♪邪馬台国ドンと来い!♪142

1くまモン論者2018/11/28(水) 20:35:37.29
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
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          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪141
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1537964681/l50

305日本@名無史さん2018/12/05(水) 03:03:42.70

306日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:25:14.30
弥生時代、関東に大国が有ったのはほぼ確実よ。
利根川流域は大国が誕生する条件をことごとく備えた豊穣な土地。
しかしこの勢力はおそらくは筑紫によって攻められ敗北、支配下に置かれたのだろう。
筑紫の影響がヤマト朝廷に見られるのは誰もが知っている事実。

307日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:25:47.94
弥生時代、越後平野に大国が有ったのはほぼ確実よ。
信濃川流域は大国が誕生する条件をことごとく備えた豊穣な土地。
しかしこの勢力はおそらくは筑紫によって攻められ敗北、支配下に置かれたのだろう。
筑紫の影響がヤマト朝廷に見られるのは誰もが知っている事実。

308日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:26:38.17
弥生時代、宮崎に大国が有ったのはほぼ確実よ。
しかしこの勢力はおそらくは筑紫によって攻められ敗北、支配下に置かれたのだろう。
筑紫の影響がヤマト朝廷に見られるのは誰もが知っている事実。

309日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:52:02.27
弥生時代、筑紫に大国が無かったのはほぼ確実よ。
しかしこの勢力はおそらくは阿波によって開発され復活、支配下に置かれたのだろう。
阿波の影響が奈良大和朝廷に見られるのは誰もが知っている事実。  @阿波

310日本@名無史さん2018/12/05(水) 12:32:58.97
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

311hage2018/12/05(水) 13:42:27.32
>>310
土器厨先生、乙

♪スレ が不毛なんで 科学ニュース+板 行ってたw
【考古学】渡来人、100年早く奈良に移住か 最古級の建物跡発見
だってよ。 弥生人骨スレも氷ってるしw

弥生渡来人が4世紀に奈良で大壁建築とか、
あいつら、馬鹿杉だから、それ、貼って、教えて来てやってwww
もう帰ってこないで良いし・・・

また、アラシにマジレスしてしまった・・・

312日本@名無史さん2018/12/05(水) 14:03:13.00
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!       >>306-309    _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
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   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

313日本@名無史さん2018/12/05(水) 14:48:28.76
>>312
結局みんな当然のように自説を唱えるくせに、その自説の裏付けは断片的で大部分は妄想ってオチなんだよな

314日本@名無史さん2018/12/05(水) 15:01:38.71
>>313
とどのつまり邪馬台国論は論者のお里自慢か自己肯定というオナニーの道具でしかないからな

結論:邪馬台国はTENGA

315日本@名無史さん2018/12/05(水) 17:16:34.01
>>311
時代から見て、初期の朝鮮帰化人だろ。

時代から見て、秦氏だと思うんだが、東漢氏との事。

秦氏が東漢氏を名乗ったのか、後続の朝鮮帰化人なのかまでは俺にも分からん。

土壁の中国系住居は4C後半に最初の朝鮮帰化人である新羅系の秦氏が伝えたもの。

これでようやく我々の祖先は竪穴式住居から脱したのであった。

316日本@名無史さん2018/12/05(水) 17:28:46.37
どうせ、また朝鮮人認定するぞw
と言っていた人がいるけど、そういう類の話?

317日本@名無史さん2018/12/05(水) 17:28:53.17
ソース自体が電波ビンビンすぎ

318日本@名無史さん2018/12/05(水) 17:54:10.18
>>315
竪穴式住居から脱した?

そもそも日本の建築に土壁だの石壁だの普及してるのか?
藁ぶきでも、床作って、板壁出来てからで、漆喰や高級土は、塗るんじゃないの?
檜皮や板葺きとか瓦は欲しいかな?

319日本@名無史さん2018/12/05(水) 18:28:25.81
>>302
吉野ヶ里は面土国だろ。

320日本@名無史さん2018/12/05(水) 19:59:04.26
>>318
ぜんぶ朝鮮帰化人や百済から招聘した技術者から伝わった技術。

321日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:00:55.99
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国や朝鮮から渡来人があったなんてあり得ないのである。

322日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:09:36.83
>>321
>縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

だからといって、「中国や朝鮮から渡来人があったなんてあり得ないのである。」は無理があるんじゃないの?  @阿波

323日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:18:34.70
>>322
アラシにマジレスまじやめて
さらに変なのが湧くから

324日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:19:53.32
>>319
吉野ヶ里は、
二世紀の面土国で、三世紀の倭人伝では不彌国(のちの三根郡、今の≒三養基郡)

325日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:23:31.51
>>322
指摘サンクス

誰かがオリジナルにイタズラしやがった。

正しいのは下。

326日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:24:58.63
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

327日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:38:33.53
アラシの偽物ワロタw

328日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:57:07.46
しかし、朝鮮にも中国から伝わってないということは
朝鮮から伝わった可能性のあるものが、朝鮮ウリジナル?
なら、縄文オリジナルでも一緒のことにならんのかな?

ってか、楽浪帯方でも半島人って、遼東の漢人来てんのに
中原文化無くて、ほとんど倭人の文明レベルで歴史推移してるだろ?
ただの奴隷収奪地なんじゃないの?

329日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:58:28.17
頭の病院に行けw

330日本@名無史さん2018/12/05(水) 21:53:02.44
竪穴式住居は土という断熱性の高いもので
壁を作るので、住居としては快適なのですが
地下水が湧くところに作ることができません。
地下水が沸かない場所であれば問題ないのですが
村落が大きくなっていくと
どうしても地下水の湧くところまで
住居にする必要が出てきます。

そのため地下水を排水するための
環壕を掘って地下水面を下げるのですね。
のちにこれらが防衛用の堀になっていくのでしょうか。

竪穴式住居の断熱性はかなりのもので、
北海道の原野では江戸時代まで
竪穴式住居が使われており
3メートルほど掘り下げた住居があったそうです。
その住居が崩れてすり鉢状になった
住居跡の穴が今でも残っているそうです。

331日本@名無史さん2018/12/05(水) 21:56:04.55
北海道に入植した屯田兵は
北海道の寒さに耐えきれず
なくなった方も多いそうですが
竪穴式住居を採用していれば
状況は少しはマシになったかもしれませんね。

332日本@名無史さん2018/12/05(水) 22:07:29.07
>>328
楽浪帯方に中国大陸の陶磁器文化がないのは大正解。

半島に入ったのは遼東郡秦人や遼東郡漢人だから、中国大陸の陶磁器文化がない。

遼東郡は戦国時代に燕に併合され、無理やり漢化させられただけの異民族の地だから
中国大陸の文化が極めて希薄。

名のみの秦人、漢人。

333日本@名無史さん2018/12/06(木) 08:23:40.56
>>330
勉強になった。

334日本@名無史さん2018/12/06(木) 08:53:24.44
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

335日本@名無史さん2018/12/06(木) 14:16:39.79
>>332
>名のみの秦人、漢人。

そういう問題かな?
400年間中華系官僚の管理下にあった。
4000年進んだ、支配者の文明は何一つ共有されないで、島国日本の状況と大差ない。
と言うより、楽浪帯方撤退以降に、後進日本の後援で新羅百済が建国した。

これって、属国李朝の愚民化から、
大日本帝国によって解放された状態と同じでは?

封建の江戸時代にだって、泰平元禄の庶民文化開花するのに
400年とか600年の愚民化ってすごいよね。

まじめに歴史学んだ方が良いかと?

336日本@名無史さん2018/12/06(木) 15:33:20.34
もう少し推敲してくれ

337日本@名無史さん2018/12/06(木) 16:20:35.14
ごめん、おもいつきで・・・ 

仏の顔も三度とは言うけれど、またか? 
と 思うかもしれない。 チラ裏メモなんだ・・・
相手してくれて、ありがとう。

このバーボンは・・・(aa略www

338日本@名無史さん2018/12/09(日) 14:20:59.28
スレ、凍ってる? |∩`Д´) / '⌒☆ 
【倭人 倭国 倭種 女王国 邪馬台国 の用法について(1)】

>>1 倭人 在帶方東南 大海之中 依山島為國邑 舊百餘國 漢時 有朝見者

意訳説明=【倭人】は、朝鮮半島の南東、日本海の向こう、日本列島に住んでいる。
山や島に依り國邑を為し、昔は百余国に分かれていた、漢時には朝貢者の記録がある。

これは陳寿が、史 書 他から得た【倭人】の定義である。
ただしこの魏時までに、韓伝(韓人伝ではない)によって
半島南岸、【韓】の方可4千里の南岸も【倭】である。

今 使譯 所通 三十國 從郡至倭
意訳説明=これ以降の文は、魏時に二回の使譯によって通じた30国、
その郡使に從って至った、半島の南の倭についての説明になる。

【倭人】と言う用法は、基本的に【倭】を言っているが
【倭】はまだ、馬韓や辰韓、弁韓 程度にも、国家を形成していないという判断が、
倭伝とか、【倭国】ではなく【倭人】と言う表現を選んだ理由のように思う。

あるいは、半島南岸の【倭】に見るような三国志以降中華の統制が全く働かない
東夷の大国である【倭国】を中国正史で紹介したくない、無視したいという理由
が【倭国】ではなく【倭人】とした理由かもしれない。

339日本@名無史さん2018/12/09(日) 15:38:16.12
【倭地】とは、地理的な筑紫島(九州島)の陸地そのものをいう

【倭】とは、卑弥呼共立前の100余国が乱立していた筑紫島(九州島)のクニ・人民の営みのことをいう、
であるから、後漢書では「倭伝」(倭の伝記)となっている。

【 倭人】
これは、倭人有り帯方東南大海の中・・・と書かれているとおり、韓地に棲む人々は外れる
倭人とは、共立倭30国の人々と、これを嫌って加入しなかったが、厳に倭地内(筑紫島)に住んでいる狗奴国の人々を合わせていう

【倭国】とは、倭30国がまとまって出来上がった共立国家のことを云う。
この共立国家の王を「倭王」という。卑弥呼の場合は、特に「倭女王」ともいう。

【倭種】とは、倭地外の本州方面に棲む倭人類似の種族を区別(蔑視)していう

340日本@名無史さん2018/12/09(日) 15:49:31.43
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

341日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:06:18.31
勝手ながら私の仮説
1 倭国大乱後、倭30国の争いを収束させ、共存を図るため、環瀬戸内勢力が巻向
(東の日の出の方向)に神殿と新都市を建設し、卑弥呼(日巫女)が君臨する。
2 台与(「台」を「と」と呼ぶなら、邪馬台国はヤマト国となる。)の後、統治が乱れ、
その際、邪馬台国構成勢力のうち最強勢力であった九州の種族の長が、記紀の記載の
とおり吉備を抑えたのち大和に乗り込み、抵抗勢力を排除して王権を奪取し、初期大和王朝を
打ち立てる。大和王朝は神授の王権とするため、それ以前の王統は記録しない。
 こう考えればすべてつじつまが合う。後世、信長が死んだ後、配下有力武将の秀吉が権力を奪取し
政権を作った。秀吉の死後、5大老最強の家康が関東から出てきて権力を奪取し、政権を作った。
歴史上、この手のことは多くある。魏志倭人伝と記紀の内容は大きくバッティングするが、倭人伝
の後、記紀の事象が起こったとすれば一つの歴史の流れが見えてくる。
 倭人伝・記紀連続事象発生説とでも呼んでくれたまえ。はっはっは

342日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:14:12.08
>>341
>勝手ながら私の仮説

残念ながら、西日本一帯で展開するような、そんな大それた話じゃないんだよ。 卑弥呼の時代にその仮説は無理。 
単に倭国(阿波)国内でのお話。 妄想が誇大過ぎ。  @阿波

343日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:21:18.31
巻向の文化財センターに行ってごらん。
巻向が3世紀西日本の広域国家連合の中心になっていたことが分かるよ。

344日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:32:06.38
>>343
>巻向が3世紀西日本の広域国家連合の中心になっていたことが分かるよ。

なにをもって?  @阿波

345日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:50:38.78
【倭人 倭国 倭種 女王国 邪馬台国 の用法について(2)】|∩`Д´) / '⌒☆ 

>>3 南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

>>2>>3 の間にある段落については、
これを何回言っても、絶対に理解されないことは確定している。
これを読み取ってしまうと、倭人伝行程問題は疑問の余地なく解決してしまう・・・
ちな、247年の張政の行程は、伊都までで1万500里、奴国不彌国は目的地以降である。

南至 投馬國 これは半島南岸 謎の倭人国である。5ちゃん以外では謎www
南至 邪馬壹國 女王卑弥呼が都として居住する所である。
(ただし都だが、247年卑弥呼の死後、張政は伊都に首都機能を見ている)

この >>3 は、140年に建中校尉梯儁が、238年の楽浪帯方陥落以降、
卑弥呼印綬のため、魏軍で初めて韓西岸水行から対馬海峡を渡った記録。
都市名と里程が無いのは、決まった宿営地の無い行軍だからである。
投馬国は通過国、邪馬台国は目的国の国名である。

【邪馬壹國】は、次有以下・・列記21王国・・で構成される。
次有が21回繰り返される理由は、此女王境界所盡 の 此 に 
次有・・の全ての国が掛かり、女王国はそれで全て尽きるからである。
その南には、狗奴国が有り、女王国には属さない。
自郡至女王國 萬二千餘里
その水行二十日水行十日陸行一月が萬二千餘里である。

梯儁は女王所属21国に漢字名をあてた。この国において
その中の極南界、邪馬国の砦に卑弥呼がいたので【邪馬壹國】と命名した。
この【邪馬壹國】を国名として歴史に記録したのはこの時だけである。
247年の張政も、使っていないのではないかな?

346日本@名無史さん2018/12/09(日) 18:03:39.43
>>343
嘘つきどもの巣窟

347日本@名無史さん2018/12/09(日) 18:13:05.03
>>341
>勝手ながら私の仮説

残念ながら、西日本一帯で展開するような、そんな大それた話じゃないんだよ。 卑弥呼の時代にその仮説は無理。 
単に倭国(阿波)国内でのお話。 妄想が誇大過ぎ。  @阿波

348日本@名無史さん2018/12/09(日) 22:22:01.64
>>330
>そのため地下水を排水するための
>環壕を掘って地下水面を下げるのですね。

そんなに簡単に地下水面は下がらないよ
それに地下水と関係ない高地性集落にも環濠のあるものもある
ちょっと妄想が過ぎるかな

349日本@名無史さん2018/12/10(月) 09:55:08.97
【倭人 倭国 倭種 女王国 邪馬台国 の用法について(3)】
本説の核心、女王国と言う名称の用法について、ダヨ|∩`Д´) / '⌒☆ 

・・到伊都國・・・丗有王皆 統屬女王國 郡使 往來 常所駐
意訳解説 伊都国に到達した。 女王に属する21国の王や使が往来し駐する所である。
これは、247年張政の目的地への到達と、伊都の首都機能を言っている。

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國不可得詳
意訳解説 女王国より北の国は『陳寿が』戸數道里可得略載その他の国は不可得詳である。

次に『女王国には』斯馬國 が有る。・・以下列記20国・・此 女王境界所盡
240年梯儁によって、印綬した女王国の国勢を調査報告した【女王国】の実体である。

其餘旁國不可得詳 の国々とは 魏時2回の使譯で 知り得ていない
女王国以南 と 東渡海千餘里 復有國皆倭種 及び 伝説の倭諸国である。

これが、南至 邪馬壹國 可七萬餘戸 自郡至女王國 萬二千餘里
で、参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
という、九州北部2千里を南限とする、倭の小国である。

何故、【倭国】を【女王国】という故人依存の名称としたか?
三国志は国々の数代に渡る戦国史である。 こんなものが、国の紹介なのか?
倭人伝は238年から247年迄の10年足らずの域外国との外交史である。

占領の年に進駐した帯方郡太守が紹介した【倭王】は倭王では無かった。
倭人伝は随所で、これを示している。

卑弥呼の【女王国】は 倭人による倭種の国 の一部であり、倭人伝は
三国志時代の東夷諸国を紹介した東夷伝ほどには 【倭国】を語っていない。
見ていないからである。 この10年間で見た【女王国】の見聞録である。

350日本@名無史さん2018/12/10(月) 19:19:36.73
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだbッ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

351日本@名無史さん2018/12/11(火) 23:16:27.38
https://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/da81f66fa7c437e7ca19667c2bf35065
↑これ笑えるw、コメント読んだ男女後に何か書きこんでやって。

出来たらみんなに広げていってほしいな。

352日本@名無史さん2018/12/11(火) 23:40:37.11
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

353日本@名無史さん2018/12/26(水) 07:48:11.65
>>347
オッケー分かった
そろそろ帰れや

邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/

354日本@名無史さん2019/01/09(水) 23:32:32.41
 


土人!

馬鹿どもよ、
 


邪馬台国の記述は、全部が朝鮮半島だ。

小国がたくさん記述に出て来るのは、朝鮮半島での土人(原始人)の部族名のことだ。

当時の朝鮮半島での領土の境界が地図によって変幻自在してるだろ、
ようするに移動狩猟民の部族だからだ。

世界の歴史地図では、朝鮮半島などはツングース系採集狩猟民の住むところで
文明の範囲外であるので、真っ白の空白地帯となる。

狩猟民は、原生林の中を獲物を求めて部族単位で
移動してたんだ。

で、記述のなかでいろいろと探検していって最後に最南方の邪馬台国に到着だな。
これ、ようするに日本領土だった朝鮮半島南端の任那日本府のあったあたりのことだ。

その、日本大使館か日本総領事館のような砦があった任那では、
原始部族のシャーマンであった卑弥呼が原住民のほうの族長だったということだ。

わかったか、


 

355日本@名無史さん2019/01/09(水) 23:36:36.75
>>354
こんなところに書いてる。
こっちこっち
邪馬台国エベンキランド説
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1517734950/

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