卑弥呼=天照大神の方が盛り上がるやん?
だから卑弥呼が天照の方が面白いでしょって趣旨のスレ 問題は天照祭祀と卑弥呼の鬼道が同じかどうか
しかし銅鏡100枚の逸話と平原の出土品から卑弥呼が鏡祭祀であることは明白だ
その後三角縁神獣鏡が畿内で発展するが、その為に後付けされた権威的、象徴的女神として卑弥呼はあっただろう
だが初めから卑弥呼が天照として存在した訳では無いと思うね
女神としての評価は後世がつけたものだろう 纏向は二世紀後期後半から
卑弥呼の即位とほぼ同時期から始まる
酸素同位体比年輪測定法によって従来のC14による推測が正しかったと裏付けされた
邪馬台国の会なる素人の集団は未だ定説していないようだが本当に見苦しい連中だな 卑弥呼と同時期なら邪馬台国とは無関係じゃんw
邪馬台国はそれ以前から存在していたんだから 日本会議、神社本庁、自民党などのカルト団体が卑弥呼=天照を絶対認めないからな 戦前の白鳥庫吉のように天照大神と卑弥呼が似ているとまでは言っていいんだよ
だれでも気づくことだからな ネトウヨのカルトどもはアイヌ非先住民説などを見れば分かるが、デマと分かっていて戦略的に珍説を垂れ流しているからな
邪馬台国九州説も然り、反クルド運動も然り、在日韓人排斥も然りだ >>40
議論に勝てないから相手はネトウヨだとレッテル貼り ネトウヨのようなゴミはレッテル貼って分別するのが正解 アイヌって南下してきたんじゃないの?先住は縄文人じゃないの? >>42
違う
相手の主張のどこがどう間違っているか指摘出来ない
論破される
だからレッテル貼って議論から逃げるんだよ 女従者と引き籠り生活してる卑弥呼さまは天照と古代斎王そのもの。 縄文人→擦文人→アイヌ人
弥生人→倭人→日琉人
縄文人の言葉は原アイヌ語、つまり縄文人は日本民族ではない
ジャップの民族的先祖は弥生人であって、弥生人の故郷は中国の遼寧省
日本語は元々は遼河文明の辺民である偏堡文化人の言葉なのであった それも違う。
アイヌは遺伝子や言語は大和民族よりも縄文人に違いが、文化に関してはアイヌよりも大和民族の方が縄文人に近い。 伊勢とかおかげ横丁に行くと何となく古代の女王文化とか斎王の存在感が理解出来る
人とモノが集まって市ができ文化が生まれる的な部分で
お酒や加工品も物資が集まる場所ならではの産物
天照の概念もそうやって集まる人々を照らす存在として神格化されただろうね >>49
倭国(阿波)から遷都した、8世紀以降にな。 @阿波 ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・酸素同位体比年輪法を無視して纏向を四世紀という
・時系列を無視して漢字を現代音で読んでしまう 夫なしの皇女、皇族も含め男性出禁、女雑用500〜1000人規模の大和の斎王はまるで卑弥呼じゃん。 初代卑弥呼はアマテラス
2代目卑弥呼はアマテラスの子 イチキシマヒメ
臺與は山幸彦の奥さんことトヨタマヒメ トヨウケは雄略時代だから、どうだろう
トヨウケの考察は全然してないので 豊受大神の元が丹後の籠神社と言われてる
丹後の天女伝説と相まって臺與が亡命した説は有り得る
それに卑弥呼の名は役職名では無いということも言える
臺與が卑弥呼ではなく天照でも無いと言うところに逆に卑弥呼が天照である信憑性は高まる 卑弥呼は神功皇后で
新羅百済高句麗を容易く支配下に置いた
古代女神だよ 台与と饒速日で邪馬台国を東遷したんだから饒速日を祀る籠神社と台与も関係あるだろう >>64
神功皇后は仮に実在していたとしても4世紀後半
神功皇后の事績に大陸から七枝刀を貰ったとか三韓征伐とかあるが
大陸側に残された記録と照らし合わせるとそれに該当する記録はどちらも4世紀後半 >>65
瓊瓊杵尊が卑弥呼時代、饒速日が臺與時代の補佐役(大倭)としたらスッキリするものがあるな
ニニギの孫神武がニギハヤヒと邂逅することも含めて ニギハヤヒはニニギの兄だぞ、神武東征の時のニギハヤヒは3代目だろう さよう
卑弥呼をモデルに、天照大御神神話を思いついたのよ。
人物像も、舞台もな。 卑弥呼は出雲系の大物主の妻で倭迹々日百襲姫
天孫系の天照大神とは別宗派 新刊
「卑弥呼の鏡」が解く邪馬台国 (単行本) 単行本 – 2024/5/9
安本 美典 (著)
邪馬台国と卑弥呼は、日本古代史上最大の謎である。
本書は、半世紀以上にわたって邪馬台国研究をリードしてきた著者が、
「元伊勢籠神社伝世の二面の鏡」と「パラレル年代推定法」という新たな視点を導入し、
@邪馬台国北部九州説、
A卑弥呼は天照大神である、
B邪馬台国東遷説(神武天皇東征は、邪馬台国の後継王朝による畿内への本拠地移動)
という、これまでの自説をより堅固なものとする。
同時に、卑弥呼が魏の皇帝から受け取った銅鏡百枚のうち、二枚が現存し、
その実物写真をこの目で見ることができるということの、確実な論拠を提示する。 倭姫命の伊勢遷移斎王伝説
これこそ邪馬台国の卑弥呼と臺與が遷移を続けた名残を留めた文化である可能性があるよね
移動を続け理想の地へ赴く役割みたいなものが制度化し、しきたりとして垂仁時代まで続いた
伊勢に留まったのは天皇の制度が女王文化に変わり確立したことを示している
なので天照=卑弥呼という明確な根拠はなくその行動原理が卑弥呼と臺與を指し示している、という理解の方が良いのかもしれない 盛り上がるじゃ無く、卑弥呼=「日の巫女」で=天照大神 また、現在の「は」は当時[pa]と発音された。(第6回参照)
以上から、"卑弥呼"は、[漢語]ピミフ ピミハ ピミホゥ→[当時]ピミク ピミカ ピミコ→[後世]ヒミク ヒミカ ヒミコ
http://himiko-y.com/scrp3/himiko.htm 卑弥呼の発音に関しては諸説あって分からないから
邪馬壹国論争の争点にすべきではない