邪馬台国北部九州説の雑談用(伊都が首都だっちゃ)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
鉄器と絹で平原女王墓で勝利ありがとう
硯と鉄刀子で平原女王墓で勝利ありがとう
東夷伝里で平原女王墓で勝負ありがとう
世界最大の超大型内行花文鏡=八咫鏡で平原女王墓で勝利ありがとう
平原女王墓で勝利ありがとう ダンワラ古墳 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
東大寺古墳 金錯「中平」銘花形飾鐶頭大刀
中平:後漢184-189
狗奴国王が後漢末期の有力者曹操と外交して貰いました。 なんで布留0式なん?
やましい気持ちが無いのなら布留0式と呼んでるのを布留1式にずらして繰り上げろ 布留0式はもう普通に使われてるよ。
九州説者は関川さんのような古い学者の編年が都合良いのであろうが、
もうそんな時代は来ないよ。 帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)
(渡海千里) ※8000
対馬
馬(方可四百余里) ※8800余
(渡海千里) ※9800余
壱岐
岐(方可三百里) ※10400余
(渡海千里) ※11400余
末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日) 【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
一)
同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
かつ方形のも円形のもある。
どちらも土を作って作られた建造物の描写。
二)
三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
「東夷伝里」からの径百余歩
=約25メートル
=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
共通の周濠で囲まれた鳥居も備えた「複合墓域」 >>7
博多駅前陥没地点までは行かないだろうw
日向峠付近かな。 >>8
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
卑弥呼が死んだので大いに冢を作る
径百余歩に徇葬者の奴婢百余人 >>8
>=平原1号+2号
卑弥呼の墓に「双墓」とか「並墓」などの記述がないから無理だよ >>14
>邪馬台国爺どもスレ立て過ぎだ
それは一部の気のふれた九州説の連中の仕業だよ
だいぶ倉庫送りにして始末したんだけどねぇ 大いに励みたまへ
大きくじゃなくて、
いっぱい
沢山
って意味だよね。
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩
1個にとどまらず
なんと2個も冢を作った。 手漕ぎの古代船の場合、平均1.7ノット、最大速で3ノット
天候にも影響されるので、2ノット=時速3.7kmとします
魏の使節が6月頃に来たとして、
朝8時に出航して、交代制かつ途中休憩計1時間で夕方5時まで漕いだとして
8時間×3.7=29.6km(1日に約30km)
地図で帯方郡から半島南岸まで(ソウルから釜山)が、だいたい500km
500÷30=16.7
速度と漕ぎ手労働を多めに考えて約17日ですから、
天候その他のアクシデントも考えると
帆を張って進んだ分を入れて
水行20日は妥当ですね 地図で測定すればわかるが、
帯方郡から半島南岸を経て対馬海峡横断する水行部分の総距離が、
水行800km
よって、水行10日であれば、800÷10=80km/日
水行20日+10日であれば、800÷30=26.7km/日
古代船の最大速度が3ノット=時速5.5km
灯台も無い古代沿岸航海での夜間航海はありえない。
(夜間航海を主張した時点でその説は敗北)
1日10時間全力で航海したとしても、1日に進める最大距離が55km。
里程部分は連続読み
日程部分は並列読み
という主張をして、投馬国を宮崎に比定しようとしても、
現実がついてこない。
文脈としても、
帯方郡から近い土地から先に書くわけなので、
帯方郡→まず投馬国(水行20日)があって→次に邪馬台国(水行30日陸行1日)。 朝鮮半島が統一されていて、
江戸時代の飛脚みたく港港に漕ぎ手が控えていて、
毎日元気な漕ぎ手に入れ替えて全力航海できるなら、でも物理的に無理。
実際には馬韓は小国の集まりで統一されていないし、
魏は楽浪帯方を戦争で奪ったばかりだから、
そのような航路整備などなされていない。
また、天候不順や病気などの体調不良なども考えれば、
水行10日で800kmは絶対に不可能。
水行20日で宮崎までというのは机上の空論。 >>19
>1個にとどまらず
>なんと2個も冢を作った。
こんなことを書いて、それに説得力があると思ってるなら
本格的に終わってるなw
平原1号墓が卑弥呼の墓だと言わないといけない時点で、
北部九州説はないよ >>23
まったく反論になっていないな。
議論ができない人?
大は大きさだけじゃなくて、程度がすごいとか、数量が大きい、という意味もある。
だから、
普通の墓は一つの冢なのに、家臣の冢までくっつけている様を
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩
と表現したわけだ。
という、しごくまっとうな話。 【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
一)
同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
かつ方形のも円形のもある。
どちらも土を作って作られた建造物の描写。
二)
三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
「東夷伝里」からの径百余歩
=約25メートル
=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
共通の周濠で囲まれた鳥居も備えた「複合墓域」 キナイコシは議論できないから問い詰めたら可哀想だよ >>25
>普通の墓は一つの冢なのに、家臣の冢までくっつけている様を
家臣の冢をくっつけるってことは、家臣と王との権力の格差が小さいってことだ
吉備でも出雲でも丹波でも大和でも、そんな情けない王墓はないぞ
前から何度も書いているんだが、平原1号墓と書かずに平原遺跡と書くなら
平原5号墓や、3号墓・4号墓のことも合わせて考えていかないと!
でも一族の家族墓地である平原遺跡に、王墓級が一つもない >>26
>=約25メートル
>=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
また嘘を書いてるww
何度も書いているが、平原遺跡の平面図をきちんと確かめなさい
25メートルを測るところなんてないぞww
そして、歩が25センチなんて あ・り・得・な・いww
そんなでたらめに頼らないといけない時点で、
でたらめですっていう自白でしかない >>28
>家臣の冢をくっつけるってことは、家臣と王との権力の格差が小さいってことだ
共立された女王だからな。
そんなもんだろう。
>でも一族の家族墓地である平原遺跡に、王墓級が一つもない
共立された女王だからな。
記紀にも記されていない。
そんなもんだろう。
三雲南小路などの正統系とはちがうってことだ。 >>29
>二)
>三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
>「東夷伝里」からの径百余歩
>=約25メートル
>=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
>共通の周濠で囲まれた鳥居も備えた「複合墓域」
これで合ってるね。
なんかまたキナイコシ独自の特別ルールでも使ってるのか? >>31
>=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
>共通の周濠で囲まれた鳥居も備えた「複合墓域」
バカみたいに意味のないコピペを繰り返し貼ってないで、
具体的にどこからどこまでが25メートルなのか示してくれっていうのにw
そして、25メートルにするには歩が25センチじゃなきゃならないんだが、
歩は複歩だしどうやっても25センチなんていう短い長さにはならないぞw >>32
1号墓と2号墓を囲む共通の周濠の長径
きっちり25メートル
三国志東夷伝は東夷伝里で統一記載されており、
東夷伝里だと径百余歩は約25メートル
以上はどちらも事実。 >>33
私もそう思っている。
江戸時代に距離を測る専門家は、歩幅をきっちり合わせる訓練を受けていたらしい。
普通に歩く歩幅というのは、その日の体調などに左右される部分も出てしまうけれど、
足の大きさは一定。
足の長さであれば、日によって変わることも無いから、
官吏一同が、物差しを元に自分の足の長さを測っておく、
あるいは自分の足のどの部分までが一歩かを測っておけば、
自分の足の長さが正確な物差しとなるわけだね。
中央での尺=23センチ=東夷伝里の歩
と考えてみようかな。 【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
一)
同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
かつ方形のも円形のもある。
どちらも土を作って作られた建造物の描写。
二)
三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
「東夷伝里」からの径百余歩
=約25メートル
=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
鳥居も備えた「複合墓域」の共通する周濠の長径 【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
一)
同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
かつ方形のも円形のもある。
どちらも土を作って作られた建造物の描写。
根拠:三国志東夷伝
二)
三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
「東夷伝里」からの径百余歩
=約25メートル
=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
鳥居も備えた「複合墓域」の共通する周濠の長径
根拠:実測 >>33
>俺の足の長さは26センチだ。
靴の大きさじゃなくて、足の長さ?
どんだけホビットなの?ww >>34
>1号墓と2号墓を囲む共通の周濠の長径
>きっちり25メートル
嘘を書いちゃいかんよ
それ、20メートルないよ
平原1号墓の長径が12メートルだから、2号墓と2つ分に周溝を足して25メートルとか
都合のいいことを考えているんだろうけど、2号墓は平原1号墓の短軸方向に並んでいて
1号墓の墳丘横幅は8メートルくらい、2号墓は1号墓より小さいし周溝を入れても20メートルない
平原遺跡のどこを測っても25メートルにはならないよ
そもそも墓二つで径百歩なんて書いてないし
1歩25センチってのも、妄想もいいとこ >>34
>東夷伝里だと径百余歩は約25メートル
何度嘘を書いても、「歩」が複歩なんだから、1.35mより極端に小さい値を
歩だと言い張るのは無理だよ >>35
>江戸時代に距離を測る専門家は、歩幅をきっちり合わせる訓練を受けていたらしい。
江戸時代でも、複歩で測っていた記録は伊能忠敬他、山ほどあるよ
>普通に歩く歩幅というのは、その日の体調などに左右される部分も出てしまうけれど、
だから正確に測ろうとしたら、ある程度訓練がいるけれど、概算距離なら誰でも測れる
径百歩程度の丸めた値なら、まったく問題ない
>足の大きさは一定。
それを継ぎ足しながら歩くのはメチャクチャ苦痛だよ
一度やってみなよ
斜めになったりするし>>35の創造より誤差は大きいし3桁測るのは超大変
そもそも尺と変わらない長さなら、尺で測るだろ?
根本から矛盾だらけなんだよ
平原1号墓を卑弥呼の墓と言いたいがためだけに、
捏造上等の嘘をつき続けるのはいかがなものか
平原1号墓が径百歩にほど遠いというのは、
要するに卑弥呼の墓じゃないってことだよ
そして、平原1号墓以外には卑弥呼の墓の候補すらない
つまり九州説(伊都国説)は成り立つ余地すらないってことだ >>37
>【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
>【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
>一)
>同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
>弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
「形が同じ」としか書いてないのに、それを「大きさが同じ」に脳内変換してもダメだよ >>44
>それを継ぎ足しながら歩くのはメチャクチャ苦痛だよ
>一度やってみなよ
長い距離を測ろうと思ったらつらいだろうが、数十メートルの範囲であれば精度が高くて良い方法だよ。 >>44
>そもそも尺と変わらない長さなら、尺で測るだろ?
そうそう。
だから尺よりずっと短い足の長さなのでは? >>46
>長い距離を測ろうと思ったらつらいだろうが、数十メートルの範囲であれば精度が高くて良い方法だよ。
実際にやってごらんよ
バランス感覚の悪いやつだとすぐに転ぶし、靴でも履いてなければ、
足先のどこにかかとを合わせるかってところから不確実になるよ
現代人の靴は固いから、そういう感覚が分からないんだろうけど
机上の空論だよ
全然便利でも、正確でもない >>47
>だから尺よりずっと短い足の長さなのでは?
おいおい、漢尺は23.1センチで、
>>47が主張している「インチキ歩」は25センチじゃないのか?
歩の方が長いじゃないか?
何度も何度も言うが、「歩」はもともとが「身体尺の複歩」だから、
複歩以外で測るのはありえないんだよ
25センチの歩を主張するなら、単歩が12.5センチになる
そんな歩き方はない! 東夷では複歩ではなかったかもしないぞ。
里が1/5だったのだから、歩も1/5でもいいかも。 >>50
そんな報告を魏本国にして役人クビにならんのか? >>50
>里が1/5だったのだから
つまり、里が1/5だったってのも嘘なんだよ
九州説の前提、全崩壊w >>50
>東夷では複歩ではなかったかもしないぞ。
かもしれないとか言い出したら、なんでもアリだ
魏志倭人伝に書かれていることは、
全部正しいかもしれないし、
全部間違ってるかもしれない
これと同じレベルw
妄想を「かもしれない」で正当化しようとしても無駄 >>52
>つまり、里が1/5だったってのも嘘なんだよ
嘘だという根拠は? >>54
明らかに嘘な一歩25センチと連動させたから 単位や尺度を創作して、それに合った合ったとはしゃいでも何も意味がない まず、一歩=25センチが嘘だってのを確認してくれ
話はそれからだ
「歩」は文字の成り立ちからいっても複歩
https://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
#1歩(あゆ)む。足をふみ出してゆく。
#2歩(ある)く。歩行する。
#3止は左足の足あと、𣥂は右足のあしあと。左右の足あとを連ねて歩行の意とする。武は半歩、歩は六尺、合わせて「歩武堂々」のようにいう。足を地に接して歩くことは、その地の地霊に接する方法で、重要な儀礼に赴くときには歩するのが常法であった。(字通)
#4右の足+左の足。左と右の足をふみ出すことを示す。(漢字源)
https://jigen.net/kanji/27497
説文解字
步,行也。从止𣥂相背。凡步之屬皆从步。
行くなり、止と𣥂の相背に従ふ、凡そ步の屬は皆な步に従ふ。 実際の大陸の度量衡でもすべて複歩の長さ
長さとしての歩は、古代中国の周代に制定された。
右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ
(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺
周歩=約 1.35 m
秦漢歩=約 1.38 m(始皇帝の度量衡の統一)
魏晋歩=約 1.45 m
隋歩=約 1.77 m
唐歩=約 1.56 m(1歩=6尺から1歩=5尺に変更) 伊能忠敬の歩測では、複歩で約138センチで秦漢代の一歩とほぼ等しい
単歩で69センチだな
現代では、歩測は複歩で150センチになるように調節する訓練をするそうだ
この場合は単歩で75センチ
ソースも付けておこうか
http://www5a.biglobe.ne.jp/kaempfer/kodomo/taiken/hosoku/hosoku.htm
さらに、年齢別の単歩の集計結果も見つけたので、貼っておく
男性は、15歳から49歳の範囲で、70センチを超えてるよ
https://pt-matsu.com/wp/wp-content/uploads/2017/11/a94943a9de0a8cbd0c25e72e0ba1dd7b-1.png 実際に歩測する場合には、長くなったり短くなったりは当然にあるだろう
個人差もあるし
でも、複歩である以上、25センチなどという値には絶対にならない
これを認められないようなら、史料批判をする能力がないということだから
何を言っても無駄だよ 「宇宙より遠いところ」
足の長さで距離を測っていたな。
あれは自衛隊式なのかな? >>63
>「宇宙より遠いところ」
「宇宙よりも遠い場所」のまちがいか?
それとさっきから「足の長さ」って何度も言っているのが気持ち悪い
普通の日本人の感覚だと、「足の長さ」は股下長を指す
今、九州説の人間が無理読みで主張しているのは「足底長」
説文解字の咫に、中婦人手長って出てくるのにつられてるのかもしれないけれど、
日本人の感覚と違う
それから、自衛隊でも複歩で歩測してるよ
この辺を参照してみ
https://blogs.yahoo.co.jp/dfm92431/25595395.html
アニメの中の計り方は知らん あ、そうそう「宇宙より遠い場所」だ。
つま先と踵をつけて距離を測っていた。 「宇宙よりも遠い場所」か。
すごく適当に覚えていたな。 公式サイトに南極探検隊のインタビューが載っていて、靴の長さ25センチと、一歩70センチを基準にしているそうだ。 >>67
>公式サイトに南極探検隊のインタビューが載っていて、靴の長さ25センチと、一歩70センチを基準にしているそうだ。
http://yorimoi.com/special/clg-4.html
本吉:実際もそうですよ。靴の全長25cmで何歩とか、一歩70cmで何歩とか。
でもこれ、現在の一歩=単歩=跬であって、「歩」じゃないだろ?
大陸史書の「歩」は、あくまで複歩 まだまだです
テンプレ部分的には畿内説で正解
情報が多いと思うが
膨らませない方が良い
支離滅裂のテンプレが現状
ストリー制を持たせると
一つの論調にはなる
がんってください 最近の畿内説論者は心が無い
「心を込めて夢づくり」
夢が真実になるには「心を込めて」
邪馬台国とは永遠に結論が出ない
考古学しかり
「漢委奴国王」印も結論は出ていない
心をこめて論戦するのが邪馬台国論叢
現状 結論は各説 自己満足です
学会のドロドロは別にして
やや九州説が優位かなと思う今日この頃 自由律・瘠土・春期・大天井・ポート・egress・非運/悲運・残虐・有用・弟一年ドの叫きょう
・稲挙ぐ・句点・special・外懐・去秋・高額・客語・軽油・硬骨魚類・浅瀬 >>74
そんな丸写しするのも
九州説じいさんに脳が無い証拠 まあ、ここはキウスとかが立てた畿内説の背乗りすれじゃないし、
雑談用スレだから、ゆる〜くいけばいいのかもね 【三国志東夷伝韓条】
>居所作草屋土室 形如「冢」
【三国志東夷伝倭人条】
>卑弥呼以死 大作「冢」 径百余歩 徇葬者奴婢百余人
一)
同じ三国志東夷伝に「冢」が使われており、
弥生時代の朝鮮半島の住居はちょうど平原遺跡と同じくらいの大きさ。
かつ方形のも円形のもある。
どちらも土を作って作られた建造物の描写。
二)
三国志東夷伝は「東夷伝里」で統一されており、
「東夷伝里」からの径百余歩
=約25メートル
=平原1号+2号(大作冢)+殉葬土壙墓を含む
鳥居も備えた「複合墓域」の共通する周濠の長径 よそのスレでも書いたけど、形が似てると大きさが似てるってのをわざと混同してるだろ
そして、1号墓と2号墓を合わせても25メートルにはならないんだ
インチキはダメだよ
歩も複歩だしw 3号墓から5号墓までも墓域に含まれるんじゃないの?
甕棺墓のは1号2号より前だろうから当時存在しただろうし。
張政から見たら1号2号と区別がつかなくて全部卑弥呼の墓域に見えたのだろう。 含まないよ。
1号2号の共通する周濠で囲まれた墓域だ。
塚は土を盛った墓、墓所、という意味であり、
塚という語の中に、墓域という概念がもともと含まれている。
辞典をみたらいい。
1号2号を囲む明確に区分けされた墓域の長径
=約25メートル
=東夷伝里で百余歩 >>81
>1号2号を囲む明確に区分けされた墓域の長径
>=約25メートル
逃げ回ってるんじゃねーよ!
>>81の想定する1号2号を合わせた範囲で20メートルに届かない
遺跡の平面図を確認してみろって、何度と書いてるのに、無駄なことを所期続ける
>=東夷伝里で百余歩
東夷伝里などはない
さらに、歩は複歩だから、個人差はあっても極端に短いのはありえない
1歩25センチとしている時点でトンデモ
二重三重にありえない こういう二重、三重のインチキを重ねないと、平原1号墓は卑弥呼の墓にならない
つまり、卑弥呼の墓ではないんだよ
卑弥呼の墓のない「伊都国が都」説はナンセンス
伊都国説は最初から成り立つ余地がない >>86
北部九州地域に卑弥呼の墓はないって決めつける理由はないってことですね。 北部九州地域に卑弥呼の墓はないって決めつけていいだろう
理由がある
九州説が生まれて240年
ついに候補地が絞れないままだったから 畿内説も未だ本命の卑弥呼の墓が見つからないから
畿内説がなり立つ余地がないですね。 畿内説で本命の卑弥呼冢なら見つかっているが?
大人の事情で発掘できないだけ >>89
こういうウソを平気でつくから
伊都厨は毛嫌いされる 見つかっているよ、
家の嫁の話なんだよ、神代〜代々の嫁という話 >>88
>ついに候補地が絞れないままだったから
昭和の末期、ついに平原遺跡という最有力候補が発見された。
九州説は仮説ではなく、考古学的にピンポイントで遺跡を持つ有力な説となった。 いまは群馬(藤ノ木というところ)から来た人が、
そうなんだよ、それでも数十年前の話 『藤ノ木古墳』
というのがあるでしょ、そこ(地名)から付けたんだと思う 【卑弥呼の王宮の候補】
・高祖宮
魏志に伊都国と記された糸島市にある。
糸島平野と福岡平野の間にあるクシフル山があり、福岡に通じる峠を日向峠と呼ぶことから、高祖宮は記紀にある筑紫の日向の高千穂宮に比定できる。
高千穂宮は天孫ニニギが八咫の鏡を伴って筑紫の王として即位した宮であり、神武天皇が東征に出発した宮でもある。
後にこの地に建設される怡土城、高祖城はクシフル山の山頂を含む中国式山城であり、高千穂宮の名にふさわしい。
糸島平野にある三雲南小路遺跡はニニギと木花咲耶姫の墓と伝えられる。
高祖宮の目の前の平原遺跡からは、ニニギ王家の家宝である神宝八咫の鏡が出土している。
伊都高祖宮こそ倭国の王都であり、平原遺跡は倭国女王卑弥呼が被葬者の最有力候補である。
・橿日宮
現在の香椎神宮。
卑弥呼の後継者となる筑紫の女王の一人として、景行天皇の時代に筑紫の梟帥の称号と八咫の鏡を持つ神夏磯姫(神橿日姫)がいて、その名からはおそらく橿日宮に住んでいたと思われる。
景行天皇の孫の仲哀天皇も橿日宮を拠点としており、代々の筑紫の王宮として用いられていたと考えられる。
魏志では不弥国に比定されることが多く、ここまでは距離が明記されているので郡使が往復したことは確実である。何のために往復したのかと言えば、卑弥呼に会いに行った可能性がある。
・高良宮
筑後一宮。高良大社や高良玉垂宮などからなる複合施設だが、後世の仏教との習合や神仏分離などの影響による。
近隣には卑弥呼もしくはそれに近い人物の墓と言われる祇園山古墳がある。
卑弥呼が筑後出身ならば、高良宮が元宮だったかもしれない。
郡使が滞在した伊都国までやや遠いのと、魏志倭人伝に該当する記事もないのが不利。
すると祇園山は壹與の墓か?
いずれの宮も聖地である山の西の麓にあり、王は太陽を背にして君臨したと考えられる。
これは倭国が太陽信仰をもとにした祭政一致体制であったためである。
その象徴となるのが王位の証である八咫の鏡などの内行花文鏡である。
平原遺跡に見られる鳥居や御柱などは、3世紀において神道が成立していたことを示す。
卑弥呼が用いたと記録された鬼道も、三種の神器や榊を用いた神道の儀式であったはずである。 >>95
で?
そこが卑弥呼の墓だと言っている人の名前は? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています