明治から戦前までの文化
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戦後70年 徳島の情景絵画展ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025698971.html
戦後70年の節目に合わせて、徳島の戦前、戦中、戦後のさまざまな情景を描いた絵画の展示会が、
徳島市で開かれています。
この展示会は、徳島城博物館が戦後70年の節目に合わせて企画したもので、徳島市の画家、飯原一夫さんが
みずからの体験をもとに戦前、戦中、戦後の徳島の情景を描いたおよそ70点を紹介しています。
このうち、「新町橋の旗行列」は、徳島市中心部の新町橋で日中戦争での戦勝を祝って子どもたちが旗を手に行列する
様子を描いています。
一方、戦後をテーマにした作品では、▼昭和20年7月の徳島大空襲で一面焼け野原になった市街地に終戦後、
早くも建ちはじめたバラックの家や、▼木造平屋建てだった徳島駅から降り立つ復員兵など、戦災から復興していく
街や人々をていねいなタッチで描き出しています。
時代とともに移り変わっていった徳島の様子を生き生きと描いた作品の数々に訪れた人たちは、感慨深そうに
見入っていました。
会場を訪れた徳島市の83歳の男性は「懐かしさとともに、戦争の足音が再び聞こえてくるのではといろいろなことを
考えさせられました」と話していました。
この展示会は、徳島市の徳島城博物館で8月16日まで開かれています。
06月23日 12時28分ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025698971_m.jpg f3 rss2 [01日 12:10]6/30 20:28 「岡山の歴史と文化」展 開催ttp://www.rsk.co.jp/news/photo/20150701_1.jpg
岡山の歴史や文化の発展に貢献した先人を紹介する企画展が、岡山市北区の岡山シティミュージアムで開かれています。
企画展「岡山の歴史と文化」は、岡山シティミュージアムが公募した市民学芸員の研究をもとに企画されました。
明治以降の岡山の発展に尽力した人の功績に焦点を当てたもので、今年で5回目です。
日本児童文学の三大作家のひとり、坪田譲治です。いまの岡山市北区島田本町で生まれました。
会場には、書斎で使われた家具などが並べられています。ttp://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?cat=1&id=20150701_1
ガラス工芸家の赤澤清和さんの作品です。岡山市に工房を構え後進の指導に努めました。
企画展「岡山の歴史と文化」は、岡山シティミュージアムで7月5日まで開かれます。 レトロな生活道具の展示会ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4023087581.html
昭和20年代から40年代に使われていた懐かしい生活道具などを集めた展示会が、新見市で開かれています。
「昭和の遺産展」と題したこの展示会は、新見市新見の喫茶店が店の二階のスペースを使って開いているもので、
昭和20年代の終わりから40年代初めにかけて新見市内の家庭で実際に使われていた真空管ラジオや旅行かばん、
機械式の計算機など5点です。
このうち、旅行かばんは中に昭和28年の小学生向けの新聞が敷かれていてちびっこ相撲の大会の記事が一面を
飾っています。
またこちらは昭和30年代に役所や企業などで使われていた国産の機械式計算機で、横に付いているハンドルを
手で回して使うものです。
展示会を開いている喫茶店のオーナー、土山浩司さんは、「昭和の懐かしいものが商店街の軒先などに飾られていると、
新見がもっと魅力のある、すてきなまちになると思い、展示しています」と話していました。
「昭和の遺産展」は、7月20日まで、新見市の茶寮御殿町新見のギャラリーで開かれています。
07月05日 19時09分ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4023087581_m.jpg 2015.7.11 12:24 D 今治で「昭和のくらし展」開催 <7/11 12:24 >
昭和の生活道具や暮らしぶりを紹介する展示会が今治市で開かれています。
丸くてシンプルなちゃぶ台の脇にはしゃれた開閉式のトースター。
ささやかな暮らしの中に戦後復興を経て高度経済成長に突入しようとする息吹が垣間見える食卓です。
今治市吉海町の郷土文化センターで昭和の空気を感じさせる企画展が開かれています。
この企画展では大正から昭和20年代の生活用品およそ250点を使って戦後の人々の暮らしの風景をセット風に
再現しています。ttp://www.ebc.co.jp/bangumi/snews/news_kiji.asp?SirialNo=48408
センターでは「昭和の時代を懐かしみ、まだまだゆったりとした時代の空気を感じて欲しい」と話しています。
「昭和のくらし展」は9月30日まで開かれています。 昭和の暮らし展ttp://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20150721/3495031.html
懐かしい家具や家電などを集めて昭和のくらしぶりを再現した展示会が今治市で開かれています。
今治市吉海町にある吉海郷土文化センターでは、地域に住んでいる人たちが実際に使っていた家具や家電など250点
余りを展示して、戦後まもない昭和の暮らしぶりを再現しています。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8003495031_m.jpg
このうち、昭和の家族団らんのイメージがある「ちゃぶ台」は、実際に昭和30年頃に使われていた直径75センチほどの
木製のもので、台の上には、とっくりやお箸などが並べられています。
また、「蓄音機」は、昭和30年代に使われていた手で回してレコードを聴くタイプで、当時、非常に珍しく、レコードを聞く
際には近所の子どもたちを集めて音楽を楽しんでいたといいます。
そのほか、今では非常に貴重な扇風機やトースターなども展示され、訪れた人たちは、熱心に見ては懐かしんでいました。
展示会を見に来た60代の女性は、「小さいときにちゃぶ台で食事をしたのを思い出しました懐かしい感じがして良かった
です」と話していました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8003495031.html
この、「昭和のくらし展」は、今治市の吉海郷土文化センターで9月30日まで開かれています。
07月21日 09時06分ttp://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20150721/3495031_8003495031_m.jpg 夏の民具 思い出展ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8013470011.html
「夏」をテーマに、明治から昭和初期にかけて人々の暮らしの中で使われてきた民具などを集めた展示会が高知市で
開かれています。
高知市の春野郷土資料館で開かれているこの展示会にはかつて夏の時期に実際に使われていた民具などあわせて
7点が地元のお年寄りが当時の暮らしを振り返るコメントとともに紹介されています。
▼このうち昭和初期に使われていた「扇風機」は、首の部分が短く全体が鉄で出来ていたため、今の扇風機とは違って
とても重かったと記されています。
▼また「蝿取り」という道具は、ガラス製で、直径20センチほどのカボチャのような形をしていて、容器の部分に
米のとぎ汁などをため、えさにつられて容器の中に入り込んだハエを捕らえる仕組みになっています。
春野郷土資料館の津野彩香さんは「夏に実際に使われていた民具に触れてもらい、当時の暮らしぶりを感じて
もらいたい」と話していました。
この展示会は来月30日まで、高知市の春野郷土資料館で開かれています。
07月21日 09時02分ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8013470011_m.jpg f5 rss5 [23日 19:10]7/23 03:35 24 July 2015 4:10 am 栗林公園の商工奨励館 讃岐の迎賓館に
国の特別名勝、高松市の栗林公園にある商工奨励館が改修工事を終え、来月開業することになり、
内覧会が開かれました。目指すのは「讃岐の迎賓館」です。ttp://www.rsk.co.jp/news/photo/20150723_7.jpg
栗林公園の商工奨励館は、建築から116年がたつ明治時代の建物で、おととしから耐震化などの改修工事が
進められてきました。ttp://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?cat=1&id=20150723_7
これまで公開されていなかった本館2階の展望テラスも開放され、栗林公園の景観が一望できるようになります。
また、北館は結婚式の披露宴や音楽イベントなど、様々に利用できるホールとして一般にも貸し出されます。
西館には、香川県産の食材を使うカフェレストランも設けられます。改装を終えた商工奨励館の利用開始は来月1日です。 幕末の志士と交流も 掛け軸ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8023605631.html
幕末の志士と交流のあった、美馬市の寺の元住職が書いたとみられる掛け軸が見つかり、徳島市で展示されています。
見つかった掛け軸は、美馬市の願勝寺の元住職、美馬君田の直筆とみられ、縦70センチ、横30センチの大きさです。
君田は、幕末に高杉晋作や坂本龍馬と交流があり、高杉らをかくまった罪で投獄されたと伝えられています。
掛け軸は、伊勢神宮など3つの神社の神様によるお告げを伝える内容で、最後の1行にある「馬諧」という署名と印から、
君田によるものとみられています。
また、裏には、「前願勝寺」と「嘉永七年九月」という日付けが書かれ、君田が、寺の住職を辞めて琴平町に移り住んだ
年に書いたとみられるということです。
去年、美馬市の古文書収集家が香川県の旧家から購入したもので徳島城博物館の専門家は、
「君田が住職の地位を捨て、幕末の活動に飛び込んだ時期の作品として貴重な史料だ」と分析しています。
また、展示を主催する徳島市地場産業振興協会の上杉和夫理事長は、「幕末の激動の時代に徳島は無縁だった
印象があるが徳島に美馬君田のような人がいたことを知ってほしい」と話していました。
この掛け軸は、同じ時代の士族が書き残したペリー来航などの記録集などとともに、8月2日まで徳島市の市立木工
会館で展示されています。
07月28日 12時20分 醤油製造会社の倉庫から戦時中の缶詰ttp://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?id=20150730_7
香川県小豆島のある醤油製造会社の倉庫で、戦時中に海軍により作られた赤飯の缶詰17缶が見つかりました。
70年の時を経た缶詰の中身はどうなっているのか? 30日開封されました。http://www.rsk.co.jp/news/photo/20150730_7.jpg rss15' 醤油製造会社の倉庫から戦時中の缶詰31 July 2015 4:10 am
木箱に入れられた状態で見つかった赤飯の缶詰17缶です。
この缶詰が眠っていたのは香川県土庄町にある醤油製造会社の倉庫だった建物です。
4年前、ギャラリーとして建物が改装される時に発見されました。
中身はどうなっているのでしょうか?数千缶の缶詰を食べたことがあり缶詰博士の異名を持つ黒川勇人さんが
駆けつけました。出てきたのは、今でも食べられそうなほどふっくらと艶のある赤飯です。
缶詰はギャラリー、メイパム2号館で1日から開かれる写真展と合わせて展示されます。
戦時下の食糧事情を今に伝える貴重な缶詰、誰のために?またなぜ倉庫に保管されていたにかにも関心が集まっ
ています。(30日19:10) みかんコンテナで“通天閣”ttp://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20150806/3560851.html
大阪のシンボルのひとつ、「通天閣」をイメージして特産のみかんを運ぶコンテナを使って作った巨大なタワーが
愛媛県宇和島市に完成し、7日から一般公開されます。
このタワーは明治から大正にかけて活躍した宇和島出身の実業家、土居通夫が太平洋戦争で解体される前の初代の
通天閣の建設に当時の大阪商工会議所の会頭として関わったことから、宇和島市が「宇和島伊達400年祭」の関連
行事として作られました。
宇和島市の天赦公園グラウンドに建てられたタワーは、土居通夫にちなんで通天閣をイメージしていて、みかんを運ぶ
プラスチック製のコンテナおよそ3300個を8日間ほどかけて高さ17メートルまでに積み上げて作られました。
またタワーの入り口には「通天閣」で幸運の神様として親しまれている「ビリケンさん」の実物が設置される予定です。
このタワーは、7日10時にオープニングの式典がおこなわれたあと、8月31日まで一般に公開され、
夜間はライトアップもされるということです。
08月06日 21時39分 「文学に描かれた戦争」展ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024115571.html
徳島にゆかりのある作家が、空襲の体験など、ペンを通して戦争の悲惨さを訴えた小説などを集めた特別展が徳島市
で開かれています。
「文学に描かれた戦争」と名付けらた特別展は、終戦から70年になることし、徳島市の県立文学書道館が企画した
もので、徳島にゆかりのある小説家や歌人など20人余りが紹介されています。
このうち森内俊雄さんの展示では、両親の出身地、徳島市に疎開中に体験した昭和20年7月の徳島大空襲の光景を
小説に記し、芥川賞候補にもなった「眉山」の一節が紹介されています。
町が燃える中、眉山まで逃げた人々や焼い弾によって赤ん坊を背負った人が火だるまになった様子が、生々しく
描かれています。
また阿南市出身で戦後、歌人として活躍した山下榮さんは特攻隊員として出撃後に燃料切れのため帰還して生きながら
えた自身に対し、多くの仲間を思って詠んだ「寂しよ生きて還りゆくこと」という短歌を残しています。
会場にはこのほか、徳島大空襲で母親と祖父を亡くした作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの自伝的小説なども展示され、
戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えています。この特別展は9月23日まで開かれています。
08月14日 12時17分 今治で今昔比べる写真会ttp://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20150829/4481211.html
およそ半世紀のあいだに人々の暮らしや町の様子がどのように変わったかを写真で見比べて今後の町作りにいかす
ユニークな写真会が愛媛県今治市で行われました。
この「今治今昔写真会」は地元のグループが若い人に今治の魅力をもっと知ってもらうとともに今後の町作りに
生かそうと行い市内の学生らおよそ60人が参加しました。
参加者はまず、地域の人から提供されたおよそ半世紀前の昭和30年代から40年代の今治市内の写真を元に、
当時と同じ現場に向かい商店街などの様子を撮影しました。
町の様子はほとんどが様変わりしていて、当時、撮影をした人から話を聞いたり、写真を何度も見たりしながら
シャッターを切っていました。
参加した学生は、「昔の事を知っている人と写真を撮ったり、話をしたりしてみて今との違いに驚きました」と話していました。
最後に撮った写真のお披露目会が行われ、参加者は現在との違いや今後の町作りについて話し合っていました。
今治今昔写真プロジェクト委員会の渡邉宇一朗代表は「昔の事をよく知っている方の話を聞けるというのは、
今後の事を考える上ですごく参考になりました。」と話していました。
08月29日 19時30分ttp://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20150829/4481211_8004481211_m.jpg 民衆が見た戦争展ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024583391.html
昭和の戦時中から戦後にかけての資料や写真を通して徳島の人たちが、戦争の時代とどのように向き合っていたのか
伝える特別展示会が徳島市で開かれています。
「民衆が見た戦争」と名付けらた展示会は、戦後70年のことし、徳島市の県立文書館が企画したもので役場や個人が
所蔵する昭和12年から太平洋戦争の終戦直後までの書類や写真などおよそ100点が紹介されています。
このうち「戦地へと赴く民衆」の展示では息子の出征を祝うため、家の前に、名前を大きく書いた板を飾り、盛大に
送り出した様子が、実際に掲げられた板と写真で紹介されています。
また、小松島市出身で陸軍の飛行兵だった林道夫さんが残した日記には、
「新生活が始マッタノニ俺ノ心ハ少シモ新シイ英気ガ起コラヌ」と書かれていて、戦地に赴く前にわだかまりを
抱えていた率直な思いがつづられています。
このほか当時の県立三好高等女学校の女学生たちが、鉄砲を使って射撃訓練している写真もあり、戦争に女性たちが
巻き込まれていく様子がわかります。
徳島県立文書館の金原祐樹課長補佐は「公文書は中まで読む機会があまりないと思いますが、この機会にじっくり
見てほしい」と話していました。
この特別企画展は10月25日まで開かれています。
09月03日 12時27分ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024583391_m.jpg [17日 12:10]江戸から明治 土木コレクション展
江戸から明治にかけて当時の土木技術者が描いた土木工事の図面が、岡山市北区の岡山シティミュージアムで
公開されています。ttp://www.rsk.co.jp/news/photo/20150917_1.jpg
ttp://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?cat=1&id=20150917_1
今から125年前に岡山市内に水道管を敷くため、当時の技術者が書いた図面です。
半田山の配水池から市街地に向けての水道管が細かく書かれています。
この展覧会は、現在の岡山の礎を築いた先人の土木技術の高さを知ってもらおうと、土木学会などが開きました。
1692年に岡山藩の池田綱政が行った、沖新田の干拓の地図です。
地名が一目で分かるように色分けされ、水門の位置や水路の場所も正確に書かれています。
「土木コレクション2015」は、今月20日まで、岡山シティミュージアムで開かれます。 f6 [14日 19:10]反戦の文士 谷崎潤一郎の石碑除幕
反戦の文士ともいわれる谷崎潤一郎が戦時中に疎開していた勝山に、
文学的な価値がある資料が残っていることをPRしようと石碑が建てられ14日、除幕式がありました。
日本を代表する文豪の1人、谷崎潤一郎です。
終戦間近の1945年7月、家族とともに疎開したのが真庭市勝山でした。
それから約1年滞在し、代表作「細雪」を執筆しました。
谷崎の原稿など貴重な資料が残っていることをPRして地域の活性化に
繋げていこうと石碑が建てられ、14日、お目見えしました。
戦時中に書かれた細雪は、大阪の4姉妹を主人公にして美しい上方文化などを描いた作品です。
…ttp://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?id=20151014_8
しかし、戦時下という時局をわきまえていないと軍部から追及され、雑誌への連載を断念します。
それでも、谷崎は自費で上巻を出版。ttp://www.rsk.co.jp/news/photo/20151014_8.jpg
戦争や軍部に無言の抵抗をしたことなどから「反戦の文士」とも言われていました。
谷崎は勝山で親交があった知人の家でも筆をとっていました。
谷崎の足跡が残る真庭市勝山です。
地元の人たちは歴史や文化を継承していきたいと考えています。
今年は谷崎潤一郎の没後50年の節目の年です。
文豪ゆかりの地、真庭市勝山を広く知ってもらおうという取り組みが始まっています。 藍農家が国重要文化財指定へttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025664201.html
「阿波藍」が盛んに作られていた明治から昭和にかけて藍づくりを家業としていた上板町の農家の住宅「戸田家住宅」
が、16日開かれた文化審議会で国の重要文化財にするよう答申され、近く指定されることになりました。
「戸田家住宅」は、藍の生産が盛んだった上板町にある農家の住宅で、今回重要文化財に指定されることになった
のは明治19年に建てられた母屋である「主屋」、長屋門、土蔵などと昭和12年に建てられた「東座敷」のあわせて
8棟です。
建物は長方形の敷地に主屋を囲むように並んでいて、近くを流れる吉野川の洪水に備えて石垣の上にかさ上げして
建てられています。
藍を発酵させるために使った「藍寝床」と呼ばれる作業場が当時そのままの状態で残されていて、藍の生産現場の
様子がよくわかります。
また「東座敷」と呼ばれる離れには10畳の和室が2つあり、床の間には京都から呼んだと伝えられる絵師が描いた
絵がふすまの表と裏、両方に描かれ、裏返しにすれば部屋の雰囲気を変えられる趣向が凝らされています。
県教育委員会教育文化政策課の林賢彦さんは、「藍屋敷は吉野川沿いにたくさんありますが、改築したり蔵や門を
取り壊したりという家が多く、このようにほぼ当時のままの形で残されているのは貴重です。
当時の富裕層の暮らしぶりがよく残っている住宅だと思います」と話しています。
この「戸田家住宅」は、個人の住宅のため、今のところ一般公開は予定されていないということです。
2015年10月16日 22時34分更新 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 最後の「岡山寮歌祭」06/25 16:46nhk
かつて旧制高校などで寮生活を送っていた学生たちの間で歌われていた寮歌を披露する「岡山寮歌祭」が40年近い歴史に幕を下ろすことになり、25日に岡山市で最後の大会が開かれました。
岡山市中区で開かれた「岡山寮歌祭」には、旧制高校など34校の卒業生や遺族などあわせて200人近くが集まり、それぞれの学校の寮歌を披露しました。
卒業生は全員が85歳以上と高齢ですが、学生帽をかぶりげたや草履をはいてステージに立つと、大きな張りのある声で寮歌を歌い上げていました。
当時の寮歌の多くは学生自身が作詞作曲していて、寮で語り合った将来の目標や、スポーツの試合に出場する仲間を激励する言葉などが盛り込まれています。
「岡山寮歌祭」は昭和53年に始まり38回目を迎えましたが、参加者の高齢化のためことしで長い歴史に幕を下ろすことになりました。
岡山の旧制高校を卒業した89歳の男性は「当時、寮歌をいつも歌っていた。学生時代の思い出が詰まっている」と話していました。
「岡山寮歌祭」を主催してきた岡山寮歌振興会の金政泰弘会長(91)は「寮歌祭は青春に帰ることができる場所なので終わってしまって寂しいが、寮歌をまたみんなで歌いたい」と話していました。 江戸や明治のプロジェクト展07/04 14:33nhk
香川県で、江戸や明治時代に行われていた道路や鉄道建設などのビッグプロジェクトを支えた、讃岐国の人々の取り組みを伝える展示会が高松市で始まりました。
「江戸・明治のビッグプロジェクトと讃岐人」と題した展示会は、高松市の香川県立文書館で4日から始まり、道路や鉄道建設などの大規模事業を紹介した日記や図面など35点が展示されています。
このうち、江戸時代に日本全国の測量地図を作成した伊能忠敬が、高松藩の領内を測量した様子が当時の古高松村、現在の高松市の役人の日記に記されています。
日記には、「島は海岸の通行が難しいため船を用意するように」などの指示があったことが書かれています。
また、現在の国道32号線と33号線の元になっている四国新道の建設を進めた、現在の三豊市財田町出身の大久保甚之丞が、資金集めや理解を得るために、地域の人たちなどに送った年賀状も展示され、当時の工事の進行具合がわかります。
県立文書館の小野祐平さんは「当時の讃岐の人々が数多くのプロジェクトに関わっていたことを知ってほしいです」と話していました。
この展示会は、9月10日まで開かれています。 「夏の風物詩」展08/02 16:39nhk
明治から昭和にかけて使われていた夏の日用品などを紹介する「夏の風物詩」展が米子市で開かれています。
この展示会はエアコンや冷蔵庫などがなかった時代に暑い夏をどう乗り切ったのか当時の人たちの生活の知恵を広く紹介しようと
米子市の山陰歴史館が開いたもので、明治から昭和にかけての日用品やポスターなど60点が展示されています。
このうち、米子市の版画家、河田久寿の「おじじのかんぴょみき」は昭和初期に弓ヶ浜半島で夏の炎天下に
行われていたかんぴょうの天日干しを題材にした版画で、当時のかんぴょうの皮むき機とともに展示されています。
また、「張板」と呼ばれる長さ2メートル20センチ、幅50センチほどの板は川で洗った洗濯物を乾かす際に
使われていたもので、昭和初期には多くの女性が嫁入り道具の1つとして持参していたということです。
会場にはこのほか手で回して使う「かき氷機」や「蝿いらず」と呼ばれた料理の保存棚などが展示されています。
この「夏の風物詩」展は8月27日まで米子市の山陰歴史館で開かれています。 鞆の重伝建申請へ 秋の選定目指す[2017.7.28 19:2]rcc
福山市の鞆地区を国の重要伝統的建造物群保存地区
=「重伝建」に申請するために必要な町並み保存計画が議決されました。
市は、速やかに重伝建の申請を行う方針です。計画は、市の教育委員会会議で議決されました。
鞆地区の歴史的な町並みを維持するため
建物を修理したり増改築したりする際の基準を定めたもので、重伝建申請の条件となっていました。
議決を受け、福山市は今後速やかに国へ重伝建の申請を行い、
この秋の選定を目指したい考えです。
「住民の皆さんのご理解を頂けるように必要な説明を続けていくことが何より大事」
(福山市教育委員会・三好雅章教育長)
選定されれば県内では竹原市、呉市・大崎下島の御手洗地区に続いて
3か所目となります。 子どもたちが「錦絵」体験18:30eat
夏休みの子どもたちが明治時代に流行した錦絵を体験するイベントが、松山市の
「坂の上の雲ミュージアム」で開かれました。
このイベントは明治時代に流行した「錦絵」を通して子どもたちに明治時代への理解を
深めてもらおうと坂の上の雲ミュージアムが開いたもので、13日は、親子連れなど
およそ50人が参加しました。
錦絵は、明治時代に生きた人々の生活の様子などを描いた多色刷りの木版画で、
子ども達はその歴史を学んだあと、文字や絵が彫られた板や絵の具を使ってカラフル
な多色刷りに挑戦していました。
そして、小説「坂の上の雲」に登場する秋山好古・真之兄弟や正岡子規らが描かれた
鮮やかな版画を完成させていきました。 懐かしい鳴門の写真展08/18 06:24nhk
徳島県鳴門市では、市政が始まってからことしで70年を迎えたことに合わせて、
昭和初期の鳴門海峡の様子など市内の懐かしい風景を収めた写真展が開かれています。
鳴門市が開いているこの写真展には、昭和20年代から60年代にかけて市内の
さまざまな風景を収めた写真およそ200点が展示されています。
このうち昭和28年に展望台から撮影された鳴門海峡の写真は、鳴門市と淡路島を
結ぶ大鳴門橋がまだ建設されていないため、海と島が織りなす素朴な風景が
写し出されています。
また昭和46年に撮影された岡崎海水浴場は、家族連れなど多くの人でにぎわって
いて、当時の海水浴の人気ぶりがうかがえます。
このほか、昭和26年にセンバツ高校野球で鳴門高校が優勝した時の様子や、
今は閉校している小学校で撮影された子どもたちが笑顔で写る集合写真など、
当時の懐かしい風景を楽しむことができます。
鳴門市秘書広報課の戸島慶祝係長は「自分なりの懐かしい場所や風景を探して
楽しんでもらいたい」と話していました。
この写真展は今月22日までキョーエイ鳴門駅前店のギャラリーで開かれています。 戦争中のポスター展08/19 19:06nhk
太平洋戦争中に国威発揚や戦費の調達を目的に制作されたポスターを集めた展示会が、
下関市で開かれています。
展示会は、300人余りが犠牲になった昭和20年の「下関空襲」を語り継いでいる
地元の市民グループが、平和について考えるきっかけにしてもらおうと開きました。
下関市豊前田町にあるギャラリーには、長野県の阿智村役場から借りたポスター
17点が展示されています。
このうち、「一億が債券買って総進軍」と書かれたポスターには、「貯蓄債券」や
「報国債券」などという文字が並び、すべての国民から何らかの形で1円でも多くの
戦費を調達しようとしていたことがうかがえます。
また、「戦場に活かせ銃後の鉄と銅」と書かれたポスターは、最新情報を国民に
知らせる手段として使われていたもので、一般に「壁新聞」と呼ばれ、輸送船の材料
にするため家庭にある鍋や釜などを供出するよう呼びかけています。
このほか、国民の労働力だけでなく精神までも総動員することを呼びかけるポスター
やラジオ番組を紹介した番組表なども展示され、当時の日本が戦争に勝つことだけに
国民をまい進させていた様子が分かります。
展示会は、8月22日まで下関市豊前田町の「にししんギャラリー」で開かれています。 「古い道具と昔のくらし」展09/14 10:47nhk
明治から昭和にかけての暮らしを知ってもらおうと、かつて家庭で使われていた
懐かしい道具を紹介する展示会が、高松市で開かれています。
高松市の香川県立ミュージアムで開かれている展示会には、明治から昭和にかけて、
家庭で使われていた炭火をつかったアイロンなどの電化製品、およそ40点が展示
されています。
手回しミシンと電動ミシンを紹介する展示では、電動式が開発されたことで、両手で
布を押さえながら作業ができるようになった一方、縫う速さの調節が難しくなった
ことがうかがえます。
また、今回の展示で初めて公開される、明治40年に高松市内の郵便局で撮影された
写真には、電話交換手の女性2人と交換機が写っていて、当時は人の手を介さなければ
会話ができなかったことがわかります。
訪れた人たちは懐かしそうに展示品を眺めながら、当時を思い出していました。
香川県立ミュージアム学芸員の御厨義道さんは「明治・大正・昭和の身近にあった
ものを多く展示しています。
くらしがどのように変わったかを知ってほしい」と話していました。
この展示会は、毎週月曜日の休館日を除いて12月3日まで開かれています。 戦没画学生の作品展09月27日 12時41分nhk
芸術の道を志しながら戦争で命を落とした画学生たちの作品を集めた展示会が呉市の美術館で開かれています。
この展示会は戦争で命を落とした画学生が描いた絵などを所蔵する長野県の「無言館」から作品を借り受けて開いたもので、戦地に出兵する前に家族やふるさとの風景を描いたおよそ150点が展示されています。
このうち、中国の当時の満州で23歳の若さで戦死した東京の太田章さんの作品は、出兵する数日前に、自宅の庭に座る妹を畳一畳ほどの大きな紙に描いた作品です。
また、竹原市出身の画家で広島市で被爆し、31歳で亡くなった手島守之輔さんの作品は赤いワンピースを着た妹や、レンガ工場のある当時の竹原市内の様子を描いたものです。
作品にはそれぞれの家族などが残したエピソードも記され、訪れた人たちは足を止めて見入っていました。
呉市立美術館の角田知扶学芸員は「絵が大好きだったにもかかわらず戦争によって、夢が実現しなかった人たちの無念さを感じながら戦争や平和について改めて考えてみてほしい」と話していました。
この展示会は、11月19日まで、呉市立美術館で開かれています。 懐かしの貯金箱 展示会10/03 06:31nhk
昭和の時代などに作られた懐かしい貯金箱を集めた展示会が徳島市で開かれています。
この展示会は、日本銀行が定めた今月17日の「貯蓄の日」にあわせて徳島市の木工会館が開いていて、昭和の時代を中心に作られた貯金箱40点余りが展示されています。
このうち砲弾の形をした貯金箱には、「貯蓄報国」という言葉が刻まれていたり、説明書に「マグネシウムのくずの再生品で金属回収には関係ありません」と書かれているなど、戦時中の状況が色濃く反映されています。
また、子どもにも楽しく貯金してもらうために作られた、戦後の人気アニメのキャラクターの貯金箱も展示されています。
このほか、江戸時代末期から明治にかけて作られたという「銭箱」も展示され、上部に銭を入れる投入口があり、四方が鉄の金具で留められるなど頑丈な作りになっていることがうかがえます。
木工会館を運営する徳島市地場産業振興協会の上杉和夫理事長は「その時々の国民感情や世相が反映されている貯金箱を見て、日本の歩みを感じてもらいたい」と話していました。
この展示会は今月17日まで開かれています。 「明治150年」取り組み議論10/11 20:59nhk
来年の「明治150年」を記念した取り組みについて有識者などが話し合う会議が11日に県庁で開かれ、明治維新に関連する資料の保存や研究に対し支援を行うなどとする素案が示されました。
この会議は、来年の「明治150年」を記念した取り組みについて話し合い提言してもらうため、大学教授や経済団体の代表などをメンバーとしてことし5月に設けられ、11日、県庁で2回目の会合が開かれました。
はじめに、県の担当者がこれまでの取り組みについて「明治150年」の認知度が低いとして、実行委員会を設置しPRを強化していることなどを報告しました。
このあと、来年度以降の取り組みとして、これまであまり注目されてこなかった歴史上の人物を取り上げるほか、明治維新に関連する資料の保存や研究に対し支援を行うなどとする素案が示されました。
これに対し委員からは、「県内の大学に明治維新に関する研究機関を設置すべきでないか」とか、「子どもたちに明治維新への理解を深めてもらう副読本などを授業で採用してはどうか」といった意見が出されました。
会議の会長を務める山口大学の田中和広副学長は、「明治150年は山口に巡ってきたチャンスであり、将来に生かせる取り組みになるよう提言をとりまとたい」と話していました。
この会議では11日に出た意見などを踏まえ、来年2月をめどに県への提言をまとめることにしています。 ドイツ兵捕虜が描いたスケッチ展10月13日 14時54分nhk
第1次世界大戦中、今の鳴門市にあった板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵が徳島の風景を描いたスケッチの展示会が鳴門市で開かれています。
この展示は捕虜と地元の人たちが交流を深めたことなどで知られる板東俘虜収容所が今年で開所から100年になるのを記念するとともに、ユネスコの「世界の記憶」への登録を目指している収容所の資料を広く知ってもらおうと鳴門市ドイツ館で開かれています。
当時の収容所の建物の様子を始め、周辺の漁村の風景や地元の寺など捕虜のドイツ兵が描いたスケッチの原画やパネルなど25点が並んでいます。
収容所の近くにある大麻比古神社の境内を描いた直筆のスケッチは鉛筆で鳥居や周辺の木々などを丁寧に描いています。
ドイツ兵たちが収容所内で作ったカレンダーは、着物を来た子どもを描いたスケッチが挿絵として使われ、地元の人たちと交流を深めていたことがうかがえます。
鳴門市ドイツ館の森清治館長は「展示を通じて、戦争という厳しい状況でありながらドイツ兵と地元の人たちが互いに尊重しあい交流を深めた歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この展示は来月26日まで開かれています。 湯飲み茶わんの展示会10月13日 08時03分nhk
三次市の資料館で、特徴のある国内外の湯飲み茶わんを集めた展示会が開かれています。
この展示会は、三次市小田幸町の県立歴史民俗資料館が開いているものです。
会場には、収集家の坂口恭逸氏が明治末期から昭和前期にかけて集めた国内外の湯飲み茶わん279点が展示されています。
このうち餅をつく臼をかたどった九谷焼の湯飲み茶わんは、ススキの絵が施されているほか、ふたには小さな白いウサギが取り付けられていて、秋の名月を表現しています。
また、大正から昭和前期にかけて大阪府庁の食堂で使われていた湯飲み茶わんには、尺貫法とメートル法の対照表が書かれるなど珍しいデザインです。
このほか、宮島の鳥居や、「長崎くんち」など観光名所をデザインした作品も展示され、訪れた人たちは各地の特徴ある湯飲み茶わんに見入っていました。
学芸員の村田晋さんは、「今から100年ほど前に集められたもので、全国の有名な焼き物から幻の焼き物まで個性豊かな湯飲み茶わんを楽しんで欲しい」と話していました。
この展示会は11月26日まで開かれています。(※月曜休館※10月9日祝は開館) 猪熊弦一郎の戦争画展10/20 06:54nhk
高松市出身の画家猪熊弦一郎が、第2次世界大戦中に従軍画家として描き、戦後初公開となった絵画などの作品を集めた展示会が、香川県丸亀市の美術館で開かれています。
会場の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館では、第2次世界大戦の開戦から終戦にかけての猪熊の作品や資料など、120点余りが展示されています。
このうち「○○方面鉄道建設」という作品は、戦時中に猪熊が当時のビルマ、現在のミャンマーに従軍画家として派遣された時に描いた日本軍の作戦記録画で、戦後初めての公開となります。
縦が1.8メートル余り、横がおよそ4.4メートルの巨大な油絵で、ジャングルの中で、日本軍が捕虜を働かせて鉄道を建設している風景が描かれています。
美術館によりますと、作品名が「○○方面鉄道建設」となっているのは、日本軍が作戦を秘密裏に行うために地名を伏せていたためだとしています。
このほかにも、猪熊が描いた東南アジアの人々のスケッチや、従軍画家を命じられた猪熊が残していた陸軍からの辞令など、貴重な資料も展示されています。
美術館の学芸員の古野華奈子さんは「猪熊の戦争との関わりや、戦争が彼に与えた影響を検証しようと企画しました。戦争について考えるきっかけにしてもらえれば」と話していました。
展示会は来月30日まで開かれています。 [23日 11:55]新見市で温かみある「民具」を展示. https://www.rsk.co.jp/sp/news/rsk_news.html#local_news_20171123_1
どこか温かみが感じられる明治から昭和初期にかけての道具「民具」を紹介する展示会が、新見市で開かれています。
大正時代の青い消防ポンプや、目の不自由な人のためのそろばんをはじめ、「民具」と---呼ばれる日用品や農機具など約3000点が展示されています。
ひとつの道具が何世代にもわたり大切に使われた時代でした。哲西民俗研究会などが集めて保管してきました。
当時の道具の温かみをと、ほとんどを手にとって見ることができます。
展示会は、新見市の旧哲西認定こども園で、今月26日まで開かれています。 2017/12/01「みんなのニュース」19:30 動画 130年前のレンガ再生に挑戦http://www.ohk.co.jp/news/news.php?VNO=2926 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
MNV3Z 戦前の悲惨さを知っているのは戦前に生きていた人だけ。
だからそういう人の反戦論は否定しない。
戦争を知らない子供たちなんて能天気な歌を歌っていた戦後以降の世代の反戦は
頭でっかちの上っ面な戦前否定。
戦前までの日本人は貧しくともそれを恥とは思わず、凛として立つ気品があったと思う。
高度成長はそれを黒歴史にした上での再出発だったのだから、豊かにはなっても
それに見合った文化を生み出さなかったのも致し方ない。 筋を通す、義憤に駆られる、といった価値が減衰していったのも戦前を否定してからだな。
自由の名のもとに世間からの縛りが良くも悪くもなくなって、それはそれで居心地はよくなったのだが
それに代わる価値を何も生み出せなかった。
戦後という時代そのものに繁栄もその後の衰退も準備されていたのかもしれん。 >>133
義憤に駆られたから、関東大震災で、みんなを守るため朝鮮人だという理由だけで虐殺していったんですね!
日本を天皇を、守らないといけないという義憤に駆られたから、
共産主義者だという理由で、蟹工船の作家やいろんな人達をめちゃくちゃ叩きのめして、拷問して、文字通りぶち殺したんですね!
誉れある大日本帝国はどんな事をしても戦争に勝たなければならないとの義憤に駆られたから、
中国人、朝鮮人、ロシア人の怪しいやつを捉えて、生きたまま生体解剖したり、いろんな生体実験で切り刻んだりして、ありとあらゆる恐ろしい事をしたんですね!
ソ連が攻めてきたら、
このような事が公になっては祖国の恥との義憤に駆られて
関係資料焼却、運良くまだ生きていたマルタを、皆殺しにして埋めて、なかったことにしようとしたんですね! と、このように日本人の一般的な資質を表層の政治的な断罪によって味噌も糞も一緒に葬り去ってきたのが戦後日本。
サヨクには情が通じないという好例。 人間には様々な側面があるし、どんなに身も蓋もない実態があったとして、俺の言ってることとは矛盾しない。
昔は金より大事なものがあるという価値観が建前として機能していたということを言っているに過ぎない。
どんなに不条理で理不尽な現実があっても、それを運命として甘受する能力も当時は今より高かった。 敗戦、破滅には破滅するなりの理由があるが、
上流は常に下流を搾取し、下流は唯々諾々と従う被害者という左翼史観が、戦前理解を歪めたのは確か。
仮にそれが事実だとしても、我々が敗戦によって何を得何を失ったかを冷静に検証することは無意味ではない。
戦前を称賛したところで過去に戻れる訳ではないが、現在の価値観を絶対視する傲慢からは自由になれるだろう。 明治から戦前まで
天皇が女の子を海外に売り払った
その船代で三井三菱が財閥になるほど売れた
女の子たちは全裸で売春宿の軒先に犬のように繋がれ
推測だけど妊娠したら腹を蹴られて堕胎させられたんだろね
当時は避妊具なかったでしょ
ボロボロになって死んでいった数十万人の女の子たち
それが明治の近代化の原資だった
なぜそれを教科書に書かないんだ!!
伊藤博文なんて若い頃の写真見ればわかるがチンピラ朝鮮人だぞ
愛人を殺しては新しい愛人を作るのを繰り返していた
なぜそんな朝鮮人を教科書で美化するんだ
責任者出て来い 関東大震災のとき、なんで朝鮮人は銃火器を持っていたか
皇太子暗殺を計画していたからだという
その暗殺が成功していれば日本人含めてアジアの3千万人が無駄に死ぬことはなかった
天皇も伊藤博文も朝鮮人だが、それは悪い朝鮮人であって
その悪い朝鮮人を暗殺する朝鮮人は良い朝鮮人の可能性がある
正恩はすっかり悪者になっているが、それは安倍と組んでいるからであって
これからの改心した正恩には大いに期待している
正恩は寄生虫天皇を倒せるネタを持っているからな 明治から戦前まで
天皇が女の子を海外に売り払った
その船代で三井三菱が財閥になるほど売れた
女の子たちは全裸で売春宿の軒先に犬のように繋がれ
推測だけど妊娠したら腹を蹴られて堕胎させられたんだろね
当時は避妊具なかったでしょ
ボロボロになって死んでいった数十万人の女の子たち
それが明治の近代化の原資だった
なぜそれを教科書に書かないんだ!!
伊藤博文なんて若い頃の写真見ればわかるがチンピラ朝鮮人だぞ
愛人を殺しては新しい愛人を作るのを繰り返していた
なぜそんな朝鮮人を教科書で美化するんだ
責任者出て来い 皇室は皇統が変わったと言っていた。韓国人の天皇アキヒトとミチコの部下が。
少数の韓国人で日本人を支配するという野望を持っている皇族ども。
皇統が変わったじゃねえだろ。皇族どもめ
日本人は韓国人の天皇など認めない
日本から消えろ! 韓国人 皇族どもめ
平成になってから帰化人ばかりの総理になったのは韓国人天皇のせいだ
日本人の敵 皇族 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
6IS いまだにこんな書き込みが続くとは。
2ちゃんねるも5ちゃんねるもやはり時代に取り残された
老人ホームとなっていまったということか。。 "国際観光写真にみる1930年代写真展 JCIIフォトサロン 開催" を YouTube で見る
https://youtu.be/E9Yy7tc7fJ0&#160; ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています