長州毛利家を語るスレ
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鎌倉時代に始まり室町、戦国、江戸、明治と各時代を生き抜いた名門の長州毛利家について語るスレです。
時代を問わず毛利家に関する話題であれば何でもOK。 島津スレに続いて毛利スレか
幕末の雄藩だが島津家に比べると毛利家自体は存在感が薄い気がするな。
島津斉彬や島津久光とか有名だが当時の毛利の殿様の名前がスッと出てこない。 大名の存在感は薄いが藩士達が日本を支配することになるとは >>7
藩主は君臨せれど統治せずを地で行ったのが人材育成で大成功した 長州名物 関ヶ原の恨みの話
天下分け目の一戦は総大将である毛利がサボタージュを決め込んだから負けた
奮戦の上潰された石田宇喜多大谷小西平塚ら西軍諸将から恨まれる側であり、徳川家には総大将なのに防長2州を残してもらえた寛大な処置を感謝する立場
それを幕末になっても徳川恨むべし
五大老の同僚たる上杉は結城秀康以下の東軍を引きつけ伊達や最上を釘付けにする大功を立てたが関ヶ原の体たらく
なんとか家は残ったが毛利同様大減封を食らった
お陰で天下に名だたる貧乏藩として庶民にまで金気を抜くなら上杉と書いとけとまで言われたが徳川を恨むでもなく米沢上杉藩は幕末に徳川家に忠誠を尽くした
梟雄毛利元就、義将上杉謙信 まさに藩祖の性格そのまま
なお、長州は会津にもう100年も経ったし仲直りしましょうと持ちかけたがにべもなく拒絶され、会津人は根に持つ人たちだなあとの感想を抱いたが、関ヶ原がどうとか260年もぶつくさ言ってた長州がそれをいうか、そもそも関ヶ原であんたら何にもしてないしとか思われるわけである >>2
近衛家の細川家もそうだが、
武家が公家を継ぐのは違和感がある 乃木伯爵家も毛利の養子を入れてたな
毛利は一族男子が多いからあちこち突っ込めたんだろう >>12
でもあそこは最終的に爵位を返上して毛利家に戻ってる
乃木家も断絶 アンチ薩摩は少ないがアンチ長州は多いからスレ盛り上がらんね >>2
いまのサイオンジはモウリ君であって…
所詮、マガイモノのサイオンジ 近衛家と西園寺家が武家に乗っ取られたとか言われるけど、
地味に鷹司家もしれっと男系が鍋島家の血統になっている。 まあ長閥の栄華も昭和には黄昏時の残照
陸軍では、一夕会などが実権握って長州出身者が数年に渡って陸大受験全滅という逆差別を喰らっていた そうして世界知らずの無能バカ東北閥に支配された日本は米中二正面戦争で敗戦国家になりましたとさ 長州閥が支配してた明治の日本はロシア相手に勝てるぐらい強かったが
東北閥が支配してた昭和初期の日本は当時の中国相手にも大苦戦して挙句にアメリカにケンカを売って惨敗した
これも全て反長州の逆賊東北人に大いに責任があり 島津、毛利、土佐長宗我部の遺臣と関ヶ原の三大役立たずが幕末に徳川ガーとなるのも不思議な気がする むしろ負け組なのに所領安堵してくれた幕府に感謝するべきではないか? 立花宗茂は大津攻めに回され奮戦の上これを落としたのに関ヶ原では西軍本軍が1日であえなく惨敗 大津なんか長宗我部とか島津でも当てて宗茂が関ヶ原にいたら状況はまた違っただろう
大坂城で総大将毛利輝元に徹底抗戦の進言も通らずで、自身の戦では負けてないのに改易
九州へ落ちるついでに父紹運の敵の島津義弘を助ける大人物ぶり
藩祖宗茂の器量で浪人から旧領を回復した柳川立花藩からすれば毛利が徳川ガーとか一体何言ってんのかと >>22
『歴史を遺し日本文化を継承し美を伝えて行く』400号記念スペシャル記念懇談会
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/015/977/62/N000/000/000/125974242538016106595_zadankai.jpg
左奥 第34代島津宗家時期当主 島津忠裕氏
右奥 第19代徳川宗家時期当主 徳川家広氏
左前 第33代毛利宗家時期当主 毛利元栄氏
右前 島津重豪公期の薩摩藩家老 第7代調所家 調所一郎氏(司会進行役)
なお島津忠裕氏と徳川家広氏は親族関係
島津忠裕氏と毛利元栄氏、調所一郎氏は
慶應義塾大学の先輩後輩の間柄で
家族も含め親密な交流する懇親の仲 毛利が関ケ原に出陣してたなら徳川は負けてただろ
徳川こそが出陣しなかった毛利に感謝しろ 家康は功績にはちゃんと報いる
毛利宰相の空弁当を演出した大殊勲者吉川元春に防長2州をくれてやろうとしたよ 元春が拝み倒すから毛利宗家も残してあげたのだ >>28
広家じゃね?
関ヶ原時は元春とっくに死んでる 下克上で天下争った武将たちが家格なんて持ち出してもな
今川や大内の方がずっと高いんだとか言っても負け犬の遠吠えだろう 長閥は第一世代は流石だが第二世代にろくに人物がいなかった
なんとか田中義一までだろう
第二世代で偉いのが寺内寿一元帥伯爵閣下 官職は最高だが絵に描いたような二代目ボンボン これが長州第一人者じゃ凋落もするわ 東北土人出身のゴミ政治家軍人どもよりはるかにいいわ
あいつら国家を滅ぼした逆賊以外の何物でもないわ 東北系で政治軍事を左右した大物というと東條、米内、斎藤実、原敬、板垣征四郎ってとことか 東北というよりほぼ岩手だが 満州事変で対中戦線を拡大させた起こした石原莞爾なども東北。 他には山本五十六なども対米戦争の首脳部は東北出身者ばかりなのは有名 長岡って東北になるのか
初めて知った
このスレは勉強になるなあ 新潟は東北とは地理的に縁ないけどな
北陸や長野、群馬とは近いけど
山口が九州、鳥取が近畿というようなものだ 新潟の東北っぽいところは東北電力のエリアってとこくらいだな wikiだと新潟は北日本に入ってないな 中部日本だ 電力の話なんだが
まあ地理的にも新潟の東北部は福島より東北地方に入ってるから東北圏とみてもいいだろ 東北六県とも東北七県ともどっちとも言えちゃうからでしょ 律令国の五畿七道でも近年の道州制構想でも新潟を東北と一体なんて考えはない
新潟は名前の通り越前越中越後の北陸道か中部とほうp >>50
最初に「別に新潟は東北でいいだろ」なんて書いてしまったから引っ込みがつかなくなってる 新潟は東北電力に入るんだろうが東北地方ではおかしいんか? >>56
最初に「山本は新潟だろ」なんて書いて山本五十六を東北人にしたくないので引っ込みがつかなくなってる 陸海軍ともに日米戦争の指導者は東北出身者ばかりやね〜
山本五十六もなw 日露戦争の首脳陣は薩長出身ばかりだからこそロシアにも勝てたんだけどな。
外交戦略を知ってる薩長と何も知らない東北人の決定的な違い。 奇人変人扱いされてた大村益次郎や明石元次郎を登用した長州人の人材発掘能力は神がかってるわ
大村益次郎なんか超閉鎖社会の東北佐幕藩に生まれてたなら日の出を見ずに消えていただろう
外交も戦略も理解できないバカ東北閥が支配してた昭和の軍部からは人材という人材が出てこずに敗戦国家さ 長州藩>>>>>>>>>>>>>>佐幕藩
国家運営能力の差 >>60
人材が次から次へと湧いてきた長州藩は幕末どころか日本史の一大奇跡 至極短期間で人材が恐ろしく育ったのが幕末長州藩の奇跡 育てた吉田松陰という存在が大きいのだろう
松下村塾と緒方洪庵の適塾は塾生の面子が図抜けている 「日本の未来を切り拓く 明治維新の長州人マインド」(幻冬舎)という本が出ています。
長州の人々の流した血、その屍の上に現代日本の繁栄がありますでしょうし、
功山寺挙兵の高杉晋作は救国の英雄(日本を滅亡から救った日本史MVP)と見做すべきです。
ただ、この本の著者は世界平和統一家庭連合の信者乃至関係者、シンパで、
独特のキリスト教(徒)視点から著述がなされています。
皆さん、購読し(てい)ますか? 宮武外骨『地獄耳』
毛利元昭公は本当の馬鹿殿様で、そのため東京に置かれず多病の名で三田尻に若隠居させられている。
前夫人は名古屋の徳川家から輿入れしたが、あまり夫の馬鹿なのに愛想を尽かして逃げ出し、その後添いに三条公の御姫様が行っているが、このお姫様は似た者御夫婦の低能なので、めでたく家は治まっている。 大名華族ともなれば家臣団がしっかりしてるから殿様は多少おバカな方がいい
有馬家や蜂須賀のように殿様が中途半端に賢いと変な散財で家が傾く >>78
今の毛利家にも家臣団の子孫で作る集まりとかあるんだろうか?
徳川宗家や島津家はあるらしいが 戦前は旧主を囲む会は沢山あったらしいが敗戦で華族制度廃止
財産税で没落と旧主も旧臣もそれどころじゃなくなった旧大名家が大半だろう
戦前だと南部侯など東條英機、米内光政、板垣征四郎に金田一京介とか来てたそうだ
海軍少将の高木惣吉が自伝で書いてたが相良氏人吉藩なんてちっこい藩でも旧主を囲むイベントがあってそこで中央で顔見知りの陸軍軍人と会ってあんた同郷かよとかサプライズな事もあったらしい >>86
島津家当主夫婦が揃って山口県の毛利家本宅へ訪問している
文化雑誌の記事を見たことあるけど、広々とした和風邸宅で
広々とした和室には大きな雛人形がデンと置いてあって
雛壇の前で島津家当主夫婦と毛利元栄氏夫婦が笑顔で写真に
収まってたのを見たことあるよ 月末刊行予定、平凡社「中世から近世へ」シリーズの「毛利氏の御家騒動−折れた三本の矢」が楽しみですね。 林外相、村岡知事、柳居県議会議長
このトライアングルは、真に日本國と山口県の利益を追求しているのか?
中国との関係はどうなのか? よく薩長と言われるが、なぜ薩摩が長州より先に来るのか? 写真で見れば分かるが毛利敬親の重量感が半端ねえよ
極道の大親分でも通用してしまう
長州藩士を鶴の一声で動かしたんだから
とんでもないカリスマオーラがある人物じゃなかったのか 江戸時代の毛利家は子孫がいないのをいいことに恵瓊の設定をあることないこと盛って遊んでそう >>92
花神の金田龍之介は風格あるそうせい候だったな 大名家の末裔って現代でも地元で生活してる例が結構見られるな 毛利家も分家が女子だけだったり養子だったりしてるな
本家はまだ大丈夫そうだが >>91
「ちょうさつ」より「さっちょう」の方が語呂が良いからだろ。 島津家スレで長州毛利と関係ない毛利家があることを知った 輝元かなんかに気に入られて改姓な訳なんで全く関係ないということでもないよねと 大坂の陣の五人衆の毛利勝永も別口で森から毛利に改名だった 請西藩の林家の家紋「丸の内三頭左巴下に一文字」もなかなかぞ?
徳川氏の先祖が林家の先祖より兎の吸い物を振る舞われた所以で
毎年元旦時に諸侯よりも先に酒や吸い物を振る舞われるという事で家紋に一の字が刻まれたとか 薩摩藩士は芋侍などと呼ばれたという
長州藩士はそういうあだ名はあったのだろうか
蜜柑侍とか 毛利家は子沢山家系だったはずなのに
幕末から現代にかけて先細りしてるな 毛利忠敦氏はどこの系統なんだろう?
忠の字が付いてるから本家筋かしら? 本家なら殆ど「元」の字じゃね?というか分家筋もほぼ同じ
吉敷毛利家の近代の名に忠は付いている模様だが先代に男子多いからその系統(の子供)かも? ネットでも大名家の系譜が結構見れて子孫まで追跡できるようになってるけど
それに載ってない子孫も結構いるんだろうな
分家筋なんかは特に NHK大河ドラマで幕末を扱った作品は多々ある
坂本龍馬や西郷隆盛は2度も主人公になっている
ところが維新の立役者たる長州は大村益次郎が主人公の花神と松陰の妹の杉文の花燃ゆの2作のみ
薩摩土佐、幕府や会津や新撰組のようなドラマ性にイマイチ欠けるとか
幕末小説でも長州は歴史教科書の存在感と裏腹で扱いが少ない 作家の意欲をそそらないとか何かそういうのがあるんじゃないのだろうか 木戸孝允ではないが大村益次郎1人の登場なくして維新の成就は可能であっただろうか? 八田知家の一門である宍戸隆家が毛利家の家老になったらしいけど
幕末は何をやっていたのか分かりますか?
ウチは常陸国の宍戸氏の自称元家来なので気になります その隆家に元就娘が嫁いで故に重臣・一門筆頭の家で代々家老職かと思います
六家に永代家老家2つで一門八家と言われています、因みに加賀も重臣家は八家だったり
ちなみにその枠には入っていない一族扱いなのが吉川家だったり なにかと批判されることが多い吉川広家がいなければ長州藩も毛利家も関ケ原後に絶滅していたよ >>136
吉川広家がいなければ南宮山の毛利、長曾我部が参戦しているから関ヶ原の敗北はなかった
とかいう想いが藩士にあるので恨まれてたのでは
関ヶ原という天下分け目の合戦は江戸時代の軍学でも散々取り上げるし武士の間で話題にもなる 当家はこのように戦ってとか我が家は西軍の手のものでしたが奮迅働きをとか御先祖の働きに花が咲いてる時とか毛利家中はビミョーな空気にもなったり それはどっちともいえるだろうが
毛利家の取り潰しを免れたのは吉川広家の大功績よ 吉川広家は関ケ原が元から勝ち目がない戦争だと見抜いてたの大戦略家 まず参戦していて負けてたなら確実に毛利家はその後も存在していない。
それで参戦しても6:4で負ける可能性が高いと見たんだろ。
吉川は誤解されすぎている。 とは言え広家もあれだけ減封されるとは大誤差だっただろう
関ヶ原前に非参戦なら防長2国は残してあげると言われていたら流石の広家も一戦やむなしとなったんじゃないだろうか 色々計って主家が大減封という立場的には直江兼続と似ているが兼続と広家の違いはホウレンソウの有無だったな
関ヶ原後の主家と吉川家のビミョーな感じは上杉と直江にはない 対外的(特に徳川)には歓迎されたが国内では恨みを買った、長州のゴ書記長こと吉川広家 >>144
主家との関係はそうだが他の家臣連中からは疎まれていたのは確か
故に属していた与板衆は直江が居なくなった後ぞんざいに扱われた等々 天下泰平の一助にはなったな
関ヶ原で勝ったとして家康が撤退出来れば東軍総崩れとはならず黒田如水が予想したように戦乱が長引いた可能性は大きい
天下に旗を立てたい連中はまだまだわんさといるし 長州藩が幕末まで存続できた功績は吉川広家一人の手柄よ どう足掻いても徳川が有利であることを見抜き、
無駄に戦乱を拡大しないように毛利の参戦を抑え込んだ吉川は、
幕末の勝海舟に似たような人物だったかのしれんな。
ある意味では関ヶ原の最重要人物なのに、ほんと無能扱いされてる理由が分からんよ 毛利が西軍として参戦していても東軍が有利な状況を覆せないからな >>149
んでもないという話も、仲良し黒田に当初は色々情報与えていたけれど岐阜城陥落後になると
急に連絡をしなくなったとか
そんなもんだから黒田から「家康が西に行くようだから変な行動起こすなよ」と釘を差されたとか 毛利家には三度天下を左右する機会があった
1度目は秀吉中国大返し 毛利が全力で秀吉軍を追撃していれば山崎の合戦はどう転んだか だが毛利は静観した
2度目は関ヶ原の空弁当 2度目も毛利は消極的であった
3度目は言わずと知れた倒幕である 3度目にして天下を制する気概を見せた 吉川広家なくして毛利は西軍に参戦して絶滅していた
吉川広家は長州藩の救世主 岩国には孫の吉川広嘉公の銅像はドーンと立っているが、偉大なる広家公の銅像は何故かない 薩摩の大久保利通のごとく地元民からは嫌われてるのか? 吉川広家がいないと安国寺恵瓊に唆されて勝手に参戦して滅びてたじゃねえかよ 吉川、小早川、毛利の両川が関ヶ原で活躍し戦乱の世を終わらせ天下泰平の道に貢献したのだ 毛利季光は宝治合戦で三浦方について負けて全滅したんだよ。
それを親戚筋の長井が北条に頼み込んで備後の吉田荘を相続させてもらえた。
それが毛利元就につながる。
つまり長井の執り成しがなければ日本の歴史は変わっていたともいえる。 何故か神奈川県厚木市で毛利氏プロジェクトが発祥しています
厚木こそ毛利氏が生まれた地であると >>172
鎌倉時代のころ、厚木は毛利という名の土地であり、そこに所領を持っていた
大江広元の四男が地名である毛利を名乗った。
ちなみに、次男の時広は山形の長井に所領があったので長井姓を名乗った。
鎌倉あたりには長井の地名がまだ残っている。 有名な幕末の幕臣、永井尚氏の家紋は毛利氏と同じ一文字三星。
共に大江氏を源流としてる。 永井氏と毛利氏は大江氏から派生しておるからこそ家紋が同じ。
真意不明ではあるが始祖の大江音人は平城天皇ー阿保親王の家系らしい。
幕末の長州藩はこの桓武天皇の直系子孫を自負していて徳川を朝敵だと糾弾して討幕の先頭を走ることができたともいる。 幕末の長州にも長井雅樂という家老がいたな。切腹させられてしまったが。 故に家康から改姓しろよとの事で長田>永井へ変更だっけ 今川義元を討ち取った毛利新介もそれほど加増されてないようだし、
幸村を討ち取った西尾久作は1000石程度の加増のようだ
武者働はそんな程度なのかもね >>178
しかし方や倒幕の旗手で方や徳川家温存の旗手。
もしや明治維新というのは大江氏の掌に踊らされていただけかもしれない。 明治時代だけど、大江磯吉って人がいるけど大江氏の子孫なの?
旧身分のために苦しんだ教職者を島崎藤村が描いた小説「破戒」の主人公のモデルの1人とされているが、どうなんでしょう? 桓武天皇の子孫が本当ならば島津より徳川より格上になるな 桓武平氏だとなぜ格が上になるんだ?
バカじゃねーの?笑 毛利は日本一の武家の名門
出自があやふやなものとは格が違う >>176で永井氏が長井氏と関係ないと喚いて恥を晒したバカ約1名が暴れてるな
分かりやすい いや、桓武平氏だとなんで格が上になるのかマジで理解できねーんだけどさ? >>194
被差別民なら平民苗字許可令により新たに付けたんじゃないの 大江氏の末裔で大江を名乗ってる人いないんじゃないの?
藤原氏の子孫で藤原を名乗ってるのがいないように >>190
永井氏と毛利氏は佐幕派と討幕派で完全に分かれていたが源流は頼朝最側近の大江氏。
日本は大江氏の支配下にあると言われてみればそうかもしれない。 >>205
毛利はいいとしても、永井氏はの源流といえば平良兼ではないの? 毛利→桓武天皇の子孫
島津→源頼朝の落胤
徳川→出自不明
血統だけだと毛利>>島津>>>>徳川になる 元清・秀元、元政・元倶、元康・元宣、秀包・元鎮
どれがいいですか? 島津は源頼朝の庶子説が根強い
やはり桓武天皇の子孫である毛利には若干劣るがな 全然根強くないんだが何を言ってるんだ?
惟宗氏の一族というのが一番可能性が高いがそれも確定ではなく島津忠久の出自は未だ謎
島津が頼朝の落胤というのは島津側の史料にしかない話 天子の直系子孫である自負が幕末長州藩の討幕運動大原動力なのである ほぼ藤氏で少なくとも血統は間違いない公家連中から見ると武家の系図は大抵胡散臭見えるんだろうな 桓武天皇の曾孫が大江音人かも知れないということでしょ 血統伝説を鵜吞みにするなら。
毛利→桓武天皇
島津→源頼朝
徳川→新田義貞
血統の格は毛利>>島津>>>徳川 世俗の帝王にふさわしいのは徳川でも島津でもない毛利である。 毛利ほどの家柄と武力であれば天子となってもおかしくなかったが
謙虚なところが毛利の聖徳というものだな んでも近年の皇室の行事、愛子さま誕生時とか悠仁さんときもかな?
武家代表は徳川宗家と前田家なんだよね、何故に薩長当主は呼ばれなかったのかが不思議 もはや銀河系最強オリオン座の大江氏性は皇室さえ超えてしまってるからじゃないか? 大江朝臣の毛利より菅原朝臣の前田の方が上の扱いじゃね? 島津でも松平でもない大江氏こそ日本の支配者なのである。 毛利は歴代当主みな名君という恐ろしいほど優れた家系
血筋、実力共にずば抜けている毛利
暗君を出しまくっていた下賤の成り上がり大名家とは根本的に違う 松平のような山賊まがいの田舎侍が超名門の毛利家の所領を没収するなど勘違いも良いところ
結局最後は幕府は滅びた 毛利は維新後に公爵となったが
家柄や功績を考慮すると公爵は低過ぎる
本来は「大公」でもおかしくなかった 源平藤橘の上に立つのは大江
その末裔である毛利は日本の歴史そのもの 島津も神がかってる名家なのは事実だけど毛利は一枚上手 マスコミは安直に先祖が~って書くだけやしな~
なんか分家・石見じゃなく本家筋らしいがそもそもが元春の血統は既に絶えて輝元系だよねと細かい話 そんな毛利家も吉川広家がいないと関ケ原後に絶滅していたな >>262
松平は日本一
島津は地球一
毛利は銀河系一 何故か藤原南家の吉川氏が関川原と幕末で毛利家を二度も守ったのさ 何故か藤原南家の吉川氏が関ケ原と幕末で毛利家を二度も守ったのさ >>263
島津と違って話題がないからな 枯れ木も山の賑わい 基地外もスレの賑わい 大江広元の血を受け継いだのが小早川隆景だと思うのですが。 毛利輝元は天下を取ることが出来たが下賤の身である家康を憐れんであえて天下を譲った。
家康は輝元の聖徳を前に指一本毛利に触れることはできなかった。 >>272
んだから徳山の当主が今必死こいてアピールしとるやんけ 毛利家と伊達家だったらどっちが格上なの?
小学生みたいな質問ですまん 江戸時代は従四位上左近衛中将まで昇った伊達家
毛利家は従四位下左近衛権少将止まり
明治以降は公爵に列せられた毛利家
伊達家は28万石まで減封されたから伯爵止まり 伊達などと比較にならないほど毛利の方が名門
そもそも比べることなど許されない 毛利の殿様はなぜ左大臣にならなかったの?
島津はなってるのに >>281
なる必要はない
ならなくても日本の支配者であることには変わりない >>285
裏で本流と亜流とのせめぎ合いがあったため、つまりは元就本妻の系統vsその他 なんか当初から過疎りまくってるスレで1人必死に大江・毛利ageしてる奴いるから
気の毒に思って少し一緒になって付き合ってやってたけどいい加減飽きたから辞めるわ
あとは1人で頑張れ 毛利家なら歴代最強最大の毛利元就を語らんでどうすんねん ttps://www.mihara-kankou.com/fp-sp-sengoku
こんな状態からの~大大名やからね、よくやったわとは思う >>305
長州に鞍替えするまでは安芸を本拠地にしてたんだな 初めて先日婦人科検診に行きました。
クリトリスや膣口を念入りに消毒され、先生が指を入れてグニュグニュしてきました。
診察なので別にその時は変な感じはなかったのですが、少し時間が長いかなぁと思っていると、先生の指が微妙にゆっくりとピストン運動をしていたのです。
私は恥ずかしいのと気持ちいいのと腹立たしいのとが一緒になり、頭が混乱し、固定されていた足をバタバタ動かしました。
すると先生はすぐに指を抜き「ごめんねぇ、もう少しがまんしてねぇ」と言いながら、ゼリーのようなものをクリトリスに塗り始めました。
もうその時点で膣口付近は濡れてベトベトだったと思います。
下半身がしびれてしまい、すぐにオナニーをしたいような状況でした。
先生は「ここ痒いでしょ、少しかぶれてるみたいだから薬塗っときますね。」と言いクリトリスを念入りに指で摘みながら揉んできました。
たしかに最近クリが痒かったので納得したのですが先生は皮まで剥いて激しく揉んでくるので、私は声を抑えるので必死でした。
かなり濡れているのが自分でもハッキリ分かって、お尻に液が垂れる感じがしたとき
「グボボボボ」と音がして掃除機のようなもので液を看護師さんが吸い取りました。
自分の状況がとても恥ずかしいと思い「先生、も、もういいです」と言いました。
先生は「はいはい、もうすぐですよ」と淡々と言いながらクリトリスを揉みしだいています。
恥ずかしいので絶対イッてはいけないと我慢しました。
やっと診察が終わり、すぐにトイレに駆け込みオナニーをしました。
10秒ほどでイッてしまいました。
翌日、会社の同僚にこのことを話すと「それ絶対変だよー、そんなことする医者いないよ」
と言われました。あの医者はやはり私で遊んでたのでしょうか、とても悔しいです。 安芸吉田庄の領地は5千貫と言われていたから石高でいうと大体1万石程度か
そこからだもんね 300万石近くまでよくやったわ
また毛利を支える両川を育てたのも偉い ごめんなさい。ちょっとマジレスさせてください。(といってもいつもマジレスなんですが)
このスレを継続的に荒らしてる人がいますよね。
僕はとても悲しいです。
でもね。うん。確かに荒らしたくなる気持ちはよくわかるんだ。
何かに情熱をもって取り組むことは、かっこ悪いことだと思う風潮。
それが僕たちの生きている時代には、根強くある。
そんな中で、このスレの雰囲気はやはり異常に見えちゃうんだろうね。
実際にこのスレを知った当初の僕だって、このスレを読んでるとなんだか何とも言えない恥ずかしさ、みたいなものを感じて、ついつい荒らしたく
なったりもしたもんだよ。
わかる、わかる。その気持ち。
でもね。こんなこと本当は言いたくなかったんだけどね、いや、だってなんか良いことしてる自分に酔ってるだけじゃないか、とか、偽善者だって思われたりすることもあるだろうからさ。
でも、やっぱり、はっきりさせときたいから言うよ。
このスレに常駐してる人は全員、骨髄バンクにドナー登録してます。
だからなんなんだっていうレベルの議論じゃなくてね、現実問題として、多くの患者さんが、自分にあった骨髄液を闘病生活を続けながら待っているんです。
もしかしたら、自分の骨髄液がそんな患者さんを救うことになるかもしれない。
確かに、自分の国の歴史に思いをはせることも大切なことだ、しかし、目の前の現実問題に目を背けたままでは何にもならないじゃないか、
歴史を研究するとともに、それによって得たもの(それは人それぞれいろいろあるでしょう。)
を胸に、現代の社会問題に目をむけ、そして実際に行動に移そう。
それが、冷め切ったこの時代に、このスレから始まるささかやな、しかし熱いムーブメントです。
ところで、江戸時代って、庶民でも、源氏物語とか伊勢物語とか読んでた?
読んでたとしたら、洒落本とか黄表紙とかが取り締まり受けたとき、古典はおとがめなしだったのかな。内容的には、道ならぬ恋みたいなのが結構でてくるけど、これはOKだったのか? 最強にして最高の大江氏に対抗できるのは藤原氏だけだろ? >>276
伊達って天下争い(歴史を変える要因)には関わらなかったなあ
毛利は足利将軍を擁して織田と戦ったり、本能寺や中国大返しの元になったり、関ヶ原で総大将になったり、明治維新の主役だったりしてる そういえば、今やってる大河ドラマの大江広元の四男が毛利氏の初代なんだな
今週は承久の乱だけど、大江広元が一番活躍するところだな >>323
どこらへんが?
伊達といやあ独眼竜以外を知ってる日本人はほとんどいないよ 歌舞伎とか時代もの好きが伊達綱宗を、幕末ファンが伊達宗城を知ってるくらいか しかし毛利、島津、伊達の三大名家とも初代は源頼朝の代から始まってる。 >>325
確か伊達関連の家紋なりそうやつをなんでもかんでも商標登録とかしているから >>325
大半の歴代藩主より片倉小十郎とか原田甲斐の方が有名だろうな >>325
伊達兵部、伊達東市正、伊達安芸、伊達式部
このあたりは有名なのでは? スレ違いだが今日の伊達さんイケメンなのは事実
とくに徳川さんの方と比べるとw 武将は顔ではない
信玄、秀吉、家康あたりはとりあえず 普通の会社員らしいですよ
なんだか自ら廃藩を実行した毛利家らしいといえばらしい >>340
そりゃ向こうは格式とか権威が大好きな時代遅れの旧家なのよ。
いまでも徳川19代目とかに着飾ってるでしょ。
毛利さんは民間企業勤めで忙しいらしいですけどね。 本当バカなレスばっかりだな
松平は藩主一門が多いからその分授爵が多いだけの話
格式や時代遅れだの的外れな自説
「華族に昇進」とかバカの極み そもそもこのスレの8割は自演なんで
盛り上げるためにネタみたいな書き込みを繰り返してるんですよ >>341
徳川20代目がいなくて困ってるみたいじゃないの
そろそろ徳川本家も廃絶じゃないの?
にしてもベトナム人嫁を貰うとかね。あれだけ超財産が残されてれば日本人嫁なんか幾らでも手に入るはずなのに馬鹿なことしたよね。 大日本帝国皇帝毛利元就陛下
チョンセー!マンセー!!マンマンセー!!! 毛利元就より大江広元こそ神憑りとしか言いようがない政治力の高さ。 毛利氏の対になる利毛氏が存在するのは知られていない 尾張藩重臣にも毛利氏がいるがこちらは源氏、由緒正しい故に無役且つ幕府からも領地を預かり藩士でもあって幕臣でもあった
尾張はこの他に北条氏末裔とか信長末裔も重臣の中にいた 史上最強のオリオン座だぜ?
地球のレベルじゃねえぜ >>367
昭和の香り漂う昔ながらのゴルフ場って感じのとこね。
使ったことはないけど。 支藩のそのまた支藩の清末毛利の家臣なんかは萩の本藩からはかなり低い扱いを受けてたみたいだね >>368
江戸時代終了、毛利家は本家を山陰日本海側の萩から
南山口県の防府市に電光石火の如く移してるのが印象的 >>372
前田家も日本海側にあって加賀百万石と言われた金沢から
江戸時代終了ともに本宅を残すどころか家臣と共に
金沢から全く縁切れみたいな形で出て行ってるのが気になる ご先祖お松がいの一番に幕府人質として江戸にという故事を明治になって子孫も行ったという事では? 藩は下関で貨物引換証や倉荷証券で儲けたって本当ですか? 防長と括られるだけまだマシで大隅は薩隅とさえろくに言ってもらえない
島根の石見、広島の備後、岡山の美作、兵庫の但馬など各県の代表ヅラした国の陰になっている不遇な国 太閤検地の結果、長門周防二ヶ国は28万石だった。毛利宗瑞は家来の知行を削減し、新田開発を促し、厳しい検地を行い、課税率8割により、53万石の石高を打ち出した。 >>369
明治初期の地方行政の要職は藩の元重臣で固められてるし華族令で東京に住まなきゃ行けないルールがあったしむしろ残ってる大名家の方が稀な気がする >>392
という事ではなしに江戸期通して分家諸侯らは江戸と荻に参勤交代と忙しかったという話
「出荻」だったかな? 毛利家の素晴らしさを後世に伝える「長州毛利家信奉会」を設立しよう!
会費は月5万円という破格の安さに設定しよう 東大教授が「戦国時代で最も優秀な戦術家」と断言する武将の名前
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f06b982ab1f5dfa3ae934d4c8eff8b2d0b0fa25
信長でも秀吉でも家康でもない
それは毛利元就だ。元就は圧倒的に兵力差のある戦闘にも勝ち続けた。
一方、徳川家康にはそうした華々しい戦績はなく、戦術面では平凡な武将だった 夜の広島城でナイトイベント 全国の武将隊が出演
https://www.goo.ne.jp/green/column/minkei_hiroshima3917.html
2月11日開催
「安芸ひろしま武将隊」
「熊本城おもてなし武将隊」
「仙台おもてなし集団 伊達武将隊」
「グレート家康公 葵武将隊」(愛知県)
「神戸・清盛隊」(兵庫県) >>36
石原を忘れてる
それと東条は東京出身だよ >>409
東條英機は東京生まれ 父の英教も東京生まれ 曾祖父さんは盛岡藩に就職したが千葉生まれ
東條一族はほぼ関東人である 吉川弘文館の大名家シリーズ「毛利家」、楽しみですな。 大江性から毛利姓に改名して実質的に毛利家初代ともいえる毛利元春を詳しく知りたい 日本の大名一族でも毛利家だけはイギリスの貴族みたいな雰囲気がする 岸、佐藤、安部って毛利家中ではどの程度の格だったの? 佐藤は藩士、郡奉行筆者役を努め後に島根県令、安倍家は長門の大庄屋 >>432
郡奉行筆書役って遠近付とか無給通くらいの家格かな? >>434
毛利家って普通は家中を含めたものでは? 岸家の場合はトンデモが絡んでいて李氏>木と子>キシなんだそうな(笑)
まぁあながち間違いでもないというかだからこそ壷にハマったのかねと 李家姓も長州からだっけか、他はどうか知らんが後は前田家なんかも半島から連れてきて家臣になった家もあったのよねと
ああ薩摩は陶芸関連か 松平スレに居着いてる毛利礼賛連投バカは何故こっちに来ないのか? 椋梨とかの使いっぱレベル?
親族に坪井九右衛門がいるからまあ、そうなんだろうな 重臣も排出する寄組内の下のほうじゃね、上で6000石程度ある中の400石ちょい 世襲王様の安倍よりも
高杉晋作みたいな成り上がり一匹狼の菅直人こそ本家本元の長州人的といえば長州人 椋梨に日本は8年間に支配されてたんのか?
ならおかしくなるわけや >>444
高杉も寄組の家格だから成り上がりじゃない しかし萩にしろ山口市にしろ、寂れ具合が半端ねーよな >>444
安倍よりも厚生省や東電に乗り込んだ菅直人こそ反骨の長州人的な感じはするわな >>463
長井雅楽は惜しいな
歴史に出てくるのが早すぎた ミネルヴァ評伝選、ラインアップにある三浦梧楼、出ないかな?出ないだろうね。 幕末長州藩の強さは競争原理を導入した明倫館教育の大成果。
競争原理を否定した世襲原理で自滅したのが会津藩及び徳川幕府。 毛利家って歴史長い割に庶流少なくない?
普通歴史がある家系ほど庶流もたくさん派生するものだけど くだらない派閥争いが少なかった良質ある一族ともいえるじゃないか
お家騒動が絶えないと分家も多すぎるよ >>475
庶流の発生過程に派閥争いなどないんだか? 伊達も庶家少ない
逆に島津は多過ぎる
大友、相良、伊東も割と多い >>477
そもそも東北は庶流は少なくとも今も西日本に比べて苗字が少ない 一応4代元春の時には厚母、広内、中馬、福原の4家、その前の代には坂、有富の2家が興ってはいるのだけれどね 桂太郎も大江氏なんだよな
毛利の庶流とは言えないけど 江戸時代以降はそのまま分家して
別の名字名乗って家を立てる例って余り無いけど
なにか制約でもあったのか、それとも単に時代の変化なのか >>475
長州藩は派閥抗争がほとんどなく上下欲を一致させた団結力の強さで
本州の最西端の片隅に追いやられても260年間も生き延びることができたわけだ
家臣「殿 徳川追討の件、今年はいかがいたしましょうか?」
藩主「まだ時期尚早じゃ」 >>481
苗字帯刀という指針が生まれてそれ自体が身分の象徴となったせいもある
そしてその決定権は主にお上であり領主でありという具合、故に勝手に名乗るとかそういうのは許されなかった
分家筋でもお前は又末家でも由緒ある血を受け継いでいるのだから姓はそのまま
しかし差別化するために~某と付けたとかね、在所名だったりその家の初代が貰った諱とかね 長州藩を変えたのは松陰、久坂、高杉と言った連中で
それまでは普通の佐幕派 佐幕っていうか一般的には俗論派と呼ばれている勢力だろ 都市伝説レベルやが上の連中は本流と亜流の首の挿げ替えに忙しかったからな 藩士「殿、今年こそ徳川を討ちましょうか」
藩主「いまだ早い」
この長州藩、正月の恒例行事は好き 書生>城が攻め込まれました
一族>とりかえずぞ
書生>無事救援できました
一族>よっしゃああ、目出度い、祝杯じゃ!!
みたいぞ? 長州藩主は5代藩主の吉元以降は、毛利秀元の子孫だな。最後は輝元の男系子孫の元徳に回帰したが。 そりゃアンタ江戸後期の藩は殺るか遣られるかな時代だったそうだし、裏方がさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています