高天原にある卑弥呼の墓

1日本@名無史さん2018/10/20(土) 09:07:17.86
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。

高天原最有力地・御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。

https://goo.gl/maps/SnEKaJ2co5m

卑弥呼(ヒミコ)とは簡単。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津          E孝安 D孝昭
トヨ津       (250年頃) C懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)        B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)       A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴) (200年頃) @神武 

ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。

ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も死後に高天原の神々になった。

222日本@名無史さん2019/01/10(木) 11:45:39.61
金剛山の向こうから神々はやって来たというのが奈良の人の認識

少なくとも高天原は、金剛山の向こう側にあるんじゃないか?

223日本@名無史さん2019/01/10(木) 11:59:31.88
白鳳地震の津波で四国壊滅し、海の無い金剛山を超えた奈良に遷都した
倭は四国のこと
だから倭大國魂神社(延喜式)が四国にある
高天原は剣山

224日本@名無史さん2019/01/10(木) 12:22:26.51
剣山の麓に天椅立(あまのはしだて)神社
波爾移麻比弥(はにやまひめ)神社
弥都波能売神社(みつはのめのかみ)
そして伊邪那美神社
こんな偶然あるのかって話

225日本@名無史さん2019/01/10(木) 13:17:08.14
>>222
>金剛山の向こうから神々はやって来たというのが奈良の人の認識

島根県では邪馬台国出雲説が有力だというのとかわらないレベルだ。

226日本@名無史さん2019/01/10(木) 13:17:43.15
>>222
>金剛山の向こうから神々はやって来たというのが奈良の人の認識

創作はダメ。

227日本@名無史さん2019/01/10(木) 13:22:30.68
邪馬台国出雲説は無理だが卑弥呼は出雲系。

今日はえべっさんだが、事代主神の娘ヒメが7世紀に出雲族の象徴」蹈鞴(たたら)」と五十鈴をつけられた。

姫蹈鞴五十鈴媛なんて長ったらしい名前にされてすぐにヒミコとは分からないようにされた。

228日本@名無史さん2019/01/10(木) 13:25:56.65
ホトが恥ずかしいからヒメと改名したと書いてある。

229日本@名無史さん2019/01/11(金) 10:19:31.15
>>228
その話が仮に本当だとしても、女の子なら6歳くらいで恥ずかしいと思うであろうから、
改名後の「歳すでに長大」であったヒミコの話なので問題なし。

それより古事記で「ホトタタラ」と明言後にヒメ踏鞴に改名しました(ボソッ)なんて書かれてるが、
それなら最初からヒメ蹈鞴にすればいいのに、
「ホト」を強調しているのはヒメから来るヒミコの印象を遠ざけるためであろう。

というかこの説話自体が創作だろうけどね。
どこの世界に娘に陰部の名前を付ける親がいるのかと。
関東なら万子ちゃん、関西なら尾芽子ちゃん、九州なら簿々子ちゃんだろ。
免許更新の時に名前呼ばれたら死にたくなるほど恥ずかしいだろうな。

天皇家の史書である古事記は前王権への嫌がらせまたは侮蔑心から大物主関連にホト説話をわざと組み込んでるね。

230日本@名無史さん2019/01/11(金) 10:31:56.18
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

231日本@名無史さん2019/01/11(金) 10:32:33.59
>>229
>「ホト」を強調しているのはヒメから来るヒミコの印象を遠ざけるためであろう。
>というかこの説話自体が創作だろうけどね。

それは恣意的だね。

232日本@名無史さん2019/01/11(金) 11:15:57.72
イスケヨリ姫は博多湾の倭王であるイザナギの孫である大山祇の末裔。
大山祇の娘は、天照の孫で筑紫の日向で倭王に即位した邇邇芸の妃となった木花咲耶姫だ。
息子は溝杭耳といい、名前からして筑紫の王族なのだが、愛媛の三島神社に祭られている。
大阪でも三島神社に祭られている。
京都では賀茂神社、奈良では登美神社に祭られている。
この三島溝杭耳こそが瀬戸内を拠点に関西方面を開拓した張本人だが、そこに天照の孫の饒速日がやって来る。
三島溝杭耳の孫のナガスネ彦は妹を饒速日に娶らせている。
そこにさらに筑紫から神武が来て、ナガスネ彦は怒る。
「なぜ次々に天神の子がやって来て人の土地を取るのか」
饒速日と神武は同族であることを互いに確認すると、従わなかったナガスネ彦を排除してしまう。
その姪のイスケヨリ姫が神武の妃となり、2代目の天皇が生まれる。
つまりイスケヨリ姫は父方も母方もイザナギの末裔という家系である。
ちなみに卑弥呼とは全く関係ない。

233日本@名無史さん2019/01/11(金) 14:48:07.88
>>231
恣意的もなにも歳長大の時点で名前がヒメである事には変わりない。

234日本@名無史さん2019/01/11(金) 14:52:47.21
>>232
>ちなみに卑弥呼とは全く関係ない

4世紀前半の崇神から数十年前のトヨはトヨ津媛以外におらず、
其の3世代前のヒミコに近い名前はヒメ(踏鞴五十鈴)しかいない。

トヨ津媛は「国宝」中平銘鉄刀の保持者和邇氏の祖なので考古学的根拠もある。

博多湾の倭王などというレベルの低い話はやめてくれ、質が下がる。

235日本@名無史さん2019/01/11(金) 18:02:47.40
>>233
いや、ちょっと意味がわからない。

236日本@名無史さん2019/01/11(金) 18:03:38.57
畿内と筑紫が別なら、畿内の歴史書に名前がなくてなんの不思議があろうか。

237日本@名無史さん2019/01/11(金) 19:31:00.44
>>235
なにがわからないのかな。
百歩譲ってホトという名前が本当だったとしても、
恥ずかしいのでヒメに変えたわけだろ。
それがヒミコだと言ってるわけだが。

238日本@名無史さん2019/01/11(金) 19:32:44.13
>>236
どこの歴史書にも名前のないのに何で九州に魏志に書かれた王がいたと照明できるの?

239日本@名無史さん2019/01/11(金) 19:34:16.23
>>237
>それがヒミコだと言ってるわけだが。

卑弥呼の関係ないだろ

240日本@名無史さん2019/01/11(金) 19:35:11.24
>>238

記紀に名前がない倭王なんていくらでもいる。
帥升とか倭の五王とか。

241日本@名無史さん2019/01/11(金) 21:52:44.07
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

242日本@名無史さん2019/01/12(土) 07:16:17.63
>>239
主張や感想文はイイからあんたなりに考えた対抗軸を持ってこい。

243日本@名無史さん2019/01/12(土) 07:19:25.31
>>240
>記紀に名前がない倭王なんていくらでもいる。
>帥升とか倭の五王とか。

記紀にいるだろ。
だから古代天皇を100歳超えさせて時代を大きくずらしてるのさ。
倭の五王も記と紀で時代が微妙に違うだろ。
誰か分からないように潤色してるのさ。

センスがねぇな、おまえw

244日本@名無史さん2019/01/12(土) 09:17:38.31
>>243
>倭の五王も記と紀で時代が微妙に違うだろ。

勝手に決めつけているだけで、実は根拠がない。

245日本@名無史さん2019/01/12(土) 09:28:25.67
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

246日本@名無史さん2019/01/12(土) 14:17:08.85
>>244
博多湾にいた倭国王などと勝手に決めつけているのはおまえ。
何も根拠がない。

247日本@名無史さん2019/01/12(土) 14:25:31.03
金印は博多湾で出土した。
どこに倭王がいたかは明白だ。

248日本@名無史さん2019/01/12(土) 14:47:22.64
>>247
本物ならね。

弥生時代中期から墳墓で他地域を圧倒するのは出雲。
博多など屁でもない。
そしてBC2世紀からBC4世紀にかけて、
出雲から近畿・中部に銅鐸が拡散する。
https://static.wixstatic.com/media/349e69_a4a19c65278749c8b6ae6e0288ab35ed~mv2.png/v1/fill/w_371,h_461,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01/349e69_a4a19c65278749c8b6ae6e0288ab35ed~mv2.webp

海の向こうで始皇帝という男が超大国「秦」を建国した時期だ。
その防衛対策としての王都の畿内移転だろう。

博多など防人の土地、そんな場所に王のいる都はない。
カッペが自惚れるな。

249日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:00:35.26
>>248
よう、南を倭と接するスパイ!

250日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:02:05.95
その後で倭国の中心地は筑紫となり、銅矛銅鏡文化が銅鐸文化を駆逐してしまう。
出雲や、その流れをくむ鴨一族は歴史の中では傍系となってしまうのだよ。
そして記紀にはそれを裏付ける出雲の国譲りが記録されている。
これを受けて紀元1世紀頃に筑紫に伊都王権が成立した。
神武と卑弥呼が同年代なら、神武の年代はさらにその後なわけだから、出雲はすでに筑紫の傘下なのだよ。
わかったか。

251日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:04:34.92
墳墓で圧倒する=限られた労働力を土盛に浪費している

つまり征服されたばかりの場所だよ。
反抗する力を無くすための労働ね。
江戸時代は参勤交代させてたでしょ。

252日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:08:18.23
>>248
そもそも神武が卑弥呼と同じ3世紀と言っていなかったか?
なぜ畿内遷都が紀元前になるんだよ。
自分で言っていることが矛盾していないか?
畿内説でありながら畿内への遷都に言及したことは評価するけどね。
結論は間違っている。

253日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:25:21.92
キナイコシは畿内なんてどうでもいいからな。
南岸を倭人に支配されていたら困るだけ。
日本だってどうでもいいから金印なんて偽物でいいわけだ。

254日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:12:19.50
>>251
>墳墓で圧倒する=限られた労働力を土盛に浪費している

>つまり征服されたばかりの場所だよ。

バカだね!
征服地で労働力を動員組織化したら、反乱の原因になるぞw

大墳墓というのは王のお膝元に各地から人員を徴発して作るものだ
各地から労働力を引きはがしてこそ、国力を削ぐことができる

九州はまともな大墳丘墓一つ作れなかった弱小地域
九州説はそれをごまかすために、筋の通らない詭弁の言い訳を量産しているww

255日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:14:19.74
>>253
こんなところに「キナイコシ」ww
半島系工作員は恨の感情が原動力だから無駄にシツコイw

256日本@名無史さん2019/01/13(日) 19:29:36.48
>>250
>神武と卑弥呼が同年代なら、神武の年代はさらにその後なわけだから、出雲はすでに筑紫の傘下なのだよ。
わかったか。

なにを訳わからんこと言ってるのかw
筑紫なんて雑魚なんだから引っ込めw

257日本@名無史さん2019/01/13(日) 19:33:04.74
>>252
>そもそも神武が卑弥呼と同じ3世紀と言っていなかったか?
>なぜ畿内遷都が紀元前になるんだよ。

畿内遷都は神武よりはるか以前の銅鐸時代の話し。
筑紫なんて何も関係ないので黙っててくれ。
自分で言っていることが矛盾していないか?

258日本@名無史さん2019/01/13(日) 19:40:57.21
畿内に遷都したのは神武だろこら

259日本@名無史さん2019/01/13(日) 19:54:45.31
神武「東征」

260日本@名無史さん2019/01/14(月) 03:03:03.43
>>258
神武は大和にあった王権への婿入り。
神武が来た時には大和にはすでに王権があった。
出雲系銅鐸祭祀の神(鴨)王朝で場所は高天原(金剛山)

神武は事代主神の娘ヒメの元に通える位置である御所市柏原に宮を構えた。
記紀にある「天皇」なる称号は7世紀に出来た。

261日本@名無史さん2019/01/14(月) 05:10:35.33
私の説の主旨は、

・崇神天皇4世紀前半として「国宝」中平銘鉄刀の保持者・和邇氏系図から導き出される3世紀後半のトヨとはトヨ津媛、
卑弥呼とはヒメ(踏鞴五十鈴)媛である

・ヒメ(踏鞴五十鈴)媛はじめ鴨(神)族の墓は高天原にあり、日本最古の高天彦神社境内に奴婢(土蜘蛛)とともに径百余歩の塚に埋葬されている

・後漢書東夷伝の倭国王帥升とはヒメ(踏鞴五十鈴)から約5世代前のスサノオであり、記紀はスサノオの後漢・安帝への謁見要請、つまり土下座という屈辱的史実を覆い隠すために大きく時代を変え、その結果神武127歳などとなった

・神武東征紀とは女王国時代を隠ぺいするために意図的に武勇伝を強調し男王国に見せかけたもの、
そして天皇・皇后という新称号は魏志に書かれた真の女王を隠ぺいするための物である


先日、大変高名な考古学者の方にお手紙を差し上げたところ、返信のおハガキをいただきました。
その御主旨は「あなたの説は近代以降の文献史学による記紀批判がなされていない」というものでした。
先代旧事本紀についても同じであるというご意見でした。

前期古墳の特徴が山稜にあることは考古学的にもほぼ鉄則なのにも関わらず、
大和盆地においてはほとんどの人が平地の纏向古墳群に意識を引き付けられ、誰も大和盆地の山稜・高天原(御所市高天)に注目してこなかったのが実情ではないでしょうか。

そこにもし「神話の世界などありはしない」などとの意識が根底にあるのならば、トロイアを顕現させたH・シュリーマンの否定にもつながるのではないかなどと素人ながらに思ったりします。

「近代以降の文献史学による記紀批判」とはむしろ批判という名を借りた記紀からの「逃避」ではなかろうかとも思います。

262日本@名無史さん2019/01/14(月) 07:42:58.33
各論があっているのに、肝心の卑弥呼の比定が強引で誤っているという珍しいパターン

263日本@名無史さん2019/01/14(月) 08:15:16.37
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

264日本@名無史さん2019/01/14(月) 20:47:23.06
あげ!

265日本@名無史さん2019/01/15(火) 17:12:05.20
>>262
強引でなく間違っていない卑弥呼の比定をどうぞ。
全員論破してやるから遠慮なく言え。

266日本@名無史さん2019/01/15(火) 19:27:47.68
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

267日本@名無史さん2019/01/15(火) 23:45:16.82
>>265
卑弥呼はオオヤマトクニアレヒメ!

268日本@名無史さん2019/01/16(水) 00:17:31.49
>>267
崇神時代まで生きたモモソ媛のオカンがなんでヒミコやねんw
な、この程度のヤツばっかりw

269日本@名無史さん2019/01/16(水) 07:15:34.37
卑弥呼は記紀の中には取り上げられていないよ。

270日本@名無史さん2019/01/16(水) 10:33:22.45
>>269
取り上げられてるから時代を大きくずらしてるのだよ。
その結果、神武127歳などというトンデモになった。

271日本@名無史さん2019/01/16(水) 15:02:48.86
>>268
>崇神時代まで生きたモモソ媛のオカン

崇神時代が邪馬台国の時代だからばっちりだろ?

モモソヒメが生殖可能年齢で崇神時代を生きている時点で
記紀の系譜は造作が見られる

モモソヒメと崇神は、ともに孝霊天皇の子供で姉弟
孝霊と孝元が兄弟で同世代
開化は孝元の息子で崇神とはいとこ

272日本@名無史さん2019/01/17(木) 12:19:31.82
>>271
>崇神時代が邪馬台国の時代だからばっちりだろ?

どうして?
百済の武寧王墓の金石文からも応神天皇390年は確実、そして神功皇后が4世紀後半。
その3世代あたり前の崇神が邪馬台国時代になるわけはない。
トヨの時代が終わった頃に崇神の台頭であろう。

また崇神墓は古事記の記述からも、
また大王墓にふさわしいその威容からも行燈山古墳で間違いなかろう。
ならばその時期は4世紀初頭から前半。

やはり崇神は邪馬台国時代ではない。

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