四条畷の蔀屋北遺跡では、馬の飼育が始まるのは5世紀中頃からだという。
その後、6世紀末までにこの地への入植民の変化が複数次みられるものの、当初から一貫して特定の集団が指導的立場を維持しているそうだ。
馬を飼う技術などはこの集団が保持していたようで、6世紀末頃には在地豪族へと成長発展することになるという。
6世紀初頭頃のこの集団のリーダーは河内馬飼荒籠だと目されている。
継体天皇の諜報機関的な役割を果たしたという。