元寇前後の九州情勢を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/06/22(木) 20:34:01.50
とりあえず元寇で実際に戦ったのは、主に九州の御家人達です。元寇の際の九州について
語りましょう。ちなみにこの時代の九州のことに詳しい書籍等ありますでしょうか?

2日本@名無史さん2017/06/23(金) 00:08:30.74
九州に所領を持つ関東の御家人もいる
大友や島津も九州に所領はあったが鎌倉に普段は詰めていた

元寇に際して九州に下向して戦の指揮を取った

3日本@名無史さん2017/06/30(金) 23:17:51.45

4日本@名無史さん2017/07/08(土) 00:58:38.93
竜造寺ってこの頃からいたんやね

5日本@名無史さん2017/07/12(水) 15:25:35.60
九州開発自体が鎌倉幕府以降の製作として始まったもの

当時の執権が権力掌握と御家人弱体化のために、九州に地配して、中央から勢力を排除して、地方に分散させる製作をとった

その前提段階で、執権の勢力が確立する前は会津、福島あたりの新領土は執権は力が弱く、執権の影響低いまま周辺の坂東武士団や御家人が分配的に領土を分けた

そして九州はまだ当時開拓や分配が進まなかったから、執権がイニシアチブとって御家人を送り込んだ
また渋谷氏がいい例で、もとから知行が弱かった御家人、武士は自発移住するものもいた

およそ1220-1240年頃に開拓がはじまり、後ほうじがっせんなどで執権の権力巨大化に伴って、執権と取り巻きが九州開発のイニシアチブを取る
ここで最大的に坂東武士団を送り込み、まだ大和政府、鎌倉政府の影響が少ない九州変更を完全掌握するために、坂東武士団を送り込んだ
また13-14世紀は在地豪族と坂東武士の小規模こうそうがあったわけだ

あら事対策に坂東武士がいい
また鎌倉幕府以前から関東主力勢力で影響力が強かった超巨大豪族坂東武士団(関東の主要地6割を抑える)
をなんとか九州送りにするために送った

もう一つはその中の最大勢力の千葉氏を傀儡化させつつ、恩賞イニシアチブをとるため九州おくりにした

こうして鎌倉期の九州は名目的に執権名義のご領地と守護職という中央機構に太宰府などの旧来の期間を併合させて
そして執権の懐刀にして、政敵千葉氏が肥後を、太宰府に少佐氏が、南方に大量に渋谷氏を送り込み、南端を島津が抑える

こうした執権の封建製作のための采配地として九州開拓が始まった

6日本@名無史さん2017/07/12(水) 15:26:07.06
最大の転機は元寇で会ったが、この時前半は千葉氏が事実上の棟梁として応戦したが、千葉氏はこの負傷で数年後病没し、後半戦には参戦しない。当主が元服前だったからだ
しかし島津氏などが善戦して、少ない負傷者は島津などの現地御家人を中心に犠牲が出てた

この戦いは幕府がイニシアチブをとって整備したが、主戦力は在地御家人の
対馬宗氏、島津氏、千葉氏、渋谷氏、少佐氏などが中心的戦力となって応戦した

この戦いの後九州人口は150万ほどしかいなかったのに、5万規模の大量の捕虜を獲得して、その半数は送り返したが、中国捕虜は元々食いあぶれで三男坊で軍や開拓夫になったようなもので、帰るべき家がなかった
また距離的に送還困難だったので、九州において新規農民として雇い
おもに九州北西部で農民になった。九州における大規模な中華系勢力や集落のルーツは帰還できなかった。元寇捕虜に当たる

しかしこの元寇で御家人の消耗が多かったのに、知行や支援はなかった
また千葉氏を筆頭に、九州采配御家人の切り捨てが行われるようになった

こうして千葉氏を筆頭に執権と本家と揉めるようになり、これが後の幕府崩壊につながる
一般論として執権は論考賞を出せないからなどと金の話に短絡化させるが
九州は未開拓で貧しく、そのくせ人間の盾にされた蹂躙、負担の強要に反発して、九州の多くで反執権的な動きが大きくなり
九州のほとんどの有力大名は室町に加担した

執権は御家人弱体化の九州知配を行ったが、これが揉め事の原因で執権は支持を失って負けた

また元寇で御家人は弱き執権と強い自分を認識できたから、執権政治を一時駆逐する
よにいう平禅門の乱である

7日本@名無史さん2017/07/29(土) 18:00:34.45
結局九州武士は当時世界最強だったということだな。

8日本@名無史さん2017/08/06(日) 13:15:04.85
九州出身の防人たちはどうも役に立たなかったらしく、早くも七五九年に大宰府の官僚が
「東国の防人を罷めしより、辺戍日に荒散せり」と、防備体制がなっていないことを政府に訴えている。
七年後の七六六年にも大宰府は「筑前等六国」で徴兵された防人たちの不適さを指摘し
「人勇健に非ずは、防守済まし難し」という理由で、「東国の防人旧に依りて戍に配せむ」ことを願っている。
このとき朝廷は妥協策を講じ、任期を終えた防人にはそのまま筑紫に残っている人が多いはずなので、
かれらを使って地元の防人の補強となすことを大宰府に命じている(『続日本紀』)。
(ブルースバートン『国境の誕生』大宰府から見た日本の原型、NHKブックス)

9日本@名無史さん2017/08/10(木) 16:17:51.50
なぜ九州武士はここまで強かったのか。
それは九州が昔から大陸との玄関口であるため、大陸の情勢の変化をいち早く察し、
迫りくる危機への準備を常に怠らなかった点にある。
来るべき元との襲来に備えて大いに士気を上げ鍛えに鍛えていたのだろう。

10日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:35:31.46
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11日本@名無史さん2018/07/12(木) 17:25:14.57
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