが吉宗を恐れ憚っている様子を
白石は喜ばしく思っていた、と記されているそうな。

荻原重秀は優秀な財務官僚だったのは事実で、
綱吉が将軍になるのに伴って館林候時代からの神田御殿家臣団が
幕臣になって勘定方を独占していく中で、生え抜きの家禄150俵の勘定役から、
勘定奉行に出世した。
柳沢吉保の引き立てによるとはいえ、組頭在職中の貞享4年6月に諸国代官の
会計監査を命じられ、天和2年に彼のために新設された勘定吟味役になって
代官の8割を更迭する辣腕をふるった。

こうした財務に長けた逸材はなかなかいないようで、
白石によって勘定吟味役に登用された萩原美雅は吉宗政権への交代時、
西之丸留守居に左遷されながら、享保5年5月勘定吟味に再任されている。
0465日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 12:55:59.76
長すぎ
0467日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 13:33:53.71
自信過剰
0468日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 13:33:58.33
白石は次代将軍に吉宗推してたのに左遷されてカワイソって感じ
0469日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 14:01:04.74
たとえ次期将軍擁立に功績があっても、次期将軍が養君だと、高確率で切られるのが示されている
0470日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 14:08:14.83
「ようくん」で「養君」は変換出来ない。  誤字ではなさそうだな
0471日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 14:11:33.77
「切られるのが示されている 」
ここも日本語が怪しい
0473日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 18:06:33.50
まあ実際、どこの歴史でも長じて後見人が疎ましくなり退ける傾向はあるよね
0474日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 18:29:17.37
養子の将軍が登場したがために重臣の列から退けられた者は、酒井忠清、柳沢吉保、間部詮房、田沼意次など、多数いる。
0475日本@名無史さん
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2017/09/01(金) 20:16:04.38
傍系相続
綱吉  家宣  吉宗  家斉  家茂  慶喜  (家達)

足利将軍家では
義教  義政  義稙  義澄  義栄  義昭
0477日本@名無史さん
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2017/09/02(土) 16:06:46.92
>>474
この中で、最も出世し最も穏便に引退したのが吉保
最も実権を握り最も無惨に失脚したのが意次
0479日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 16:28:41.46
吉宗の血統は人材がいなかったし、
慶喜が一橋家に迎えられたのは将軍になる含みがあってのものでしょ
0480日本@名無史さん
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2017/09/02(土) 17:19:10.31
しかし、家斉以降の将軍にとっては、一橋家が里に当たるわけで、それを水戸系の慶喜に継がせるとは、思いきったことをするなぁと思ったの
0481日本@名無史さん
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2017/09/02(土) 17:41:40.58
御三卿は、その時々の将軍の庶子によって継がれるべき家柄
慶喜が一橋家を継ぐのは、吉宗の意志を蔑ろにする掟破り、
ただ、この掟破りは当時常態化していて、
最初になし崩しにしたのは、御三家の反対を振り切って
五男斉匡を田安家に押し込んだ一橋治済
0483日本@名無史さん
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2017/09/03(日) 08:38:19.65
老中の板倉勝清の方が慶喜より将軍家に血統が近かったというw
0487日本@名無史さん
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2017/09/03(日) 18:12:16.33
だから板倉勝静は、家慶が慶福召見の折、家定に後継の内意を伝えた、
と勝静が藩主だった備中松山藩に仕え、維新後大審院判事になった三島中洲が
伝えている
勝静は家茂の老中だった頃も、最後まで慶喜の後見職就任に反対した
0489日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 12:09:20.17
いっそ家重を廃嫡して寛永寺門主輪王宮の附弟に棚上げし
田安宗武は宗春後の尾張へ追いやって
一橋に九代を継がせておけば
あとあと後継者を巡って面倒が起らんかったとちゃうかな
実際宗武を尾張へやる動きは水面下であったようだから
0491日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 17:03:11.21
家重は脳性麻卑で言語障害にして「小便公方」と嘲られる頻尿症
かといって知性が低いわけじゃなく側近には人材がそろっていた
しかし将軍として「らしくない」と当代随一に賢臣松平乗邑さえ廃嫡しようとたくらんだ
宗武は兄に変わろうとする野心が露骨で登城停止の処分を受けている
家重VS宗武・・・両成敗
吉宗は兄二人より宗尹を可愛がっていたというし
0492日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 17:36:43.26
コミュニケーションが旨く成り立たなかっただけで、意思を理解できる者が側についていれば、全うに意思を伝達することは可能であった。
また、吉宗は家治に期待していたともされる。
コミュニケーションの補佐をしたのが、大岡忠光と大岡忠光26人衆である。
0494日本@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 22:43:59.45
大体 宝暦期なんて官僚制が完成していて幼児が将軍でも幕政は安泰だろ。 木でも金属でも将軍は勤まる。
コミュニケーションはさほど重要ではない。たとえ数年でも将軍やらせて早めに引退させるのが一番賢明な策。
相続に能力主義を持ってくるのは、蒙古や満州族の王朝ならともかく幕府や諸藩でそれやりだすと、
全国お家騒動だらけになる。
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