南蛮文化渡来時になぜ石造建築は伝わらなかったのか
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西洋文化を代表するものと言ったら何をおいても石造建築だろう 単純に石造職人がほとんど日本に来なかったとか
日本から西洋に行く人がほとんどいなかっただけだろうな 殖民都市でもあったら職人が日本に来てただろうけど
そういうのは出来なかったし 少なくとも江戸時代以降は幕府が禁止していた
平戸のオランダ商館の倉庫は本格石造建築だったらしい
破風に西暦云々は口実で幕閣が問題視したのは立派すぎて幕府の威光にかかわるかららしい
長崎の商館は木造だけ 石垣築いたり、石造火薬蔵を建てる程度には技術あったんだから問題なかったんじゃね?
西洋建築だって木材や土やレンガ使ってるし、廓の外壁を総石造にするメリットがデメリットを上回らなかっただけなんだろう 昔の日本では、冬は着込めばしのげるが夏の湿気はしのげない、と言うことで住居には風通しを最重視する考え方があった。
石造建築は地震に弱い上に風通しが悪く日本の気候にそぐわなかった。 石材のほうが熱容量が多いから普通は石造のほうが熱しづらく冷めづらいけどな そもそも地震で一番被害が出るのは火事
地震うんぬんを理由に木造にしたなんて説は大ウソ 焔硝蔵
アーチに出来ず、木造の小屋組
技術力が低すぎる >>12
日本の火薬庫だって爆発した事あるじゃん
概ねヨーロッパの方が石材建築には長けてるように思う
個人的な感覚だけど 日本の石垣技術は凄いけど
石積みを基本とする西洋の石造建築とは違うというのがあるな
あと西洋の石造建築は
地震で結構倒壊してるんだけど
何百年残ってるのは色々な条件が揃って倒壊しなかった場合が多いな
再建の場合もあるけど 崩壊した石垣を無視して残ってるものだけ見ているとそう思えるかもな 大聖堂とかヨーロッパの城で地震で倒壊したとこあったか
日本の城はわりと倒壊してるけど ボーヴェー大聖堂が一番有名
1272年天井崩壊、支柱を増やして再建しなおす
1569年完成するが傾斜する、対策を検討中、倒壊
クリュニー修道院教会堂
ウルム大聖堂
オーセーる大聖堂
シャロンのノートル・ダム
ヘリフォード大聖堂
など 石垣職人も居たし試してみたとは思うわ
一遍ちょっとした地震が来たら宣教師も木造に宗旨替えしたんだろw ヨーロッパは夏乾燥&冬多湿の西岸海洋性気候なのに対し、日本は夏多湿&冬乾燥の東岸海洋性気候だから、暑さと湿気がW。
昔はエアコンがなかったし、梅雨の時は換気しなければ、壁なんか作ると暑くていられないかったんじゃないかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています