長期的には辰王が300年かけて倭国に移り日本を作った。そのあらすじは、

高句麗が南下すると三韓にいた辰王が分裂した。
倭国に移った辰王は倭の五王となり倭国を統一し大王を称した。
残った辰王は百済をつくり辰朝を自任したが、高句麗の圧迫で南下し続けた。
百済昆支王は倭国に南下し大王政権を襲った(昆支系大王は百済の傀儡政権)。
アマタリシヒコ大王(昆支系)が100年ぶりに朝貢を再開したのは百済からの脱却。
百済の翹岐王が入鹿を殺し、倭国を統一した。その子供が大海人と見られる。
白村江の敗北で百済はなくなり大挙して倭国に押し寄せ、扶余勇を中心に大宰府から近江にかけての政府「日本」を作った。
大海人は扶余勇の従兄弟で格上の扶余勇に従った。扶余勇崩御後壬申の乱を起こし統一した。ここに分裂した辰王は合流した。

詳しくは「国際的視点からの古代史考」を参照。
https://sites.google.com/view/jhistory