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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾伍
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:37:25.61
九州に決まっとろうが?
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せないかん!

九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を何らかの根拠を以って推測する議論等々も大歓迎!
ただし異説を唱えたい人は必ず根拠を明示すること。
根拠がなければただの妄想やけんね。

議論百出は大いに歓迎。
レッテル貼りで議論から逃げ出すごたる奴は九州男児じゃなかばい!

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾肆
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1662922871/

過去スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
同じ轍を踏まないためにも、このスレでは罵倒のみの駄レスを禁じます。
それは声闘という朝鮮人の文化です。
反論は論理的に、それが出来ないのはただの負け犬です。
0002日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:37:59.41
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない

【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云?陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上?縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける

【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
0003日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:38:19.31
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる

なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い

そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった

つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる
0004日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:38:37.17
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン

https://i.imgur.com/31R7rP6.jpg

熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する

https://i.imgur.com/4pKQIsd.jpg
https://i.imgur.com/xysLhhD.jpg
0005日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:38:57.25
◆邪馬台国の場所

383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな

309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg


当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう
0006日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:39:31.57
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、
内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう

では切れ目はどこに?と思うだろう
これを見てほしい
http://inoues.net/iron_nakoku.gif

博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、
樋井川を境に分布がぷっつりと切れている
そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する
樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区~南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう
ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる
また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう

春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう
伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる
鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる
海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな
青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる

奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ
これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう
0007日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:39:57.21
考古学的にはどう見ても伊都国は当時の先進国
それは紀元前からの流れ

298 :日本@名無史さん :2020/11/24(火) 22:51:33.01
>>234
>伊都王家なんて幻想。独立した存在ではない
そうやって考古学的事実から逃げるから君は事実に辿り着けない
古代史を考えるときに文献から出発するのは間違いの元
まず考古学的事実を確かめ、それを文献から解釈するようにしないと文献の嘘や誤りに流されるだけ

https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm
> 現在のところ、我が国で見つかった最も古い鉄器は、縄文時代晩期、つまり紀元前3~4世紀のもので、
> 福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部です。
> 鉄器が稲作農耕の始まった時期から石器と共用されていたことは、稲作と鉄が大陸からほぼ同時に伝来したことを暗示するものではないでしょうか。

分かるかい?
日本で一番古い鉄器は伊都国から出土してるんだよ
紀元前から鉄を手に入れ、その後も半島航路を牛耳っていた伊都国が畿内の田舎に仕えるなどあり得ないことだ
0008日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:40:15.40
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない
0009日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:40:36.02
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>218
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w

まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)


包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
0010日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:40:59.17
九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない

九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する

その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期~終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より

弥生時代後期~終末期
https://i.imgur.com/r08Lrgf.jpg
古墳時代前期
https://i.imgur.com/AeBKKnz.jpg

弥生時代には破鏡の分布はほぼ九州の北半分に偏っていて、本州では九州から海人族が進出していた沿岸部に限られているのに対して
古墳時代になると本州西部全域に分布が広がり、逆に九州からは減少している
九州内でも、弥生時代には熊本平野、大分大野川流域に分布していた破鏡が古墳時代になるときれいに消滅している

破鏡は鏡の破片なので支配者層の持ち物ではなく、それよりやや下級の武人等が身につけたと考えられる
弥生時代に熊本平野に破鏡があるのは狗奴国と戦闘していた邪馬台国の兵が身につけていたものだろう
それが古墳時代に無くなり本州西部に移るのは、弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している
このことは、3世紀まで鉄器のなかった奈良盆地が4世紀に入った途端に大量の鉄器が出土するようになることとも符合する

考古学的に見て、神武東征の時期は3世紀末~4世紀初頭頃
0011日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:41:24.02
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ
0012日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:41:45.20
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡

弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下


弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2020/11/23/31436/
> 調査の結果、4棟の工房や20棟の竪穴建物跡が発見され、釣り針などの漁具や小刀を含め、およそ170もの鉄器が出土。
> また、九州産のヤリガンナや山陰地方の土器などが見つかったほか、中国から来たとされる青銅鏡の一部が出てきました。

> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
0013日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:42:23.98
136 :日本@名無史さん :2021/01/11(月) 01:47:53.36
>>70
そうではなくて、北部九州の海人族が本州の沿岸部や淡路島にも進出してたってことだよ
絹の話になるが、絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/45/6/45_6_P277/_pdf
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。

つまり弥生期の北部九州には重要技術を独占して自らの優位性を保つという発想が既に存在していたわけで、
まして兵器に使用できて絹より軍事的に重要な鉄加工の技術を他国においそれと渡したと考えるのは難しい
海人族自身が現地に行って鉄加工していた痕跡と見るのが正当だろう
0014日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:42:50.00
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです
0015日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:43:07.48
対馬の霹靂神社には磯武良も祀られている
式内社なので言うまでもなく江戸時代どころの話ではなく、はるか昔から磯武良の呼称は存在する
キナイコシ君がどんなに捏造しても無駄

https://genbu.net/data/tusima/ikaduti3_title.htm
> 霹靂神社
> いかづちじんじゃ
> 長崎県対馬市上対馬町大増1073
>
> 式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社
>
> 御祭神
> 雷大臣 日本大臣 磯武良
> 伊弉諾尊 事解男 速玉男 『大小神社帳』
0016日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:43:39.70
鹿島のタケミカヅチは安曇磯良だから九州系

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。


古代にも要職にある人物等は事実を知っていたらしく、宮城の磯良神社では坂上田村麻呂が筑前志賀島ではなく常陸国鹿島郡から磯良を勧請している
つまり茨城の鹿島神宮に祀られるタケミカヅチが安曇磯良だと坂上田村麻呂は知っていたわけだ

http://miyagitabi.com/sikama/isorajinja/index.html
<磯良神社の由来>
> 延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
> 古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。
0018日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:44:24.37
>>4のデータについて

184 :日本@名無史さん :2021/03/16(火) 23:57:12.76
>>159
>>114で何ら問題無いし、やはり>>4の考古学事実に照らすと筑後山門が妥当だろう

>此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??
広範囲の調査とか言い出すのはちょっと常識が無さすぎないか?
普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに
ソースはもう>>4で提示されているのだから、ソースのソースがほしければ自分で番組に問い合わせればいいだろう

と言いたいところだがググったら割とすぐそれっぽいのが見つかったから出してやろう
孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
https://pds.exblog.jp/pds/1/201802/21/45/a0237545_16344442.png
0019日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:45:05.92
>>10補足

923 :日本@名無史さん :2022/03/16(水) 12:54:07.02
>>10
大中遺跡発見60周年記念春季特別展「弥生集落転生-大中遺跡とその時代-」(兵庫県立考古博物館)
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kh01/yayoisyuurakutennsei.html
> 竪穴住居が数多く見つかり国の史跡に指定されている大中遺跡は、弥生時代から古墳時代へ社会が移りゆく時期に突如として大きな集落に成長します。
> この頃になると、東播磨ではそれまでの集落から様相が変化し、弥生のムラが生まれ変わります。

> 【おすすめの展示品】
> 1.大中遺跡出土鏡(播磨町郷土資料館蔵・画像提供)
> 大中遺跡で発見された中国からもたらされた鏡の破片です。5センチメートル程度の小さな破片ですが、孔があけられていて割れ面が擦り減っていることから、
> 割れた後もペンダントのようにして大切に使われていたことがことがわかります。

> 3.大中遺跡出土鉄製品(当館・播磨町郷土資料館蔵)
> 大中遺跡の調査研究を進めるなかで、新たに短剣や鋤(すき)、ヤリガンナ、板状の鉄製品などが発見されました。
> 弥生時代の集落から多様な鉄製品が見つかる例は多くなく、大中遺跡が大きなムラであったことがうかがえます。
> また、出土した全長10センチメートルの短剣は、墓以外で発見された貴重な例です。


確かに弥生時代から古墳時代へ移り変わった頃に集落の巨大化と破鏡の伝来があったようだな
多様な鉄器と共に出土しているのは鉄原料の輸入を独占していた北部九州との関係抜きにはあり得ないから
東征の結果と見ることには妥当性があるな
0020日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 02:47:02.30
カバネについて
臣が外様で連が譜代

> 989 :日本@名無史さん :2020/11/21(土) 23:18:49.29
> >>987
> それは県主が畿内系という解釈が間違っているだけ
> 連(ムラジ)の姓を持っているということは神武以前からの皇室の家臣の家系
>
> のちの氏姓制度には古代氏族の関係性が現れている
> 姓(カバネ)の中で特に有力だったのは臣(オミ)と連(ムラジ)の2つだが、この両者には外様と譜代の違いがある
>
> https://kotobank.jp/word/%E6%B0%8F-34455
> > 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
> > 臣姓豪族は皇別すなわち天皇の後裔(こうえい)と称するのが一般であり、連姓豪族は神別すなわち神代の昔から皇祖の神々に奉仕した
> > 神の後裔と称しているが、これは江戸時代における外様(とざま)大名と譜代(ふだい)大名との違いにも比せられる。
> > すなわち、臣姓豪族は天皇家と連合して大和政権を構成した有力豪族、連姓豪族は大和政権の盟主としての天皇家の地位、
> > 実力の向上に伴って頭角を現した家政機関のおもだった役人あがりであり、その家政機関が拡大改組されて大和政権の中枢機関となったのである。
>
> 神代の昔から皇祖に仕えた、つまり神武東征以前から皇室に付き従っていた元々の皇室の臣下が連の姓を与えられている
> たとえば北部九州が本拠地の安曇氏が連姓、これは皇室が九州起源であることの根拠となる
> 逆に畿内の土着勢力の王家は臣姓となった豪族の中にいると考えられる
>
> 筑後山門の物部氏は大連となった連の中の連なので、当然東征前からの重臣ということになる
> 筑後山門の邪馬台国に仕えていたと見るのが自然だろう
0022日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 03:00:53.68
結局前スレも伊都チョン連呼という狂人が負け犬の遠吠えとばかりに根拠の無い妄想駄文を連投するばかりで
まるで歯応えが無かった
たまにはちゃんと根拠を以て論理的にテンプレに反論する論客でも現れれば少しは面白くなるんだが
もうそんな骨のある奴は残ってないのかね
0023日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 05:57:54.33
>>22
大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、どうでもよい話。  わははははは   @阿波
0024日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 11:37:40.50
>>15
霹靂神社は出雲系の神社
これひとつとっても同一際は否定される

テンプレまだ変わってないとはw
0025日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 11:41:35.12
>>20

連が外様で臣は大王家の女系
お前と違って人間は単細胞で増えたりしない

記紀服属で外様が逆転している
0026日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 11:44:48.03
>>22
伊都チョンの逃げ回る姿が笑えた

特にヒボコがスサノオまじぇまじぇ理論は阿波と同レベルのアホさ加減w

特に神社の考察は捏造に近いレベルww
0027日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 11:50:31.09
直リンク貼っても自分の思い込みと阿波ない物は見たくないで逃げ回る伊都チョンww

自説が九州説ではなくキナイコシ説に過ぎないことまでバラされて発狂ww
0028日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 11:55:40.00
志賀島神社の安曇宮司に話を聞こうかな〜とか書いたら

む、昔のことだから覚えていないはずニダとか言い出す始末

ついでに一言も言葉を交わさずウラもない事をここでカミングアウトww
0029日本@名無史さん
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2022/10/13(木) 12:09:10.82
負け犬は今後出しジャンケンで言い訳を考え中だから出方が見ものである
0030日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 13:09:31.60
狭義の任那は半島では金官加羅と呼ばれていたが、3世紀は狗邪韓国や駕洛国と呼ばれていた

さらに時代を遡ると豊日国(豊国)となり、宇佐族が何らかの関連を持っていた様である
安曇は全く出てこない

魏書には、その北狗邪韓国ありとされ、豊国は北九州にも地盤があったことがわかる
任那は本土防衛のため、伊都や太宰府の様に都であっかたのように偽装する機構があったのかもしれない
任那を一つの国として考えると泥沼にハマるのは伊都の立ち位置からも明らかであろう

大陸からの視点は、倭国和種は大陸の系統と見做している時期があり、偽装の効果はあったようで、任那、九州一部を伊都国と認識していた
雄略(倭王武)の記述からも、伊国と別倭(葛城一言主)を別視されていた事を倭国側が把握していた事暗示する記載はある
これは順序が逆転するが、そのまま読むと、九州人が自分らの地域を中原とするのであればイワ側を日の本と見ていたことになる

つまり秦国の隠され方が暗示されている事は把握できる様になっている

記紀の編纂者は、魏書以外の書物にも確実に目を通している

ここで重要なのは、ヤマト地方がイワ神の領域で呼ばれていた事あって当時のワカタケルの立ち位置はぼやかされている点

ここの部分の決着はとりあえず置いておくが、伊都チョン説の様に、任那の立ち位置からして、九州の領域と別倭が同じヒボコの国ではないという事は少なくとも明らか

金印に関係する1世紀の倭奴表記は、中国音韻上古音ではワナに近い音にしかならず、伊都国ではない事は明らか。
のちの儺県という説の方が有力である。
ここの現在の福岡市の地名を「奴処」=ナカと読んでいた
那珂郡の元は奴処と考えられる
0031日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 13:10:01.44
コヤネは半島における秦国、もしくは殷の系統の任那の一部族で、中津と、弓前(ユマナテ)が先祖ということになっている
津は場所という事からも、後の中氏は九州に宇佐氏族に並んで存在していた豪族の可能性が高い

同じくコヤネ系の後年の渡来人と考えられるヒボコが、別倭と同じ神などという妄言を垂れ流しにしてるのが伊都チョンw

地名や大陸の古語からいってもイ国と伊都は別物

神社の神の系列からも大陸の史書からも、コヤネ→スサノオ(ヒボコ)はあり得ない

スサノオ=ヒボコなら、木築大社にヒボコが祀られとるわww
0032日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 13:16:52.81
葛城一言主(イワ神)が、かつての王族であったという記述からも、ヒボコがイワ神と、争ったのであれば、少なくとも別倭とは違う一族でありワカタケルの系統とも違うということになる

イワ神は尾張と集合した臣の家系で、母型の血筋
同一人物ホアカリ饒速日の、大和側と九州物部側が大陸から見たら別の家である様に見えているわけだな

どちらにせよ、ヒボコが中氏より先に来る事はなく、明らかにヒボコより代数が多い尾張や物部の前の祖人になる事は不可能である
0033日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 15:33:35.73
>>23
もうヒボコと阿波と忌部とスサノオ同一論で良くね?w
0034日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 13:41:52.28
倭人伝における 伊都について、正しく読む。
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

意訳=伊都は、郡使が常駐した所で、三十有る女王に属する王は皆往来していた。
世と丗は字が違う(原書、評曰の魏世、参照) 世は中国皇帝の世と言う意味に使う文字。
これは、247年の郡の目的である
因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之
に対して、使者帳政が、伊都までしか行っていない事の説明である。

247年張政の報告
47 使 大倭 監之 自女王國 以北特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國於 國中有 如刺史
48 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣 女王 不得差錯
49 下戸 與 大人 相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪 兩手據地 為之恭敬 對應 聲曰 噫比 如然諾
郡使張政の報告では、
女王国より北には一大率と言う検察機関が有り(常駐した)伊都に特置されていた。
女王国諸国はこれを畏憚し、中国における刺史のようなものと言える。

下戸 與 大人 相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪 兩手據地 為之恭敬 對應 聲曰 噫比 如然諾
は、別の報告にある
見大人 所敬 但搏手 以當跪拝
と違う。 240年以降に、別の地域から入った進駐軍ではないのかな?

女王に送られた皇帝や郡、韓諸国の文書や女王に贈る賜遺之物も
全てが、検査をうけるので、これを逃れることはできない。
つまり、240年の皇帝の文書、金印を携えた
遣建中校尉梯儁等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王
の際は、伊都での査察は受けていない。

伊都は梯儁が参問した王の有る邪馬台国21国のうち
どこかに所属する千戸程度の集落である。
場所は、糸島半島東岸~博多平野西山麓で良い。
0035日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 14:51:13.82
博多民なんてただの熊襲じゃん
0036日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 15:22:35.31
邪馬台国は福井県
0037日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 15:38:22.65
博多湾岸の奴国勢力を滅ぼした渡来系邪馬台
0038日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 18:00:31.78
倭人伝の話を始めるとして、まず郡使の行程中の地域の説明で、

11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

ここで、丗有王 と言う文は、おかしいだろ?
三十が文意として正しい。

世と言うのは、統一中国の王朝の時世を言うのであって、
異国の九州筑紫の王の時世は、世とは言わない。

もちろん統一されてるのか、も判らない九州の東の倭についても、
著者である陳寿は、倭人の帝王の世、とは絶対に言わない。

三十国の丗と、魏世の文字が違うのは、
陳寿の記述法が、報告者の使用文字に忠実だったから。
である。

この文字の違いは、陳寿が、
倭に到る梯儁の韓西岸南下の初探検で
弁辰韓24国5万戸を、投馬国5万戸と仮称し、
筑紫地域21国の女王国7万戸を邪馬台国と仮称したという
記録を、事実として尊重した結果による、国名の誤差と同じである。
0039日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 18:26:57.58
>>20
渡来の中臣家を、自分で中臣連って書いてるから自爆テロだわなww
一本筋が通った話をしたら?ww
0040日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 18:43:27.00
倭人伝について、必要のない
東は南のような誤記紀説
一月は一日のような誤記説
を 正そうかな?

と 思うが、邪馬台国が九州だと250年以前の
古代中国と、倭=日本王、の交流は、卑弥呼のせいで消えるので
邪馬台国論争と記紀の価値の矮小化を危惧する。

九州は、白村江海戦で日本に編入されたのであって
半島南岸、百済、新羅同様捨てられる可能性が有った辺境領土である。

謎のファンタジーの記紀厨や伊都?都万厨、阿波が 言い張りではなく、
古代史に真実を求める、幼稚園ではない、
倭人伝から帰結可能な現代中学生的な古代史の当然が必要。

中学生の夏休みの自由研究ですら
記紀信者の本居宣長とか新井白石の轍を踏むのかね?

倭人伝を正しく読む、ことによって、
邪馬台国が筑紫域21国であったことは
纏向の発掘と何の関係も無いのだが?

考古学が文献に付いてきてる事は間違いない。
金石文の話、が良いな。
0041日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 19:16:27.06
倭人伝を正しく読むって、倭人伝が正しくないかも知れんし
0042日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 19:19:47.56
考証も何もやってないただの思いつきだけど。

一大国の発音はイタに近い(らしい)。福岡の筑豊に田川伊田という地名がある。内陸だけど。
近くには京都郡(景行天皇に由来の)。
そして福岡の大分の県境である中津に山移(やまうつり)というところがある。耶馬溪のところ。
これ見た時、邪馬壱→ヤマイ→山移→やまうつりって思い浮かんだ。
邪馬台か邪馬壱かわからないけど。

このへん誰か検証してくれないかなあ…。
0043日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 19:26:56.55
具体的には聖徳太子時代前後までに
日本国王の暗殺時代が有った。

これを万世一系国生みの天皇としたのが
記紀である。

記紀は、国家成立後の、後出しなので
王室出自の氏族や重臣に姓を与えた。

地域で言うと、出雲、近江、尾張、吉備、美濃は、当たり前で、
大和朝廷を構成する姫が天皇の後宮に居た祖先である。

九州や、百済新羅は、外様だが、日本では記紀忖度によって、
普通は、こういう言い方はできない。
0044日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 19:47:31.74
>>41
倭人伝は、正しく読む、で、
ご都合主義で何言ってるか判らないなら
東が南とか、一月行が一日みたいな、書き間違いにスリャ
漢文読めない馬鹿丸出しでも、良いんだろwww
0045日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 03:01:05.23
>>41
伝聞の部分があるのなら騙されている可能性はあるな
0046日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 10:40:30.86
倭人伝は正しく読めた九州説の、本居宣長や新井白石は、
日本神道信者であるがゆえ、なのかしらんが?

記紀と歴史的事実の不整合を直視できずに
筑紫地域21国の王でしかない卑弥呼が、倭王である、と偽ることで
郡や皇帝を騙していた、と言う結論で邪馬台国論争を放置した。

真実を知ると、邪馬台国論争は矮小化する。
0047日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 10:50:14.94
>>46
>真実を知ると、邪馬台国論争は矮小化する。

真実を知ると、邪馬台国は「阿波」の北半分と分かる。   @阿波
0048日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 15:27:19.30
>>46
神道の元締め、中津と、弓前の中臣家ですよ。今でもね。
0049日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 15:37:37.69
>>40
倭人伝から帰結できる話には制限があるからいろんな話に繋がるのでは?
0050日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 15:39:57.04
>>40
確かに、我が国が倭種と別倭が、いつ統合したかは記紀にも書かれていないな
ただそれは倭人伝とは無関係の大陸の史書が必要になる案件。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 16:01:31.90
唐の朝廷で倭と日本の遣唐使が言い争いをして摘み出されたとか。
その後に統一したのだろう。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 16:21:18.26
>>51
>唐の朝廷で倭と日本の遣唐使が言い争い

間違い。   @阿波
0053日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 21:05:02.08
>>51
それ朝鮮と日本の間違いでは?
0054日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 12:18:23.43
倭と日本と書いてあるのだけれど
どこに朝鮮が入り込む余地がある?
0055日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 12:23:22.56
>>54
序列で文句を言った件の話かと
0056日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 12:26:57.77
>>14
神功皇后期の同一性を神代の記紀設定の渡来人や国譲りと阿波せるデマゴーグ
0057日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 12:53:54.19
紀元前の五十猛の渡来の時期を神功皇后期に重ね、神功皇后の先祖の後年の渡来人ヒボコを五十猛やスサノオにしてしまう仰天の視点

これが昔から伊都チョンと言われてきた原因だったらしいww
まだコヤネを同一視して尾張氏の前や同年代の親族に持ってくるほうがマトモなデマだわw

そういやあのアホ、当初は神功皇后の妹がトヨとか抜かしてたっけw
0058日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 13:19:16.19
中津と、弓前兄弟ががコヤネの正統として弓前文書に登場するが、口伝されてきた文書本体とキーワードである委細心得が610年頃に残されたものであるが、賀茂系のミカヅチや、尾張系の大彦が出てくるので、基本的には記紀成立以降と考えられる。
大彦の琵琶湖撤退は180年代であるので息子の阿部などが賀茂氏と共に関東国造家になる3世紀後半前には遡れない成立時期になる

概要としては景行天皇からの歴史になっており、景初動乱で同盟国である豊国と、タジマを裏切って政権を取った物部が、ヤマトでも尾張や鴨族に総スカンを食らって追い出され、播磨に都を移さざるを得なかった頃からの歴史になるので4世紀の話を8世紀辺りに書いたものと思われる

右に中津、左にフツとあり、鹿島や香取神官が、この二つの家であるという様な事が書かれている

香取のフツヌシとくれば物部氏になるので、変わったことに、「女系か男系かは不明だが」中氏と、物部氏の先祖がコヤネであるかの様な書かれ方になっている
この様な視点は大陸の史書を継ぎ接ぎで繋いで任那から那珂郡の話まで微かに組み立てが可能な話であるが、記紀でも隠されている筑紫(旧築秦国)の東の秦国系が富士山を通って関東に行った、宮下文書(種本は寒川文書)と内容が近い事は興味を引く部分であろう
記紀においてはガン無視の富士山であるが万葉集では出てくる不思議がここでも出てくるわけだが、大陸の史書、別倭や、日の元の話に関して我が国側で書かれている文書という位置付けになろう

中津と物部が集合した家が後年に中臣家になった事がわかる文章になる
0059日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 13:34:41.45
ミナカタはごく一部ではあるが、諏訪にはあまり長い間止まらず、最終的に鹿島や寒川神社の辺りに展開して行ったという話がある。

2世紀には主に阿部と名乗った息子のヌナガワ別が到着
3世紀には島根の事代主系が到着(富家の野見宿禰系)
景行期には物部軍が関東に入り込む(タケル)

弓前文書には大彦に導かれそこに落ち着いたとあるのでおそらく物部と一緒か、物部の後に中津が入ってきたと考えられるが、忌部氏の力は物部政権でマックスなので、最終的に中津が関東入りしたのは忌部氏より後、になろう

壬申の乱では中臣と藤原が関東に一時避難しているので、その前には確実に親戚の地盤はあったと考えられる

秩父神社のカンナビとも言われる武甲山熊野信仰の社家は現在でも守屋姓を名乗り、秩父神社にはマナイ地名とカガセオ伝承があるので、出雲系の国造地域にあって物部や中津の勢力範囲は非常に特徴がある
熊野修験は、六世紀以降となるのでそれともさほど無理なく時代が重なる

物部とコヤネの同祖論は一部に細々と古い文書が伝わっている事は確か

そこにヒボコは出てこない

スサノオ(もしくは五十猛)=ヒボコの話など、どこにも存在していない思い込みの個人の願望に過ぎない

かなりマニアックな珍説である事には変わりがない
0060日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 13:42:54.99
さんざんいじくり回されてきた天神系譜にはいくつか系図が存在するが、忌部氏が出雲系である事を隠し、大陸の出身である事を主張し始めた後の系図が天神系譜に載っている

その系図は古代豪族系図集覧にも載っているが、フツの先祖、饒速日の父親の奥方、高木神(タカミムスビ)の注釈に、コヤネの皇后と注釈が加えられている

後々の工作で、中津は、物部氏を取り込んで出雲臣家に対抗でもしようとしていたのであろうか?

出雲系のミカヅチが尾張氏を経由して中臣家の祖神であるかの様な振る舞いは物部氏に対しても行われた様である

藤原がの名前は鎌足の系譜しか名乗れない事は実は厳密にいうと間違っており、中津の外戚が藤原を名乗れる様になっているそうだ(吉備卜部の人による)

実際に神魂神社の秋上氏(守屋の直径の先祖)は藤原姓を名乗っていた時期が確かに存在している
0061日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 13:44:53.79
コヤネならまだわかるけど、ヒボコが尾張と同祖で、ヒボコの方が先など、聞いたこともないし、古史古伝ですら出てこないアホの子の物語w
0062日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 13:50:06.12
中津と弓前(フツ)同祖であると書かれている弓前文書であるが、物部氏が藤原を名乗れる段階で外戚であり、本当は祖神が別である事の証拠である

弓前文書には、出雲系のタジカラ(第6代大国主)が出てくるので、臣姓を名乗る正当性についても書かれている様な印象がある
0063日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 14:20:49.51
>>58

だからさ、その原文はどこにあるのかと。
書籍なら書名を明らかにしてほしい。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 17:08:38.25
>>63
弓前文書だけの話ではない

そもそもいじられた状態での文章が記紀なのだから欺瞞性が分かっていて現物にこだわるのは滑稽ですらある

だったらスレ主にヒボコ尾張氏の同一性に関する原典でも要求してろやw
0065日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 17:10:15.84
弓前文書が原典で、その関係の書籍は既に世に出回っている。

それだけだ。

原典吠えるのなら、魏書だって元になるメモ書きがあっただろ
それは今でも存在するのか?
0066日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 17:15:28.00
記紀編纂時の前の時点での文字化されてない人々の記憶にはそもそもが簡単は存在しない
稗田阿礼の様に口伝から書き起こされている

魏書のメモ書きの部分は陳寿とは別人の報告書の可能性があり、その意味で原点にはなり得ないなどという話も成立する

実にくだらないこだわりだ
0067日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 17:19:51.50
弓前文書に関しては纏めた書籍はあるが、写本されてきた原本と呼べるものは空襲で焼けてしまっているので、委細心得の再現に関しては記憶の齟齬が若干入っている可能性に関してはきちんと表表明されている
0068日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 17:30:06.62
稲荷山鉄剣に関しては大彦の存在が示唆されている

その子孫に北陸系の大彦の子孫である高橋家が出てくる。
タカヒシワケ、タカハシワケとも訳されている

《釈文》辛亥年七月中記す。「ヲワケの臣、上つ祖の名オホヒコ、其の児タカリスクネ、其の児の名テヨカリワケ、其の児の名タカハシワケ、其の児の名タサキワケ、其の児の名ハテヒ、其の児の名カサハヤ、其の児の名ヲワケの臣」、世々杖刀人の首として事へ奉り来たりて今にいたる。ワカタケル大王の寺シキの宮に在りし時、吾、天下を左治し、此の百練(錬)の利刀を作ら令めて吾が事へ奉れる根原を記す也。

息子のヌナガワワケ(阿部)の残した文章だろうな。
関東には大彦系が入ってるよ
ま、そんな事今更書かなくとも先代旧事本紀からも明らかだが
0069日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/17(月) 10:21:40.98
男系尾張家の大彦(実際には大王家の村雲の系譜)に関しては、昔から大彦であった事が分かる、

その先祖にヒボコがあるのなら当然出てくるだろうが全く無いね、そんなのw
0070日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 10:50:38.97
稲荷山鉄剣銘文より

1、上祖 意富比? オホヒコ   260年=ヒコ 皇族 九州平定期
2、其児 多加利  タカリ 足尼 290年=スクネ 物部大伴系姫の子 杖刀人首 
3、其児 弖已加利 テミカリ 獲居 320年=応神天皇 牛馬移入 半島進出期
4、其児 多加披次 タカヒシ 獲居 350年=仁徳天皇 高句麗戦 百済新羅建国
5、其児 多沙鬼  タサキ  獲居 380年=多沙 任那地名 仁徳天皇
6、其児 半弖比  ハテヒ 祖父 410年=倭王 讃 珍
7、其児 加差披余 カサヒヨ 父 440年=倭王 済 興
8、其児 乎 獲居 ヲ ワケ   470年~=倭王 武

前スレでは、吉備、出雲、尾張、越、近江、等
の、連合した時期の割り出しのため8代の代替わり期間の推測で
朝廷成立時期が、北部九州参加後の250年纏向時代になるか?
を、検討した。

この間の獲居は皇族の分家で、当時は各地に所領を与え武人化させた。
この一族は上記の間で、一環して氏姓は名乗っていない。

ただし、乎 獲居は、新たな姓である 臣を名のった。 400年以降
倭王自体が漢字名も使用したわけで、この姓の時代は漢字の氏である。
乎臣と言うのは、和名だろうが、氏姓としては大臣なのではないか?
要するに、大伴の祖ではないかと思う。

300年以降、大伴氏は、高句麗牧童を伴い
甲斐、武蔵、上州方面に出向いて御牧を経営している。
これら地域の400年代の前方後円墳を中心とした、
高句麗墳墓群成立はその成功を象徴している。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 12:48:18.62
>>70
大彦は180年代、倭国大乱期の最後は大彦の琵琶湖撤退で終結した。

一度目の東征での人物

その後、恐らくだが北陸三島氏を紹介されて北陸方面に
故に弥彦神社はカゴヤマを祀る尾張系の神社になる
二田物部氏がお供した様に伝わるが、三嶋郡の三嶋家(元は九州の越智氏)が社家になってる

最終的に長野の布施地域で没したらしい
つまり会津で会ったのは子孫たちみたい
0072日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 13:07:48.21
記紀ではニニギが長髄彦を切る話になっているが、つまりは東征軍がくる前からいた人たちがいる事は書かれていて、わざわざ同じ一族である事が書かれている

つまり、圧縮や上書きで解釈が循環するところが誤魔化した部分になる。

村雲は切られた子孫である長髄彦(大彦)の家系
その大彦は大乱期の最後の男系尾張家
ニニギは崇神で二度目の東征、つまり景初
これが神代に豊玉姫と共に持っていかれ循環が生まれる
子孫が先祖の前に置かれた。
これは日向神話の家系から分かる。
磐余彦の先祖になっている。
あとは磐余彦。これは倭国大乱期中頃、160年代の人物で、この時は和歌山から入っている
磐余彦は、和歌山からは太田氏の手引きで奈良入りするので戦いをしていない。
故に、全ての豪族は地名を表している。最後のクジラも、御所市に地籍名が残る

磐余彦は、最終的に磐余に辿り着いたからその名前がついた
記紀の制作者は磐余彦が誰だったか分からなかったらしく、それでサヌノ命は省かれている

ニニギは記紀では尾張家、海部家の先祖でありながら、さらに先にいた同祖の人物を切る話になっていてそもそもがおかしい

イニエの息子のイサチは、魏書に登場する。
イサチとイクメは同一人物だから、後に諡号でイサチイリヒコになった

イリヒコの時代が景初
0073日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 13:09:55.52
つまり、ミマキイリヒコも景初

崇神はニニギにされたので、宇佐氏はこれを利用して記紀服属で、応神の親だか祖父を神武と称している

村雲、磐余彦(佐野命)、崇神に架空の神武があてがわれて記紀は誤魔化されている
0074日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 13:12:22.90
大乱期と景初を一つにして圧縮すると大彦はは250何頃になると思う

大陸から見たら丸っと朝貢して属国となり、女王の継承に介入してきた大事件がわからなくなるワケだ

記紀はちゃんと読める人ほどハマると思われる
0075日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 13:22:43.20
イニエは実際には九州から出た事はなく、景初の東征は計画したが、開始前に九州で没しているそうだ

魏書の解釈とは別に、なぜ我が国の王室を任那から来た様に見せかけたかはかなりの謎である。

なぜ大陸に出して見せ、我が国の独自性を示すための日本書紀でミマキイリヒコだと問題がないのか?

任那は古語で言うと、本国という意味になるらしい

つまりは太宰府の様に、そこに都がある様に見せかける伊都の様な役割を半島でも担っていたのかもしれない

魏書には半島の倭国領域が書かれているからね

ミマキイリヒコだけは余計な諡号だった。しかしわざわざ書き方勝ったとすれば、コヤネの中臣家に対する配慮としか思えない
0076日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 14:35:13.20
>>51
その話の出典を忘れてしまったが
新羅と倭人の序列では無かったかな?
日本は、370年までに対高句麗戦で牛馬を移入
百済、新羅の入貢建国を後押しした。

266年の司馬氏祝賀の朝参以降で
日本では、前方後円墳を始めた。 という、報告が有るので
この話の時の倭使は、247年までの塚盛墳墓の九州北部、
つまり、台与の使ではなく畿内勢力による調査行と思われる。
出雲型の方墳にその他の円墳を併せたのだろう。

卑弥呼初朝貢時の魏による公孫氏滅亡と
245年の韓制圧戦での難升米への 黄幢と檄を蹴って
以降の韓王朝の滅亡。 これによって、
筑紫勢力は本州連合との同盟が必然となり
日本は富国強兵の古墳時代へと、突入する。

卑弥呼の銅鏡は古墳祭祀の必需品であり当然、本州にも散逸した。
銅鏡技術の無い九州卑弥呼は、当時銅の産出していない魏の皇帝におねだりして、
かき集めて100枚ももらったのだが、本州で銅鏡の製造は余裕であった。
これが、日本製三角縁神獣鏡の誕生である。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 17:36:32.36
>>71
全然歴史の話になってない。
倭国大乱ってのは、日本の歴史に有るのか?

倭人伝後の筑紫域と畿内王権の統合もだが、
出雲、丹後、吉備、尾張、近江、越辺りの統合は乱=内戦では無くないか?
これは次の半島進出でもだが、百済(初期新羅)は後の九州勢のように
統合して履いても、貴族化して日本の後宮性治に参加できるようになってるぞ?

日本の古代史の戦乱なんてのは、
所詮、鬼退治や神話の八岐大蛇であって、
源氏物語のような後宮の性治ばかりで、源平期まで戦乱と呼べるものは無く、
九州東北を含む、軍事統一に至っては、信長の登場を待たなければならない。

記紀ファンタジーの時系列は、
神話にはじまり、次に神武~崇神、次に崇神~神功応神、
で、有り得ない漢四郡期?公孫氏時代の三韓征伐とかw 
これが重複していて、創作された歴代天皇の時間は西暦と比定できない。

神社伝承が桃太郎が五十肩で半島から来たかぐや姫を嫁にとり
出雲や尾張と協業して、大和朝廷が出来た? とか、
創作されてるファンタジーにああだこうだの議論のネタを作る
という行為には、歴史考察としての意味が、全然ない。

倭の五王については、仁徳以降の子、孫、武=雄略までで100年間。
半島進出は四郡撤退313年以降だが、高句麗戦にしても、
馬が走れる馬韓~新羅~釜山への道、対馬の牧場、
馬移入の準備期間は必要なわけで、七支刀の聖帝、370年は仁徳天皇である。
5~60年で日本に対魏で自滅したが、富国強兵が実現するというのは、上出来なのである。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 18:59:47.69
済まない。
卑弥呼の250年以降自滅したのは、
中国三国志制覇王の、魏、司馬氏政権である。

筑紫将軍の難升米が三国志に参加して
韓を成敗しても面白いけどw
それだと663年の、白村江で日本に九州が
歴史的日本の領土である九州は統合されたか?
古代朝鮮半島南部の、百済は九州同様、日本領。

半島系でも領主=王家は日本で貴族化した。
しかし、領地には古墳の遺伝子含め、何も残っていない。

埋め戻しちゃうなら事実は有るし
北朝鮮古墳から戸籍の木簡?

てか、七支刀以降から
白村江の舟氏墓誌でも
日本の古代史は騙せんよ?
0079日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 19:07:00.68
訂正とゆうかw

金石文は、新たに発掘されるし、存在してる以上、
考古学に対する、記紀の畿内説でも、日本の古代史は騙せないよ。

なんで、倭人伝は普通に読まれないんだ?
まあ、諸説ありで済ませたい、ご都合主義なのは判る。

解決してるだろ?
0080日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 19:26:58.31
倭人伝を正しく読めばで証明できる決定的史実。
卑弥呼は筑紫21国の女王だけど軍事ではない鬼道で統一?

190年から250年までの九州北部はこの王を認めた。
次代に王は存在し得ない内乱となるが、筑紫王なら台与で良い。

奈良には、日本史的には意味不明な
考古学で纏向が有る。

さて、始めたいのは日本の古代史の話なんだが?
0081日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 20:07:32.15
>>80
纏向が有る
纏向が有る
纏向が有る
0082日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 20:08:56.71
伊勢遺跡もある
0083日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 20:21:39.57
伊勢遺跡は大国主系の出雲の国。
纏向遺跡は大和の崇神天皇の宮。
ちゃんと日本史の中で位置づけできる。
卑弥呼だけ無理なんだ。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 20:31:41.71
>>81-83
纏向遺跡といい、伊勢遺跡といい、

単発の遺跡で妄想できる、トンデモたち。  わははははは   @阿波
0085日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 21:29:43.52
>>80
そもそもその時期に畿内周辺で争いがあったのかどうか
桃の大食い競争で優劣決めてそう
0086日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:21:37.76
>>24
そんな根拠のない妄想を書き込んでも何の反論にもならんわ
相も変わらぬ負け犬おつ
0087日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:23:00.49
>>25
それも根拠のないお前の妄想
こちらは日本大百科全書(ニッポニカ)というソースがちゃんとある
残念だったな負け犬w
0088日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:24:02.75
>>26
逃げ回っていたのはお前だけだが幻覚でも見ていたのかw
俺の理論に何一つまともに反論できないお前の負け犬ぶりには本当に笑わせてもらったよ
0089日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:25:20.36
>>27
お前の貼ったリンク先にお前の発言を裏付ける内容が全く無いのだから仕方ない
日本語もろくに読めない小学生以下の国語力がバレて大恥かいたお前が笑いの種になっただけ
0090日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:28:22.55
>>28
1700年前の先祖がどんな人物だったかなんて分からないのは当たり前だが?
そんな当然のことさえ分からないお前のバカさ加減が笑い者になっただけw

日本で最も系譜が記録され世間から注目されてきたのは間違いなく天皇家だが
その天皇家の祖先でさえ魏志倭人伝当時にどうだったのかは謎とされている
それ以下のどっかの神社の宮司の家系なんて信頼性が無さすぎて無意味
0092日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:30:29.39
>>30
狗邪韓国の呼称以外は全く根拠が無い妄想だな
結局頭がモンキーの伊都チョン連呼にできることはそれだけ
絵に書いたような負け犬w
0094日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:34:39.89
>>32
これも>>93に同じ
結局頭がモンキーの伊都チョン連呼にできることはそれだけw
考古学と伝承の一致点から導かれた俺の説とは次元が違う
0096日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:40:17.41
>>56
「磯武良の上陸した地にそれを記念した神社を建てた」という記録があり、
そこにはイソタケルを祀る神社が現存する
どう見ても同一人物です、本当にありがとうございました
0097日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:46:54.61
>>57
五十猛が渡来人という根拠も無ければ紀元前という根拠も無い
>>96の通りどう見ても同一人物
お前の負けだ雑魚w

神功本人がトヨだと言ったはずだし>>17にもそう書いてある
阿知女作法に歌われるトヨヒルメが神功だと教えてやっただろう痴呆
アチメは安曇とされているし安曇磯良に対して玉を欲したのは神功だからな
0098日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:54:39.66
>>61
古史古伝が真実ばかりと思っているアホの子w
魏志倭人伝の頃の日本の古伝が文字記録に起こされるまで数百年
その間続いた口伝という名の壮大な伝言ゲームで情報が変質しないと思っているのはバカのお前だけ
だからこそ文献は考古学と一致するか否かを確認しなければ無意味なんだよ

で、お前がヒボコが上陸したと言い張った糸島には朝鮮系の痕跡なんて無い
そもそもお前はよくヒボコ族とか言ってるが当時の半島に倭に軍勢を送れるような渡海能力は無い
むしろ半島東南部は倭人の領域
だから狗邪韓国は韓伝ではなく倭人伝に書かれている
0099日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 22:56:44.77
>>63
この伊都チョン連呼くんは口からデマカセを並べてるだけだから聞いても無駄だよ
こいつには何度もソースを要求してきたが出てきたことは無い
0100日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 23:08:48.79
>>34
伊都国の人口論は遺跡の数から見ると魏志の千戸ではなく魏略の戸万余が正しいと思われる
文献は考古学の裏付けが重要
0101日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 23:11:21.78
>>41
同意する
だからこそ文献の内容は考古学との比較検証が欠かせないのだが
約一名それを理解できない伊都チョン連呼くんがこのスレを荒らしている
0102日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 14:34:33.22
>>97
根拠なし原点もなしのホラ吹き

お前の妄言はお前の使った完全一致検索でも朝が確定

恥を知らない朝鮮脳w
0103日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 14:38:25.09
>>98
〉古史古伝が真実ばかりと思っているアホの子w


こちらは、古史古伝「ですら」と書いてるのに
いつのまにか古史古伝ばかりという話にすり替わってる

相変わらず日本語が異常ww

まさに被害者になる天才の朝鮮脳w
0104日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 14:45:22.37
>>98
〉半島に倭に軍勢を送れるような渡海能力は無い
むしろ半島東南部は倭人の領域

俺は軍勢などとは一言も言ってない

イチイチ状況を捏造でもしなければ気が済まないのか?

自分と意見と合わない奴は、他人を平気で根拠もなく基地外呼ばわりww

何処の馬の骨かもわからんやつに日本の歴史が決めつけられようとしてるw
0105日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 14:50:50.33
>>98
〉で、お前がヒボコが上陸したと言い張った糸島には朝鮮系の痕跡なんて無い

あるワケねぇだろ
ヒボコは最初に出雲に行き、そこから出石に行ったことにより伊都、系になった。

その後年の伊都への流入に際し何故朝鮮式の土器が出るんだよww

倭国大乱期にヒボコ族が負けて糸島あたりに逃げ込んだって書いただけ

それがいつの間に上陸したとかの話になるわけ?

お前日本語がおかしいだけじゃなく、日本語を理解できてねぇしww
0106日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:16:46.24
>>77
〉全然歴史の話になってない。
倭国大乱ってのは、日本の歴史に有るのか?

記紀では消されているのてその疑問は不適当では?
そんなこと言ったら存在していた大陸の史書にある秦国も同じく消え去ることになる

逆に消されている事が歴史と言えよう。

そういう意味では記紀こそが歴史になっていない

神話と史実が混じった様なものに歴史評価を押し付ける方がおかしい
0107日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:18:30.76
>>95
〉中臣家が渡来という根拠が無い

そうでないという根拠もない

お前の妄言は誰でも出来る後出しジャンケンに過ぎないw
0108日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:19:44.44
>>89
〉日本語もろくに読めない小学生以下の国語力がバレて大恥かいたお前が笑いの種になっただけ

その自分で作った嘘発見器に自分で引っかった間抜けが伊都チョン
0109日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:21:54.54
>>90
〉1700年前の先祖がどんな人物だったかなんて分からないのは当たり前だが?
そんな当然のことさえ分からないお前のバカさ加減が笑い者になっただけw

お前の妄言より当の本人の証言の方が傾聴に値するのは当然のこと

お前の願望など塵芥に等しい

覚えてるはずないニダww
ひとの頭の中身まで決めつけて自説の願望を押し倒すのが伊都チョン考古学ww
0110日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:27:21.97
弓前文書の説明にフェイクを入れたが一向にツッコミが入らないw
伊都チョンは見たくないから頑なに知らんぷりw

完全一致検索でも出ちゃうんだろうなーw

仮に中臣が外様なら、余計に渡来を考えなければならない話だろうに
0111日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 16:29:34.65
>>90
〉それ以下のどっかの神社の宮司の家系なんて信頼性が無さすぎて無意味

そういや、安曇の系譜は穂高神社の社家の系図しかないワケだから、当然に出鱈目って事だよなw

お前、すぐに返されるブーメラン放ってばっかりだなw

本当、クズだなwこの程度かよw
0112日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 19:21:51.87
>>100
大人気の伊都国の存在自体が謎だが?

09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深浅 皆 沈没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統属女王國 郡使 往来 常所駐

以外の文献で伊都は存在するのか?
皆女王に所属する王の邪馬台国21国に、伊都は無い。

女王国で女王は九州上陸から2千里に居た。その南は狗奴国で女王国の境界。
伊都国が首都説が多いが、伊都国は九州上陸から東南 陸行 五百里
帳政は常駐したというが、自分で交通手段と軍隊が無ければ、ほぼ拘留なのでは?

邪馬台国は、魏による240年の韓西岸~九州の初探検で
建中校尉梯儁が命名した国名。 陳寿は命名者を尊重した。
投馬国は後に弁辰韓5万戸~弁韓となる。 
狗邪韓國は、韓伝で弁辰狗邪国である事は当然。

魏は九州北部がこの時の限界であって、東夷、倭についてなにも知らない。
陳寿の説明では、
自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳
である。

近隣国意外と交渉が無い時代で、自国に国名など必要ない筑紫地域で、
女王所属国21国の中の邪馬国に有った卑弥呼の臺をランドマークとして国名とした。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 20:48:08.76
狗邪韓國は韓伝で弁辰狗邪国である

この意味するところは
魏は、弁韓と辰韓の区別が判っていない。

南韓制圧で官僚制を敷いた246年以降に
地域に関する情報が増えたことは間違い無いが
現実的には、倭人域の弁韓は、王政が続く。 
倭人植民地、倭人領なのである。

日本古代史の謎?
そもそも倭人伝三国志以降の中国は
高句麗台頭が韓四郡撤退の原因ではなく
五胡十六国、隋唐を生む北朝の台頭である。

北朝が成立するまでの倭の五王?

それ、南朝と交渉してたんであって
白村江敗戦した国の記紀は記録しないだろw

つまり記紀は、嘘の判定が出来ない限り
日本で歴史書としては機能しない。

歴史の話がしたいなら、記紀や神社のファンタジーが、
ああだこうだ? という議論は、やめてもらえないか?

スレ、埋めたいだけだろwww
0114日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 21:15:58.47
日本の古代史を正しく読む。

倭の五王は、倭人伝の魏を継承して南下した南朝に対して
300年以降台頭して350年以降は幽州刺史、中国貴族の楽浪候である高句麗
との交戦と、馬韓辰韓の植民地利権に関して承認させる外交である。

ちなみに370年以降は日本が擁立した百済が楽浪候なのである。
中国の認識は王ではなく諸侯にしたかったわけだが?

日本では出雲も尾張も筑紫も何だって領主は、常に王であって
これは、廃藩置県と言う、明治維新まで変わってはいない。

幕末薩摩はパリ万博で琉球と共に独立を計ったwww
0115日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 21:27:37.28
>>113
魏志倭人伝を無条件で正しいとするより一つ一つの事柄について何故?と考える方がいい
当時の日本列島に住む倭人は半島の倭人をどう見てたかとか
中国はどう見てたのかは気になるところ
中国で倭人と言えば半島の倭人を指してたような気もする
0116日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 08:39:11.50
>>113
〉歴史の話がしたいなら、記紀や神社のファンタジーが、
ああだこうだ? という議論は、やめてもらえないか?

君は魏書を読むのに大陸の史書同士を比較してるだけだろ

比較するものはそれだけでは無いだけの話

原典厨は、原典が存在したらまずい、存在するわけのないケースを伊都的にw除外している

撰善言司方式で書かれることになった記紀の万世一系で、倭国大乱期の事が書けると思う方が異常ww

ただ、それが誤魔化されて別の所に書かれているよという話が魏書との関連な訳だ

我が国の歴史が大陸視点の歴史に書かれるというのは当然に全ての話では無い
0117日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 08:50:37.76
魏書にあって記紀によって時期がずらされ無かったことにされている事柄は当然別の処から待ってくることになる

それが別段、口伝や現代になって複数の旧家から出された書籍である事に何の問題があるのだ?

ドヤ顔でいうのもアレだわな
それが我が国の歴史を語るのに当事者の家系の語る内情は無関係で成立するというのなら、それは我が国のれきしではなく、大陸の複数の編纂者が纏めた大陸視点の我が国の歴史でしか無い

伊都チョンもそうだが大概思い上がりだよな
0118日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 09:23:26.30
>>117

口伝の内容はともかくとして、総論としては同意する。
魏志倭人伝などの中国の史書は極めて重要な動かざる歴史だが、中国の視点だけでは国内事情は語れない。
日本の歴史として成立させるためには、国内の口伝や記紀もまた重要な資料である。

ところで、いま君が伊都何某と呼んでいる相手とは別に、私もかつてはその名前で呼ばれていたので、いささか、不愉快でもある。
糸島における古史古伝、祭祀なども無視しないでいただきたい。
なお、安曇がどうとか言っているのは別人である。
ちなみに私は九州在住でも出身でもない。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 09:37:57.88
記紀は遺跡があって初めて議論の俎上に載る
伝承だけで信じろってのは無理だわな
0120日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:03:19.07
>>118
撰善言司で、万世一系で、男系を無理やり血縁関係だった事にして系図を繋いでいるのに、そのテーマで書かれるファンタジーにおいて政権交代の話が書けると思う方が逆におかしい 。

戦いを書くにしても政権樹立の時か、神代に持っていかなきゃ書けないだろ

記紀は基本的に大陸に書かれてしまった事は基本的に書いている 。
景行の九州征伐など、本来は大王自ら軍勢を率いて戦うなど、大陸の史書に照らし合わせてもあり得ない。

あと、基本的に大陸は他国の戦いに関しては政権交代級の話を載せるんだったよな?

八世紀になって、文法的に拙いとはいえ、わざわざ大陸の人間に読める様な漢文で「原典の存在しない」歴史書を我が国側が出してきたのだ

当然に内容の精査がなされることは予想される

日本書紀はその相手側が行うであろう精査と解釈の面倒な作業を先に済ませて誘導を画策しているとも言えるわけだ。

故に神功皇后期に魏書を引用してる事を仄めかしてるワケだ

騙す相手は大陸であって我が国国内では無い

そもそもが欠史の無い記憶を持つ旧家を記紀で誤魔化せると編纂者が考えているワケなかろう。
当事者は解釈の議論はしない。事実の議論のみを行う。

記紀は大陸の史書に依存して大陸を誤魔化して我が国の独自性を示すために作られた

半島とは違って対等を目指したのであろう
0121日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:11:57.07
〉いま君が伊都何某と呼んでいる相手とは別に、私もかつてはその名前で呼ばれていたので、いささか、不愉快でもある。

一緒にされると不愉快らしいぞ?伊都チョンww

今回は何故彼が昔からそう呼ばれるのかわかった気がするわw
まさかの尾張ないしスサノオと、ヒボコの同祖論という仰天持論の持ち主だったとはw

中臣家のコヤネと日矛の同祖論は見たことあるけどこれは香ばしすぎて衝撃だったわw

なるほど、それでそう呼ばれていたのねとやっと腑に落ちた
0122日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:15:21.97
唐にボロ負けしていそいそと朝貢するのに合わせて作ったんだよ。
何が対等外交だ。
倭が遣隋使を送った時は確かにそのように取れるが、その結果が白村江における大敗じゃん。
唐から日本と倭の関係を明らかにするよう命令でもされたのだろう。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:16:17.77
>>121

だから、それは全部別人だって。
伊都説は何人もいるんだよ。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:20:09.33
>>118
志賀島神社、石清水八幡の神事の成立には宇佐氏が関わっている
成立は応神期以降だそうだ。
宇佐氏古伝の本は、それこそ糸島半島を含む地元の古伝だと思うが?

こちらも安曇族が居なかったと言ってるわけではない

魏書をテーマにするのであれば影響は皆無に近いと言っているだけ

伊都の語源はヒボコのゆかりの呼称であり、魏書の時代には既に地名となっていたというだけの話

安曇氏は神功皇后の前あたりには少なくとも九州にはいたんでしょ?おそらく
0125日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:24:02.91
>>122
〉唐から日本と倭の関係を明らかにするよう命令でもされたのだろう。

ちょっと脇になってきたが・・

おおー、その視点は確かにあり得そうだ
実はあのあたりで遺物として出土する船がおかしいんだよね
まるで技術が衰退したかの様な事になったとしか思えないらしい
前出のYouTubeの古本屋エリナ氏も次の動画で我が国が干渉を受けたのでは?と考察してた
0126日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:25:43.99
>>123

であるのであればなおさら
後から来た私にとっては全員伊都チョンに見えても不思議はなかろう
0127日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:43:05.22
>>122
〉唐から日本と倭の関係を明らかにするよう命令でもされたのだろう。

それは確かに注目に値する。瞠目に値しよう。
もしかしたら任那のわざとらしい記載はそれで必要になったのかもしれないし、それ故中臣家のコヤネが隠されたとするのであれば・・

ただ、結局は統一時期不明ですーで終わっている
阿部の日高見領域が日の元であるが、その相手が秦国系なのかどうかすらガン無視で提出している

逆に秦国系を隠さねば永久に我が国は分家の末裔の国になり軽く扱われることになるワケだ

狗邪韓国も同じだろうな。豊日国の宇佐氏が隠されたのは何も豊玉姫=宇佐津姫ではないワケだ

宇佐氏に関しては記紀において同祖であるかの様に書かれて誤魔化されている
宇佐津姫は中臣な様な書き方がされている
0128日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:54:01.68
>>122
朝貢の歴史を消そうと思ってたと考えてたけどそっちのほうが可能性高いな
0129日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 12:56:34.59
>>125

博多を拠点に半島に自由自在に出兵していた倭国水軍が壊滅して、海なし県の大和が政権を任されたけど、渡海能力はすぐに養えるものではない。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:00:46.50
>>129
そんな大層なもんじゃないだろ
0131日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:01:27.70
>>127

ヒノモトと言えば日本だが、その由来は生駒山における饒速日の国見。
さて地図を見ると近くに日下の地名もある。
クサカと読むらしいが、ヒノモトとも読めなくもない。
つまり河内が日本国の中心であり、畿内王権の中心。
そういえば最大の前方後円墳も河内。
0132日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:08:33.66
>>122
〉唐から日本と倭の関係を明らかにするよう命令でもされたのだろう。

大陸の史書を比べていくとそういう視点になるのはよく分かる
分かるのだが

それならそれで適当に書類作って出せばいいだけの話では?
わざわざ編纂者の太安万侶を隠して自慢げに皇室の功績に見せかける必要は薄れる気がするし、のちに何度か行われた神改め=日本書紀風の神様への上書きは必要ない
そもそもが地名だけ変えずに祭神のみ変えても中途半端に見えるし

そもそも時間かけすぎ

逆に、太宰府の様に首都を誤魔化すやり方が伊都の魏書の時代から行われてきたのではないかという事が見え始める気がする
0133日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:20:12.42
太安万侶の父親は壬申の乱以降20年も経ってから突然官位が上がっており、仮にその頃からの計画だったとすれば結構な時間をかけていたと考えられる
帝記で各豪族の利害を纏めきれなかった草壁皇子だっけ?

それから記紀が右大臣により作られているけど、風土記集めてのんびりやってる事も腑に落ちない

出雲においては千家果安と忌部子首が8年もかけて古事記の前半部分を作ったそうな

そんなのんびりやってたら大陸からまたやられちゃう訳で

任那を返してと言って、返してほしくは汝らの立場を示せという程度の話だったのでは?
0134日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:25:15.83
もうボロ負けした後だから、急がなくていいじゃないか
0135日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:26:05.26
首都を誤魔化すと言えば、倭奴国から伊都国へも誤魔化しているよね。
0136日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:30:07.49
>>134
www
0137日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 13:38:09.78
>>131
河内方面は、東漢、西漢氏の関係で遷都した様に思えるが

畿内政権は最終的に亀岡に遷都
前政権のヒコミチヌシは丹波と丹後の隣りの因幡国造になったでしょ

故に後年、帝ワケを称する様になった
0138日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 14:31:46.38
>>131
なんでアマテラスのいた三輪山より西が日のもとになるのか・・

確か日下は、ヒコミチヌシとは別の兄弟のサホヒコ系の名前だった気がする
今手元に本がないから何ともだけど
0139日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 15:31:13.54
仮に魏書の時点で倭国大乱期の記載があり、それが政権交代のレベルと仮定する

つまり、最初の戦いの主役と、景初の戦いの勝者の違い

もしくは倭国大乱期に負けた方の、どれとどれが違うのかを明らかにせよと言っているのか今となっては分からんのである

倭と別倭なのか
倭と日本なのか

そもそも倭奴とは

それより、白村江の戦い以降に事実上鎖国になり、それ故造船が失職し、九州ではバンバン堀とか作ったけど結局大陸は攻め込んで来なくて、ほとぼりが覚めてから知らん顔で自己紹介の書類持参で付き合いを再開した

そんだけの様な気がする

大陸の史書の読み比べでは圧力がかかった様には確かに書かれてるけど、放って置かれすぎw
0140日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 15:48:20.48
>>138
三輪山にいたのは天照ではないぞ。

饒速日は大阪湾に上陸したんだ。
親戚筋の神武も同じ日下に上陸しようとして、饒速日の軍に阻止されている。
で、上陸した饒速日が日本は美しいと誉めた。
日下に上陸した饒速日が日本は美しいと。
視点は大阪湾、または遥か遠い九州にある。
饒速日が上陸してから、畿内は開拓される。
0141日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 15:50:52.27
>>139

魏志倭人伝にある倭の別種が日本だろ。
ほとぼりが冷めた頃にしれっと日本が国交を再開した。
旧唐書にある、日本が倭を併合したというやつだ。
0142日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 15:57:26.07
>>140
〉三輪山にいたのは天照ではないぞ。

これは失礼

昔の三輪山は、出雲の太陽の女神(サビヒメ)と、ぶんけのかいそ
0143日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 16:03:14.14
ヤベ操作ミス

分家の開祖に当てられた事代主が神様だったらしい

それが物部の神であるアマテル(男神)と合わさって後年になって女神のアマテラスになったと

今でも生駒あたりのアマテル神社は男神のはずですよ
0144日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 16:06:03.95
元々生駒山は、垂仁イクメが陣取ったからついた名前で、今でも生目神社がパラパラあった気がするよ
0146日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 16:32:37.01
>>143

物部の神が天照なのは当たり前。
祖である饒速日は天照から十種の神宝を授けられて畿内に降臨したのだから。
単に祖先崇拝であり、天皇家の祖の天照と同一人物だ。
0147日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 16:33:57.90
畿内では物部氏がその祖である天照や伊奘諾を祭っていたが、それを無視して蘇我氏らが仏教を祭ろうとしたから物部戦争が起きた。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 17:14:24.62
>>119
文献を正しく読めば考古学が後から付いていてくる。
と言うのが、倭人伝論争九州説の基本だと思うけど?
記紀信仰が有ると歴史が見えなくなる仕組みに嵌ってると思うよ。

船王後の墓誌
(表)
惟 船氏 故 王後首 者 是 船氏 中租 王智仁首 児 那沛故首 之子也
生 於 乎婆?宮 治天下 天皇之世
奉仕於 等由羅宮 治天下 天皇之朝
至 於 阿須迦宮 治天下 天皇之朝
天皇 照見 知其才異 仕有功勲 勅賜 官位 大仁品 為第
(裏)

殞亡 於 阿須迦天皇之末 歳次辛丑十二月三日 庚寅
故 戊辰年十二月 殯葬 於 松岳山上 共婦 安理故能刀自
同墓 其 大兄刀羅古首 之墓 並作 墓也
即為 安保万代之霊 其 牢固 永劫 之寶地也

この墓誌の船王後 は、
乎婆?宮の天皇、紀、敏達572~585
等由羅宮の天皇、紀、上宮法皇、押坂彦人大兄591?~622
阿須迦宮の天皇、紀、舒明629~641
の三代の間に文官として仕えています。

船王後も文人、文官ですから、この墓誌の天皇順は正しいはずで、
記紀の推古天皇~どうたらこうたらは存在せず男子直系三代で、問題なしなのです。

阿毎多利思比孤は、上宮法皇、押坂彦人大兄 591?~622
隋書にある、600年に兄弟二人で執政をとっていた日本の王です。
聖徳太子は敏達の皇太子と兄弟。 で、解決する話。
0149日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 17:42:25.34
>>147
仏教公伝の時代背景でも記紀は史実の解明に障害となる。
倭の五王、雄略の後は503年で継体である。
日本の仏教公伝は、百済を傀儡とした雄略か次の王による采配である。
仁徳から継体では五経博士の渡来。 僧の渡来が仏教公伝だろ?

隅田八幡神社 人物画像鏡 銘文
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加 宮 時
斯麻 念 長寿 遣 辟中 費直 穢人 今州利 二人等 取白上同 二百旱 作 此竟
意訳
503年8月 日本の大王位をヲホド(継体)が継承し押坂宮に在った時に、
百済候王、斯麻は、大王の時世の長寿を念じ、辟中の費直と穢人今州利を使いで送り
上質の銅二百旱で作った鏡を朝貢す。

この金石で503年は倭の五王雄略の後であり、継体は蘇我系台頭のきっかけとなるが
押坂宮を継承し百済王の朝貢を受けた、正統な直系であると考えられる。
継体は倭の五王外交を終わらせ、傀儡百済による中華文明吸収に転換する。

百済建国時より、百済人はその地を日本の前線の中、つまり辟中と言った。
百済王は、王子を日本に委託派遣し養育する習わしで、
百済宮廷には日本の進駐軍から辟中の費直が侍官として付いていた。

百済では日本本土のことは、ひのもと日下と言い、大王に対する卑字を避け、日十と記した。
日本国名の語源は百済人によるこの百済名の日下だが
日本列島から見たのでは日のもとは太平洋なので当然の話なのである。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 17:52:53.87
饒速日が日下でヒノモトと呼んだのが百済に伝わったのではないか
年代順だと継体天皇より饒速日の方がはるかに古いはずなので
0151日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 18:11:16.50
>>150
有史以前の後付けファンタジーと
歴史として確定できる西暦で、
502~503年で、
倭王武の雄略の後がヲホド王の継体である。

と、記録された金石文、
百済王斯麻が日本の王に贈った人物画像鏡が
偽造であるとかいう立証は不可能だろw

アタシは現代日本の古代史ファンの中学生だが
韓国朝鮮人の歴史認識は尊重する(嘘
0152日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 18:33:23.44
>>150
日本の古代の歴史の話にしたいのだがw

倭人伝の国名も同じだが、
自国が隣国から何と呼ばれるか?

が、国名であって、自国内に国名は必要が無い。
238年の筑紫21国が自称、邪馬台国と言う可能性は無く、
名も無い、奴国その他の連合なのである。

記紀の時系列は
神代を尊重した万世一系であってから
物部王朝、蘇我王朝、その他もろもろ伊勢神道であって

つまり、神社由来が記紀に先行するのは稀で
日本人は、みんな天照とか天帝の子なのである。

ウッセーナでヒップホップでも良いんだけどw
親を敬え、ってだけの話だろw
0153日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 19:37:15.13
伊勢神道の日本蔓延の話で
諏訪には地神が有り人間の神は存在しなかった。

ある意味で日本の神は、
人間に降臨する以外の
存在可能性は無い。

考古学も記紀基準の歴史も
本当の日本の古代史の話、
が、出来るのかね?
0154日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:02:43.58
>>145
そうですな

祭神は上書きされていますが

往来馬坐伊古麻比古神社とかどうでしょうかね
0155日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:21:01.27
>>147
確か男神のアマテルのほとんどは畿内だった気がする

延喜式だと
城下郡の鏡作坐天照御魂神社
城上郡の他田坐天照御魂神社
山城国葛野郡木島坐天照御魂神社
久世郡の水主神社の水主坐天照御魂神社
摂津の鴨下郡新谷坐天照御魂神社
丹波国天田郡の天照玉神社
播磨国の揖保坐天照神社

そして唯一の女神は対馬のアマテル神社
これ以外は基本的に殆どが尾張氏とその同族の丹波氏の祖神が祀られている

形式としてはアマテルクニテル彦ホアカリクシタマニギハヤヒ

一般論だと尾張氏の祖神になってしまうが、先代旧事本紀を知ってる人からすると、物部系ではないか?となる。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:26:33.62
>>140
確か昔は奈良湖があって開拓が行われているときは大和川の海側は金剛山系のあのV字棚のあたりに近いところでは無かったっけ?
0157日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:27:46.49
>>153
人間に知覚できる神など存在しない
神様が天から降ってくるなどあり得ない
0158日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:31:57.43
男神で物部由来なのに、男神であるアマテルが九州には無かった様な気がしてる。
勘違いであったらすまん
0159日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:33:03.43
天照は九州にも少ない
0161日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 20:37:37.17
>>160
>奈良湖ってw

奈良湿地な。  わははははは   @阿波
0162日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 22:34:13.84
>>159
となるとアマテルがやられちゃった方の神様になるという疑いが出てくる

ま、クニクルの代で物部の姫が輿入れし、女系物部の尾張氏が開化で、その子がヒコイマスであるからして、物部氏は親戚を倒したことにはなるのだが
0163日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 22:37:28.44
>>160
いや普通に奈良湖出てるぞ?
そんなにムーなのか?

奈良県HPにも出てくるし、そもそもが摂津三島家は出雲族が入る前から水田作ってた
三島ミソグイは、その水田の区割の杭から来てるとも言われていた気がする
かつての巻向はそのほとりにあったらしいぞ
0164日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 22:52:07.01
本当かどうかは知らんがこんな感じ
http://ikomashinwa.cocolog-nifty.com/ikomanoshinwa/2015/07/post-36cd.html

事代主の奥さんの実家が摂津の三島だった関係で国譲り事件以降に息子のクシヒカタが母親と共に里帰りし、奈良の開拓を行ったとある
カゴヤマはその後に丹後からヤマト入りしたらしい
金剛山系を挟んで東側には湿地を抜けると三輪山
故に鉄器などは平地からはまず出てこないと考えられる
御所市の中西遺跡はクシヒカタが入植する前からの時代の前三世紀からの水稲遺跡だったかと
0165日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 09:17:38.43
>>163
まさにムー
一時的に大和川出口が崖崩れなどで塞がって湿地になってたって話だろ
縄文時代にな
0166日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 09:28:16.83
>>165
奈良湿地な。  わははははは   @阿波
0168日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 12:23:34.40
>>165
あーそれそれです。
その湿地帯を奈良湖っていうらしいですよ

人の住めない湿地帯は正に開拓のターゲットとされた様です

オカボではなく水稲が人口増加と貧富の差を生むキーワードではなかろうかと

徐福渡来時代以前より奈良では水田が開発されていました。

佐賀の菜畑が前10〜5世紀でしたっけ?
時間的には問題ないですね

海部の先祖であるカゴヤマがヤマト入りする前から摂津三島家は豪族だったらしいです
0169日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 12:32:20.03
>>148
〉記紀信仰が有ると歴史が見えなくなる仕組みに嵌ってると思うよ

九州には古史古伝と地元伝承しか存在しないから記紀依存は九州説の特徴でしょ

そのくせ越智族や宇佐氏などの地元の伝承はガン無視だから笑える
0170日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 12:33:23.35
>>165
奈良県がムー気質だったとは知らなかったなw
0171日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 12:39:13.15
魏志倭人伝を正しく読むとだな

<中国側で得ていた情報>
帯方郡から南や東に水行7000里で狗奴韓国
海を渡り対馬、壱岐、末盧、伊都、奴国(女王の都)

<朝貢に来た倭人の説明>
帯方郡から南に航行20日で投馬国(半島南部)
さらに南に航行10日で邪馬台国(九州上陸)
20+10日=1ヶ月で女王に会えますよ
0172日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 12:43:58.61
>>170
奈良県ではなく、記録や遺跡が示す弥生時代の話に空想の縄文時代を絡めて話してるやつの脳がムー症なんだよ
縄文稲作を史実であるかのように語るやつ
0173日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 13:17:36.90
>>172
中西遺跡は日本有数の水稲遺跡だぞ
それはそれで単なる知識不足では?w
0175日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 13:32:32.28
ちなみに奈良湖があったかもしれないと言われてるのは1万年以上昔の事だぞ?
0176日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 13:56:22.68
>>174
弥生前期、水没前の時代。
0177日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:08:34.12
>>174

弥生期なので、開発が始まってどんどん埋まり始めた頃かと

https://www.asahi.com/sp/articles/ASMCL3HG8MCLPOMB009.html

金剛山も隆起してるとかウンタラカンタラ

徐福時代より少し前の、銅鐸が始まる前の水稲遺跡
三嶋は後年の呼ばれ方かもしれない
越智とも三島とも言われる一族が少なくとも事代主奥さんとして出雲に輿入れしているワケだ
0178日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:09:21.91
>>176
弥生以降に水没したなんて話聞いた事もない
それこそムーでは?
0179日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:27:34.97
>>178
知らないだけだな。
近辺の秋津遺跡(古墳時代)とは
時代に差がある。
唐古・鍵遺跡にしろ
近畿、東海、四国は
水害多い。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:43:26.71
>>180
弥生時代中期に「高地性集落の出現」
や地質学からだね。
0184日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:45:32.55
>>182
弥生前期だよ
0186日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:47:00.44
>>182
中期は水害だらけ。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 14:48:56.56
>>185
必死だな。規模的に弥生中期以降の
出土物が少ないんだよ。
0191日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 17:29:05.38
なんかごめん

奈良湖こんなに食いつきいいなんて思いもよらなかったのw
0192日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:00:40.27
奈良湖が話題になるのはそこじゃ無くて
神武の東遷で奈良に都を開いた? 
そんなわきゃ無いだろ? じゃないのか?

纏向が倭人伝の250年で良いんだけど、
それ以前は、まあ、0~200年とかで有史じゃないけど、
大阪京都神戸界地域に有った畿内豪族を中心に、銅鐸地域の
出雲、丹後、越、近江、美濃、尾張辺りが連合して纏向建国したんだろ?

それ以前から、奈良が開けてたか?
250年に九州筑紫がやって来て、魏の半島~東夷侵攻が明らかになって
畿内豪族が馬が無きゃ、防衛余裕の山奥の山都にすっこんだんじゃないのかね?
半島復興成立で脅威が去ったら仁徳以降で、また降りて来ただろ?
0193日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:14:32.88
前2世紀になる前に、先代旧事本紀ある様な尾張や出雲が奈良に入る前から田んぼ作ってたのが三嶋ミソグイらしいという事が注て欲しかったところ
0194日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:28:52.58
>>193
BC200からが銅鐸時代であって、つまり地域領主による国体が有るわけで、
神武は結局水稲耕作っと一緒にBC600 くらいには東征していなければならない。
で、倭人伝によって九州は統一されて無いんだから東征ファンタジーは没。

そもそも、天地創造の皇帝説は、始皇帝で終ってるんだが?
何で古代日本は、世界史で一番馬鹿の始皇帝の古墳制マネたんだ?

時系列はともかくとして、他国が有れば天地創造の皇帝は並立しないしw
まあ、明治昭和と言うか、戦国から現代に続いた歴史は尊重したい。
0196日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:46:20.55
>>195
記紀は663年の白村江海戦で
植民地であった百済を日本から切り離した辻褄合わせの話。

250年から500年辺りまで、安曇のような九州も同様に外国貴族の扱いだったが、
白村江以降は、完全な250年以降続く歴史的日本の領土となっている。

これを紀元前600年に遡るのが記紀の嘘だがw
記紀成立による古墳廃止盗掘の焚書で
250年程度から600年代の木簡はほぼ消滅した。

韓国が古墳の倭人遺跡を埋め戻すのは有名だがw
北朝鮮古墳からは、戸籍の木簡も出土した。
0197日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:47:21.29
神武が200年頃の人物だとすると話は変わる。
それ以前の銅鐸文化は三島溝杭耳か饒速日の王権のものだろという話になる。
0198日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:49:46.79
>>197
悪いが、銅鐸も「阿波」発祥だから。   @阿波
0199日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:49:56.68
ところで、登美の長髄彦って、三島溝杭耳の一族だよな?
イスケヨリ姫は姪っ子か?
長髄彦が大人しく饒速日を王として迎え入れたのは、饒速日が出雲の国譲りで勝った天神の孫で、長髄彦が負けた事代主の孫だからではないか?
0200日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:54:09.53
>>199
>ところで、登美の長髄彦って、三島溝杭耳の一族だよな?

神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。
『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。
「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。
徳島県板野郡板野町周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く集中し、
尚且つ、鳴門・板野古墳・黒谷川郡頭遺跡など特異な遺跡の密集地である。   
長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。   @阿波
0201日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:02:17.07
阿波の書き込みはどこまで本当かわからんが
登美の長髄彦が中臣家の祖というのは、語呂合わせとしては面白い
0202日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:04:12.94
偶然だろうけどね、ワカタケルの頃に暦が入ってきてるよね
そこから春秋暦で倍暦を元に戻すと前2世紀あたりになると思うよ

前六世紀は出雲の時代

あの頃の記紀最大の演出はスサノオを出雲の舅、母系の先祖にする事だったとエロい先生も書いてたね
0203日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:05:44.46
>>201
>阿波の書き込みはどこまで本当かわからんが

大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、本当かどうか分からんでも
どうでもよい話。  わははははは   @阿波
0204日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:06:00.58
>>197
>神武が200年頃の人物だとすると話は変わる。???

あたりまえだけど、それは歴史ではなくファンタジーでしかない。
神武と崇神と応神とであって、なら、300~400年までの記紀に存在価値はない。

400~500の倭の五王が時系列は担保されないが、
七支刀の仁徳以降で、雄略までの5代であることは評価できる。

雄略~継体~欣明~敏達~押坂、聖徳~舒明~天智
単純な男子一系であって、意味不明な記紀の歴史捏造は無視できる。

押坂彦人大兄皇子は皇孫天智の開祖である。 
聖徳はその弟でもあるが・・・

記紀を日本史の教科書とすることが間違っている。
0205日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:21:34.74
お前こそファンタジー
0206日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:30:19.19
>>203
阿波が状態的に大陸交流と言うのはなに?
関門海峡の瀬戸内海ルートに依存するが?

阿波は畿内朝廷の国内勢力からの避難地であって淡路島経由の、
船の乗り継ぎによって、国内からの攻撃に防衛力が担保されている。

もちろん阿波には吉備の上関、九州の下関を出なければ日本海は無い。
どうやっ場合で、阿波に250年の、半島外交窓口が成立するんかの?
0207日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:56:27.01
>>179
仮に水害が多いとしても人は暮らしてたから
0208日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:58:05.64
そりゃ何人かはいたけれど、栄えていたわけはないし、まして筑紫を頭越しに魏に朝貢?
ないないw
0209日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:03:26.17
>>206
>どうやっ場合で、阿波に250年の、半島外交窓口が成立するんかの?

よく読め!

帯方郡(沙里院市)
↓【南 或は 東】海岸水行7000里( 直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(巨済島)
↓海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(着岸地 上対馬町  出航地 厳原町)
↓【南】海渡1000里 (50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町  出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→猿田峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15km)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25km)1里250m
不弥国(千家)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(土佐国宿毛・太平洋沿岸一帯)
↓【南】水行10日 【又は】 陸行1月(旧土佐街道)
邪馬台国(女王之所都)(七万戸)(阿波国鮎喰川下流弥生後期集落群)
↓【東】渡海(紀伊水道)1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里 紀伊水道渡海→紀伊半島   

帯方郡(沙里院市)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   @阿波
https://blog-imgs-50-origin.fc2.com/a/z/u/azuminodiary/141102_photo_01.jpg
0211日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:08:55.59
>>208
遺跡があるから暮らしてたと言ってるわけで
0212日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:14:26.21
>>209
惜しいな
もうちょい東側だ
0213日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:18:31.96
>>212
お前には、まったく説明できん話ではある。   @阿波
0214日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:45:41.54
>>209

おいおい、帯方郡の場所が違うだろ。
そこは楽浪郡だ。
帯方郡はもっと南。
そこから東南で福岡だ。
そして福岡は会稽の東。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:11:04.89
>>199
長髄彦は崇神がニニギにされて神代に持ってかれてので引っ張られて登場してるだけの大彦の投影

物部嫌いの銅鐸祭祀の大彦が妹を嫁に出すことはない

トミノナガスネヒコとは言ってなく、トミ彦とか名乗ってたらしい
出雲系の血筋を大事にしてた関係で、物部と妥協したクニクルや開化とは別の道を歩むことになった

長髄彦と大彦が同一人物である話は蘇我氏の文書、塩竈神社、先代旧事本紀大成経にて言及されている

かなりマイナーだけど
0216日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:14:26.54
先述したが、大彦は中曽大根彦と言った

これが長髄彦と大彦に分けられ記述された

大彦系の因んだ地名は、曽根、中曽根、布施などが代表的

最後の銅鐸の祭祀の尾張氏(大王家)であった

その後は土に埋められたりしている
0217日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:21:25.82
>>199
〉ところで、登美の長髄彦って、三島溝杭耳の一族だよな?

村雲の血筋
男系が尾張氏(カゴヤマと物部のホヤ姫)
女系が出雲(事代主と、三嶋)
で始まった家系

倭国大乱期に敗れ183年に琵琶湖方面に撤退
息子と別れて北陸の三嶋を頼って新潟に

4大将軍は東征が一度に圧縮されて消されたので全てやられちゃった側の人物を誤魔化して書いている
0218日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:23:46.21
>>208
漢風諡号で言えば、孝のつく奴は朝貢してる可能性が高い
クニオシヒトは同じ時期の安帝に合わせてるらしいが

スイショウが、クニオシヒトである話は大正時代から昭和にかけて結構言われた話と記憶している
0219日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:26:37.66
>>200
登美はトミともトビとも読むが、それが出雲の事代主系の富家。
奈良での分家を登美家と言った

だから臣が付かない
0220日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:32:31.93
大彦はどういうわけか出雲を尊重していて、事代主妃であるヌナガワ姫に因んで息子にその名を付けている

沼川別だったかな?確か
阿部の本流は実は息子の方
摂津の三島にいた頃に近くの山の阿武山から取って、それ以降はトミの名を使わなくなったそうな
0221日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:33:39.38
クコチヒコだかククチヒコは魏書にも出てくるけど新撰姓氏録では大彦系だと出ているね
0222日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:37:07.11
>>194
〉倭人伝によって九州は統一されて無いんだから東征ファンタジーは没。

国としての体裁はどう考えても出雲が先でしょ
そこからヤマトに入植するんだから、九州からすれば東征だわな

何にもおかしなことはない

九州勢の二度にわたる東征で西日本は短期間ではあるが統一された
0223日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:48:59.75
東征しても、元の国が遠すぎて統治できなかった。
結局は植民地に分家が播種した状態。
だから日本は倭の別種。
0224日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 22:18:29.09
>>223
57年、107年の記述には登場しない
邪馬台国は倭の別種だよ。
0226日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 22:59:46.11
>>224

卑弥呼は別種ではなく正統な倭王だよ。
筑紫の君だ。
後に倭の別種である日本が倭を併合した。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 23:01:47.78
>>224

57年と107年に漢に朝貢した倭についての説明がこれ。

後漢書

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
0228日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 23:14:35.62
>>227
別 項目ですし
作者の私観があり
狗奴国については魏志倭人伝と相違がある。
0229日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 23:16:03.57
>>226
別種ですね。
107年以降に倭国になった元別種でしょう
0230日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 23:30:02.56
後漢書を持ちだすと畿内説の破綻ぶりが目に見えて面白いw
0231日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 23:33:42.31
>>230
ぜんぜん、狗奴国の字も
方向も違う。どこを想定しているのかな?
魏志倭人伝が中心なんでね
0232日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 01:29:46.41
>>230
伊都と安曇の説は尾張氏の話なのだからそもそもが畿内説
0233日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 01:31:19.79
>>223
日本別倭を作ったのは大彦勢と北陸蘇我の経済圏
0234日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 01:31:44.96
筑紫の出じゃん。
植民地ですよ。
0235日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 03:12:57.97
>>226
宇佐津姫は築秦国の出ではない。
築秦国は、物部の領域

男王の国が筑紫
0236日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 05:36:57.83
>>235
魏志倭人伝に筑紫はない。
0237日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:25:21.79
>>236
そういや、豊国や筑紫って後年の国名なんじゃね?
0238日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:28:51.35
倭と別倭は、大陸から見たら別の国だったというだけの話で、我が国側から見たら、勝った国と負けて遷都した国の違いしかないのでは?

そして尾張氏も物部氏も祖は同一人物であるホアカリ饒速日

血筋や家柄で区別するのは我が国側で、他国から見たら単なる勢力の違いでしか判断してないのではと思う
0239日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:40:26.88
>>238
倭奴国は昔から中国と交流のある独立した国家だった
ある日突然訪れた畿内の使者が勝手に統一国家だと言ってるだけだろ
この辺りは日本側の歴史とも概ね合ってる
その後船井の乱、壬申の乱を経て統一国家日本となったわけで
0240日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:52:05.29
>>209
銅鐸が出てきてる時点で出雲と尾張の習合地帯
0241日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:53:42.53
>>239
磐井の乱は大彦系による後年の話
磐井は大彦系だよ
阿部一族が九州に行ったのは本案件とは無関係
0242日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 09:57:54.33
>>240
銅鐸も「阿波」が発祥地。   @阿波
0243日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 10:04:15.05
旧唐書の倭国条の最後の記事は631年
日本条の最初の記事は701年
0244日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 10:07:49.36
>>243
>旧唐書の倭国条の最後の記事は631年
>日本条の最初の記事は701年

倭国は、7世紀までの「阿波」
日本は、8世紀からの奈良大和  だと何度言えばw   @阿波
0246日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 11:23:50.29
>>239
独立した国家とはなに?
どのくらいの範囲を想定してるの?
0248日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 11:39:49.57
>>245
「魏志倭人伝」時代の倭国は、「阿波」周辺の
せいぜい「邪馬臺国(粟国)」+「狗奴国(長国)」+讃岐+南部淡路島 程度だろう。   @阿波
0249日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 11:56:12.33
>>247
中国人はそんな細かい区切りわかんないって
地形や大きさを知らないんだから
0250日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 11:59:41.45
中国人には倭人在帶方東南大海之中依山?為國邑
こんなもんしか わかんないのよ
0251日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 12:02:46.92
>>242
阿波の住民の願望と考古学は別の次元の話
0252日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 12:09:39.94
>>249
筑紫はかつて築秦国といい、秦国系の国だった
これが2世紀までの物部王国の実態

分裂して別の親族が分国して、正統の雰囲気を出したくて秦国と呼んだ可能性の方が高いのでは?

大彦は大和から撤退した後の国名を出雲の大神に習ってクナト国とした。

これがクヌガ、クナ国に呼び方が変化した

魏書で朝貢した九州勢は自国をヤマトと嘘をつき、武内宿禰のオウキへの報告にある様に、クナ国と交戦中という話を最後まで信じきって大陸に帰国した

しかし実態は九州勢が、倭国大乱期の手打ちで物部が嫁に入った親戚の家である大王家を再び戦いを仕掛けて倒しただけの話
0253日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 12:09:55.65
>>251
>考古学は別の次元の話

銅鐸も「阿波」が発祥地。

「銅鐸」は、全国で約400個出土していて、徳島県はその約1割を占める42個が出土している。
銅鐸の出土数もさることながら、銅鐸の出土遺跡が29遺跡という、群を抜く圧倒的多さに驚かされる。
古代史上、重要視されていない徳島県で、なぜこれほど県内各地の遺跡から万遍無く銅鐸が出土するのだろうか?   
まさに、倭国(阿波)は、銅鐸王国なのである。   @阿波
0255日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 12:52:23.63
>>253
だから?
0256日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 12:57:14.96
>>253
兵庫県 56点
島根県 54点

ww
0258日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:05:52.57
「徳島県出土の同范銅鐸」

川島銅鐸(吉野川市) - 加茂岩倉遺跡銅鐸(島根県雲南市)
伝脇町銅鐸(美馬市) - 荒神谷遺跡銅鐸(島根県出雲市)
安都真1号銅鐸(徳島市) - 種松山銅鐸(岡山県倉敷市)
伝榎瀬銅鐸(徳島市) - 山町銅鐸(奈良県奈良市)

倭国(阿波)から各地へ拡がっていった銅鐸たち。   @阿波
0259日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:07:05.47
>>257
一つの遺跡から大量に出土しただけ。   @阿波
0260日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:08:44.04
>>259
だから?

普段からやってる捏造の手段の自己紹介だろ?w
0261日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:11:25.43
>>260
「倭人(阿波勢力)」が持ち込んで、一つの遺跡から大量に出土しただけ。   @阿波
0262日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:17:07.74
加茂地籍がある徳島で銅鐸が出たんだそうですよw

出雲系の文化圏のご紹介お疲れ様ですww

銅鐸はホアカリ饒速日が出雲定住の際に大国主に差し出した、のちの神宝の一つだったらしい
程なくして出雲は銅鐸を宗教祭祀に取り入れる

大陸に戻り再び来日したホアカリ饒速日は、北九州においては早期から銅鐸を作らなくなり、大陸由来の鏡を祭祀のシンボルとした自前の宗教を始めた
出雲の祭祀を見て思うところがあったのであろうか?

故に、九州では鋳型は出るがモノが出ない状態が続いていた
やっと出たのが吉野ヶ里

この古いタイプのものは同じ鋳型のものは出雲から出ている

九州では古い銅鐸しか今後も出てこないと考えられる
多臣などの八井耳系と、阿部の領域以外は。
ただ、阿部が入ったのは後年になるので出てこないと思う
0263日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:19:45.43
徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
0264日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 13:19:52.10
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸
0265日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 13:21:50.19
>>262
銅鐸王国「阿波」の「名東銅鐸」

名東銅鐸は、弥生集落の一角から出土したもので、扁平鈕式という型式に分類されます。
高さ39.3㌢、重さは877.8㌘しかありません。
裾内部に突帯が一つあり、音を鳴らすための機能は備わっているのですが、使用した形跡はみられません。
「見る銅鐸」だったのでしょうか。
鮎喰川流域では「聞く銅鐸」も「見る銅鐸」も出土しています。

「阿波」における銅鐸のまつりが変化する様相を観察できる地域として注目されます。   @阿波
0266日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:22:54.27
これらは、鮎喰川流域の「聞く銅鐸」だろう。 後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)   @阿波

安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
0267日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:25:03.85
これらは、「阿波」の圧倒的特異遺跡群の一つに過ぎない。   @阿波
0268日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 13:31:31.22
>>265
結局銅鐸ってのはなんだ?
楽器?危機を知らせるサイレン?

小銅鐸は鈴のような楽器だったそうだが
0269日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 13:35:54.67
>>247
秦王国は小倉あたり。
築秦国?
その時の記事にはそもそも本州が出てこないのだろう。
九州北部は群雄割拠なんだよ。
0270日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 13:41:12.23
>>269
3世紀頃は馬も無く、広範囲を統治するのは難しかったはず
だから北部九州、吉備、出雲、畿内など個別に小規模国家が点在していたと考えられる
女王国の東の海を渡ると倭種の国があると書いてあるので、女王国=北部九州とすれば辻褄が合う
0271日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 13:41:18.32
>>268

中国の歴史ドラマを見ていたら、エンディングで普通に叩いて演奏していたよ。
見るだけ銅鐸は、アホな日本人が使い方を分からなかっただけと思われる。
0272日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:33:42.73
>>270
それにしては交易の範囲が広い
0273日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:37:28.74
>>272
文化の伝搬には膨大な時間がかかる
鉄器文化が浸透したのは弥生末期でもこの範囲だ

魏志倭人伝に倭人が「鉄のやじり」を使っている記述があり、この時代の日本には既に鉄器文化が到来していたことがわかります。
また、『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』

よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。

弥生時代の鉄器出土量
https://i.imgur.com/UKtbTwc.png
0274日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:40:02.15
>>273
鉄を掘ってたのは半島に居た倭人でしょう
0275日本@名無史さん
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2022/10/22(土) 14:42:34.66
>>270
>だから北部九州、吉備、出雲、畿内など個別に小規模国家が点在していたと考えられる

それらは、「倭人(阿波勢力)」が進出した地域に過ぎない。

幻想過大評価。   @阿波
0276日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:46:02.56
>>274
任那忌部だな。   @阿波
0277日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:46:34.63
>>267
数から言っても他のかつての出雲系の地域の方が圧倒的に多いだろ
まさか出雲が島根だけだと思ってるのか?w
0278日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:48:34.81
>>277
>数から言っても他のかつての出雲系の地域の方が圧倒的に多いだろ

なにが多いんだ?   @阿波
0279日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:55:14.93
>>273
九州を超える範囲とわかるな
丹後にも鉄、多いな
邪馬台国は近畿だね。
0280日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 14:58:29.84
女王国=北部九州〜近畿とすれば
辻褄があう
0282日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:00:03.43
>>280
>とすれば

妄想。   @阿波
0283日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:03:45.07
吉野ヶ里との関係から、実は出雲と九州に銅鐸の時間差が無いのではという事になっている

ホアカリ饒速日が、最初に渡来した際、部下のホヒに通訳させて、銅鐸の原型になるクヨウの様なものを差し出して、気に入らねば鋳直すと申し出たそうだ

持ち込んだのが彼らなら、当然に九州と出雲の銅鐸の文化差はほとんど無いことになる

それどころか一部では九州から銅鐸が伝わったのではと考え始める人たちも出てきている
0284日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:06:05.43
>>281
阿波説は伊都説と同じくらいのブラックホール
0285日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:08:21.50
>>283
>それどころか一部では九州から銅鐸が伝わったのではと考え始める人たちも出てきている

それは銅鐸王国「阿波」を知らない素人だから。   @阿波
0286日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:16:42.81
滋賀の銅鐸はでっかい
0287日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:22:26.59
>>286
もちろん、銅鐸王国「阿波」のもな。   @阿波
0288日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:44:01.37
阿波に関しては、わざわざネタバレした出土状況から、阿波起源説は一切出てきていない。

九州においては何らかの意思決定がなされ、銅鐸が他のものに鋳直されたと考える方が自然である。

和泉の紀元前後の遺跡では、初期の製鉄と共に小型の国産仿製鏡が出ているが、銅鐸とは共存していた時期があるにもかかわらず、九州では鋳型があっても本体が出ず、徐福時代に近い吉野ヶ里で出ている事から鏡や剣などに鋳直されていると考えられる

この時間差が魏書にも出ており、鬼道の鏡を臆面もなく皇帝におねだりするくだりに繋がる

当時の魏では威信材は国家承認の道教の鉄鏡に置き換わっていたから。

大型化した後年の銅鐸は、銅鏡と宗教的に違い取り残された存在であるとも言え、集団埋納していることからも、やられちゃった側の取り残された宗教とも考えられるのである

完成品の銅鏡を要求している段階で限りなく景初の卑弥呼は九州と考えられる
0289日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:48:17.83
出雲型銅剣には不思議な話があって、銅鐸は先に制式採用して出雲でも作ったが、銅剣に関しては、親戚の九州宗方を通じて物部の銅剣を手に入れたのでは無いかと指摘している。
出雲で宗教シンボルを変更した事に言及が為されている
0290日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 15:50:12.67
>>288
>完成品の銅鏡を要求している段階で

妄想の炸裂。   @阿波
0291日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:06:02.55
出雲においては銅鐸から銅剣へ
九州においては銅鐸から銅鏡へ(銅剣の位置付けは不明)

ヤマト三輪山では銅鐸祭祀に倭国大乱期かどうか不明だが、銅鏡が入ってきている
宗教戦争に関して何らかの共存が考えられる

特異的なのは大型銅鐸
後漢鏡とのセットでの出土がほとんどなく、琵琶湖以北や東海などでは三角縁神獣鏡以外の鏡は数が極端に減る
大彦や、ヌナガワ別の領域においては銅鐸祭祀を継続しようとした形跡が見受けられる

後漢鏡は破鏡として出土分布が東征とも言える範囲になっている

戦いの前に九州勢の威信材が変更になったのであろうか?
0292日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:11:13.35
ちなみに、吉野ヶ里の銅鐸は出雲からも出ている

残念ながら阿波では存在しない
0293日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:15:06.49
>>292
そこだけか?  わははははは   @阿波
0295日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:20:51.87
>>294
そう、とても古いタイプ
0296日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:23:01.37
>>293
忌部は中臣に飛ばされたかもしれない氏族で。最初からそこに居たのかすら怪しい一族

安曇や卜部と同じく辺境に飛ばされた組にしか見えない
0297日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 17:27:08.01
>>296
忌部も中臣も安曇も卜部も

もとを正せば、みんな「倭人(阿波勢力)」だ。 細かいことだ。  わははははは   @阿波
0298日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 18:54:19.75
外縁付鈕1式銅鐸は前二世紀〜一世紀とも言われる古さのもので、まさに徐福時代、吉野ヶ里時代のもので他から持ってきて埋められた様には思えない遺物である
0299日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 19:10:29.30
>>298
銅鐸王国「阿波」のものは、吉野ヶ里の銅鐸よりもっと小銅鐸だよ。  わははははは   @阿波
0300日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 23:52:57.57
前3世紀から2世紀にかけて我が国にもたらされ程なくして国産化が開始されたとする青銅器

これは作れる人間も一緒にきたことを意味するのかもしれない

渡来を示す一例と考えられる

我が国の歴史上特異な出来事と考えられる現象
0301日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 08:19:07.96
>>300
>渡来を示す一例と考えられる

大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、当然の話。   @阿波
0302日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 09:15:42.98
紀元前7世紀BC660だとどうなのか?

大陸の史書に穀物を運ぶ大型船の話が出るのは後年の事である

更に抜粋
春秋期(紀元前770-476年)、戦国時代(紀元前475-221年)の3つに分かれています。 それは部族社会から封建社会への変化の現れです。

 この時代には主な哲学や宗教が出現し、特に儒教や道教などは後の中国の信仰の礎となりました

国名としては商の時期であろうか?
小規模な移転はあったかもしれないが渡来と呼べるものがあったかどうかに関しては疑問符がつくのではなかろうか?
国としての形や何より道教が発生した時期であり、我が国側で権威として根付くには時間が足りない気がする
0303日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 09:16:37.32
何より地名が秦国系を思わせるモノより古そうなのが見られない気がする
0304日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 09:23:40.80
渡来自体は数次にわたって行われていたことは間違いないだろう。
わざわざ主張するほどのことでもない。
0305日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 10:19:10.71
>>304
その渡来人の中にホアカリ饒速日が居る訳で

海を渡ってきたのか天から降ってきたかは知らんか元から居たわけでは無いことは明らか
0306日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 10:40:33.74
>>305
まぁ、少なくとも「魏志倭人伝」の時代は、大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、

渡来の時期など、どうでもいい話。   @阿波
0307日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 10:41:15.80
青銅器が宗教に関係するのであれば前二世紀前後の渡来者は短期間の内に国家みたいな集合体を形成した事になる
0308日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 10:44:00.62
その昔は短期間なのかは不明だが銅鏡か銅剣におき替わるまでは銅鐸で溢れていたのかもしれない
0309日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 11:13:05.73
>>305

高天原の出じゃないのか?
高天原の一族だからこそ王になれたわけで。
0310日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 13:22:05.35
>>309
記紀は畿内で編まれたもの
根拠となるものは何もない
強いていうのなら魏書があるだけ


そもそもの高天原は当初は別の場所だった
延喜式の大祓に出ている葦原の中つ国は、石見の柿本人麻呂の実家の近くの地籍名だった
それが次に三諸山になり、次に高天彦神社のあたりになり、最終的に九州に変えられた
0311日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 13:34:38.73
それは後世の畿内視点の説に過ぎない。

高 高貴な、祖先の
天 アマ、海の
原 国邑、環濠集落、城

原が集落を意味する九州特有の地名ことを知ると、見方が変わってくる。
そもそも九州の地名なのではないかと。
そこに加えてその首長が筑紫で生まれたアマテラス、つまり海の王。
アマテラスが大国主と対比される名前であるなら、海幸山幸と同じようなものなのではないか。
さらには天神地祇も、海の神と陸の神、ここでいう神とは王のことだが、つまり陸海のそれぞれの王ということになる。
アマテラスとは海神族の王の名である。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 13:40:38.78
では高天原とはどこなのか。
アマテラスが筑紫の生まれで、大国主を倒した後に孫を筑紫に送り込んでいる。
その孫を守護したのが宗像氏族であることを考えると、高天原とは沖ノ島が有力候補になるだろう。
沖ノ島を聖地とする岩上祭祀こそ、筑紫と大和の大半の氏族の祖先であるアマテラスの磐座における祭礼と位置付けることができる。
0313日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 15:28:37.65
記紀を信じるのか信じないのかはっきりせえよ
0314日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 16:04:50.99
>>313
九州説は記紀依存を依存という認識なしに行えるから笑える気がする

それなくなったら魏書くらいしか残らない

今更伝承や神社由緒は否定済みだからそれにも逃げ込めないw
記憶を覚えてるやつなんていないとまで言い切ってるw
0315日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 16:08:20.35
>>314
まぁ、少なくとも「魏志倭人伝」の時代は、大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、

記紀など、どうでもいい話。   @阿波
0316日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 16:17:54.55
高天原なんて存在するわけねぇだろ

それを畿内の書物で書いてもらったのが相当嬉しいんだなw

空飛ぶ船や天孫が空から降ってきたんだって?
よかったな書いてもらえてww
0317日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 16:19:54.96
>>311
根拠なし
記紀依存の妄言でしかない

畿内で作ったものが畿内視点にならないわけがない
頭おかしい
0318日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 16:27:13.07
万葉集には記紀編纂者の実務の二人がとうじょうする
柿本人麻呂
山辺赤人(太安万侶)

万葉集に高天原が九州だなんて歌なかった気がする
それだころか記紀では出てこない秦国系に近いとも考えられている富士山は出てくるのにな
0319日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 17:04:24.58
卑弥呼=ひめ 呼(←これはまだわからない)

ひこ(卑狗)、ひめ(卑彌)

しっかりとヒメヒコ制度有り

247 日本@名無史さん sage 2022/10/18(火) 21:03:29.88
ちなみに、卑弥呼の「卑弥」は「ひめ(姫)」と
9割方、紐解きましたw

卑弥弓呼から調べて、答え出しましたw

卑弥国=ひめ国ってことね
0320日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 17:28:42.45
>>319
卑弥呼は鬼道系の共立王であって世襲の姫では無くないか?
ヒメヒコ制度が何か知らんけど、女王は姫とは言わないはずw

王統の女がヒメで、男はヒコと言うのは有ると思う。
でも、卑弥呼は九州ローカルの王以前の地域王だし?
0321日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 17:32:34.83
高天原の「高」は美称

天原は、どこか?

644 ニューノーマルの名無しさん 2021/07/13(火) 12:04:21.18 ID:EYApAmaG0
高天原は、どこにあるのか?

魏志倭人伝より、壱岐が
魏志倭人伝だけ


大 → 天
國   國

もう陳寿さんの筆法で、答え出ちゃったねw
0322日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 17:38:41.11
>>320
当時の中華読みは「姫(キ)」だから
「卑弥呼」は名前だと思ったんでは?
0323日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 17:43:27.93
>>312
高天原って神話の天上での話なんだから記紀は記紀内で自己否定しないだろw
神社伝承のようなもんは、地域と始祖神、神道の神々が混同するのが伊勢神道の方針。

諏訪神みたいのは地神の諏訪神であって、タテミナカタとか来ても話もしないだろ?
淡路島創ったとか? 阿波に通じる道なんて日本史板じゃ迷惑なだけだぞw
ああ、神道神話作ったのが、阿波にすっこんだ斎部だ、ってのは判る気がする。
0324日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 18:03:48.61
>>323
まぁ、少なくとも「魏志倭人伝」の時代は、大陸と「阿波」が常態的に交流していたんだから、

淡路島創ったとか? 阿波に通じる道なんて、どうでもいい話。   @阿波
0325日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 18:06:05.23
>>321
日本海ルートの海神が壱岐を経由するというのは
特に帰路に関しては考えにくい。

出雲などの日本海ルート諸国は博多湾に入らず
宗像から沖の島を見て対馬に渡り東岸から釜山に入る。

九州は博多湾から糸島、または有明海側なら五島、呼子
から壱岐に渡って、対馬に渡る。 

半島側にも熊本、筑紫独自の港があるはずで
筑紫についてはその北岸は狗邪韓國、弁辰狗邪国である。

これは、韓方可4千里のうち、歴韓国で乍南乍東の後、
3千里東へ航海した、対馬西岸直近にある筑紫域国の植民地の港。

これが倭人伝から当時の渡海方法について考察可能な情報であって
つまり、倭人伝は、博多湾ベースの筑紫域21国の話なのです。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 19:02:24.73
>>307
日本の青銅器時代が200BCで、突然銅鐸自作から始まる。
と言うのは、それが国内生産では、在り得る話では無いと思う。

武器や農具、食器から始めないで
なんでいきなり楽器作る?

弥生渡来人説と言うのがそもそも謎だ?
人類の文明化で、最初にチンドン屋が必要なのか?

同様に渡来人がなんで九州から突然諏訪のような
米も出来ない高冷地に遺伝子持ってくるんだ?

多分信仰資材の銅鐸と同様なものが近隣諸国に無いのに
青銅器生産技術と生産労働奴隷を一緒に連れて来る?

いくら縄文海神が人さらいの常習犯でも
高句麗馬の移入時の馬と牧童の同時誘拐のような、
輸送手段が出来た後の時代の戦争でもなきゃ無理。

山田長政でもカヌーで戦争して、半島奥地で虎と戦争はできない。
まあ、大量の捕虜と戦利品を持って帰ったか? は知らん。 
日本人はみんなのらくろなのか?
0327日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 19:20:15.26
何が言いたいのかよくわからない。
少し落ち着け。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 19:22:28.55
銅鐸時代と言うのは縄文と同意なのでは?
遺伝子的に既に弥生人化?

倭人伝論争の250年には古墳時代に突入で良いわけで?
縄文人に銅が有っても、自作の銅鐸、鐘以外に使用法が無い。
古代日本人は、何故銅鐸を優先的に作ったか?

古墳に必携の銅鏡ほど需要無いよね? 鏡、信仰は知らんけどw
縄文系の日本領民には鳴り物が面白かった、からかなwww

鉄や銅は、叩いた音が良い?
そっちが先か?
0329日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 19:27:40.36
>>327
>何が言いたいのかよくわからない。

まぁ、そうなんだが、簡単に言えば

「魏志倭人伝」の時代は、大陸と「阿波」が常態的に交流していたってこと。   @阿波
0330日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 19:34:39.32
銅鐸は意外に古い
定住したことであれを鳴らす必要があったんだろう
0331日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 21:02:27.72
銅鐸は弥生時代。
九州北部の銅鏡銅矛と同時代だが、銅鏡銅矛文化に塗り替えられた。
まあ、楽器vs武器ではね。
最終的には西日本どころか東日本も九州北部の銅鏡を祭る文化が列島を制覇した。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/23(日) 21:41:27.61
>>331
>九州北部の銅鏡銅矛

それらは、筑紫忌部がもたらしたもの。   @阿波
0333日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 00:04:36.90
吉野ヶ里遺跡から出土の同型から
作った銅鐸が島根から出土されている。
伊都国は出雲に移動した?
0334日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 00:47:13.62
>>333
移動なんかしないって
専業の軍隊なんか居ないだろうし
0335日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:09:52.76
先代旧事本紀にある様に普通に物部と海部の先祖が同一人物であるだけの話

だから同時期に銅鐸の古式のものが存在する

伊都などその時には存在すらしていない
0336日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:15:07.26
>>331
もうここまで来ると単なるメンタルだなw
0337日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:22:23.24
取り敢えずここにいる奴らは延喜式の大祓すら理解していなかったことはわかったわ

豊葦原の中つ国とフェイクを書いたが、正しくは葦原の瑞穂の国だ
瑞穂の地積が石見の国、戸田の綾部人麿の生家の近くの地名だった
葦原の瑞穂の国はのちに日本を示す代名詞になった

万葉集3227
芦原の瑞穂の国に手向けすと「天降りましけむ」五百万千万神の神代より言いつぎ来る神名火の「三諸の山は」・・
最初に人麿が書いた古代史の下書きは古事記に似ていたが降臨地が三諸山になってた

それがのちに九州に変えられた

九州高天原など適当に決められた設定に過ぎない
0338日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:26:39.28
>>326
〉日本の青銅器時代が200BCで、突然銅鐸自作から始まる。
と言うのは、それが国内生産では、在り得る話では無いと思う。

青銅器は合金の技術で、渡来や交易が前提の金属

錫と鉛は当時は我が国では手に入らなかった
吉野ヶ里では錫石からではなく、インゴットの状態で錫が出土している

当時青銅を作れたのは出雲と九州のみ
その後、丹後から海部が大和に出雲の後に入植し、ヤマトでも製造がされる様になった
0339日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:30:02.83
九州高天原は、畿内視点で畿内の都合で決められただけのテキトー設定
0340日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:36:38.52
万葉集4465は大伴家持が読んだ歌で高千穂が出るが後年のもの
記紀成立後に詠んでいる
0341日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:43:22.32
>>335

物部と海部の祖は畿内に降臨した天孫饒速日。
一方で筑紫に降臨したのがその弟の天孫邇邇芸。
その場所が筑紫の日向の高千穂つまり伊都国の高祖山。
つまり伊都国の成立は饒速日と同時代ということになる。
0342日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:46:46.22
>>339

テキトーなら阿波でも出雲でもよかったはず。
なぜ筑紫だけ特別なのか。
それはそもそも稲作や青銅器の文化が上陸して弥生王権が最初に成立したのが筑紫だからだよ。
大和視点で記紀がまとめられるより何百年も前のこと。
0343日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:47:39.12
出雲王権の祖であるスサノオすら、筑紫の生まれとなっているし。
0344日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:52:54.27
>>331
東日本は物部嫌いの阿部の領域

大和側で作った国産鏡である三角縁神獣鏡以外の古い鏡はほとんど出ない
大和側は九州勢が朝貢して鏡を魏国から貰ったことを知っていた
密かに両軍と通じていた武内宿禰により魔鏡と大型化が可能になった三角縁の技術で短期間に大量に作られた
最初の原型は大陸産原料で10面作られたそうだ
武内宿禰は、景初動乱の際に九州側から大和側に鞍替えした
故に三角縁神獣鏡は、ヤマト側の多臣家や阿部系の領域と思われる地域以外では九州ではほとんど出ない

磯良の墓とも言われることのある宮地嶽古墳の神社も旧社家は阿部系
0345日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:54:22.57
>>341
天孫降臨という畿内視点に依存する九州説の滑稽さは傑作だなww
0346日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:56:59.34
>>343
スサノオは突然出現し、一度朝鮮半島に立ち寄った後、こんなところは嫌だと日本に来ている
後年の神功皇后期以降の大陸と半島の渡来人の混同を利用して書かれているが、先代旧事本紀のホアカリ饒速日と同一人物

だから築秦国→筑紫になった
0347日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:58:35.38
>>342
記紀編纂時の当時の左大臣が石上だったからに決まってんだろ

天武の時の帝記が纏まらなかった轍を踏まない様にする必要があったのだろう
0348日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:02:29.02
太安万侶やタテカシマの家系の鎌足や不比等は八井耳系なんだから最初は磐余に宮を構えた村雲に合わせて畿内を高天原にするのは当然だろ

そこを外したのは物部氏に対する配慮でしかない
阿波は大王家から外れた阿部の領域だから書くはずがない
0349日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:08:17.27
>>344
それなのよ
考古学だと東日本と結び付きがあるんだけど文献には出てこない
0350日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:15:38.09
>>349
三角縁神獣鏡の原型は、実は魏ではなく、後漢の旧領の呉の国の鏡
三角縁仏獣鏡。呉は仏教の国
蘇我家は武内宿禰より前から呉とも通じていた
後漢が滅んだ事により呉から鏡職人を引っ張ってきたが、物部と豊国の連合が魏に朝貢してしまったので武内宿禰の手引きで四国南ルートを通って職人がヤマト入りした
ヒコイマスや賀茂氏が大量に買い付けたらしい
0351日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:22:02.77
>>350
前方後円墳もそうだし北陸から勾玉管玉が大量に入ってきてるし
0352日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:24:33.59
景初以降は、実質負けた国が東日本(ヌナガワ別とトヨの兄である豊彦)と北陸(蘇我と大彦の子孫)が、経済圏を作ってた
だから三角縁神獣鏡は、栃木も相当出てた筈だよ
常州上系野の竹葉瀬君が神功皇后に密かに呼び寄せられ、信濃から新潟の清水峠辺りを超え、越知の助けを借りて日本海側から大和入りしたのではという説がある
宇佐氏は、ほぼその話を後年に聞いて神宮の祭神を変えた
それまでは姫大神(宇佐津姫=景初の卑弥呼)を祀っていたがそれをニノ段に格下げ
応神を祭り、姫大神を記紀服属で宗方神と曖昧にした
故に、崇神の子である男系物部豊彦を神武の子供として公開している

宇佐神宮が、本来真ん中にあるべき本殿が、ニの段になっているのはそういう事情
0353日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:28:31.16
>>351
律令時代には中臣家が中央構造線を中心にして那珂郡を設置。両端に鹿島を置き、海部を設置
その頃には志賀島神社に鹿の神事が伝わったと考えられる
その際に地方に飛ばす理由として安曇を辺境に追いやったが、何の利権かというと水銀

そして、仏教などで対立していた蘇我氏は、ひとつだけ隠していた利権があった
それが糸魚川の翡翠
あそこには那珂郡が置かれていない
0354日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:33:30.58
>>351
実は、蘇我家は先祖である武内宿禰を出雲で最終的に匿った事ですごく出雲を大事にしたそうで、大国主家系(神門臣家)の古墳にも資金や人足を出している
しかし、当の大国主家計がなぜそんなにしてくれるのか理解していなかったらしく、出雲式の古墳にしてくれと注文できなかったのでそれで前方後円墳になってしまったそうな
ま、匿ったのが事代主の富家だったから事情を知らなかったらしい
0355日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:34:19.07
>>345

天孫降臨は筑紫を舞台とした伝承であり、畿内視点ではない。
畿内にも天孫饒速日が降臨したが、後世の記紀では軽く扱われている。
それは神武が筑紫出身であるため。
0356日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:34:32.95
穂高神社のある上高地もかつては水銀の砂が採掘出来たらしいね。
0357日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:35:58.45
>>347

天孫饒速日が軽く扱われていることと矛盾するだろ。
石上の祖なのだから。
0358日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:37:47.63
>>355
〉天孫降臨は筑紫を舞台とした伝承であり、畿内視点ではない。

悲壮だなw
作ったのは畿内側の役人なのにそこだけ九州視点のはずだと願望を垂れ流しww
0359日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:41:01.71
>>357
物部は記紀では隠されてるだろ
景初の朝貢組だからな

日向三代の系図は豊玉姫旦那に崇神を当てはめると豊彦が物部男系になるんだよ
ついでに左に来る最初の東征の磐余彦も物部

軽く扱われているどころか隠したいのにわざわざリスクを選んで配慮している
0360日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:43:29.95
日向三代の系図は、物部のナギサタケと、宇佐との後妻の子供である豊彦が、ウガヤフキアエズに当てられている事がわかる様に作られている
0361日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:43:52.13
実名を出さないなら隠しているということじゃん。
0362日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:45:16.87
>>354

ところで、なぜ武内宿禰を匿った?
何から匿った?
最終勝者に見えるのだけど?
0363日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:46:57.74
同一人物ホアカリ饒速日は、出雲で大国主から嫁さんもらった時は最初のホアカリの和名を名乗った
故に丹後の籠神社ではホアカリが系図に出る
一度大陸に戻り再来日した時は宗方から嫁を貰い名前を変えて饒速日になった

同時に名乗っていた名前ではない
0364日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:52:09.29
>>362
物部を裏切ったから。
景初動乱では垂仁ことイクメが奈良を支配したから。
だから出雲武内神社に来る前にはバス姫からの連絡で刺客を交わし、出雲に逃げ込んだ
出雲からは、景初年号の入った三角縁神獣鏡が出ているよね。
弟の額田宿禰の子孫が古墳を作ったらしい。
故に出雲では宇治地籍が残る事になった

その際に宿禰性を名乗らないことと引き換えに出雲から嫁さんをもらった事で臣姓になった

だから蘇我は、whki見るとわかるけど臣姓と出てる
0365日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:53:41.29
日向三代こと伊都国の筑紫王家の正体は物部氏?
そうすると列島は東西ともに物部氏の国になってしまう。
さすがにおかしくないか?
豊国くらいならまだしも。
墓制も何も違うではないか。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:54:18.68
>>362
最終勝者に見えるのは、子孫の西都原にいた九州の水軍を掌中に収めていた武内襲津彦がいたからだと思われる
三韓征伐の功労者だからね
0367日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:54:55.61
>>364

えー、ソースはどこですかね?
0368日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:57:25.77
>>365
物部の本拠は内陸に50キロ入った背振山系の吉野ヶ里だろ

後年に持統が、自分の先祖が物部を殺した事を気にしてあの近くに物部神社建ててる
しかし、記紀に隠された事により忘れ去られた
0369日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:58:03.17
武内宿禰は筑前一宮住吉の神と称される。
筑後一宮の高良大社も末社は武内宿禰を祭る。
つまり筑前も筑後も武内宿禰の国になる。
しかもその息子は応神天皇として即位する。
最終勝者と呼んだのはそういうことなんだけどね。
0370日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 02:58:45.88
>>367
その前に、出雲から景初年号の入った三角縁神獣鏡を確認する事

それと、武内宿禰がそんなに長生きするわけないでしょ
天皇じゃないんだからw
0371日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:00:34.28
>>369
襲津彦と神功皇后の子供が死んでしまったので竹葉瀬君が上州から呼ばれたんだよ

だから宇佐では不義密通の子として、豊彦の系譜と区別されている
0372日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:01:34.89
甕棺墓と前方後円墳という墓制の違いを超えて同じ氏族と言われてもねえ。
無理がある。
一部は正しいようにも思えるが、根拠に欠けるとしか言いようがない。
0373日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:01:48.29
>>365
昔は伊都なんて呼ばれてなかったけど、魏書には伊都の役人としてニギに近い名前が出てなかった?
0374日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:02:45.57
>>372
あたまおかしいw
古墳時代と紀元前が一緒になってるww
0375日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:06:54.86
>>373
出てるよ。
だから卑弥呼の先代王家は天孫族だと。
ただ、そうすると神武は倭国大乱の頃の人物だし、饒速日だってせいぜい1世紀頃。
籠神社の饒速日の鏡が片方は後漢鏡だったはず。
だから武内宿禰もそれほど長生きである必要はない。
0376日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:08:43.58
>>365
〉日向三代こと伊都国の筑紫王家の正体は物部氏?
そうすると列島は東西ともに物部氏の国になってしまう。
さすがにおかしくないか?
豊国くらいならまだしも。

全体の流れを俯瞰するのに長けたお方の様だ

ま、古墳は流行り廃りがあるから前方後円=物部ではありません
大彦の墓とも噂される将軍塚古墳も前方後円墳ですよ

ただ、イクメの次の景行の代で息子を東海から関東方面に派遣(タケル伝承)
自分は九州征伐で、徴税戦争仕掛けています

九州に行って景行は結局大和に帰れず、九州で父親の古墳を作ります生目古墳群
そこは実際には九州から出なかった崇神の家、イクメの実家の土地なんだそうです

九州には天皇陵があるわけです
0377日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:11:46.28
つまり、関東方面に富士山を信仰する感じの宮下文書(種本は寒川文書)、秦国系の一族は入り込んでいますよ
ただ、母系と父系があるので一概には言えませんが、秩父武甲山の修験道社家は守屋姓で、物部系です
0378日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:15:06.54
>>375
だから前から言っている

村雲、磐余彦、崇神に架空の神武が当てられていると。
物部の佐野命が磐余彦に当てられた
記紀の編纂者は誰が奈良入りしていたのかわからなかったらしく、ウマシマデを登場させている
0379日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:16:54.48
倭国大乱期から景初を消して、高天原を九州にしたら村雲は東征してないから当然消される
東征が一度で終わった事にされているから当然に崇神も曖昧にされる
しかし諡号ではネタバレでハツクニシラスをつけてある
0380日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:20:14.67
問題なのは崇神の消し方
ニニギにして物部と海部の先祖の辺りに遡らせた

だから戦った相手として180年代の大彦(長髄彦)を登場させた
0381日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:20:45.00
旧家の歴史にはニニギは一切出てこないのは時系列がおかしな事になってるから
0382日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:43:46.33
そうそう。
神武と戦った長髄彦は200年前後だよね。
そして景行は九州に骨を埋めた。
少なくとも部分的には自分の意見と一致するから、他もかなり正しいかもなとは思うよ。
ただ、本当にそんなに何人もの名前を習合していいものかは疑問が残る。
あ?
何人も習合したのは伝記の方なのか?
しかし分裂もしている。
0383日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 03:47:24.68
あと、秩父や武蔵は出雲系が強いのだと思っていたよ。
海辺は海神系だろうけど。
あ、海神系も物部なのか?

まあ、記紀の裏側にある本当の歴史を再構築するのは大変そうだな。
卑弥呼はどこに当てはめればいいのやら。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:07:12.79
>>338
>当時青銅を作れたのは出雲と九州のみ

当時青銅を作れたのは、銅鐸王国「阿波」のみ。   @阿波
0385日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:09:54.62
>>341
物部も海部もも天孫饒速日も天孫邇邇芸も
みんな「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw   @阿波
0386日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:19:27.41
>>383
東国の国造24の内、11が出雲や大彦系

神社全体で34パーセントが出雲や大彦系
中でも下野国64、武蔵国45%にのぼる
0387日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:22:41.34
>>383
〉海辺は海神系だろうけど。
あ、海神系も物部なのか?

集合した女系により名前が異なります

ホアカリ、タキツヒメ→尾張海部
饒速日、市杵島姫→物部氏

物部と海部が山幸彦と海幸彦。腹違いの家系
故に東征で先祖が同じみたいな話が出てくる事に繋がる
0388日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:25:55.79
関東の大陸から見た秦国は、阿部系なのか物部系なのかよく分からんのです
しかし阿部は尾張海部の系図なのでホアカリの子孫。
別倭とは主体がよく分からんのです
0389日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:29:34.34
>>375
〉出てるよ。

それは景初の話だろ
伊都なんて倭国大乱の初期にヒボコ族が播磨で尾張海部に敗れて敗走した先が後年に伊都になっただけ
0390日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:40:49.14
>>383
〉卑弥呼はどこに当てはめればいいのやら

宇佐氏は否定してますが、宇佐津姫が景初の卑弥呼です
ではなぜ否定するかというと、記紀服属で崇神を神武にして歴史を公表しているからです
倭国大乱を収めた卑弥呼と、景初後に死んだ卑弥呼は別人だから、違うと言っています

宇佐津姫は戦闘開始後に8年だかで亡くなります。
遺体は安芸国の厳島で仮埋葬され、後に宇佐に戻されています
姫大神は宗方神に上書きされていることが多く、厳島=イチキシマな訳です

大陸では年長大は35を超えてから。これとトヨの13歳を当てはめるとどうやっても景初の卑弥呼は倭国大乱よりも後の生まれにしかならない
0391日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:43:23.32
景初の卑弥呼はニニギにされた崇神の後妻さんだったので、取ってつけた様に豊国を冠して豊玉姫にされ、ニニギと一緒に神代にもっていかれ、竜宮伝説に
0392日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 07:51:24.58
なので日向神話の系図には、豊玉姫の旦那にミマキを入れるとウガヤフキアエズが豊彦に
豊玉姫の所にイチキシマ姫を入れるとウガヤフキアエズがナギサタケになる配置になってる
五瀬兄弟は物部氏
0393日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 08:02:46.62
>>382
〉神武と戦った長髄彦は200年前後だよね。

なので、東征してない神武である村雲はもう少し遡る事になるわけです
東征で消されているから欠史八代になる訳です
記紀では村雲は剣にされ、カゴヤマは山にされ消されていますので、丹後国庁に提出された海部氏本系図は、2代目のカゴヤマと、3代目の村雲が消されている訳です
注釈の系図を入れるとその二人が復元される訳ですね
0394日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 08:06:13.54
>>392
みんな元を正せば「倭人(阿波勢力)」 だと何度言えばw   @阿波
0395日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 08:07:21.52
フトニからクニクルのあたりで倭国大乱期
開化の後のヒコイマスで景初になります
ヒボコは紀元後100年代の渡来で、故に播磨風土記には神代の渡来と書かれています
開化の後に血縁関係をでっち上げて崇神を繋げて物部政権を大王家に組み入れています
実際には女系のヒバス姫で繋がる政権でした
0396日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 08:29:36.57
紀元前2世紀辺りから景初までの450年ほどは、かなり間伸びしています。
春秋歴で倍暦を戻しても寿命が長いです

実際には大王と呼べる人が全くいなかった時代があると考えられます

記紀の大王系譜には飛ばして全く分からなくなってる人たちがまだいると思いますがどの旧家にもその辺の話は伝わってないです
0397日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 12:06:30.92
>>362
ここは魏書からも窺える所なのですが、タジマノモリ(ナシメ)と、イサチ(垂仁)は銀のハンコ貰ってます。
武内宿禰(たいしゅうえつ)は、自分も欲しかったらしく自ら朝貢して魏の役人オウキに戦況報告をしていますが、無役に終わっています。
これが彼のプライドを深く傷つけたらしいです
さらに、自分より格下のヒボコ系のタジマノモリは八本の旗(属国旗)を受け取っていますので結構な決定打みたいな現象は魏書からも見て取る方ができます

それで密かに通じていた大和側に鞍替えして、九州勢に対抗した三角縁神獣鏡が大和川にもたらされ国産鏡として大量に製作、コピーされました。
あの鏡は他の鏡と違って魔鏡の磨き面が重要であったらしいです
太陽の光を反射すると象が現れます
月の女神の物部宇佐連合(筑紫と豊国)に対抗するシンボルとしては相応しい気がしますね
0398日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 12:10:31.21
銅鐸時代の対応地域に何らかの横のつながりが有ったことは間違いない。
王墓である古墳は各所に発生するわけで、統一大王が有ったことは証明できない。
最悪な問題は、記紀がボケをかましている、という事である。

吉備、出雲、丹後、越、播磨、畿内、近江、尾張辺りの豪族が有り
九州が参加した246年以降に首都機能の纏向が作られた。

九州筑紫豪族は倭人伝に見るように統一勢力とは言い難く
後に奴国が安曇になる可能性は高いが、
筑紫の君の始まり頃でも、中央豪族とは別の外様状態だったのではないかな?

これは半島諸侯、百済、新羅も同じような対応だったと考えられる。
国内王権は諸豪族が勢力を競い合う、後宮性治の源氏物語状態なのであるw

とはいえ、大王の存在は、370年七支刀の仁徳天皇、聖帝が初見であって
確実なのはその子が史書の倭王、讃珍済であると比定可能になってからである。
ただしこの七支刀の物部王権は、
人物画像鏡の日十大王である継体~蘇我王権に引き継がれたかは不明。

倭王が漢字名を名乗った400年以降有史のはずだが、
記紀はこの500年以降の直系天皇記までをもはぐらかしている。
400年以前がファンタジー以外に書けるわけがない。
0399日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 14:09:51.81
>ただしこの七支刀の物部王権は、
人物画像鏡の日十大王である継体から;蘇我王権に引き継がれたかは不明。
とは書いたが、人物画像鏡自身によって

癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加 宮 時
斯麻 念 長寿 遣 辟中 費直 穢人 今州利 二人等 取白上同 二百旱 作 此竟

意訳
503年8月 日下国の大王位をヲホド(継体)が継承し押坂宮に在った時に、
百済候王、斯麻は、大王の時世の長寿を念じ、辟中の費直と穢人今州利を使いで送り
上質の銅二百旱で作った鏡を朝貢す。

502年に遣使を送った雄略の後は503年にオホド王=継体が継いだ。
この時、継体が居た押坂宮は、雄略の母、父允恭の妻の宮である。
この事実に対し、継体が直系でないとする、記紀の記述は全く意味をなし得ない。

まあ、代々の王に伝授すべき仁徳天皇の七支刀が石上神社で出て
継体天皇の古墳から出るべき人物画像鏡が隅田八幡宮から出る。
本来であれば御所や正倉院のような皇室に収まるべきものが
物部社や八幡宮で出る、と言うのはおかしな話で、古墳の盗掘自体も焚書同様に
所有者本人の協力によって歴史の真実から消されたのだろうと考える。

倭人伝同様、わざとちゃんと読めない、ってだけなんじゃね?
0400日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 17:13:33.88
>>398

伊勢遺跡は豪族が集まる首都機能を持ちうるが、纏向遺跡にはそのような施設はない。
九州は統一されていないが、博多湾沿岸を征服した者が倭王として大陸との交易権を手に入れていた。
つまり博多湾沿岸の首長が倭王。
卑弥呼もその一人。
0401日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 18:25:20.54
>>400
しょせん、伊勢遺跡も纏向遺跡も洪水で埋もれた消滅遺跡。   @阿波
0402日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 18:33:01.37
>>400
ご教示感謝です。

倭人伝論争に拘泥しすぎて
纏向首都説に嵌っていたかナ?

200年までの畿内系最有力豪族は近江に有った。
これが出雲や吉備、越、尾張と合流したら
後の大和朝廷の中心になるという事かな?

それとも0~100年辺りで合流した豪族が近江に首都を築いたという事なのかな?
近江は青銅器や鉄器文明の発展のための日本海が無いんで、
出雲や丹後方面の海神国の内地開拓のための首都なのかな?

始皇帝や三国志の中国と違って? (神話的中国皇帝は実質始皇帝だけだが
皇帝、天帝と言ったって、弥生~平安の日本で軍事統一とか征服ってのは無理。
源平以降で天下布武は信長の統一からです。 
秀吉とか王なのに太閤とか関白とか? もうね。 日本王朝は万歳です。

弥生時点で各地の首長、藩主は、みんな後の戦国武将になるわけで・・・
薩摩琉球に至っては、パリ万博の幕末に独立国待遇要求しちゃうしw
0403日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:02:12.42
>>402

伊勢遺跡は大和でも畿内でもない。
考古学的には建築様式から、地理的にはその配置から、明確に出雲系統。
0404日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:05:15.18
基本的に弥生時代は大陸半島と直接交易できる日本海こそ発展した地域であり、筑紫、出雲、越などが倭人の主な勢力ですよ。
古事記でも神代の巻はこれらプラス高天原くらいしか登場しない。
0405日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:15:27.77
>>404
「阿波」だ。   @阿波
0406日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:25:55.99
>>403
纏向傾向でもある
出雲大社なんか存在しないんだから寧ろその傾向
0407日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:30:17.65
>>403
日本海ルートの出雲が畿内系の王朝に入る時
その植民地開拓の領地として近江伊勢が選択された。 
という事だよね?

ちなみに、九州安曇は信州にぶっ飛んで、
白村江で安曇野から消えた謎?の豪族w

古代日本の物部や蘇我? 
姓が出来たら中臣? 400年で甲斐には見える大伴前方後円墳?
日本王家の子孫は、日本の津々浦々に飛ばされたんだろう?

ソフバンのCMとか見ると
鼻くそ太郎みたいなの満載だぜw
0408sage
垢版 |
2022/10/24(月) 19:48:03.35
>>407

畿内系の王朝というのが妄想。
ちなみに記紀などでは、饒速日も神武もまずは大阪湾の日下に上陸している。
近江からのルートは使っていないんだよ。
0409日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:50:47.24
>>408
>ちなみに記紀などでは、饒速日も神武もまずは大阪湾の日下に上陸している。

それも妄想。   @阿波
0410sage
垢版 |
2022/10/24(月) 19:56:11.74
伊勢遺跡には、箸墓につながる要素が皆無。
年代もおそらく開きがある。
少なくとも、纒向は伊勢遺跡の後継ではない。
ちなみに記紀では、出雲の次の王権は筑紫の日向三代。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 19:59:58.10
>>410
>ちなみに記紀では、出雲の次の王権は筑紫の日向三代。

それも妄想。   @阿波
0412日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 20:12:23.41
九州日向三代神話は魏志倭人伝はじめ中国古代文献と整合性が取れるが

幼稚な昔話レベルの出雲はお話にもならないのが現実

日本最大最古古墳の西都原古墳群と出雲大社を学術的に比較しても出雲レベルじゃ役不足
0413sage
垢版 |
2022/10/24(月) 20:15:51.78
荒神谷遺跡があるから、出雲にそこそこの強大な勢力がいたことは間違いない。
0414sage
垢版 |
2022/10/24(月) 20:34:31.70
西都原は魏志倭人伝の投馬国。
都万神社は日向国の旧国府だからね。
しかし邪馬台国とは併記される存在、つまり邪馬台国ではない。
いくら人口が多くても、筑紫や出雲のように半島と行き来できなければ、倭人の中でナンバーツー以下に甘んじることになる。
0415日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 20:58:33.94
>>414
>筑紫や出雲のように半島と行き来できなければ

半島と行き来していたのは、「阿波」だけ。   @阿波
0416日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 21:09:09.58
半島に香港のように倭人が居留地をこしらえてたのは

倭国日本古代史を考察する上で重要な要素

つまり古代倭国時代から朝鮮人及び朝鮮半島は舐められていた
0417日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 21:47:05.79
>>416
>倭国日本古代史

つまり、古代「阿波」史。   @阿波
0418日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 12:20:18.22
>>412
〉日本最大最古古墳の西都原古墳群と出雲大社を学術的に比較しても出雲レベルじゃ役不足

よくわからんけど、そいつらの渡来が成功したのは元からいた一族が受け入れ側にだったからだろ

お前はアホなのか?w
戦いのみで自前で人口増やして征服ができるとでも?w

逆に大型の渡来者が来る前は九州なんざどしようもない地域だったろ

そうでなければ国譲りは九州で起きとるわw
0421日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 14:49:16.36
>>412
8世紀の杵築大社と古墳を比較してらw

時系列もクソも無いな
0422日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 15:03:02.76
渡来人は半島の様に小国が乱立している九州をガン無視して、出雲をターゲットにしたというところが重要な点
男系か女系かは不明だが、習合を示す記述はあるからな

高天原なんつー架空の存在などで自分を慰めている暇はないぞ?

ウガヤフキアエズに関する話も寒川文書を棚本にした宮下文書が中心で、九州には主要な傍系の古史古伝すらまともになく

後年の神功皇后期に後付けされたサイドストーリー磯良を史実であるかの様に考えるのが現状

一番当てにならない神社由緒伝承しか主だったものはなく、地元であるはずの九州宇佐の書籍化された伝承はガン無視

自ら首を絞める様なことをしておいて他の地域に侮蔑を向ける

流石だな九州説w
0423日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 15:16:13.57
倭国大乱期と、景初の物部東征の違いは攻め込んできたルートの違い

倭国大乱期初頭、丹後だかのヒボコ族のところに物部から使者が来て、大和攻撃を持ち掛けられるが、結局は騙されてヒボコの単独開戦になってしまう。播磨が占領される(150年代)
ヤマトのフトニは、領土回復戦争を起こし、尾張氏海部氏と共に播磨に進行
その勢いでなんと親戚の家である出雲領土への進行を行う
停戦の条件の一つが、出雲にある青銅器(銅剣)の提出
神戸家と向家は話し合い、神戸家の分だけ青銅器を出す事を決定

残りは土中に埋葬し、隠蔽する事になった

少し前までは当時の青銅器である銅鐸は、出雲の砂鉄とヤマトの完成品の銅鐸を交易で交換する形にっていたので「ほんの少し前に銅剣を祭司の中心に変更した出雲にヤマトが不快感を持っていた」

出雲の銅剣には目印がしてあり、神戸家と向家のどちらかのものか、区別できる様になっていた。

それが✖の刻印

銅剣の刻印は向家(富家)を示し、銅鐸の✖の刻印は神戸家を表していたらしい
0424日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 16:01:16.39
フトニと同じ頃の尾張家の別系統の皇子に大彦(中曽大根彦)がいた。
彼は大和で反乱を起こし、フトニをヤマトに帰れなくした。
フトニは吉備国を作り、出雲から奪った青銅器で新型の祭祀のシンボルを作る事になった。
瀬戸内海や四国北側が勢力圏内に入り、ヤマトの朝貢ルートが寸断される事になった。
吉備国も敵、出雲も敵になった。
平型銅剣の年代的位置付けは景初より前のものからになっているはずである。

葛城国が分裂状態になった段階を見計らって彦五瀬率いる物部軍が東征?を開始
瀬戸内海は通れなかったので、四国南ルートになった。
今でも物部川や、越知に近い地名がある

そこから紀伊川から上陸を目指したが、大彦、親戚の紀伊家の珍彦、名草により撃退される

上陸を諦めた物部軍は若山に上陸したがここでも昼夜を問わずの攻撃を受ける

熊野本宮大社は、古宮のあった中洲がかつての物部氏の陣地があった場所で

ここから加茂氏の分家の太田氏により物部氏が奈良まで引き込まれた
0425日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 18:01:02.74
桃太郎とか鼻くそ太郎級みたいな
神社伝承みたいな話ばっかしだけど?
どうすんのこれ?

伊勢神道は古墳時代と併用できてたのかね?
530年あたりの仏教公伝に先行して
各地の豪族が日本の神々を信仰させた。

これは伊勢神道に繋がる氏神であって、
出雲や諏訪みたいな各地の地神も統合したのが古事記だろ?

金石と中国有史で確認可能な仁徳から雄略天皇の500年までに、
古墳信仰の話はあるが、天皇祀る神社なんて、できるのか?

神社に伝承が必要になるのは、
日本史成文化での焚書疑惑満載の、記紀の成立からだろ?
聖徳太子、馬子の国書、天皇記なんて御経読めなきゃかけない訳で・・・

日本の有史は漢字名の有る400年倭王讃=雄略時代は確実。
父は七支刀を贈られてる仁徳=聖帝。

お宝満載の古墳の盗掘は、関係豪族自身がやったw
0426日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/25(火) 19:14:48.47
甲斐古墳、広開土王碑、古代の対高句麗戦争によって

日本に牛馬が搬入され、高句麗牧童による馬の繁殖が成功した。
これが、400年までに、という事が、史実となっている。

倭人伝の話が意味することは、
漢四郡の撤退313年までに、
この地域を倭人が越えることは無いわけだが、
公孫氏まで日本の青銅輸入の相手国は半島四郡の公孫氏なのである。

この公孫氏が238年に魏による滅亡。 
以南の韓は246年滅亡で王政は廃止である。
次は、九州だろ?

魏の侵攻対から防衛の為、九州は日本海ルートと統合した。
防人としての一大率がそれだろうが? 
倭人伝以降必要な防衛なのである。 
当然の歴史の道。
0428恐怖の朝鮮宗教(スピ壺カルト退治)
垢版 |
2022/10/26(水) 08:33:52.34
「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」「壺」

文鮮明の教え

■日本民族と日本の国は滅びても韓国は残さなければならないのだ。
■ここ日本の先祖たちが世の中で言えば怨讐だ。日本の国が怨讐だ。
■日本の現在の皇太子の夫人が何の種かわかるか? マフィアの後孫であるかもしれない。
■天皇も平成であるので、ひらなりだから・・・。
■平べったい天皇、無力な天皇だ。
■日本の天皇も捨て、その財産までも抜いてしまってアジア人とアフリカ人に分け与えると言える人になれと日本の女たちを一番多く外国人と結婚させた。
■日本のオモニが一番嫌うことをさせている。海外国家(日本)が生きることの道はその道以外にない。

韓鶴子の教え

■(日本人は)人間的に考えれば赦すことのできない民族
■(日本は)自分を顧みず全てを惜しみなく与える〝エバ国家〟

統一教会教祖「従軍慰安婦事件があったので、日本人の女は韓国の乞食と結婚しても感謝しなければならない。」
【統一教会】天聖経「韓半島は男で言えば生殖器」
「島国は女性の陰部」 「日本は夫である韓国に捧げなければならない」

聖本3000万円、説教本セット430万円、結婚式140万円、 先祖の呪いを解く儀式280万円
0429日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 09:52:11.04
>>425
〉桃太郎とか鼻くそ太郎級みたいな
神社伝承みたいな話ばっかしだけど?

ま、九州の様に公式なのものが一切ない地域とは厚みが違うという事でしょ
0430日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 10:11:27.42
倭と別倭の話になると、白山江以降、新羅も我が国と同じく歴史の改ざんをしている

我が国側のそれは白村江の戦いとは無関係?で行われた。黒幕はドウキョウ
奴により天照の女体化と、朝鮮系のウガヤフキアエズのあたりの改ざんがなされた

古事記も日本書紀に合わせて改竄されたのであろうか?
そもそもが編纂方式が書いてある方式と違う
0431sage
垢版 |
2022/10/26(水) 11:22:23.36
>>429

公式なものって何?
0432日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 12:04:47.67
>>431
ここにいる人たちに言わせると
神社の由緒、古史古伝、地域伝承、旧家の口伝、機内で編纂された記紀以外のものという事になるらしいよ?

それ無くしたら九州には何も残らない

大陸と半島の史書だけという事になるらしいよ?w
0434日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 12:23:41.79
>>433
自分で言ったことも守れない九州説w
0435sage
垢版 |
2022/10/26(水) 12:27:55.63
大陸の史書は九州のことしか書いてない。
0436日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 12:32:31.24
更に異常な伊都安曇説w
0437日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 13:00:14.03
>>435
wwww
0438日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 13:17:30.01
道鏡に関しては、姓名を世襲しようとして藤原から物言いがついていたな

物部系の連に加えて、臣姓を世襲しようとしてたんだよな


どこかのアホが天皇から任命されるものだとか吠えてたっけ

よくそんなデマカセが言えたものだ
0440日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 14:10:04.37
倭国と別倭の関係は、白村江の戦いの後に何らかの大陸からのハッキリしろ圧力がかかったのは、戦勝国の新羅も同じで、要は戦後処理の関係で相続とか、戦利の分配でハッキリする必要があったから新羅と共に歴史が改竄されたのではないか?

下手すると半島の三国志記なんて、金官カラの金氏、ナカ氏が書いたものかもしれない

だから新羅が紀元前57だかに偽装されてるのかもね
記紀においてもヒボコが海をかき混ぜるなんて話は天孫に通じるものがある

権益は失うが権利は残っているぞという意志の現れが記紀なのかもしれない
0441日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 14:15:16.22
でなければ九州から出たことの無いイニエをミマキにする必要はない
0442日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 14:46:47.11
偽装により持ってこられたのは朝鮮系のウガヤフキアエズ。
ウガヤフキアエズは、コヤネの系譜なのがもしれないが

任那=本国の意からすると、我が国は任那を使いコウモリ外交と都がそこにあるかの様に見せかける太宰府の様な本土防衛をしていたのかもしれない

不自然に繋がれたウガヤフキアエズの古代系譜は半島の系譜の可能性が高く、本来の我が国の歴史とは無関係の存在の可能性がある

この辺の曖昧さをつかれてハッキリしろ、戦後処理が出来ないんだからと言われた可能性はある

こういう構図は後々琉球でも行われていたから表向き朝貢して属国として振る舞う側面も後年まで続けられていたからな
0443日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 16:01:04.90
記紀の編纂者は、ただ単に景初の直前に亡くなったイニエをニニギにするだけではなく、ウガヤフキアエズの先祖にする事で利用価値を高めている可能性がある

当時の半島にいた一族は、物部、中津、そして宇佐(豊日国)なのかもしれない
0444日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 16:35:46.24
>>439
ですよねー。
まるっきり根拠となるものがありませんものね

それどころかスレのアホ主は、神社の由緒とか伝承は当てにならならないとか言いつつ八幡愚鈍を引用するなど、病気レベルの破綻を見せてますしねー
0445日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 16:59:46.26
秦国の主体はもしかしたら中津からもしれないな
新羅の元が辰韓の一領域で、秦国系
そこあたりの関係が、大陸と我が国に対しどちらに対して本国なのかは不明だが、任那=本国と名乗った
記紀からミマキを考えれば、国内のある一族から見大陸の古語にちなんだ呼び名とするのであれば、後年の渡来者の視点なのがもしれない
ウガヤフキアエズの領域が秦国と仮定するのであれば筋が通る
築秦国に対し秦国を名乗れるのは同じ秦の領域のものだけだ

寒川文書が種本の宮下文書はウガヤフキアエズの事が書かれているもので後年に物部だか中津だか区別ができないが、書かれている視点は大陸の史書からも秦国そのものである

そしてそれを隠す様に依頼を出せるのは当時はヒボコ系の息長家、黒幕の中津(中臣)、石上くらいのものだ

ウガヤフキアエズは、我が国側と、中津の利害が一致したから神代に遡らせたニニギの子孫にされ、昔から我が国に居たんですよという地位を手に入れた事になる

だから大手を振ってあんな変な王朝系譜を出せるのだろう
0446日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 17:17:19.77
九州は中津に乗っ取られ、我が国の政治は藤原に一時的に牛耳られたのかもしれない
その様に見えなくも無い

んで、九州にいた事もある一族が九州の邪馬台国を一緒になって消してるわけだ

それのどこが九州視点になるのかww
0447日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 17:42:15.79
>>443
どういう時系列の古代史なのかな?
>景初の直前に亡くなったイニエをニニギにする

?景初って卑弥呼の朝貢の239年辺り?
紀元前とかに、別の日本の年号が有るの?

ニニギって、2600年前の神武の御先祖? 神なんじゃね? 
年取らない神が御先祖って意味わからんけどw
天皇が神で死ななきゃ、日本史の年号も解りやすいんだけどね。

縄文海神以降で日本海ルートの日本で青銅の移入は200BCなんだけど
現実的には100~200年辺りには記紀で言う崇神が四道将軍出さないと
日本の国家形成の歴史は始まらないと思いますけど?
これ神話の焼き直しなの?

一応九州統合は、一大卒が有ったという、246~7年を想定できるから
これを記紀の大和朝廷に繋がる日本の皇室の始まりとしても良いけど
それ以前から、銅鐸圏=畿内、日本海、瀬戸内海、越、美濃、尾張、伊勢
の統合は進んでいたわけだけど・・・

歴史が完全に成文化されたのが記紀で、
神話はともかく、記紀が偽史ってのは日本の恥だよね。
0448日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 18:20:23.45
銅鐸圏は消滅した。
0449日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 18:43:52.63
>>448
多分古墳と言う大王墓の制作と徴兵と言う政策は同義。
戦争が無いなら、王墓でも作ってろw と。

富国強兵政策と言うのは、そういうものであって
倭人伝238年卑弥呼朝貢。
239年公孫氏滅亡。246年韓王朝滅亡。

九州が対魏防衛しないで良いわけがない。
これが、倭人伝であって、これを根拠に
伊都国とか一大率とかで、
筑紫には、後の大和朝廷中央政府との競合は
絶対的に必要だったのである。 歴史は必然が基本。
0450日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 19:13:59.85
>>448
銅鐸は、圧倒的な範囲で
宗教的祭祀の証拠と想定されるが
ある時期で突然消滅する、ことができる。

と、言うのは、古墳という信仰だが
その地域の絶対的王権が確立してた
墓制または政策の変更
って、事なんだとおもうよ。

まあ、日本神道ファンタジーと仏教公伝なんだがw
0451日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 19:56:42.95
高天原はどこか? → >>321

以下、マイ永平寺アーカイブより

648 ニューノーマルの名無しさん 2021/07/13(火) 12:08:07.14 ID:EYApAmaG0
じゃあ、根の国はどこにあるの?

根 = 木 + 艮

艮 = うしとら = 東北の方角

つまり、東北の方角に根の国はある

九州の東北方面には出雲がある

これも答え出ちゃったねw
0452日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 20:14:30.22
>>447
〉ニニギって、2600年前の神武の御先祖? 神なんじゃね? 
年取らない神が御先祖って意味わからんけどw
天皇が神で死ななきゃ、日本史の年号も解りやすいんだけどね。

縄文海神以降で日本海ルートの日本で青銅の移入は200BCなんだけど
現実的には100〜200年辺りには記紀で言う崇神が四道将軍出さないと

4大将軍は、全て負けてしまった側の人物が出ているだけ
ヨキコト選ぶの法則でそうなっただけの物部の敵方の人物

東征したからには当然に前からいた奴が居るんだが、東征が二度あったのに一度にされたから敵と味方が入れ替わっている

そしてそれは同じ祖を持つと書かれている

認識が循環して矛盾する様にわざと書いている

一度目は磐余彦が、先に住んでいた尾張海部の政権を倒した。尾張海部と物部は先祖がホアカリニギハヤヒ。
そしてイカガシコメがクニクルの嫁に入り、停戦になった
純粋な尾張海部の大彦は最後まで物部と戦い、乱立敗れ琵琶湖に撤退
奈良は、物部(四国南ルート)とそれを若山から引き入れた太田太根彦の政権になった
180年には大彦の撤退による大乱の終結と、巻向一式の土器が重なる
50年後、再び親戚の家を物部が宇佐と連合を組んでヤマトまで攻め込む(瀬戸内海ルート途中で宇佐津姫病死)クニクルの女系物部の息子である開化の次の代でサホヒコとヒコミチヌシが覇権争いで葛城国が再び分裂。東征の開始になった
物部は二度に渡り親戚の家を攻撃している
物部の血がつい最近入った家を物部が攻撃している
この認識が循環と矛盾を生む

だから倒した相手が先にヤマトにいるのに先祖が同じ状況をなんとなくグダグダでやり過ごし、大王になる
紀伊家は、カゴヤマが名前を変える前の五十猛を奉じる尾張と同格の分家だが、磐余彦の敵であったのに辻褄合わせで神武の味方にされている

とにかくニニギと長髄彦と豊玉姫をごっそり消して、崇神の時代、景初に持っていけ。
それだけで二度の東征が復元される
0453日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 20:33:21.80
カゴヤマと五十猛が別人にされて書かれたのは、設定の違い。父親の登場時期をかえて書くため

須佐男の子、五十猛の系譜が紀伊家
ホアカリ饒速日の子、カゴ山の系譜が尾張家と大王家

ホアカリ饒速日のままだと出雲の歴史を消すことができないので、大社宮司家の千家果安が、国譲り事件の首謀者であった話を消すために、新造の神である須佐男を設定してもらい、大国主初代の菅八耳の時代に遡らせ、大国主の奥方の稲田姫の旦那にしてBC660あたりに遡らせた
紀伊家は須佐男の方の直系にすれば別の家にできるのだが、紀伊家の珍彦が磐余彦の味方の様に書かれ、代数が飛び過ぎているが誰も不思議に思わない。敵と味方が入れ替わっている
珍彦は大乱期に磐余彦の兄と戦っている。

書かれている時代は違うが、須佐男とホアカリ饒速日は時代が同じ同一人物

大屋姫は五十猛が大年彦と名前を変えていた時の奥方で
物部のホヤ姫は、丹後で大年彦がカゴヤマと名を変えた時の奥方
同一人物+大屋姫→紀伊家
同一人物+ホヤ姫→村雲(大王家)
同一人物の家が村家の実家の尾張家
紀伊家は、村雲の家と同格の旧家

紀伊家の武内宿禰が尊重されたのはこの血筋による。
さらに彼は、イカガシコメの孫なので、出雲、尾張、大王家、物部の全ての血が入った人物であった

神武が饒速日と一緒に摂津からヤマト入りしたって?
馬鹿馬鹿しいww
0454日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 21:13:23.34
>>453
>さらに彼は、イカガシコメの孫なので

その「饒速日命」を祖神と仰ぐ「伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命」が日本で唯一、川島町で祀られ、
「饒速日命」の孫「天村雲命」が日本で唯一、山川町で祀られている。
これらが大河吉野川南岸に東西並んで位置するのも頷ける。   @阿波 
0455日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 21:18:54.44
忌部の郷の「伊加賀志神社」は朝廷から「大明神」の称号を送られている。  @阿波
延喜式式内社「伊加々志神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/10039623/
0456日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 00:13:59.04
九州説を取る人間で、旧事紀の同一人物、彦ホアカリニギハヤヒを知る人間は何故物部東征に思い当たらないのか?
秦氏のまとめ役となった「海部」は、その名の通り海人な訳だ
九州の物部が何故水軍を持っていなかったと思うのか?
再度来日した海部と同じ祖は、出雲の大国主第六代の次男であるアタカタスの娘、宗方家のイチキシマ姫を娶り、饒速日と名乗った。

確かに宗方も海人族とは言われているが、それなら出雲も海人族になろう

しかしどう考えてもそれは違う

物部氏は九州における海人族だよ。
0457日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 00:56:04.64
万世一系で九州から出たことの無いイニエが前政権の血筋にされたがもう一人重要人物がヤマトの血筋に変えられた。それが彦布都押信。彼は元々クニクルの血筋ではなかった。
本当の名は物部彦布都押。紀伊家から山下影姫を貰い、武内宿禰を設けた。彼の名は当時は物部武内彦であった。
九州物部氏の最初の拠点は筑後エリアでこの事は宇佐古伝にも出ている。
イニエがかつての西都原あたりに拠点を作った関係で九州卑弥呼がイニエの意思を継いで東征を開始する前には都万は数万戸を数える西日本の都になっていた。
当時の子供は母系尊重で妻の実家で生まれ、育てられるので武内宿禰は和歌山にも拠点を持っていた。
イニエに気に入られていた彼は宿禰を貰い、その後は物部宿禰武内彦を名乗っていた。

現代における真正武内文書が、物部尊重で書かれているのは大王家と繋がりが無く、母系がダイレクトに物部だったからである
0458日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:02:39.66
物部彦布都押が、尾張家の高千那姫と結ばれ武内宿禰の腹違いの弟として生まれたのが額田彦であった。
現在でも生駒の西方に額田地籍が残る。駅名にもなっていたと思う。
彼は山城国の宇治(紀伊家の珍彦は、宇治彦とも書いた)に移住した際に甘美内宿禰と改めた。
武内宿禰と額田宿禰が三角縁神獣鏡を作らせた。

額田宿禰は魏書に載ったので、ヌカダイと出ている。
0459日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:08:07.51
この額田彦も記紀の製作者は利用価値を見出したらしく、瀬戸内海を通らなかった大乱期のコースを二度目の景初動乱と一緒ににした際に、額田宿禰が上陸したルートを使い、架空のウマシマジを作り利用した。

記紀は磐余彦が奈良に攻め込んで神武になったように書いたが、その実態が物部氏である事を示唆している

古事記は最後にこう書いた
ニギハヤヒの御子ウマシマジが荒ぶる神を和らげ、従わぬものたちを除いた
0460日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:10:35.03
記紀の製作者は彦五瀬が毒矢にやられて死んだ後に誰が大将になったのか分からなかったらしい
名草の子孫の関係者は四男坊が奈良入りしたとし、武内文書では佐野命(サヌノミコト)となっているので、真正武内文書は、記紀の影響は割合受けていない様である
0461日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:13:42.73
>>102
>根拠なし原点もなしのホラ吹き
根拠は>>14にとっくに示しているが何か?w

>前の妄言はお前の使った完全一致検索でも朝が確定
相変わらず日本語が分からないんだなモンキーくんはw

811 :日本@名無史さん :2022/10/03(月) 00:19:01.42
>>727
お前の頭はモンキーかい
完全一致検索は「世間一般でそう言われているかどうか」の確認だ
五十迹手と五十猛の関係性は史料に基づいての推定だから全く異なる
こんな事も分からないとは本物のバカだなお前は

>恥を知らない朝鮮脳w
自己紹介乙w
0462日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:15:37.47
>>103
>こちらは、古史古伝「ですら」と書いてるのに
>いつのまにか古史古伝ばかりという話にすり替わってる
お前は脳内古史古伝以外に根拠らしきものすら提示できていないんだがw
他にも根拠があるなら早く出してみろよ負け犬

>相変わらず日本語が異常ww
>まさに被害者になる天才の朝鮮脳w
今日も自己紹介だけは得意な伊都チョン連呼くんでしたとさw
0463日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:18:21.69
>>104
>俺は軍勢などとは一言も言ってない
>イチイチ状況を捏造でもしなければ気が済まないのか?

倭に軍勢を送れないなら当然ヒボコ族とやらも存在できないわけだがw
自爆おつw
結局ヒボコが一大勢力であるためにはヒボコが倭人でなくてはならないという俺の指摘には何の反論もできないわけね

>自分と意見と合わない奴は、他人を平気で根拠もなく基地外呼ばわりww
>何処の馬の骨かもわからんやつに日本の歴史が決めつけられようとしてるw
そんなに何度も自己紹介しなくてもいいぞw
お前がキチガイなのはもう皆知ってるから
0464日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:20:07.73
>>105
>ヒボコは最初に出雲に行き、そこから出石に行ったことにより伊都、系になった。
その出雲にも出石にも朝鮮系の痕跡なんて無いわけでねw
半島から軍勢を送れなかったのはお前も認めたから、余所者のヒボコが大勢力になって伊都に流入するなんてことも起こり得ない
お前の自爆によりお前の説は崩壊しましたw
0465日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:22:52.03
>>107
>そうでないという根拠もない
いやお前は中臣家が渡来だと断言してたじゃん
やっぱり根拠ゼロの妄想を書き込んでいただけだと白状したなw


>お前の妄言は誰でも出来る後出しジャンケンに過ぎないw
俺がやってるのは「誰でも出来る当然の指摘」だよアホ
そしてそれに全く答えることが出来ない負け犬がお前
0466日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:23:28.81
>>108
前スレで教育してやったのにやっぱり日本語が理解できない伊都チョン連呼であった

811 :日本@名無史さん :2022/10/03(月) 00:19:01.42
>>727
お前の頭はモンキーかい
完全一致検索は「世間一般でそう言われているかどうか」の確認だ
五十迹手と五十猛の関係性は史料に基づいての推定だから全く異なる
こんな事も分からないとは本物のバカだなお前は
0467日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:23:34.27
倭国大乱期における賀茂建津身は実際には八咫烏では無い。
太田太根彦が実質二代にわたってヤマトの大王になった事を隠すため同時代の加茂氏を便宜上八咫烏にした
加茂氏は先代旧事本紀の地神本紀に出てくる天日方奇日方を初代とする登美家の第3代ミカヅチを奉じる鴨族であった
故に霹靂神社にある様な別雷神を祀る
建津身と同時代の別の加茂族が太田家で、現在の巻向の大型建物がある場所は現在でも太田地籍になっている
実は巻向遺跡は昔は太田遺跡と呼ばれていた。
彼の姉がモモソヒメで、鴨族世襲の三輪山の姫巫女であった。
太田太根彦は、三輪大君、息子の大御食持は神別みわべ大君や、津久帯兄つびたらしえと呼ばれた
0468日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:25:20.24
>>109
>お前の妄言より当の本人の証言の方が傾聴に値するのは当然のこと
はいはい熊沢天皇だねw
たったこれだけで論破される妄想乙
0469日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:25:55.14
>>466
〉五十迹手と五十猛の関係性は史料に基づいての推定だから全く異なる
こんな事も分からないとは本物のバカだなお前は

負け犬乙
そんな妄言をいくら言っても、お前が嘘と断じて発言したのと全く同じ手法でお前の話がこのクソスレしか出てこなかった事には変わりがない
自分の作った嘘発見器で自分が引っかかった事実は変わらない

だから異常者と言われるんだよw
0470日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:26:46.05
論破www

いまだにそんな言葉を使う法螺吹きはお前だけだ伊都チョンww
0471日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:37:01.61
倭国大乱期における物部の宗教的シンボルは、出土状況を考えれば既に銅矛になっていたと考えられる
その出土範囲は筑紫全域、壱岐、対馬、豊前、国東半島にまで及び、さらに四国の伊予や、土佐西部まで広がりを見せていた。
筑後平野では相変わらず物部の本家筋が住んでおり、饒速日から5〜6代目に彦渚武王がいた。
その息子が彦五瀬。
ヒボコの楽浪土器播磨進行からフトニの出雲領進行の関係で瀬戸内海が通れない状況であったので四国南ルートを使う事を決定

その際に行軍のシンボルを銅鏡に変更したと伝わる

後のヤマトにおける宗教戦争における銅鐸祭祀の中止による埋納は、倭国大乱期に起きた宗教戦争が原因だったと伝わっている。
0472日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:40:08.35
>>110
俺はそもそもそんな信憑性のない文書なんて最初から相手にしていないw
史料批判を理解出来ないお前がバカなだけ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%96%99
> 一等史料・二等史料…
> 明治時代の歴史家、坪井九馬三が提唱した史料の6区分。主に当事者性に着目した区分である[要出典]。
>
> 一等 事件当時に当事者が作成したもの 日記・書簡の類
> 二等 事件から少し経ってから当事者が記したもの 手記の類
> 三等 一等と二等をつなぎ合わせて作成したもの 伝記の類
> 四等 信頼できる書籍や遺物 年代・作者が不明確なものも含む
> 五等 信頼のおける編纂書
> 等外 それ以外のもの

最近では「一次史料以外は二次史料」みたいな雑な分類がされることが多いが古くはもっと細かく分類していた
お前の言う自称旧家の家伝なんぞは等外であるw
伊都チョン連呼くんは信頼性の劣る史料で信頼性の高い史料を否定しようとするからバカにされているんだといい加減に学びなさい
0473日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:44:03.51
高知県高岡郡窪川町の高岡神社には、銅矛が五本残されており、今でもそれらを高く担いで村々を歩き回る祭りがある
土佐湾での休憩では大波を避けるために川を遡ったと考えられ、今でも物部(ものべ)川とながついたままである
上流には物部村という地名が残されている
物部のシンボルが銅鏡にされたと思われるのは最初の東征ルートの土佐地方において、香美や、香我美の地名が残っていることからもうっすらと見えて来る
0474日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:45:31.94
末久ヨシユキ氏の書籍、物部氏の伝承と、土佐物部氏という本には、香美は、かつてカガミと呼んだと書かれている
0475日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:45:52.42
>>111
別に安曇の系図が正しいなんて一言も言ったことはないしそれを当てにした立論もしたことは無いが?
系図に誤りがあったとしたって成立する論しか立てたことはないぞ

ブーメランの意味もわからないマヌケ乙w
0476日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:48:45.07
四国は古くから出雲系が住んでいる地域で、出雲や物部の両方ともと友好的なエリアだったらしい

物部川右岸の田村遺跡からは銅鐸と銅矛の両方が出土している
0477日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:51:25.51
>>472
お前のいうヒボコスサノオには何の資料もないし根拠もない事の自己紹介だよな?

いきなり出オチで自爆テロなんて今日はサービス精神すごいな伊都チョンww
0478日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:52:35.38
>>117
>>472の通り
そんな等外のゴミで立論したって考古学とまるで一致しないのだからただの妄想
「○○家の伝承でこうなってるからこれが正しいニダ!」というお前の理論は
頭がアレな人が「矢追純一さんが著書でこう言ってるからUFOは実在する!」
って言ってるのと同レベルw
0479日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:53:50.59
>>468
いやいや、志賀島神社の安曇宮司に話を聞きに行こうって書いたら、そんな昔のことは覚えてないはずニダってのには笑わせてもらったよ

どこぞの馬の骨が上から目線にエラ張ってるようにしか見えんわな、負け犬乙ww
0481日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 01:59:27.22
>>113
>歴史の話がしたいなら、記紀や神社のファンタジーが、ああだこうだ? という議論は、やめてもらえないか?
魏志に基づく議論はここのテンプレでもう皆納得して誰も反論してこなくなったんでね
まあ暇だから余興でやってると思ってくれ
もちろん君が新たな理論を展開してくれるのは大歓迎だぞ
0482日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:02:29.14
>>118
>糸島における古史古伝、祭祀なども無視しないでいただきたい。
これはというものがあれば君が挙げればいい
ちなみに俺は以前志賀島の古伝から桃太郎は安曇百足だろうという話を書いたことがある
0483日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:02:56.76
倭国大乱期の物部水軍は、紀伊国上陸を目指す。
阿波国東岸沖を北上し、淡路島の南岸沿いに船を進め、紀ノ川河口からヤマトに侵入する予定であったが動きを読まれていたのか対岸に大彦率いる軍勢が現れ、物部の戦いは迷走を始めることになった

大彦は男系がホアカリであり、尾張家であった

笛吹連の本拠は二上山近くの火雷神社であり、現在でも案内板に、社家持田家の系譜によると、大彦は笛吹連を率いて参入軍と戦ったとバッチリ出ている。

大彦は倭国大乱期の人物であり、4大将軍ではなく、伊都チョンの吠えるヒボコ=スサノオの子孫では無い

一体どうやったらあんな嘘が書けるのか不思議でならない
0484日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:04:11.45
>>482
〉ちなみに俺は以前志賀島の古伝から桃太郎は安曇百足だろうという話を書いたことがある

www俺様の古伝は良い古伝www
さすが負け犬w
0485日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:06:26.76
>>478
お前のいう考古学は一般に言う考古学では無い

九州には大陸の史書以外には古伝と神社の由緒しか存在していない

記紀ですら九州のものでは無いw
0486日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:06:33.28
>>119
その通りだ
>>472で史料の等級について触れたが、一番信頼性が高いと言える魏志倭人伝でさえ二次史料なのだ
一次史料といえるのは陳寿が三国志の編纂時に参照した帯方郡の記録等だが現存しない
だからこそ考古学の裏付けが重要だと何度も何度も指摘してきたわけだが、
学習能力ゼロの伊都チョン連呼くんは理解できないようで毎回根拠の無い駄法螺を繰り返すだけなのが現状
0487日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:08:02.15
>>121
>今回は何故彼が昔からそう呼ばれるのかわかった気がするわw
いや伊都チョン連呼してるのはお前だけだからw
誰一人使おうとしない呼称を「何故彼が昔からそう呼ばれるのかわかった気がする」とか馬鹿丸出しだぞw
0488日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:10:28.35
>>487
伊都チョン呼称が私が言い出したことでは無いことは過去スレから明らか

全部俺が言っていたことにしたい願望は分かるが、まあ泣くな。所詮は伊都チョン以上でも以下でもない。異常ではあるがw
0489日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:11:23.21
煽り耐性がないから、いちいち反論しなけれが気が済まないらしい伊都チョンw
0490日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:12:14.09
>>126
伊都と書いてあったら全員同一人物に見えるお前が精神を病んでるだけだよw
俺は昔から伊都は首都じゃないとしか主張していない
鉄原料が全て半島からの輸入に頼っていた時代ゆえに対馬航路を牛耳っていた伊都の海人族=安曇がキーマンだというだけのこと
もちろんこれには>>6-7のような考古学的な裏付けがあるからお前のような妄想のみの話とは次元が違う
0491日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:13:48.13
>>475
〉別に安曇の系図が正しいなんて一言も言ったことはないしそれを当てにした立論もしたことは無いが?
系図に誤りがあったとしたって成立する論しか立てたことはないぞ

何の根拠もなく安曇は海部の本家とか過去スレで抜かしていた時にドヤ顔で系図のことを言ってたよな?w

まさか確認されないだろうとか思って平気で嘘ついてるのか?負け犬w
0492日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:16:39.03
五十猛や、五十迹手や安曇磯良が同一だとか抜かす自作の画像は傑作だったなw
まさに自作自演ではないかw

あれだけは何度見ても笑える
自分しか主張してねえww
0493日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:24:13.91
安曇が出てくる一次資料なんて聞いたこともねぇww
0494日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:26:25.82
>>490
〉鉄原料が全て半島からの輸入に頼っていた時代ゆえに対馬航路を牛耳っていた伊都の海人族=安曇がキーマンだというだけのこと

いやいや、お前は律令時代の那珂郡と海部の分布の画像まで出して、安曇族が全国支配してたとかそこまで抜かしてたぞ?

本気の異常者だな
過去スレ見れば一発なのに何でそこでつまらんすぐバレる嘘をつくのかw
0495日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:27:32.01
いやーでもヒボコスサノオ論ワロタwww

一次資料はよ出してみろやww
0496日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:31:25.41
>>472
〉> 三等 一等と二等をつなぎ合わせて作成したもの 伝記の類

つまり八幡愚鈍と、記紀に後付けして書かれた磯良はこの辺りだよな?ww

負け犬の死後紹介乙ww

そういや、浅間神社とかもどうのとか前は言ってたっけか?w
ちょっとこの辺は記憶が曖昧だがw
0497日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:41:37.44
>>463
〉倭に軍勢を送れないなら当然ヒボコ族とやらも存在できないわけだがw
自爆おつw
結局ヒボコが一大勢力であるためにはヒボコが倭人でなくてはならないという俺の指摘には何の反論もできないわけね

この辺の考え方がもう無理ww
単なる思い込みの自己紹介ww
ヒボコそのものは家督争いを避けるために追い出された半島の王族w
秦国系の南岸で中津に近い人物
もっと言えばコヤネに近い一族w
0498日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:49:33.91
我が国における鍛造可能な鋳鉄は朝鮮半島からだけの輸入ではない

そもそもが素材分析で、全てが朝鮮半島の磁鉄鉱と判断された事実は存在しない

後漢が滅ぶまでは鉄は統制品になっており、そもそもが大陸からの鉄が入ってきていた

独占とか一体どんな一時資料よww
鉄の輸入ルートの対馬ルートは中津が抑えていた場所

安曇が独占してたなんて話はお前の思い込み、願望以外の何者でもない
0499日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 02:54:02.71
>>451
背振山系の北部には、実際に出雲族が住んでいたらしいね
どう言うわけかそんな話が伝わっている
0500日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 15:02:36.53
九州の大英雄は同一人物ホアカリ饒速日の系譜の山幸彦である物部氏であり
記紀においては男系が尾張氏に組み入れられた武内宿禰ですら実際には男系物部であった
応神から武烈までは武内宿禰の子孫の政権であった(平群臣)

ナーンで意味もない安曇とかにスポットを当てるのかね、九州説の人たちは
0501日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 20:36:40.57
>>500

安曇にこだわっているのは一人だけ。
俺は山幸彦こと彦火火出見を重視している。
伊都国こと糸島の鎮守、高祖宮の祭神だ。
伊都国王の名は彦火火出見、キミの説に従えば天照国照饒速日命だ。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 08:44:19.84
>>501
〉伊都国王の名は彦火火出見、キミの説に従えば天照国照饒速日命だ。

それなら伊都ではなく筑後ですよ
主体は物部氏です
伊都など物部国の一地方に過ぎません
0503日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 12:18:23.52
筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命コウラタマタレノミコトとは誰なのか。古代史界では謎の存在であるようだ。

九州王朝説の古賀達也氏によると、4〜6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭王であるとしている。
さらに玉垂命の最後の末裔とされる稲員イナカズ家の家系図があり、初代玉垂命とは物部保連ヤスツラであると記されている。
また高良大社の文書、高良記(中世末期成立)には、玉垂命が物部であることは秘すべし、それが洩れたら全山滅亡だと、穏やかではないことが書かれている。

古賀氏は2008年に自身のホームページの中で「天孫降臨以来の倭王が物部氏であったとは考えにくい」とし、これらの文書がうまく理解できないと書いている。
その後どういった見解になっているかは不明だが、九州王朝を研究している方でも、物部氏という存在はそれほど見えにくいものなのかと驚きを隠せない。

同じ様に宇佐神宮の様な大きなものがありながら宇佐氏に関しても同様に見えない様子。

伊都に引っ張られすぎるからこうなるのか?
高良社はものものは彦ホホデミやその父饒速日を祀る神社ではなったろうか?
0504日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 15:50:09.75
物部保連は4〜6世紀の人物とされる
高良社の祭神は、武内宿禰という説もあるが、彼を尾張家から分離し、物部彦であると言う考え方になれば別段おかしな話でも何でもなくなる

九州における物部氏の消し方は徹底的のイメージがあり、他の旧家でも、ナギサタケまでの間に入る3代ほどの人物は全く情報がない

そして共通してるのは、ニニギが登場しない事は前に述べたが、実はウガヤフキアエズも登場しない

彦ナギサタケウガヤフキアエズは、ここで中臣家と強引に結び付けられているのだろう
0505日本@名無史さん
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2022/10/28(金) 17:54:12.56
>>503

伊都と高良では時代が違う。
おそらく王統も違う。
つまり別の氏族だ。
彦火火出見ら日向三代は明確に伊都に祭られている。
それに対して、記紀では別の分家となる饒速日の物部氏は畿内のイメージが強い。
だから九州で物部氏というのは違和感があるのかもしれない。
もっとも、伊都の一族は平原女王おそらく卑弥呼に政権を譲っていて倭王ではなくなっているので、後世に物部氏が筑紫に入り込んだ可能性が高い。
0506日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 17:58:07.90
そう考えると、物部氏と卑弥呼の関係を疑うが、そのあたりはさらに複雑だ。
武内宿禰が倒した田油津姫がおそらく卑弥呼の王統だ。
田油津姫は田川市の神夏磯姫の末裔であり、平原遺跡と同じ八咫の鏡を持つ一族であり、これが邪馬台国の系譜だろう。
つまり邪馬台国を滅ぼしたのは武内宿禰と神功皇后ということになる。
ところで正史では武内宿禰は蘇我氏の祖のはずだか?
0507日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 18:00:52.18
そして壹與と思われる人物の伝承が佐賀にある。
肥前一宮川上神社の與止日女だ。
川上は熊襲タケルあらため川上タケルが没した地でもある。
つまり卑弥呼や壹與は熊襲の女王であり、肥前から筑豊がその支配の中心地であったことになる。
0508日本@名無史さん
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2022/10/28(金) 18:02:45.77
>>505
>後世に物部氏が筑紫に入り込んだ可能性が高い。

そうであるならば、「倭人(阿波勢力)」の物部一派が筑紫忌部だということだ。  わははははは   @阿波
0509日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 18:10:59.06
倭人伝の話で恐縮だが、まあ韓伝も、だが、
馬韓が10万戸、弁辰韓が5万戸、邪馬台国が7万戸と言うのは
当時の一応、縄文の原始共産制は終わってる日本の住宅環境でだけど?
だいたい福岡筑紫平野内で納まっちゃう規模なんじゃないのかな?

邪馬台国女王が、倭国王なら本州含む倭国域全部の戸数
あるいは所属国の各領主の大小や経済状況を把握してない、
なんてことは無い。

邪馬台国は240年の魏使梯儁が参問した女王所属21国7万戸の中にある
南が狗奴国の邪馬国に在った卑弥呼の臺をランドマークにした国名だよ?
臺は、73 壹與 遣倭大夫 率善中郎將 掖邪拘 等二十人 送政等還 因詣 臺
にある、曹操の王城を意味するので陳寿はこれを卑字、台?壹?に変えた。

梯儁は女王所属の21国の和音名を参問して漢字にした時の邪馬国に有った、
卑弥呼の臺を訪れて命名した国名であって、
筑紫域には、対外的国名は存在していなかったのである。

簡潔な陳寿の文中の邪馬台国21国全てに無用な次有の文字が挿入されているのは
筆者が陳寿ではなく、梯儁の参問~漢字での記録、の書き写しだからである。
0510日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 18:41:26.27
>>509
東征毛人五十五国西服衆夷六十六国渡平海北九十五国
これは倭の五王武の上表分で150年後だけどどう考えても九州だけじゃ収まらない
0511日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 18:44:14.87
>>510
だから、こういうことだ。

「倭王武の宋に遣使した上表文」
「東征毛人五十國西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」   
これはずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北の展開記述である。
東征毛人五十五國 =近畿以東(北関東含む)
西服衆夷六十六國 =西瀬戸内・九州
渡平海北九十五國 =東瀬戸内・山陰・北陸・朝鮮半島南部 
これは、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域と符合する。    @阿波
0512日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 18:49:50.81
>>510
西の方には国はない。
あると言い張っているだけ。
西に国はないではないかと暴いた仲哀天皇は消された。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 19:15:57.53
>>510
歴史の話なら、それは500年頃の話であって

247年の倭人伝の記録で、既に筑紫には本州合流で
一大率と言う防人検察機関が有った。

と、言うか胆は、239年公孫氏滅亡以降、246年箕氏韓王朝滅亡で
魏は、卑弥呼の女王国の難升米に参戦の檄を飛ばした。
これが、中国史の三国志唯一の日本の参加・・・ 
しなかった話である。

邪馬台国は7万戸であって、
馬韓10万戸、弁辰韓5万戸を平定した魏と交戦できるか?

これによって、日本の歴史のは、半島進出
250年以降の富国強兵の古墳時代に突入するのである。

このスレでの、私の主張は250年倭人伝以降に
過去を騙る、神話や神社伝承の話は要らない、という事。

400年に南朝に朝見したのは313年四郡撤退以降だろうが、
弱体化した南朝によって楽浪候、幽州刺史という中国貴族となった
高句麗と350年辺り以降、牛馬や鉄生産の移入で抗戦していたからである。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 19:22:30.00
>>513
元々半島に倭人は住んでたんだろう
0515日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 19:41:19.42
>>514
縄文海神の歴史はともかく200BCで青銅器移入には母港が要るので、
概念としては、邪馬台国の北岸が狗邪韓國みたいな、移民地域だろ?

ただ半島には箕氏や公孫氏以外、
縄文人みたいな? 誰が住んでたか判らない。
穢人は七支刀にも有るが穢百民は阿残という四郡地域に残った民族なのかな?

百済王に関しては、百済は倭人が独立させたわけで
始めから百済王の姫が倭人豪族の姫で皇太子は日本で養育した。
これ七支刀には書いて有るけど、国外には内緒だからねwww
扶余勇は朝鮮人スレとか有るけど
700年って、350年から何代目だよ?
0516日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 19:46:40.27
ところどころ差別意識が見え隠れするのと、意図的かは知らないが年代を飛ばすのが眉唾
0517日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 20:00:27.95
>>515
逆にどんどん南に追い詰められて最後白村江で完全に追い出されたんじゃないかと思ってる
だから北岸の狗邪韓國ってのは疑ってる
0518日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 20:21:25.53
>>505
〉伊都と高良では時代が違う。

そうですね。景行天皇からそれ以降の神社で、あくまで神社の形式ということなら用明天皇期以降になるでしょう。
ただ、そこにいた人たちが昔の祖人を祀る時には参考になろうかと思います

東征した際に居残り組の物部氏が居たのか、景行期に再びヤマトから帰ってきた物部氏が居たのか

いずれにせよ出自を隠さねばならない状態に追い込まれたのが物部氏と言う立場だと言うことは注目に値すると考えられます

〉それに対して、記紀では別の分家となる饒速日の物部氏は畿内のイメージが強い。
だから九州で物部氏というのは違和感があるのかもしれない。

なるほど、なんとなく伊都の勢力とは遠いイメージがあるのですね。
学者さんですらそうなのですから、一般の方の認識であればなおさらそうなるのでしょうかね
0519日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 20:39:40.55
新羅は今の日本語や韓国語と文法が同じらしいし言葉は通じたでしょう
狗邪韓國の場所って新羅だよね
0520日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 21:05:41.46
>>518

帰ってきたのでしょう。
景行天皇は崇神天皇以来の物部氏系の天皇で、宮も物部氏の本拠地である石上に近い纒向日代宮ですから。
彼が九州征伐に引き連れていた軍勢が物部というのは自然です。
景行天皇は九州各地を征服し、当時の女王国の女性首長に次々と子供を産ませて、その数は80人に及んだとか。
その多くは九州各地の国造などになったというので、九州の支配層が入れ替わる一大征伐だったでしょう。
0521日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 21:36:07.89
>>520
>宮も物部氏の本拠地である石上に近い纒向日代宮ですから。

纏向も阿蘇も磯城も飛鳥も出雲も伊勢も日向も筑紫も大津も吉野も吉備も、記紀以降の後付け地名。
その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。  わははははは   @阿波
0522日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 22:42:29.08
そうでも無い、
400年前の戦国時代の地名、人物名など殆んど現在でも記憶されてて
卑弥呼時代から400年後と云えば645年大化の改新ころ、
可なり、記憶に残ったり伝説伝承は有ったと思うぞ。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 23:15:39.95
話は変わるが、
神社などには良くある元宮、本宮
天の橋立にある籠神社(このじんじゃ)正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」
甘南備山には上宮、奥宮、と下宮、本宮など結構、別次元的な空間に分かれてる

高天が原なども、元高天が原と今高天が原などの別次元高天が原とに分かれてて
那珂川を中心とする九州福岡平野、(古の奴国)などは元高天が原で
7世紀ころの奈良盆地は今高天が原だったのでは?と思うこの頃。
0524日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 23:23:41.49
>>522
文字があればそらそうでしょ
0525日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 23:24:59.94
そもそも「高天が原」なる想像上の空間は、
700年ころの持統天皇周辺の創造物だと思う
持統天皇の名に「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
と付けられてるし、皇孫ミマが統治する中央空間が高天ヶ原だったんだろう。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 23:39:49.90
>>524
伊都国に到る。官は爾支と曰ひ、副は泄謨觚、柄渠觚
東南、奴国に至る。百里なり。官は?馬觚と曰ひ

魏志倭人伝に出て来る「觚」とある官位は、どうも書記が使う木簡の事らしく
普通は板状の木簡だけど、割りばしをひと回り太くした角柱の木簡を言うらしく
4面に書けるので効率がよく新羅、奈良でも遺跡から発掘されてる
だから漢字は無いが自分たちで発音できるカタカナのような記号が有ったんじゃないかと。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 00:04:26.11
「南、邪馬台国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰ひ、次は弥馬獲支と曰ひ、次は奴佳?と曰ふ。七万余戸ばかり。」

弥馬獲支(ミマワカ)9代開化天皇、百襲姫の甥。
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと) - 『古事記』

弥馬升(ミマショウ指揮権のある将・王の尊称、後漢書には扶余王などにも付けてる)
御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)10代崇神天皇

伊支馬(イクメ、イコマ)11代垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと) - 『古事記』

奴佳?(ヌカタ)額田部氏、額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ、)
0528日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 00:21:23.11
>>525

だから700年頃は想像上の場所だけど、神代においては実在の何処かだったということでしょ。
おそらく博多湾沿岸のどこかだけど、場所も時代も遠く離れた記紀の編纂者にはもうどこだかわからなくなっていて、抽象的な表現しかできなくなっていた。
原が九州では国邑や広場など、考古学的にはおそらく環濠集落や柵などを意味することを考えれば、中国語でちょうど〜国のような表現の一つだとわかる。
九州では〜原という地名が多いからね。
0529日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 00:23:55.00
>>527 文字化け部分は「革に是 タ」

「投馬国に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ。
五万余戸ばかり。」

この官は弥弥ミミって何だろうと思ったが
第二代綬靖天皇の名、神沼河耳の命(かむぬなかわみみのみこと)
陶津耳(崇神紀)紀:三島溝杭耳、紀:手研耳命などなど

今でも、「耳を揃えて]とか「パンの端っこを耳ミミ」と言うように
名前の「ミミ」には「そろえる、長(オサ)」という意味があり、
陶津耳命は個人名ではなく、「その土地陶津のの首長」という意味らしい。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 00:40:02.75
主に九州における王族などの称号が耳。
古代では王族を神として崇めた、というより弥生時代の王族を後世では神として扱った。
海の王は綿津見、山の王は山祇。
津は助詞の「の」。
ワダツミとヤマツミは天神地祇とも海幸山幸とも言い換えられる。
饒速日は両方の称号を兼ね備えた天照国照と呼ばれる。
アマテラスは海の王、綿津見と同義。
つまり天皇家の祖先は志賀島の海神族。
0531日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 01:09:21.09
違う、神々には「ミ」1音だけで、イザナミのように
人間の首長には「ミミ耳」を付ける。
0532日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 01:12:46.92
実は、伊都国の平原遺跡から日向峠の日の出を見る神嘗祭10月17日前後ころ
この延長線上には油山の麓「安徳台遺跡」があってその次に天拝山、
そして目配山、高宮山、麓には日本一古い神社と言われている
大己貴命(おおなむちのみこと)神社が奇麗に神嘗祭ライン上にある、

その大己貴命神社の目の前には小石原川(旧安川)が流れてて
ここが高天ヶ原神話の神々の会合する場所「天の安川原」と云われる所
そして天照が遥拝をしたと云われる天拝山、全て神嘗祭ライン上にある

つまり、福岡平野、筑紫平野が「古の奴国・高天が原」だったんだよ
0533日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 01:13:29.50
みんな親戚だから、世代の違いにしか見えない。
それとも神代ならミだけなのか?
0534日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 01:18:08.89
元伊勢がたくさんあるように、高天原のモデルも複数あったかもしれない。
だが高天原の語義が海の集落なら、本来は島であるべきだ。
0535日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 01:37:39.49
>>506
〉ところで正史では武内宿禰は蘇我氏の祖のはずだか?

我が国では史は作られておらず、記と紀しか存在しない
2次資料以下のものしかメジャーに参照するものがないと言うことと、それすら畿内で作られたと言うことがまずは要点になろうかと
日記とさして変わらない程度のものだ。

武内宿禰は、もちろん蘇我氏の祖で、小瀬臣、平群臣、石川臣、北陸蘇我臣家の祖

別段おかしくともなんともない。母系が出雲の大8代八千矛と、奥方であるタキツヒメの系譜になってる
子であるアジスキタカヒコの娘である大屋姫が五十猛(=大年彦=カゴヤマ)と結婚し、その子タカクラジが紀伊家になった。紀伊家そのものは男系が尾張、女系が出雲という事になる。
大屋姫は五十猛の妹ではない。
物部イニエ=崇神が万世一系で開化の血筋に偽装されたので、その息子と孫が一緒に男系尾張氏に偽装されただけの話で、物部、尾張、大王家、出雲の全ての血が入っていた事には変わりはない
それがイカガシコメの存在
わかる範囲で母系と父系に着目することが重要
一本しか出ていない系図はどちらかの血を有利に偽装できるので基本的に信用度は低いと考えるべき

そして、九州に五十猛を奉じる紀伊家の神を持ってかれるのは紀伊家との子である武内宿禰以降の血筋しかないという事が重要な点
0536日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 01:45:13.08
>>520
石上は、磐余彦が太田市に手引きされて奈良入りした際の元々磐余と呼ばれていた地名
そこに分家筋の物部氏が住み着いたから石上になった
記紀編纂直後から物部姓から石上に名を変えている

最初の東征、倭国大乱は物部側が斎王を持たずに攻め込んだことが災いして、太田太根彦の妹であるモモソヒメの権威に飲み込まれ事実上失敗した。

約半数の物部一族が九州に帰ったがそのほとんどが西都原に住み着いたそうだ
その倭国大乱の帰ってきた組の中に、神魂神社社家の物部十千根が居た。
彼は魏書にも出ている。
0537日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 02:08:23.47
先代旧事本紀による同一人物ホアカリ饒速日は、兄のカゴヤマ=五十猛(ヤマト)、弟の彦ホホデミの家系に分かれた。
時代は前2世紀あたり。徐福時代の事であったらしい。
昔は縄文時代だったけど。今ではその時代は菜畑遺跡の関係もあってか?、弥生時代にされている。
大乱期終盤の183年には大彦がヤマトから撤退
大きな人口の移動があり、巻向一式の土器が突如現れた
少なくとも筑後のエリアは紀元前後から2世紀までは物部王国であった。
伊都に関しては160年代にはヒボコ族が伊都と淡路島あたりに分断されて逃げ込んでる

150年代 ヒボコ族播磨侵攻
領土欲に刺激され、ヤマトの豪族同士の覇権争いが始まる
160年フトニが出雲を攻撃。青銅を出雲側が差し出す
別系統の大彦により大和に帰れなくなり、吉備国を作り出雲から奪った銅で新型の平型銅剣を作り瀬戸内海を支配下に置き、朝貢ルートが寸断される
165年頃、彦五瀬を大将とする物部軍が東征を開始。瀬戸内海を避け、四国南ルートから紀ノ川に上陸を試みるも彦五瀬戦死
175年頃熊野から物部勢がヤマト入り。磐余に拠点を作る。総本家の彦五瀬の子孫は墓守になり、現在は橋本姓になっている
石上は分家筋。
太田氏に対抗して大王家(男系尾張、女系事代主)が物部から姫をもらうが、モモソヒメの方が人気となってしまい、政治と祭りごとに男王と姫巫女の両方が必要な権威の構造が生まれる
物部との間で宗教戦争が勃発。銅鐸祭祀の中止が相次ぐ
大彦は銅鐸祭祀を復活する事で旧勢力をある程度糾合するが次第に劣勢に
183年、大彦が琵琶湖撤退。大彦は北陸方面に。三島を頼り弥彦でカゴヤマを祀る

先代旧事本紀には、尾張、大王家、登美家の系図が書かれているが、勢力の大きな順番に書かれている
0538日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 02:10:15.69
そして「聖山・脊振山」
脊振山はもと脊降山だったと思う、天孫降臨の「降る」雪が降る。雨が降る。
後に龍神信仰が入って来て龍の背びれに変化して脊振山に変わった
天から舞い降りて来る白い物(雪のこと)を(蘇そ)と言ったらしく
明日香時代食べ物(蘇)を白いチーズ状の物だったと云われてる

神話にある筑紫の日向の「襲・添山峯そほりやまのたけ」の「そ」は  熊襲の襲も?
「せ・脊・背」のことで九州では一番早く雪が降る山、1054mあり
富士山の初冠雪の様に神聖に季節を感じたんだと思う古代では
そこから流れ落ちる那珂川の水は神仙水で天御中主が住まう場所だんだろ。

神道大祓詞の瀬織津姫(せおりつひめ)は案外、脊振山、脊降山の神体山の姫のような?
0539日本@名無史さん
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2022/10/29(土) 02:22:36.42
>>529
八井耳は、村雲の次の沼川耳の弟。
八井耳系の多臣家は、大王家の分家にあたる
母系尊重で、子供の頃は母親の家で育てられるので、出雲の大国主初代、菅八耳から取られている。
村雲の奥方が多々良五十鈴姫
二代目の沼川耳の奥方が五十鈴姫の妹、五十鈴依姫
三代目の磯城津彦の奥方がクシヒカタの娘のヌナゾコ姫

尾張家は出雲から四代に渡り嫁さんもらったので、大王家は出雲の血が圧倒的に濃くなってしまい、尾張家と反目する様になった

そこから何年かは尾張、出雲、大王家の三竦みの時代になる

スキトモは謎が多くわからない方が多いが、なぜか真正武内文書では、スキトモはヤマトから九州に移住したとある

もしかしたら多臣家は、その時についていったのか?
0540日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:29:13.92
古事記の写本には少なくとも二つのバージョンがある

それが序文が書かれている方
これは太安万侶が密かに作った写本が後年になり遺志によりリークされたもので、安麻呂個人の強い思いで初代八耳から、景初動乱で滅んだ最後の大国主、遠津山崎帯までが書かれている。

所謂国譲り事件は、前三世紀、王朝大八代の八千矛と、副王スクナヒコの富家の八重波津身の頃に起きている
主犯はホアカリと千家のホヒ
ホアカリは部下たちを置いて大陸に逃げてしまい、ホヒは最下層のヤッコに落とされる

よほど恨みに思っていたのか、千家と国司として赴任した忌部が古事記をまとめる際、新造の神須佐男を作った際のエピソードで、大国主に向かって「此奴め」みたいな事を書かせている
0541日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:38:16.54
主王と副王が同時に殺害された事で、奥方が実家に帰る事になった。
それが大和入植のきっかけ。
富家の八重波津身の奥方が三嶋ミソグイ姫。息子がクシヒカタ。
先代旧事本紀で大王家の母系が事代主になっているが、基本的に八重波津身の事を記紀では事代主と暗示している。
別の姫が糸魚川のヌナガワ姫で、その息子が、タテミナカタ(出雲系ではタケではなくタテを使う)
ミナカタも糸魚川に帰り、上越経由で信濃入りしている
二世紀の大彦受け入れは、三島(越智)とミナカタが協力者になっている

取り残された五十猛は母親のタキツヒメには実質見捨てられ、大年教の巫女であった孫の大屋姫が面倒を見る事になった
五十猛のままでは流石に不味いと思ったのかその時に大年彦と名を変えられた
今でも五十猛神社から山奥には大屋姫命神社と、なんと大年神社がそのまま残されている
0542日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:44:11.61
成長した五十猛は、丹後に移住
カゴヤマは、籠神社の奥宮であるマナイのあたりの小山の名前で、記紀に置いても山の名前としてひたすら書かれる事になった。

逃げ出して再度来日したホアカリは九州にたどり着き、出雲大六代のオミツヌの次男、アタカタスの宗像の姫。イチキシマ姫を娶り物部の祖になった。

カゴヤマと大屋姫は途中で疎遠になったらしく、姫は息子のタカクラジと共に紀伊國に行った。

余談であるが、大陸に出てくるイ国とは紀伊国なのであろうか?

カゴヤマはその後腹違いの妹であるホホデミの妹であるホヤ姫を娶り村雲をもうける。
0543日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:49:26.63
カゴヤマと村雲は出雲の跡を追い、丹後から大和に移住。
二上山辺りを本拠とした。
やがて人口で圧倒した尾張家は先に入植していた出雲族から王として認められ、銅剣を贈られる
それが村雲の剣。(草薙の剣は鉄剣なので違う)
故に、記紀において隠された東征していない神武である村雲は剣として書かれる事になった
前二世紀ころか?
やがて出雲系になってしまった大王家と本家の尾張家は、磯城津彦のあたりから王の象徴の銅剣を渡さなくなってしまい、仕方なく大王家は勾玉をシンボルとして用いる様になった。
0544日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:54:49.29
姫巫女が何故権威を持つ様になったかと言うと、渡来系の男系一族が土着化する際に必須の協力者の母系が、女系文化であったため。
故に男王と、斎王の姫巫女(卑弥呼)が同時に存在する

さてはて、伊都国説はアメーバ単細胞分裂ではないんだから、女系が何族なのか、男系が何族なのかキチンと考えを纏めているのだろうか?

そんなポンポン大規模な渡来人は大陸からは来てる形跡はない様に思えるのだが?
0545日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 02:57:44.98
中臣家の祖の半島のコヤネ系は、二度目の渡来の時に遠い親戚の秦国系のところから引っ張ってこられたのか?

物部は連でありながら、ナカ氏は臣になっているのが気になる

が我が国に二度渡来しているのは徐福と須佐男だけである
0546日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 09:38:59.96
結局、親戚同士が一番揉める

ヤマトと九州は腹違いの親戚同士の家の争いが大乱規模になっただけの話
0547日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 09:58:10.13
>>546
>ヤマトと九州は腹違いの親戚同士

ヤマトと九州は「倭人(阿波勢力)」同士。   @阿波
0548日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 11:08:27.12
>>507
〉つまり卑弥呼や壹與は熊襲の女王であり、肥前から筑豊がその支配の中心地であったことになる

ううむ、凄いですね。
ニニギことイニエは最初はアタツ姫を娶りますが死別。後妻に豊国宇佐の豊玉姫を貰います。
前妻との間にはイクメ、腹違いの兄妹で、豊彦、トヨ姫が生まれたそうです。
大陸における宗女とは血縁関係を示すそうです。
宗女トヨとは豊姫の事らしいですね。
さらに別系統か、イクメの兄弟でフツオシマコトが居たのでしょう。イニエの孫が武内宿禰です。
そういった意味では、トヨは男系物部なので、物部トヨ姫とも言えます。
最終的にイクメに裏切られて暗殺されますが、宇佐から来た→ウサメ→ウズメに変わっていった様です
最後は出雲系に(三輪系?)に匿われ椿大社にいたそうですが
その関係で猿田彦奥さんにされたそうです
猿田彦は神代の出雲の神なので実際には婚姻などはしていません
0550日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 11:16:33.71
国譲り事件の事もあり、また、兄の血筋が大和側になっていたので九州物部の地位は常に二番手に押し込まれていたと考えられ、それが大和に対する反感につながっていったと考えられます
氏素性が全ての時代にあって常に目の上のたんこぶが腹違いの兄の国、ヤマトでした

伊都は徴税の場でもあったと考えられ、交易品は細かくチェックされていた様です

話は変わりますが美穂の関の美保神社ですが何故関かと言えば、あそこで出雲は朝鮮貿易の徴税をおこなっていました。
木築大社が出来てからは多忙になった富家が徴税の代官であった横山氏に美穂神社の管理を移管します

今でも社家は横山氏だった様な気がします
0551日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 12:22:41.06
出雲の元々の神は幸の神三柱で、クナトの大神、幸姫(サビヒメ)、御子神の猿田彦でした。
クナトの大神は大仙、サビヒメは、三瓶山、猿田彦は出雲の北山山地の鼻高仙
それが、イザナミ、イザナギ、猿田彦になりましたが

実は、イザナミ、イザナギは物部氏が作り出した神になります

物部氏はすごい人たちなのですが、何故こんなすごい一族に九州の方々は目を向けないのでしょうか?
0552日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 12:27:02.25
>>551
>物部氏はすごい人たちなのですが

「倭人(阿波勢力)」の物部一派だ。 本拠地は、忌部の里「麻植」。   @阿波
0553日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 13:48:20.31
村雲の分家の多臣家がいつ九州に行ったかに関しては正直わかりませんが、魏書の時代には既に伊都の役人としていたのではがないかと考えています

それがビビだったり耳とも読める記述です
八井耳の多臣家(男系尾張家)は、元々母系の直径にダイレクトに出雲が入っている家なので最初はどうだったか知りませんが後年に臣姓を名乗ったのでしょう
0554日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 13:52:42.38
>>553
神話信者w

それでしか、妄想を楽しめないからな。  わははははは   @阿波
0555日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 14:15:11.75
>>554
阿波チョン
0556日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 14:27:52.75
>>553
耳はあちこちで使われるから、特定の氏族に限らないでしょう。
あと、兄弟は上下に関係ないのでは?
末弟相続または兄弟相続が古代にはあったそうです。
0557日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 15:37:59.12
>>556
〉耳はあちこちで使われるから、特定の氏族に限らないでしょう。

まあ確かに当時流行りの名前もあるかもしれませんね

ただ、一応は九州の方でも神武の兄弟の八井耳に関係してるのでは?という話題が出てた様な気がします
0558日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 15:41:12.07
ね?記紀が出来事を入れ替えて、物部が神武になった途端に、解釈する我々は東征してない人なのか、同棲した人なのかが曖昧になり、どっちがどっちだっけ?って事にすぐなりますよね

記紀の編纂者は頭が良い人だと思います
0559日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 16:36:49.74
筑後では物部の影が強いのに、なんとなく伊都の構成一族とは違うのではという感覚的なものを持ってる文化があるのが九州というという事なのでしょうか?
しかし九州側から見れば、八井耳は磐余彦の親戚筋なんだから九州に居てもおかしくはないという事になりますが、尾張系であるという事になると心理的に忌避が入ると思います
そこで考えが循環してしまい、思考が停止します
ヤマト側の村雲の方から考えると、尾張系である事は認識上問題なく受け入れられますが、村雲は東征してないじゃん、となり考えが循環してしまい、伊都がヤマトの出先機関であることは読み取れてもここでも八井耳に関して筋が通せず思考が停止します

元々尾張と物部が同祖(海幸彦山幸彦)である事から始めないと何度もループして帰ってくる様に記紀は書かれていると思われます

単なる親戚なら、物部のエリアに親戚の八井耳がいても別段問題はないのですが、どぉーしても伊都は象徴的に存在が大きいのでしょうね
0560日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 16:51:14.04
>>559
記紀バカw

それでしか、妄想を楽しめないからな。  わははははは   @阿波
0561日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 21:04:35.66
いや、全然記紀の内容と異なっているよ。
だから戸惑うんだ。
伊都が筑紫の日向、倭の王都だから存在感があるのは当然なのだけれどね。
筑後が王都である時代については記紀の記述が畿内中心になってしまっている。
だから筑後に王都があった時代は多くの人にとって馴染みがない。
0562日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/29(土) 21:34:41.48
>>561
>いや、全然記紀の内容と異なっているよ。

トンデモなんだから、違うのは当たり前。   @阿波
0563日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:31:09.60
>>561
日向の西都原から伊都は離れすぎてるよ

内陸に50キロも入った所に拠点がある時点で大陸からの脅威を感じ取っていたとしか思えない

そもそもが渡来者=海人族などという視点そのものが幻想

向こうじゃ陸に住んでただろ?

最前線は王都になり得ない。だからヤマトは畿内にある。
0564日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:39:08.94
最初の東征がグダグダにおわったあと50年後に再び統制の計画が持ち上がった
前回の轍を踏まぬと、物部側は太陽の卑弥呼に対して、月の女神を奉じる豊国の宇佐と連合を組む事にした。それがイニエの後妻の宇佐津姫であった。
宇佐は越智との小競り合いを制し相手側の姫を息子の豊彦と婚姻させ手打ちにして安定した基盤を築いていた
朝鮮語が話せ、漢文が読めたタジマノモリを招いて計画は進んだが、開戦直前になり、西軍のイニエと東軍のヒコイマスは亡くなった。
豊玉姫はイニエの遺志を継ぎ、イクメを総大将として統制を開始する事を決意した。
後漢が民間道教の乱で滅び、部下の反乱を制したその直後に帯方郡を経由した朝貢が可能になった。
卑弥呼は朝貢を決意する
0565日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:48:15.69
魏国側では遥か遠くの倭国より朝貢した者たちが大夫を名乗った事に少なからず注目がなされた
さらに、驚くべき事に鬼道を国教とするというのだ。
魏国は国家公認の道教を制度化する事で何とか形を作り、維新財として鉄鏡を作った後であった。
分裂した呉のエリアで主に銅鏡が作られていた事も関係していたと考えられる

魏国側の動揺を表すかの様に「好物を渡す」とある事からも、遠くの国であるから問題は少ないだろうという判断に至った様である

そしてその者たちは、目星として都万の西都原あたりにいる連中であるということは何となく分かってはいたが、自ら発言した国名、ヤマトを信じ、記録する事にした。

トシネイリは物部十千根入彦のことであるらしい
ヤシャクは矢坂入彦
ナシメは音感で「ダシマイ」と読める。タジマノモリであろうか
タイシュウエツは武内宿禰、ヌカダイは額田宿禰と考えられる
その際に狗奴国と戦闘中との話が出たのであろう。それ故の健気という表現になったと思われる
0566日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:54:00.14
豊玉姫には金のハンコ、タジマノモリとイクメには銀のハンコが渡された
イサチはイクメの九州での偽名、朝貢用の名前であった様だ
これがのちに諡号にかかれ、ネタバレされる事になった

武内宿禰も魏からハンコをもらいたいと考え、朝貢し、その際にうっかり敵型の名前を正直に言ってしまう
男王のヒコミチヌシが敵であると。
当時はヒコイマスの息子であるサホヒコと、別系統の皇子であるヒコミチヌシ(ヒコタツヒコ)が勢力争いをして葛城国は分裂状態になっていた

武内宿禰は豊玉姫奸計で、イクメと同等に立たぬ様、印綬を要求しない書簡にされていたので激怒していた
さらにタジマノモリが八本の属国旗を受け取っていた事もプライドを傷つけられた
0567日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:58:27.27
近い出来事として、呉の鏡職人を載せた船がナンパし、帯方郡の部下の処罰で身の危険を感じて西都原に来ていた鏡職人は、物部宇佐連合が魏に朝貢することを知りヤマトに逃げる事になった

武内宿禰は紀伊家を通じてヤマトとも連絡をとっており、無役に終わった朝貢の帰国の際に昔から付き合いのあった呉のエリアから追加の職人と青銅材料を、買い込んでそのまま四国ルートで移動して大和川に鞍替えしてしまった
0568日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:06:16.06
瀬戸内海での戦闘は激戦となった
開戦8年か6年頃には安芸国で豊玉姫が病死
厳島で仮埋葬するのに義理の兄妹の豊彦と、豊姫は安芸国に残り、イクメを中心に軍を再編し進軍を続けた

東征が一度にされた事により、東征ルートは畿内から上陸して和歌山に遠回りした様な変なルートに記述される事になった
吉備国を下した連合は、ここでトオチネが離脱。出雲を攻める事になった
現在でも神魂神社の社家になっている秋上氏は、安芸国から出雲に来た事からそう呼ばれる様になった
日本海側からの軍勢は出雲を攻めた
タジマノモリとウナカミ王は西出雲王家の神戸家の領地を押さえ、そこは物部神社になった
松江の富家の王宮はトオチネに占領されたその際に千家のウカツヌクは、八咫烏の様に、連合軍に防御の薄いところを密かに案内して彼らを出雲の要衝に手引きした
0569日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:13:06.07
出雲の最後の第17代大国主である遠津山崎帯は降伏
富家は奥出雲の熊野大社の当たりに逃げ込んだ

熊野本宮大社は物部系
出雲の熊野大社は事代主系になる

イクメがヤマトを掌握するときには、豊姫も豊彦もタジマノモリも裏切られて追い出されており、ここに一時的ではあるが、日本の統一が達成された

国造を定める際には当初はトオチネが指名されたが、千家のウカツヌクは家族を連れてヤマトまで抗議しに行き、押し負けて千家を国造に再指名してしまう
この際に千家は富家の野見宿禰は自分のところの親戚だと嘘をついている。
未だに国造系譜には野見宿禰が入ったままであるが、出雲大社の野見宿禰神社の位置を考えればその方便を使ったことは明らかである。
0570日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:14:04.09
>>563

筑紫の日向は福岡県西北部のこと。
高祖山を挟んだ、福岡市と糸島市、博多湾沿岸のこと。
私は海人=渡来人という表現をしたことがない。
海人よりも海神族の方を使うしね。
制海権を掌握した伊都の倭王にとって、海に面していることは脅威ではない。
魏志倭人伝を読むに、対馬海峡の渡海は郡使ですら倭船を使ったようだから、他の国は渡海技術そのものを持っていなかっただろう。
むしろ倭人が定期的に半島沿岸に出兵して倭寇と呼ばれていたことを思い出してほしい。
0571日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:24:45.22
出雲平定の功労者であるトオチネは、千家の下に置かれる事になった
時代は移り変わり、秋上氏は、親族が千家により暗殺されるなどの圧迫を受ける様になった
また、時代が変わって、出雲を滅ぼした事を覚えていられる事も好まなかった
それで、富家に、王宮を返還すると申し出た。
しかし富家はそれを固辞した。
逆に王宮の建築様式をそのままにして守ってきた事に謝意を示し、恩讐を乗り越えて共に協力していこうという方針を固めた。
千家に対する牽制もあったのであろう。
秋上氏としては祭神を布都魂のままにしておくわけにはいかず、かと言って記紀に反するクナトの大神などは祭る事は出来ない

そこで出雲神をイザナミとイザナギに変えて祀る事にした。
これが一番最初に出来たイザナミ、イザナギであった。
和解の印として、千木が変更された。
千木の上が物部式の横削ぎ、千木の下部が出雲の縦削ぎにされた

さらに布都魂を剣神社に写し、ここでは横削ぎと縦削ぎの千木を片方ずつにした。
物部神社の千木は神魂神社と逆になっている
また、美穂神社の本殿の千木も横削ぎと縦削ぎが並んでいる

出雲系と言われるイザナギイザナミは物部氏によって作られた神なのである

神話の様な話など一切存在しない
0572日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:27:27.23
>>570
日向水軍の長は物部氏でしょ

だから武内宿禰の孫だかの襲津彦が神功皇后の際に征伐に参加した

武内宿禰は紀伊家ではなく男系物部の一族
0573日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:38:32.19
>>570
〉制海権を掌握した伊都の倭王にとって、海に面していることは脅威ではない。
魏志倭人伝を読むに、対馬海峡の渡海は郡使ですら倭船を使ったようだから、他の国は渡海技術そのものを持っていなかっただろう。

穀物を運ぶ大型の構造船なんて徐福時代から存在してたでしょ
それまで我が国は丸木舟

そもそもの技術の順番の認識が違う

元寇ですら海岸が戦場になったのになにを仰るのやら

防衛の話としてそれはあり得ない
0574日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:52:41.30
紀元前世紀ごろには国としての考え方として余所者は追い払う考え方は既に確立していた
故に、記紀でも高天原(失笑)から先遣隊が先に出雲に入り込んでる

故に、ホヒが先遣隊で入り、ホアカリが大国主に謁見して定住できた

北九州において物部氏が定住する前2世紀前には伊都を含む北陸までの範囲が出雲系の地域だった
第6代のオミツヌの国引きで出てくる範囲がそれ

伊都の機能なんて朝貢貿易が始まった後の話
0575日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 02:57:05.20
日向水軍は、神武の東征が開始された時の水軍とも言われてる

石塔が宮崎県の立磐神社の隣に立っている。
日本海軍発祥の地のいわれは、ここから神武天皇の東征軍が出航したことに寄る。
米内光政の筆になる碑文の島が立っている。

伊都などさして重要ではない
0576日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 03:01:26.67
磐余彦が出港したのであれば倭国大乱期の、景初より前の段階で水軍が日向から出ている事からも中心の一族は既に物部氏になっていたとしか思えない
0577日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 06:45:36.40
>>575
それ造ったの明治時代やないか
明治時代の石碑を根拠にされても・・・
0578日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 07:10:13.58
>>576
日向も筑紫も阿蘇も磯城も飛鳥も出雲も伊勢も大津も吉野も纏向も吉備も、記紀以降の後付け地名。

その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。  わははははは   @阿波
0579日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 08:42:50.33
>>577
だから?
石塔を後に建てたらどうだというのだ?
だったら九州の高千穂には新しい石塔が沢山あるから高天原は九州ではなくなるなw
少しは頭を使ったら?
0580日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 09:57:42.72
伊都なんて下手すりゃ美穂関と同義の伊都関であって、徴税のための国境施設と迎賓館程度の施設では?
イメージが肥大化してるだけでその実像は畿内で作ってもらった記紀依存でしか語られてない気がする
キャスティングに九州のどの一族だろうとか、そこまで認識が深掘りされてない
0581日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 12:53:36.82
>>570
筑紫の日向という話であれば
「阿部の領域の」宮地嶽神社が出てくるところでしょ
解釈としては
宮地嶽神社が高天原の一つであり、筑紫の日向であったが、神社の参道が石畳である。まさに日の入り方向に向いた築石の参道、すなわち、築石の日向→筑紫の日向である。
これなら、神代の時代を物語る記紀の記述に矛盾しない

という論法

阿部の領域でそれは無いでしょ
宮地嶽神社の旧社家は阿部系
志賀島神社の東の相島も旧名称は阿閉島といい阿部系の領域であった
阿部は男系尾張氏
安曇も男系尾張氏

東北の阿部はアトウ水軍になるけど、ホアカリや饒速日の子孫は規模の差はあれ船大工の技能は持っていた様だね

尾張氏の子孫であれば、ホアカリ系であって、物部の饒速日とは親戚とは家基本別の家になる

尾張氏系統に「耳」がつく人がいる訳で、物部系のニギとは違う

物部が耳をつける可能性は、母系尊重で同じくオミツヌから初代八耳までを意識する場合だが、その後の物部氏の系図を見ても、フツ、フルとかはあっても耳はほとんど無い
0582日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 13:16:50.12
畿内の黒塚古墳は三角縁神獣鏡の最大顧客であった賀茂氏の墓と思われる場所で、ドウハン鏡の出土状況を見れば、出雲(賀茂)と、物部を裏切った武内宿禰系(男系物部)の関係者の位置関係が分かりやすく出てくる
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

日向では西都原2号墳から出土

九州北岸は、もう糸島あたりまでは少なくとも古墳時代前から東軍側の三角縁神獣鏡を貰った一族のエリアになってる

物部氏の領域では裏切り者の武内宿禰以外のところから三角縁神獣鏡が出る事はまず無い
0583日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 20:31:39.44
>>573

順番が違うというのなら、そちらこそ自分の書いたものを読み直すといい。
徐福の方が古いのだから、その技術を継承して玄界灘を支配する倭国の海神族王権が生まれたと考えていいのでは?
0584日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 20:37:58.79
>>580

伊都の王族は記紀の日向三代だと繰り返し述べているが?
伊都の鎮守である高祖宮が彦火火出見を祭るのだから明白だ。
だからこそ、出雲の全盛期にはまだその権能はなくて当然。
出雲の国譲りを受けて伊都に全権が集中したのだろう。
そして卑弥呼の時代には周辺諸国がみな畏れ敬うこととなった。
これは記紀に依存しているというより、魏志倭人伝に記紀を擦り合わせた結果だよ。
同じ倭国についてのべているのだから、記紀と魏志倭人伝はどこかに接点がなければならない。
それが筑紫の日向の伊都である。
0585日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 22:48:03.34
>>584
〉伊都の王族は記紀の日向三代だと繰り返し述べているが?
伊都の鎮守である高祖宮が彦火火出見を祭るのだから明白だ。

だったら日向三代は物部氏じゃん
何を言ってるの?ww
筑後の物部の領域の一部に過ぎない伊都って事を自分で説明してね?w

あと、ホカアリ饒速日は徐福だよ
字名が徐市
フツは、一から来てる

九州説失格だなw君は
0586日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 22:54:12.09
前にも書いたが、一度我が国にきて、再び日本に来てるのは徐福とスサノオだ

五十猛は、彼の父親である徐猛から取られた名前

だから、同一人物ホアカリ饒速日は、須佐男と同じだって書いてきただろ

そして、紀伊家が記紀上の神武である磐余彦との関係で隠される形になったときに、同一人物を、カゴヤマと五十猛に分けて書き、片方は大陸からの渡来と明記した。
須佐男は朝鮮には立ち寄っただけで、朝鮮から来たとは書いてない。
記紀は我が国の大王家が誰の血筋かバレたとしても保険で「出雲の女系の先祖である」という書き方をした
0587日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 22:57:48.32
本来の物部総本家である彦五瀬の家系はまだ続いているとも既に書いた

ヤマト入りしたウマシマジ(佐野命)からはその後度重なる嫌がらせを受ける様になったので、辟易して和歌山で土着化した際の奥方の橋本姓を名乗ってる

神社の社家からは手を引いたが、日矛の鏡の所有権は今でも維持しているよ

まだ物部だってことが分からんのか?w
0588日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 22:59:04.86
>>585
訂正
〉フツは、一から来てる
〉フツは、市から来てる
0589日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:01:51.70
物部氏の本拠は2世紀までは筑後、吉野ヶ里

3世紀以降は物部族は諸事情により衰亡に向かう。吉野ヶ里の歴史でも考古学上、そういう結論が出ている。

七支刀が神功皇后の住吉ではなく石上に直接伝わったのはその辺の事情が関係している
0590日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:04:10.04
尾張系の安曇や阿部が伊都当たりに入ったのはいつの頃かは不明だが、我々が思ったより古くからいたとしても全く不思議では無い
しかし、倭国大乱期で負けた阿部が入っているのであれば、神功皇后期以降で、安曇とさして変わらない時期であろう
多臣氏が勢力安定のために呼び込んだ可能性はある
0591日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:06:56.00
そして、黒塚古墳のコピーの三角縁神獣鏡の出土状況から見ても。筑後ともう一つの日向の両方の地域から物部以外の勢力の鏡が出ているので物部が勢力を失った後に入り込んでいるのであろう
0592日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:09:08.61
魏書では伊都の長官の名が、ニギとかいう物部ゆかりの字になってるだろ

伊都なんざ、大した位置付けの場所では無い
本質は物部と吉野ヶ里、そして受け皿になった女系の宗像氏だよ
0593日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:19:15.21
徐福が上陸して、唯一徐福の名前がつかない伝承地がある。
それが五十猛海岸。

大陸の連中が我が国に来る前は出雲くらいしかデカい国がなかった。
だから国譲り事件が出雲で起きた。
神戸家の大国主である八千矛と、副王スクナヒコの富家の八重波津身(事代主)が同時に殺害された。

故に取り残された五十猛をタキツヒメは見捨てたし、八重波津身の息子のクシヒカタは奥方の三島姫の実家に一緒に着いて行く事になった。

五十猛が大年彦とかカゴヤマと名を変えた事は記紀の誤魔化しに大いに役に立った訳だ。

紀伊家が五十猛を奉じるのは、カゴヤマと名を変えた後に物部と婚姻して村雲を設けたから。
五十猛の腹違いの同格の家なんだよ、紀伊家と大王家は。
0594日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:21:27.37
伊都王家

まずはその一人歩きした不気味な権威をどうにかしないと魏書や邪馬台国どころの騒ぎではない
0595日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:29:12.69
魏書の伊都なんて、糸島エリアのごく一部、

歴史的にヒボコ族が倭国大乱期に負けて逃げ込んだ事により系と呼ばれる様になったところで景初の記述にはなんら影響しない

中にはヒボコは須佐男で尾張氏の先祖で尾張氏の本家が安曇とか出鱈目を言う奴がいる様だが、どう考えてもヒボコは辰韓(秦韓のしろ領域)の時代。
播磨風土記にある様に紀元後100年代の渡来だよ
その前きてるのなら明らかに尾張氏や物部より代数が足りない
0596日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:39:25.69
もう一度書こう

物部にたどり着くのはそんなに難しいのかと驚きを隠せない

あと、王家が伊都を直営として貿易の徴税をして、1円玉を数えるようなみっともない役職を自ら行うものなのか?
どんだけセコい王族なのかww

そういう稚拙な設定は物部に失礼だぞ?w
0597日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:50:10.17
二度目の物部東征、景初動乱

イクメがヤマト入りした際に既に出雲を滅ぼしたタジマノモリは一足先にヤマトで勢力を形成していた。
イクメは前政権の姫巫女であるサホ姫と組まざるを得ず、乱はおさまらなかった
時代に制御不能になるタジマノモリ。
彼はイクメと同じ銀のハンコであったので大王の様に振る舞い出した。
そこに腹違いの兄妹である豊彦、豊姫がヤマト入りし、登美の霊璽が占領された
今でも登美の霊璽が二つあるのはこの時の戦乱によるもの。
豊兄弟が合流したことにより、武内宿禰がいた事で優位に立っていたヤマト側は一気に劣勢になった。
豊兄弟はサホ姫と組んだイクメを叱責。
予定通り月の卑弥呼を就任させろと騒ぎ出した

そこに魏国の介入がなされ、卑弥呼の金のハンコを持っていた宗女トヨが正式な倭国王に指名される。
イクメはサホ姫を放逐。前政権のヒコイマスの娘であるヒバス姫を娶ってトヨの下に入った。

しかしイクメは裏手までを回し、千家のウカツヌクにヤマト派兵を要求。事態を変えようと画策していた
0598日本@名無史さん
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2022/10/30(日) 23:59:55.45
ウカツヌクは出雲では人望が全く無く、人が集まらなかった。
困り果てた千家は何と裏切った相手の富家に頭を下げ賀茂の力も借りようとした。
滅ぼされた直後の富家党首、冨太田彦は難色を示したが、三輪山の遥拝所であった登美の霊璽を取られたままでいるわけにもいかず、派兵に応じる。
名前を野見太田彦に変え、ヤマトに派兵。加茂族の支援を得ることが出来、タジマノモリを追い出すことに成功する。
ヒボコ族は大乱期に続き二度目の敗北を喫し、淡路島などに再び逃げ込んだ
今でもヤマトにはかつてのタジマノモリの拠点が地名と駅名になっている。
そしてその近くには三宅の地名もある。
イクメは同時に豊彦に、サホ彦の追撃を命じていた。
そこに野見軍が来たことにより豊彦はヤマトから追い出されることになった。

こうしてイクメはヤマトの覇者になった。
野見太田彦はイクメから宿禰姓をもらう。

しかし、戦闘終了後に地方の豪族のもてなしを受けた際に毒を盛られ、死亡する。そこの下女にヒボコの関係者がいたらしい
0599日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 00:09:40.76
記紀では、負けた相手を古墳の円墳部分に顔だけ出して生き埋めにして、虐待したり大声で叫ばせたりするくだりが出ているが、あれはどうも物部氏が本当にやらかした事らしい
流石の九州男児である
これが決定打となって、物部族は既存の豪族に総スカンを食らうことになる。
出雲族や尾張氏は逃げ回るのみで決して従おうとはせず、貢物も決して出そうとはしなかった
形上大王となった物部家だが、実質の副王にあたる賀茂氏より圧倒的に貢物が少なく、仕方なく徴税戦争を仕掛けることになった。
この大変みっともない大王自らの徴税戦争が大陸の史書に書かれてしまい、記紀では仕方なく親征として書くしかなかった。

「どうせなら伊都でもケチくさいことやってましたなんて書いちゃえばもっと面白かったのになw」

ヤマトでは出雲族や尾張氏を土蜘蛛と書いた。
九州では出雲族を土雲と書いた
そしておそらく豊国を熊襲と書いたのでは無いだろうか?

連合国の相手である豊国を裏切ってグダグダにした物部大王家は同族からも総スカンだった様だ

結局すぐにヤマトでの勢力を失ったイクメは次の景行の際には播磨が都になっていて早々ヤマトから追い出されていた
0600日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 00:15:03.00
この事が後々の宇佐古伝の視点となる。
宇佐氏は、決してイクメを認めない
同じく崇神の子供である腹違いの物部豊彦を神武の息子であると書き、イクメ系の成務の妃であった神功皇后の子を認めていない

宇佐氏は、記紀服属で崇神を神武とする形で古伝を公開している

旧家ごとに異なる古伝であることが奇妙な緩衝材として働き、普通ならとんでもない騒ぎになるところがなんとなくスルーされて済んでしまって居るが、各旧家の伝承における神武は全て、記紀服属で村雲、磐余彦、崇神のどれかになっているので適当な話はほとんど無い。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 00:23:03.79
ヤマトにおいて旧領を奪回した出雲族だが、イクメには追加の依頼を受けて、豊国勢力の追討の命が降る

これが関東や上州の出雲系(出雲と青箱系)の国造が発生することに繋がった。
関東にはその後北陸の武内宿禰勢力と組んで強力な経済感が生まれる
中心は常陸国であった。
出雲勢は豊彦追討を領地拡大に使い、なんと豊彦をそのまま見逃した。
これが上州の上毛野家に繋がり、のちに竹葉瀬君が神功皇后により呼び寄せられる事に繋がった

宇佐が応神を神武の子とするのは、イニエと豊玉姫、つまりかつての物部宇佐の連合の直系の子孫だからである
0602日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 01:07:48.65
我が国で青銅器を作れる地域は九州、出雲、ヤマトと書いた

九州物部は弟の家系であり、何より紀元前に出雲王族を殺した人間の子孫の家系

ヤマトに対して下手に回る立場であった。
それは習合相手が出雲系の宗方氏であった事からも伺える
出雲は早くから情報ネットワークが発達しており、散寄出雲と呼ばれる組織を作っていた
サンカの元締めも出雲であった

要は尾張氏も物部も監視対象であったわけだ

物部の性質上、伊都の機能は徴税と利益の分配であろう。
でなければ全量を輸入に頼っていた錫と、鉛は複数の地域では成り立たないし
輸出の水銀は、中央構造線沿いにあり、まともに大量に産出する鉱脈は大和鉱床。
宇田から愛媛だったか?あのあたりは出雲が抑えていた。物部は手に入らなかったから、一般的に言われる伊都ヤマトの出先機関であるという認識は間違っては居ないと考えられる。
水銀の話は魏書の朝貢の品目にも出ていた気がする

九州の中央構造線近辺と博多辺りでは水銀は出たがそんなに量は多くは無かった
0603日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 01:10:29.05
伊都の性質上、伊都単独の王家など空想としか思えないのである
あんな大陸の侵攻の矢面に真っ先に晒される様なところに王様がいたら笑えるw

単なる共同の港湾施設といった方がしっくりくる

故に、役割を終えた漢の金印が捨てられていたのであろう
0604日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 01:12:39.48
伊都が共同利用では無く大陸窓口を独占していたら、まさに伊都を制するものは我が国を制するになるわけで、大陸はおろか国内からも常に狙われる地域になるわけで、凄まじい戦闘にさらされることになろう

そんな史実など無い様に思えるがね
0605日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 08:07:40.92
魏志倭人伝に準拠したら、伊都が内政も外交も独占しているように読めてしまう。
仕方がないではないか。
認識の違いは入り口の違いによるものだ。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 10:28:06.16
対馬から九州に行くより海流に流されて本州に着く方が楽でしょ
0608日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 10:35:11.64
日本に向かうなら釜山なんか行くはずがない
あれは帰りのルートなんだろうか?
0609日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 10:46:17.42
>>608
そうだ。   @阿波
0610日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 10:50:47.69
>>605
〉認識の違いは入り口の違いによるものだ

ぬう、確かにその通りだ。
しかしそれを言っちゃったらおしまいな気がする
伊都に関する記述なんてそれ一つですもん
0611日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 10:56:11.65
>>606
〉当時の鉄の輸入を監視規制してたからな

考古学的な鉄製品の産出量の推計は、景初直前は九州で、動乱期以降は丹後が日本一になる

九州伊都勢が独占していたとするのなら、東征が成功した人たちのエリアで独占ができなくなるということは考えづらい

他のルートや(そもそもつまりは独占はなかった)他の事情を考慮するべきかと
0612日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 11:00:15.52
>>611
大陸と常態的に交流していたのは鉄器王国「阿波」なんだから、

畿内説や九州説など、取るに足らないどうでもよい話。  わははははは   @阿波
0613日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 11:25:02.89
伽耶が鉄鉱石の産地でそこに倭人が居たのか
0614日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 11:33:47.78
魏志倭人伝の行程は倭人の居る国を並べただけで
魏の使者はあのルートを辿ったわけじゃないわ
0615日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 11:38:23.66
普通に考えれば魏の使者は済州島か対馬から来るよな
0616日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 12:25:07.89
>>613
帯方郡から船で20日南下し、そこが投馬国
更に船で10日南下して九州北部の邪馬台国に上陸し
末盧国からは徒歩
計一月の行程だ

朝貢に来た倭人のこの行程説明を中国は一部誤訳して魏志倭人伝に追記した

そーゆー事よ
0617日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 12:44:14.72
>>616
何故末盧国なのかわけわからん
0619日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:06:03.10
>>611

つまり卑弥呼がいた間は邪馬台国の中心国邑である伊都が鉄を独占していたように読めるけど?
0620日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:09:05.93
400年前の戦国時代の地名、人物名など殆んど現在でも記憶されてて

卑弥呼時代から400年後と云えば645年大化の改新ころ、
かなり、記憶に残ったり伝説伝承は有っただろう。


伊都国に到る。官は爾支と曰ひ、副は泄謨觚、柄渠觚
東南、奴国に至る。百里なり。官は?馬觚と曰ひ

魏志倭人伝に出て来る 「觚コ」 とある官位は、どうも書記が使う木簡の事らしい
普通は板状の木簡だけども、割りばし状で一辺3cmくらい太くしたの角柱の木簡を言うらしく

4面に書けるので効率がよく新羅、奈良でも遺跡から出土してる
だから漢字は無いが自分たちで発音できるカタカナのような記号が有ったと思うな。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:09:24.52
対馬海峡は3日かけて渡海したはず。
つまり一日千里なんだよ。
帯方郡から末盧国まで一万里は水行十日に相当する。
残りは陸路で、二千里しかない。

投馬国は帯方郡から水行二十日あり、福岡ではない。
日数しかないから伝聞による記事であり、郡使は訪れていない。
投馬国は宮崎県都万神社。
0622日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:12:07.50
「南、邪馬台国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰ひ、次は弥馬獲支と曰ひ、次は奴佳(革是)と曰ふ。七万余戸ばかり。」

弥馬獲支(ミマワカ)9代開化天皇、百襲姫の甥。
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと) - 『古事記』

弥馬升(ミマショウ指揮権のある将・王の尊称、後漢書には扶余王などにも付けてる)
御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)10代崇神天皇

伊支馬(イクメ、イコマ)11代垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと) - 『古事記』

奴佳(革是)(ヌカタ)額田部氏、額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ、)
0623日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:19:43.15
「投馬国に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ。
五万余戸ばかり。」

この官は弥弥ミミって何だろうと思ったが
第二代綬靖天皇の名、神沼河耳の命(かむぬなかわみみのみこと)
陶津耳(崇神紀)紀:三島溝杭耳、紀:手研耳命などなど

今でも、「耳を揃えて払え]とか「パン耳ミミ」と言うように
名前の「ミミ」には「そろえる、治める、長(オサ)」という意味があり、
陶津耳命は個人名ではなく、「その陶津(大阪泉州地域)の首長」という意味らしい。


神様には「ミ」1音だけ付ける決まりが有ったのか、イザナミのように
人間の首長には「ミミ耳」を付けた様。
0624日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:27:21.19
陶津耳の津は助詞。
海の神がワタツミ、山の神がヤマツミで、津は現代語ののにあたる。
陶津耳の名前の部分は陶だけ。
三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』には、大陶祇命とある。
大山祇につが含まれていても港が関係しないのと同じ。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:28:13.80
つまり人についてはミミ、神についてはツミ
0626日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:33:06.00
神社などには良くある元宮、本宮
天の橋立にある籠神社(このじんじゃ)正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」
甘南備山には上宮、奥宮、と下宮、本宮など結構、別次元的な空間に分かれてる

高天が原なども、元高天が原と今高天が原などの2元高天が原とに分かれてて
那珂川を中心とする九州福岡平野、(古の奴国)などは元高天が原で
卑弥呼時代には既に東海以西は統治下に有っただろう、出雲・物部王朝か?
7世紀ころの奈良盆地は今高天が原だったのでは?と思うが、

そもそも「高天が原」なる想像上の空間は、
700年ころの持統天皇とり巻きの空想物だと思う
持統天皇の名に「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
と付けられてるし、皇孫ミマが統治する中央空間が高天ヶ原だったんだろう。
0627日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 18:38:42.23
>>621
>投馬国は宮崎県都万神社。

神社が「投馬国」??   @阿波
0628日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 18:49:43.24
都万神社はもとの日向国国府であったという説がある。
宮崎平野に投馬国5万戸、福岡平野に邪馬台国7万戸。

半島南部に投馬国など入る余地はない。
0629日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 18:51:54.97
>>628
>都万神社はもとの日向国国府であったという説がある。

その後世の国府と、「投馬国」はまったく無関係だ。   @阿波
0630日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 19:20:32.00
神社なんかないっつってんだろうが
それに倭人の居た国を並べてるだけで行程じゃない
0631日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:11:00.82
実は、伊都国の平原遺跡から日向峠の日の出を見る神嘗祭10月17日前後ころ
この延長線上には油山の麓「安徳台遺跡」があってその先には天拝山、
そして次に目配山、高宮山、麓には日本一古い神社と言われている
大己貴命(おおなむちのみこと)神社が奇麗に神嘗祭ライン上にあり、
目配山と天拝山からは福岡平野と筑紫平野がほとんど見える場所。

その大己貴命神社の目の前には小石原川(旧安川)が流れてて
ここが高天ヶ原神話の神々の会合する場所「天の安川原」と云われる処
そしてアマテラスが遥拝をしたと云われる天拝山、全て神嘗祭ライン上にある

つまり、福岡平野、筑紫平野が「古の奴国・元高天が原」だったんだよ
0632日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 20:19:30.84
そして「神山・脊振山」
脊振山はもと脊降山だったと思う、天孫降臨の「降る」雪が降る。雨が降る。
後に龍神信仰が入って来て龍の背びれが振るに変化して脊振山に変わった

天から舞い降りて来る白い物(雪)を(蘇そ降る)と言ったらしく
明日香時代の食べ物(蘇)を白いチーズ状の物だったと云われてる

神話にある筑紫の日向の「襲・添山峯そほりやまのたけ」の「そ」は  熊襲の襲も?
「せ・脊・背」のことで九州では一番早く雪が降る山、1054mあり
富士山の初冠雪の様な、神聖に季節を感じたんだと思う古代では
そこから流れ落ちる那珂川の水は神仙水で天御中主が住まう場所だったんだろう。

神道大祓詞の瀬織津姫(せおりつひめ)は案外、脊振山、脊降りつ山の姫のような?
0633日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:26:42.76
>>613
馬韓と、高句麗の日本海側北部が鉄の産地

高句麗ルートは越前が関係しているという話があるな
0634日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:32:31.80
>>630

里程は郡使が通過した記録に基づくものですよ。
投馬国は里程が記載されていない。

現在は都万神社ですが、上古においては国府で、それ以前は投馬国と呼ばれていた支配的国邑または支配拠点だったわけです。
ちなみに後世の律令制における国府は別の場所。

半島にあったというのなら、その中心国邑はどこになるのですか?
0635日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:38:27.75
現在の神社のうち、いくつかは上古の支配拠点だったと考えられるものがあります。
例えば関東なら出雲族の関東進出の前線基地だった鷲宮神社。
古香取海の出入り口を両岸から守る鹿島神宮、香取神宮など。
宮崎平野において都万神社だつたということです。
現在は宗教法人でも、弥生時代はそうではなかった。
0636日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 20:43:03.92
物部系の「宮下文書」には、BC4世紀ころニ二ギの天孫降臨(吉武高木遺跡)時、
日向ヒムカの良き地、空国に向かいてと書かれた
ニ二ギは北の湊(博多湾)、兄ニギハヤヒは南の湊(有明海)から侵攻したと書かれてて
兄ニギハヤヒは統治後、間もなく東(瀬戸内海)に遠征に出かけたと

そして、淡路島には最古級(BC3世紀ころ)の松帆銅鐸が舌付きで出土してる
この頃に青銅器冶金技術をもった集団が淡路、吉備、出雲、周辺に定着したんだろう。
0637日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 20:52:08.60
都万神社は、全国でも珍しく木花佐久夜毘売を祭ります。
そういえば糸島の細石神社も木花佐久夜毘売を祭りますね。
実際に王墓が見つかったのは細石神社の方です。
では都万神社は何なのか。
ヒントは海幸山幸の説話にあります。
伊都の鎮守は高祖神社の彦火火出見であり、またの名を山幸彦といい、木花佐久夜毘売の息子です。
では海幸彦はどこにいるのか。
山幸彦との争いに負けた海幸彦は、南の国で隼人の祖となったと言われています。
おそらくは海幸彦が母を祭ったのが、そのまま現在の祭神になったのでしょう。
海幸と山幸が、投馬国と邪馬台国、日向国と筑紫の日向、九州南部と九州北部で常にセットなのです。
郡使は倭国の伝説に興味はないので、単に名前と戸数だけ記録した。
0638日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:57:04.18
そして神武東征より、いち早く奈良盆地に入って王朝を築いた者たちが居た
そう、三輪山を甘南備山とした出雲、物部王朝

そしていち早く丹波地域を地盤の物部系籠神社の海人海部一族が東海へと進出し
尾張一族が東海地域を支配した関東三浦半島あたりまで、卜骨遺跡が彼らのだろう。
0639日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 20:57:38.36
>>636
>この頃に青銅器冶金技術をもった集団が淡路、吉備、出雲、周辺に定着したんだろう。

その集団が「倭人(阿波勢力)」。   @阿波
0640日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 21:04:02.91
ちなみに都万神社は、全国最大級の西都原古墳群の近くにあります。
邪馬台国7万戸に次ぐ規模の支配域を持つ投馬国として申し分ない。
半島南部にその規模の国邑を求めることは地勢学的に不可能です。
0641日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 21:07:43.23
>>640
>ちなみに都万神社は、全国最大級の西都原古墳群の近くにあります。

お墓はいいから、「投馬国」にふさわしい集落遺跡群を探してこい! 話はそれからだ。  わははははは   @阿波
0642日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 21:09:51.96
>>640
半島南部に倭人が居住していたのは確かであり古墳も多数存在することから
それなりの規模だったと推測される
0643日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 21:16:13.12
古墳である時点で時代が違う。
0644日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 21:51:45.55
良く、高句麗、扶余族の話題に出て来る(シ歳カイ・穢ワイ)族
朝鮮半島、東岸日本海側沿いに住んでた彼ら、

あの辺は元々縄文海人が住んでた地域で結状式釣り針が出土する、
今のウラジオストク周辺の遺跡からは隠岐の島産の黒曜石が30か所から出土してる
つまり(シ歳カイ・穢ワイ)族と云われる民族は日本海側で活動してた縄文交易民の
可能性がある、縄文海人は沖縄まで貝取りに行ってた航海民だからね

そこで本題、日本には海に関する物で「海部かいふ、櫓(ろ)櫂(かい)、貝、甲斐」
本来、海はワタと発音するのがカイと発音させてる、漢字音のカイとは語源が違うと思うな
カイと倭が混ざってワイとも発音された倭夷だろな、蝦夷えぞ、もカイと発音できる、
カイ、ワイ、て集団は日本海を生活圏とする海人集団だったんだろう。

ちなみに甲斐の国には少し後だけど高句麗人が住み着いて高麗郡が山梨にある
甲斐人と高麗人とは案外言葉が通じたのかもな。 甲斐は奈良時代からある地名。
0645日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 21:52:36.66
>>633
朝鮮南部の伽耶だっつってんだろうが
0646日本@名無史さん
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2022/10/31(月) 21:58:41.08
>>634
半島南部の伽耶が鉄鉱石の産地
倭人はここに住んでて鉄を掘ってたんでしょう
狗邪韓国から日本に向かうわけがない
0647日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 22:04:45.09
>>640
だから半島南部の倭人の国だよ
渡平海北九十五国
0648日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 22:28:52.10
すまん「投馬国」は今の鞆の浦、玉島、玉野、倉敷がある備後に飲み込まれた国
「投馬国」は五万余の大国だったけど東方に有った小国吉備に征服されて
備前、備中、備後と云われる大国に発展した、
岡山中山を拠点にした、百襲姫の弟、西道将軍、吉備津彦、桃太郎メに征服されたんじゃ

讃岐一宮田村神社や淡路、東香川、出雲、松江、大仙、周辺に百襲姫伝承が非常に多い
大山北側には百襲姫、吉備津彦の父孝霊天皇の孝霊山がある、大国主国譲りさせた張本人。
0649日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 22:41:12.21
>>648
なんで神社で人を祀るの?
そんな事当時やってたと思う?
0650日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 22:49:10.76
天皇でもない百襲姫に当時最大の墓を作るわけないし
天皇の立場は?
0651日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 23:02:49.23
卑弥呼時代には今イメージするような神社は無かっただろな
岩の塊り岩倉や小さい祠の様な物で忘れない様、祀って伝説伝承として記憶してた

そこへ、建築技術が進歩して伝説伝承の地に立派な神社を土地の有力者たちが建てた
宇佐神宮なども、8世紀ころと云われてるな。


天皇も今のイメージとは違って、卑弥呼など斎王の方が上位だったのかも
男王たちは将軍など軍事や官僚として勤めていた、
倭人伝なども王族を官有りと記録してるし。
0652日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 00:03:17.86
建物な規模は違うが、高床建物は弥生時代にはあった。
弥生時代の王宮が後に神社になったんだよ。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 00:14:51.74
>>652
多分俺もそんなところだと思う
自然の恵みに対して感謝の祈りであって人を祀るってのは違和感がある
0654日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:05:42.85
>>619

邪馬台国の中心ww
まあ、大卒という役人はいた事が書かれているだけ
当然に王とは違う

それと会社の戦いに備えて度外視の量の鉄を輸入しただけの話

例えば越前の林・藤島遺跡。
そこは、鉄器工具を使った当時の超最先端施設であった。
発掘された鉄器は二千点もあり、この遺跡だけで、邪馬台国時代の鉄器出土数の日本一となっている。
とても独占とは言い難い。
九州のそれ戦いに備えての一過性のものだよ。
越前半島的な地形は対馬海流が真正面からぶつかるところ
そして昔から出雲の領域で墳丘墓も四隅突出型がある所

青銅器の材料の輸入ルートはその前鉄の輸入ルートにもなったと言える

戦いにおいては鉄は国力になりうるが、平時は食糧生産が国力

中西遺跡にもある様に、九州を超える規模の食糧生産があったのが畿内

攻め込む理由にはなったろうな
0655日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:06:44.90
考古学的に伊都の存在は一つの国の独占を示すものでは無く、ましてや鉄のルートを限定するものではない

単なる伊都説の我田引水に過ぎない
0656日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:18:35.40
魏志倭人伝に準拠すればそうなんだよ。
伊都が対馬海峡の交易を管理していた。
越前にそれだけの鉄があったのは、伊都の支配下なのか、抜荷のどちらかしかない。
0657日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:20:02.04
>>621
うむ。
ヤマトという国は畿内のヤマトであって
東征は、ヤマトや畿内のみで矮小化されて誤魔化されているという立場の出雲伝承だが、景初の卑弥呼は九州勢であるという立場をとっている

当然に魏書に出てくる邪馬台国は進軍直前の軍隊であり、国としての実態はなく、逆に大陸の使者はほぼ正確に彼らの実態を捉えていたというのが大まかな分析であった

大陸から見た邪馬台国は西都原に集まった移住者であって、国としては都万が便宜的に邪馬台国に該当すると書いてあった。

私たちが知りたがっている邪馬台国は都万に集まっていた物部と宇佐の軍勢で、タジマノモリが受け取った黄色の大陸のロイヤルカラーである八本の旗を後年の宇佐神宮に収め、銅鏡をその前に吊り下げて斬軍した連中
故に、宇佐ははちまんが本質ではなく、ヤハタが本質との事

大陸から見た邪馬台国は既に昔から朝貢してきたヤマトであって、大陸側は九州勢の自己紹介を丸呑みしただけの話であるという事だった

記紀では物部氏と宇佐氏がが消され、武内宿禰の父、フツオシマコトがイニエから開化の血筋に誤魔化されて尾張氏である様に偽装で分けられているから、これなら筋が通る

日向の王者は後年の神功皇后期の襲津彦辺りまでは少なくとも物部であった
0658日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:20:03.78
「世有王皆統属女王国」
理解しやすくするため同じSVO型言語である英語に訳すと
At all times, there is a king.
Everyone belong to queendom.
となる。
代々の倭王は全て伊都国にいて、全ての者は女王国(伊都国)に統属した。
0659日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:21:37.84
大率が検察していたのは伊都ではなく、伊都から北の対馬海峡の国々だ。
それらの周辺諸国は伊都の大率を畏怖していた。
伊都が畏怖していたとは書いてない。

江戸幕府の将軍を諸藩が畏怖したというときに、江戸は将軍の支配下だから植民地だなどとは言わない。
むしろ直轄地の権威は高いのが普通だ。
伊都が各地の官とは別に広域を支配する大率の本拠地があるということは、伊都が女王の直轄地、すなわち女王国であるということだ。
事実、大率が監察する地域は「女王国から北」と書かれており、伊都が女王国に含まれることは明白だ。
そして伊都の他には詳しく紹介されている国邑はない。
陳寿の意図は明らかで、伊都を女王国の都として書いているのである。
0660日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:22:30.90
>>628
〉半島南部に投馬国など入る余地はない。

まさにその通り。
景初の物部王国の影響範囲は筑後だけではない
倭国大乱期での事実上の東征の失敗で戻ってきた人たちは殆どが都万、昔の都を指す言葉である西都原に移り住んだとある
0661日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:23:24.41
伊都国は出雲だから
0662日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:27:07.42
>>656
単なる役人の「記」にそこまでの公信力はないw
物部氏は鉄の権益を任那に持っていただけの話

だから神功皇后は、部下の国が辰韓の王朝を継承し、統一神羅の前身の国が発生した際に、相続権を主張して成務に征伐を持ちかけた

この鉄権益に関しては現在では頻繁に言われるようになってきてるな

昔から植民地だったんだよな、半島は
0663日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:29:31.66
>>662
日本から渡ったんじゃなく元々倭人が住んでたんでしょう
0664日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:37:15.32
三韓征伐は、実は盛りまくりのデマで、ニ韓征伐に過ぎない

高句麗は我が国の軍門に降らなかった
だから七支刀と広開土王碑の話になる

鉄ルートなどそもそもが独占されていなかった。
安全なルートが共同体の運営で伊都を窓口として運用されていただけ

そもそもが、出雲で独占されていた翡翠の加工の地域で卑弥呼時代に出土数が日本一となる規模の鉄の出土でそれでも伊都が独占というのは笑える話
出雲は景初動乱で物部、宇佐、タジマノモリに滅ぼされているからな

九州でもなく、丹後でもなく、越前というのがミソ

物部の伊都、ヒボコの丹後、出雲の越前は独立したルートをとっていた

それと伊都の機能を一時的に独占できたのは倭国大乱期以降から景初動乱までの間。
吉備国が瀬戸内海を支配し、ヤマトの朝貢ルートが寸断され、平型銅剣が配られていた時期のみ
日本海側はヒボコ族により支配されていたので敵方のヤマトは日本海側ルートは使えなかった

ヤマトが丹後からの鉄ルートであるのなら、そもそも伊都の独占がない事の証明になるし、ヤマトが瀬戸内海を朝貢に使うのなら当然に伊都はヤマトも使う事になる

どの道伊都説は我田引水に過ぎない事になる
0665日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:43:54.13
>>623
その耳は出雲と畿内のヤマトにちなんだ名前で、家督を継げなかった多臣家の先祖が八井耳
分家の多臣家は早くから九州にいた
八井耳の母親が多々良五十鈴姫であり、主に臣姓は、畿内ヤマトで出雲と婚姻した家柄名乗る家だったから、かなり早い時期から九州で出先の仕事をしていた事になる
そして、義理の弟の系譜の物部氏とは、当然に協力関係になる
0666日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:45:07.55
>>642
古墳は少し後の時代のものだよ

それをいうのなら半島で発掘される弥生式土器を例に挙げるべき
0667日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:49:24.69
>>648
〉大山北側には百襲姫、吉備津彦の父孝霊天皇の孝霊山がある、大国主国譲りさせた張本人。

戦場となった妻木晩田遺跡の、東側の山だね
近くの笹福神社には孝霊が斬軍したルートや戦いの概要が古文書として現在でも残っているらしい

ただしこれは倭国大乱期の事で、この時に銅剣と銅鐸が埋められた時代

流石に紀元前3世紀の国譲り事件とは時代が離れている
0668日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:53:58.70
>>637
薩摩隼人は海幸彦ではない
それなら架空の人物ニニギが、東征前から大和にいた勢力と攻め込んできた神武が同じ家系であるという話に繋がらない

天孫降臨と東征を九州に収めるための方便で隼人が海幸になっただけ

そもそも海部が部民名を名乗る前は「海家」と呼ばれていたでしょ。

九州独特の記紀依存病だよそれは
0669日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 02:59:08.43
>>637
〉都万神社は、全国でも珍しく木花佐久夜毘売を祭ります。

宮下文書が富士王朝とか色々噂になるのには理由があります。

コノハナヤクヤヒメは実在する人物で、ニニギにされた崇神の最初の奥方であるアタツ姫の事らしい。
アタツ姫とイニエは名前を変えられて神代に持っていかれ、ニニギとサクヤヒメに変えられた。

故に、名草にやられたから名草を悪く書く視点から見ても、物部氏関係者が書いたと言われるわけです。
サクヤ姫は八ヶ岳とか富士山とか全く関係のない九州系の実在の人物が神様にされた存在な訳です
0670日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 03:02:00.94
>>661
〉伊都国は出雲だから
糸島の平野部にヒボコは逃げ込んで伊都の地名になったとはいえ、その前からも住んでた人たちがいるわけで、そこは三角縁神獣鏡エリアのちょうど境目

しかし出雲というよりは宗方という事ではないでしょうか?
0671日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 03:11:27.61
>>663
元々大陸の秦国(実は、徐福たちは秦国にやられた斉の国だから半島に落ち着いた大陸の秦国系とは確かに違う)時代に万里の長城の賦役がきつくて逃げ込んだ勢力が辰韓地域の始まりらしいから

斉の勢力がいつのまにか秦国領域での貿易の中心になっていっただけでは?
大陸の言葉が使えるのは大きなアドバンテージだったでしょうな

倭人という認識は編纂者の視点であり大まかな把握の仕方でもああいった書き方になると思う

斉の国の人間が、大陸からバレたくなくて秦国(築秦国)と名乗った可能性はある

そういう意味では秦国は確かに倭とは区別できるから名称の使い方にメリットがあったのかもとは思う
0672日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 03:16:49.71
>>638
〉そう、三輪山を甘南備山とした出雲、物部王朝

物部は九州でしょ
記紀の読み過ぎ
記紀を読めば読むほど、神武が神武を攻撃したかの様な幻想に囚われる
そう言った意味では、記紀は同じ人物のホアカリ饒速日を都合よく立場を変えて書いているので、どっちの話かすぐにわからなくなる

武田宿禰が物部から尾張氏に簡単に偽装された様にすぐにそういう事ができてしまう

二度目の統制の際には開花は奥方が物部になった尾張家なので、簡単に物部が物部を攻撃したかの様な図式が記紀で簡単に演出できてしまう
0673日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 06:47:14.94
>>654
>例えば越前の林・藤島遺跡。
>そこは、鉄器工具を使った当時の超最先端施設であった。
>そして昔から出雲の領域で墳丘墓も四隅突出型がある所

まさに、北陸忌部の痕跡。   @阿波
0674日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 08:06:44.25
>>671
編纂者の視点と言うより中国の視点
日本側がどう認識してたかわからん
0675日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 08:10:53.04
>>670
対馬から船出せば自然に出雲辺りに着くでしょう
0676日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 09:28:36.23
魏志倭人伝には対馬海峡を南北に自由に行き来していたとあるので、流されて出雲なんて行かない。
島伝いに有視界航行するだけ。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 09:52:10.57
>>675
これ何気に重要なツッコミですよね

対馬海流は、出雲や越前方面にその前向かいます。
対馬に立ち寄った船が何故伊都にだけ進むと思うのかw

船の持ち主と、港湾を貸すところが普通は徴税しますよねー

船の持ち主は自分が儲かる方に普通は船を停泊させますよww
0678日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 12:52:42.77
>>658
物部と宇佐が連合したわけであるから政治の大王と宗教の姫巫女が居るのは当然だと思うけど

つまり景初直前は、物部宇佐の連合が北九州の主な支配者だったとなるわけだ


でも歴代って出てるからちょっと苦しいかな
0679日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 12:54:15.20
>>632
〉神道大祓詞の瀬織津姫(せおりつひめ)は案外、脊振山、脊降りつ山の姫のような?

おおお、なんかこういう考え方好きですわ。
なるほど、そういう変遷が、隠し方にも見えなくもないですよね
0680日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:06:57.70
>>677

そういうのは抜荷と言って、古来から厳しく取り締られています。
現代では密輸に相当します。
それで徴税を逃れて私服を肥やす輩が出ないように、伊都の大率が検察してまわっていたと魏志倭人伝にはあります。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:07:09.48
当時の製鉄方法は大量の木炭を必要とし、国が滅びてしまう「恐怖の工場」であったとも言える。
あえて日本列島で鉄を作る必要はなく、植民地だった朝鮮半島で作らせていた、と見るのが自然である。

かつて木曽は木が蘇ると書いて木曽といった。
出雲も元は出づ芽と呼ばれており、木がどんどん成長する様な地域だったそうな。

ただ、あれだけの短時間で急激に鉄を作ろうだ思ったら物理的に不可能。燃料が用意できるとは思えない。
それ故に、高く買うからとにかく鉄を寄越せと輸入が急増したのだろう。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:07:28.75
私服ではなく私腹
0683日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:11:34.29
>>680
大卒が厳しく取り締まっていたのは主に数量の間違いの有無でしょ

国が違うんだから、当然にその国のそれぞれの大卒がいると考えるのが普通

なんで他国の領域に課税が出来ると思い込めるのかww

抜け荷どころか、船持ってる奴から見たら別の所に持っていけば税金分を別れる事になるんだから普通は有利なところに運んでいくだろ

昔から海自がいたとでも思ってるのだろうか?
0684日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:27:42.09
むしろ荷を運んでいた海神族の頭領が大率だろ。
魏志倭人伝からは、対馬海峡貿易を伊都が独占していたと読める。
対馬海峡を通過する荷の数量を全て伊都が把握していたわけだからね。
0685日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:30:10.73
あと、大率がそれぞれの国にあるのではなく、わざわざ魏志倭人伝に一大率と書いてあるのですよ。
少なくとも、狗邪韓国を抑えていたら、出雲と丹後とかならともかく、半島との間の交易は大率の目を逃れられないはず。
0686日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 13:33:36.47
昔の鉄製さんの権益とは、製鉄をする場所の権利だった可能性がある。

朝鮮半島の木はバンバン切り倒されたろうね。
朝鮮半島の鉄というのはそれすなわち、植民地と見ることができる
0687日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:17:05.00
>>685
違いますよ
伊都には各国に対応した複数の大卒がいたという事ですよ

そうしなければ抜け荷には対応できない

儲かる方に必ず出す

高句麗にも鉄の産地はあるので、権益の及ばない地域の鉄に課税はできないし、後の権力は景初動乱以降物部氏は権利を失っている
それは吉野ヶ里の3世紀の衰亡からも明らか
0688日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:18:47.52
>>684
船を持っていたのは我が国側ではなく。それよりはるかに大きな船は大陸は持っていた

大陸の史書には既に徐福時代の記録として大型船出穀物を運んだ記述がある
0689日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:19:48.03
逆に、伊都が防衛上、小さな船しか接岸できない様に細工がしてあれば別だがね。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:25:31.57
景初の直前の九州の大量の鉄の購入は単なる国策の採算度外視の大量購入の貿易であって、独占とかそういう話ではない。
そもそもが独占していない
0692日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:26:24.37
その中でも越前ルートは高句麗からと言われることが多い
0693日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:33:17.90
>>676
流石にそれは無理があるしテキトーw
https://gotoproject.jp/bekkaku/

対馬海流がちゃんと出てるよ。
でなければ北前船なんて発達しませんよ
0694日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 14:44:11.21
逆に独占していなかったからこそ、鉄の大量の購入がバレる事なく短時間に進められたと考えるべき

安全保障の戦略物資の購入の話など機密中の機密
0695日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 18:20:11.46
>>694
大陸と常態的に交流していたのは鉄器王国「阿波」なんだから、
戦略物資の購入の話など、取るに足らないどうでもよい話。  わははははは   @阿波
0696日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 18:21:21.27
卑弥呼以前の九州は青銅器も銅鏡等製品の搬入が多いわけで
本州なら、BC200年で銅鐸製造技術が有ったが、
いきなり銅鐸が作れた? と言うのは、
鉄や銅の工人、技術者は生口=奴隷ではないかと思うのだが、
先進国の技術者が渡来していると考えるのが当たり前。

日本は鉱山技術者なんて、明治以降でも招請してるだろw
日本で鉄を本当に搬入して加工したのは卑弥呼死の250年以降。
牛馬の移入で、高句麗牧童も連れて来たのと同時代だよ。

投馬国=弁辰韓の鉄が馬韓辰韓倭の入り会いで取ってたとして
日本に持ち込んでの製鉄と言うのはそんなに早く無く、
奴隷が大量に使えた半島で生産して移入したんだと思うぞ。

現代で世界の工場が、平等政策が無く、
奴隷労働による人件費削減や、環境収奪問題を無視できる
共産党支配者が牛耳る「中国」になるようなもん。
0698日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 18:34:10.55
>>696
鉄や銅の工人、技術者は神に近い場所にいる
環濠集落なら環濠の中の更に神殿に近い場所に居る
0699日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 19:21:14.54
だからって俺は半島から技術者を神様待遇で呼び寄せたなんて思ってないよ
銅鐸や玉職人は日本独自の凄い技術者だから
0700日本@名無史さん
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2022/11/01(火) 19:28:22.72
>>689

伊都が博多湾の大戸側ではなく小戸側にあるのは、まさにそれであろう。
さらに三雲地区であれば多少なりとも内陸なので、敵が万が一攻めてきても、すぐには王宮まで到達できない。
0701日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 19:33:29.90
>>699
>銅鐸や玉職人は日本独自の凄い技術者だから

そうなんだが、その技術者たちは、「倭人(阿波勢力)」。   @阿波
0702日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 19:44:08.15
■ 大祓の祝詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに

禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち

諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば

祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと

恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす
0703日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 19:55:10.40
日本人は、凄いなあ・・・
今でも、精密技術などで、日本は世界に無くてはならない存在ですもんね。
0704日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 20:00:11.74
>>703
現代でも銅鐸や玉製品をどうやって作ったのか解明できないんだって
0705日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 20:04:36.56
>>704
銅鐸王国であり、勾玉王国であり、鉄器王国であり、水銀朱王国であるのが、「阿波」。   @阿波
0706日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:05:28.88
>奴国時代の遺跡から発見された鋳型で製造された巴形銅器がさぬき市で出土。
>九州奴国と讃岐が直接関わってた? 卑弥呼?

平成10年(1998)に福岡県春日市の九州大学筑紫地区遺跡群で
巴形銅器の石製鋳型が発見されました。
http://ew.sanuki.ne.jp/rekimin/koukoakebono.html

さぬき市森広天神遺跡の8例中3例で製品と鋳型が一致し、
九州大学筑紫地区遺跡群で制作した製品であることが判明しました。
弥生時代後期の九州との交流を探る貴重な事例といえます。
0707日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:19:45.84
>>706
の、さぬき市森広天神遺跡と百襲姫を祭神とする水主神社とは
県道132号線で10kmほどしか離れてない位置、匂うぞ。
0708日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:20:36.73
巴型銅器は博多天神天津神海神綿津見筑紫日向小戸倭王高天原天照大神伊都邇邇芸彦火火出見神武のシンボル
0709日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:23:48.86
>>707
そこらは、飛鳥時代の前期難波宮が置かれたところだ。   @阿波
0710日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:35:28.68
【讃岐一宮田村神社・船山神社編】倭迹迹日百襲姫の源流を示す讃岐のレイライン

水主神社 香川県東かがわ市大内町水主1418
 「倭迹々日百襲姫命は七才の年に大和の国黒田の盧戸より出て八才の時東讃引田の
安戸の浦に着く。御殿、水主に定め造営せられた」

 「倭迹迹日百襲姫命都の黒田宮にて、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、
知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ
お船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、

水清きところを求めて、8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまで
この地に住まわれた。土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、
雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる」
0711日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:37:17.26
>>709
死ね
大阪に立派な宮殿跡があるのに何言ってんだ
0712日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:40:47.68
船岡山神社(祭神、倭迹々日百襲姫命)  船岡山への移動

 百襲姫は、AD179年まで水主神社の地にいた。
現年齢13歳である。水主神社の地で百襲姫は土木工事の手法を研究していたのであろう。
成果が出せるめどがついたので、讃岐国の中心地域の方へ移動することになった。

艪掛神社 香川県東かがわ市大内町馬篠440
「倭迹々日百襲姫命が大和の国から舟で海を渡ってたどり着いたという浜辺に、
櫓(ろ)をかけたとされる松の跡あり」
「百襲姫命がここの海岸に舟を留めて休息したとき、船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けた」
0713日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:45:20.68
百襲姫讃岐国中央へ移動   田村神社 香川県高松市一宮町286

由緒  
倭迹迹日百襲姫は吉備津彦命と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に
下り給ひよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられた。   

1・  境内の西側に花泉がある。倭迹迹日百襲姫命が手を洗ったところと伝える。   
2・  境内の東側に袂井(たもとい)がある。倭迹迹日百襲姫がこの地にこられたとき、
    里人の奉る鳥芋(ごや)を食し熱病にかかった 。このとき侍女が袂を浸して水を奉ったと伝える。
3・  神社の東三丁のところに休石がある。休石は倭迹迹日百襲姫命が憩はれた石と伝えられる。
0714日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:49:16.83
>>710
>倭迹々日百襲姫命は七才の年に大和の国黒田の盧戸

徳島市国府町(旧黒田村)の「黒田廬戸宮跡(蔵殊院辺り」」だ。
なんで海を渡って来るんだ! 阿波と讃岐の話だ。   @阿波
0715日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 21:50:32.89
>>711
それは、聖武天皇の後期難波宮だ。  わははははは   @阿波
0716日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 22:02:10.39
 冬至の日に大山山頂から太陽が昇る位置に古い神社が見つかった。
弥生時代後期で日本最大の国指定史跡「妻木晩田遺跡」がある淀江町小波の三輪神社である。
この三輪神社は、江戸時代の初期までは現在の場所から南東に約1キロメートル離れた小波字三輪山にあり、

壮麗な社殿や大鳥居、三重塔のある神宮寺などが立ち並んでいた時期もあったということである。
この旧社地こそ、大山山頂から冬至の日に太陽が昇る位置である。
 淀江町の佐陀・中間・小波・平岡地区を合わせて「大和村」と呼ばれていた。
この三輪神社の氏神が大和国とつながっている由緒にもとづいている。
現在、淀江公民館分館と保育園、郵便局、そして公園運動広場が「大和」の名前を残しているそうである。
この事実は宇田川氏によって発見された。宇田川氏には感謝する次第である。

 この三輪神社の旧地こそ、百襲姫が大物主神との結婚の儀式を行った場所であろう。
以降百襲姫は卑弥呼(日霊女)と呼ばれることになったと言う。
0717日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 22:08:55.52
>>704
へえ、今のコンピューターなどを使ってもわからないの?
要するに、技かね。
昔は各種技術凄かったっぽいもんね。武士でも忍者でも何でも。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 22:14:16.14
>実は百襲姫の生誕地、奈良県磯城郡田原本町黒田こそ、唐古・鍵遺跡がある処で
>この位置より三輪山山頂から日の出が出るのが冬至である。淀江町、大山の関係と同じ。

第7代 孝霊天皇 くろだのいおとのみや 奈良県磯城郡田原本町黒田
近鉄黒田駅下車 徒歩5分 そこに有る石碑は桃太郎伝説発祥の地として田原本町の…
0719日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 22:15:15.00
思うに、現代人は、知性で割り切っちゃおうとしがちだから、技術などが育たないと思うんだよな。
能力とか、才能とか、技術って、知性ではわからない世界だと思うんだよな。
見えない糸というか。
0720日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 22:15:41.27
>>717
『日本地質学会が「県の石」選定
徳島県は岩石が「青色片岩」 鉱物が「紅蓮石」 化石が「三角貝」

その「紅蓮石」は、勾玉製作に必要不可欠な石。
島根県立古代出雲歴史博物館によると
①出雲にも「蛇紋岩製勾玉」は出土しているが原石の産地は確認していない。
②出雲の勾玉を作る工程で、内磨き(内側へ湾曲部)の砥石に「阿波の吉野川産」の
 紅蓮石を使用している。

とのこと。   @阿波
0721日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 14:11:12.75
『魏志』倭人伝に「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」とあり、
邪馬台国の卑弥呼が死去し塚を築いた際に、約100人の奴婢が殉葬されたという。

また、『日本書紀』垂仁紀28年条では、その残酷さゆえに禁止したと記され、
32年条には、野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに
土で作った人馬(埴輪)を立てることを提案した記事(埴輪起源説話)が見られる。
0722日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 14:12:36.18
>卑弥呼と云えば約100人の奴婢の殉葬、が古代史ファンの間では常識化してるが、
>漢字をよく見てほしい「徇葬者」「徇」であって「殉死」の「殉」とは違う文字。

>徇葬者の「徇」とは、 行人偏(彳) 「行く・進む」の下記の意味
音. ジュン・シュン. 訓. となえる・したがう・めぐる. 意味.
①あまねし。となえる。広く告げてまわる。 ②したがう。

>殉葬者の「殉」は常に死を意味する。 歹ガツ偏は、悪い/ほね/残骨の意味をもつ。
音.ジュン.シュン. 訓.主君の死を追って死ぬ。殉死する。
①したがう。「殉死」「殉葬」「殉教」「殉職」「殉難」
②ある目的のために命を投げ出す。身をささげる。
0723日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 14:34:49.93
徇葬者の「徇」とは違い、
「殉死」など死の暗いイメージは全くなく、中国人などは名前によく使う。

倭人伝の「徇葬者奴婢百餘人」とは葬儀などの手伝い、参列者の意味で
あと葬儀の様子を地方に遠征中の王族、将軍などに伝える人達、通信手段の無い時代。

そもそも神道は、穢れ、汚れ(けがれ)、不浄な血などを一番嫌うし
その為に「禊」や「祓」を重んじる宗教で100人もの死体を並べるとは思えない。

垂仁天皇の逸話は仁徳天皇の竈の煙りと同じで、徳のある天皇像を強調したい為だろう。
無論、わずかだけど思いつめて殉死する人達は最近までいた。
古墳の側に埋葬することは有ったと思うけど、強制的に数百人とかは無かったと思う。
0724日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 14:45:08.67
中国など大陸には殉葬、殉死は普通の文化としてあったが
宦官の文化と同じで、朝鮮までは入って来たが

倭人、日本人、はどうしても残酷すぎて取り入れる事が出来なかった
自然災害の多い日本列島では死者に対する感性が基本的に違う。
0725日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 15:29:13.75
大物主は大田田根子によって祀られだけなのでモモソヒメとの結婚はフィクションだと思う
0726日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 15:56:51.75
>>725
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、
翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されている。
その大神とは「大物主大神」を指し、祭主となった大田田根子の「祭祀場」と
掌酒を分担した活日の「高橋邑」は近接していたことになる。
阿波国旧美馬郡にある「段の塚穴型石室」といわれる特異な石室構造をもつ古墳は、
分布範囲がほぼ旧美馬郡に限られており、段の塚穴の2基のみでなく、
旧美馬郡の範囲の古墳に共通してみられる特徴である。   @阿波
0727日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 15:57:19.03
その吉野川北岸美馬郡美馬町「段の塚穴」の南対岸 貞光町に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っている。 
尚且つ、日本唯一社「倭大国魂神社」が旧美馬郡美馬町に存在している。
「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、
崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされる。
この「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたる。   @阿波
0728日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 15:58:29.96
また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とあるが、
これは「三好郡美野郷」三野町の吉野川対岸に位置する三加茂町、その下流の半田町が「陶邑」と考えられる。
半田(ハンダ)は、植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。
このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承そして「倭大国魂神社」が、
現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。   @阿波 

「大田田根子」の事績を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波
0729日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 16:13:46.46
それって小和田雅子が明治天皇と結婚したと言ってるようなものだろ
0730日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 18:14:14.96
>>723
古代日本で、身内?妻や従者数人ならともかく
殉葬100人ってのは聞いたことが無い。

北部九州の弥生墳墓に殉葬の例が無いなら
殉死者100人と言う読み方が間違っている。

100人で、おおいに土を盛ったのかもしれないけど
そもそも径百歩の古墳じゃなくて塚なんだが? は、

69 卑弥呼 以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者 奴婢 百餘人
と言う、死後数か月で作れるのか? なもんもう無いだろw

卑弥呼の墓の場所が、所属21国の中の王宮所在地、
邪馬国に有った 築後山門だかの? 集合墳墓
に比定される原因は、読み方の間違いだったという事になる。

卑弥呼の墓は、糸西西北岸~伊都国=早良、博多西麓にある。
で、無ければ、247年の帳政は卑弥呼の墓を見てないわけで
魏志倭人伝で重要な、帯方郡から伊都までの里程で示された
倭人航路部分も虚偽報告になる可能性は有る。

てか、対馬~壱岐=千里で、倭人伝論争以前の張政の記録の里程は
ほぼ正しいという事を馬鹿共が納得したのかな?

神話の天上とかw ムー大陸が無いと話にならないなら、
古代を共有する時系列で構成する歴史の話に参加しないでくれないか?
0731日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 19:15:20.07
桃租姫とか桃太郎とかニニギや天照でも神話なんで信者がやれば良いんだけど
日本でも、現代まで時系列が有る歴史なんだから、まず西暦で話をしようよ。

で、神武東征は2600年前で良いのか?
天孫降臨は、いつ? 太田田根子って、氏が有るの?

九州筑紫21国=北部九州は倭人伝や新唐書によって
統一倭国にはなっていない時代の話、と言ってますし・・・

薩摩みたいな国は明治以前に軍事統一されたのか?
パリ万博で薩摩琉球が独立国宣言しただろwww

倭人伝を普通に読めば
邪馬台国と言うは、梯儁参問の女王共立21国中の、
邪馬国と言う国にに有った卑弥呼の臺(曹操の臺と同じ字)
を、ランドマークに、倭人地域の初探検者の梯儁が命名した
倭の筑紫地域の女王国の統合国名の仮称だよ?

纏向の状態から見て
本州勢は、九州を国内と言うより
半島と同等の外様だと見ていた、と思うぞ?

今でもだし、畿内から逃げた阿波www 
も、だけど・・・
0732日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 19:26:03.79
纒向は魏との交流の痕跡がないのですよ。
魏と交渉していた筑紫倭国にとって、大和の方が外様だったと考えてもいい。
0733日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 19:50:42.38
>>732
戦史である、三国志を正しく読む。
日本の記紀対応は、無視した方がよくないかね?

魏は三国志の主人公だが? 
公孫氏は239年滅亡。
馬韓、弁辰韓15万戸は246年で魏が制圧した。

倭人伝は、この247年で終わっているんだが?
九州は魏と同盟しないことによって歴史的日本の領土になった。

半島南部は663年の白村江以前まで
日本の植民地だが?

日本の古代史ってのは、中学生レベルでも
修正されるべきだと思わないか?
0734日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 19:57:08.08
壹與の時代も中華の支援は受けています。
むしろ、魏から金印を受けたことでその立場が安定したと考えるべきです。
同盟?
立場を考えてください。
冊封を受けるかどうかです。
冊封されれば、魏との関係は安泰なのです。
0736日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 17:53:13.98
>>734
帯方郡が韓を制圧する際に
難升米将軍に檄を飛ばして黄幢を贈った。
これが唯一、日本が三国志に参加した話w

女王国はこれを蹴って、公孫氏韓王朝を滅ぼした
対魏での倭人国防衛のために本州勢力と同盟した。

これによって、半島進出の富国強兵化は進み
古墳時代に入って、牛馬の移入と鉄の国内生産が成立した。

この間に魏は、高句麗によって313年楽浪帯方郡撤退、
北方は五胡十六国時代、350年には高句麗を楽浪候幽州刺史とした。

370年百済新羅を成立させた日本は400年
高句麗との交戦権と半島利権を認めさせるための
倭の五王外交を始めた。

しかし、南朝は滅びるのであって
既に日本の王が漢字名を名乗り、博士を招請していた
にもかかわらず、成文化した歴史を残さない?

否、記紀は隋唐にこの事実を隠蔽したんだろ?
魏晋と同盟してたんじゃ、日本まで滅びるw
0737日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 17:56:24.36
>>730
女王の後の男王時代に大量の誅殺があったから、女王も
実は誅殺されたんじゃね。その時、一緒に死んだ奴が殉死
として扱われたと。守備兵とか合わせれば100人はいるわけで。
0738日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 18:51:33.90
>>737
卑弥呼誅殺だと巨大な塚は作れないかと?

未婚の卑弥呼の後継問題は筑紫地域21国のお家騒動であって
対面的に卑弥呼の後継者の13歳の巫女が立ったという事で良い。

15万戸の馬韓辰韓が敗戦したんだから、7万戸の女王国は危うい。
宗教国家としての機能より、対魏の防衛軍事に政治力は向く。
本州勢力と合流して、一大卒を迎え入れた。

これが、倭人伝の245年から247年であって、倭人伝が247年で、
三国志から消えたのは、この時、魏との同盟を蹴ったからである。

歴史と言うのは、記紀の桃太郎伝説とは一味違う。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 19:13:51.65
>>735
チラ裏記録になると言う概念も有るけど
これって、文章じゃなくて会話だろ?

伊都厨とか都万厨、阿波先生なんて、
同じことしか言って無いアラシだよw

倭人伝、邪馬台国九州説の話は、
邪馬台国論争を矮小化させる。

でも、記紀とは違う、
本当の日本の古代の歴史ってのは、
語られても良くないか?
0740日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 20:06:32.29
>>738

お前たち、時系列めちゃくちゃ。
後半はそれらしく年を書いているが、公孫氏滅亡前後で嘘をついている。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 20:07:37.44
>>739
記紀が隠そうとしている本当の日本史は、筑紫倭国にあるんだよ。
その王都が伊都。
0742日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 20:12:09.97
>>741
>その王都が伊都。

王都の遺跡が無いのにか?  わははははは   @阿波
0743日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 20:17:06.44
山城だったから風化したんだろ。
弥生時代の城跡なんて、そう言う目で山の中を探さないと見つかるものでもない。
まして伊都は後世に何度も城を作り直しているから、一番初めの基礎は残っていない可能性が高い。
0744日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 20:41:28.63
>>743
王都が城?  なにを考えてるんだ?  わははははは   @阿波
0745日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/03(木) 22:46:44.93
>>724
倭人の男は魔除けの意味で体に入れ墨を施す文化があったらしいけど
アルプス山脈の氷河で発見されたミイラ化したアイスマンを調べると
紀元前3300年頃の西欧人も体に入れ墨していたことが判明しているね
0746日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 06:26:21.22
魏志倭人伝には王城と書いてある。
だが弥生時代となると、建築の様式は限られる。
吉野ヶ里のような環濠集落か、高地性集落のいずれかだ。
伊都には環濠集落は見つかっていないが、後世に山城は何度も築城された。
怡土城は国内では珍しい中国式山城だ。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 06:38:21.41
伊都岐島神社でもろ伊都って文字が出てくるんだけど関係ないの?
0748日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 06:43:54.70
いちおう、いつく、というのは祈るという意味だとされる。
ただしそれを、まつりごとをする、という意味にすると…
0749日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 06:44:58.00
政庁のある島って意味になるのか、神主しか人が住んでなかったはずなのに変なの
0750日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 06:53:33.89
仏教の聖地、真言宗の高野山は和歌山県伊都郡にある。
0751日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:00:16.21
>>749
その表記は厳島神社の鳥居の扁額だよね。
厳島神社はそもそも九州の宗像大社を勧請したもので、つまりは沖ノ島のコピーなんだよ。
後に仏教と習合した三代弁天のひとつで、残りは滋賀県の竹生島、神奈川県の江ノ島神社。
その他の各地の弁財天も、必ず島に祭られる。
祭られているのは、宗像三女神の市杵島姫。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:08:31.55
祭りごとをしたのは、沖ノ島にいた王なんだよ。
沖ノ島は古代において長らく国家的祭祀が行われた土地で、それはつまりヤマト王権もその祖先が沖ノ島にいたと考えていたことの証だろう。

高 高貴なる、祖先の
天 アマ、海の
原 集落、国邑、城

原は九州特有の地名で集落、広場を意味し、国邑のこと。
後の城の本丸とか二の丸とかの用語の由来とも言われる。
高天原にいたのは天照大神だが、アマを天ではなく海のことと解釈すれば、海の王の意味になる。
つまり天照大神と天孫、それを守護した宗像氏族の祭祀を瀬戸内海に拡大したのが厳島神社。
弁天様は、必ず島に祭られる。
都内最大の弁天様は上野にあるが、不忍池の中の弁天島にある。
それらの島は、沖ノ島のコピー。
なぜなら神社が宗像大社の分社だから。
0753日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:13:52.51
和歌山県伊都郡は8世紀木国から紀伊国になって紀伊の京師で伊都なので成立は8世紀以降の単語みたいだね
0754日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:14:28.61
もう一つ。
風土記によると、宗像大社の神宝は八咫の鏡。
おそらくは伊都の平原遺跡と同じものだろう。
そして記紀では八咫の鏡を作らせたのは、天照大神。
0755日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:15:32.16
なぜか日本では、7世紀以前の資料が確認できないものばかり。
歴史に奇妙な分断がある。
0756日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:28:50.91
もっとも、和歌山県のケースでは実際に8世紀に伊都と名付けか可能性もある。
京師つまり都なら伊都というのはどう言う理屈だよとも思う。
8世紀というと高野山金剛峯寺の開山の時代だが、その時にわざわざ伊都と名付けたことになる。

そもそも和歌山県には九州からの地名の移転が多い。
志麻は、福岡県の志麻のコピーで、夫婦岩までそっくり。
福岡県の糸島市は、怡土郡と志摩郡が合併した地名だが、志麻の名前は魏志倭人伝で邪馬台国の傍国の最初に登場する。
つまり和歌山県の志麻より古い。
そして福岡県でも和歌山県でも、志麻は伊都の近くにある突き出た海岸地域のことになっている。
0757日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:37:52.99
>>755
>なぜか日本では、7世紀以前の資料が確認できないものばかり。

それは、「阿波」の遺跡を避けて通るから。   @阿波
0758日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 07:54:56.86
平清盛が厳島神社を造営したのは、瀬戸内海交通の安全を祈願したため。
なぜ厳島神社つまり宗像大社が交通安全の神様かといえば、宗像の市杵島姫が、天照大神から天孫降臨の守護を任されたから。
高天原から筑紫の日向の高千穂への降臨だが、これは沖ノ島から怡土城への移動と解釈できる。
0759日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 08:14:11.95
イト郡シマ郡な
漢字使うのやめろ
0760日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 08:28:08.29
怡土郡と志摩郡が正式な表記だが、魏志倭人伝には伊都国と斯馬国とある。
つまり漢字は当て字。
現代ではあわせて糸島と表記する。
しかし、だからといってカタカナもどうかと思う。
0761日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 08:37:02.24
大国主は、出雲の国譲りにおいて、高天原の天照大神の磐座に届くくらい高い宮を建ててくれと要求し、高さ96メートルの大社を建てさせた。
高天原には磐座があったことがわかる。
沖ノ島の祭祀は岩上祭祀といい、磐座における祭祀として知られる。
つまり、沖ノ島で数100年にわたり行われた国家的祭祀とは、天照大神を祭ったものである。
そしてそれを執り行った宗像大社の神宝は、風土記によると天照大神が作らせたという八咫の鏡である。
古代聖地の沖ノ島は、高天原もしくはそのモデルである。
0762日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 09:07:17.06
>>760
伊都国と斯馬国は中国で使われてた文字であって日本にはない
怡土郡と志摩郡は漢字が入ってきた後の時代
0763日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 09:18:12.05
>>761
出雲大社は平安時代か鎌倉時代でなんも関係ない
伊勢神宮もだし神社は記紀編纂に合わせたみたいで怪しいね
0764日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 09:22:45.07
神社で人を祀るってのはどうも違和感がある
0765日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 09:25:11.53
安全航行を祈願するのはわかる
なんで人なんだよ?
0767日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:03:41.20
>>696
昔の出雲の鉄は大陸の史書に出ている

金へんに夷と書く字がそれだ。
0768日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:06:06.71
>>700
通関に王宮を付帯させるほどの銭ゲバが伊都王家?w

玄関窓口にわざわざ王宮を建てるなど普通の街づくりではないな
0769日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:21:45.19
>>766
それ罰ゲームだろうがよ
神だぞ
0770日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:49:02.70
>>716
三輪山の祭祀は、アマテラスの元になった出雲幸の神三柱のサビヒメと、事代主(八重波津身)から始まっている
ヤマト姫が伊勢に神を移して残ったのが男神である事代主
これがのちに大物主に変えられた
神社では大国主と大物主はそれぞれ別な社になってる
信濃の三才山神社でもそうなってるくらい
0771日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:53:22.49
>>721
〉野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに
土で作った人馬(埴輪)を立てることを提案した記事(埴輪起源説話)が見られる。

景初動乱から程なくして埴輪を考案した話になっているが時代が合わない
事代主系の富家の分家が土師氏になったのは後年の話
亡くなったからモガリが行われ、埋葬された後に古墳ができてから再度埋葬されたと考えられる
0772日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:53:59.37
>>770
日本書紀バカ。   @阿波
0773日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:56:34.87
>>724
〉倭人、日本人、はどうしても残酷すぎて取り入れる事が出来なかった
自然災害の多い日本列島では死者に対する感性が基本的に違う。

それをヤマトでやらかしちゃったのが物部氏
同じ渡来人でありながら、ヤマトは死の穢れを嫌う出雲族の影響で物部とは別の道を進む様になった
0774日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 11:59:32.43
>>725
その視点は重要ですね

三輪山祭祀は事代主から大物主に変わりましたが、後年の子孫が消された大王である三輪君(太田太根彦)の顕彰で作り出した神という側面は大いにあると思う
0775日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:06:55.62
>>774
日本書紀バカ。   @阿波
0776日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:07:44.82
>>741
伊都は地政学的にもあり得ない
魏書に書かれただけの話
鉄の独占もしてないし、王族と見做されるものはいたがヤマトの親戚筋
0777日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:11:16.60
>>746
内陸に五十キロも入った吉野ヶ里ですら防護柵があるのに伊都に王都と王様がいたなどファンタジーに過ぎない

輸入と課税の関係から言っても国防の情報漏洩が防げない。
どう考えても運用上の問題が大きすぎる
0778日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:12:35.43
>>775
日本書紀にそんなことは書かれていない

息を吐く様に嘘をつく阿波チョン
0779日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:13:47.37
>>764
逆だよ

非人格神のほうが圧倒的に少ない
0780日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:17:09.28
>>779
それおかしいでしょ、常識的に考えて
後から人を神としてくっつけたんだろう
0781日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:20:03.05
>>778
遺跡を伴わない、記紀バカ。   @阿波
0782日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:23:41.76
>>763
基本的に幾度か行われてきた神社の神改めは、日本書紀風の祭神に変えさせる目的で行われてきた。
諏訪大社の源流である前宮は元々は出雲のサイノカミを祀っていた。
その後本宮ができ、最終的に安曇族が下社を持ってきた。
タテミナカタ(タケミナカタと読む方が現在では正しい位置付けらしい)は、上書きされた神で、阿波から持ってきたとか言われることもある

桓武期には阿部一族が伊勢神宮の大工をやってた関係で諏訪に呼ばれてきている
現在の御柱の形態は桓武期の成立という説がある
一時的に信濃を第二の都にする計画があったらしい
0783日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:24:34.64
>>781
神社は遺跡ではないぞ?阿波チョンw
0784日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:25:43.51
>>782
神社の役割がなんとなく見えてきた
誰が建てたんだろうと思ってたけど日本をまとめる為の国策なんだろう
0785日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:28:15.07
>>780
アメニズムと神社信仰は関係ない
それこそ銅鐸と銅鏡で宗教戦争が起きたのだ
上書きや再利用だよ、磐座祭祀は

現在の神の考え方を遡って磐座祭祀に当てはまる考え方の方がおかしいのでは?
0786日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:32:30.03
朝鮮半島を失った当時の日本の状況と時代が合致する
日本が分裂するのを恐れたんだろう
0787日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:34:08.26
九州は特にヤバいもんな
0788日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:34:37.10
>>784
用明期には相当に体系化が進んだらしい
神魂神社が今の形式になったのはその頃らしい

木築大社は出雲のホヒの千家が国司が置かれて国造の失職を恐れて、旧王家の富家と神戸家に持ちかけて神社を作ろうとして始まった
風土記と記紀編纂に関わった千家果安と、忌部子首であるが、木築大社の候補地が途中で変わってしまい、修正が間に合わず、古事記と日本書紀で大社の住所が異なってしまうという結果になった
0789日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:36:17.09
>>787
それなのに最前線に王都と王家が居たとするのが伊都説
0790日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:44:31.45
木築大社は、資金の大半を富家が負担し、土地と資材を神戸家が負担した
故に神戸の地籍に近い場所に現在でも出雲大社がある。
天孫が作った神社ではない
やられちゃった出雲側が自分達で作った神社
千家はほとんど出資せず単なる雇われ神主だった
神戸家は大社お抱えの大工であり、富家は、上官家筆頭の立場であったが、現在では両方とも大社から追い出されてしまっている
今では上官家邸の案内看板からも消されてしまっている
序列が決まっていたので、大社から近い場所に建つ家が位が高かったので、千家にとってはよほど消したい記憶だったのであろう
0791日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:44:57.09
日本の歴史が九州から始まった事にした動機として十分考えられる
0792日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:48:24.54
>>783
だから、遺跡を伴わない、記紀バカ。   @阿波
0793日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:49:41.85
>>791
元々ホヒはホアカリ饒速日(須佐男)のスパイ、先遣隊として出雲に先に来ていました

故に千家は天孫視点にたつ側の一族ですね
0794日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:50:43.26
>>792
遺跡と神社の区別がつかないホラ吹き

日本語がわからない時点でスレ主と同レベル
0795日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 12:59:58.98
>>794
おまえあほだろ
神社がいつできたかは重要
0796日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:06:25.07
>>792

ヤマトと出雲は基本的に別の国だ
まあ、そういう認識はここでもあろう。

ヤマトとは別の国である島根の三角縁神獣鏡の出土は7枚前後。
その半分以下の徳島www

どう考えてもヤマト国、加茂郡、忌部町レベルの話だよなww
それで日本の中心とか言っちゃうから同じレベルのホラ吹きだと言われるのだ

なあ?「遺跡を伴わない、記紀バカ」の阿波チョンさんよ?ww
0797日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:06:37.03
出雲大社の創建時期は遺跡からは平安時代とかそんなもん
大国主とかなんも関係ねえ
0798日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:07:10.42
>>795
どうした?阿波スタンプを押し忘れているぞ?w
0799日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:08:08.62
>>797
古事記成立の3年後だかに落成してる
0800日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:11:39.93
>>799
記録があるってか?
でも遺跡が出てこないとな
祠とかショボいのはあったかも知れんけど
0801日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:18:19.16
>>800
確か亀令3年だったか
709年頃だよ
0802日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:23:55.79
>>800
ごめん716年だったw
0803日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 13:30:12.42
千家は、大国主(八千矛)を祀りたいからと両家に申し出たが、記紀編纂にあたり、一つの目的があった。
それが親玉であるホアカリ饒速日を祀ること。
そして風土記にスサノオを登場させた。
それが右大臣にバレてしまい、大国主になった。
故に、神戸家で祀られていた三刀屋神社と木築大社が神紋が同じになってる

かつての木築大社には出雲の幸の神三柱と大国主が祀られていてスサノオは一切関係なかった

本殿真後ろの社は蘇我神社で、現在ではそれが須佐男に上書きされている
0804日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 14:26:29.32
>>798
見分けがつかない、日本書紀バカ。  わははははは   @阿波
0805日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 14:33:48.18
神戸家の八千矛は、木築大社の前に雲南市の三刀屋神社で祀られていたので、それにあたり両家は千家に対して条件を出した。
その一つが幸神を祀る事であった

神社は記紀服属で登場する神に書き換えられる事が決められていたから、風土記と古事記で一枚混んでいた千家には勝算があった
どういう経緯で反対されたかは不明だが、不比等が中津臣ではなく、八井耳の子孫で多臣家の親戚であったことくらいしか思い浮かばない

千家は設定を既に作って木築大社の落成に関与している

今では富家の分家の熊野大社にまで素戔嗚は入り込んでいる
今では出雲大社の管轄に入ってしまっている

三刀屋神社と、熊野大社、神魂神社は木築大社よりうんと古い神社
0806日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 14:34:32.61
>>804
違っていたとしても大した意味の差はない
0807日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 14:56:29.13
>>806
誰が阿波の百姓やねん?
てかおまえは非常に頭が悪い
存在してないものを根拠にしてどうする?
0808日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 15:09:13.34
壹与が中国に送った5000個の真珠の生産地について
真珠採取遺跡の研究は僅かにしかないが
可能性がある場所は
沖縄・鹿児島県錦江湾・志摩国(福岡県糸島市)
0810日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 16:56:09.81
貰った側の文だから誇張は無いと思うが
真珠5000個って5mm径でも、
アナに糸通して直列で25メートルでは?
まあ、臣下に1mを25個配ればそれだけだが?

身に着けて40から60センチで10巻しても5mだけど?
そう言う贈り方をするかな?

まあ、生口ってのは、女給とか
真珠の穴あけみたいな仕事ができる
職人系の奴隷なんだとは思うけど?
0811日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:08:17.06
東洋の真珠に関してはわからないな
禹王が1粒見つけただけで喜んだという逸話が残る逸品ではある
ペルシャでは紀元前24世紀にはネックレスにされてたみたいだけど
0812日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:28:48.04
神社というものは、本質的には支配機構であり、王族の王宮でもあった。
仏教伝来以降は寺院が支配機構となったため、神社はそれ以前に起源がある。

纏向遺跡は崇神天皇の宮だが、今日の出雲大社や伊勢神宮と共通の様式を備えている。
0813日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:30:06.12
神社の成立についてなら、仏教公伝は540年辺りだが
この記紀が、嘘書いてる継体の後の、欣明朝辺りで
伊勢や出雲も、
社=建物が成立する
のではないかな?

中国仏教と言うのは、寺院と僧と経典?
日本なら、仏像と経典が無いと成立しない。

日本神道が古代自然信仰なら、
斎、神主や巫女は要らない。

700年記紀以前の日本にアマテラス神が居た?
日本神話と歴史の話は、混同されなきゃいけないの?
卑弥呼は246~7年に死んだみたいだぞ?

魏使が来た筑紫21国のの王じゃなきゃ、
倭国に、そんな王は有り得無いだろ?

もちろん、倭人伝が歴史を残した、
この時、九州北部は本州と合体して一大率を受け入れている。
0814日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:32:04.36
>>808

うーん、伊都は弥生時代において金属器生産の拠点であり真珠の生産地であり対外貿易の拠点であり外交の舞台であったのか。
伊都以外に王都を想定するのが困難だな。
0815日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:40:52.91
>>813
仏教伝来以降は、神仏習合しているので、もちろん建物はあった。
神社にも仏教の建築技術が応用された。

日本神道は基本的に祖先崇拝であり、特に天皇家などが行うときは、その権力の拠り所を血統に依存するのだから、個人崇拝は必要不可欠な要素となる。
自然崇拝というものは基本的にない。
0816日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 17:52:52.37
>>815
>自然崇拝というものは基本的にない。

神社庁w 伊勢信仰にまとめられた 日本型地神信仰。
これを否定はできなかったのではないかな。 

神仏同道の修験道を否定した、明治政府なのかな?
伊勢神道ってのは、単なる日本皇室信仰なのか? 
違うだろ?
0817日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:27:51.36
はあ?
伊勢信仰は天照の個人崇拝の象徴である八咫の鏡を持ち込んだところから始まるのだが?
皇室の祖先崇拝の典型だよ。
だからこそ明治維新の時に神仏分離かつ廃仏毀釈をして、天照信仰を全国の神社に押し付けたんだよ。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:43:04.60
>>815
自然崇拝というものは基本的にない。

?氏神は伊勢に統合された。
古神道と言うのは、基本的に伊勢と関係が無い。

日本に信教の自由が無くなった、
ってのは、廃仏稀釈の明治維新での話なんだよ?

神社由来ってのは、鼻くそ太郎の話だろw
0819日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:43:53.63
>>814
相応しい王宮は?
0820日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:45:10.72
神社を根拠にするなら賽銭箱のひとつも掘り出してこいよ
0821日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:46:19.28
神道が自然信仰だなどというのは、戦前の国家神道の否定が行き届いて、神道の本質まで忘れてしまったが故の思い込みだ。
全ての神社に個人の名前の祭神がいることを忘れてはいけない。
0822日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:46:52.01
>>819

怡土城
0823日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:47:31.25
>>821
だから神社の遺跡掘り出して来いってばよ
0824日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:48:41.98
>>822
で、それはいつ頃の遺跡なんだ?
0825日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:52:03.75
>>820

もともと神社に賽銭箱は必要ない。
国府として機能していた場合には、徴税を行えた。
そうでない場合でも、広大な神領神田などを持つのが普通だった。
ほとんどの神社は、かつては神領何町を有し云々と記録がある。
権威だったというのはそういうこと。
それらは戦国時代や明治維新、太平洋戦争敗戦などの度に削られていった。
0826日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:53:50.05
>>823

神社は多くがその場で立て直しするので、遺構の発掘は難しい。
0827日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:54:32.73
コンビニより数の多い神社の祭神を裏まで全て調べられたのか…どこの高貴な人が書き込んでいるのだろう
0828日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:54:54.19
>>825
だからここが古代の神社だったてのを掘り出して来いよ
弥生時代から全部その場所に残ってるなんて有り得んだろ
0829日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:55:52.44
>>827
ない方が不自然だろうが
0830日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:56:13.58
有利な土地はそのまま使うから基本的には場所は変わらない。
0831日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:56:53.20
私もフィールドワークしてるけど100や200調べくらいで全ての神社の傾向はこうだなんてとても断言できないよ
0832日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:57:49.25
>>830
古い神社がないでしょ
おかしいだろ
0833日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:58:33.35
>>831
一つで良いから出せって
0834日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 18:58:55.89
>>827

神社庁はそれが仕事。
小さな神社はどこかの大きな神社の末社だから、元の神社と同じ祭神となる。
稲荷神社、八幡神社など、メジャーな系統を抑えるだけで、大半の神社は網羅できる。
0835日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:00:37.80
結構な数の高山の頂上には神社あるよね
その本尊の御開帳なんて無いし名前が風雨で削れてる神社も有るから誰もその祭神の名を見たことは無い
誰も知らないから誰も「すべてこうである」とは言えない
0836日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:03:48.73
ひとつ遺跡が出れば弥生時代の神社の存在が確認できるでしょ
ひとつもないならないと判断するのが妥当だろ
0837日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:10:55.05
別に俺は神道の否定などしてないし太古の昔から自然に対し祈ってただろうよ
でも黒を白とは言えない
0838日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:13:19.83
無数にある神社の大半は後世に勧請されたもので、代々は何年頃に勧請されたという記録がある。
たどし本当に古い九州の神社は創建年代が不明で、しかも神社として現在も機能しているから宗教法人の市有地であり、発掘は困難。
吉野ヶ里は墓域中心部にあった神社が移転して発掘に同意したので、長らく聖域とされていたところから何が出るか楽しみだ。
0839日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:14:25.20
代々は→だいたいは
0840日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:15:38.33
>>838
だから全部弥生時代から残ってるほうが不自然でしょ
0841日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:28:43.12
みんな触れないだけで神社なんてそんな古いもんじゃないって思ってるでしょ
自然崇拝はやってただろうが人なんか祀らないよ
0842日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:30:48.26
吉武高木遺跡は巡り回廊付きの高宮つまり後の神社の様式と考えられる。
当時は王宮であったと考えられていて、早良王国などと呼ばれることもあるが、おそらくは初期の倭王の王宮だろう。
弥生時代の平民は竪穴住居に住んでいたが、一部の権力者は高殿に住んでいた。
0843日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:33:22.50
>>842
建物はそんなところだろうと思ってる
0844日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:33:32.68
纏向遺跡は崇神天皇の宮だったと思われるが、出雲大社や伊勢神宮と共通の建築要素を持っていた。
その時代にはまだ神社と王宮へ分離していなかったのだろう。
仏教伝来により、宗教施設と王宮の機能が分離したと考えられる。
0845日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:44:27.30
>>841
根拠のない思い込み
0846日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 19:49:53.13
>>845
だったら賽銭箱や鈴のひとつも掘り出してみろよ
0847日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 20:44:54.76
>>846

それこそ後世の様式に過ぎない。
0848日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 22:21:29.70
>>807
いつのまにか百姓ww
0849日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 22:24:25.95
>>812
〉神社というものは、本質的には支配機構であり、王族の王宮でもあった。

神魂神社は、かつての出雲の富家の王宮の形をそのまま受け継いでいるらしいから大社造りに関してはそう言えるのかもしれないね

巻向は景初より前からの土器が突然出てくる
巻向一式は180年代だから倭国大乱期から始まる遺跡だよ
0850日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 22:25:05.63
>>813
天照なんて存在しませんよね

ある意味神武より架空
0851日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 22:39:33.96
>>850

海を照らす王、海人族の首長の称号だと思えばいい。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/04(金) 23:23:52.92
>>849
>巻向一式は180年代だから
この年代だともろに伊勢遺とつながるな
0853日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:33:38.75
>>469
相変わらず救い難いバカだなお前は
お前と俺とのこのやり取りは

バカ「お前はこの前温度計で気温を測っていたけど、その測定機じゃ電圧を測れないぞ。」
俺「何言ってんだこのバカは、温度計は温度を測るためのものなんだから電圧なんて測れるわけないだろ。電圧計使えアホ。」
バカ「お前が使った測定機では電圧が測れなかった!ブーメラン!!」
俺「ダメだこりゃ」

こういうことだぞw

測定器ってのはみんな用途が決まっていてそれ以外のものは測れないのが普通
温度計は温度を測るためのものなんだから電圧が測れないのは当たり前
完全一致検索は「世の中でそう言われているかどうか」を測るためのものなんだから俺が発見した事実が出てこないのも当たり前

こんな当然のことも理解できないのはIQ80未満の伊都チョン連呼くんだけだぞw
0854日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:35:15.13
>>470
つまり何一つ反論できません、と

やっぱりいつまで経っても負け犬の伊都チョン連呼であった
0855日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:37:59.20
>>477
そりゃ大和朝廷にしてみりゃ秘匿事項なんだから史料に直接そうは書かないさ
ただ複数の史料に書かれた事実を比較検討したらそういう結論に至るというだけ
根拠がないのはお前の専売特許だよ伊都チョン連呼くんw
0856日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:42:23.60
>>479
>>90の正論の前に全く反論出来ない負け犬のお前がいくら喚いても
負け犬の遠吠えにしかならないことくらい気づけよ伊都チョン連呼くんw
0857日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:45:33.58
>>483
いや、お前こそどうやったらそんな見てきたような嘘が書けるんだか不思議でならないがw
やっぱり息を吐くように嘘をつく朝鮮人だからだよな伊都チョン連呼くんw
0858日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:47:05.05
>>484
同じ古伝でも公開のものと非公開のものじゃ信頼性に差がある
公開されてる話は改変がしにくいからな
〇〇家に密かに伝わっていたニダ!なんていうのは誰も検証しないからいくらでも捏造可能
0859日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:53:14.59
>>485
お前はそもそも考古学という言葉の意味を知らないw
ブンケンガーは考古学ではないw

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6
> 考古学(こうこがく、英語: archeology)は、人類が残した物質文化の痕跡(例えば、遺跡から出土した遺構などの資料)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。
> 対して、歴史学は、文字による記録・文献に基づく研究を行う。

だから俺はちゃんと>>4>>6などで遺構・遺物との照合をしているだろう
これが考古学だよマヌケw
0861日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:58:19.86
>>491
安曇と海部が同じ祖神を崇めていて、海人の宰として上役だったのは安曇の方なのも間違いないが?
0862日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 02:59:15.13
>>492
俺が発見した事実を俺しか主張していないことの何が変なんだ?w
変なのはお前の頭だけだと気付いたほうがいいぞ伊都チョン連呼くん
0863日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:00:29.14
>>493
だからこその考古学なわけだが
まあ考古学の意味すら分かっていなかった大バカのお前には分からんかw
0864日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:01:21.75
>>494
そんな口からデマカセを言われてもねw
その過去スレとやらを持ってきてみろよ嘘吐き
0865日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:05:13.22
>>496
>つまり八幡愚鈍と、記紀に後付けして書かれた磯良はこの辺りだよな?ww
そうだな
だからこそ複数の史料との整合性確認が重要なわけで、>>16の通り多くの史料が同じことを言っている
一方お前の妄想は等外で考古学とも不一致w
0866日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:09:05.28
>>497
お前のその書き込みこそが何一つ根拠の無い思いお見なわけだがw
伊都も出雲も出石も無人の土地ではない以上、軍勢も引き連れていない余所者が王として大勢力を築き上げるなんて不可能
結局ヒボコは倭人でなければ大勢力になれないという俺の指摘には一切反論できない伊都チョン連呼くんでした
0867日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:23:35.23
>>498
>我が国における鍛造可能な鋳鉄は朝鮮半島からだけの輸入ではない
ソース出してみろ嘘吐き

>後漢が滅ぶまでは鉄は統制品になっており、そもそもが大陸からの鉄が入ってきていた
魏誌韓伝を読めば楽浪・帯方の二郡もも辰韓から鉄の供給を受けていると書いてあるんだがw
半島から二郡に鉄輸出してたくらいなのにわざわざ遠い大陸側から鉄を持ってきたとかどんな妄想だよw

>鉄の輸入ルートの対馬ルートは中津が抑えていた場所
はい根拠ゼロ
妄想乙
0868日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:25:50.36
>>499
元々そこの王族だったスサノオ=雷大臣が追放後に出雲に上陸したという話と一致するな
自爆かねw
0869日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:34:41.96
>>500
だからその物部の祖が追放後の雷大臣=甘美内宿禰だと>>17に書いてあるだろ
そしてそれが追放されたスサノオが天叢雲剣をアマテラスに献上して高天原への復帰を許されたという神話と対応している
鉄産地の辰韓から帰ってくるときに鍛冶師を引き連れてきた雷大臣=甘美内(ウマシウチ)宿禰が武器制作の一門である物部の祖ウマシマジになっただけ
半島から鉄鍛冶師を連れてくるのは後世の韓鍛冶(からかぬち)と同様
0870日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:48:22.39
>>503
高良山には高良の神と高良玉垂命の二神が祀られている
高良の神は武内宿禰で高良玉垂命は安曇磯良


991 :名無しさん@1周年 :2019/07/28(日) 23:27:34.54 ID:zQ58gg+P0
>>913
物部氏の氏神は筑前国一宮・高良大社だとする説がある
高良大社の祭神である高良玉垂命は安曇磯良だという説があり、実際高良大社の創建時からの神職に安曇氏も物部氏もいる
物部氏と安曇氏はかなり密接な関係にあった

高良玉垂命は朝廷から正一位を授けられた、神々の中でも抜群に偉い神様なのになぜか記紀に登場せず正体不明の神
玉垂とは玉を授けるという意味であり、神功皇后の三韓征伐の際に安曇磯良が干珠満珠を授けたことから高良玉垂命=安曇磯良と考えられる
和布刈神社の「和布刈神事」や志式神社の「磯良舞」などにこの玉垂の故事が残っている

987 :名無しさん@1周年 :2019/08/17(土) 00:47:54.16 ID:xKUib5480
>>985
妄想おつ
高良玉垂命は阿曇磯良
玉垂とは玉を授けるという意味
神功皇后の三韓征伐の際に海から現れ潮の満ち引きを操る2つの宝玉を神功皇后に授けたのが安曇磯良である
だから高良大社の拝殿には海から現れる龍神が彫られている
https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/27/61/c0222861_22412148.jpg
0871日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 03:53:47.38
『神秘書』高良玉垂命とはアントンイソラである

https://lunabura.exblog.jp/31412674/
> 高良玉垂命とは誰なのか、古来論争がある。
>
> 『神秘書』では玉垂命を「高良大明神」「玉垂大菩薩」「高良大菩薩」と記している。
> ここでは玉垂命と記そう。
>
> この謎の神は江戸時代に久留米藩主により「武内宿禰」と定められた。
>
> しかし153条から156条を見ると、祭神が四柱並立して記されており、武内宿禰は「善神王(ぜぜのお)」という名で四柱目に記されている。(  )の中は綾杉が記した。
>
>    右宮 住吉大明神   ヒコナギサタケウガヤフキアワセズ       
>    中宮 玉垂大菩薩   (安曇磯良)                
>    左宮 宇佐八幡大菩薩 (応神天皇)                      
>       善神王     (武内宿禰)
>
> つまり、玉垂命と善神王(武内宿禰)は別の神なのである。
>
> 高良社が京都の石清水八幡宮にあるが、後嵯峨上皇が参籠する時に「武内、若宮、高良は八幡宮と最も密接な由緒を有する」と言った。(葉黄記)
>
> 「武内」は武内宿禰、「若宮」は仁徳天皇、「高良」は玉垂命のことだ。
> 「八幡神」とは応神天皇のことで神功皇后の子だ。
> 仁徳天皇は応神天皇の子である。神功皇后を支えたのが武内宿禰と高良玉垂命だ。
>
> 後嵯峨上皇は「武内宿禰と仁徳天皇と高良玉垂命(安曇磯良)は応神天皇と(神功皇后を通じて)密接だ」と言ったのである。
>
> これは当時はまだ別神として認識されていた例である。

こういう所からも正体が武内宿禰の弟である甘美内宿禰だという俺の説とぴったり符号していることが分かる
ちなみに神功皇后の水先案内を行った磯良(磯武良)=五十猛とは玉を授けた磯良の次代
イソタケルとはイソ国の王(タケル)という意味なので代替わりする
0872日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:12:18.70
>>871
〉こういう所からも正体が武内宿禰の弟である甘美内宿禰だという俺の説とぴったり符号していることが分かる

こういう不気味なキモイ書き方が伊都チョンw
0873日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:14:58.45
>>871
安曇宮司に話を聞きに行こうと書いたら、そんな昔のことは覚えてないニダって言っておきながら

安曇一族でもなんでもないやつの江戸時代の話を持ってくる伊都チョンww

筋の通った話が全くもってして苦手なクズ
0875日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:18:09.03
>>868
〉元々そこの王族だったスサノオ=雷大臣が追放後に出雲に上陸したという話と一致するな
自爆かねw

毎回思うけどお前ほんとクソだよな
背振山系あたりにいた出雲族の話を書いたらなぜ放逐の話になるニダ?
たあまおかしいニダ?w
0876日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:19:38.78
>>873
リンク先をよく読めよ伊都チョン連呼くんw

https://lunabura.exblog.jp/31412674/
> 玉垂命が誰なのかを明らかにする証拠が祭礼の時に献上する「覆面の布」である(22条)。
> そこには「大菩薩を抱き奉る祭礼の時に覆面の布一疋、手袋の布二疋」などを奉納した、とある。
>
> 天武期の白鳳二年(673)、高良山に仏教を取り込むために「玉垂命が発心して大菩薩になり、物部美濃理麿保続に玉垂命が懸かった」という話が創作された。
> これによって大祝が「大菩薩を抱きまいる祭礼」を行った。これは物部保続が祭の時に神人一体となったという意味だ。
> この時、「覆面の布」を奉納した。「覆面の神」とはアントンイソラ(安曇磯良)のことである。
> 当社縁起絵巻には白布で顔を隠して亀に乗る磯良が描かれている。
>
> 磯良は神楽や筑紫舞で白い覆面を付けることで知られている。
> 本貫地、志賀海神社の御神幸祭では一尺ほどの白布を顔の前に下げる。戦前には三尺ほどの白布を顔に巻き付けて顔を覆っていた。
0877日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:21:03.28
>>867
〉>鉄の輸入ルートの対馬ルートは中津が抑えていた場所
はい根拠ゼロ
妄想乙

雷大臣は中津臣の人間だろ
馬鹿なの?
対馬の神社の半分は雷大臣居たよな?
それともう一つが出雲族なのかもな
霹靂神社の別雷は出雲系の神だからな

お前の知識不足は底が抜けているな
0878日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:21:06.03
>>875
そんな簡単な話が理解できないバカは君一人だよ伊都チョン連呼くん
背振山の北側って糸島なんだがw
ああお前は糸魚川が越前だと思いこんでいたほど地理もダメダメなんだっけw
0879日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:22:11.05
>>877
雷大臣は中臣や卜部の祖として伝わっているが中津臣なんて記録は無いな
根拠ゼロの妄想おつ
0880日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:22:41.67
雷大臣


中臣 烏賊津 は『日本書紀』等に伝わる古墳時代の豪族・中臣連の祖。『古事記』に記載はない。別名に中臣烏賊津使主、雷大臣命。

どこにも安曇とは出てない
そのまんま中津臣と出てる
0881日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:24:52.91
今日も伊都チョンの負け犬ラッシュが続くw

自分で作り出した完全検索嘘発見器に自ら引っ掛かり、自分が嘘つきであると証明した負け犬は、今日も異常な日本語を連発

マジであっちのヤバ目の人間に見えてくる
0882日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:27:11.75
>>879
〉雷大臣は中臣や卜部の祖として伝わっているが中津臣なんて記録は無いな
根拠ゼロの妄想おつ

お前そこまでバカだったとはww

中氏は、中津と弓前から始まってる一族だろ

昔は中津臣家と言ったんだよ

だから仲哀の諡号はナカツヒコとなっている

お前は一番役立たずの低レベルなんだからすっこんでろやww
0883日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:28:16.95
完全一致検索のはずが「俺様の推論」とバッチリ付合するとか、もう言ってることが普段から異常w
0884日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:32:16.89
>>857
九州には何の根拠ともなる様なものが伝わってないよなww

江戸時代なら妄想話とか、鎌倉時代の八幡ウドンとかそんなんばっかで中身が全くない

根拠なしの伊都チョン説

安曇は男系尾張で、伊都チョン説は畿内説ww

まさかのキナイコシww
0885日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:35:45.22
>>865
〉だからこそ複数の史料との整合性確認が重要なわけで、>>16の通り多くの史料が同じことを言っている
一方お前の妄想は等外で考古学とも不一致w


安曇宮司ですら当てにならないと豪語したんだからその後の時代のさらに改変可能な文字化された資料など当てにはならないし
そもそもそんな事と付合する考古学的見地など存在しない

中津の雷大臣が須佐男とか、そんなことがわかる考古学など存在しない

妄想乙
0886日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:36:24.51
伊都チョン説は単なるメンタルであって人間の言葉や論理的思考の事を指さない
0887日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:38:29.36
>>858
〉同じ古伝でも公開のものと非公開のものじゃ信頼性に差がある
公開されてる話は改変がしにくいからな
〇〇家に密かに伝わっていたニダ!なんていうのは誰も検証しないからいくらでも捏造可能

その話は書籍化されている
お前の話は聞いた話
お前の頭の中の話

今自分で自分が嘘つきだとまた自己紹介したよなww馬鹿すぎるww
0888日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:40:52.08
高良大社の社家が玉垂が物部氏だと書いてるのにガン無視ww
地元九州の人間すら嘘つき呼ばわりの伊都チョンww
0889日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:45:40.37
>>853
〉完全一致検索は「世の中でそう言われているかどうか」を測るためのものなんだから俺が発見した事実が出てこないのも当たり前

いや?お前のいう通り、このクソスレだけは出てきたぞ?
過去スレでも検索結果を出したよな?

まあ、涙を拭け異常者w
そのやり取りは誰でも見れる過去スレに格納されてるから安心しろ

自爆テロは秀逸だったなw

出てこない、ではなく、クソスレだけヒットしたんだよ
お前の吠える嘘の定義とお前の妄想が一致したんだろ
0890日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:48:52.34
>>861
〉安曇と海部が同じ祖神を崇めていて、海人の宰として上役だったのは安曇の方なのも間違いない

そんな考古学は存在しない

そもそも安曇宮司すら当てにならないとまで言い切ってるからな
お前の妄想など塵芥に等しい
まさに負け犬の理論
0891日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:49:56.92
そもそも伊都チョンは私が言い始めた表現ではない
自分の因果応報と向き合え、子供じゃないんだからww
0892日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:53:18.65
>>876
安曇磯良と物部氏が別物であり、その話は創作であるという事を紹介する文章ww
0893日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 04:56:43.41
>>859
輸入鉄が大量に入ってきている事が分かってるのに国内の製鉄遺跡の話をして独占を主張するのが伊都チョン流考古学ww

鍛治遺跡と製鉄遺跡の区別すらないw
0894日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 10:55:26.51
>>867
〉>我が国における鍛造可能な鋳鉄は朝鮮半島からだけの輸入ではない
ソース出してみろ嘘吐き

ソースは出したけど、どうせ完全一致検索でもするんだろ?
お前のメンタルに合わないソースは見えなくなるんだよな?ww
0895日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 11:36:48.22
何度読んでも傑作のヒボコ須佐男論ww
あり得ねーよw
丹後のはずのヒボコがお空から天孫降臨ってのが九州説って事でOK?ww
0896日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 11:44:59.59
記紀が機内視点で書かれている根拠だが、魏書での書かれ方でわかる。
入彦という表現そのものが畿内からの視点であるという事。
ミマキイリヒコは、ミマキとしか書かれてないし、イサチイリヒコは、イサチとしか書かれず、ヤサカイリヒコは、はヤシャクとしか書かれない。

九州では当然に自分達の事を入彦だなんて呼ばないので、魏書の自己紹介でも出てこないわけだ。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 11:48:54.16
中臣
伊都チョンはその辺の情報すら歪めてここに書いてるけど、雷大臣は中臣や卜部の祖ではない
そして古墳時代の人物
明らかになってるのは後年の中臣連の祖であるという事。中氏は、臣と連の両方の権威があるという事を後年に示したわけだ

子孫を祖である様に見せかけるのが伊都チョン流考古学www
0898日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 11:57:29.08
>>852
伊勢方面は元々は出雲と、三島が入ってたらしいけど、のちに大彦の息子のヌナガワ別系の阿部が入ってる

故にあちら方面は三島と、習合相手の家系の神社が多い

なんだかんだで他方面から持ち込まれた巻向の土器は東海地方のが一番多かった気がする
0899日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 12:01:52.07
>>857

お前のいう通り既に本になってるだけの話だからなw

世の中はお前のメンタルのために存在してるわけじゃねぇんだよ病気持ちw
0900日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 12:03:54.19
巻向に関しては少量ではあるが、フトニの代で争った吉備国とも一定の関係が築けた様で、流入土器の中には吉備式も含まれる

そして、黒塚古墳と同じ鋳型の三角縁神獣鏡は瀬戸内海北側にも出土する
0901日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 12:12:44.24
>>900
宮谷古墳の三角縁神獣鏡と同笵鏡が、奈良(黒塚古墳)

「三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られたぼう製鏡で、全国へ配られている可能性が高い」
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、
その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、
それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)
・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。   
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波
0902日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:07:31.78
>>898
東海が多いんだけどそれは銅鐸で説明がつく
それより東西広範囲から集まってる事に注目すべき
なんで無理やり関連付けるの?
弥生時代に出雲と伊勢なんて関係ねえじゃん
0903日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:16:29.17
>>902
弥生時代なら逆に渡来人が入ってきてないよ

そんな昔の話なら、逆に出雲しかでかい国が存在しない時代
0904日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:17:44.52
だが、銅鐸と関係させるのであれば紀元前3世紀以降になるので渡来以降となる
0905日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:19:25.51
>>903
卑弥呼の時代だし当然弥生時代だろ
0906日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:23:12.78
>>904
滋賀南部で近畿式と三遠式が融合してるから
ここから纏向はそんなに遠くないよ
0907日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:23:37.28
>>905
卑弥呼の時代という事であれば古墳時代直前だな

だったら既に倭国大乱期過ぎてるから豪族の移動は始まってる
0908日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:26:59.61
そもそもが巻向一式の土器が倭国大乱終結期
近畿式の大型銅鐸ははその直前の数年間のもの
出雲も後年には銅鐸を自分のところの砂鉄と交易で手に入れていたので近畿式が入ってきてるでしょ

それを銅剣にしたらフトニに攻め込まれた
違う宗教の国と見做されたのであろう
0909日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:36:29.04
>>907
豪族の移動ってなんだ?
故郷を捨てるわけねえじゃん
天下統一目指してたのか?
0910日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:38:21.56
>>908
銅鐸と土器は関係ないだろ
0911日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:49:04.37
>>909
>豪族の移動ってなんだ?

言わんとすることは、「倭人(阿波勢力)」の進出  だろ?  わははははは   @阿波
0912日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 13:50:15.93
巨大な銅鐸なんて日本独自の文化だし渡来人とか関係ないから
0913日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:49:13.82
>>909

最初の物部(日向三代系図)のヤマト攻撃が各地の旧家だと150年代に始まり、180年代に収束しているという内容を前提に書き込んでいます
0914日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:50:57.89
>>912
〉巨大な銅鐸なんて日本独自の文化だし渡来人とか関係ないから

そもそも銅鐸を理解してない人の話
青銅は合金の鋳造の技術
考古学的には渡来しているという話になってる
とりわけ、必須の錫と鉛は全量輸入
0915日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:51:47.09
>>910
土器の流行は20〜30年くらいとされている
巻向式の土器の編年を一度見た方が良い
0916日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:53:19.26
>>909
〉天下統一目指してたのか?

明確にそんな感じが目的だったのかどうかはわかりませんが

結果論としては会社動乱で物部氏は短期間ではありますが倭国統一をしたと言うことにはなるのでは?
0917日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:54:35.19
>>906
融合したのですか?そこから分化していったのですか?
大事なのはそこではないでしょうか?
0918日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:57:06.36
>>915
土器の流行?
なんの話しをしてるか全くわからん
銅鐸は纏向では途絶えてるぞ
0919日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:57:32.53
銅鐸の分析に関しては錫に関してはほぼ手付かずで纏められていないが、鉛の方の分析は非常に進んでいる。
同位体分析が容易だから。
基本的に鉛に関しては大陸産と半島産に別れている。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:58:21.34
欧州の青銅と大陸の青銅の違いは、鍛造と鋳造

明らかに我が国の青銅器は大陸の技術
0921日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:59:32.25
>>916
ばかばかしい
どれ程の兵力だったんだ?
0922日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 14:59:33.56
>>910
鉄器が出てくるまでは青銅器作ってる人たちは土器を使っていたのでは?
0923日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:01:24.41
>>921
倭国大乱期は物部単独

景初動乱では、但馬、筑紫(物部)、宇佐、都万(西都原)

結構な大群で、ヤマト攻撃の前に吉備国と出雲はその時に滅んだ。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:03:11.90
>>914
おまえ頭悪い
紀元前二世紀頃から銅鐸作ってるんだぞ
銅鐸作るのに技術なんか要らないってか?
0925日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:05:36.61
>>917
知らんがな
銅鐸があるから東海系の土器が多くてもおかしくないと言ってるんだよ
0926日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:06:13.42
>>918
近畿式は、北陸方面に
三遠式は東海方面に

共に物部の宗教に対抗した豪族のもの。
倭国大乱末期180年あたりに大彦が琵琶湖撤退をしているのでそうなってもおかしくはないが、その後も銅鐸祭祀は移動していった

三遠式ってのは地域名を表す。東海とかから南信濃あたりのことだったかな、確か
0927日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:07:11.94
>>924
だから、その時期が大規模な大陸からの渡来時期なわけだ
0928日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:07:40.31
>>922
銅鐸を作り始めて四百年くらい経ってるから
0929日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:08:50.81
>>924
そもそも銅鐸が入ってきた時期と国産化が極端に早い事例など半島にすらない
渡来で作れるやつごと我が国のにきたとかなければ説明のつかない特異的な考古学的な結論になっている
0930日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:09:43.26
>>926
はいはいモノノベさんね
0931日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:10:00.24
>>928
そして別の宗教である銅剣や後漢鏡のエリアである九州が台頭していったわけだ
0932日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:10:28.94
>>927
それがどうかしたのか?
0933日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:11:14.58
>>930
違うだろ。
尾張氏(大彦と息子のヌナガワ別)のエリアだよ
畿内では母系出雲の尾張家の祭祀が銅鐸
0934日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:11:38.38
>>932
少しは頭を使えw
0935日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:13:08.26
>>929
作ったことないあんなバカでかいのをどうやって作るんだよ?
技術の蓄積があったに決まってんだろ
0936日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:16:14.60
倭国大乱期の仕上げはクニクル
この代で嫁さんに突然に物部氏の姫が入り込んでるだろ
最終的に氏が奈良に引き込んだ熊野勢物部氏の勢力が奈良入りした事で倭国大乱は次第に終結に向かう。
その際に最後まで抵抗したのが大彦とヌナガワ別

故に後期式の見る銅鐸のエリアでは後漢鏡がほとんどでない
大彦は物部嫌いだったらしい
0937日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:17:06.09
>>935
それがその400年間でしょ?
初期型の銅鐸は出雲と吉野ヶ里で出てるけど小型のものだよ
0938日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:18:44.34
>>937
四百年かけて技術を蓄積していったんだよ
0939日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:24:02.69
大型化した銅鐸はデザイン的に洗練されてる
見た目重視になったからだろうけど
0940日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:29:15.87
>>938
だったら何もおかしくはない。既にそう書いただろ
0941日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:35:03.22
>>940
渡来人とか妙なこと言ってるからだろ
関係ねえよ
0942日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:37:13.64
前3世紀に出雲に到着した渡来人一向は、先に出雲に来ていた千家のホヒによって大国主名前に引き渡された。

その際に持っていた青銅器は「勾鑃」の様なものだったらしい
貢物が気に入らなければ鋳直して別のものに作り替えると申し出たらしい。

これは出雲十神宝として奥出雲の熊野に逃げ込んだ富家が保管していたが、実際にはいつの時代かは不明だが奪われてしまったらしい。

実物を検索して見てみるいい。
手で鳴らせる楽器的なものだよ
0943日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:38:09.37
>>941
鉛と錫の話は?
お前の話は阿波や伊都チョンと同じ程度の願望でしかない。
0944日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:40:29.55
>>942
そんなもん直ぐにできるかよ
銅溶かすのも鋳型作るのも材料が必要
それも技術だ
0945日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:42:30.31
>>943
輸入したんだろ
渡来人は日本で銅の採掘をしてたのか?
0946日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:43:58.36
>>944
頭おかしいのか?w

渡来時に完成品を見せただけの話だろ
それが紀元前3世紀の話だったということらしいわ
なんで出雲に来てから新しく作るんだ?
焼き芋じゃあるまいし
0947日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:45:19.77
我が国における青銅器は、朝鮮半島に出土例がないタイプが多数発見されており、日本海ルートで伝わった可能性があるというのが学説になってる。
朝鮮半島は無関係に我が国の青銅器の歴史が始まっている。

ヒボコぉ?ご冗談をwww
0948日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:46:21.35
>>945
銅は入手可能だった
出雲では自然銅の鉱山があった。
0949日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:47:22.46
>>946
なんの話ししてるんだ?
四百年掛けて近畿と東海で立派な銅鐸を作り上げて滋賀で融合した
それだけの話しだろ
0950日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:48:44.14
考古学的な学説と、出雲で伝わっている話が不気味に一致している。

日本海側ではなく九州発ではないのかと何度も読み返したがそうなってる。
おそらくwikiでもそうなってると思われる
0951日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:48:47.60
>>948
渡来人とやらは日本で銅を掘ってたのか?
なんの話ししてるの?
0952日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:49:28.38
>>951
国産化の話だろ

何で鉱山を渡来人にわたすんだ?
アホなのか?w
0953日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:51:12.75
>>952
そんな話ししてなんの意味があるの?
日本で銅の採掘なんてずっと後の話でしょ
0954日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:53:12.51
>>949
銅鐸の起源は渡来時期に関係しており、技術と共に我が国に来て短期間に国産化が達成された
超古い銅鐸は出雲と、その後程なくして九州で同型のものが出ている。
それが起源だという話

400年後の大型化した銅鐸は後年の物部の血が入ってない尾張家の宗教であるという話
弥生時代の話だろ
0955日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:54:38.40
>>954
いきなり来た渡来人があんなでっかい銅鐸作れないでしょ
0956日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:55:16.94
ヒント: 奈良の大仏
0957日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:56:10.54
>>953
考古学的には国産化がなされたと結論が出ているわけだから私に言われても(失笑)

出雲銅山は普通に史跡になってるよ
鵜峠の辺りや、竜山の辺りでは銅が出た

だから出雲の王様は「大穴持」とも書かれるわけだ。
0958日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:57:14.46
>>955
お前は馬鹿なのか?最初は小型だったと書いただろ。日本語を読め。
0959日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 15:57:57.70
>>957
それは弥生時代の話しなのか?
0960日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:00:07.37
>>958
知ってるわ
それが四百年掛けて大型化したんでしょ
あんなでっかい銅鐸作ってる国無いから
0961日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:00:19.38
>>959
九州で唯一発見された銅鐸が吉野ヶ里。
その時代の分析と、出雲でも同型のものが出ている話を自分で調べてこい

それもこのスレで既出の話題だぞ?
少しは考えてものを言え
0962日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:06:11.94
>>961
銅を溶かして銅鐸作ってた事くらい知ってるから
銅の採掘をしてたのかって話でしょ
銅の採掘をして精製するのとは違うからな
てか何の話よ?
掴みどころがなくてわけわかんない
0963日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:08:06.37
ちなみに吉野ヶ里からは錫のインゴットが出ている

大陸の古い貨幣から取り出した錫ではないらしい
0964日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:10:28.95
>>962
銅鐸エリアは弥生時代から始まっており、九州では作ってはいたが宗教化されなかったか、すぐに銅剣などに移行した。
出雲では銅鐸は作っていたが、程なくしてヤマトに移住した出雲族によりヤマトで生産が続けられた。

そんだけのはなし
0965日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:12:14.99
銅鐸は風鈴のルーツ
0966日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:15:16.15
二つの後期型銅鐸が一緒になるのは会津とかじゃないの?
0967日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:19:21.29
>>964
四百年前に出雲の人が移住したかも知れんし
別の地域の人が国産化に成功したかもしれない
大型化する過程で優れた技術者が現れたかもしれない
それら全てどうでもいい話し
0968日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:22:43.48
大乱で負けちゃった存在を受け入れるのは親戚筋くらいのものだよ

だからヤマトでは後漢鏡と銅鐸が出るし
他では後漢鏡が出ない

大彦の代がクニクル。クニクルの代で手打ちで物部祭祀を受け入れて、鏡が三輪山に入った。
故に卑弥呼の権威が上がり、戦乱は終結期に向かった。
追い出された方は頑なに銅鐸祭祀を守り、親戚筋の出雲系、三島系を頼って東海や北陸に移動していった。

現在では三島は大きく分けて3つあるが、大三島の三島社はひとつだけ。
一つは阿部系。最後は出雲系の三島社だよ
0969日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:23:46.69
大型銅鐸のエリアではでは三角縁神獣鏡以外のヤマト側の鏡以外の後漢鏡はほとんど出ない

あとは埋めて誤魔化したエリアしかない
0970日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:25:03.36
>>967
だったら最初から黙ってたら?w
国産青銅器は日本海側からの展開になっておりその判断に銅鐸が重要な役割を果たしているということは考古学的に言われていること。
0971日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:26:11.31
伊勢なんて後に大型化した神社。
元は三島と出雲のエリア。

だからヤマト姫の受け入れに、イザワトミが出てくる。
0972日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:30:58.65
>>970
何が言いたいんだ?
ホントわかんない
銅鐸の終末期近畿式と三遠式が融合した
その関係が纏向にも引き継がれたと考えるのはおかしくないと思うが
0973日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:33:26.69
>>971
三島って何処?
静岡の三島?
0974日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 16:44:58.88
銅鐸文化圏が纏向と関係のある地域って感じかな
0976日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 21:16:48.10
>>972
枝葉の纒向にこだわると大局を見失う。
0977日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 21:18:15.02
>>975
瀬戸内海の覇者だろ。
西日本では日本海側の出雲に次ぐ地位を確保できる。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 21:46:02.43
承平天慶の乱以前の伊予水軍の史料が存在するなら歴史的発見だから是非に教えてほしい
0980日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 21:55:40.02
伊予国風土記には大三島の神について
「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名を和多志の大神」
とある。
ならば志賀島の海神族つまり倭王が日本海だけでなく瀬戸内海まで進出してきたということだ。
千年以上も信仰として守られてきた古社の伝承は無視するには惜しいと思うが?
0981日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 21:57:59.98
信仰の問題ではなくてだね
現実に伊予の船が他所に行っていたという史料が必要なのだよ。無ければ勢力圏は主張できない
0982日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:06:12.09
>>981
現代では信仰と呼ぶが、本来なら歴史そのものだろ。
しかもきっちり風土記に書かれているのだから、出典も明らかだ。
何が不満だ?
0983日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:06:22.15
北九州の水軍が瀬戸内海に進出してきたという史料はある神武東征に準ずる形でだが
0984日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:13:48.48
じゃあ別の史料でも裏付けできるということだ。
ただ、世代は違うかもしれないな。
神武は大山祇の4世孫だから。
もしくは、家系図そのものに嘘か間違いがある。
0985日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:14:02.99
大三島の神の信仰が各地に伝播したのはわかるが、それが海の勢力の進出を意味することとはノットイコールだ
信仰の伝播そのものは船による移動であったことまでは証明しない。神武東征と同水準の津や渡しの存在が必要だ
0986日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:14:48.79
>>983
北九州の水軍が瀬戸内海に進出してきたら岩礁にぶつかって木端微塵
0987日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:20:30.11
>>985

その大三島が志賀島の海祇との関係を自称しているのだから、あとは何が必要なんだ?
そもそも離島である四国への移動に船以外の方法はない。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:22:53.39
神武東征において大山祇神は(何処かから)伊予の宮浦へと勧請されたと同神社の縁起にある
つまり神武東征や神社縁起や風土記が史実なら伊予発祥ではなく他所からやってきた神ということになる
では何処から?
0989日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:26:16.61
もちろん志賀島からだというのだろうが山神と大山祇神をイコールで結びつける事は出来ないはず
山神=志賀神の神使は狼でなく鹿だからだ
0990日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:30:29.62
なぜ突然狼が出てくるのか教えてくれるかな?
どう見ても志賀島の綿津見だろうが。
0991日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:33:50.03
大山祇神の神使は鹿じゃないよねでも志賀神の御使いは鹿なんだ
0992日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:36:17.73
どんなに受け入れがたくとも現地でそうなってる事実は受け入れないとね
0993日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:36:43.12
それこそ後世の追加だろう。
そんなものは否定する根拠にはならんよ。
0994日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:40:43.47
後世に捏造されたなどとそんな理屈で国譲りとの因果を否定してしまうのか鹿なら志賀島の縁起は国譲りまでさかのぼれるのに
0996日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 22:56:02.39
志賀神の神社にある鹿の角一万本に込められた思いを「後世の捏造」と否定するなんてひでえ
0997日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 23:03:45.67
否定してないよ?
志賀島の倭王の末裔が伊予に進出したんだよね?
シンボルの動物などいつでも入れ替えられる。
三島の一族はその次にどうした?
伊予は通過点に過ぎない。
一族は瀬戸内海を最奥地、大阪に上陸した。
その拠点が摂津三島神社であり、その主が三島溝杭耳つまり鴨族となる。
神武東征を助けた八咫烏のことだ。
そのトーテムは鴨であり、淀川を通じて京の上賀茂下鴨両神社に進出した。
その孫娘が神武の妃、イスケヨリ姫だ。
筑紫からの勢力が何世代かに分かれて瀬戸内海を東征したということだよ。
筑紫、伊予、摂津、山城、大和まで大山祇と三島溝杭耳の親子で話が繋がっている。
単独の神社の伝承ならどうにでもなるが、畿内を代表する古社が揃ってその歴史を伝えているのだよ。
0998日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 23:05:01.94
何を言ってるんだ神道は祖霊信仰も兼ねるのだからトーテム=民族の起源を変えて良い訳が無いだろ
0999日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 23:06:38.85
鹿に頼り過ぎ。
伊予に鹿を持ち込まなかったからといって四国と畿内の伝承を否定しようというのか?
それは畿内説の立場なのか?
九州説の立場なのか?
1000日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/05(土) 23:49:03.19
自縄自爆で伊予風土記と畿内の伝承を否定してるのは君の方だろう
大山祇神社の縁起を無視しとくに根拠なく二つの祭神を結びつけている
10011001
垢版 |
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