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邪馬台の全解決
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0001日本@名無史さん
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2018/02/19(月) 12:47:30.01
ジュンク堂で、買ったばかりで驚いている。これ本当?
教科書が書き換えられると宣伝しているが?
0002日本@名無史さん
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2018/02/19(月) 13:02:23.88
常套句
0004日本@名無史さん
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2018/02/19(月) 13:26:03.45
かなり前、季刊邪馬台で特集が組まれ、それも井上光貞とか榎一雄とか、すごい人がこの本を論じている。読んで、その内容に本当に驚いている。
0005日本@名無史さん
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2018/03/02(金) 18:22:18.14
私もこれが正解だと思っている
0007日本@名無史さん
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2018/03/02(金) 18:27:49.01
伊都国とか言ってる奴は読んだ方がいいね
0008日本@名無史さん
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2018/03/02(金) 18:43:38.90
筆者孫栄健自身の改訂版なんですか?
古いのしか持ってない
0010日本@名無史さん
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2018/03/02(金) 20:39:25.09
伊都国王が卑弥呼の弟なんて前のは書いてなかったぞ根拠はあるのかな?
0011日本@名無史さん
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2018/03/03(土) 09:00:41.65
「ここが邪馬台国である」という文書でも石碑でも見つかったときこそが唯一の邪馬台国問題の全解決。
0012日本@名無史さん
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2018/03/03(土) 10:07:26.46
だから魏志倭人伝と言う文書から特定するんだよ
0013日本@名無史さん
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2018/03/03(土) 10:19:24.27
後漢書も見ようよ
0014日本@名無史さん
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2018/03/03(土) 11:15:13.94
魏志倭人伝が邪馬台国のあった場所から見つかるはず、とでも?
0015日本@名無史さん
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2018/03/03(土) 12:38:17.45
当たり前じゃないか
0016日本@名無史さん
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2018/03/04(日) 14:51:50.80
日本書紀と言う捏造文書を考慮するから分からなくなる
中国史書だけでいい
0017日本@名無史さん
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2018/03/05(月) 09:24:50.55
中国史書に捏造が無いとでも?
0018日本@名無史さん
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2018/03/05(月) 10:16:41.10
>>17
中国国内事情については捏造もあるだろうが、
こと、倭国については、捏造する必要性がないので捏造はない。
0020日本@名無史さん
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2018/03/05(月) 21:35:02.51
日本書紀が捏造だという所には異論はないんだね
0021日本@名無史さん
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2018/03/05(月) 21:45:44.62
捏造という妄言には異論有り。
日本書紀の編纂時までに伝承が様々に変化しておって
それを舎人親王が首をかしげながらとにかく列挙したのだと
俺は思う。
0022日本@名無史さん
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2018/03/05(月) 21:54:38.09
捏造とは本当はない事をあるかのように偽って作り上げること。
歴史を古く書き換えるのは明らかに捏造だよ
0025日本@名無史さん
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2018/03/06(火) 18:14:14.95
大王家の日本支配権の正当性は日本列島を作ったイザナギ、イザナミの子であるアマテラスからニニギに与えられたと言う事だから
アマテラス=卑弥呼が魏志倭人伝の記述どうり魏の臣下であれば日本支配権は中国皇帝に有ることになる
白村江敗戦の後だから中国皇帝が大王家以外の豪族を倭国王にすれば内乱になる。だから都合の悪い文書は全て処分してから日本書紀を作ったんだよ
0026日本@名無史さん
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2018/03/06(火) 18:33:33.33
>白村江敗戦の後だから中国皇帝が大王家以外の豪族を倭国王にすれば内乱になる。

中国皇帝が決めたら内乱にならない。  だから都合の悪い文書を処分することもない。
0027日本@名無史さん
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2018/03/07(水) 07:55:44.42
皇帝を騙すために歴史を書き換え嘘の申告をしたんだよ。
それが日本書紀。
ただし、全くの捏造ではなく、様々な資料とすり合わせもしていて、虚実ごちゃ混ぜになっている。
0028日本@名無史さん
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2018/03/07(水) 07:56:05.68
【伊都国】

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。
0029日本@名無史さん
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2018/03/07(水) 19:38:11.43
中国皇帝の日本支配権を否定し大王家の日本支配権を正当化するためにアマテラスと卑弥呼を分離し卑弥呼の方は消去して
アマテラスの方は春秋時代より古い伝説の時代まで下げて卑弥呼が朝貢し魏の臣下だったことを隠した
0031日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 17:47:05.15
日本が中華思想の支配権に入ってる事実は古代から一貫してるし
モンゴル帝国以降、古代史は関係ないし、中国が日本を支配できたことはない。

白村江海戦で百済王と半島渡来人を送還して
百済再興を旗印に唐船と戦った事実は
当時の歴史上の事実として戦後処理もしてるんだから
記紀が隠蔽したのは、
北朝に対し南朝と軍事同盟を結び半島利権を行使していた事実。
倭の五王だろ。

九州も半島同様に日本が軍事支配を及ぼした地域だけど
記紀は九州が間違いなく歴史的に日本固有の領土であることを主張している。
倭の五王は九州と半島をほぼ同時期に一気に平定したと言っている。

記紀とは完全に別の2600年紀元当時から九州が支配地だったことにする
250年の他国だった卑弥呼を偽装できないトンチキな歴史。

神功皇后のデタラメと倭の五王の隠蔽についてくる記紀の嘘は、
信仰として戦国武将には効果があったけど、有史の古代中国は騙せなかった。
いまだに、記紀で日本国民を騙せてると思ってるのは、
朝鮮の御用学者だけだwww
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 20:19:26.64
改訂版と以前のもの両方読んだ人は改訂の要旨を教えて下さい
0033日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 20:58:29.83
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。
0034日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 15:46:26.39
何回か読み直したが、読むほど信じてしまう。頭くらくら。

里数は十分の1は説得力ありすぎ。
すると、ヤマト説も、今までの九州説もなりたたなくなる。
0035日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 16:52:27.03
なにせ陳壽さんは現地調査してないで書いてるからな
0036日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 18:18:33.12
>>34
この本はガチだよね
邪馬台国論争で飯を食ってる奴らの本とは違う
0037日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 22:07:20.23
>>32
「旧版邪馬台国の全解決」:倭人伝の地理記事が対象
「魏志倭人伝の一構想」  :倭国の社会風俗記事が対象
「決定版邪馬台国の全解決」:上記2書+政治交渉記事が対象
0038日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 22:08:46.08
私もそう思う。やまとの国だ。

納得するしかない。
0039日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 22:14:49.11
倭と書いてヤマトと読むと古事記の冒頭で宣言されている。
そして、中国の史書では倭とは九州北部のこと。
0041日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 22:50:19.42
なんでも否定しないと気がすまない畿内説
0042日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 23:09:47.97
>>37
新版は買う価値はありますか?
0043日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 10:48:15.39
解決してるのに?
価値は騙されてるその人の問題だよね。
何のために詐欺師学者が無意味に言い張ってると思ってんの?
魔除けの土器だって売れるし?
土偶民族の血 だなwww
0044日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 13:59:55.70
孫栄健はまだ生きてたのか
0045日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 14:09:27.47
短里とか長里とか言ってる連中がバカに見える
0046日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 17:50:49.77
お前も言ってるだろ
0047日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 20:14:38.44
南が東とか一月が一日とか言ってる連中がアホに見えるだろ
0048日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 20:25:49.55
しかしTV東京でも幕末便乗番組
0049日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 20:27:17.17
失礼。誤爆でもした。
0050日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/11(日) 00:40:34.81
邪馬台国は「県」みたいなもの、
伊都国以下は「市郡町村」みたいなもの。
でも「日本国」に当たる「倭国」ではあった。
なんかそんな感じ。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 09:28:01.39
>>50
違うよ。 古代韓が韓国でないのと同様、倭国ってもんがまだ無い。
倭人伝の卑弥呼の邪馬台国は韓同様、帯方郡に吸収されようとしていたけれど
小国過ぎて結局相手にされなかった。

というか、邪馬台国では同盟国として無能すぎたので帯方郡は313年で滅びる。
日本は半島利権を拡大したが、九州は白村江で再び、半島同様に唐に吸収される可能性を持ったため
大和朝廷は九州が日本国開闢以来の固有の領土であることを記紀で主張した。
0053日本@名無史さん
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2018/03/17(土) 12:48:28.06
>>52
倭国は九州北部の限定された国だが、後漢の頃から金印により倭王がさくほうされていたから、ちゃんと国として認識されていた。
0054日本@名無史さん
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2018/03/29(木) 16:56:20.24
魏志倭人伝では後漢の頃の博多湾沿岸の倭国から倭国女王卑弥呼の時代まで、連続的に描かれている。
当然、卑弥呼も博多湾沿岸にいた。
0055日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 18:19:02.19
本当に高祖山に居たのかな?
0056日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 18:54:10.50
平原遺跡が足元にあり、そこに八咫の鏡とともに倭国女王が葬られていたことは間違いない。
あとは、それが卑弥呼であったかどうかというだけ。
卑弥呼はヒムカ(日向)と読むという説もある。
日御子だとしても、伊都から見て東にそびえる高祖山は太陽信仰や神仙思想から見て合致する。
祝詞でも筑紫の日向が謳われている。
イザナギ、ニニギらの倭国王らの系譜にその後の倭国女王である卑弥呼が加わるのは、自然なこと。
0057日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:16:12.23
記紀では、国名は日本か倭と記されている。
途中で注釈で、倭や日本をヤマト(ヤマイ?)と読む、と追加されている。

どの段階、どの時代で追加されたのかはわかっていない。
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:21:14.69
【鬼道と神道】

伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
ならば卑弥呼の用いた鬼道とは、中国人から見た神道そのものだったはず。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく伊都で行われていた。

平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。
0059日本@名無史さん
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2018/03/29(木) 19:31:25.68
>内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。

蝙蝠紐座はそのまんま秘匿されていたからますます真実味が増しましたね!
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:46:12.17
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。

伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:51:03.95
>>53
後漢の時は奴国王を倭の奴国王という認識で印綬した。
邪馬臺国は 卑弥呼を倭王 として冊封してる。

この齟齬は、238年に楽浪帯方は占領直後で
郡太守が郡以東以南に土地勘が無かったことに由来する。
卑弥呼の朝貢を歓迎して、洛陽の皇帝に倭王として引き合わせたのも同じ理由。
着任早々の大手柄なのである。

梯儁が卑弥呼の国を見た時、当然間違いに気づいたが、郡の失敗は言えなかった。
倭人伝には明白に告白しているが、皇帝のメンツの為、陳寿も言を濁している。

梯儁が金印紫綬で九州上陸後2千里、
女王国南限の邪馬国南麓の砦、女王宮に来た時
女王国全体を この時見た、卑弥呼の砦の王宮にちなんで
邪馬臺国 と命名した。

梯儁による21国の和名の当て字に 邪馬国 が有れば、
邪馬臺国 を女王国7万戸の全体国名とする場合に

女王宮は 邪馬国 の 臺=王宮 であると推測すべきである。
邪馬 は和名を漢字の当て字で中国語音にした が 臺 は表意文字だ。

これが、梯儁による 邪馬臺国 命名の由来であって、
人口が7万戸の女王国を意味する。

この、臺=王宮 は 卑弥呼の死後、
狗奴国と戦争を継続せず内戦になった事、弔いで新女王が伊都に居たこと、
政帳は、さっさと 巳百支國王、伊聲耆掖邪拘等20人 に送らせて帰国した事、
この20人が、以前のように、お土産貰って帰って来た記載が無い事、から見て
247年に落城している可能性が高い。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:56:01.16
>>61
>この齟齬は、238年に楽浪帯方は占領直後で
>郡太守が郡以東以南に土地勘が無かったことに由来する。

土地勘がなかったからこそ、実際に倭国を訪れて見聞し、卑弥呼が国を治める様子を細かく報告している。
その報告記事に九州の話しか書かれていないのだから、倭国が九州の国であったことは明白である。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 19:58:14.54
>>61
>247年に落城している可能性が高い。

どこの誰がどの城を落城したのか。
大変わかりにくい。
前提が多くの九州説と異なっているのなら、もう少し詳しく説明するべきだ。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:00:26.28
九州のしかも伊都三雲までのことしか書かれていないからな
奴国弥生銀座ですら書かれていない
つまり
梯儁も張政もそこまでしか来ていないのに
外交目的を果たして帰っていったってこと
九州説の勝利確定だな
0065日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:08:00.33
>>61
邪馬臺國は倭人伝の中で一か所しか出てこない
女王国とはべつの国と考えるべきであり、すなわちヤマト・邪馬台国と卑弥呼とは切り離して考えるべきである
そもそも女王は一人だけではないのだ
0066日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:09:25.12
>>65
邪馬臺國は倭人伝の中で一か所しか出てこない
これは女王国または倭国の別名だからだ。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:12:38.95
日本人じゃないよ

日本人の祖が北部九州の弥生時代最強金印国家だったら

現代の領土問題に絡んで問題あるっしょ

弥生日本人なんて無鉄器キナイコシでちょうどいい

だからゴネまくり
0068日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:20:16.65
九州説だと、漢の頃から倭国とは朝鮮半島南岸から九州北部までの国。
ところがこれでは困る人たちがいる。
畿内に多い半島系の人たちだ。
0069日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:22:55.35
ズバリ正解でしょう
0070日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 20:23:09.17
>>66
違う
女王國は不彌國(不弥国)の別名
不彌(不弥)とは現代語ではヒメに相当する単語であり、「女王」とはそれを意訳したものだ

不弥国とその次の投馬国とを続けて読むと地理的な矛盾が生じるが、それは異なる二つの行程記事を一つに繋ぎ合わせたからだ
不弥国こそが一つ目の行程の終点であり、これこそが卑弥呼の国である
そして二つ目の行程の最初の「南至投馬国」の起点は不弥国ではなく帯方郡だ
0071日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 21:04:53.95
>>63
>どこの誰がどの城を落城したのか

>前提が多くの九州説と異なっているのなら
だが、すまない。 
倭人伝を読んだだけで、九州説もあまり詳しくはない。

普通、九州説の、狗奴国は 南隣の熊本辺りでは?
どの城を落城 かは、当然、女給1000人の 卑弥呼の城だが、
想定してるのは、新井白石に分があるとして、山門瀬高で古代山城としては南麓。

考古学も2ちゃん情報斜め読み程度で良く知らないが、
卑弥呼の城辺りは辺境で、遺跡、出土品はあまりないのかもしれない。

でも、熊本で、狗奴国に250年以前の邪馬台国系の輸入品が出るなら
150〜250年位には狗奴国独自には対馬航路に出ていないだろうから、
卑弥呼の敵国と言うからには、これは、この戦時の略奪品とみて良いかと思う。

倭人伝の邪馬台国を九州以外に読むのは無理。

畿内説は倭人伝を無視曲解しているかのようで、ご都合主義の我田引水。
記紀神話や、別の地域のである本州系遺跡の頓珍漢な方向に話が飛んでしまって、
主張が理解不能。

九州、東遷説はそれの倍くらい無理筋で、もはやアホかファンタジー。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 21:29:30.24
鉄器ゼロ

奈良湖のほとりで君を待つ
0073日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 21:36:06.60
>>70
東南陸行五百里 到伊都國
有千餘戸 官日爾支 日泄謨觚柄渠觚
丗有王皆統屬女王國 郡使往來常所駐
東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家

ここまでが、政帳による説明。
以降の日程による紀行は 梯儁によって、魏の軍船で上陸し
九州上陸後、一月行=2千里 の行軍の上、卑弥呼の砦を見て、印綬で謁見している。

政は 奴国王に 因齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之 の目的で来日
伊都で用件は終わったようだが、奴国は難(奴の)升米の国。
不彌國は奴国の北の海岸、港町であり、
大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還因詣臺 で、帰国船の出港地と推測する。

政帳は倭人船で調査に来たため帰国便が無い。
巳百支王の伊聲耆掖邪拘等二十人 は卑弥呼の弔い戦に 魏の援軍を連れてくる 
とかの嘘で騙して連れて行ったように思えてならない。

彼らは洛陽で、卑弥呼を倭王と騙ったかどで、死刑になっていても不思議ではない。
だから、お土産貰って、援軍連れて、帰ってきてはいないw

これが、300年付近には大和朝廷に征伐平定される歴史の九州、
邪馬台国、九州説の本筋ではないのかな?
0074日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 21:56:11.13
漢の時代より数百年、倭国の都はずっと博多湾沿岸だよ。
紀元前の吉武高木からはじまる。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 21:56:39.58
300年くらい宮殿が続いてるからそうなんだろう
0076日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 22:02:08.23
倭国の都は筑紫の伊都だよ。
魏志には帯方郡から12000里で女王国とされ、10000里で九州北岸に到着している(対馬海峡の幅が3000里とされている)。
福岡県を出ることはまずない。
狭い糸島水道と日向峠以外には進入路がない一方、クシフル山からは糸島平野も博多湾も一望できた。
伊都の東側にクシフル山があり、その日向峠に山城を築き、高千穂宮と呼ばれた。
邇邇芸が、ここは日の出も夕日も照って、朝鮮半島にもまっすぐ道が続く良いところだと評した。
防衛にも外交にも非常に有利だった。
奈良時代には怡土城、戦国時代には高祖城と呼ばれた。
伊都国の東にそびえる王宮は太陽信仰や神仙思想といった初期の神道の舞台でもあり、魏志には日本独自の神道が鬼道の呼称で記された。
魏志には、伊都には代々王がいて、女王が治めていると書かれている。
伊都より北には一大卒を置き検察し、南は狗奴国(熊本)、東には海を渡ってやはり倭人の住む倭地(本州)があるとされている。
伊都は王権の象徴である金印や八咫の鏡が継承されてきた倭国の都である。
倭国女王である卑弥呼は死後に伊都の平原遺跡に埋葬され、八咫の鏡を含む三種の神器が副葬され、鳥居が建てられた。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 22:04:49.00
>>73
で、張政記が奴国、不彌国で終る、もう一つの根拠。
官 副日 卑奴母離

官は魏が雇う現地外交官、案内人であろう。
帳政は倭人船で移動したため卑奴母離が同行している
奴国、不彌国まで同行させた。

南至投馬國 水行二十日 可五萬餘戸
以降は梯儁による記録であり、別のものとなる。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 22:32:01.85
邇邇芸がそう伊都るんだが、何か文句あんのか?

日本人じゃない人は?
0079日本@名無史さん
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2018/03/29(木) 22:34:28.75
>>77
その通り
投馬国邪馬台国それ以降の国々は卑弥呼たちの女王国とはなんも関係がない
0080日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 22:40:01.34
>>79
と、外国の人たちが(特定地域
申しておりまする
0081日本@名無史さん
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2018/03/29(木) 22:43:30.40
キナイコシ

反日工作を看破されて

液晶画面にグーパン自滅 乙www
0082日本@名無史さん
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2018/03/29(木) 22:50:59.65
統失の人かな?
0084日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/29(木) 22:56:05.07
マジ?

あの倉庫は半分が大雨で流されて破棄したんだけど

マジであれが宮殿って言ってんの?

21世紀キタコレw

倉庫が宮殿www

パねえwww
0086日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 07:20:43.99
伊都国にいた官の禰宜というのが、邇邇芸らの日向三代の末裔だな。
伊都国は倭国の王都である筑紫の日向にあるからね。
記紀と魏志倭人伝は矛盾しない。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 09:17:54.06
>>79
>その通り  じゃあない。

投馬国邪馬台国それ以降の国々 が、
梯儁が来た時に漢字をあてた21国として 行程記結語の
・参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里・ 
で、参問した、女王統属すつ国々 訳30国になるため の地名なのである。
 
これは、福岡平野、久留米平野にある、21国と言うことになる。
倭人伝起文 前説の 今使譯所通三十國 從郡至倭 に
国数を合わせる必要が有った ということである。

同様に、九州説で 投馬国邪馬台国 が
梯儁による 張政とは別の行程であることによって
官を置いた、投馬国は その梯儁による行程の中に存在しなければならない。
これは、帯方郡から
南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 
南至邪馬壹國女王之所都 水行十日陸行一月 官有(以下4名) 可七萬餘戸
であり、
水行二十日は 半島西岸の循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
水行十日陸行一月は 対馬海峡島領と上陸後一月行=2千里の行軍である。

張政の倭人船は北岸狗邪韓國に立ち寄り、倭人によるその港名を聞いた。
梯儁は魏の軍船で航行したので、立ち寄った宿営で地名は聞く必要が無い。
投馬國は、中国で地勢の常識だった、半島南岸の倭人国であり五萬餘戸がある。

魏の東夷知識に半島南岸の 倭人国=投馬國 の情報が既知であるなら、
この行程を 南=東 に修正する馬鹿は居ないのであり、邪馬台国は九州にある。
(個人的に危惧有り *都万論はもう勘弁ですw)
0089日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 10:12:48.86
>>86 >>78
>記紀と魏志倭人伝は矛盾しない。
卑弥呼(実在)=神功皇后(神話) なのである。
神功皇后記には難升米を洛陽に遣使した記録が有るんだが・・・
三国志を読んでしまった、記紀の作者は時系列を理解してないので嘘を書いてしまった。
当時はバレなかったが、後世の検証には耐えない。 

陳寿が間違いなら死刑でOK、記紀の神話部門にしたくても実話は邪魔なんだよ。
難升米 は九州のローカル王卑弥呼側近で、さらに小国の奴国王である。
これについて
齎詔書黄幢拝假 難升米 為 檄 告喩之 であるが
大和朝廷に、魏の帯方郡と韓の反乱鎮圧で招請される魏の将軍なんて居た訳が無い
と思うのだが? まあ、小国過ぎて半島に出兵するほどの軍は無かったようだが。

新井白石や本居宣長は倭人伝邪馬台国が九州であることを読み切っていた。
しかし、記紀を全否定する事実を それ以上さらすことは出来なかった。
昭和の学者は、これと向き合い倭人伝と記紀の解釈を捻じ曲げる蛮行を選んだ。

半島併合〜敗戦で、以降、東亜古代史の真実は隠蔽されて当たり前だったのである。
半島の歴史家考古学界との議論研究が成立しないのは、嘘が基礎になっているからだろう。
日本の多くの歴史愛好家、ネット民は既に戦後レジュームを脱却している。
0090日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 10:37:34.63
>>1
スレ主さんスマソ。 ↑アラシを呼ぶかも・・・
他スレでいやんなって、倭人伝の読み方は自説に近いここに来ました。

アマゾンの書評しか見てませんが、
>なぜか⇒ 4「一大率」は最大の政治権力者であり「伊都国王」だったから。
>それは卑弥呼の弟だった。 5卑弥呼は弟に殺されていた!
で、とんでも? 読む気無くならないんでしょうか?

倭人伝の読み方で 最近教えてもらったのに
>>707
>周旋
この人は三國志での周旋を全例検討して、起点に戻る例がないのを確認してるってさ
http://zenyamaren.org/yamaren20-038.pdf

があります。 これも、結論が腰折れで、トンチキだったかと?
ちら裏お借りしました。 ありがとうございました。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 11:16:10.03
>>87
>(個人的に危惧有り *都万論はもう勘弁ですw)

勘弁じゃないよ。
なんで投馬が韓国なんだ。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 11:28:30.80
対馬海峡は倭人が占有しているので、魏の船は通行できないよ。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 20:33:32.50
>>87
ヴァカ特有の長い割に内容のない話

いいか、卑弥呼=神功皇后のモデルの本拠地は宗像にあり
宗像が女王国であり、同時に不彌國(不弥国)だ
不弥はヒメ(媛)の音訳であり、女王が意訳で両者は同一のものだ
応神天皇の名をホムダワケというのは不弥国の血筋の王族だということだ

邪馬臺國(邪馬台国)が女王の都するところというのは
そもそも卑弥呼の存命中のことですらないか、卑弥呼とは別に女王と呼ばれる者がいたか、
さもなくば卑弥呼が記紀における神功皇后そのままに畿内から九州へ移動したかのいずれかによってそうなっている
0094日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 21:37:44.64
神功皇后は九州から畿内へ行ったんです
0095日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 21:53:55.00
>>94
なぜ中途半端に記紀や三国志を信じて都合の悪いところだけは信じないんだよ
ガチで洗脳されてるわ
0096日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 22:07:40.47
景行天皇から神功皇后まで
九州でいろいろやってんだから、
記紀に畿内の記事と九州の記事があっても
別人の事績を合わせたものでしょうね。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 22:40:22.63
>>96
畿内が乱れると九州から新しい大王を迎え
九州が乱れると畿内から新しい大王を迎えた

ということだろう
0098日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 23:03:10.87
この本を読み返した。
俺は信用する。ここまで、しっかりした本を読んだ経験がない。アマゾンの書評でも、同意見のようだ。
ゾクゾクした。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 23:10:48.59
そうか?
邪馬台国という国名が九州にあることに固執してる時点で凡百のトンデモと変わらないとおもうんだけど?
0100日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 23:30:27.85
この本が正解だよ
邪馬台国論争で飯を食ってる奴らがずっと無視してきたのも無理はない
論争が終わってしまうからな
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