>>393(Wikiより)
>旧怡土郡付近は大化の改新以前は伊覩縣(いとのあがた)が置かれ、
『日本書紀』によるとその祖の名は五十迹手(いとて)で仲哀天皇の筑紫親征の折に帰順したとされる。
『筑紫国風土記』逸文には五十跡手が「高麗の意呂山(おろのやま)に天より下った天日鉾命の後裔である」と天皇に述べたとある。

(このほか神功皇后記にも、怡土に関連する逸話がある。)
(この怡土郡、伊覩縣の地名を元に、新井白石が比定を行い、これが今日の北部九州旧ルート説に至っている)