邪馬台国畿内説 Part805
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1660831509/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 では里程の部分は郡使が通らなかったのかと言うとそうではない。
帯方郡から女王国まで一万二千里、そのうち一万里は九州北岸までで費やしているから、残りで水行何日も使うわけがない。
水行の記事は、帯方郡からの所要日数を記載したもの。 九州までは倭国内の立ち寄った国邑が里程付きで全て記載されている。 >>951
伊都国が邪馬台国の中心となる国邑どからですよ。 最大の目的地だとしたら
奴国、不彌国までは里数ある。
邪馬壹国まで里数がない理由は? >>950
>里で書いてある部分は郡使が通った里程というのが通説ですね。
そんな通説なんてないよ >>954
倭国の中に邪馬台国があって、その中に伊都国があるってか
倭人伝に書いてないこと捏造しすぎ
里数も国名も二重帳簿のインチキ説だな >>956
邪馬壹国近畿説
あらま?
使者はこなかったの?
通説道理と思うけど。
ここまでは一致 >>953
>九州までは倭国内の立ち寄った国邑が里程付きで全て記載されている。
「もし、行っていたら停泊場所とか
詳細な事、書くでしょうね。 」
とか言ったのは別の人?
狗邪韓国までノンストップは無理でしょうね 邪馬台国は連合国家であり、複数の国邑を含む地域名だと言うのが一般的な考え方ですね。
七万戸の都市は弥生時代の日本に存在しないので。 対馬国→ツーマ国→ツ?マ国→対馬国
伊都国→イツ国→イツモ国→出雲国
こんな感じじゃないか?
対馬から出雲も海流に乗ってスイスイッと >>959
狗邪韓国までは倭人の領域ではなく、書くとしたら韓伝になるため。 >>961
末盧国で上陸して陸行だから、出雲には辿り着けませんね。 >>962
つまり
「もし、行っていたら停泊場所とか
詳細な事、書くでしょうね。 」
は成り立たない >>950
根拠のない説は決して通説にはならないよ >>965
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國
やっとついた とあるが
それさえもない。水行 >>968
卑弥呼の時代に栄えていた
行った楽浪人も韓人もいたから情報は当然あるだろう 伊都国に直接行けよ
なんで末盧国なんかに行ってんだよ? 伊都国に行く途中に末盧国があるんだから仕方ねえだろ
文句があんなら対馬から伊都まで手漕ぎ船で無寄港航海してこい >>977
有明海の佐賀にあるって事か?
それなら末盧国に着いても納得できる >>980
なんでいきなり鏡?
直接 いけない理由が知りたい >>972
直接行ける
末盧に寄る必要はない
実際の航路はそうだったらしい >>981
糸島から鏡の配布を受けてる佐賀に
伊都国があったわけないと言えば
珍説家以外みな納得するよ >>983
倭人伝で末盧から陸行して伊都に行ってんだから勝手に話を作るな だからなんで末盧国に行って歩く必要があるの?
わけわからん 糸島は周囲に鏡を配りながらも、自身が最多の鏡を保有し続けた、絶対的優位な支配的国邑というわけだ。 糸島にいた女王を共立した主力メンバーの一つが佐賀の吉野ヶ里だとは思うけどね。 >>987女王の国には百歩の塚が作られたのに同時代になく以後作れて行ったんだから、宮崎の開発は邪馬台国の時代より遥か後 >>993
投馬国に墓を作ったわけではないから関係ない。 >>989
わからないのはお前の脳みそが標準的な人類と異なるからだろうね >>995
伊都は周辺国から畏怖され、外交特使も駐在する、内政と外交の要所でもあった。
そして、三種の神器の王墓群。
魏志倭人伝には、伊都に代々王がいたと。 【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)または島原(斯馬原)(長崎県島原市・伊佐早市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
邪馬台国の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
ここまでが邪馬台国(女王の都するところ)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
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