従五位下って官位はそれほど偉いのか?
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貴族でいえば一番下の位だろ?
あまり偉いようには思えないんだけど 言っていいのかな
自分の高祖父が従一位勲一等で
曾祖父が従二位勲一等だった 高祖父さんのみならず、曽祖父さんも勲一等ってことは、結構な家格のお家だね。 戦前の宮中席次では
従一位より勲一等旭日桐花大綬章の方が格上になる
これは意外だった 内閣總理大臣樞密院議長元帥國務大臣
初敍從三位 二年正三位 三年從二位 五年正二位
朝鮮總督樞密院副議長陸海軍大將樞密顧問官
初敍正四位 二年從三位 三年正三位 五年從二位 七年正二位
親任官親任待遇
初敍從四位 二年正四位 三年從三位 五年正三位 七年從二位
高等官一等
初敍正五位 三年從四位 五年正四位 五年從三位 九年正三位
高等官二等
初敍正五位 五年從四位 五年正四位 十二年從三位
高等官三等
初敍從五位 五年正五位 五年從四位 十四年正四位
高等官四等
初敍正六位 五年從五位 五年正五位 十四年從四位
高等官五等
初敍從六位 五年正六位 五年從五位 十四年正五位
高等官六等
初敍正七位 五年從六位 五年正六位 十四年從五位
高等官七等
初敍從七位 五年正七位 五年從六位 十四年正六位
高等官八等九等
初敍正八位 五年從七位 五年正七位 十四年從六位 >>141
通常の総理は正二位右近衛大将・権大納言くらいで退任だろうね
超短期政権だと従五位下左馬頭のまま退陣ということもあると思う 閣僚で参議くらいか
明治維新政府の初期はそんな感じだったね 閣僚が参議で総理は太政大臣、副総理が右大臣だろうな 山内一豊は関ヶ原合戦前は従五位下対馬守(遠江国掛川城主6万石)
関ヶ原合戦後は従四位下土佐守(土佐一国国主20万石)
一国一城の小大名から国持ち大名になると、五位から四位になるのがわかって面白い 山内は再検地で24万石を幕府に申告したが却下
(隣国蜂須賀との釣り合い)
同じく毛利も54万石を申告したが一揆が起きた等の理由で却下
(36万石を新たな表高とした)
前田も122万石を申告したが却下
(関東移動前の徳川を越えない119万5千石を認める)
大聖寺7万石と富山10万石を引いた102万石が加賀藩となる おてもやん「恵方巻きの馬鹿食い大会でアベコロナが拡散してきよったな
お・も・ち」 鎌倉時代ごろだと武士で五位以上というのは希少価値があったが、室町後半以降になると
地方の小領主でも五位になれるんだな 姉小路もなんだかんだで三木に戻って旗本で生き残ってるからなぁ 位階じゃないが、戦国時代にもなると国人領主どころか
その家臣の土豪クラスでも受領名を名乗るのな。 官位が近代以降も続いていたら、会社の課長クラスでも受領名を名乗るような文化になっていたのかな?
受領名を名刺に入れたいので仕事を頑張るみたいな 一般企業の課長って江戸時代なら商家の手代だろ
何故受領名を名乗れるという発想になるんだか 中央省庁の課長クラスは 諸大夫?
局長以上が公卿? >>168
どちらも地下だよ。
事務次官でやっと諸大夫。 >>167
人口378万の横浜市長が国人で人口57万の鳥取県知事が国守・守護・大名 ? 政令指定都市市長は大名だな。
叙勲でも知事と同格の勲四等だ。 >>170
足利義昭「この度の将軍任官はすべて織田殿のお力のおかげじゃ」
信長「恐れ多く存じます」
義昭「恩賞として、織田殿にはお望みの国を差し上げよう」
信長「ありがたく。されど泉州堺の町をいただければ十分でござる」
足利義昭「ホホホ、国よりも町のほうがよいとは面白いのう」
信長「(・・そもそもお前は他人に与えられる国なんてないじゃん)」 現代で受領名を名乗った人物では、佐村河内守が有名だ
音楽の才能があり、作曲家として成功したので、地位にふさわしい官位を称したのだろう 佐村さんはどういう経緯で河内守に任官したのか?
やっぱり僭称なの? あれだけの高名な音楽家だし、正式な任官じゃないの? いや、出自が怪しすぎて朝廷でもさすがに
あれでは宣旨は出せんと仰せだったとか。
あくまでも噂だが。 下級貴族の位
たしか上級貴族の子弟なら最初につく位
庶民クラスは最終的につく位
昔の軍隊でいえば曹長、上等兵位なかんじかな
正5位で少尉か准尉 陸軍少尉は初叙正八位
初叙正五位といったら時期にもよるが中将か少将 まあ「軍隊の位で言うと三等兵なんだな」的なのりで言ってるだけなんだろうけど、だとしてもかなりおかしい。
六位七位の侍品でも庶民とはまったく違う特権階級。五位以上の諸大夫ともなると更にその上。
平安時代の俗謡で、近所で評判の器量良しの娘を「受領の北の方と呼ばせばや」という歌詞があるけど、そういう庶民にとって夢のような出世や栄華の象徴として想像可能な限界が五位の受領くらいってこと。 ロボット三等兵はプロシアかどこかの
国家元首になった時は三等兵閣下と呼ばれた カダフィはリビアの最高指導者になった後も「カダフィ大佐」と呼ばれたからな
源頼朝が鎌倉殿になった後もしばらくは「右兵衛権佐」のままだったようなものか? 完全に位と職がイコールな珍しい制度だよね
室町あたりから形骸化してるけど 従五位下は、昇殿を許される最低の身分だから。
これ以下では宮中に出入りできない 昔から疑問なんだけど、宮中の掃除って誰がやってたの。
地下人は宮中に上がれないんでしょ。 個人的感想しか書き込めない低学歴は書き込まなくていいよ >>185
それについて面白い解説があった
カダフィ大佐って、なんで大佐なの?
http://kyodo.newsmart.jp/info/Result/2011/0822.php
>実はカダフィ大佐の「大佐」というのはあくまでも通称で、軍の地位とは関係なく自ら大佐と名乗っているのです。 1万石以上の大名は家督相続すれば従五位下に叙されるし、
旗本も勘定奉行や町奉行になれば従五位下だと聞いた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています