平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)

1日本@名無史さん2018/06/09(土) 18:42:40.44
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)

192日本@名無史さん2018/06/20(水) 00:58:53.45
>>1で完結

 糸冬

なのだが。

それだとあんまりだから、
畿内説の対案を聞きたいと思っている。

193日本@名無史さん2018/06/20(水) 10:22:07.35
>>187
>もともと王権の証であった内行花文鏡

これがそもそも、きちんと論証されていない根拠レスの言い分に過ぎない
王位と関係ないところでも、普通に内向花文鏡が出ているんですが?

194日本@名無史さん2018/06/20(水) 10:24:31.90
>>183
>「ただの大きい鏡」を日本人は千年以上も崇めてきたというのか?

「ただの大きい鏡」ではなく、天皇の権威とともにある鏡だから、
千年以上崇めてきたんだよ

平原1号墓の鏡は、作ってすぐにばらばらに破鏡されて、壷に入れるでもなく、
墳丘にバラ撒かれていて、まったく崇められていなかったけれどね

195日本@名無史さん2018/06/20(水) 12:55:30.97
>>193
>王位と関係ないところでも、普通に内向花文鏡が出ているんですが?

どこ?

196日本@名無史さん2018/06/20(水) 13:45:54.01
>>195
>どこ?

下池山古墳 120メートル
柳本大塚古墳 94メートル
から、大型内行花紋鏡が出ているけれど、被葬者は倭王だとは誰も考えていない

籠神社には、伝世鏡の内向花文鏡があるけれど、籠神社に倭王がいたという説はない

他にも、小さな弥生時代の墳墓からも内向花文鏡が出土しているけれど、もちろん
そんなところに倭王墓はない

197日本@名無史さん2018/06/20(水) 16:01:41.92
>>196
>から、大型内行花紋鏡が出ているけれど、被葬者は倭王だとは誰も考えていない

考えない方がおかしい。

>籠神社には、伝世鏡の内向花文鏡があるけれど、籠神社に倭王がいたという説はない

籠神社の神鏡は天照大神の孫の饒速日の十種の神宝の鏡と言われている。
饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。

198日本@名無史さん2018/06/20(水) 17:33:56.60
>>197
>饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。

先代旧事本紀に、倭王を任命する、称号を与えるでもいいけど、それだけの権威は
ないんだが?

物部氏系の私家版の歴史書だぞ?
自らの伝承の始祖を精一杯持ち上げるのは当然だろ?

そして、ニギハヤヒは神武の臣下に下っていると、先代旧事本紀にも
書かれているんだから、それ以降は子孫も含めて、倭王にはかすりもしてないだろ?

199日本@名無史さん2018/06/20(水) 17:34:10.05
>>197
>饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。

そりゃあなたの心の中ではそうだろう、
しかし倭王とは中華世界の冊封関係でしか成り立たない概念だよ。列島の王(の1人)だったは言っていいが、倭王であったとはいえないね。

ニギハヤヒは何世紀の人物なんだい?

200日本@名無史さん2018/06/20(水) 17:37:50.23
>>197
>考えない方がおかしい。

倭王を安売りしすぎww
そのクラスの小さな古墳まで倭王だとしていたら、倭王が何百人もいる事態になるぞ
歴代で数えても、そんな人数は日本の歴史に収まらないww

大王墓候補の大きさを、築造順に並べておくと
始まりの大王墓、箸中山古墳がいきなり280メートルもあって、その後の大王墓候補も
西殿塚(230m)→外山茶臼山(207m)→メスリ山(224m)→行燈山(242m)
→渋谷向山(300m)→五社神(267m)→宝来山(227m)→佐紀陵山(207m)
→佐紀石塚山(220m)→津堂城山(208m)→仲津山(290m)→百舌鳥陵山(365m)
→誉田御廟山(425m)→大仙(486m)→土師ニサンザイ(290m)→岡ミサンザイ(245m)

外山(桜井)茶臼山とメスリ山は、大王墓とは認めない人も多く、オオビコの系譜に連なるものと考える人も多い

これと、
下池山古墳 120メートル
柳本大塚古墳 94メートル
を比べてもしょうがないだろ?

つまり、内向花文鏡があるから王墓だっていうのは、根拠にならないんだよw

201日本@名無史さん2018/06/20(水) 17:55:03.81
>>199
>しかし倭王とは中華世界の冊封関係でしか成り立たない概念だよ。列島の王(の1人)だったは言っていいが、倭王であったとはいえないね。
>ニギハヤヒは何世紀の人物なんだい?

饒速日の次の倭王は邇邇芸。
これは当時よくあった兄弟相続だね。
邇邇芸が降臨したのが筑紫の日向、のちの伊都国なので、当時の表記でいうと倭奴国、後漢代だね。
そこから日向三代の後に倭国大乱だ。

202日本@名無史さん2018/06/20(水) 18:03:49.85
>>201
なぜならば、どのようにと、説明がないと単なる妄想だよ。

203日本@名無史さん2018/06/20(水) 18:06:35.53
>>198
>物部氏系の私家版の歴史書だぞ?
>自らの伝承の始祖を精一杯持ち上げるのは当然だろ?

逆に、なぜ物部氏が強大な権力を持っていたかがわかる。
倭王の直系だったからだよ。
ただし、邇邇芸に兄弟相続したから、家督は末弟の子孫が受け継ぐんだよ。
これは中央アジアや西アジアでも見られる相続形式だ。

204日本@名無史さん2018/06/20(水) 18:11:44.97
>>200
>倭王を安売りしすぎww
>そのクラスの小さな古墳まで倭王だとしていたら、倭王が何百人もいる事態になるぞ

鴨王や事代主まで倭王だと言い張る畿内説がよく言うよ。
彼らが漢から冊封されたとは考えられないからね。

それと、内行花文鏡を持っているから倭王なのではなく、倭国王家の一員としての内行花文鏡だよ。
大彦だって皇族なのだから、内行花文鏡を持っていてもいい。
ただ、内行花文鏡の中にも序列があるわけだ。
そうでないと皇位争いになってしまうからね。

205日本@名無史さん2018/06/20(水) 18:14:36.67
>>202
後漢代の倭王(冊封された)が博多湾沿岸、筑紫にいたことは畿内説も認めるんだろ?
だったら記紀と後漢書や魏志倭人伝は年代さえ修正すれば矛盾しない内容なんだよ。
筑紫こそ倭国の中心であり、倭王がいたと。

206日本@名無史さん2018/06/20(水) 18:18:18.03
大彦は出雲族だから鏡じゃなくて銅鐸だよ。

207日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:09:00.77
今さらだけど、>>24のこの部分、解釈が間違ってるよ

>・咫は長さの単位だと全ての学者が認めている(列子皆言 其長尺有咫)

説文解字注の原文は
國語、列子皆言其長尺有咫。

ここでいう、『國語』は21巻から成る国別の春秋時代史で、
『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている書
同様に、『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献

国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある

列子皆言は「全ての学者が認めている」ではなくて、

国語でも列氏でも皆(複数の記述箇所の全てで)という意味だよ

208日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:11:18.86
>>203
>逆に、なぜ物部氏が強大な権力を持っていたかがわかる。

そう思いたいのは>>203の勝手だけど、その強大な物部氏の権力は、
天皇の下でのものだから、当然に倭王じゃないよね?

倭王のシンボルについて語るときに、倭王じゃない例をいくら出されてもねw

209日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:14:11.66
>>204
>鴨王や事代主まで倭王だと言い張る畿内説がよく言うよ。
>彼らが漢から冊封されたとは考えられないからね。

それ、畿内説のスタンダードじゃないからww
まあ、伊都国説も九州説の中でも異端の弱小勢力だけどなw

普通はもっと広い筑紫平野の方に持っていく説の方が人気がある
水行の起点を帯方郡まで巻き戻したり、邪馬台国七万戸を、北部九州全体に
重ねてダブルカウントするとか、伊都国説はインチキな無理が多すぎ

210日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:15:30.30
>>204
>ただ、内行花文鏡の中にも序列があるわけだ。
>そうでないと皇位争いになってしまうからね。

そして、誰も認めていない鏡の序列を、伊都国説の人が勝手に決めるんですよね!
分かります!

211日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:18:02.54
>>206
>大彦は出雲族だから鏡じゃなくて銅鐸だよ。

記紀の系譜では、開化天皇の兄で四道将軍の北陸担当なんだが?
皇族(天孫族)が出雲族(地祇系)ってのはどういう理屈だい?

北陸担当ってだけで、出雲族認定をするのかい?

212日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:34:27.49
>>208
>そう思いたいのは>>203の勝手だけど、その強大な物部氏の権力は、
>天皇の下でのものだから、当然に倭王じゃないよね?

饒速日は倭王だけど、息子のウマシマジ以降は倭王ではない王族だろうね。
天津神の倭王の王位は筑紫の邇邇芸が継承したことになっているから。
神代の時代に別れた分家なので、物部氏は神別に分類される。

213日本@名無史さん2018/06/20(水) 19:35:11.41
>>210
>そして、誰も認めていない鏡の序列を、伊都国説の人が勝手に決めるんですよね!

鏡の大きさは、誰でもわかる明確な序列になりうるよ。

214日本@名無史さん2018/06/20(水) 20:16:16.99
>>213
>鏡の大きさは、誰でもわかる明確な序列になりうるよ。

平原1号墓の内行花文鏡は、割っちゃってるし、埋めちゃってるから、
その場にいた人以外には大きさが分からないんじゃないかな?

古墳時代には、その場にいた人はみんな死んでるだろうし

副葬して埋めたら、他の人には大きさが分からないのは古墳から
出土の鏡でも同じこと

他の内向花文鏡にしても、伝世してみんなで持ち寄って大きさを比べるとか
しなければ、大きさの序列は分からないんじゃない?

古墳の大きさの序列は、それこそ見れば分かるけど

215日本@名無史さん2018/06/20(水) 20:30:16.32
だから伊勢の神鏡は作り直しで小さくなったのかもね。

216日本@名無史さん2018/06/20(水) 20:41:09.07
>>215
だからこそ、凄い
惜しげもなくあれだけの鏡を副葬
凄いと思うよ

この地域の破砕鏡の意味合いが気になるよなぁ

217日本@名無史さん2018/06/20(水) 20:53:22.67
>>215
>だから伊勢の神鏡は作り直しで小さくなったのかもね。

伊勢の御神鏡が作り直されたっていう、根拠はあるのかな?

218日本@名無史さん2018/06/20(水) 21:08:27.76
大きさが八咫でなくなっているのであれば、どこかの時点で作り直されたとしか考えられない。

219日本@名無史さん2018/06/20(水) 21:27:03.77
>>211
記紀のそのあたりの系譜情報は改竄されてるとのことなので。

220日本@名無史さん2018/06/20(水) 21:29:38.91
>>218
>大きさが八咫でなくなっているのであれば、どこかの時点で作り直されたとしか考えられない。

元の大きさが八咫だという根拠が、最初からないので、却下だな

221日本@名無史さん2018/06/20(水) 21:31:34.00
新たに作り直された鏡の面径は恐らく
八寸 = 一咫

八咫鏡は咫(あた)の鏡

女王の手のひらに
太陽を納める意味を込めて作られた
内行花文鏡

222日本@名無史さん2018/06/20(水) 21:39:33.46
明日は夏至

八咫鏡が御鎮座される伊勢志摩では
夫婦岩の間から太陽が昇り

大型内行花文鏡が出土した伊都志摩では
夫婦岩の間に太陽が沈む

223日本@名無史さん2018/06/20(水) 23:27:00.07
>>222 の続き
夏至ネタをもう一つ

三雲南小路遺跡・平原遺跡・可也山・芥屋大門は夏至の日没線に並ぶ

何か意味がありそうだが
ただの偶然かもしれない

https://i.imgur.com/Bvn8Ewt.jpg
https://i.imgur.com/u3QajSi.jpg
https://i.imgur.com/vdTU09w.jpg
https://i.imgur.com/43fzAzN.jpg
https://i.imgur.com/TUn1eCg.jpg
https://i.imgur.com/6eJorIG.jpg

224日本@名無史さん2018/06/21(木) 08:21:19.83
>>224
面白いね
それは知らなかったよ

225日本@名無史さん2018/06/21(木) 11:01:20.05
>>223
>三雲南小路遺跡・平原遺跡・可也山・芥屋大門は夏至の日没線に並ぶ

>何か意味がありそうだが
>ただの偶然かもしれない

確認した。確かにそうなるね。
ただ、三雲南小路遺跡より、井原鑓溝遺跡と起点にした方が、直線性がよくなる
まあ起点は三雲遺跡群、ってことでいいんだと思うけれど

あと、芥屋大門は、偶然じゃないかな? 
伊都国からは可也山の向こうで見えないし

平原遺跡から日向峠がどうこう、っていうのより面白い

226日本@名無史さん2018/06/21(木) 11:04:02.74
>>223
あと、井原鑓溝遺跡基点にすると、夏至の日の出が高祖山の山頂付近になる

227日本@名無史さん2018/06/21(木) 15:21:28.13
>>225
確認ありがとうございます。

芥屋大門との関連は、
伊都国の祭祀と鏡の意味
当時の測量法
伊都国の範囲
当時の地形(特に鏡岩)
洞窟最深部の地中
が、分からないと何にも言えないですね。

228日本@名無史さん2018/06/21(木) 16:23:22.64
>>227
可也山と芥屋大門の2点を結ぶ直線が、夏至の夕暮れ方向っていうのは、
人間が住む前からそうだろうし、弥生人が設定できるものじゃないから、
偶然ってことでいいんじゃないかな?

229日本@名無史さん2018/06/23(土) 10:42:22.05
>>222>>223
伊都志摩のも実際に夫婦岩と呼ばれているの?

>>221
直径が八咫の鏡なんてほぼありえないから、
八咫が長さであれば円周長くらいしかないのですね。

230日本@名無史さん2018/06/23(土) 11:59:46.28
そもそも、順序が逆
大きな鏡が出土した        事実
八咫の鏡だと思った人がいた    ここで憶測が入る
八咫の鏡ならアマテラスだろう   これは連想ゲーム
アマテラスのモデルは卑弥呼    そういう仮説もあるという程度
大きな鏡が出土したから卑弥呼の墓 風が吹けば桶屋が儲かる

こんな程度の話なんだよ

231日本@名無史さん2018/06/23(土) 12:43:01.93
>>229
福岡屈指の観光名所ですよ
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/二見ヶ浦_(福岡県)

いつ頃からそう呼ばれ始めたかは分かりません

232日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:25:25.41
>>229
直径が八咫の鏡なんてほぼありえないから、
咫ってのが長さであれば5cmくらいしかないのですね。

233日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:32:09.49
>>1が事実だから反論になっていないw

234日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:46:54.18
三重の伊勢が福岡の伊勢のコピーであることは明らかであり、それは八咫鏡繋がりであったことがわかる。
同じような地形を持つところに伊勢と名付けたのだろう。

235日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:50:39.05
宗教だな

236日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:50:46.68
>>231
大分にも豊後二見ヶ浦
http://saiki-kankou.com/kamiura/2017/09/3863

熊本にも八代の二見(埋め立てで分からんけど)

二見ヶ浦は九州ゆかりの名前ですね。

237日本@名無史さん2018/06/23(土) 13:57:25.61
筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。
ますます伊勢は九州北部の倭国の末裔ですね。
そもそも九州北部の銅鏡文化を継承している時点で(ry

238日本@名無史さん2018/06/23(土) 15:06:57.31
>>231
おお、ありがとうございます。

伊都志摩と伊勢志摩ですか。
東西南北が反転していますが、共通点があって面白いですね。

239日本@名無史さん2018/06/24(日) 10:07:57.79
>>231
>いつ頃からそう呼ばれ始めたかは分かりません

桜井神社の創建は江戸時代

240日本@名無史さん2018/06/24(日) 10:09:57.26
桜井神社は夫婦岩よりも西にあるし、桜井神社から夏至の夕日が夫婦岩に沈むのは見られないよ
というか、桜井神社は山の中だし

241日本@名無史さん2018/06/24(日) 10:25:52.91
>>236
>大分にも豊後二見ヶ浦

「豊後二見ヶ浦大しめ縄の張り替えは、『昭和44年』に始まり毎年12月中旬に行われています。」
注連縄を張るようになったのはになったのはずいぶん最近みたいだよ

242日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:36:14.90
>>237
>筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。

昭和の時代の町おこしに見えるのだが?

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