【靖国の英霊】東條英機は最高の英雄【昭和殉難者】 [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/09/02(土) 16:08:24.89
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。
軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。

永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争が開戦。

権力の強化を志向し複数の大臣を兼任し、1944年2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長を兼任した。

敗戦後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。

その後、連合国によって行われた東京裁判にて開戦の罪(A級)および殺人の罪(BC級)として起訴され、1948年(昭和23年)11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。
享年65(満64歳)。

2日本@名無史さん2017/09/02(土) 16:32:26.05
東條閣下万歳!\(^o^)/

3日本@名無史さん2017/09/04(月) 17:06:23.45
東條英機を尊敬する人は集まれ〜!!

4日本@名無史さん2017/09/04(月) 20:59:16.43
永田鉄山・陸軍大臣の下で次官を務めていれば、後世の無責任な歴史評論家から「手堅く、良くも悪くも官僚的な東條が大臣なら、開戦なんて博打は打たなかった」位は言われるかもな。

5日本@名無史さん2017/09/05(火) 00:40:30.42
自殺未遂がダサすぎ

6日本@名無史さん2017/09/06(水) 22:04:14.19
東條英機閣下は日本史上最高の英雄ですね

7日本@名無史さん2017/09/07(木) 13:01:37.15
一万円札を東條英機首相にすべき

8日本@名無史さん2017/09/09(土) 13:38:01.43
東條英機を日本史上最高の英雄として歴史教育すべき
日本の最大版図を手にした天才政治家

9日本@名無史さん2018/01/05(金) 13:55:41.08
阿川弘之の証言が全て
皇居に向かい泣いたというのは戦後作られたもの
何より木戸幸一が首相に任命したのが失敗だったと言ってただろ。
東條以上に無能な軍人は当時腐るほどいたが懲罰召集とか言論封殺とか
突っ込みどころ多すぎ。あと頭硬すぎ

10日本@名無史さん2018/01/05(金) 16:32:04.27
お前が行けよ特攻に
若い奴を死なせた愚将校だな
お前が行けよ真っ先に

11日本@名無史さん2018/01/05(金) 16:35:19.97
時代がじゃねえよ糞英雄
時代は人を選ばねえ、糞人殺し野郎

12日本@名無史さん2018/01/05(金) 16:40:25.14
散っていった人達を語れ、お前ら糞のために散っていった人を1人でも知っているか知らんから語れんわな糞野郎

13日本@名無史さん2018/01/05(金) 17:56:01.13
裁判中に後ろから元部下にハゲ頭を叩かれた人ですか?

14日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:12:35.57
昭和天皇の参拝中止はA級戦犯合祀が原因ではないと主張する人たちが根拠にしているのは

1975年8月15日の三木武夫首相の「私的」参拝ですが、この主張はこの三か月後の11月に

昭和天皇による靖国神社参拝が実際に行われているので成立いたしません。


また近年では、「『卜部亮吾侍従日記』、天皇の和歌を指南した歌人の

岡野弘彦氏の『四季の歌』など、同様の事実を裏付ける資料が出版され」

(「日本経済新聞」2014/9/9付電子版)、富田メモの信憑性は高まっているようである。

15日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:13:40.98
昭和天皇がA級戦犯をどう思っていたかということと、そのA級戦犯を天皇が

参拝する靖国神社に独断で祀ったというのはまた別の話しではないでしょうか。


そもそも、いままでみてきたように昭和天皇即位から終戦にいたるまでの為政者の人々は

本当に昭和天皇の意向に従い、その輔弼の責をまっとうしてきたと言えるのか

昭和天皇の研究をする時、後世の我々から見ても疑問を感じざるをえません。


A級戦犯合祀を擁護する人々はA級戦犯を擁護しようとするあまり、当時の日本の立場を

擁護しようとするあまり、昭和天皇の御心を忘れてはいないだろうか。

16日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:15:42.01
太平洋戦争がはじまるまで、昭和天皇は戦争の方向に向かうことに強く反対されておられたこと、

とくに日独伊三国同盟には強く反対されていた事実がわかっています。

と、同時に特攻機が突っ込んだ地点の説明時に最敬礼をされたエピソードや

大本営の松代移転を強く拒否されて空襲下の東京におられ続けたことなどから

一般の兵士たちには強い哀悼の念をもっておられたこともわかっております。

17日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:17:33.30
「靖国神社の合祀名簿は、いつもは10月に神社が出してきたものを陛下のお手元に

上げることになっていたんですが、78年(昭和53年)は遅れて11月に提出してきた。

「A級戦犯の14人を合祀した」と言う。

私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、先方は

「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言っていた。

やはりなにかやましいところがあったのでしょう。」


が、この合祀は翌昭和54年4月19日には表面化して社会問題となってしまう。

「・・・朝刊に靖国神社に松岡、白鳥など合祀のこと出、テレビでもいふ。いやになっちまふ。

直接、吹上へ出る」(「入江相政日記」)

18日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:28:15.09
1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。

以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに

反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。

しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で

戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。

また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。

統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。


昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。

19日本@名無史さん2018/01/23(火) 08:37:53.50
ただの軍人官僚。

20日本@名無史さん2018/01/27(土) 00:13:22.61
>>13
東條の頭はたいたのは部下jじゃないよ。思想家の大川周明

21日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:33:03.84
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

D4IPG

22日本@名無史さん2018/05/03(木) 09:45:37.45
東條の最大の過ちは和平工作をしなかったこと。
だが、昭和天皇もその思考が無かったということだろう。
何故なら昭和天皇が和平の意志を東條に指示するなら
すぐさま昭和天皇の犬である東條はこれに従っただろうから

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